魔女は人間が好き   作:少佐A

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告白

 ソウルジェムの濁りが進行しても尚、グリーフシードをずっと当て続けていたのが幸いしたのかさやかの魔女化する一歩手前で留まっていた。

 想い人に否定されても、彼女は一人の女子中学生なのだ。生きたいという気持ちがグリーフシードを手放そうとする右手を、強く握りしめらせていた。

 今、あたまを抱えながら耳を塞ぐさやかの右手にはグリーフシードとソウルジェムの二つが握られている。密着させられたグリーフシードを穢れを吸い取り、ソウルジェムは浄化を上回る速度で穢れていく。

 たったさっき手に入れたばかりのグリーフシードも、またすぐに孵化してしまいそうな勢いであった。自分を見下ろす恭介の左腕が振り上げられ、さやかの身体がびくりと震える。

 

「上条君!」

 

 表情を浮かべない恭介が何を考えているのか理解が出来ずに、まどかは叱咤するように声を荒げた。駆け寄って振り上げられた恭介の左手首を掴むが、やはり同年代の男子と女子とでは幾ら長い入院生活で筋力の衰えがあっても勝つのは難しい。

 まどかが恭介の手を降ろそうと悪戦苦闘している中、身体を縮めるさやかに向かって声を掛ける。

 

「本物のさやかはさ」

 

 病室の一角、ベッドの上に置かれたCDプレーヤーに目を向けながら、恭介は己の声帯を震わせた。

 

「自分のことより他人のことを思っていて、でもそれが裏目に出ちゃって、落ち込んでいるのを悟らせない様に気丈に振る舞うけど結局バレバレで、デリカシーの無い不器用な少女。それが本物のさやかだ」

 

 それは、恭介から見る美樹さやかという少女の全てであった。恭介のために興味も無かったクラシックの知識を齧って、良くバイオリンの練習曲として弾いていた曲の作者や年代まで覚えて、毎日とはいかないものの、いつも違うCDを持って来て恭介を励まそうとしていたことは、彼自身が身に染みるほど理解していた。

 

「悩んでいるのは分かってる。僕には到底理解できないし、同情してあげることも出来ないんだと分かってる」

 

 変に誤魔化して、理解しているだの同情しているだのと言うつもりは毛頭ない。ソウルジェムが穢れ切ってしまえば、美樹さやかという人間がこの世からいなくなることを恭介は知らない。だからこそこの言葉、遠慮が無いものであり、無理に気を使わない紛れも無い本心からの言葉であった。

 

「だけど、さやかはさやかだ。いつまでもうじうじしているのはさやからしくない」

 

 もう、振り上げる恭介の左腕を止めるまどかの腕に力は入っていなかった。障害が無くなった恭介の腕は勢い良くグーで振り下ろされることは無く、ゆっくりと掌を広げた状態で俯くさやかの目の前に差し出された。

 

「だから君は偽物だ。早く本物の君の笑顔を見せておくれよ」

 

 一瞬、さやかは恭介の取った行動が理解できなかった。自分の目前に広げられた掌の意味が理解できなかった。恭介の掌が、いつ自分の頬を打つのか怖くて、さやかは中々顔を上げることが出来なかった。

 しょうがないな、と呆れたように苦笑して溜め息を吐いた恭介は、握りしめられたさやかの右手を取る。さやかの口から呆けたような声が漏れ、コロンと音を立てて二つの球体が転がった。ソウルジェムとグリーフシードだ。キスをするようにソウルジェムと接触したグリーフシードは、もう穢れを吸い取らない。ソウルジェムの汚染が止まっているのだ。

 自分の魂であるソウルジェムを取り落としたさやかは狼狽する様子を見せずに、ただ一点を見つめていた。視線の先にあるのは、昔と変わらない恭介の優しげな笑顔。入院してから見せるようになった、無理をしたものではない、完全に心の底から笑っている顔であった。

 

「……きょぉ…………すけぇ……」

 

 じわりと目元を潤ませ、やがてはぽろぽろと瞳から大粒の涙が零れ落とした。涙が首から鎖骨に流れて敏感な神経をくすぐっても、鼻水が口の中に入っても彼女はお構いなしに泣きじゃくる。

 もう、絶対に受け入れられることは無いと思っていた。ゾンビになったことを罵倒され、人一人容易く殺害できる力を恐怖されて拒絶されると思っていた。そんな相手が差し出したのは、彼女の心を抉るナイフではなく、彼女の心を優しく包む大きな手であった。

 

「あたじぃ…………もう人間なんかじゃあ……」

 

「はあ、呆れたなあ。さやかは、つい最近自分で言ったことも憶えていないのかい?」

 

 涙でクシャクシャにした顔を不思議そうに歪ませて、首を傾げる。捨て猫のような目をしたさやかを見て、恭介はこんな状態になるまで気付いてやることが出来なかった自分に腹を立てた。そして、いつぞやの答えきれていなかった彼女からの質問を口にした。

 

「『恭介は何があっても友達で居てくれる、かな』ってさ」

 

 恭介の言葉にさやかは呆気に取られて、思わず目を見開いて小さく疑問を口にしていた。あの日の恭介と同じ反応を見せたさやかに向かって、恭介はしたり顔を向けた後にそっぽを向いた。照れ隠しなのだろうか。

 

「家族で以外で僕を案じてくれていたのはさやかくらいだったと思う。そんな君が、幾ら人間じゃなくなったからって無下に扱う訳ないじゃないか」

 

