ペルソナ物語4~ポケットが真実でいっぱいいっぱい~   作:琥珀兎

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第二十三話:生ける炎

「大和くんっ……!!」

「先輩っ!」

 

 千枝とりせ、彼女ら二人が同時に絹を裂くような甲高い声で呼びかけたのは、呼びかけられた人物―――霧城大和がまるで時でも止まったかのように放心してしまったからだ。

 彼女らと共にこの久保美津雄の城であるボイドクエストに来ていた男性陣もまた、この唐突な異常事態を上手く飲み込むことが出来ていなかった。自分らが知る限りでは、およそ敗北や油断とい言葉が最も似合わない人物であっただけに、その衝撃は計り知れない。

 一分前、久保が居るだろうと踏んでいた部屋の扉を開き、大和が踏み入れた瞬間、彼の足はそこで留まった。何を思って踏みとどまったのかは、後方に控えていた全員がわからなかった。彼は、部屋の中央で己のシャドウに一方的に罵倒を浴びせ続ける久保を凝視するようにして、立ち止まったままだった。

 

「どうした霧城、なにかあったのか?」

「もしかして尿意でも襲って来たか? 生憎ここらへんにトイレは無かったぜ」

「そりゃあんたの方でしょうが花村。自分の経験をさも、正しかった、みたいに言うのはやめてよね」

 

 悠の問いかけにも、陽介の軽口にも、千枝の言葉にさえ大和は反応を示さずただその場に石造のように立ち尽くすばかりだった。

 傍から見ればそれは異様で、応答のない事に様子がおかしいと感じた三人は、それまで内心では引き締めつつも表情には出さずどこか余裕を醸し出していたが、一転して引き締まり状況が芳しくないと理解した。

 

「おい霧城っ、どうしたんだ!?」

「大和君……?」

「もうっ、先輩ったらこんな場面でふざけたら駄目ですよ? ……大和先輩?」

 

 悪い冗談ならよしてくれそう思う仲間達ではあったが、同時に冗談であって欲しいという願いもまたあった。大和の異常が彼本人による芝居であるならばそれに越したことはない。なぜならもし冗談であれば、彼自身に何らかの異常が発生したというわけではないと否定出来るからだ。

 しかし、いくら呼びかけようと、肩を掴み揺さぶっても大和は放心した状態から解ける様子が無かった。

 そうしている内に、部屋の主である久保美津雄が彼らの存在に気が付いた。

 

「なんだよ、お前ら!? どうやってここに……誰なんだよ!? 何やってんだよ!?」」

 

 もう一人の自分が形体化したシャドウに対する抗議のような罵声に疲れたのか、美津雄は肩を上下させながら大きく呼吸をしていた。余程頭に血が上っていたのか、彼の頬は上気している。

 美津雄の問いに、しかし大和の異変にここに辿り着くまでの結束が緩み一部が狼狽える、烏合の衆になりつつありまともに対応する人物が欠けていた。

 実行犯を前にしてなんという愚行だろうか、その愚かしさと迂闊さを呪ったのは、状況を冷静に見ていた鳴上悠と……一貫した鋼の意思をもっていた巽完二だけだった。二人は大和を心配しつつも、他の仲間達が彼らを診るだろうと信頼し敵を見やった。

 

「なんだよ、だぁ? ンなの決まってんだろテメェ!」

「久保美津雄、お前を捕まえに来た」

 

 そう立ち返って見れば、自分達は犯人逮捕という名目が切っ掛けとなって寄り集まった集団。なればこの場で久保美津雄を見す見す見逃すような愚行こそ、最も愚かしい。

 そんな二人を嘲るように見た美津雄の口角は、諧謔に吊り上っていた。

 

「はは……ハハハハッ! そうか、お前らが俺を捕まえに……そうだ、俺がやったんだ! 俺が……ニセモンが何を言おうと、俺がやったんだ! あいつらを、殺したんだっ!」

「野郎っ、ふざけやがってブン殴ってやるから覚悟しやがれっ!」

「まて完二、その前に聞きたい事がある」

 

 美津雄の態度、言動、その一挙手一投足が完二には気に障るのか、くぐもった笑い声を上げる美津雄に向かって殴りかかろうとするも、悠の伸ばした腕によって遮られた。

 後ろではいまだ回復の兆しを見せない大和に呼びかけ続ける千枝とりせ、そして回復魔法をかける雪子。どうすればいいのかわからず狼狽えるばかりのクマに、美津雄と悠達を視界にいれながら両方の状況を絶えず見つつどう判断するかを決めかねている陽介が悠の眼にはいった。

 大和は目の前の殺人犯を模倣犯だと断定していた、しかし、彼の気狂いを思わせる言動が悠の判断を鈍らせる。本当に彼が殺したのは諸岡だけなのだろうか……どちらにせよ捕まえるのは変わらないが、確認せずにはいられなかった。

 

「お前が殺したのか……?」

「は? そうだよ、俺がやったんだよ。二人じゃ誰も俺に見向きもしなかった……だから、だから三人目を殺してやったんだ! そうすれば俺に注目せずにはいられないだろ!?」

「ぐっ、こいつ……クサってやがる……っ!」

「山野アナも、小西早紀も本当にお前が……」

「だから、そうだって言ってるだろ! お前もこのニセモノみたいに違うって言うのかよ!? ははは、そうだお前なんか関係ない! 俺の前から消え失せろ!」

 

 淡々と語る悠に、痺れを切らしたのか短気を起こした美津雄はじれったそうに声を荒げた。罵倒は、彼の背後に向けられた。

 彼の背後に控える影は、何も言わずどこも見ていないような瞳を空洞な眼窩に嵌め呆けている。その不気味さに陽介が気が付き、思わず怖気を催した。

 

「お、おい相棒っ、こいつのシャドウなんかヤバいぞ!」

「ひょえ~、シャドウの密度が濃くなってるクマ~!」

 

 危険を感じ取ったクマが警告する。が、悠はまだ疑問を質問していない。確認を終えていない。一度湧きあがった疑念を取り払わなければ、前には進めないと思ったから。

 

