魔女は人間が好き   作:少佐A

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友達

 先日、杏子に魔法少女の真実を伝えたのは失敗だったのではないか、と自問自答しながら暁美ほむらは通学路の地面を踏みしめた。

 鞄を左手にぶら下げながら、見飽きた新品の皮靴に目を落として溜め息を吐く。杏子ならば魔法少女の真実を知っても精神的に余裕を持てるはず――そう思っていたのだが、やはり彼女は一人の少女であったのだ。

 人々の喧騒とシャッター音にフラッシュ。警察が大声で誘導する声に顔を上げると、自分の通学路を塞ぐ黄色と黒の縞模様が飛び込んで来た。

 立てられた容易看板には、警察が塞ぐ道の先へ行くための回り道が丁寧に記されている。三メートルほどの縦に広がる巨大なくぼみは、魔法少女ないし魔女の仕業であることを訴えていた。

 看板の小さな地図の通りに迂回すると、普段通る道とはまた違った気分を味わうことが出来る。この世界と同じだ。ベルゼブレというイレギュラーによってマミの死への道は通行止めとなり、新たな道を歩むことが出来るようになった。そう考えると感謝するべきなのだろうが、彼女がワルプルギスの夜の種である限り、ほむらは素直に感謝することは出来ないと心から思っている。

 

「暁美さん!」

 

 塗装が剥がれ落ちた街灯を詰まらなそうに見上げながら歩くほむらに、後ろを歩く何者かが声を掛けた。振り向こうとしたほむらを緑が追い越し、見滝原中学校の制服に身を包んだ少女が顔を綻ばせた。

 

「ご一緒しませんか?」

 

 久し振りに向けられる笑みを嬉しく思いながら、気圧されながらもほむらは小さく頷いた。やけに上機嫌な仁美はほむらの横で鼻歌を歌いながら腕を大きく振っていた。身体が大きく揺れる度にふりまかれるシャンプーの香りは、ほむらより上質の物を使っているようで、同じ女性として羨ましく思えてならなかった。さらさらと流れる緑色の髪の毛を見つめ、自分の髪の毛を触る。手入れには気を付けている方だが、やはり死と隣り合わせの魔女退治をしているからなのか、もしくは何度も世界を繰り返したからなのかは分からないが、ストレスで少しばかり痛んでいる髪の毛を掻き上げてから、笑みを浮かべる仁美の横顔を盗み見た。

 志筑仁美がこのタイミングで上機嫌になる理由――ほむらには一つしか心当たりが無かった。仁美の告白成立と、さやかの失恋。起こってしまえばさやかの魔女化を避けられないイベントが起きてしまった可能性が脳裏に浮かび、早く教室に向かって様子を確認しようと歩く速度を上げた。

 速度を上げたほむらに気付いた仁美が慌てて速度を合わせた。それにつれて、ほむらが更に速度を上げる。またもや仁美が速度を合わせる。まるで企業同士のいたちごっこのような光景を周りに見せつけながら、ほむらが遂に走り出した。さやかが失恋している場合、仁美と行動を共にしているのは不味いのだ。マミが死ななかったことによってこの世界でのさやかのほむらへの好感度は、比較的良い状態なのである。それを崩してしまうのは、惜しいとか勿体ないとか以前に、『嫌』だった。他の世界と違って心地が良かったからか、嫌われるのが嫌になってしまっていた。

 

「ちょ、ちょっと待ってください!」

 

 走り出したほむらの手首を仁美の手ががっしり掴み上げて固定した。魔力で強化していないとはいえ、常人より身体能力が上回るはずのほむらの力を持ってしてもびくともしない剛力。そういえば、護身術の一環として筋肉トレーニングも齧っている彼女は、体育の成績も魔力でズルをしているほむらより上位に居たのであった。それを思い出して、抵抗することを諦めたほむらは力を抜いて仁美を睨みつけた。

 ――とっとと放しなさい。蛙を睨む蛇のような鋭い目つきで仁美にそう訴えるが、全く動じる様子は無い。仁美の浮かべる笑顔が消え、いつになく真剣な表情を浮かべる。辺りを二度三度見渡してから、ほむらに顔を近付けて言い放った。

