魔女は人間が好き   作:少佐A

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訳が分からないよ

 学活を終え、鞄を手に持ちながら慌ただしく動き回る同級生に目を向けずに、合間を縫ってほむらはさやかの席へと向かった。

 朝は上条恭介が退院したという話で持ちきりであったが、少し時間が経てばそれも静まって行った。それは決して恭介に飽きたからでは無く――さりげなく手を繋ぎ合ったり赤い面をしたまま無言で向き合っている人物を見つけたからだろう。

 仁美の話によれば、さやかは恭介と結ばれたのだという。半信半疑で教室の扉を開いたほむらの目に飛び込んできた光景が、耳元まで真っ赤に染め上げて向き合っている二人の姿であった。どう話しかければ良いのか、どう接すれば良いのか分からずに初対面のようなもどかしさを見せるさやかを微笑ましく思う反面、仁美が叶えようとしていた願いが自ずと浮かび上がって苦い顔をする。

 『さやかから恭介を奪うこと』。恐らくは、それが彼女の願いだ。これを叶えてしまえば、さやかだけでなく仁美自身の魔女化も免れない。契約しかけた仁美を制止した杏子に感謝しつつも、キュゥべえが契約を迫った意図が分からずに首を傾げる。

 

「どしたの、転校せ――ほむら」

 

 突然目の前に現れたかと思いきや、首を傾げながら唸り始めたほむらを怪訝そうな表情で見つめる。一瞬、転校生と言いかけたのを慌てて言い直して、気恥ずかしそうに頬を赤らめた。事前にほむらのことを名前呼びすると宣言していなかったせいか、ほむら自身も、二人の元に駆け寄ったまどかも突然のことに目を点にさせている。

 

「美樹さやか?」

 

「ああ、もう、うっさいな。あたしだって恥ずかしいんだから、聞き直さないで」

 

 頬を朱に染めながら、さやかはぷいとそっぽを向いた。まるで拗ねた子供のような仕草は何処か愛らしく、さやかの好意的な態度はほむらの凍りきった心を温めた。

 己のことをさやかが名前で呼ぶなんてこと、いつのループ以来だっただろうか。思い出そうとして、幾度とないさやかの死も同時に引き出してしまい、顔を強張らせる。偶然か必然か、さやかが不思議そうな表情を浮かべ、自問自答を始めたのは殆ど同じタイミングであった。

 

「なんであたしは、初めてあったときから好きになれないと思い込んでたんだろ」

 

 唐突に、さやかは今までの自分のほむらへ抱いていた感情を思い出して、疑問を抱かずにいられなかった。

 何をされたわけでは無い。何を言われたわけでも無いのに、ほむらが見滝原中学校へ転校して来た当日、初めてあったはずのほむらに強い既視感を覚えると共に、微生物のような小さな違和感と腹の底からふつふつと湧き上がる憎悪を感じたのだ。自分の尊敬する人物を貶めた、許すべからざる人物――何を根拠にしているのか分からない、そんな不確かな憎悪だ。

 もしかすると、幼少の頃に会ったことがあるのかも知れない。まだ学校による学力の差が余り開いていない小学校時代では、転校や転入といったイベントは多く発生するものである。その際に、さやかに強い憎悪を刻み付ける何かをしでかしたのではないか。そう思って昨晩、必死に小学校の頃の写真を机の引き出しから漁ってみても、それらしき人物を見つけることは遂に叶わなかった。

 そして、その晩に見た奇妙な夢。さやかにとって最悪な結末を描いた、目を背けたくなるような夢を第三者視点でずっと見せつけられ、突然変わった視界に映りこんだのは、自分の知り合いと手を取り合って強大なナニカに立ち向かう、見覚えの無い少女。起きた直後には夢の内容など殆ど忘れていたが、最後に見た少女の姿だけは鮮明に覚えている。両脇からぶら下げた、歩くたびに揺れる三つ編みと、赤い縁の四角い眼鏡が特徴的で、庇護欲を掻きたてるような気の弱そうな少女。

 

「ねえ、ほむら。あんたって眼鏡かけてたこと、ある?」

 

 その少女が、さやかにはほむらの姿と重なって見えたのだ。

 

 * * *

 

 はあ、と周囲を歩く誰にも気づかれない程度で小さな溜め息を吐くと、仁美はいつも一緒に下校する友人二人を学校に置いたまま、習い事へと向かう歩道を歩き出した。

 覚悟はしていたのだが、改めてみると辛いものがある。さやかと恭介が幼馴染であることは昔から知っていることだし、彼女が恭介に対して好意を抱いていながらも一歩踏み出せずにいたことも理解している。出し抜くつもりは初めから無い。自分の心の準備が出来たらさやかにもその胸を伝えて、初めに告白する権利を譲るつもりであった。権利と言えば聞こえは悪いが、いわゆる、友人としての遠慮だ。