「最後だ……どうしてここに居る完二を誘拐したんだ?」

「何言ってんだよ、お前」

 

 突然見当違いな事を言われた、そんな反応をしめした美津雄を悠は見逃さなかった。思惑通りの言葉に、思わず頬が緩む。やはり、大和の推理は間違ってはいなかった。巽完二の誘拐を知らない、という事は少なくともテレビの中に入れるとは知らなかったという事実に他ならないと悠は思ったからだ。

 傍から見れば単なる時間の無駄使いだろうが、悠にとってこれは必要な事だった。なによりも、彼が模倣犯だと推理した大和の異常を回復させる為には時間を稼がなくてはならなかった。

 

「こんな所まで追っかけてきやがって……お前らも殺してやる! まとめて全員殺してやる!」

 

 何を根拠に質問をしてきたのか理解できなかったのか、美津雄は激情した。

 その時、彼の身体全体から暗い闇が濛々と立ちこめるのを悠は見た。いや、正確には彼の背後……久保美津雄のシャドウから発せられていた。

 生命があるとは思えない無機質な声がポツリと漏れた。

 

「認めないんだね……僕を……」

「うっ、なんだ……これ…………」

 

 苦悶の表情で美津雄がその場に跪く。そして満を持してシャドウがその本性を現す。

 

 

 ※

 

 

『―――さて、それでは試練を再開しよう』

 

 そう告げたクトゥグアは己の炎の身体を捩り再び大和と瓜二つの姿を模った。

 試練と言うものが何を意味するのか、突然の降りかかる怒涛の出来事について行けない大和はそれよりも、なによりも知りたい事がある。

 

「試練ってのがなんなのかさえ、俺には全然わかんねえんだが、そろそろ教えてくれないか? 俺はなんなんだ? そのクトゥグアとかいうけったいなモンが俺なのか? なら俺は……」

 

 始めから人ですらなかった……その事実をまざまざと見せつけられ恐怖に体が底冷えした。

 これではこれから悠達とはまともな顔をして生活を送る事など、不可能ではないのか。いまの大和は自身を見失い不安定になっているが為に、弱気になっていた。

 

『ふむ、未だ記憶の補完がまともに出来ていないか……いや、これはあ奴の呪言が影響しているな』

「あ奴って……もしかしてイザナミの事を言ってんのか?」

『然様、イザナミの呪言によって汝は様々な不具合を起こしたのだ。だが、それが功を成し、こうして此処まで至る事が出来たのは汝にとっては幸運だろう』

 

 クトゥグアは大和の顔で不敵に笑った。自分に笑われるというのが、こんなにも苛立つものだと初めて知った大和は、もし己のシャドウが現れたならきっとすぐに受け入れる事は出来ないかもしれないと思った。

 考えてみれば何故イザナミに捕捉されたのか、何故それがクトゥグアのいう所の幸運に値するのか。次から次へと訳の分からないもったいぶった口ぶりに、これまで全能感に近いモノを感じていた大和の頭脳は働かず、まるで凡人レベルまで下がっているように感じていた。

 

「いちいちそれっぽい言葉でしゃべるなっ、説明する気があるなら俺にもわかりやすく話してくれ!」

『……よかろう。まずは、汝が勘違いしているであろう事実を糺し真実を伝えよう』

「……?」

 

 なにが勘違いをしているのだろうか? 事実と真実は何か違うのか? 大和は内心で思案するも、結論が出る前にクトゥグアが口を開いた。

 

『結論から申すと、汝は我ではあるが……決して我“だけ”で出来ているわけではない』

「だけで出来ている? そりゃ、どういうことだよ?」

『霧城大和という人物が都会とやらで昏睡しているのは、汝も知っておろう。この姿は何も、ただ参考にしたわけではないのだよ』

 

 自分と同一の顔をした者が植物状態である事は大和も知っている。クトゥグアは己の記憶を覗き見たのだろう。

 ここで大和はふと気になる言葉を耳にした。ただ参考にしたわけではない。そうクトゥグアは言っていた。

 

『間違いなく、汝は霧城大和に他ならない。これは断言しよう、虚言ではないと誓おう』

「……!? な、なら都会に居る俺はなんなんだよ!? ここに居る俺はお前なんだろ?」

『言ったであろう、我だけで出来ている存在ではないと』

「ちょ、ちょっと待て……頭ん中整理するから」

 

 重要な事を見落としている気がして、大和は手をかざして“待て”のジェスチャーをして思考を重ねる。

 都会に居るのは間違いなく『霧城大和』だ。これは間違いない。だけど、ココにいる自分もまた『霧城大和』だとクトゥグアは言った。これだけでは矛盾が生じている。同じ時間に、同時に二つの存在が同居していることになってしまう。

 “だけど、それだけじゃない。それだけだったら、そもそもクトゥグアの存在が説明つかない!”

 そう、間違いなくクトゥグアという存在はここに居る。間違いなくコレは自分の中に息づいている。それは、自分が人外だという証明。そこで、大和はあるクトゥグアの言葉を思い出す。

 

『決して我“だけ”で“出来ている”わけではない』

 

 出来ているという言葉が、そもそもおかしいのだ。

 そこから考えられるのは……。

 

「俺は……霧城大和の空蝉か、それに近い何かか?」

『如何にも、推察の通り……。汝は霧城大和の外殻を模った空蝉であり、我という存在の一部を注がれるための器である』

 

 これを絶望と言わずして、なんと言おうか。

 今すぐにでも世界を呪いたくなり、大和はその場に崩れ落ちた。

 人ではない。魔性の類でもない。自分は単なる代替品。ただ液体を満たすだけの杯なのだ。いつかは消える、人よりも脆く、魔性よりも存在意義を示せない存在。朧のようなもの。

 

「なんだよ……それじゃあ結局、俺は誰でもないって事じゃないか……」

 

 打ちひしがれたように声を漏らす大和だったが、クトゥグアはそれを一笑した。

 

