魔女は人間が好き   作:少佐A

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願いごと

 志筑仁美は乙女である。

 口調もさることながら、複数の稽古を掛け持ちしている彼女は大富豪のお嬢様であり、一人の少年に淡い恋心を抱く女子中学生でもある。

 素質で言えばそこそこのさやかとも違って、魔法少女としての才能を余り持ち合わせていない。そんな彼女は今まで魔法少女と縁の無い生活を送り、これからも魔女と縁の無い生活を送る――はずだった。

 きっかけは集団で発症した夢遊病事件である。魔女による催眠で集団自殺をする一歩手前だった彼女を救ったのは、親友でもある鹿目まどかと美樹さやか。

 集団で夢遊病を引き起こしたことに多少の疑問を抱きつつも、超常現象を信じていない仁美は、毎日の学校と稽古による疲労とストレスによって引き起こされたものだと医者に診断され、それを信じて疑わなかった。

 そんなある日のこと。上条恭介が行方不明になったという一報を受け、仁美は稽古を早退した。ニュースや噂でも無い、()()()()()の通話によって恭介の行方不明を知った仁美は、先日の夢遊病騒ぎのおかげで早退できたことを幸運と思いつつ、病院まで駆け付けた。

 仁美と恭介に面識は殆ど無い。精々名前を知っているくらいで、恭介は仁美と言われてもピンと来ないだろう。しかし、仁美の方は違っていた。彼の誰に対しても見せる笑顔と優しさに惹かれ、気付けばそれは恋心へと変化していったのだ。

 現在、意気消沈しながら自宅までの道を歩いているのには訳がある。彼女は恭介の病室の前で、扉越しに二人の会話を聞いてしまったのだ。

 

「もう、人間なんかじゃない」

 

 仁美は、無意識にさやかが口走った言葉を呟いていた。全く意味が分からない。自分の親友、さやかは――まさか妖怪とか悪魔とか宇宙人とか、そういうオカルト的な存在なのか。

 さやかの発言が、自分自身の何かを比喩した表現だったという可能性も無きにしも非ずだ。しかし、彼女はそれを上回る瞬間的なショックで冷静な思考をすることが出来ずにいた。

 

「やはり、上条君とさやかさんは相思相愛だったんですわね……」

 

 ほろりと流れる一粒の涙。頬を濡らして衣服を汚す涙を、仁美は堪えることが出来なかった。恋に破れた。悔しい。そんな嫉妬をさやかに抱く一方で、何処となく安心している自分がいることには彼女自身も気が付いていた。

 幼馴染であるさやかが恭介のことを好いていたことなど、当の昔から気が付いている。本人に聞いてみれば適当にはぐらかされてしまうものの、仁美が恭介の話題を振った時の反応は正に恋する乙女そのものであった。

 

「さやかさんは、気付いてないでしょうね。私が上条君のことをお慕いしていたことなど」

 

 ぴと、と頬に何かが触れた。涙でも無く、自身の髪では無い何かが頬に触れ、反射的に仁美の身体が動いた。バッと振り向きながら片手で手刀を型作り、警戒するように後ずさる。背後には何も居なかった。

 どうやら、疲労とストレスによる幻覚症状というものがまだ完治していないらしい。何か特殊な病に身体を蝕まれているのではないかという恐怖と、さやかの発言に引っかかる何かを頭の片隅に押しやって、何も考えずに帰路に着いた。

 変なことを考えながら道を歩くから怖いのだ。所謂、被害妄想というやつは所詮妄想に過ぎない。幾ら警戒したって襲われることなど無いのだから。

 再び歩みを再開させた仁美の頬を、何かが撫でた。白いぬいぐるみのような生き物が見えたような気がして、本格的に自分の視覚に異変を感じる。肩に乗っているのだ。白い、うさぎと猫を足したような動物が。

 

「きゃあっ!?」

 

 変質者かと思えば珍妙な動物だったのだ、驚くのも無理は無い。自分の方に乗る白い生物を平手打ちで叩き飛ばすと、身を守るように両手を前で構えた。

 白い生物は勢い良く叩き飛ばされたにも拘らず、何食わぬ顔で頭を振ると仁美の顔と同じ高さの塀に上った。宝石のような目は底の知れない闇が潜んでいるような気がして、数秒間目を合わせた仁美は言いようのない悪寒と共に目を逸らした。

 得体の知れない生物への恐怖と、好奇心。恐る恐る手を伸ばしてみると、白い生物は抵抗せずに仁美の手を頭の上に乗せた。固まる両者。

 

「初めまして、志筑仁美。僕の名前はキュゥべ」

 

「ひゃあっ!?」

 

 やっと警戒を解いて得体の知れない白い生物を撫でていた仁美の手が、突然言葉を発したことに対する驚きで再び白い生物を叩いた。

 バランスを崩して塀から真っ逆さまに転落するも、器用に身体を回転させて着地した。そして、今度は塀では無く仁美の足元に座り込むと、恐怖に震える仁美に目を合わせた。

 