 恭介は動く両腕でさやかを強く抱きしめる。中学生とは言え純情で初心なまどかには少々気恥ずかしいものがあるのだろう、恭介がさやかを抱き留めた瞬間に背中を向けた。しかし、そこはやはり思春期の少女である。興味があるのか、二人の様子をちらちらと盗み見しているのがばればれだ。

 

「僕とさやかはいつまでも親友だよ」

 

 そして恭介は、呆気に取られて答えることが出来なかった質問の答えを口にした。その答えはさやかの望む答えでもありながら、若干物足りないとも感じる答えであった。

 

「…………親友じゃ、嫌だ」

 

 唐突に、涙も止まって落ち着いてきたさやかが口を開いた。随分大胆なその発言に、まどかは思わずうわあと声を漏らしてしまっている。まどかの反応を見て、自分が何を口走ったか気付いたさやかは、だるまのように顔を紅潮させていた。

 

「さやか?」

 

 その発言はやはり恭介の耳にも届いていたようで、驚き戸惑っているような、嬉しいような、そんな告白された男として当然の反応を見せながら、急に恥ずかしくなったのか抱擁を解いた。

 無くなってしまった恭介の肌のぬくもりに残念そうな声を漏らすと、お互いに数秒見つめ合ってから目を逸らした。余談だが、見つめ合う二人とは別にまどかまで顔を紅潮させている。二人に向けるのは背では無く顔。どうやら、まどかには隠すつもりが無いらしい。

 ちらと視線を逸らした先に居たのは、初めて性教育を受ける女子生徒のような微妙な表情を浮かべたまどか。頑張れ、と胸の前で両の拳を握りしめてエールを送っていた。そんなまどかを見て、友人が見ていることに対する羞恥心を抱きながらも、さやかを意を決したような表情で恭介の手を取った。

 

「あたし、恭介のことが好きなんだ。もう、どうしようもないくらいに。こんな体になってまで、あたしは恭介に対する想いを割り切ることが出来ない…………ッ!」

 

「ぼ、僕のことを?」

 

「好きじゃなきゃ定期的に見舞いに来るわけないじゃん! バーカ、バーカ!」

 

 煮え切らない態度の恭介にムッとしたのだろう、湯気が立ち上りそうなほど真っ赤な顔のさやかはそっぽを向きながら悪態をつく。

 一通り恭介に対する鬱憤を晴らすと、先程までの元気さが嘘のように落ち込んだ、暗い表情を浮かべて恭介と目を合わせた。

 

「好きになって貰う為に見舞いに行くなんて、ホント卑怯な女だよね」

 

「それじゃあ、さやかは僕じゃなかったら見舞いに行かなかったのかい?」

 

「…………それは」

 

「やっぱり」

 

 恐らく、さっきの自虐は恭介に同意してもらいたかったのだろう。彼女はまだ心の何処かで、魔法少女となった自分と恭介は共に歩めないと思い込んでいるのである。自虐的な発言をすることにより、恭介から幻滅させて告白を成立する確率を下げよう、と。

 

「君は優しいんだ。何処までも優しくて、良かれと思った行動が裏目に出る。さっきも言ったろ?」

 

「うん」

 

 恭介の諭すような言葉に、さやかは頷くことしか出来なかった。如何やら、さやかの告白に対する恭介の答えは決まっているらしい。

 彼は元々、さやかを恋愛対象として見ていなかった。むしろ、好きなタイプとは遠く離れていた存在であったし、何より幼馴染であるが故の壁である。昔からの親友という認識は、中々恋人や恋愛対象まで持っていくのが難しい。

 

「じゃあ、もう一回」

 

「……意地悪」

 

 頬を膨らませて恭介を非難するさやかの目は、自信に満ちていた。恭介に認められ、告白が絶対成功すると信じて疑っていないのだろう。

 

「あたし、美樹さやかは上条恭介のことが大好きです。だから――」

 

 さやかが作るのは、精一杯の笑顔。恭介が浮かべるのは、恥ずかしそうな苦笑。

 床に転がるさやかのソウルジェムのすぐそばにあったグリーフシードは、何処かへ転がってしまったようだ。それでも濁った青色をしていたソウルジェムは強く光り、どんどん穢れを薄めていく。

 

「付き合って下さい」

 

 上条恭介は美樹さやかのことを恋愛対象として見ていなかった。いつも見舞いに来てくれるさやかと二人きりで居る時間は、時に幸せであり、時に苦痛でもあった。

 そんな恭介の気持ちもお構いなしにさやかは新しいCDを持って来て、イヤホンを片方ずつ分けて同じ曲を聴く時間はやはり彼にとって幸せな時間であった。

 まるで、友達や親友を通り越して――家族と居るような気分だ。改めて、あの日々を思い出した恭介は心の中でそう呟いた。

 上条恭介は美樹さやかのことを恋愛対象として見ていな()()()。幸せでもあり、苦痛でもあったさやかとの時間は、いつでも安心することが出来た。

 何てことはない。恭介にとって美樹さやかとは、親友でもありながら恋人同士や夫婦関係であると錯覚できるほど、安心して心を許せる相手でもあったのだ。さやかの告白に、自分でも気づいていなかった本心に気付いた恭介の答えは決まっていた。

 

「喜んで」

 

 未だ病院内で恭介が捜索されているとはつゆ知らず、二人はお互いに恥ずかしそうな笑みを浮かべて唇を重ねた。尚、忘れられていたまどかは二人のキスシーンをばっちり目に焼き付けていたという。


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