『勘違いをするな、汝は間違いなく霧城大和本人だ』

「……はっ?」

『一から説明するより視せる方が早いようだな……』

「何言ってんだお前―――っ!?」

 

 突如、大和の視界が再び暗闇に覆われる。驚愕する間もなく、暗闇は別の映像を映し出した。

 それは記憶の映像。回顧録。過去の振り返り。時間を遡行した出来事。

 場所はとある都会。大和にも見覚えのある都会の風景。ちぐはぐで穴だらけの記憶にあった、この町に越してくる前の居場所。

 交差点を歩く過去の大和が、なんの前触れもなく交通事故に遭う光景だった。ものすごい速度で走るトラックに撥ねられ、ボロ雑巾のようになった大和はそのまま病院に搬送された。

 医師の手を尽くしても、一命を取り留めたが意識までは蘇らなかった。しかし、大和は眠り続ける夢の中で、ある邂逅を果たした。人など一瞬で塵も残さず、街を焦土にしてしまうだろう熱量を持った生ける炎―――クトゥグアとの邂逅だった。

 

『これは、珍しい出会いもあったものだ。我を呼び出すこともなく、人とあいまみえるとはな』

 

 炎が口をきいた。この事実に、本来なら驚くべきなのだろうが、不思議と大和は驚きを見せなかった。永い間、眠りについていた事が原因となっているのか、元の性格もあり彼はあらゆることに無感動になっていた。

 諦観した眼差しを向け押し黙る大和に構わずクトゥグアは話を続ける。

 

『これも縁というものか、ちょうどいい……御主、健常な身体が欲しくはないか?』

「……別に、欲しいとは思わない。どうせ回復したところで、俺を歓迎するような奴は一人もいやしないからな」

『ほう、我を恐れず驚いた様子も見せないとは、余程この世に未練が無いとうかがえる。しかもその諦念、なるほど我が引き寄せられるわけだ合点がいった。その観念、気に入った』

 

 表情など炎の身であるクトゥグアには無い筈なのに、大和には関心した様子なのだろうと、感覚的に感じた。

 夢にしては現実味のある、しかし自分に甘言を申しているのが空想上の邪神だという事が、これは夢なのだろうと彼に判断させた。たとえこれが現実の出来事であろうと、大和は一言一句違えず同じことを言っただろう。

 高校入学から一週間というもっとも友人を作るのに重要なスタートから転げ落ちた大和は、この時点で高校時代もまた簡素な生活を余儀なくされるだろうと予感していた。昔からあらゆることに興味を持ち熱中する性質であった彼であるが、その反面ものすごく冷めやすい性分であった。人間社会に無理して溶け込んでいる自分を、どこか他人事のように俯瞰して見下ろすもう一人の自分がいるのを感じていた。

 だからだろうか、彼は対外的に見て友人と呼称する人物と会話をし、愛想笑いを浮かべるのを酷く嫌悪した。吐き気を催す程の行為。なのにそれを廃することが出来ないのは、彼が人間関係の不和は人生の転落に繋がると理解していたからだ。

 両親のいない孤児である大和はそれだけでハンデを背負っている。これ以上の負荷を自分から進んで担ぐ事は望まなかった。だから、笑顔の裏で苦渋に満ちた顔をしつづけた。いつまでも続くこの二律背反は、やがて彼を疲弊させ、精神を摩耗させるには十分の摩擦を持っていた。

 こうして形成されたのが、現在のあらゆることを放棄した霧城大和である。

 クトゥグアが気に入ったのは、こういった大和の“何もかもを見限り、諦めた様に装う欺瞞”だろう。しかもただそれを好んで装うのではなく、生来、決して一度も意識せずに此処まで至ったという点。

 だからこそ異形の炎は、その自在な炎を火花のように迸らせ人間の感情を真似、歓喜を表現する。

 

『御主のその態度、我は歓迎しよう。それでこそ我の“試練”を与えるに相応しい人格を有している』

「……試練?」

『如何にも。御主には我の下す試練の対象に選ばれた。見事この試練を乗り越えれば、晴れて御主はこの不自由な体から解放されるであろう』

「俺は望んでないと、さっき言ったはずだ」

 

 意に沿わぬ流れに眉根を寄せ不満を漏らす大和。

 自由など必要ではなく、このまま夢の中で無限を彷徨う事を選んだにも拘らず、クトゥグアは自由を与えると言った。それは大和の答えではない。

 だけど、いや、だからこそクトゥグアはさらに己の炎を火花のように散らせる。それがどんな意味を持っているのか、大和にはわからない。

 

『我がいつ御主の要望に応えると申した。人の意思を反映させたいのであれば、正式に言を繰り喚びだすのだな。勘違いをするな、選定するのは我であって御主ではない』

「…………ガスの集合体みたいなクセして、偉そうな奴だ」

『何とでも言うがいい。放棄を装い無感であろうとするなら、我は御主に自由になる仮の身体を与えよう。無論、期限付きのだ』

 

 悪態を吐く大和に気にした様子も無く、クトゥグアは宣言した、彼が求め望むものとは真逆の、決して歓迎できない方を。その後、己の炎を大和の身体に向けた。

 突然の強襲に、僅かに驚き目を見開いた大和だが、声を上げる間もなく炎は全身を隈なく襲い掛かった。

 

「……!? 熱く、ない?」

『この試みが上手く行けば、あの矛盾を謳う輩を焼き尽くすまでの暇つぶしになろう』

 

 誰に向けるわけでもないクトゥグアの独白は、大和にまで届かなかった。

 大和を襲ったクトゥグアの炎は熱を持たず、まるで雲を触れる事が出来たならこんなであろうという、言葉にし難い感触と温度だった。

 

『ふむ、これで御主の意識を受ける器は完成した。後は、その意識を不自由な体から移し替えるだけだ』

「器……? 移し替える、意識を?」

『我の力で元の御主と寸分違わぬ形状の器に、御主の意識を移す。いわば、この肉体を一時的に捨て、新たな健常な肉体に移るという事だ。人間社会に例えれば、PC内のハードディスクを一時的に外付けハードディスクに移すようなモノだ』

