魔女は人間が好き   作:少佐A

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過去

 願いを言い切らせてしまったのなら、叶えさせなければ良い。

 変身解除を行っていなかったことを思い出した杏子は、関節が固定された強靭な柄を握り締め、投擲するために身体を捻った。

 杏子の攻撃態勢にいち早く気付いたのはキュゥべえである。槍の投擲が自分に向けられるものであると悟ると、仁美の前から退いて塀を蹴り、宙を舞った。くるくると回るぬいぐるみ大のキュゥべえに投擲武器を命中させるのは至難の業である。

 キュゥべえに感情があったのなら、きっと、してやったりと嘲笑を顔に浮かべていたに違いないだろう。先手を取られた杏子は舌打ちするでも無く、怒りに身を任せて力を振るうでも無い。自分でも驚くほどに澄んだ思考を張り巡らせ、相手が根本的に勘違いしていることに気が付いた。

 空気を引き裂きながら振り下ろされた右腕から、槍が射出される。凡そ投擲とは思えない速度でキュゥべえに向かう槍は、案の定風に揺られて動く的を捉えきれずに外れてしまった。

 夕焼け雲を貫く勢いで大気を掻き分け、直進していく槍が空中で不自然に静止する。クンッと槍の丁度真ん中が折れ曲がり、未だ杏子の手の中にあった石突が振られることによって、関節を増やした槍が鞭のようにしなってキュゥべえに襲い掛かった。

 日本において槍とは古来より『突いて』使用されることは少ない。懐に潜られれば何も出来ずに殺されてしまうような武器を、避けられやすい『突き』だけで運用するはずが無いのだ。より石突に近い部位を握り締めて振り回し、振り下ろし、振り上げる。この槍の扱いによって、集団戦は有利にも不利にもなる。

 西洋の英雄には対人戦で槍を得意とする者も多かった。杏子は日本というよりは西洋寄りの槍の担い手である。しかし、幾ら西洋寄りの扱いだと言っても『突く』だけでは無い。西洋の技術と東洋の技術を混ぜ合わせ、独自に生み出した流派を使用する杏子の動きを一目で見抜くのは、ほぼ不可能である。

 そんな、ただでさえ複雑な流派で格闘する杏子の動きを更に複雑化したのが、槍であって槍では無い彼女の得物だ。時には鎖分銅、時には鞭、時には棍棒。先程のように石突部分だけを持って投擲する遠距離攻撃も出来るし、何より槍の柄自身も伸縮自在なのだ。

 人間に比べて遥かに劣る身体能力のキュゥべえが避け切ることはかなわず、轟音を鳴らしながら風を切って迫りくる槍に叩き潰されてしまった。

 

「い、一体次から次へと何が……っ!?」

 

「良いから尻餅ついてないで立て。逃げるぞ」

 

 変身を解きながら仁美の腕を引っ張って無理やり立たせると、状況確認すらせずに無理やり道を駆け抜けた。何処からともなく取り出した菓子を握る右手とは別に、仁美の腕を左手で握って背後に意識を向けながら走り抜ける。

 キュゥべえを殺して契約の邪魔をさせることに躍起になってしまったせいで、周囲への影響を考えていなかった。槍を振り下ろす際に鳴った風切り音と、砂煙の下にある凹んだ地面を見られれば、通報の一本や二本入ってくるはずだ。

 仁美を連れて立ち入り禁止の廃工場へ逃げ込むと、肩で息をしながら咳き込む仁美に目を向けた。涙ぐみながら咳き込む彼女は、こうしてみれば普通の女子中学生にしか見えない。いや、先程まで普通の女子中学生だったのだ。

 

「なんの……つもりですか……」

 

 苦しそうに心臓を押さえながら、憎悪を込めた視線を杏子に向ける。初対面の人間に手を引かれ、一目の付かない場所に連れて行かれただけで大変の人間は怒りを覚えるだろうに、仁美は今叶えられんとしていた願いを阻止されてしまったのだ。憎まないはずがない。

 

「少し、落ち着いてから話してやる」

 