「やれやれ、予想していたとはいえ、ちょっと力が強すぎるよ。……僕の名前はキュゥべえ。実は、君にお願いがあって来たんだ」

 

 自分の目の前に、突然喋る動物が現れれば至って当然の反応である。まどかとさやかは初対面のキュゥべえよりも、直後に魔女の結界の囚われてしまったことの方に意識が向けられてしまったため、キュゥべえに左程驚かなかったのだ。

 仁美は稽古の鞄を胸の前で盾のように構え、キュゥべえに対する警戒を解こうとはしなかった。この反応すらもキュゥべえの予想通りなのか、何食わぬ顔で耳を揺らしながら語り掛けた。

 

「魔法少女を知っているかい? 君の周りにもいるはずだよ」

 

 そんなものは知っている。魔法少女と言えば、日曜の朝に放送している少女アニメの代名詞だ。そう言い返しそうになったのをグッと堪えて、キュゥべえの質問の真意を考察する。

 自分自身の周りにも魔法少女が居る――あれか、何かの比喩であって別のものを指す用語なのか、先日の集団夢遊病の後遺症で幻覚を見ているのか。可能性としては後者の方が高いが、どうしてだか幻覚と断定するのは些か早計のように思えた。

 

「巴マミ、美樹さやか、暁美ほむら。君の周りだけでも三人は居るかな」

 

 巴マミという名は聞いたことしかないが、後の二人は聞いただけでなく顔まで知っている。

 さやかの『もう人間じゃない』という発言に漸く合点が行き、仁美は不安ながらも満足そうに顔を緩めた。

 

「僕は、君たちの願いごとをなんでも一つ叶えてあげることが出来る。その代わりに、魔法少女になって魔女と戦ってほしいんだ」

 

「どんな……願いでも……?」

 

 魔女と戦うというデメリットよりも、仁美はどんな願いでも叶えるというメリットに食いついた。これこそが、キュゥべえの持ちかける契約の罠である。

 魔法少女と魔女の関係に疑問を抱かせないために、最初にメリットを提示する。そうすれば、後になって提示されたデメリットの印象は薄れ、大半の人間は二つ返事で契約をしてしまうのだ。

 恐る恐る胸の前の鞄をどけながら、しゃがみこんでキュゥべえに顔を近づけた。

 

「そうだよ。どんな願いでもだ」

 

「本当に、どんな願いでも叶えて貰えるのですか?」

 

「勿論。僕は何度だっていうよ。願いごとをなんでも一つ叶えてあげる。……別に今じゃなくても良いんだ。でも、願いごとをこの場で言ってくれれば直ぐに叶えられるけど」

 

 息継ぎをする必要のないキュゥべえは、そんな長い台詞を捲し立てるように若干早く言い切った。会話の速度を上げることにより、相手の焦りを煽る会話術だ。

 複数の稽古に通い、勉強にも励む仁美ならば自分が誘導されていることに気付けていたはずだろう。しかし、どんな願いごとでも叶えてもらえる、という夢のような話を前にして、彼女は冷静さを失っていた。

 どうせ、このキュゥべえと名乗る動物に自分の願いごとを言っても何が変わるわけでは無い。叶わなければそれまでだし、叶えば万々歳だ。

 

「……それでは」

 

 志筑仁美は己の願いごとを頭の中に浮かべる。さやかと恭介が結ばれた今、財力に恵まれ、友人にも恵まれた彼女が女として叶えたい願いなど、一つしかない。

 

「私の願いごとは――」

 

 キュゥべえのあまりにもタイミングの良すぎる登場に何の疑問も抱かないまま、仁美は自分の願いを口にした。

 

 * * *

 

 佐倉杏子は戸惑っていた。

 魔女は効率良く狩るべき、という自分と同じ考え方を持つほむらと出会った杏子は、これ以上ないくらいに上機嫌であった。

 だからこそなのか、さやかの後輩らしからぬ態度に怒りを覚えつつも、堪えることが出来ていた。これは未だ未熟な杏子の成長と言っても過言では無い。

 そんな彼女の精神を揺さぶったものこそが、『魔法少女の真実』。ソウルジェムが穢れ切った魔法少女は魔女となり、魔法少女は生き延びるために魔女を殺す。グリーフシードとなっている以上、厳密には殺害したとは言えないかもしれないが、傷つけていたぶったのは確かだ。

 珍しく食欲の失せた杏子を心配したのか、ほむらはある程度のフォローと会計を済ませると何も言わずに出て行った。戸惑っている人間を一人にするなんて薄情だと思うかもしれないが、不器用なほむらにとっては精一杯の気遣いだったのだろう。そして、先の戦いの共闘で杏子は全てとは言わないものの、暁美ほむらという人間を見抜き、ほむらの気遣いを十二分に理解していた。