 力無く項垂れてみても、足は勝手に動き出す。習い事に向かうのが習慣となり、身体に染みついているためか余程のことが無い限り、足が止まることは滅多に無い。しかし、今日ばかりはどうも様子がおかしかった。

 

「な、なにが起こって――きゃっ!?」

 

 揺れる視界。後方からの強い衝撃。地面との激突を恐れて目を瞑った仁美が次に瞼を持ち上げたとき、彼女の一人の女子中学生として生きて来た現実は容易く崩壊した。

 例えるならば、それは人形屋敷。古今東西、如何にも髪の毛が伸びそうな和風の人形から、金髪碧眼の今にも動き出しそうにロリータファッションの人形まで。ありとあらゆる人形が揃った屋敷の中は、広いにも拘わらずどこか窮屈な圧迫感を覚えた。

 長い廊下の壁に飾られた人形の首は全て仁美の方を向いており、床に散らばる信号機やゴミ箱が恐怖から逃れようとする彼女の行動を阻害した。

 

「また会ったね、志筑仁美」

 

 居合わせたかのようなタイミングで現れた、白色の不思議生物。昨日、突如仁美の前に姿を現したかと思えば、表の世界の住人である彼女を裏の世界に引きずり込もうとした生物である。キュゥべえと名乗り、それ相応の交換条件を持ち出した彼の話を、夢見る少女が一体どうして断れようか。事実、仁美も契約をする寸前まで話を運んでしまい、直前で割り込んで来た杏子に助けられた。

 魔女と戦うとはいえ、その魔女が魔法少女の成れの果てだとは聞かされない。悪い敵と戦って一般市民の平和も守る。そんな、日曜日の朝に放送する少女アニメの主人公のような立場を期待していたのに、現実は一週間のどれかの深夜に放送する、どろどろとした暗いアニメの被害者の一人。そんな事実に絶望して、過去の自分に失望して。それが、魔女を倒し、言いかえれば殺すことで平和を守ってると思い込み、酔いしれている魔法少女にとっては酷な話であろう。

 真実を想像もしない形で知ってしまった少女たちは皆、口を揃えてこう言う。騙したな、と。それに対して、キュゥべえ――彼ら、インキュベーターが使う決まり文句はこうだ。聞かれなかったから、話さなかっただけ。それはまるで、マニュアルのような態度。商品が壊れたなんて知らない、説明書にはそんな使い方をすれば壊れると書いてある。

 それは、人間の業者と同じだ。ちゃんとこちらは聞かれれば答える準備を、何かあればすぐに対応できるようにマニュアルを、しっかりと持ち合わせていた。自業自得だ。そう言って、いつもキュゥべえは感情なんて無いのに、聞いている側は嘲笑されているかのように聞こえる言葉を残して、静かに立ち去るのだ。 

 そんなキュゥべえが定めた次の商談相手は志筑仁美であった。魔法少女としての才能は殆ど持ち合わせていない彼女に、どんな思惑があるのか、キュゥべえは甘い言葉をかけ続ける。

 

「昨日は邪魔されてしまったけれど、魔法少女になる契約を」

 

「…………却下、しますわ」

 

 仁美の口から出たのは、拒絶の言葉。

 小さく、捻りだすように呟いた言葉は感情の無い彼らを驚かせることは無く、わざとらしく首を傾げさせただけだった。

 

「それはどうしてだい?」

 

 己の全個体のものを集合させた知識を隅々まで検索しても、彼には仁美が契約を断った理由が理解できなかった。それ故に、口にした小さな疑問。感情なんて一かけらも宿ってなどいない。声優のような、作り物の感情を表面に表して、()()は問う。

 

「確かに、私は上条君と結ばれたい。もっと話をしたいし、手も繋いでみたいです」

 

「それなら」

 

「ですが」

 

 自分の望みを曝け出した仁美にもう一度持ち掛ける契約。しかし、キュゥべえの言葉は凡そ半分も言い切らない内に、仁美による否定で中断させられてしまった。

 大粒の涙をぼろぼろと溢しながら、大事なものを誰かに取られてしまったかのように、大泣きする仁美は嗚咽を堪えて口を開く。

 私だって、上条君とキスをしてみたい。一緒に遊園地を回ったり、喫茶店でお喋りしたり、ときには下らないことで喧嘩して、また些細なことで仲直りをしたい。心の底から、身体の奥の奥から湧き出てくる自分の願いを、稽古で鍛え上げた腕力に負けず劣らない精神力で捻じ伏せて、彼女はその口を開いてこう言うのだ。

 

「上条君にはさやかさんが相応しく、さやかさんには上条君が相応しい」

 

 キュゥべえのことを、まるで軽蔑するような目をした仁美は、唇の端を吊り上げて嘲笑うかのように息を吐いた。キュゥべえに対する嘲笑では無い。昨日の自分に対する、呆れと軽蔑。

 

「相応しいだなんて関係無い。君が上条恭介を奪い取ってしまえば良い。それが君にとって最高の結果だろうに」

 