 杏子にとって憎悪の対象になるのは日常茶飯事であった。実の父親から向けられた憎悪は今でも忘れられないし、あれに比べればどんな憎しみも軽く感じてしまえる。

 積み重ねられて不安定な鉄パイプの山に腰を下ろすと、強引に開けられて破裂したような袋から棒状の菓子を五本まとめて取り出して噛み砕いた。さっきまでは驚くほど静かだった心が、今では原因の分からない苛立ちにより騒がしい雑音が頭の中でリピート再生されていた。

 苛立ちを感じる度に菓子に手を伸ばし、仁美が落ち着くまでに三箱の菓子を平らげてしまった。ほむらの奢りでスイーツを食べ漁ったはずだが、まだ腹が空いている。――いや、この場合は腹が空いているというよりも、安心するために身体が食事を欲しているのだ。

 

「落ち着いたみたいだな」

 

 菓子の箱をぐしゃぐしゃに握り潰すと、もう使われていない工場のゴミ箱に投げ入れた。カラン、とゴミが音を鳴らして、突然の音に驚いた仁美の肩が揺れた。

 怯えさせるつもりは無かったのだが、それも仕方のないことなのだろうか。少女にとっては創作の話であった超常現象が現実に起きてしまい、パニックに陥っているのだろう。今でこそ落ち着いてはいるものの、恐らく少しの刺激を与えれば再び暴走するはずだ。

 

「質問なら答えてやる。心優しい先輩が何でもな」

 

 それでも、杏子は鼻を貫くオイルの匂いに眉をひそめながら、意地悪そうに唇を歪めた。たばこのように加えられた棒状の菓子を歯でくいと持ち上げると、警戒した様子の仁美を顎で指した。質問があるならさっさとしろ、という意思表示らしい。

 果たして、ここでこの少女を信用しても良いのだろうか。仁美は警戒を隠さずに細めた目を杏子に向けると、目を離さずに武器になりそうな鉄パイプを拾い上げる。数回、自分の手に打ち鳴らしてから強度を確認すると、剣道のように整った姿勢で構える。

 変身を解いた状態の杏子では、鉄パイプが直撃すれば一溜まりも無いだろう。常人を身体能力が遥かに上回っているとしても、やはり限度があるのだ。

 仁美の持つそれより細く長い、竹槍を彷彿とさせる形状の鉄パイプを拾い上げると、己の扱い慣れた武器の構えと全く同じ体制を取った。睨み合う両者。変身すれば身体能力も格段に上がるし、仁美を捻じ伏せて無理やり話を聞かせることも可能になる。杏子がそうしない理由はただ一つ。ソウルジェムの穢れだ。生憎、魔女討伐の予定が無かっただけに手持ちのグリーフシードが無い。悩みによって進んでいく汚染のせいで、むやみやたらに力を使うのが怖いのだ。

 いつまでも状況が動かないのに業を煮やしたのか、仁美が鉄パイプを構えたまま、恐怖で震える右腕を押さえて口を開いた。

 

「あなたは……魔法少女、なのでしょうか」

 

「ああ、そうだ」

 

「で、でしたら」

 

 鼻息を荒くして、興奮しきった仁美が鉄パイプを放り投げて杏子に詰め寄った。ぶつかりそうなほどに顔を近づけて、目を輝かせる仁美を鬱陶しそうに押し退けると、仁美の捨てた鉄パイプを自分の足元に引き寄せてから自分の得物を構えなおした。

 

「願いは!? 願いは叶えられたんですの!?」

 

 しかし、興味が別のものへ移った仁美は、鉄パイプを奪われたことすら気にも留めずに、再度杏子に詰め寄った。押し退けるのも面倒になった杏子は、逆に自身があとずさりをしながら小さく頷いた。

 

「まあ、叶ったことには叶った」

 

 仁美のガッツポーズに冷ややかな視線を向け、わざとらしく肩を竦めて見せた。

 

「だけど、何も良い結果だけが残るわけでもない」

 

 この世は不条理だ。メリットの無い話が存在しても、デメリットの無い話は絶対に存在しない。デメリットとは、全ての出来事を後ろから追いかけ回しているのだ。

 キュゥべえとの契約は、メリットとデメリットの両方があるものの、どちらも規模が大きすぎる。程度は有れど、一度だけどんな願いでも叶えられるメリットと、元魔法少女である魔女を糧とし、いずれ魔女となるデメリット。どんな願いを叶えても最終的には果てることから、デメリットの方が大きいのかも知れない。

