ペルソナ物語4~ポケットが真実でいっぱいいっぱい~ 作:琥珀兎
前時代的なポリゴンで形成されたように見える城内で、一人の男が胡坐をかいて座っていた。
男は虚ろな瞳で目の前に在るブラウン管テレビを見続けている。テレビには配線が繋がっており、その先には一昔前まで知らない人など居ないとまで思わせた人気ゲームハードが鎮座している。
ハードに繋がっているコントローラーを握り、機械的に男はボタンを操作し続ける。まるでそれしか知らないと言わんばかりに。無意味に単一の動作だけを愚直に続ける。
「なんど言ったらわかるんだよ! お前は一体なんなんだ!?」
人形のように微動だにしない男の背中に、感情のままに叫んでいる者が居た。
その者は、目の前の罵声を浴びせられてもなお反応を示さない男の姿と、とても酷似していた。他人のそら似とは思えない程、体型から容姿に至るまで、その全てが男と同一だった。
男に良く似た人物、久保美津雄はこの不可思議な世界に来た経緯を良く覚えていない。最後の記憶は警察署に自首しに行く直前で途切れていた。よって、どういった経緯でここに居るのか、全く見当がつかなかった。
気が付けば自分が良く知るゲームのような世界に囲まれ、傍らには自分とまったく同じ姿の男が虚ろにゲームをし続けていた。
しかも男は何を問うても満足に返答などせず、憤懣やるかたない美津雄はついに声を荒げたが、それも徒労でしかなかった。
「くそっ、なんなんだよここは……せっかく僕の舞台が出来上がったと思ってたのに、くそくそくそっ」
苛立ちから床を蹴るが、得られたのは脚部を走る鈍い痛みと痺れだけだった。それがなおのこと美津雄を憤慨させる。
なんの感情も持たずゲームをしている同じ顔の男が目に入り、苛立ちは静まる事が無かった。
この男はまるで自分を見ているようで、どこか落ち着かない。見た目が似ているからだけではなく、その行動が、その瞳が己の無力を自分に語っているようで心がささくれ立つのだ。
―――ブラウン管テレビでは、勇者ミツオが活躍していた。
※
七月二十六日 火曜日(雨)
『それなら、捕まえてごらんよ……』
陽介の親が店長を務めるジュネスで購入したテレビが映し出しているのは、件の連続怪奇事件の容疑者として警察が追いかけている犯人―――久保美津雄だった。
彼は自分以外のあらゆる人間が劣っているように見下したような感情を湛えて、このテレビを見ている人間に宣戦布告した。
午前零時の深夜、自室にてこれを見ている大和と、その隣で腕を抱いて寄り添っているりせは、美津雄の顔を真剣な眼差しで見つめていた。
「……来たな」
「うん、大和先輩と鳴上先輩が言った通り、やっぱりテレビの中に居たんだね」
食い入るように見つめるテレビには、自分らが追うべき男が映っている。しかし、これは本当の美津雄ではなく、美津雄の奥に秘めた感情が生み出した影である。
現実に生きる人間が中に入って初めて、マヨナカテレビはその真の姿を現す。
この町に住まう多くの人々が、違う一面を視たい、知りたい。未知を既知にしたいが為に湧いた好奇心が映し出す番組。マヨナカテレビとは、そういう人間の願いを叶えるシステムなのだ。
明日になったらみんなと一緒にテレビの中へ行こうと思っていたちょうどその時、机の上に置いてあった大和の携帯電話が鳴った。
電話の相手は鳴上悠だった。
「……りせ、もう夜も遅い。部屋に戻った方がいい」
「はぁーい、じゃあお休みなさい先輩っ」
悠との会話内容によっては、りせには聞かれたくない。今はまだ、みんなには話すわけにはいかないから。
彼の真剣な声音で察したのか、りせはごねることなくあっさりと引き下がった。対立する千枝がここに居ないというのもあるだろう。もし千枝がここに居たのなら、絶対にりせは引き下がらなかっただろう。
