ペルソナ物語4~ポケットが真実でいっぱいいっぱい~ 作:琥珀兎
と言うかプロットの半分以下になってしまった。
すまぬ、すまぬ……。
五月六日 金曜日(曇)
――――通学路――――
何かとイベントが盛りだくさんだったゴールデンウィークもあっけなく終わり、学生の身分である大和は勉学に勤しむ為に学校へ続く道をのんびり歩いていた。
五月の朝は少し肌寒く、春の名残を僅かに残し梅雨の到来を示唆していた。
未だ自分の目で見たことのない、『マヨナカテレビ』を見れる機会が訪れるかもしれない。大和にとっての梅雨はそれ限りだった。
『マヨナカテレビ』を実際に目にすればまた何かが分かるかもしれない。しかし、理解するには視なければならない、何者かによって与えられた力は、破格ではあるものの不可能だって当然ながら存在する。まず、《なんでもわかるわけではない》という事。そして《実物を実際に目にしないといけない》という事。最後に、これが一番重要で最大の弱点。―――視取れる情報は大和の無意識によって無自覚に制限されているという事。これはいくら強化を施された大和の肉体も、脳だけは強化されてはいないのが原因である。
大和の目が得る圧倒的な情報量は、本来人間にとっては無意識のうちに隅へと追いやられる情報である。しかし、知能が向上した大和は、これを隅に追いやることなく意識的に捉え、理解することができる。これが、大和の脳の稼働率を上げ、同時に蝕んでいる。このままでは破滅の一途をたどる羽目になる自体を、肉体は危険信号と受け取り無意識のうちにセーフティロックをかけているのだ。
大和本人が気づかぬ内に、『呪い』以外でも制限を受けていたのである。脳が情報の熱に焼かれることから、肉体は守っているのだ。
通学路を歩き始めて十分。そろそろ学校が近くなってきたな、と思っていた大和の先に見覚えのある二人が立ち止まっていた。
一目視て分かった調子の悪い自転車の横に、憂鬱そうな面持ちで立っている花村陽介。その前に表情がうまく読み取れないポーカーフェイスの達人、鳴上悠の二人が何やら話していた。
陽介の表情から、事はそんなに深刻な話ではない様子。どちらかといえば日常生活の不満を漏らしている、といったところだろうと大和は推測する。
まだ『ペルソナ』の事は内密にしておいたほうが良いだろうと踏んでいる大和は、それに関する話題の時は意図的に避けようとしていた。
「おー、鳴上と花村じゃないか。こんなところで立ち止まってどうした? このままだと遅刻するぞ」
話題の内容的に問題なしと判断した大和は、なんの気もなしに気軽に二人に声を掛けた。
二人は大和の存在に気づき、こちらを見やる。相変わらず陽介の表情は影がかかっていた。
「おーっす霧城、お前もこの道使ってたんだな、今まで合わなかったのが不思議だぜ」
「おはよう」
「で? どうしたんだ、こんなところで? なんか花村は若干気だるげだし、なんかあったのか?」
口調こそ普段と変わらないが、陽介の声色はいつもと違っていた。
グループの中でも盛り上げ役のようなポジションにいると勝手に思っている大和にとって、これは見過ごせない事なので早めに解消してやろうと原因を聞き出す。
「あー…、見てくれよ、この自転車。最近ギアとかの調子が悪くってさ、漕ぐたびに嫌な音がするんだよ。それで今鳴上と、バイクの免許を取るまでは徒歩で通学するかなーって話してたんだよ」
「なるほどね、ちょっとその自転車視てもいいか? もしかしたら直せるかもしれない」
「マジで!? お前って、窮地を救ってくれるお助けキャラみたいだな! ほんと助かるぜ、頼む!」
「クラッシュにとってのアクアクみたいだな、霧城は」
「鳴上は時々危ないネタを言ってくるな本当。……まあ、ちょっくら視てみるよ。状態によっては治せるかも―――おっ…と~?」
「えっ? 何? なんか駄目な予感がするんですけど?!」
「どうやらアクアクはニトロを踏んで亡くなったらしい」
「……ん~、駄目だこりゃ。ギア自体が破損してるし、それにフロントフォークも歪んでる。花村、お前何かと衝突でもしたか」
症状からして、何かと正面衝突に近いことをしていないとこんな風にはならない。と、大和は続ける。
思い当たる節でもあるのか、陽介はアッと小さく呟き苦い顔をする。
同じく悠にも思い当たったらしく、陽介より先んじて原因を大和に知らせる。
「そういえば……花村は、何かと電柱やゴミ捨て場に突っ込んでいたな」