 

「暁美さんも、魔法少女ですの?」

 

 ほむらの身体が弾けた。今までのループに一度も無かった事態に背筋は凍り付き、冷や汗は前髪にしずくを作って地面に垂れた。――何故だ。何故、お前が魔法少女のことを知っている。

 笑みを消して無表情になった仁美が、ほむらには何よりも怖く映った。どこでミスをした。どこでへまを犯してしまったのだ。己の油断に唇を噛みしめ、流れた血を唾液と一緒に飲み込んだ。

 

「貴方……まさか」

 

「へ……? ――あ」

 

 警戒して周りに人が居ないことを確認して変身を完了させたほむらは、盾から取り出した銃を鞄の代わりに腕からぶら下げて、いつでも動けるように腰を落とした。

 対する仁美は真剣な表情から一転、焦りと恐怖が混じった乾いた笑みを浮かべて、慌てて胸の前で腕を動かした。

 

「違います、違いますわ! 昨日、キュゥべえと名乗る白い動物と赤い髪の毛の女の子にそういうことを言われて……決して、私は魔法少女になってはおりませんわ」

 

 あたふたと忙しなく腕を動かしてジェスチャーを行いながら、早口で捲し立てる仁美から魔力を感じないことを確認して、銃を盾にしまってから変身を解いた。どうやらほむらの心配は杞憂に終わったようだ。願いを予測できない仁美が今のところ一番危険な存在だ。後にワルプルギスの夜になることが分かっているベルゼブレは対処の仕様があるが、分からないというのは一番怖い。

 

「質問しても良いかしら?」

 

「え、ええ、どうぞ」

 

 さっきの銃にすっかり怖がっている仁美は、睨みつけていないにも拘らず上ずらせた声で返事をする。死の危険を目の前にすれば誰だってこうなるのは当たり前だ。ほむらだって魔法少女になったばかりの頃は魔女と戦うことすら怖かった。そう考えると、一戦目から難なく討伐したさやかはそれ相応の資質を持っていたのかも知れない。

 

「貴方は契約しなかったの?」

 

 キュゥべえに契約を持ち掛けられたにも拘わらず、今に至るまで契約をしていない理由。思春期真っ盛りの少女と言うのは悩みも多く、自身の成長や変化にも頭を悩ませる時期であろう。

 胸の発育、身長の伸び悩み、男子を急に異性として認識し始めたり、と精神的にも脆く、柔らかく柔軟なものとなる。柔らかく柔軟な精神は大人に憧れて必死に伸びていき、ちょっとした良いことでも悪いことでも簡単に染み込ませてしまう。

 魔法少女となって死の危険と隣り合わせになる契約の対価――それは、どんな願いでも一つだけ叶えてくれるというもの。世界を修正したい、世界の理を変えたい、などという大それた願いは叶えられないが、願う少女も居ない。

 叶えられない願いを願う少女が居ないのだから、全ての少女の願いを叶えることが出来る。故に、『どんな願いでも一つだけ叶えられる』のだ。一介の女子中学生である仁美が大それた願いなぞ抱くはずも無く、ほむらが予想しているものも精々恭介絡みの願いであろう。

 ほむらの問いも当然だ。恐らく、自分が逆の立場だったなら同じ質問をしていただろう。苦笑しながら、雲り気味の空を見上げた。

 

「赤い髪の女の子がキュゥべえを倒した後に、契約する直前だった私を連れて工場に逃げ込みましたの。そこで、彼女の過去を聞いて」

 

「その子、ずっと食べ物を食べていなかった?」

 

「そう、そうでしたわ。何処からともなくお菓子を取り出しては一心不乱に食べていました」

 

 杏子に貰った菓子を砕いてしまったことを思い出して、思わず失笑してしまった。家に帰ってから開封した袋の中には、握られて真ん中から砕けた棒状の菓子と溢れんばかりの粉屑が入っていて、どうにかして食べようと小皿に移してから食べたのだ。

 工場に移動してからずっと菓子を食べていた杏子は、菓子が切れてから不機嫌そうに貧乏ゆすりをしていたのも、彼女が余程の砂糖依存症なのか、魔女退治によるストレスを食べることで軽減しているからなのかもしれない。