十回は越えただろうコール音を鳴らし続ける携帯を、りせが退出したのを確認すると手に取った。
通話ボタンを押して短く応答すると、冷静な声が電話口から聞こえてきた。
「霧城、今のマヨナカテレビを見てたか?」
「あぁ、えらく直接的な奴だったな」
「さっき花村から電話が来たんだけど、クマの話じゃやっぱりあの中に居るらしい。それと、明日の放課後、ジュネスに集まる事になった」
「勘違い野郎をとっ捕まえようってわけだ、わかったりせにも伝えておく」
「じゃあまた明日……霧城……」
必要な会話も終わり、通話も終わるかと思ったが、鳴上は間に挟み込むように俺の名前を呼んだ。
「なんだ?」
「あの時の言葉は……いや、なんでもない忘れてくれ」
あの時―――つまりは俺が打ち明けた屋上での事を言っているのだろう。
なら、答えを言い淀むことも、もったいぶる必要もない。
「当然だ。俺は、俺の目的の為に……お前たちを全力で守り続ける」
だから、どうか俺に真実を―――。
そう言おうとしたが、叶わず電話が切れた。強制的に切ったような、短く不快な電子音が鳴って、俺の携帯は何の音も発しなくなった。というか、電池が切れていた。
直ぐに充電すればきっと鳴上から再び電話が掛かってくる……なんてことは無いだろう。あれであいつは結構ドライな人間だ。確認が取れたなら、俺にもう用は無い筈だ。
「それにしても……」
机の引き出しに仕舞っていた資料を取り出す。
俺の部屋はたまにりせの祖母が掃除をしに来たり、りせが検査と称してなにやら家捜しをするので、この手の人に見られたくない物を隠すのにも苦労する。
ただ、俺が年頃の男だというのを少しは考慮してくれているのか、一度注意したらそれ以降、あからさまな捜査をする事もなくなり、今では形骸化している。よって、机の中に少し工夫をすればバレるという事もないのだ。
手に取った資料は、白鐘が寄越してくれた現容疑者の『久保美津雄』についてまとめられた調査書である。
二つほどページをめくり、久保についての人物像の項目に目を通す。
「性格は典型的な自己顕示欲の強い印象……また、同時に他人を見下すきらいがあり、度々独り言で他を貶すような発言がある」
なるほどだからこその自首か。よっぽどの目立ちたがり屋なんだろう。
「一方で、対象は己の感じる無力感に鬱屈した感情を溜めこんでいる可能性があり、これが犯行を後押しする要因になっていると思われる」
声に出す事で改めて情報を噛み砕き整理させる。
何故、久保美津雄はこんなお粗末な殺人で模倣したのか。誰が、この男をテレビの中に入れたのか。……いや、誰なのかは既にわかっている。だけど今の俺では犯人を追いつめる事も、声にする事すら叶わない。
時間を重ねるにつれ弱まる力は、呪いとリンクしているかもしれないと思って何度かテストでアクションを起こしてみたが、結果は不作だった。
ある程度の抜け道を見つけたが、それでもまだ【真実】そのものに繋がる事にはストップがかかる。
だから、今はひたすら、片っ端からイザナミに繋がる可能性を辿って行くしかないんだ。たとえ何をしようとも。
「この男にも、早い所退場願おう」
この世の全てが退屈でしょうがないと、人生を諦観したような眼差しを向ける久保美津雄の顔写真を眺める。
それだけで俺の眼は情報を映し出すが、以前よりも項目が視るからに減っている。いつしかこの力も無くなるのだろうか。そうなった時、俺は惜しむことなく手放すことが出来るのだろうか。
イゴールが言っていた言葉も気にかかる。
視えるモノが広がろうと、狭まろうとも、変わらず疑問は何処にだって沸いて出てくる。
とりあえずは、明日の予定についてりせに知らせに行こうか。と思い腰を上げるが、思いとどまる。