「この町の道って空いてるからな、俺もついスピードを出しちまったんだ」
「なんだ、じゃあそれが原因だよ。多分、電柱にぶつかった時の衝撃でフォークが歪んだんだろ。流石にこれは俺じゃあ直せねえな、諦めて金かけて修理に出すか―――徒歩で通学するのが懸命だな」
「そうだな……、バイト代だってそんなにある訳じゃないし。仕方ない、諦めて歩くかっ! バイクの為にも金を貯めなくちゃいけないしな!」
吹っ切れた様子の陽介。たとえ落ち込んでいようとも、
「霧城、花村……そろそろ出ないと、俺達遅刻になるぞ」
「げっ! それはヤバい、モロキンに何をされるかわかったもんじゃない!」
「急ごう、可及的速やかに」
悠の警告に花村は、イヤな奴が頭に浮かび顔をしかめた。
三人は足取りをそろえて学校へと急ぐ。
学校へ向かう生徒が少なくなった通学路。雲に覆われた空の下、二人と一人は刹那の青春を精一杯に楽しむため、肩を並べて走る。
三者三様様々な思惑はあるものの、今この瞬間に限っては、同じ思いを抱いて。
――――八十神高校――――
里中千枝にとって『転校生 霧城大和』とは、不思議な魅力を持ったどこか気になる男性、という印象を抱いていた。
始めて出会ったときは今居る場所と同じく、この二年二組の教室だった。転校生としてモロキンに紹介された大和は、鳴上悠の時と同様やはり千枝の評価として最低の教師に扱き下ろされていた。
“―――転校初日なのに、あんなに貶さなくてもいいじゃん”
散々な言葉でなじって言いがかりをつけられて目を付けられた大和を、千枝は内心同情した。鳴上悠がこの学校に転校してきたときも同じだった。彼もまた都会からこの片田舎に越してきて周りは知らない人だらけなんて、そんな環境に身を置かれたにも拘らず、モロキンの標的になってしまったのだ。
担任教師であるモロキンこと『諸岡金四郎』は、全高生徒から『イヤな教師アンケート』を実施すればトップを飾るほどの不人気を博している男だ。彼の教育者としての情熱は確かにあるのだろうが、それは生徒にとっては独断と偏見にしか見えない熱でった。
ここで正義感の強い千枝は、悠の時と同様に手助けをしてあげよう。と助け舟を出そうとした。
コッチが話題を変えてしまえば、モロキンも彼への追求をやめるであろう。
そうと決まれば早速。ってところで終了のチャイムが鳴ってしまったのを良く覚えている。結局千枝は、大和を見殺しにしてしまったと僅かな罪悪感を抱いてしまった。
客観的に見れば彼女に非がないのは明らかなのだが、彼女の性格上そういう考えはできないのだ。弱いもの虐めを見過ごせない、いつだって悪を許さない。愚直なまでの真っ直ぐな信念を胸に抱いているのが、里中千枝なのだ。
だから、言われるがままだった大和が自分の隣の席に座った時、せめて……と思い、積極的に話しかけたのだ。
『災難だったねー、アイツ、モロキンって言うんだけど、最低でさー。君も気をつけた方がいいよ霧城君』
『なるほど…諸岡だからモロキンか、なかなか良いセンスだ』
なのに、モロキンに嫌味を言わていたのに全然応えた様子はなくて、千枝は一瞬で緊張も罪悪感も吹っ飛んでしまった。
“―――ああ、彼はこの程度何とも思っていないのだ”
それから仲が良くなるのはあっという間だった。
始めて見た時から思ってはいたが、彼は容姿が良い。スラッとした長身で、サラサラとして燃えるような紅い髪、その合間から見える彼の見透かすような瞳。鳴上悠も整った容姿をしていたが、大和はまた違ったベクトルの美形だった。
この田舎町にはなかなか居ない人種なので、クラスの女子も放って置かないだろう。実際に、彼を目的にウチのクラスに見物しに来る女子生徒も居たぐらいだ。だが皆、見るだけで話しかけては来なかった。理由があったのだ、話しかけられない理由が。
原因は千枝だった。千枝が最初に話しかけてから、大和は千枝と楽しそうに会話していたので他の女子は近づけなかったのだ。千枝の所為で声をかけられない、もし邪魔でもしてしまったら彼の機嫌を損ねてしまうかもしれない。女子達はそこまでして声をかけてみようなんて勇気は無かったのだ。眺めているだけでも良い観賞になる。転校初日にして大和は女子達の観賞用になっていたのだ。本人からしたらいい迷惑である。
それ以降、大和の案内と称して、好物の肉に眩んで、つい大和を放課後に愛家に誘っていた。
