魔女は人間が好き   作:少佐A

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恐怖

 気怠そうに瞼を擦りながら、仁美はいつもの待ち合わせ場所であくびをしながら人を待っていた。今日は別々で登校して来ているのか、まどかよりも早く待ち合わせ場所に辿り着いて仁美を見つけたさやかは、片手で拡声器の形を作り、仁美の名を呼びながら手を振って駆け寄ってくる。

 

「おはよう、仁美」

 

「おはようございます」

 

 あくびを噛み殺しながら挨拶を返した仁美は、目尻に涙を溜めて口元に手を当てながらじっと固まった。やがて、ふぁ、と小さな息が漏れたかと思うと、我慢できなくなったのか、手を被せて口を隠しながらも大口の欠伸を漏らして涙を拭き取った。

 

「あれ、もしかして寝不足?」

 

 返事を返そうとして、ぶり返して来た欠伸を堪え切れずに小さく頷いてから再び口元を手で覆い隠す。お嬢様である仁美は幼い頃から早寝早起きを義務付けられ、習慣となっているが故に、寝不足になった経験は指で数えるほどしかない。長期休業終了間際に溜めた課題を徹夜で済ます、試験前に徹夜で勉強する、なんてことは日頃から勉強をしている仁美には必要のないことであった。

 そんな彼女が寝不足になった原因は、ただ一つ。昨日の、魔女の襲撃で感じた死の恐怖が今も頭から離れずに、昨晩は一睡もすることが出来なかったのだ。助けに入ってくれた黄色の魔法少女、巴マミが同じ見滝原中学の上級生だと知り、色々と魔法を使った精神のケアを試みてくれることを約束して貰ったのだが、この恐怖が頭から離れることは考えることが出来なかった。

 裁ちばさみに皮膚を切り裂かれている自分、待ち針で全身を串刺しにされている自分、目を閉じればそんなものばかり見えてきて、今でも表に出さないようにしているが、蘇る恐怖に絶叫してしまいそうだった。

 

「おはよう、さやかちゃん、仁美ちゃん」

 

 いつものように、赤色のリボンで可愛らしく纏めた髪の毛をぴょこぴょこと揺らしながら、まどかが息を切らしながら舌をペロッと出す。計算しているように思える、一つ一つの愛くるしい動作は全て彼女の天然さが成せるものであり、見ている側も苛立ちを感じさせない、いわば芸術のようなものであった。

 さやかとまどかの二人は言葉を交わさずにアイコンタクトを取ると、にこりと柔らかい笑みを浮かべた。はて、何か良いことがあったのでしょうか。二人が唐突に以心伝心し始めたのも、キュゥべえという不思議生物の存在があったからだと気付き、少し前に見せたような大げさな反応を取ることは無い。それよりも、今にも震えだしそうな膝を押さえ付けるので精一杯だった。

 

「仁美ちゃん、実はね」

 

「おはよう、志筑さん」

 

 まどかが仁美に何かを伝えようとした矢先、さやかとまどかの二人の背後から、第三者の挨拶が割り込む。黄色のドリル状のツインテールをゆらゆらと揺らし、愛想の良い笑みを浮かべるその人の目の下には、化粧で隠された黒く濃い隈が見え隠れしていた。心配そうに仁美の顔を覗き込み、頬や額に手を当てて熱を確認する様は、長年付き合ってきた姉妹のように見えた。

 

「え、あ、ま、マミさん!?」

 

 マミの家にお邪魔したことがあるまどかとさやかは、彼女の家から学校までの道のりにこの場所どころか、近くすら通らないことを知っている。わざわざ遠回りしてまでこの場所に現れて、仁美とマミが親しげにしているのは恐らく偶然では無い。記憶通りなら、二人の接点は同じ見滝原中学校の生徒ということだけであり、委員会と係共に被っているものは一つも存在しなかった。かといって部活動はどうかといえば、習い事で忙しい仁美が部活動に行けるはずも無く、マミはマミで魔法少女としての活動があるから部活動には加入していない。

 

「それより仁美、あんたどこでマミさんと――――まさか」

 

 二人の接点は何があるか。ずっとそればかり考えていたさやかは、あることに気が付く。今までのものに接点があったのではなく、恐らく、つい最近の出来事で知り合う接点が出来たのではなかろうか、と。ゾクリと背筋が凍る錯覚を感じ、鳥肌がたった片腕を擦りながら、さやかはある一つの理由に思い至る。

 それは即ち、魔法少女。

 何らかの理由で彼女にキュゥべえが接触したか、もしくは運悪く再び魔女の標的にされたかのどちらかだろう。それ以外で彼女が魔法少女のことを知る術など存在するはずも無く、魔女に襲われていた場合、ここに生きて帰り、マミと親しげに話すことが出来ている目の前の光景が、マミが偶然だろうと必然だろうと、仁美を魔女の手から救い出したということを物語っている。

 

「心配ご無用ですわ。私、魔法少女になるつもりはありませんもの」

 