「随分と俗っぽい邪神も居たもんだな」

『長年観察のみをし続ければこうもなるものだ。それでは―――試練を始めよう』

 

 その瞬間、大和の意識が夢から遠ざかるのを感じた。それは夢の目覚めに近い感覚で、久しく感じていないものだった。

 今更抵抗の意思を示したところで、この邪神は聞く耳を持たないだろう。それは大和も理解したが、まだ一つだけ腑に落ちない点が彼の中に残っていた。

 このままどことも知れぬ場所に飛ばされる前に、思い切って大和は久し振りに声を張って問いかけた。

 

「おい! 試練ってのはどんな内容なんだよ!?」

『至極簡単なものだ、これ以上ないくらいにな。―――己が存在意義を自覚し、証明せよ』

「なんだそれ、抽象的すぎる!」

『他の回答方法を我は知らぬ。それほど考える必要もない、乗り越えれば自由、それが出来なければ死を迎える……ただそれだけの事だ』

「なっ!?」

 

 この土壇場で突きつけられたのは、暫定的な死刑宣告。

 試練を乗り越えれば生を獲得し、失敗すれば死。クトゥグアにとってそれは秤にかけるに相応しい等価なのだろう。元々死を感受しようとしていた大和であったが、それはいつ死ぬかわからないという不鮮明な生があったからである。だが、こうも明確に死を提示されては、その主義も脆く崩れてしまう。

 ようやく大和にやる気がわいた瞬間であった。内容がわかっているなら、後はひたすら目的に向かって突き進めばいい。

 いよいよ意識が途切れるという時、クトゥグアが「そう言えば」と補足した。

 

『期限は御主が目覚めた年明け前頃。仮の肉体とはいえ本体はこの場にある為、試練の地は我が選定した場所で……衣食住を獲得するまでは、御主の器に我の一部を“混ぜる”ので一時的に我が肉体を操ろう。何か質問はあるか?』

「ない。ようは意識が戻ったら試練を乗り越える為に奮闘しろという事だろ」

『言っておくが、御主がコレを自覚するのは、ある一定の時が経ち尚且つ己を自覚した時だ。それまで御主はただの一個の霧城大和として、何の疑問も持たずに生活を送るだろう。それでは御主―――いや、汝の幸運を祈ろう』

 

 クトゥグアの言い分では、最悪大和は自覚しないままに試練の期限を迎え死を迎えるだろう。

 必ずしも条件の良い話ではないのは、彼が邪神と呼ばれる所以だろうか。薄れゆく意識の中、大和は炎の煌めきを眩しく思い、瞼を細め流れに身を任せた。

 

「……なんでそんな肝心な事を最後に……やっぱり邪神ってのは文字通り(よこしま)な神だ」

 

 悪態を最後に、意識の遡行が終わり、現在に戻ってきた大和は嘆息した。

 イゴールが言っていた運命が閉じる日というのは、このクトゥグアの提示した期限でもあるのだろう。大元を辿って戻れば、全ての始まりはクトゥグアであるが、この身体になってからの切っ掛けを与えてくれたのはイザナミであったのだろう。でなければきっと、大和は捻くれた根暗のままで、里中千枝を好きになる事もなければ、久慈川りせを愛しく思う事もなく、ましては鳴上悠と本当の意味で友人と呼べる間柄とはならなかっただろう。

 

「イザナミを恨む気持ちは変わらないが、今だけは多少なり感謝するべきか……」

『土地神の接触は我も予想外の事であった、まさかあのような滑稽な行動をとっているとは思ってもみなかったのでな』

 

 イザナミが何の目的であの時ガソリンスタンドの店員に扮していたのかはわからないが、それが大和にペルソナを発現させる切っ掛けとなり、今と言う状況を迎える原因になっていた。

 

「なぁ、そういえば俺のこの肉体とか諸々の強化ってのはなんなんだ? この身体の製作者ならわかるだろ?」

『それはイザナミの施した我に対する枷であろう』

「枷? なんでアメノサギリも似たような事言ってたけど、なんで強化が枷に繋がるんだよ」

 

 本来、枷という言葉の意味を考えれば不自由なイメージを連想するが、しかし大和の超常的な身体能力や思考力はその真逆であろう。なのにクトゥグアはあえて枷と言った。

 以前、アメノサギリが封印と言っていた時にも同じような事を考えていたが、結局答えは出ず仕舞いだった。が、今はそれがわかる。

 

『汝の力は、我を表に出さぬようにと土地神が施したものだ。本来、汝にあれほどの力など必要なかったのだが、我という存在を必要としないレベルの力を与える事で意識を逸らそうと企てたのだろう。

 我自体を封じるなど、あ奴程度では不可能であるから、それが精一杯であったのだろう。現に我はそれまで表に出る事が叶わなかったわけだ。』

「俺の身体自体を強化する事で、クトゥグアを必要としないレベルに……ってのはあれか、ちょっと高くて美味い店でたらふく食わせたら、本当に高級な店には行きたくなくなる……みたいなもんだと思っていいのか?」

『随分な曲解ではあるが、概ね間違ってはいない。あ奴の誤算はその力に辟易し、枷の上から呪言を重ね掛けしたことであろう。お陰で我と汝のバイパスが予想よりも早く繋がった』

「ややこしいな、あっちがあったからこっちが立って、逆もしかりって……」

 

 様々な要因が交差して出来上がった今であるが、その複雑さに顔を顰めた大和は考えるのを放棄した。

 しかし、これでこれまでの疑問が粗方解けた。

 黄泉の坂道で出会った時、イザナミが大和の力に干渉出来ないと言ったが、それは干渉する必要が無いという事だったのだ。与えたのは力ではなく枷、武器ではなく拘束具。

 また、今の大和が空蝉であり器であるのが分かり、中を満たしているのが大和の意識とクトゥグアの一部が“混ざっている”という事は、マーガレットが言っていたのはそのことだろう。次々と疑問に説明がつくのに、大和はある種の爽快感を覚えた。