彼の返事が返って来る前に、陽介にからかわれた時は赤面物だった。彼女は言動こそ男性寄りな所があるが、中身は年頃の女性よりも恥ずかしがり屋で乙女なのだ。
口説くだなんてつもりは無かった。確かに彼が格好よくて見蕩れてしまったりしたが、それだけで惚れるほど安くない。ただ、これで彼が勘違いなんてしてしまったら今後気まずくなってしまうかもしれない。それが嫌だった。
誤魔化すように口封じをした花村を他所に、千枝の思考はぐるぐると混乱していた。
ポロポロと口から出てくるのは、自己嫌悪ばかり。この時ほど陽介を呪いたいと思ったことはなかった。
―――でも、
『――行こう。……放課後だな約束だぞ』
大和の言葉は肯定だった。
千枝には分かった。大和が千枝の思惑を感じて、それでも答えてくれたと。その真摯な言葉は、なにより千枝の心に響いた。
動揺と高揚を表に出さないように、千枝はらしく努めた。
それから、彼の事を少しづつと知っていった。
下宿していて、下宿先はマル久豆腐だったり、お婆さん思いだったり。雪子が初対面の男の人に連絡先を教えたときは驚いた。なにか波長でもあったのだろうか、雪子も雪子でたまにおかしな所があるが、彼も似たようにボケた発言をする。
マヨナカテレビの話題が出たときは焦ってしまった。普通じゃ考えられない事に、自分たちだけで犯人を捕まえるためにマヨナカテレビに映る人をテレビの中から救ってるなんて話し。言えるわけがない、巻き込めない。
その場は陽介と悠がうまく誤魔化したから良いが、今後雨の日が来たら彼はどうするだろう。
もし大和がマヨナカテレビに写ってしまったらどうしよう。自分はちゃんと防げるだろうか、いや、成し遂げるだろう。何を引換にしても。千枝の中では彼はもうかけがえのない友人なのだから。
今も隣で退屈そうに授業を受けている大和を、千枝は微笑ましく眺めながら思った。
授業も終わり、放課後になった。
拘束から解放された生徒たちは、各々好きなように行動し始めた。
大和達はいつものメンバーで集まって雑談していた。
「あ~……、なんでもう終わりかな、連休……」
沈んだ表情の千枝が呟く。
魅惑の連休に終わりが訪れ、現実に引き戻され嘆くのは学生の本能。誰だって、休みは好きなのだ。
「けど、平和でよかったじゃん? ジュネスでバイトしてると、おばちゃん層の噂話聞けるけど、何も起きてないみたいだしさ。誰かが失踪って話も……」
「失踪ってあれか? 今起きてる連続事件関連のヤツか?」
陽介の表情がしまった、と言っていた。
大和が居る前では意図的に避けていた話題。陽介も連休の所為で休みボケしてしまったのだろう。
が、今は事を起こす気はサラサラない大和は、
「でも、それだって警察がなんとかしてくれるだろ。俺らみたいな学生には関係ないさ」
と無知を装ってのんきに語る。
その様子に陽介も安心し、千枝が話題変更のチャンス! と颯爽と切り出す。
「そういえば、天気がそろそろ崩れるらしいけど、あたし的には来週一杯もってくんないかな……。来週……中間テストじゃん?」
「あー、言っちゃった……言っちゃったよ。それ、考えたくねぇぇ!」
中間テスト。その言葉に陽介と、言った張本人の千枝も表情を曇らせていた。
あんまり勉強が得意でない陽介と千枝にとって、自分の実力を図られるテストは鬼門であった。
一方で、鳴上と天城、それと大和も問題なさそうにしている。
「はぁ、あたしも雪子みたく天から二物を与えられたいよ……」
「二物……?」
千枝の羨慕の声に、自覚の無い雪子はなんのことだろうと首をかしげるだけだった。
自分が何を二つも与えられているのか分かっていないのだ。
このまま分からずじまいの雪子に付き合っていては、日が暮れてしまうのをわかっている千枝は、問題を棚上げしたまま陽介に話を振る。
「ねー花村、雪子に色々教わった方がいいじゃない?」
「ん? ああ、そういえば天城って学年でトップクラスだもんな。個人レッスン、頼んじゃおうかな?」
「こ、個人レッスン!?」
雪子が驚愕する。
何やら考える素振りをして、おもむろに陽介に近づいた。
「えっ? どうした?」
パシッ、と乾いた音が鳴り響いた。
発生源は陽介の頬。楽器は雪子の右手。要するに雪子が陽介の事をひっぱたいたのだ。
雪子の行動に、四人は驚いた。何故急にこんな行動に出たのだろうか、そこまで陽介の事が嫌いだったのだろうか、と。
突然の事に納得のいかない陽介が不満の声をあげる。若干、ビクビクしながら。