 不安定な感情と言うものを捨て、感情を理解できない彼らは、時折人間が見せる不安定な感情の下に起こす行動を理解することは出来ない。

 願いは何であっても願いであり、己自身が根元から望んでいること。それを拒絶する理由と、拒絶できるほどの心の強さなんて持ち合わせていないはずだ。

 自分が同じ立場だったらどうしているのだろうか――そんなものは決まっている。契約だ。何れ魔女になってしまうとしても、それはただ生命を持った活動時間が五十年程度縮まるだけだ。どうせ死ぬのだから早いも遅いも関係ない。

 そうして彼らは、コンピュータをも上回る知能で計算を完了させ、それでも理解が出来ない人間の感情に向けて、小さく呟く。

 

「全く、訳が分からないよ」

 

 負けを認めたように吐き捨てて、白色の不思議生物は仁美の目の前から姿を消した。まるで、初めから何もなかったかのように足音一つ鳴らさず、足音一つ残さずにキュゥべえが消え去るのと同時に、ぎこちない動作で人形が動き出した。

 大きさは拳二つ分程度の、一般的な人形たち。いつも商品棚に並んでいる人形たちと違うのは、意思を持って動いていることと、それぞれ手には裁縫針や裁ちばさみなどの狂気を手にしていることだった。

 

「私ったら、あんなに意地になるなんて」

 

 足が震える。呼吸が止まる。瞬きの数も多くなって、手のひらの発汗量も増える。同じ感情を持つ人間ならば、一部の例外を除いて必ずと言っていいほど高い頻度で起こしてしまう生理現象。それを起こす感情の名は、正しく『恐怖』。

 裁縫針など、手に刺されたところで致命傷にすらなりはしないし、大抵は深く突き刺さる前に折れてしまう。だが、それは日常生活を送る中で事故を起こした場合だ。例えば、意思を持った第三者が目に突き立てればどうなる。耳の中に、爪の間に、口の中に、或いは脊髄や性器の中に突き立てたとしたら、果たして人間はどうなるのだろうか。

 答えは、想像を絶する痛みに悶絶し、最悪の場合は痛みのショックで死に至る。脊髄なんかは、刺さってしまえば一秒と掛からずに絶命できるであろう。

 裁ちばさみもそうだ。日常生活では刃の部分で指を少し切るか、謝って足の上に落とした結果の切り傷。しかし、第三者が明確な殺意を持って繰れば、その二枚の刃は首を切り、肉を切り、命を断つ。

 それが、今この場で仁美に襲い掛からんとしているのだ。人形屋敷の玄関の扉はどれだけ叩いてもびくともせず、ドアノブは捻ることさえ出来ない。

 

「私はここで死んでしまうのでしょうか……?」

 

 恐怖の次に来る感情は、諦めだ。

 抵抗することも出来ないと人間は悟ったとき、自分の意思と関係無く脱力してしまい、その場に座り込むか気絶してしまうことが多い。幸か不幸か、仁美は気絶せずにその場に座り込んでしまった。

 意識を無くせば痛みを感じること無く死ねただろう。

 痛いのなんて嫌だ。あの裁縫針に全身を刺されたらどれだけ痛いのだろうか。あの裁ちばさみに全身を切り刻まれたらどれだけ痛いのだろうか。或いは――両方が同時に行われたらどれだけ痛いのだろうか。切り開かれた傷口に、直接突き立てられる裁縫針。想像しただけで吐き気を催した仁美には、胃の底から逆流してくるものを堪えられる力など残っておらず、誰のものかも分からない黒い革靴の上に、消化しきって何も残っていない胃が持ち上げた胃酸を吐き出した。

 

「嫌……っ! まだ、死にたくなんか――」

 

 動こうにも動けない。完全に恐怖で力が抜けてしまった身体を一生懸命動かそうとする仁美を嘲笑うかのように、造られた笑みを張り付ける人形は、わらわらと数を増やして仁美を取り囲む。

 振り上げられた幾百もの裁縫針。大きく開かれた数十もの裁ちばさみ。仁美の命を終わらせんと襲い掛かる人形の狂気(凶器)は、されど仁美に届くことは無かった。

 

「ベルっ!」

 

「応えたっ!」

 

 眩い閃光。一筋の黄色い光は人形棚の一つを容易く崩壊させ、人形たちの意識を仁美から逸らした。

 続けて響き渡る甲高い金属音と、鋭い銃声。黄色のリボンが無数の人形の首に絡みついてを宙吊りにし、何処からともなく飛来した外側に刃の付いた円状の金属が、人形の身体を真っ二つに切り裂いていく。

 逸早くリボンの存在に気が付いて回避することが出来た人形は、響き渡る銃声と同時に身体の何処かに風穴を開けて活動を停止した。傷口から漏れ出す赤黒い液体が、まるで本物の人間のようで気分が悪い。

 

「大丈夫よ。もう、大丈夫だからね」

 

 恐怖に顔を染める仁美を抱き留めたのは、目の下に黒く大きな隈を作った黄色の魔法少女であった。


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