 ただ、試練の正確な合格基準と、イゴールの自分を呼ぶときの呼称“嘯く者”というのがわからない。

 この際ついでに尋ねようと思った大和だったが、それは寸での所で留まった。いくら自分と同一になっているとはいえ、元は邪神と畏怖される存在。信頼や信用を懐くには不安しかないのも事実。全面的な協力をしてくれるわけでもなく、クトゥグアはただ試練の説明の為に彼の記憶を糺しただけ。

 勘違いをしてはいけない。この生ける炎は人間の身体を持っていた頃の大和の要望など一つも聞かず、ただ思うがままに、火の如く侵略し蹂躙し、死のゲームを始めたのだ。

 ―――欠片も信じられはしない。

 

『これで我の役割は終えた……次に会いまみえるのは、試練の期限が満了した時であろう』

「…………」

『我の目覚めによって汝にかけられた枷の半分以上が解かれた、これによって汝はまた選択する範囲が広がるだろう……しかし呪言を解くつもりは無い。これは試練に相応しい足枷だ』

「ってことは……超人から天才ぐらいまで下がるってことか」

 

 あくまで人間が実現可能なレベルの身体能力と、秀才と言われるぐらいにはある頭脳にまで身体は減退する。それはこの力を努力を“奪われた”と思っていた大和からすれば喜ばしく、しかし、試練を思い出した今となっては惜しい気持ちも幾ばくか持っていた。

 大和の姿を模したクトゥグア身体が薄れていく。同時に、大和自身の身体も薄れていくのを感じた。

 目覚めが近いのだろう。元の世界に戻れば、恐らくは戦闘中であろう。自分がどんな状態でいるのかわからないだけあり、思い出した瞬間大和の心を支配したのは焦燥感だった。

 どんな敵なのかわからないが、苦戦を強いられていたら……守るといった手前、すぐにこんな事になっては情けなくてしょうがない。

 

「おい、話はわかったからさっさと俺を元の世界に戻しやがれ!」

『……よかろう、では汝の意識を覚醒させる。忘れるな、試練はようやく始まったといっても過言ではない、精々―――己が存在意義を証明せよ』

 

 白んでいく意識の中、遠雷のようなクトゥグアの言葉がやけに頭に残った。

 

 

 ※

 

 

 目覚めた。そう自覚して目を瞬いた瞬間、視界に映った光景は仲間達が勇者のドット絵みたいな奴に猛烈な猛攻をし続けるという、戦闘中のものだった。

 はっとなって身体を確認すると、そこには俺の腕を抱きながら敵の解析をし続けるりせと、暇さえあれば回復や状態異常解除の魔法をかける天城が傍らに立っていた。

 

「お前ら……」

 

 俺の事を守って……。くそ、これじゃあ完全に役割が逆転しちまってるじゃねえか。

 

「霧城君!? よかった、気が付いたんだね!」

「大和さん! どこも痛くない? おかしな所は……見当たらない……よかったぁ」

「りせ、天城……苦労を掛けた、もう大丈夫だ何ともない」

 

 感覚で力が落ちているのはわかったが、それはイザナミの枷が半分以上外れた結果だろう。

 力が無いというのはそれだけで死に近くなるが、俺はそれ以上にやはり嬉しかった。あんな力、あっても戦いにしか使わない。なくたって困らない。いま欲しいのは、俺が俺だという証明だ。

 縋りつき涙目になっているりせから体を離し、久保のシャドウが暴走した結果であろう敵に近づく。

 

「き、霧城先輩っ!? 無事なんスか!?」

「問題ない。ちょいと自分を再確認してただけだ」

「霧城っ、もう良いのか!?」

「花村、俺よりも前を見た方が良いぞ」

「うおっ! あっぶねぇ……サンキュー霧城!」

 

 完二の戦闘能力は問題ないが、花村は未だに油断する癖があるな……いまのは原因の大半が俺だと思うが。

 俺が回復したのに気が付いた花村と完二の声に気が付いたのか、久保のシャドウにトモエをけしかけ、自分もまた具足をつけた俺直伝の蹴り技を繰り出していた千枝と、キントキドウジを操って敵を翻弄していたクマ之介が俺に視線を向けてきた。

 

「大和……くん?」

「およよ~! ヤマト気が付いたクマね!? 安心したクマ~!」

「迷惑かけたなクマ之介、それに……頑張ったな千枝、もう大丈夫だ。お前は俺が絶対に守ってやる」

 

 良く見れば千枝の身体にはいくつもの小さいながら傷が沢山ついていた。余程苦戦したのだろう。

 戦線から千枝を抱き上げいったん距離を取る。

 

「きゃっ、や、大和くん!? 本当にもう大丈夫なの?」

「ああ、大丈夫だ。お前を指導している俺が、そう簡単にやられると思うか?」

「それは、思わない……けど、この態勢は……?」

 

 胸の中で小さく縮こまった千枝は、盗み見るように上目使いで俺の表情を窺ってくる。

 だけど、見返すことなく俺は近くに居たクマ之介や完二に花村を目配せで集合させる。……あれ? そういえば、一人重要な役割であるリーダーが見当たらない。

 横抱きしていた千枝を降ろし、フロアを隈なく見回すが、どうしても鳴上の姿が見当たらない。どういうことだ?