「い、いて……そんな叩くほどのことですか? 俺はただ勉強教えてって言っただけなのに」
「あっごめん、勉強か……。オヤジギャクなのかなって、最近…変なお客さん多いから」
「ギャグと思ったなら、なおさら流せよ!」
「いや待て花村」
「なんだよ霧城!」
「……俺からすれば、ここまでの一連の流れの方がギャグだど思うんだが!」
「真剣な顔してくだらねー事言ってんじゃねぇ! こっちは笑えねぇぇよ!」
「ごめん、手が勝手に」
「やれやれ、もういいよ天城……。ていうかこれ、里中が勉強教えてもらえなんて、いらんこと振ったからじゃね?」
一連の言い争いも終局を迎えようとしたところで、陽介が燃料を再投下した。
「な、なんであたしのせいになんのよ?! 大体、あんたが『個人レッスン』なんて微妙な言い方すっからでしょ!」
「なっ、十割俺かよ」
千枝も陽介の燃料がエネルギーとなって、加熱し燃え上がって言い合いを始める。
もはやこの組み合わせは見飽きたレベルの日常茶飯事である。
テストなんて物、大和にとっては退屈以外の何者でもない。能力のおかげでどんな問題だろうと、いとも簡単に解いてしまうのだから面白くもない。
「あ、俺そろそろ、バイトに遅れるから。じゃあな」
「ああ、二人は任せろ。またあした学校で」
「またね、霧城君」
口論している二人を放置して大和は教室を後にする。
彼が去った事で、二人の争いも緩やかに収まり、四人は話題を変える。
大和の居る前では決して話せない、マヨナカテレビの事を。
「……里中と言い争ってないで、仕切りなおそう。……事件はもしかして天城ので終わりなのかな?」
「いや、終わらないだろう。天城の事件は未遂俺達によって終わった。きっとまだ、続くはずだ」
鳴上が答える。
これで事件が終われば良いに越したことはないが、雪子の事件は成功しなかった。これに対して犯人は何らかのアクションを起こすはずだと、悠は思った。
「わからない。でも、犯人がまだ捕まってない以上、安心はできないと思う」
「雨が降ったら、また誰かがテレビに映ったりすんのかな? 犯人像とか、もう少し何か分かればなあ……」
一同が沈黙になる。
テレビに誘拐された雪子を救う事は出来た。しかし、肝心の犯人に関しては何もわからずじまいだった。
暗澹たる思いで一杯になる。
気分を盛り上げようと、千枝が元気よく気持ちを切り替える。
「こうなったら、雨が降って誰かがテレビに映るまではじたばたしてもしょーがないじゃん?」
雨が降ったらマヨナカテレビを確認してみよう。
これを結論に四人は解散した。
一方、その頃大和は沖奈市に来ていた。
まとまったお金が必要になった為、もっと給料の良い多少栄えて居る町に来たのだ。
何故またお金が必要かと言うと、バイクを買うためである。
元々、普通自動二輪の免許は取得済みの為、あとはバイク本体だけである。
急にバイクを買おうとしたのも、家の手伝いに有効活用できたらと、単純に移動手段が欲しかったからである。
大和が本気で走れば、バイクより早く走れるが、それじゃあ面白くない。高校生にとってバイクはある種の憧れなのだから。
そんなわけで、バイクを購入するために日夜バイトに勤しむ事にした大和。
今日のバイトは事務所移転の引越し作業だった。
――――鮫川――――
バイトも順調に終わった俺は、稲羽市に帰ってきていた。
引越しなんてものは、俺にとっては小石を運ぶのも同然だったから楽して稼げてラッキーだった。
だけど、どんなに頑張ったって一日で稼げる金額は決まっている。なんか……頑張るだけ損だなあの仕事。次からは歩合制のやつをやってみるか。
そう思い、鮫川の当たりをぼんやり歩いていると、ふと見たことのある緑ジャージが何やらおかしなことをしている。
なんだあれ? 修行? 特訓? この現代日本で? ああ、シャドウと戦うためか……。
里中はどこかで見たことある動きを反復練習していた。
“筋は良いが、まだまだ甘いな……。”
このまま黙って見過ごしても良いが、里中自信の身を護る為だ。ここは協力してやろう。
土手を降りて、俺に気がつかないまま練習に励んでいる里中に近づく。
ちょうど、決め手にするつもりの中段蹴りを手で止める。
「腰の入りが甘い、脚の位置はもう少し高く、力が乗ってない。敵を想定しろ、イメージするんだ」
「って! えっちょっ?! んな、き、霧城君?! 何っ!? どうしてここに!?」
突然現れて脚掴まれりゃ、そりゃ驚くか。ていうか俺、捕まるかこれ?