りせはもう寝ているのではないだろうか。もしそうならば、わかってて尋ねるというのは夜這いになるんじゃないだろうか。俺がそう思わなくても、りせは違うかもしれない。これで間抜けにも顔を出せば、りせはいつかこの事を千枝の居る前で口走るかもしれない。
嫌な予感というのはいつだって備えていても実現してしまうものだ。りせに伝えるのは明日の朝でも問題ないだろう。
全ては明日だ。
イゴールの言っていた分岐路が、明日なのか、それともまた違う日なのかは明日が終われば分かるだろう。
敷布団に横になって目を閉じると、ぼぅ、と俺のナカで燃え続ける炎が歓喜するように揺らめいていた。
※
七月二十七日 水曜日(曇)
――――テレビの中――――
学校が夏休みになった初日、特捜隊の一同はいつも通りジュネスの家電売り場のテレビから中に飛び込んだ。一時はこれで全てが終わると思われた模倣犯を捕まえる為に。
テレビの中に降り立った一同は、まず本当に美津雄がこの世界に居るのかを確認した。
クマが自慢の鼻を効かせる。
「ぅ~ん……いたクマ! どこにいるのかはわからないクマけど、確かにこの世界にいるクマ!」
「よっしゃ、じゃありせちー、頼めるか?」
「言われなくても、任せてっ」
意気込んだりせが両手を結んで祈るような仕草をする。
すると、どこからともなく眼前にタロットカードが振ってきた。カードの表面には、恋愛をつかさどるアルカナのシンボルが描かれている。
蒼い光を纏いながら降り立ったカードは、りせの前で回転し続ける。そして、彼女は目を見開く。
困難に立ち向かうもう一人の自分が持つ人格の鎧を喚ぶ名を―――告げる。
「―――お願い、ヒミコ!」
瞬間、タロットカードがガラスのように砕け散る。細かい破片となったカードは、飛散しながらその実像を失ってゆく。
同時に、名を告げたりせの背後に異形の者が姿を現した。
純白のドレスを身にまとい、漆黒の身体の頭部は大きな幾何学模様の着いたアンテナになっており、あたかも遠見を思わせるシルエットをしている。
ヒミコは両手に持っているティアラのような物をりせに被せる。彼女には大きすぎるのか、頭を通り抜けて目を覆う位置で停止した。これが、このティアラの正しい使用法だった。
「…………」
りせの視界に近代的なモニターが映し出されている。
これが犯人の足取りを追うのに適した、りせの力である。
真剣に捜索しているのかりせは一言も言葉を発しない。他の皆も、そんな彼女に中てられて沈黙を守り続けている。クマの鼻以上の探知能力を持つりせだけが、先に繋がる頼み綱だから。
しばらくして、突如ヒミコが姿を消した。それは結果が出た証拠である。
固唾を飲んで待つ一同が目にしたのは、りせの申し訳なさそうな表情だった。
「ごめんなさい、確かに居るのはわかったし方角もある程度分かるんだけど……正確な位置がわからないの」
「わかってる方向に行ってみたら、見つかったりしないのか?」
それならより距離が近くなって精度も上がるだろう。そう思って完二は意見したが、答えはりせではなく、クマの焦るような声音だった。
「だ、だめクマよっ! そんなテキトーに進んだら、二度とここに戻って来れなくなるクマ!」
「じゃあどうすんだよ、このままじゃいつまで経ってもあの野郎の所につかねぇぞ」
「……何か」
痺れを切らした完二が声を荒げるが、それを遮るようにりせが毅然とした態度で告げる。
「何か、犯人についての事がもっとわかったら、多分探しやすいと思うんだけど……」
「って事は、やっぱ外に戻って聞き込みをしなきゃ駄目ってわけか」
意図を理解した陽介は嘆息して腕を組んだ。