 一人にしてくれたほむらに感謝しつつ、まとまらない思考を振り払って席を立った。何を考えるにしても、まずは自分の拠点に戻ってからが良い。落ち着いて考えれば、上手くまとまることだろう。

 

「そういや」

 

 魔法少女の真実を話す折、ほむらはさやかの願いごとを杏子に教えていた。自分の想い人である恭介の怪我を治すために、魔法少女の真実を知りながら契約を交わした、と。

 

「バッカじゃねえの」

 

 それは、己に対する罵倒だったか、さやかに対する叱咤だったか。

 『父の話に人々が耳を傾けてくれるように』という願いごとを叶えた杏子の末路は、報われないものであった。信者が増えた原因が魔法の力であると知ってしまった父は、杏子を『魔女』と罵って妻、杏子の妹を殺害した後に自害した。

 それからだっただろうか、杏子が変わってしまったのは。

 人を助けるために魔法少女として活動していた彼女は死に、自分のためだけに活動する杏子が生まれた。

 目の前で人が死のうと関係ない。何処かで人が使い魔に喰われようと関係ない。人を喰って成長した魔女を討伐し、獲得したグリーフシードで穢れを吸い取る。

 そんな生活を続けて来た杏子のグリーフシードのストックは十を超えた。最近は、どうしてだか見滝原にばかり魔女や使い魔が集まるせいで、グリーフシードのストックは減って行くばかりなのだが。

 

「魔女、か。あながち間違いじゃなかったんだな」

 

 魔女を利用して生き延びている自分は、間接的に人間を喰っているといっても過言では無い。ただ――魔女が魔法少女であるのなら、自分は間接的でも無く直接的に殺したと言えないことも無い。

 事実を知った途端に不安が膨れ上がる自分の弱さにいら立ちを覚えた杏子は、近くに見つけた魔女の結界に侵入した。作業的に、機械的に、杏子はつまらなさそうに変身を終えると、目の前の椅子に堂々と座る蝿型の魔女を睨みつけた。

 どうやら、外れを引いてしまったらしい。目の前で魔女に変化したベルを知っている杏子は、目の前の蝿型の魔女の正体も知っていた。そして、理性を無くして暴走することがあるということも、全て知っている。

 

「もしもアタシは」

 

 喰うことは二の次である他の魔女とは違って、殺害することが二の次であるベルゼブレの放つ殺気は異様であり、熟練の魔法少女であっても腰を抜かすほど強いものを発していた。

 攻撃しないうえに、他と比べれば強いだけであって強い部類では無いベルゼブレが畏怖され、恐怖の対象になっていた原因が分かる気もする。まず、この殺気に耐えられる魔法少女が少なかったのであろう。

 動物的な殺気では無く、理性の混じった殺気は魔法少女の心を恐怖という膜で包み込み、一瞬で染め上げる。

 返事を返してくれれば判断できたのだが、だんまりでは理性があるのかないのかを見極められない。遥か高みに位置するベルゼブレの顔に視線を固定し、両手をだらりと下げたまま杏子は疑問を口にした。

 

「魔法少女の真実を知っていて、その後の末路を予期できたとしたら、一体どんな願いをしたのかな」

 

 ベルゼブレの巨体がのろのろと持ち上がる。殺気は克服した。長年培ってきた杏子の勘が告げるものはただ一つ。『負けることは絶対に無い』と告げられ、杏子の口角が吊り上がった。

 振り上げられた右腕から逃れるために地面を蹴ってベルゼブレの左腕を駆け上がる。しかし、それよりもベルゼブレの動きが速かった。右腕は杏子の居た場所では無く、自分で作り上げた壁を突き破り、無造作に六本の腕で穴を広げて飛び出していった。

 二足歩行から翅による不規則な飛翔へと変更したベルゼブレの左腕を足場としていた杏子は、大きな揺れに耐えきれず振り落とされた。槍を地面に突き刺した衝撃が腕に伝わる。それでも、頭から落下して首の骨を折るよりはマシだ。

 成程、ベルゼブレには理性があって何らかの理由で動くことが出来なかったか、言葉を発することが出来なかったのだろう。魔女が離れたことによって結界が強制的に解除され、道の先にさっきまでは居なかった少女が現れた。

 あんな少ないやり取りでも、体感では短く感じるだけで実際は長い時間が経過している。一匹のインキュベーターが一人の少女に魔法少女の概要を伝えきるのには充分過ぎる時間が。

 変身を解くことすら忘れて耳を研ぎ澄ませる。キュゥべえと少女の会話は嘗て自分が交わしたものでもあり、悲劇を起こす引き金でしかない悪魔の契約であった。

 

「やめろ! そいつの話は罠だ!」

 

 契約を止めるために杏子が駆け出したのは、既に少女が願いごとを言い切った後のことだった。


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