 

「なぁ、鳴上はどこに行ったんだ?」

「鳴上君は……シャドウに……」

 

 神妙な面持ちで千枝が顔を伏せた。まさか、敵にやられて? でもそれならどこかに鳴上が倒れていてもおかしくない。

 

「シャドウに、どうなったんだ千枝!?」

「―――あの鎧の中に居る本体のシャドウに、飲み込まれちまったんだ」

「……花村」

「すまねぇ霧城、俺達が油断しなけりゃ……こんな事にはっ!」

 

 悔しそうに歯痒い思いをしているだろう花村は拳を強く握りしめるが、責められるのは俺の方だろう。電話越しで俺はあいつに守ると言ったんだ。なのに、肝心な時に俺はわけ分かんない所で意識下で自分と呑気に会話なんてしてたんだ。

 

「お前は悪くねぇ……待ってろ、とにかく鳴上を助ける為にまずお前たちを回復させる。もう天城は俺に回復を費やしてくれたせいで、気力が底ついちまってる」

 

 横目に天城の様子を見ると、彼女は疲労が限界まで来たのか離れた位置で座り込んでしまっている。なのに、彼女の瞳は未だ闘争の色が褪せていない。体力が戻り次第また先頭に参加する、そんな意思を感じる。

 だけど、天城の出番はもう無いだろう。鳴上が囚われた以上、迅速に事を解決させなくちゃ駄目だ。

 

「万象悉く、見せつけろトコタチ……!」

 

   《メディアラハン》

 

 召喚したトコタチが能面を嵌め、癒しの魔法を仲間全体にかけた。目立つ傷は悉く、この魔法によって快癒した。

 そして、すぐさま俺は、新しく増えた仮面がトコタチに付いているのを確認すると、それを嵌めるべく言葉を告げる前に、花村に声をかけた。

 

「さっき見ていた感じじゃ、あれは鎧で、お前が言うように中に本体が居るんだな?」

「あ、そうだけど、あの鎧思った以上に固いんだよ。お陰で今の今まで苦戦してたんだ」

「あたしの蹴りもあんまり効かないし、トモエのブフーラでも変な壁のせいで手が出せないの」

「りせが言うには、ある程度ダメージを与えりゃ鎧は解けるって話っスけど……」

「けど、人手が足りない……というわけか」

 

 なら俺が増えた事でその問題も解消できる。

 

「《チェンジ》」

 

 トコタチの仮面を能面から別の、女系から獅子頭に付け替える。これによってトコタチは回復特化から補助特化に特性が変わる。

 いつ敵が反撃してくるかわからないので、すぐさまそのまま俺はみんなに補助魔法を付与する。

 

   《ヒートライザ》

 

「これで皆の能力が強化された筈だ、各自散開して波状に攻撃をし続けてくれ、ある程度削れたら鳴上を助ける準備をして待て。俺が大技ブチかまして一気に鎧をはぎ取る!」

「しゃあ! わかった、そんじゃあ行くぜ完二!」

「うっス! あざっス霧城先輩!」

「いくよクマ!」

「ぬおおー! みなぎってきたクマー!」

 

 花村が完二と、千枝がクマ之介と共に突貫した。

 敵との距離をある程度狭めたら、同時に二手に分かれ、各々が一番得意とする技で嵐のような連続攻撃を浴びせる。

 りせの見た通り、敵は攻撃を喰らう度に四角形のブロックが一つづつ失われていった。勇者の出で立ちをしていた古臭いドットのような鎧は、次々と無くなっていく。こうしてみると、とてもあっさりと事が進んでいくのを感じる。どうしてさっきまで苦戦していたのか、不思議なくらいに。

 きっと指揮官である鳴上が居なくなったのが痛手となったのだろう。これまで鳴上の的確な指示があったからこそ、常にどんな強敵でも善戦してきたのだ。

 鳴上悠がどれほど有能なのかと同時に、どれほど彼に依存していたのかがまざまざとわかった瞬間だった。

 

「大和先輩! そろそろ敵の本体が視えてきたよ!」

 

 後方から敵を解析していたりせから声が掛かった。

 敵の鎧はもう頭を失い、代わりに天使の輪のようなものが見えていた。ただ、天使の輪と少し違うのは、光輪ではなく文字化けした文字が輪となっているという所だ。これも、久保の人間性が出た結果なんだろうか。

 シャドウはただやられるわけもなく、攻撃の隙を見ては反撃をしてきた。

 

   《デビルスマイル》

 

「きゃあっ!」

「恐怖!? 大和先輩っ、お願い!」

「千枝―――《チェンジ》!」

 

   《メパトラ》

 

 攻撃をくらった瞬間、千枝の顔色が青白くなり恐怖に慄いたような表情をしていたが、すぐにりせの助言が飛び状態異常を治療した。

 今は攻撃の手を休めてはいけない。物量で押せるならそれに越したことは無い。

 完二のペルソナが手に持った雷のシンボルを振り回し、時に《ジオンガ》をくりだす。発動後の隙を、花村が攻撃する事で補う。

 そして、いよいよ鎧は上半身を失い、俺は初めて本体を目にした。

 

「……赤ん坊?」

 

 異様に大きなサイズの赤ん坊だった。だけど、赤ん坊にしては目が異様で、見た目とのギャップで悍ましさを増していた。

 でも、俺に混じっている邪神に比べたら恐怖するほどのものじゃない。

 

「ヤマトー! 鎧もあとちょっとクマー! 後はお願いクマ!」

「任せろクマ之介、その作りモンみたいな目ん玉で刮目してな!」

 

 仲間達がオフェンスを務めている間、俺は自分の中にあるもう一人の仮面を呼び起こす為のコツを探っていた。

 トコタチには新しい仮面が増えていた。それはこれまであった日本伝統の能面ではなく、異形の、言葉にするには的確なものがない程、これまで見た事のない仮面が。それはきっと、さっきまで対峙していたあいつを喚ぶための仮面だろう。

 それがどういう物なのか、精神を集中して探ると、なるほど身の毛がよだつほど凶悪な破壊力を持っている事はわかった。でも、未だイザナミの枷は半分程度残ってるから、それも半減するだろう。

 

「―――さがれ!」

 

 万全を持して注意を呼びかける。何処まで被害が及ぶのかわからないからだ。

 そして俺は名を告げる。我の名を……汝の名を―――!