 魔法少女の真実を知って少なからずショックを受けていた杏子が、まさか別れてから何の関係も無い仁美を救うなど思うはずもない。予想外の返答に絶句しながらも、己の行いが間違いでは無いことを悟ったほむらは、何処となく嬉しそうに小さく口角を吊り上げて見せた。

 建物の間から覗く時計は、仁美がいつもの二人と待ち合わせをしている時間の数分前を指しながら、カチカチと急かすように秒針を歩かせた。ほむらの視線の先には仁美も気付いている。

 

「今日の待ち合わせは断らせて頂きましたの。さやかさんも、退院した上条君と一緒に居たいでしょうし」

 

 蚊の羽音のような小さな呟きは、革靴が鳴らす音に消えて溶けていく。呟いた本人の耳にも内側から直接響いた掠れたような声しか聞こえなかったのだが、ほむらの耳は確実に拾っていた。

 元は眼鏡を掛けなければならない視力と、運動を阻害している治りたての心臓病という、激しく動く魔法少女として最悪のコンディションを持っているほむらだ。魔法とは実に便利なものであり、下がり気味だった視力の補強も可能なうえ、そもそも魂が別にあるのだから心臓がどうなろうと死にはせず、勝手に魔力が再生してくれる。

 それだけ便利な身体になることが出来たのだが、ほむらはそれでもキュゥべえを恨み、憎んでいる。魔法少女を盲信する者にとって、ほむらが握る魔法少女の真実は受け入れたくないものである。だからこそ、過去のループで説得を試みようとしたほむらは逆に目の敵にされ、心を閉ざしてしまった。

 人を頼ることを辞めたほむらは、心の何処かで助けを求めている。直ぐに切り捨てられる駒を選定したほむらは、情と信頼で成り立つ仲間を欲しがっている。彼女が欲しいのは将棋の駒ではなく、将棋を打ち合う相手と応援してくれる仲間が欲しかったのだ。

 だからこそ、ほむらは天の邪鬼になる。自分を受け入れてくれる人間を求めて、自分を抱擁してくれる腕と胸を求めて。一度放り捨てたものが、誰かに拾われて自分の下に返って来るのを待っている。そんなほむらは、相手の話の不可解な点ばかり見つけてしまうのだった。

 

「どうして、あなたが上条恭介の退院日を知っているの?」

 

「…………鋭いのですね。不思議な雰囲気を纏う転校生は魔法で若くなった大学生! なんて展開は有りませんの?」

 

「無いわ」

 

「あら、手厳しい」

 

 聞かれたくなかったことなのだろう、仁美は小さく肩を落として言うか言うまいか迷っているようだった。そんな予想通りの反応を見せた仁美を見て、ほむらは自分はどこまで捻くれているのだと自嘲気味に笑う。

 やがて意を決したように口をつぐんでそっぽを向いた。顔を合わせて話すのは気まずいからか、それとも話している時の表情を見られたくないからなのか。

 

「聞いてしまったのですわ」

 

 小さく震える仁美の声に反応して、これまた小さな雫が地面を叩いた。ぴちゃりと誰にも聞こえないような音で水飛沫を上げ、更に小さな水飛沫は地面に水の跡を作る事なく消えていく。

 

「昨日、まどかさんから電話がありましたの。さやかさんと間違えて掛けてしまったようでしたけど、まどかさんが気付いたのは要件を言い終わった後のことでした」

 

 まどかがさやかに電話を掛ける直前のことであった。いつものように稽古をしていた仁美の鞄の携帯がクラシック風のメロディを流しながら震えたのだ。この時間が稽古だと知っている友人は掛けてくるはずも無いし、家族であっても稽古場にある据え置きの電話に掛けてくるだろう。

 不審に思いながらも稽古の先生は病院からの電話かも知れない、と電話に出ることを促した。小振りの折り畳み式の携帯のディスプレイに、送信者を知らせるテロップが流れる。『まどかさん』と可愛らしいフォントで表示された携帯の画面を数秒見つめてから、電話に出て稽古の時間だから掛けなおしてくれと伝えようとボタンを押して耳にあてた。