 また、このデメリットは魔女化だけでは無いのだ。自分が人間を辞めて魔法少女になったことを知られれば、今まで通りの生活は望めない。杏子もそのデメリットを深く考えなかったばかりに、自分を残して一家心中という悲惨な末路を招いてしまったのである。願いによっては人間関係の破綻から、下手すれば町規模で何かが起こるデメリットが発生する。

 ポケットから最後の菓子箱を引っ張り出すと、二袋の内一袋を仁美の顔の前に差し出した。

 

「食うかい? ちょっとばかり長い話になる」

 

 * * *

 

 気が付けば泣いていた。

 杏子の昔話に耳を傾けていた仁美は、彼女の凄惨な過去と自らが良かれと思った行動が生んだ悲劇に共感し、同情しているのだ。礼儀作法や『他人の気持ちを察すること』を幼少の頃から徹底的に教え込まれていた仁美は、人一倍共感性が強い。それでいて、我も強い。己のこととなると周りが見えなくなる仁美ではあったが、他人の話にはしかと耳を傾け、強く共感してやることが出来る人間でもあった。

 特に涙を乞うつもりは無かったし、泣かれると思っていなかった杏子は、泣き崩れる仁美を前にして複雑そうな笑みを浮かべる。ぽりぽりと気恥ずかしそうに頬を掻きながら、どう返答すれば良いのか悩んでいた。

 突然の世界の変化に仁美が戸惑っているのならば、杏子は魔法少女の真実を知って戸惑っているのだ。戸惑いは彼女の心境に微妙な変化をもたらし、結果的に赤の他人である仁美をキュゥべえの契約から逃がすまでに至った。

 普段の自分ならば仁美が魔法少女になろうと、自分の方が力量が上であることを示して領土を主張するだけだったであろう。

 

「そんな、悲しい過去が……」

 

 仁美の握りしめられた拳の中には、未だ未開封の菓子袋があった。パキパキ、と棒状菓子が軽い音を立てて真ん中から折れる音が継続的に鳴り響くが、全て仁美の嗚咽に紛れて消えてしまう。

 同情して貰おうと思って話したわけではない杏子は、突然泣き出した仁美に冷たい視線を向けながら空になった菓子袋を弄んだ。キュゥべえが現れないのを考慮すると、仁美との契約はしてもしなくても良かったものなのか――重要だから杏子が居ない場所で再度話を持ち掛けたいのか、この二つのどちらかだろう。

 

「分かったろ? 魔法少女になることは、必ずしも良いことじゃない。結果的に、契約しなければ良かったと思う日が訪れるかも知れないよ」

 

 魔法少女の契約は杏子から人間という肩書を奪い、魔法少女という肩書は家族という企業を倒産させた。家族という企業の倒産は杏子の全てを歪め、相棒というお得意先とも絶縁してしまったのだ。

 思えば、自分は魔法少女になって良かったと思ったことがあっただろうか。初めは人々を救う自分に酔いしれ、ただひたすらに魔女と使い魔を狩り尽くして生きていた。自分の父親が魔女の結界に取り込まれたときも、嬉々として助けに入り、その異能の力を振るった。それがいけなかったのだろう。恐らく当時の自分は、これまでにない笑顔で、これまでにない笑い声を上げながら父親の目の前で魔女を殺害したに違いない。それが、全ての終わりであった。

 突然黙りこくった杏子の顔を仁美が覗き込む。枯れ果てた涙はいくら過去を思い返しても流れることは無い。苦痛と不愉快に歪められた顔を掻き毟ると、ポケットに入っていた小銭を握り締める。――ああ、何か甘いものが食べたい。不安とストレスで杏子の舌と腹は更に甘味を欲しがり、伸縮する胃がごろごろと音を鳴らした。

 

「……あなたも契約しなければ良かったと?」

 

「さあね。そんなの、とうの昔に忘れちまったよ」

 

 手を小さく振り上げて「じゃあな」と言い残すと、納得いかない表情の仁美を工場に残して一人だけ駆けるように去って行った。


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