里中は顔を真っ赤にしてものすごくうろたえている。この状況が把握できないらしく、俺に脚を掴まれたままあたふたとして左右上下に視線が行ったり来たり。
仕方ないので、俺は一歩踏み出してもう片方の地に着いた里中の脚を軽く払う。
「ちょっ…きゃ……っ!」
「落ち着け……、たまたまここらを歩いてたんだ。そしたら里中がなんかやってたからな、あまりにそれがお粗末だから助言でもしてやろうかと思って」
「ったた……、もう、それなら普通に声かけてくれればいいじゃん! なんであたしの脚を……その、掴むかなぁ……」
転ばされたからか、落ち着きを取り戻した里中が俺に抗議の声をあげる。
原っぱの上に尻餅をついてこちらを見上げる里中。視線を下にやるとスカートがめくれてスパッツが顔を出してコンニチワしてる。なかなか扇情的だ。
「…………?」
返事をしない俺をいぶかしんで視線の下を見やる里中。
……いかん、気づいてしまった。
「なっ!! 見るなぁぁー!!」
猛烈な怒気を孕んだ蹴りが下段から襲いかかる。
普段なら受けてもいいが、ここは実力を分からせるために一歩下がって難なくそれを躱す。
というかおい、凄い音がしたぞ。
「すまない、でもスパッツしか見てない」
「そのスパッツを見るなって言ってんの! 全くもう」
「悪かった、わざとじゃないんだ」
ワザとスパッツが見えるようにしたんじゃないんだ。見たのは故意だけど。
「もういいよ……でも、次やったら顔に靴跡つけるかんね」
「肝に銘じておくよ……」
「それで、助言って……何を助言してくれるの?」
尻を地面から上げ、立ち上がる里中がジト目で見ながら恨み言をいうように質問する。
これは、好感度下がったか?
「特訓してるんだろ? 見てたけど、里中の動きはムダが多い。何の為にこんなことをしてんのかは知らんが、今のまま続けても強くなれないぞ」
これは本当だった。里中の訓練は、カンフー映画を見てそれをそのまま真似するような、そんなお粗末さが感じられた。というか視れば分かる。
痛いところを突かれたのか、里中は言葉を詰まらせる。
「……じゃあ―――っ!」
「だから、俺が教えてやるよ」
―――じゃあどうすれば、とどうにか言おうとした里中を遮って言い聞かせる。
これからもシャドウと戦うつもりなら、自分の身は自分で守れるようになってもらおう。タイミングが合致して、あいつらが賛成したら俺も混じるんだし。
里中が呆けた表情で俺を見ている。
「……なにボーッとしてんだ?」
「いや、いいのかなーって……それに、霧城君って言う程拳法出来るの? なんか怪しい」
「甘く見るなよ? 本当かどうか確かめたいなら、俺を倒してみるんだな」
「おっ! その台詞、なんだか燃えて来た! 本当に良いんだね? それじゃあ……行くよっ!」
やる気を見せた里中が俺に向かって突貫する。
さっきの練習を見る限りでは、里中は手を使わない。足技一択といった一点集中型だ。だからこそ、その弱点も自ずと視える。
「でやぁー…………んなっ!」
「……甘い」
一撃必殺でも狙っていたのだろうか、左を軸にした右回し蹴りを、完成する前に懐に入り込んで受ける。
蹴り技の中でも、回し蹴りなどの脚力と遠心力を利用した技は出きる前に、振りかぶった時点で距離を詰められると対した威力も無いままに、無理やりキャンセルされてしまうのだ。
かくして、当たると確信していた里中の思い通りには行かず、驚愕を隠しきれないままに次の一手を出せない状態になっていた。
すかさず、さっきと同じように足を払って地面に尻餅を着く。
「いったぁ……!」
「ほら、これで一回死んだな」
「むっかあ、まだまだー!」
諦めることなく追撃を加える里中。
攻めて攻めて攻めまくるも、一手も俺に届くことはなく翻弄されるだけだった。
そして、終わりがやってきた。
「はぁ、はあ……っはぁ、はぁ……っ!」
「うんまあこんな所かな。今日はこれでおしまいだ」
「……えっ? どういうこと霧城君」
「今日の訓練は終わりってことだ。ほら、映画でよくあるだろ、修行の前の小手調べが本当は修行だったって。それと一緒だよ。はい挨拶!」
「ふぇ?! は、はい! ありがとうございました!」
「よし!」
本当は日も暮れたし、そろそろ飽きたのもある。が、そんなこと言えない。
すっかり疲れ果て肩で息をしている里中に、ちょうど飲みかけのスポーツドリンクがあったのでそれを手渡す。
「ほら、喉渇いただろ? これやるよ」
「ありがとう! いやー、ちょうどカラッカラだったから助かったよ」
ありがたく頂かれ、キャップを開けて口に運び、飲料水を一気に体内に持っていく。
うむ、間接キッスだな。どうしよう、黙っていたほうが安全だが……なんだろう、この子は軽くイジった方が面白いし可愛いんだよなあ。
と悩んでる内にあっという間に飲み干してしまいそうだ。
―――よしっ。
「あ、忘れてたー。それ俺もさっき飲んでたから、間接キスになるなー」
「んむっ?! ……ぶほっ! げほっげほっ、いきなりなんてこと言うの! むせちゃったじゃんか! それに、かん……間接キスって。―――なんでもっと早くに言わないのー! …………全部飲んじゃったじゃん」
「すまんすまん、俺も忘れてたし、それに俺としては役得? っていうのかな、うん」
「やっ……し……死に晒せー!!」
「ほぉっ…………っっ!!」
里中の追撃!