 一気に顔を青く染めて、俯き悲痛な表情になったさやかの考えてることを見抜いた仁美は、すぐさまふわりと微笑んでそれを否定した。

 さやかが懸念していたのは、魔法少女の真実を知らずにキュゥべえと契約し、絶望して魔女となる仁美の最期。魔法少女として人を助けるマミは、助けたあとに精神を落ち着かせるよう、独学で学んだヘルスケアを行ってから家へと帰す。大抵の人間は気を失うか、ショックで魔女に襲われた記憶だけ忘れてしまうのだが、たまに鮮明に記憶している者がいる。そんな人物を狙ってキュゥべえが契約を持ち掛けていることなど知る由も無く、マミは魔法少女の真実を知ってからも、助けた人間に真実を伝えようとはしない。伝える必要は無いと思っている一方で、いずれ魔女になるならお前も化物だ、と言われてしまう可能性を恐れているからなのかもしれない。

 結局、さやかが何を一番心配していたのかと言えば、マミに救われた仁美がキュゥべえと接触し、真実を知らずに魔法少女になるための契約を完了してしまうことであった。

 その心配も無用に終わったと安堵すると同時に、さやかたちを襲うものはただ一つの、それでいて重く、深い感情だった。

 

「……そっか……その反応じゃあ、私たちのことも知ってるみたいだね」

 

「か、隠してたことは悪いと思うけど、仁美ちゃんには黙ってた方が良いかなって」

 

 罪悪感。

 大切な友人に隠し事をしていたという罪悪感が、二人の心をきゅっと締め付けた。どんなことでも、どんなものでも、自分一人だけ仲間外れにされるのは気分が良くない。そんなことは、小学生や更に歳の若い頃から経験をもって理解しているはずだ。

 隠し事の内容が内容であったため、仁美に全て放してやることが出来なかった。

 長く、重たい沈黙が三人の空気を支配する。ただ一人、蚊帳の外であったマミも、三人の意思を汲んで少し離れたところから見守っている。ここで仁美が怒るのも良し、仲間外れにされたと泣き崩れるのも良し。普段が寛容で穏やかな彼女であるが故に、思考が読めないこともあり、顔を伏せ、垂れた前髪が目元を覆い隠した仁美が、一体何を考えているのか分からなかった。

 ゆっくりと顔を上げた仁美の顔は、今にも泣き崩れそうな、涙をためたぎこちのない笑み。無理をして作った笑みはガラスのように少し叩いたら割れてしまいそうで、脆く儚かった。

 

「いえ、私もお二人が隠そうとした理由は既に――あ」

 

 表情の変化は一瞬だった。笑みを作りながら言葉を紡ごうとしたそのとき、涙を堪え切れなくなった仁美の頬に一粒の雫が垂れ、力を無くした足腰が仁美の身体を真後ろへと倒させた。

 

「仁美!?」

 

「仁美ちゃん!?」

 

 背後には木の周りに枠取りされたレンガの群。後頭部を打ち付ければ大怪我必至の危険な状況に陥った仁美はすぐさま体勢を立て直そうとするも間に合わず、直前に身を乗り出していたマミの手も間に合いそうに無い。

 

「仁美ちゃん!」

 

 突然のことで硬直していた身体がやっと反応したまどかに続いて、さやかも精一杯手を伸ばしてもあと少しのところで宙を掻いた。危ない。そう叫んでも届かない自分の手に憤りを感じながら、目の前の光景を見ることが怖くなって目を瞑る。仁美も背後に手を突こうと腕を回すが、昨日の光景がフラッシュバックして身体が硬直してしまった。

 

「まどかと美樹さやかに呼ばれて来たけれど、これは一体どういう状況なの?」

 

 凛とした声が響き渡り、不思議そうに、いつもの仏頂面のまま静かに首を傾げる魔法少女姿のほむらが仁美を背後から抱き抱えていた。

 

「ほ、ほむらちゃん!」

 

 そういえば、さやかがほむらを突然名前呼びしたことで困惑したほむらをなし崩し的に丸めこみ、一緒に登校しよう、と約束したのだった。今の今まで登場しないものだから、やはり一緒に登校するのは嫌で現れなかったのだと思い込んでいた。

 何度かほむらからキツイ忠告を受けていたまどかは、どうやら嫌われていると思っていたらしく、時間通りとは言えないものの待ち合わせ場所に現れたほむらに向かって安堵の笑みを浮かべた。変身を解いたほむらはまどかの笑みから目を逸らすように、顔を伏せる。

 

「来てくれたんだ」

 

「……別に、たまたま通りかかっただけ」

 

 不器用な照れ隠しも、余りにも純粋すぎるまどかにはそのままの意味で感じ取ってしまう。しょんぼりと肩を落としたまどかに、「遅刻してしまったから居ないと思ったけれど、たまたま通りかかっただけ」と言い直してそっぽを向いた。心なしか、仏頂面の口の端が綻んでいるように見える。