 

「万象悉く、灰燼と化せ―――クトゥグア!」

 

 トコタチが呼応して仮面を嵌める。その瞬間、爆ぜるような閃光が奔り姿形全てが炎と化した。

 俺のイメージに同調しているのか、クトゥグアはトコタチの形のままだった。ただ、その炎は間違いなくクトゥグアのものだ。絶えず生きているかのように揺らぎ、とどまることなく色鮮やかに変化し続ける炎は間違いなく超高温の熱量を持っているだろう。

 

「んなっ、お前も他のペルソナ持ってんのかよ霧城っ」

 

 持ってたんじゃない、これが今の俺そのものなんだ。

 霧城大和が植物状態から解放されるために拵えた器でしかない俺と、それを持ちかけたクトゥグアの一部が一体となった人ならざる者に許された力だ。

 不安定にノッキングするクトゥグアの炎が迸り、辺りに飛び火する。まずい、このままじゃ敵以外にも被害が及んでしまう。誤って隅で昏倒している久保に当たったら、ひとたまりもない。

 アレを使うか? でも、多用すれば恐らく俺は……。

 ―――悩んでる暇はない!

 危険なのは久保だけじゃない。千枝達はおろか、遠くに控える天城とりせにだって飛び火しない保証はないんだ。

 

 ―――言葉を紡ぐ。

 ―――音は旋律となり、他を戦慄させる。

 ―――旋律が言の葉となり、力が宿る。

 ―――力に意思を重ね、世界の理を塗りつぶす。

 

「《“大言創語”―――この場、この時のみ炎は幻となり敵と認識した者にのみ実体と化す》」

 

 常識を覆す。常理を並べ替える。常経を打ち砕く。常道を変更する。

 世界というキャンパスに、様々な色が乗せられた紙に、バケツに入った不条理を浴びせ蹂躙する。今この時、この瞬間、この場でのみ通る道理が完成した。

 炎など俺が敵と認めた者以外には幻だと、けして触れられず、朧のように不鮮明なものであると嘯いた。

 

「なにこれ? 先輩のペルソナが急に解らなくなった、どういうこと?!」

「うわっ! 火がコッチにってぅわっちゃ! ……あれ、熱くない?」

「大和君……これって、一体……なんなの」

「クマの、クマの自慢の毛並がチリチリに~……なってないクマ」

「なんだかよくわかんねぇけど、この炎、触ってのアツくねぇぞ。いったいどうなってんスか?」

 

 各方面から寄せられた疑問を黙殺する。

 こうしている内にも敵の鎧が再び形成され始めるんだ。時間をくれてやるわけにはいかない。けど、初めて喚んでわかったが、これは鎧が完成した状態でも余裕かもしれない。

 いや、油断しちゃ駄目だ。鳴上の無事が掛かってるんだ。

 手を翳し、しっかりと標的を見定める。そして、出し惜しみせず最大の攻撃を繰り出した。

 

   《フォウマルハウト》

 

 変化は大々的だった。

 発動した瞬間、クトゥグア自体が爆散し辺り一面が余すことなく火の海に沈み、それらが一気に敵に向かって収束し、瞬く間に恒星の如き輝きと共に爆裂した。それは星の最期を迎えた時のような、人間が認識するスケールに押し込めるのも烏滸がましい強大さだった。

 爆発の影響で暫く音が死滅し、惨状とは真逆の静寂が支配した場に俺は立ち尽くす。他の皆は、当然大言創語によって無傷だ。というか、完全にオーバーキルだろこれ。知能が著しく下がったから、これがどれほどの威力なのかいまいち分からなかったのが原因だ。

 束の間、放心していると急に激しい脱力感が襲って来た。一人で立つのすら困難な程の、今までじゃ考えられないほどの疲労だ。絶えられずその場に崩れ落ちる。

 

「……っ大和君!」

 

 ふわりと千枝が後ろから支えてくれた。こんな時だというのに、俺の嗅覚は千枝から仄かに香るシャンプーと汗が混じった匂いを感知し、鼻腔をくすぐった。

 

「スマン千枝、助かった」

「ううん、気にしないで。それより、これ……ヤバくない?」

 

 ああ、明らかにヤバい。けど大丈夫だろう。鳴上は敵じゃないからあの技の餌食にはなって無い筈。

 その証拠に、砂煙が止み視界が良好になった時、敵がいた位置にはなんとなしに鳴上が立っていた。

 

「…………ここは……っ!? 霧城、みんな」

「うおぉ~、あいぼ~う! よかったぁ! 無事だったんだなっ」

「センセ~イ! どっか痛い所あるクマか? あったらクマが治してあげるクマ!」

 

 状況が把握できていないんだろう、鳴上は呆けた様子で花村やクマ達の抱擁を受け入れていた。

 

「く、クマに花村っ苦しい、一体何が、起きたんだ? 確か俺は、あのシャドウに首を……ぺルソナも……」

「シャドウに囚われてたんだよ相棒は。それを、霧城のとんでもねぇ技でシャドウごと塵にしちまったんだよ。しかも、お前と一緒で一つ以上もペルソナ持ってんの隠してたんだぜ。ったく羨ましいぜ」

「一つ以上の、ペルソナ? 霧城が……?」

 

 花村の乱暴な発言に瞠若し、鳴上がこちらを見やった。言っとくけど、隠してたわけじゃないからな。俺だって今日になって初めて知ったんだから。

 言い訳を言葉にするのもしんどくて、仕方なく俺は篭手で地面をテンポよく叩き、音で鳴上に伝える。

 

「そうか、わかった」

「へっ、何がわかったんスか先輩?」

「いや何でもない」

 

 意思疎通はちゃんと出来たようだ。得心いった顔で頷き、鳴上は久保が倒れている方へと向かって行った。犯人逮捕は、リーダーの役割だしな。

 久保のシャドウは跡形もなく消え去ってしまった。それ故に、対を成す久保美津雄本人は己を受け入れる選択すら、失ってしまった。

 ふと、背後からこちらに迫り来る足音が聞こえてきた。多分りせと天城だろう。

 

「大和先輩っ大丈夫!?」

「りせちゃん、なんだか大和君糸が切れたように体に力が入ってないの。起こすの手伝ってくれない?」

「わかった、さぁ先輩りせの肩につかまって……」

 