大和は場外に吹っ飛んだ。
お約束といった感じに甘んじて攻撃を受けたあと、なだめるのが大変だった。
自業自得と言われればそこまでなのだが、とにかく大変だったのだ。
それで今はもう、落ち着いて二人でベンチに座っている。……若干距離が開いているがキニシナイ。
「で? なんで特訓なんてしてたんだ里中は?」
「う~ん……あのね、詳しくは言えないんだけど。最近になってあたしのイヤな部分が分かって、それに勝つにはどうしようって思ったの。他にも敵がいるんだけど、目下標的にしてるのは霧城君だね。あれだけやっても一回も当たらなかったし……結構自信あったのに。それでね、勝つにはどうしようって思って、やっぱ特訓しかないっしょってなったの」
「なるほどね、それでこんなことしてたわけ」
ベンチの背もたれに体を預け、そらを見上げる。
夕暮れの曇り空は、まるで自分の様で、混ざりきらないマーブル状の絵の具のようだった。
隣に腰掛ける里中が不安そうな表情で口を開く。
「やっぱり、変……かな? 普通の女の子ならこんなことしないよね……やっぱり」
コンプレックスなのだろう。里中のイメージする女性像と、実際の自分がかけ離れているのが。
親友の天城は大和撫子を絵に書いたような女性だ、そりゃ笑いの沸点がおかしかったりするが男子の注目の的になっている。片や自分は男勝りで、男子からも男友達な感覚で捉えられている。
気に留めてないように振舞ってはいるものの、心の片隅ではそういったコンプレックスがあるのだろう。
俺は人一人分里中との距離を詰める。
「ちょ、なんで近づくの? 今真面目に―――」
「別にいいじゃないか」
「……えっ?」
頬を染め、呆ける里中に俺は続ける。
「いいじゃん、別に。お前が良かれと進んだ道だ、他の誰でもないお前自信が望んでそうなったんだ……それを否定したら、里中が里中じゃなくなる。肉が大好きでちょっと馬鹿だけど……天城の親友、里中千枝は今ここに居るお前なんだ。誇れよ、そんなお前だから天城は一緒にいられるんだろ。お前だって十分、普通の女の子だ」
「……霧、城……君…………」
「それに……ジャージを着なくなって流行に煩い里中より……今の里中の方が十分魅力的で可愛い」
「かっ、可愛いって! ま、またそうやってからかって! 今度は靴跡だって言ったでしょ!?」
茹でタコみたいに赤く沸騰している里中が怒るが、怒気など全然感じず、どちらかといえば照れ隠しにまくし立ててるだけのように見える。
だって、靴跡付けるとか言っておいて……その足は堅く閉じたままなんだから。
思わず笑ってしまう。そういえば心から笑ったのって多分、初めてかもしれない。
それを見た里中が、やっぱり! って顔をする。
「あー、やっぱりからかったんだ! ひっどいな君は。それに、さっきどさくさにあたしの事馬鹿って言ったでしょ!? 花村よりはバカじゃないもん!」
「いやいや、からかってなんかないさ、ただ、あまりにも言動が一致しないから……面白くてね」
「やっぱ馬鹿にしてるんじゃん! もうっ! やっぱり靴跡の刑ー!」
立ち上がり、真っ赤な顔して足を飛ばしてくる。
笑いながら躱す俺、避けるなー、と追撃をしてくる。
湿っぽいのは似合わない、湿っぽいのも可愛いけれど、明るく怒っている時の方が良い。今は
夕暮れの空の下、俺と里中は他人が見たら何ともクッサイ青春を繰り広げ、走り回っていた。
―――今この瞬間だけは何もかもを忘れて。
五月七日 土曜日(雷雨)
――――八十神高校 図書室――――
中間テストが近づいている為、この日の放課後は五人でテスト勉強をしようということになった。言いだしっぺはもちろん陽介。
最初はジュネスのフードコートでやろうという案もあったが、生憎外の天気は雨。こんな天気の中外で勉強する気にもなれず、おんなじ目的の生徒が多数居る図書室での開催と相成った。
席の配置としては、六人座りの机に五人。片方に窓際から千枝、陽介、悠の順。反対側に窓際から、雪子、空き、大和の順になっている。
これは、雪子が千枝を、大和が陽介と悠を、それぞれ教える為の配置になっている。成績面から雪子は当然のこと、大和は転校生にも拘らずなぜ教える側かというと、大和本人が買って出たのだ。少なくともこの男三人の中だったら俺が一番の自身があると言い切り決まった次第である。
陽介は疑ってたが、悠や雪子、千枝が納得したため渋々承諾した。
「ほら、そこの《太陽系で一番大きな山》って所。覚えておいたほうがいいぞ、テストに絶対出てくる」
「なあ……なんで絶対って言い切れるんだ霧城?」
「そんなの、俺が絶対って言ったら絶対なんだよ、出なかったら愛家で奢ってもいいくらいだ」
「先生の言うことは、絶対だからな」
「そうそう、ほらみろ花村。鳴上はちゃんと聞いてるぞ。お前も覚えろ」
「よっし、言ったな?! 出なかったら肉丼だかんな!」