 ほむらの登場に一番困惑していたのは、先日のこともあり、仲良くなり始めた関係に亀裂が走ったマミであった。なによりもベルのことが大切なマミは、そのベルを危険だといってマミから引きはがそうとしたほむらのことを良く思っていない。そわそわしていたマミは、時計を見つけると、分針が指す時間を確認すると、慌てて鞄を持ち直した。

 

「私は先に行くわね。今日は早めに登校しなくちゃいけないから」

 

「はい、わざわざお時間ありがとうございます」

 

 今までチラチラ時計を窺っていたマミの言葉に嘘偽りはないだろうが、この場を離れたがった一番の理由はほむらが居たからである。事情を知るさやかは、二人に仲直りして貰おうと引き止める言葉を考えていたが、先に事情を知らない仁美が快く送りだしてしまったので引き止めることは叶わなかった。

 角を曲がってマミの姿が見えなくなると、今度は三人の視線が仁美に集中した。どうしてあの場で倒れてしまったのか、どうして今でも背中を丸めて自分の身体を抱きながら小刻みに震えているのか、その理由が知りたかった。

 

「実は、魔女に殺されかけてしまって。それで、巴さんに助けて貰えなかったら、どうなってしまっていたのかを考えると今でも怖くて」

 

 切りだされなくても、友人たちの視線が自分に何を求めているのか理解した仁美は、嗚咽を漏らしながら悩みを吐き出す。仁美が吐き出す悩みは、三人の中で唯一魔法少女では無いまどかが共感できることであり、それ以上の恐怖の感情であった。

 魔法少女がなんであるかを知り、魔女との戦いは死と隣り合わせであることを理解していたまどかは、廃工場で魔女に襲われたときにもうここまでなんだ、とどうにもできない自分の無力さを知っていて一瞬だけでも諦めてしまった。逆に、魔法少女がなんであるかを知らず、魔女がどんなものであるかも知らなかった仁美は、恐らく見るのは初めてであろう魔女の使い魔に襲い掛かられ、どうすれば良いのか分からずに死の恐怖に覚え続けることしか出来なかった。

 最後にキュゥべえが契約するかどうかを聞きに来たが、あれはキュゥべえが何らかの形で話の邪魔をされないように、仁美を閉じ込めただけだと思ったから、問答無用で却下したのだ。あれが魔女の結界内で、却下してマミが助けに来なければ殺されていた、と知っていたなら魔法少女と魔女の関係を知っていても契約していたかもしれない。

 

「私と同じ――ううん、私より怖かったんだよね、仁美ちゃんは」

 

 悩みを吐き出し、泣き崩れた仁美に手を回して自分の方へ寄せると、まどかは優しく声を掛けながら仁美を諭した。

 

「志筑仁美」

 

 マミが立ち去ってから、困ったような表情で端から三人を見ていたほむらは、凛と張った声で仁美の名前を呼ぶ。感情を込めることが下手なほむらのそれは、どうやら敏感になっている仁美にとっては怒気を孕んでいるように錯覚してしまったらしく、びくりと身を跳ねさせてからゆっくりと顔を上げる。

 

「このままでは遅刻してしまうわ」

 

 顔を上げた仁美の手を引っ張ると、手の上に一枚の紙を置いて無理やり握らせる。手の中でくしゃくしゃになってしまった紙を破らないように時間を掛けて開くと、中に三つに区切られた数字の列が書かれていた。

 

「これは……?」

 

「私の電話番号。何かあったら連絡すると良い」

 

 照れくさそうに、時計を確認するようにわざと仁美から目を逸らしているほむらに向かって小さく笑うと、仁美は電話番号の書かれた紙を携帯電話に打ち込み、綺麗に折りたたんでから生徒手帳の間に挟んだ。

 

「お、優しいじゃん、ほむら。どれどれ、さやかちゃんとも交換して貰おうか」

 

「嫌」

 

「さやかちゃん撃沈っ!?」

 

 何かと衝突したような、無駄に高い演技力を見せつけながらオーバーリアクションで倒れ込んださやかは、およよと嘘泣きを始めた。だがしかし、わざとらしい嘘泣きはほむらの心を揺さぶることは無く、演技の同情の代わりに差し出されたのは、あざけるような鼻笑であった。

 

「冗談よ」

 

 いつから用意してあったのか、懐から一枚の紙を取りだすと、それをさやかに手渡した。手書きの、習字のように綺麗な文字の節々に見られる女の子特有の丸みが残っており、大人びている癖に時折年頃の女の子らしい一面を見せるほむららしくて、それがなんだか可笑しくて、文字を見つめていたさやかの口から息が漏れる。

 

「あ、ほむらちゃん、私もお願い」

 

 その日、最低限の人物しか登録されいなかったほむらの電話帳に、『友達』という名のグループで三人の女子が新たに登録された。仏頂面を崩さないものだから、その画面を見つめて嬉しそうに口角を上げて笑うほむらの顔は、どこからどう見てもほくそ笑んでいるようにしか見えなかったという。


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