別の路地へとつながる階段の上から杏子を見下ろすように、ベルは立っていた。両手に握られている銀色の輪は今まで扱ってきたルンバの様に生易しいものでは無い。
ベルがどうしてこの武器を使っているかと言えば、やはりマミの影響である。魔女と戦闘を行うために武術の入門書や武器図鑑など様々な本を所持していたマミから提案を受けたのだ。どうせ投擲するのなら単体ずつしか攻撃できない打撃武器では無く、複数をまとめて攻撃できる斬撃武器にしたらどうかと。
今までルンバを扱っていた所為か、それとも分裂元の魔女が魔法少女だった頃に扱っていた武器が投擲系だったのか。理由は分からないものの、ベルは剣や槍といった振って扱う武器を得意としなかったのだ。
製造に多量の魔力を要し、壊れてしまえばもう一度作り直さなければいけない剣や槍と違って、単純な形で尚且つ小さく魔力効率の良い戦輪はベルと相性が良かった。
「おい、アンタ。こいつの仲間か」
「仲間? ふむ、仲間と言われれば仲間なのだろうな」
やはり、ベルは話術が一般人よりずば抜けて得意なようだった。いざとなればほむらを人質にする方法もあるのだが、それも無意味だと言わんばかりにボロボロのほむらを一瞥して足を揺らした。
カン、と音を立てて針のようなものが生えた奇妙な玉が転がる。ほむらの手中に収まるようにして跳ねたソレを自身のソウルジェムにかざした。濁り始めていたソウルジェムは再び輝きを取り戻し、魔力を傷の再生にあてがう余裕も出来た。
「兎に角、ほむらには手を出さないでもら――――わぷっ!?」
階段を降りようとして足を踏み外したベルが転がってほむらに覆いかぶさる。運悪く鳩尾に肘が突き刺さり、咳ごみながらもベルを足蹴にして上から退けた。
「……ああ、えっと。大丈夫か?」
先程の険しい顔つきから一転、下らない理由で喧嘩を始める子供を見るかのような目つきで二人を交互に見比べた。足蹴にされたベルは脇腹を痛そうに擦っており、鳩尾に肘が突き刺さったほむらは苦しそうに咳をしていた。
「だ、大丈夫だ」
涙ぐみながら咳をするほむらではとても返事が出来ないと判断したのか、手で少し待ってくれとジェスチャーすると背中を優しく撫でた。暫くして落ち着いたのか、もう大丈夫だと手を上げると乱れた髪を掻き上げて表情を引き締めた。
「佐倉杏子、貴方に話があるの。矛を収めてくれないかしら」
「チッ、興が削がれちまったよ」
意外にも素直に応じると変身を解いた。ポケットからお菓子の袋を取り出すと乱暴に開封して中身を口に放った。
そんな杏子の反応に驚きながらも相手が変身を解いたのなら此方も解かねばならない、と盾に短銃をしまって変身を解いた。が、ベルはそのままの格好で歩き始めてしまった。
「おい、アンタ」
すれ違うベルの肩を強く掴んで引き寄せた。この辺りに戦輪を扱う魔法少女の話なんて無かった筈だ。ましてや、魔女に酷似した魔力を持った魔法少女なら話題にならない筈が無い。故に、杏子はベルが後輩だと思い込んでおり先輩を前にして変身を解かない彼女に怒りを抱いているのだ。
「アタシも変身を解いたんだ。アンタも解きなよ」
「ああ、佐倉杏子。それについては今から説明するわ」
強く掴まれた手を無理やり引き離すと、ほむらを睨みつけてから身体を向けた。
「……なあ、アタシとアンタ、会ったことあったっけ?」
「一方的に知っているだけよ。気にしないで頂戴」
コイツは嘘を吐いている。ただの勘ではあるが杏子はほむらが嘘を吐いているようにしか見えなかった。勿論、一方的に知っているだけでは無いのだが。
「おいおい、またここで始めるつもりか。物騒なのは止めてくれ」
二人を宥めながら歩くベルの姿は保護者の様だと思わせるほど大人びていた。後ろ向きに歩いて石に躓きさえしなければだが。
話をするために近くのファミリーレストランに入る。ここは安さが売りの店であり、味は期待できるものでは無い。それに、ほむらは学校が終わった後でベルは昼食を食べ終えた後なのだ。体重が気になる年頃のほむらは紅茶だけを注文して席に座った。
対する杏子は若干多めのチャーハンを注文し、ベルはお小遣いが無いからと項垂れていた。
「単刀直入に言うわ。これから約一ヶ月後、ワルプルギスの夜が見滝原に来る。それを討伐するために、私たちと巴マミと共に――――」
「今アンタ、巴マミっつったか」
ほむらの言葉を遮って不満そうな雰囲気を全身から醸し出しながら睨みつけた。チャーハンを運びに来た店員が一瞬後ずさってしまう程の殺気を受けてか否か、ほむらが顎に手を当てて汗を流していた。
「嫌だね。アタシはマミの奴と組む気は無い」