「ああ、いいぞ。肉丼でもなんでも奢ってやるさ」
自信満々で答える大和。
「あ、肉丼ならあたしも―――」
「千枝、今は勉強」
「……はい」
肉丼と聞いて千枝が色めき立つ。が、雪子によってその願いは一蹴された。
男連中の勉強会はいつの間にか趣旨が変わって、大和の出題に悠と陽介が答えるクイズ番組形式に変貌していた。
初めは普通にちゃんと教えていたのだが、真面目に勉強している悠とは違って、勉強に関してのやる気の無さがピカイチの陽介は段々と飽きてきていた。
そこで大和が考えたのがこのクイズ形式。あらかじめ能力で予想した問題と嘘の問題を織り交ぜたクイズにし、それをノートに書いて答えるという形式。一問正解ごとに一点加算で、一番点数の多かった方に豪華賞品(予定)をプレゼントとなっている。
これなら飽きっぽい陽介も勉強できて楽しめる。一石二鳥だと大和は思ったが、それも長くは続かなかった。
「次の問題! 《欲求を抑え、理性ある人間に宿る精神“高まいの徳”を唱えた人は誰?》一、サルトル 二、デカルト 三、パスカル 四、俺 さあ選べ!」
「いや、四だけはありえねえだろ普通に考えて」
「だが、今までの出題傾向からして、この問題は今俺が考えた言わば俺のありがたい言葉だ。なんていうこともあるかもしれない」
「そんな答えだったら、俺もう何も信じない」
「5……4……3……」
出題の答えを疑う陽介と、傾向から考察する悠。
両者が競って答えを考えているうちに、時間は刻一刻と大和の口から刻まれていく。
「時間制限付き?!」
「急ごう花村! 豪華賞品が遠のく」
「本気にしてんのかよっ!? あるわけないだろ豪華賞品なんて! どうせキン消しとかロケットペンシルとかがんもどきだろ」
「2……1……0! はい時間切れ~。がんもをどうせ呼ばわりした花村の人生も時間切れ~」
「すいませんでしたぁー!」
「ねえ、千枝。豪華賞品ってなんだろう?」
「乗っかってんじゃないの雪子」
順調? にテスト勉強も進み、一時間が過ぎた頃。
ついに陽介の不満が爆発した。
「あーもう無理、ダメだ。やる気出ねぇー」
「まーた始まったよ、花村の飽き性」
ブーたれた陽介が机に突っ伏す。
呆れた目でそれを見ながら言う千枝。
「だってよー、せっかくの勉強会なのに男子は男子、女子は女子の組み合わせなんて退屈すぎるだろ。チームの再編成を要求する! て事で、天城と霧城交代な!」
「うわー、結局それが狙いだったわけ?!」
「別に良いぞ。じゃあ天城交代しよう」
「うん、分かった」
「ちょっ……あんたらそれで言いわけ? 雪子まで」
「交互に教えれば、お互いに抜けてる箇所も教え合えるじゃない?」
千枝は陽介の意見に反対だったが、事の他大和と雪子はまんざらでも無いようで交代を受けた。
以外だった雪子に千枝が迫るが、雪子の言い分は正しく。陽介の狙いは全く違うのに、うまく言い返せないでいた。
自分の頭が良ければ。こういう時になって自分が馬鹿なのが悔やまれる、と内心穏やかじゃない千枝。雪子と大和が交代するということは、自分を教える人が大和に変わるということ。
正直、昨日の一件の所為で千枝は大和と言葉を全然交わしていない。
昨日の、鮫川での特訓。彼は意外や意外、思っていた以上に強かった。シャドウを相手に戦っていた自分を、まるで赤子のように扱い圧倒した。これによって、千枝の中での大和の印象がさらに一つ、謎の男が追加された。
負けた事は悔しくなかったと言えば嘘になる。だが、そこまででもなかった。これから強くなろうと特訓をしていたんだ、負けてもこれから勝てばいい。
その後の事のほうが千枝の、現在の行動の原因になっている。
自分の感情の吐露に対して、彼は魅力的だと……可愛いと言った。それだけでもう、千枝の脳細胞はオーバーヒートしそうだった。今まで男子にそんな事を言われたことが無かった千枝にとって、この言葉は何者よりも強い力の篭った言葉だった。
だからこそ、羞恥が大和を正面から見れなくした。話せなくした。だから交換は避けよう。
そんな千枝の一縷の望みを知ってか知らずか、叶うことなく、交換は成された。
「それじゃあ、始めよう。よろしく頼む里中」
「う、よ…よろしく」
「……? まあいい、それじゃあ数学からやろう」
大和監修の抗議が始まる。
陽介が異変を感じたのは、交換がされてから十分が過ぎた頃だった。
初めは天城との勉強に浮ついていたが、それ以上に自分の右側から漂う雰囲気を感じ、以降そっちが気になってしょうがなくなる。
ノートに書き込む手を休め、バレないように隣を見てみる。
「…………っ!?」
一目見て分かった。
直ちに隣の悠に肘を突いて合図する。
何事かと悠が陽介の方を見る。自ずと陽介が言わんとしている自体を目の当たりにする。
悠はすぐさま天城にウィンクで合図を送った。
(なんでウィンクなんだよっ!!)