クマの時もそうだったが、何かしら犯人についての情報を手に入れない事には、美津雄の居る場所まではたどり着けない。なら、一度外に戻ろう……と彼が提案しようとしたとき、大和が前に出た。
「奴についての情報なら、ここにある」
そういってポケットから取り出したのは小さく折り畳んだ一枚の紙切れだった。
白鐘から受け取り自室に隠していた、久保美津雄に関する報告書。大和がりせに差し出したのはそれだった。
「これって……久保、美津雄……? 犯人の調査書!?」
「なんでそんな物を大和君がっ?」
紙に書かれた文字を読み驚愕したりせは、視線を大和へと走らせた。
なぜ大和がそれを持っているのか、目を見開いた千枝が問う。あまりにも準備が良すぎる、それゆえの疑問だった。
対する大和は毅然とした表情でいる。また、彼の後方に控えるように立つ悠も同様、狼狽える様子も無く眉一つ動かさずにいる。
「警察が犯人を特定した後、個人的に気になったんでな、探偵を雇って探らせたんだ」
「それなら、私達に言ってくれても……」
「だから今言った、これ以上にないベストなタイミングでな」
雪子の意見ももっともである。仲間として信頼していた彼女からして見れば、大和の行動は水臭いのだろう。
報告書の存在は―――ほかでもない大和の信頼を揺るがす存在である。けれども、自分に寄せられた絆を壊すことになろうとも、大和はこれ以上の時間を掛けるなんて選択は出来なかった。
模倣犯は愚か、真犯人について殆ど推理がままならない現在、手がかりである久保美津雄をみすみす逃すような事はしたくない。
未だ被害者の定義が確立された意外に、犯人を追う手だてがないと言うのは、圧倒的に不利である。自分らは、ただ犯人の妨害をし続けるだけで、それはまるで土足で室内を歩き回る犯人の足跡を、後ろから拭う行為に等しい。
「悩んでる暇はない。これを使わないと、りせは久保の居所を見つけられないんだ。利用できるものを利用しなけりゃ、いつまで経っても真犯人には届かないんだ」
説明を求めるなら、後にしろ。大和の言動にはその言葉が見え隠れしていた。
思案する仲間達は皆押し黙った。然る間、大和の背後に控えていた悠が内心の心情を吐き出すように嘆息し、決意の光を放つ眼光を仲間達に向けた。
「行こう。悩んでいても、何も始まらない。今は犯人をどうするか……それが重要じゃないのか?」
「……だな、相棒もそう言ってるし。それに、いまさら霧城の突拍子もない行動に驚いてもしょうがないしな」
陽介がそう返答すると、それを皮切りに皆も表情を緩ませた。
「完二くんの時もそうだったけど、霧城君の暗躍好きは今に始まったことじゃないしね」
「俺ぁ馬鹿っスから、はなっから考えるまでもないっスよ!」
「クマはヤマトにどこまでもついてくクマ~」
「あたしも……あんなふざけた犯人に、靴跡つけないと気が済まないからね!」
「最初っからわたしは先輩を信じてるからっ」
心は決まった。なら、やるべきことはただ一つ。
大和は少年少女の顔を見渡して、一度だけ小さく頷いた。内心には数多の悩みや不安要素が渦巻いているが、仲間の表情を見ていると、そんなものが全て洗われるような気がした。
隣に並び立つ悠に目配せをする。彼は得心いった顔で微笑んだ。
鳴上悠が一歩前に出て、皆に告げる。
「―――行こう。これ以上の被害者を出さない為にも!」
彼にしては珍しく、声を張らせて宣言した。
悠の言葉に鼓舞され、釣られるように仲間達も変わりない声量で力強く応えた。
結束の瞬間を目の当たりにして、大和は己の中に燻るものを感じ、自分は本当の意味で彼らの仲間にはなれないのかも、という疎外感を見て見ぬふりをして無視した。
※
――――ボイドクエスト――――
資料を読んだ後のりせの案内は、久保美津雄の居所であろう場所を正確につきとめた。