 

「『上条君が居なくなった』。それは、私が嘘を吐いてまで稽古を早退して駆け付けるだけの、大事でしたわ」

 

 焦った様子のまどかは開口一番、『さやかちゃん』と叫びながら捲し立てるように要件を告げた。何が何だか分からない仁美は混乱する頭を整理しながら、声を発する。仁美の発した声でさやかでは無いと悟ったまどかは、早口で謝るとさっさと電話を切ってしまった。最近の二人の様子はおかしかったし、頻繁にアイコンタクトをとる二人を茶化してはみたものの、自分だけ仲間外れにされているようで心配だった。

 病院から、今から精密検査をするので来てくれと言われたと嘘を吐いて早退すると、想い人である恭介の無事を案じながら、病院に駆けつければ二人がおかしかった様子が分かるかもしれない、と仁美は全速力で走った。時間が経っていないのだろう、警察が駆けつけている様子は無く、探しまわっているのも飽くまで数人の看護師だけであった。

 まずは病室から探してみよう、と恐る恐る中を覗きながら開いた扉からは、仁美にとって絶対に見たくは無い光景があったのだ。

 

「少しだけ開けた扉から見えたさやかさんと上条君は、互いに好意を持って唇を交わしていましたわ。悔しくてたまりませんでしたけど」

 

「志筑仁美――貴方」

 

「お優しいんですね、暁美さんは」

 

 志筑仁美が恋に破れる――今までのループで一度も起こり得なかった変化に、ほむらは戸惑いを隠しきれなかった。いや、もう少し繰り返してほむらが違うアクションを起こしていれば、さやかと恭介が結ばれる結末はベルが居なくとも見れたかもしれない。しかし、少なくともほむらにとっては初めての出来事。目の前で失恋を告白する仁美に掛ける言葉が見つからずに、ほむらは心配するような目を向けるくらいしかできなかった。

 

「大丈夫ですわ。未練が無いと言えば嘘になりますが……時間も経てば割り切れるようになると思いますの」

 

 すっきりしたような、それでいてまだもやもやした中途半端な笑みを浮かべて、仁美はほむらの背後に目を向けた。思わず振り向くほむらの視界に映ったのは、トレードマークであるリボンを乱しながら急いで走るまどかの姿があった。

 

「あれ? 仁美ちゃんと……ほむらちゃん?」

 

 急いで走りながら前方に二人を見つけると、不思議そうに首を傾げながらほむらと仁美の顔を交互に見比べた。

 過去のループでまどかたちと敵対し続けて来たほむらは、彼女らと一緒にいることを無意識に避け、共に居るのに相応しくないと過剰に意識してしまっている。

 時計が指す時間も遅刻ぎりぎりである。この場から離れるのに丁度良いタイミングだろう、と適当な理由を付けて立ち去ろうとすると、仁美が恋人のようにほむらの腕と自分の腕を交差させた。

 

「私たち、お友達になりましたの」

 

 友達と言われるのは悪い気はしないが、ここまで密着されるとむず痒い。同性ではあるものの、体感時間では誰かに密着されるなんて経験は何年も無かったほむらは、頬を若干赤く染めながら仁美の腕を振りほどいた。

 

「いきなり何を言って」

 

「あらあらまあまあ、私のあんなことやこんなことまで知り尽くしたのに、まだそんなことを仰るなんて。私はとても悲しいですわー!」

 

「志筑仁美、その言い方は誤解を招くわ。今すぐ訂正しなさい」

 

 おいおいとわざとらしく泣きながら逃げる仁美を追いかけるほむら。周囲に三人以外の人は見当たらないので、魔法少女に変身するなり魔法で身体能力を強化するなりして捕まえればよいのだろうが、ほむらはそれをしようとはしなかった。何だかんだ言って、友人や仲間を欲していたほむらはこの状況を楽しんでいるのだ。

 

「あ」

 

 そんな二人の光景を見ていたまどかは、ほむらに起こった変化にいち早く気付いていた。

 

「ほむらちゃん、笑ってる」

 

 いつも仏頂面のほむらの笑顔――まどかは、初めて見たはずなのに初めてじゃないような気がしてならなかった。


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