隣に聞こえないように陽介が小さな声でツッコム。
何を勘違いしたのか、天城は赤くなっている。仕方ないので身振り手振りで天城に知らせる。
理解してくれたらしく、天城が窓際を見る。
(………………)
静止した。
天城が固まっていた。
視線の先では、大和が一方的に勉強を教え、その正面で両手を膝の上に付き、肩を縮ませ、顔を真っ赤にして俯いている千枝の姿があった。
衝撃だった。少なくとも陽介の中でこのような千枝の姿を見たのは初めての事だった。まさに青天の霹靂。しかも、それを転校して間もない大和を相手、というのも驚きだった。
(おいおいおい、いつから里中は乙女になったんだ? 驚きすぎて寿命が十年は縮んだぞ)
(霧城のおかげだろう)
(やっぱり鳴上もそう思うか。あいつ、いつの間に里中を口説いてたんだ?)
(わからない…、最近の霧城は忙しそうで会えないからな。……天城はどう思う?)
(千枝……、可愛い)
(……駄目だこりゃ)
ヒソヒソと三人が話している間、大和は努めて教える者としての役を全うしていた。
千枝の異変には気づいている。が、それを指摘するとおそらくまた千枝は狼狽えて混乱する。そうなると面倒だ。よって、自分で整理がつくまで放置することを決める。
いずれ元に戻る。それを信じて大和は続ける、教えることを。横の野次馬を無視して。
“ったく、聞こえてるっつーの!”
これが里中の耳に入ったら大変だ。
(えー! じゃあ、天城もなんとなくわかってたって訳?)
(うん、私、千枝の親友だもん)
(さすがだな、天城)
全く隠す気がなくなってきた三人。
ふと、赤面硬直の
段々と、考えるのがバカらしく感じてきた千枝は、いい加減自分の殻にこもるのはやめようと思った。これ以上こもっていても、せっかく善意で教えてくれる大和にも失礼だ。
意を決して羞恥を振り払い、千枝の意識が現世に再び帰還した時、
「マジかよ!? 里中と霧城って付き合ってたの?」
「………………なにそれ?」
「……げっ、さ、サトナカサン?」
自分でも思っていた以上にドスの効いた声が出たようだ。花村が怯えた表情でこっちを見ている。
それにしても体が熱い。熱でも出したのだろうかってぐらいに体が熱い。
もうこれは花村で発散するしか無いだろう、そうしよう。
ゆらりと千枝が立ち上がる、幽鬼のように。
花村は恐ろしさで動けない。自分はきっと助かるはず、そうこれはギャグ補正ってヤツが働くはず!
「悪いな、生憎ギャグ補正の野郎はベガスで休暇中だよ」
そう言い残して大和が去る。
触らぬ千枝に蹴りは無し、だ。同じくして、危険を察知した悠や雪子も離れていた。
「お、おい嘘だろ? 見捨てるつもりか!? なんだよベガスって、冗談言ってねえで助けてくれよ! お前の彼女だろー!」
「…………っ! かの……じょ」
「え? なに、今のが地雷だったわけ? 嘘だろー!? 俺がこんなオチなのは納得いかねー! ………………あああああぁあぁぁぁぁぁぁ!!」
最後に残されたのは、図書委員長に叱られ正座している四人の姿だった。
―――大和は逃げた。
ヒャッホォォおおおお千枝ちゃん最高!
正直、千枝ちゃんは序盤で勘違いさせて放置→悶える を楽しむのがいいと思うの。
そう思ってたらこんな千枝ちゃんになってた。
こんなの千枝じゃない! って方、異論は認める、すまない。