一昔前のRPGを連想させるドットのような四角形のみで作られた城が建っており、前には空中に『GAME START』と『CONTINUE』の文字が浮かんでおり、矢印は『GAME START』を指している。
「なにこれ、ゲーム?」
「捕まえてみろってぐらいだから……“ゲーム感覚”ってことか?」
千枝の疑問に、陽介がちゃかすように言った。
美津雄の心意はわからないが、陽介の言ったことがあながち間違いではないのではと思ったのだろう。千枝は怒りに体を震わせ地団駄を踏んだ。
「ムッカつく! やっぱ顔面に靴跡の刑にしてやんなきゃ気が済まない! 行こっ!」
この怒りを衝動に変えたなら、解消せねばならない。
千枝の思惑を察したのだろう悠が、先頭に立った。
「目指せエンディング」
「男はみんな、ゲーム好き!」
「女はみんな、クマが好き!」
「最短最速クリアと行きますか」
陽介が乗り、大和が宣言する。
かくして一向は、久保美津雄の居座る城から、現実の檻の中へ引きずり下ろさんと中へ勇み足で侵入した。後方を、先程の発言を無視されたクマが慌てて追う。
>ぼうけんをはじめる
ぼうけんをやめる
なまえをいれてください
ミツオ_
「なにこれ、ゲーム開始ってこと? なんかムカつくっ」
突如現れた文字が勝手にぼうけんを始め、りせは美津雄の遊び心だろうと思ったのだろう、不機嫌そうに眉を顰めた。
この世界は対象の深層意識を具現している。大和はこの空間が美津雄の世界そのものなのだろう、と思ったが、同時に不要だと判じた。何があろうとも、自分が負けるとは微塵も思っていないからだ。
「先に行こう、主人公を退治してゲームオーバーにしてやる」
「キング系のシャドウが居たら復活しそうだな」
「しんでしまうとはなさけない、ってか? 結構相棒も好きだなそういうの」
軽口を交わしながら先を進む。
ふと大和は息苦しさを感じた。初めての不調に己の体調がおかしいのかと思ったが、自分が知る限りではどこもおかしな所は感じられない。むしろ、ささやかな昂揚が心に滾るのを感じる。
ならこの症状は一体何なのだろうか? 並み居る敵を一撃で屠る事が出来る大和からは、およそ考えられない不自由さだった。さりとて、ここで探索を中断するなんて言えるはずもない。大和は仲間の疑いを忍んでまでして、白鐘の資料を提示したのだ。時間を空ければ、誰かしらが悠のように猜疑心を懐くに決まっている。
この一回で、久保美津雄を捕まえておきたい大和としては、不調を隠すほかに選択肢が存在しなかった。
集団内で一番後ろに配置された大和は
わあはっはっは!
くさった ミカンの ぶんざいで
ワシに はむかうとは いい どきょうだ!
階層が一つ上がった瞬間、中世を思わせる城の廊下に、突如として聞き覚えのある声が響き渡った。
「これって、モロキンの声?」
声の主に気が付いた千枝が、どこから聞こえてくるのかを探して辺りを隈なく見渡した。しかし、どこも疑わしいような所は無い。
きさまの ような にんげんの クズには
えいえんの くるしみを あじあわせて やる!
くらえ!
せいさいのいちげき!
ミツオは いしきを うしなった……
「おい、やられちまったぞ」
「えっ!? ウソっ、どういうこと?」
「とにかく先に進んでみなきゃわかんねぇって事だけは、わかるぜ」
狼狽えるりせの背中を後押しするように、陽介はそう言って歩を進めた。
このとき大和は、白鐘から受け取った資料から美津雄が依然は自分と同じ高校に通っていたのを思い出した。
八十稲羽高校の生徒だった美津雄は、運悪く、というか、それとも持ち前の性格を隠すことなく生活していたのか、どちらにせよ諸岡に目を付けられた。生徒をいびる事にかけては高校随一の諸岡は、その標的に美津雄を選び、そして彼を退学に追いやった。