そんなほむらの様子を見ても尚、杏子はその姿勢を崩そうとはしなかった。
「それにあんな甘ちゃん、ワルプルギスの夜が来る前に死んじまうんじゃないの?」
「貴様――――ッ!」
「不味い」
頭に血が上ったベルが立ち上がり、一触即発の雰囲気になろうとした瞬間。冷や汗を顔に浮かべたほむらが突然呟いた。
「……ベルゼブレと佐倉杏子のことで忘れていた。このままでは死んでしまう」
ぶつぶつとうわ言のように呟くそれを杏子が聞き逃すはずも無く、怪訝そうに眉を細めた。
「誰が死ぬっていうんだよ」
「……ッ! 不味った、口を滑らせた」
慌てて口を塞ぐもののベルに知られてしまった。杏子にぶつけることの出来なかった怒りの矛先がほむらに向いたのだろうか、彼女の両肩を強く握りしめた。魔力で強化された握力は一般人の方なら他愛なく砕いてしまうだろう。
「おい、ほむら。吐け。誰が死ぬと言うのだ」
今にも人を殺しそうな形相のベルが低いトーンで呟いた。初めて見る彼女の反応に戸惑いながらも口を開く。彼女は絶対に人を殺すことは無いのだろうが、答えなければ殺されてしまうと思わせるほどの殺気を漂わせながら肩を握る力が強くなる。
「……巴マミよ。み、見滝原の病院に孵化直前のグリーフシードがあることを思い出したの」
どうして死ぬことが分かるのか、と問い質されないようにフォローを入れて質問に答えた。
ほむら曰く、本体を倒さない限りどれだけ倒しても復活するお菓子の魔女はマミと相性が悪いのだと言う。こうしている内にもマミの死へのカウントダウンが初まっている、と手を震わせながら会計を済ませようとした瞬間。
「そうか」
ベルの顔が一瞬、虫の様な酷く歪んだ顔に変化したかと思うと強力な魔力を辺りに撒き散らして消え去った。
「――――え?」
「――――は?」
次の瞬間、ファミリーレストランの壁がぐにゃりと歪んで景色が変わった。殺伐とした部屋の中に並ぶ食台はレオナルド・ダ・ヴィンチが描いた最後の晩餐を彷彿させるような、途轍もなく長く不気味な程の白さを誇っていた。
魔女の結界であることは確かなのに使い魔の気配は無く、数えきれない程並んだ食台の先にひっそりと佇む玉座は寂れ果ていた。その玉座に座るおぞましい姿をした魔女の数百を超える目が二人を睨みつけたかと思うと、自身の結界の一部である壁を突き破って何処かへ飛び去って行った。
再び赤いレンガの壁がぐにゃりと歪んだかと思うと、元のファミリーレストランへと戻った。だが、杏子と向かい合うようにして座っていたベルの姿は無い。辺りに撒き散らされた魔力は相当抑えられていた様で、各テーブルにある硝子のコップが割れただけにすぎなかった。
如何やら魔女は結界ごと移動していったらしい。魔女が居たあの広い部屋以外の場所に繋がる道らしきものは無く、迷ってしまえば即魔女と相対するような作りになっていた。それ程自分の力に自信があると言うのだろうか。
「おい、アンタ。これは何だ。説明しろ。」
身を乗り出してほむらの襟首を鷲掴みにして叫んだ。だが、杏子とは違う理由で驚いているほむらにその叫びが届くはずも無い。
「どうしてアイツからあんな強力な魔女の反応がするんだよッ!」
届くはずが無いとは分かっていても叫ばずにはいられなかった。数多くの魔女と相対して来たからこそ分かる。魔女とは人が多いところに集まるのだ。餌が多い分、人が多いところに生息する魔女は強力になっていく。
対してこの街はお世辞にも人が多いとは言えず、魔女も杏子なら相性が悪い相手でも無い限り苦戦することは無い魔女が多かった。
だと言うのに、ベルが変化したと思われる魔女の魔力はベテランの彼女の背筋をも凍らせ、戦意を喪失させた。魔女を前にすれば無意識にしてしまう変身。それすら出来ない程に物怖じてしまったのだ。
圧倒的に強いと言う訳では無い。恐らく、苦戦こそするものの杏子が全力を出せば勝てない相手では無い。なのに、本能で感じたソレは『喰われる恐怖』。
長らく人間が感じることが無くなった『喰われる恐怖』を感じてしまったのだ。そんな相手は認めない、と叫ぶ彼女は物怖じてしまった自分を叱咤しているようにも見えた。
「如何して」
幸い、罅が入るだけで済んでいたコップを握りしめて割る。折角再生した親指を割れたガラスの破片で傷つけるものの、ほむらはそれすら眼中にないように険しい顔をして俯いていた。
「この魔力は」
ベルが撒き散らした魔力。一瞬でも魔女の形態で此方の世界に出現していられる魔力は、ほむらにとって忌むべき対象であり倒すべき対象の魔力と酷似していたのだ。
「ワルプルギスの夜……?」
その日、突如気を失って病院に運ばれる患者が続出したと言う。