 千枝とりせの二人に両側から肩にかかってようやく立てるようになった。が、一度肩から離れればあっという間にまたもや崩れ落ちてしまう。それほどあの技は精神力を消費するということなんだろう。

 辛うじて残った体力で、掠れるような小さな声を発する。

 

「すまん、もう限界だから……後は頼んだ……千枝……」

「任せて大和君、ちゃんと最後まで送り届けるからっ!」

「ちょっと大和先輩!? どうして私の名前は呼んでくれないんですかぁ!?」

 

 りせ……って言おうとした瞬間、限界が来たんだよ。許してくれ。あと千枝、りせから顔を逸らしてるけど俺には丸見えだぞ。緩み過ぎたろ表情。

 不平を訴えるりせの声が耳朶を震わせているのを感じながら、薄れゆく意識の中、俺はクトゥグアとの会話を思い出していた。

 

『存在意義の証明をせよ―――』

 

 そんなの、どう証明すれば……いいんだよ。

 

 

 ※

 

 

 ――――○○総合病院――――

 

 都会の一角に建つ病院では、毎日変わらず患者は減らず訪れる。

 病院からすれば患者が多い方がいいが、一部の医者からすれば、それはけが人や病人が絶えないという証拠であり、人がどれほど脆い存在なのかが否が応でも理解してしまう。

 日中は看護師や医療器具を乗せたカートがリノリウムの廊下を走る。

 その日、入って三日目の新人看護師は昨日と変わらず、忙しなく廊下を行き来していた。新人である内は、足を動かし、寝る間も惜しんで経験を積み、知識と小技を盗むのが仕事だと自負していた。

 でなければこの病院ではあっという間に自分みたいな新人ははじかれてしまう。念願の看護師に、しかも都会でも有数の大病院に勤務しているのだ。石に齧りついてでも彼女はここを離れまいと努力していた。

 そんな、未だこの病院内に見た事もない場所が複数ある彼女は、先輩看護師と共にまたも初めての病室に向かっていた。

 

「先輩、つかぬ事を訊きますが……これから向かう患者さんはどういった、アレなんですか?」

「アレと濁さずにハッキリ病状と言いなさい。変に気を使うのは、あなたの悪い癖よ。逆効果です」

 

 バッサリと彼女の難点を指摘した先輩看護師は歩みを緩めることなく、鉄でも通ってるのかのような真っ直ぐと伸びた背筋のまま歩を進める。

 新人看護師ははっとなってすぐさま声を張った。

 

「す、すいませんでした! それで、患者さんの病状は一体?」

「……所謂、植物状態よ。しかも、まだ十台で」

「それって、もしかして一年以上前から眠ったままの?」

 

 思い当たる候補が一つだけ彼女にはあった。ここに入って初日に、ナースセンターでしていた会話を聞き入れた時に似たような話があったのを覚えていた。

 曰く、もう一年以上眠ったままの少年。

 曰く、天涯孤独の孤児である。

 曰く、夜中の二時ちょうどになると歩きはじめる等々。

 三つ目は流石に怪談話だろうと、新人の彼女にもすぐに分かった。

 彼女の予想は間違っておらず、先輩看護師は声にせず首肯した。

 

「孤児だから、最初は入院治療費はどうなるかと思ってたけど、加害者の人が全額払い続けてるのよ」

「それで、一年以上も……」

 

 孤児という時点で彼女にもそれは想像できた。病院は慈善事業で成り立っているわけではない。人を治療し救うというのを生業にしてはいるが、それにはそれ相応の通貨が掛かるのがこの世の常である。だから、支払能力が低い十台で、しかも孤児となれば治療費はおろか入院費すら危ういと思われた。

 だが幸か不幸か、彼を撥ねた加害者は裕福な人物で、今も続けてずっと支払い続けている。

 その額が一体どれほどのものなのか、新人である彼女には知る由もない。

 そうしているうちに、彼女らは目的の病室に到着した。

 中に入るとそこは個室で、中央に鎮座するベッドに仰臥し眠り続ける少年がいた。

 

「この子が……」

「ええ……霧城大和くん。もうずっと眠り続けてる子よ」

 

 新人看護師は好奇心から眠る大和の顔を窺った。

 眠り続けているにも関わらず生気を感じさせない石膏像のような顔色と、その丹精な顔立ちに、不思議と彼女は目を捕らわれた。

 生きているのに、死んだように眠る。その矛盾が、この言いようのない魅力を醸し出しているのだろうか。

 誘蛾灯に群がる羽虫のようにふらふらと彼に近づきそうになるのを、持ち前の鉄の理性で押しとどめた。

 これは危険だ、と咄嗟に彼女は理解した。これは“死”の香りを放っている。そう理解して、彼女は即座に意思が潰されない内に大和から距離を取った。

 

「先輩……この患者さん、本当に生きてるんですか?」

「何言ってるの、当たり前じゃない。ちゃんとバイタルは安定してるでしょ」

「ですけど……なんか、顔色が……」

「ああ、そう言えば一回だけ目覚めそうな時があったわね」

 

 先輩看護師は懐かしむように、しかし惜しい気持ちが表情に現れており、新人看護師は彼女が恐らくその場にいたのだろうと推測した。

 

「今年の四月頃なんだけどね。ホント、あと少しでもしかしたらって所まで来てたのに……瞼も開いてたのに、なんだか突然気絶したように閉じちゃって。なんだったのかしらアレ、結局検査してもなにもわからなかったのよね」

「そんなことってあるんですか?」

「ないわよ全然、だからアレは絶対目覚める瞬間だったに違いないと思ってたのに……止めましょ、さ病室の点検するわよ」

「はいっ、わかりました!」

「あなた、ホント返事だけは一人前ね」

 

 病室の扉が閉まる。

 先輩看護師の話していた、霧城大和の目覚めそうだった日とは、奇しくも彼が意識の中でクトゥグアと出会い、試練を与えられた日であった。


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