こうしてこの世界であらためて彼の存在を仄めかすということは、余程彼に恨みを持っていたのだろう。もしくは、彼の殺害を足掛かりに一連の事件の首謀者になり替わろうとしたのか。
「(どっちだろうと俺には関係ない。速攻かけて奴をぶちのめせば良いだけだ)」
道中に現れたシャドウを前方の仲間達が倒すのを眺めながら考える。
りせのペルソナが敵の情報を読み取り、的確に弱点を伝える。クマの得た新たなペルソナ―――キントキドウジが意気揚々と活躍する。そして力強い悠のペルソナ達が手数で翻弄するのをサポートし、とどめを刺す他の仲間達。
彼らが居れば、自分の役割など殆ど必要ない。せいぜいたまにとり逃した敵をすかさず屠るか、後方からの襲撃に目を光らせるぐらいだ。
悠を含めた仲間の成長は著しい。生身でもシャドウと相対しても大丈夫なように、武器を勧めてから、そのセンスは磨きがかかっていた。
階層が上がるごとに、ミツオのぼうけんは進む。
母と思われる人物の言葉や、最初の被害者である女性アナウンサーの山野真由美を殺したのを仄めかしたり、第二の被害者、小西早紀もまた同様の描写があった。
だが、大和を含めた全員が知っている、久保美津雄が本当に殺したのは諸岡だけだという事を。
「あの野郎、どこまでふざけてやがるんだ!」
「まるで、全部自分の手柄みたいに……」
言い知れぬ怒りに顔を歪め、持ち前の膂力でシャドウを屠る完二と、同調して雪子が炎を巧みに操る。
黒金のような剛腕が唸る。紅焔が猛る。間を縫うように疾風を携えて手裏剣が飛び交う。
そして、一個の目的を掲げ、いま久保美津雄を捕らえんと一団が最後と思わしき扉の前にたどりついた。
「ここか。りせ、久保の反応はあるか?」
「うん間違いないよ」
扉の向こう側から気配を感じたのだろう、りせは神妙な面持ちで大和の問いかけに答えた。
久保美津雄はこの扉の向こう側に居る。
ここに来るまでさんざん時間を食わされた大和は、早い所終わらせたいという気持ちでいっぱいだった。
だからだろうか、彼は仲間に声を掛ける事もなく、一番に扉に触れた。仮想物質だろうその扉の感触は、見た目通り質素で、凹凸の影があるのにまっ平らな壁に触れているようだった。
重さを感じる事もなく、扉は立てつけが悪いわけでもないのに軋んだ音を立てながら開く。両開きである扉の中心から奥の光景が一本の線となって横に広がる。線が太くなるにつれ、部屋の中がどうなっているのかが大和の眼には良く見えた。
部屋の中に居るのは二人。恐らくは久保美津雄と、そのシャドウだろう。
それならばこのダンジョンめいた場所はここで終わりだろう。そう大和が思った瞬間だった。
扉の開く音に気が付いたのだろう久保美津雄が振り返り、その洞穴のような暗い瞳と目が合った瞬間、大和の意識が遠くなり、視界が揺れながら濁り暗くなっていった。
それからどうなったのか、大和は一切の観測を断ち切られ理解することは出来ない。
※
滲むように闇が広がり、あっという間に俺の世界は闇に覆い尽くされた。ほんの数秒前までは久保の居る部屋に居た筈なのに。
この世界は夢に見る場所に良く似ている……一面真っ暗なのに似ているというのもおかしな例えだが、感覚的に似ているのだ。こう、どうしようもなく心がざわめいて落ち着きが無くなるような、そんな不安を植え付けられる。
「どこだここ……誰か居ないのか?」
声に出して呼びかけてみたが、当然返事なんて返ってこない。
脱出しようとトコタチを出してみようと試みたが、出せなかった。
でも、これで一つわかった事がある。
ここはさっきまで居たテレビの中の世界とは異なる場所なんだろう。でなければ、ペルソナが発動しないわけがない。なら、これは久保のシャドウが行った攻撃なのか?
立っている地面にしゃがんで触れてみても、どういうわけか触っているという感覚が全然ない。足をつけて立っているのに。まるで上下左右の感覚が根こそぎ刈り取られているようだ。……諦めて鳴上達の救出を待とう。
と、溜息を吐いてその場に座り込んだ時―――ソレは唐突に燃え上がった。
『―――ほう、ようやくここまで来たか』
ボッと炎が灯る音と共に、声が聞こえた。そして同時に、目の前に……俺と同じ姿をした何かが現れた。
「…………誰……だ?」
『この出で立ちを見てそれを疑うとは、汝の
そんなわけがない。俺の眼は衰えたとはいえ、それでも人の枠組みから外れた力を内包している。
俺と同じ姿をして、俺と同じように口角を吊り上げるこいつを視れば、そんなことすぐに分かる……事が出来なかった。何も出てこない。まるで実体がないみたいだ。
『ふむ、あ奴の力程度では無理か。本来封じる為に発現した副産物、我が視えぬのも道理であろう』
「何を、言ってんだお前。というか、俺……なのか?」
『如何にも―――我は汝、汝は我……と、この世界の理で定義するならそうであろう』
まるで意味がわからん。久保のシャドウの精神攻撃なのかこれは。それとも、本当にこいつは俺なのか? だとしたら、一体何がどうなって。
夢に見たような世界で、夢に出てきた“俺”と会話をしている。クスリでもキメてるんじゃないか、と疑われてもおかしくない状況だ。
「馬鹿げてる、あまりにも荒唐無稽すぎる。お前が俺だとして、お前は何のために俺の前に出てきたんだ!?」
『そう急くでない。こうして会話するのは初めてではあるが、我は何度か夢を通じて言を伝えていただろうに』
「やっぱりアレもお前だったのか。それで? 今になって俺に何の用だ?」
こうしている間にも鳴上達は久保と戦っているのかもしれないんだ。
自分相手に和気藹々としていられる時じゃないんだ。そういうのは俺が眠った時にでもして欲しい。
もう一人の俺が座り込んでいる俺と同じように座り、まるで鏡合わせのようにして対面すると、目の前の俺が不敵に笑みを浮かべた。
『なに、そろそろ汝に“思い出してもらおう”と思ってな。ソトで汝に掛けられた術を利用してここに呼んだのだ』
「……思い出す? それって、俺の……」
『然様、今の汝はあらゆることを忘れている。己の成り立ちから我が居る理由まで、そのありとあらゆるものを忘れている』
「…………」
忘れている。そう表現したこいつは、眉根を寄せ貫き焼き尽くすような輝きの双眸で俺を見据えた。
こいつが俺なのだとしたら……いや、そもそも本当にそうなのか? にわかに信じがたい。
『こうして我が姿を出せたという事は、
「一つ……教えてくれ」
『なんだ?』
「お前が俺だと言うなら……俺は―――誰なんだ?」
霧城大和は、口角を深く吊り上げた。
まるで、それは、都市伝説に良く聞く口裂け女のように。
『我は汝、汝は我……双眸を見開きて汝―――今こそ真を発せよ……!』
遠雷のような声が、脳内に直接響き、思わず苦痛に呻き声を上げた。
初めてこの町に来て、初めてテレビの世界に来て―――初めてペルソナを発現させた時に聞いた言葉。
今まさに目の前の霧城大和が同じ言葉を、呪文のように唱えた。
脳髄を揺るがす声に、俺の思考に横槍が入り、ある一つの“名前”が絶えず主張している。
―――告げろ、と。
「……く、と……ぅ…………」
意思に反して口が名前を告げようとかたちを作る。俺という個が凌辱される。
心象イメージでしかない筈の薪が、可燃性燃料を大量に投入されたように強く燃え盛る。主義主張が淘汰される。
俺は―――霧城大和は、誰なのか。何なのか。強く求めていた答えが出ようとしているのに、欲求とは裏腹に、内心では何処か俺は恐れていた。存在意義が打ち砕かれる。
言葉は。声は。吐息が。視線が。あらゆる関心と行動が目の前の“俺”に向けられる。
そうして俺は……ある一つの【真実】を―――発した。
―――クトゥグア。
告げた瞬間、解き放たれたように霧城大和が変貌を遂げた。
全身が瞬く間に炎に変わった。
炎は、まるで生きているように揺らめき、絶えず変色し続けている。まるで固定概念が存在しないと表しているように。
もう何がなんなのか、俺の頭は理解を拒んでいた。
瞳は、なんの情報も映し出さない。
そうして霧城大和改め、クトゥグアは鐘を突くように宣告した。
『―――さて、それでは試練を再開しよう』