ペルソナ物語4~ポケットが真実でいっぱいいっぱい~ 作:琥珀兎
第二十一話:終業式
「霧城大和という個人は―――今ここに居る筈がないんです」
白鐘直斗から告げられた言葉を一笑するのは簡単だ。
そんなわけがあるはずない、なに寝ぼけた事を抜かしてんだお前。
そう言って笑い飛ばせば、きっと彼女はこの話題を打ち切るだろう。
―――なのに。
「…………」
言い返せない。笑えない。冗談のつもりなら芸人を目指すのはやめた方がいいだろう。それぐらいに寒い冗談だ。
言い返さない俺を、依然として白鐘は厳しい目つきで見据えている。まるで俺が犯罪者とでも蔑んでいるような、凍てつく視線。
互いに膠着状態を続けて五分以上はそうしていただろうか、彼女は俺から視線を外しふぅと一息吐いて帽子の位置を直すように頭を掻いた。
「僕があなたの存在に目を付けたのは六月の末頃です。ちょうど事件に関しての推理の為に集めた資料を見ていた時でした……これを見つけたのは」
ぱさりと軽い音がして視れば、それは何枚か重ねてまとめられた一束の紙だった。確認するまでもない、俺の眼はあらゆる情報を視覚に映し出し脳がそれを瞬時に理解してしまう。間違いなく……俺に関する身辺調査をまとめた資料だ。
黙ったまま動かない俺に痺れを切らしたのか、白鐘は俺に向かって手を差し出して資料の閲覧を進めてきた。
こうなった以上、無視するわけにもいかない。
後ろ暗いことなんて、りせを利用したことぐらいしかないが、それなのに俺の心臓はさっきから冷静に務める思考とは裏腹に激しく心音を叩いている。
「どうぞご覧になってください。これは僕が独自に調べた、あなたについての知る限り正確に記した情報です」
「なら、俺にも見る権利はあるわけ……か」
この紙に俺の一年を否定する情報があるって、白鐘はそう言いたいんだな。なら俺はそれを真っ向から論破するまでだ。俺の人生に、間違いなんてあってたまるか。
厚さにして五ミリにも満たない、一キロも重みの無い物が果たして本当に信憑性のあるものなのだろうか。
俺は白鐘が差し出した資料に目を通した。
始めの一枚目は表紙になっており何の面白みもないフォントで『霧城大和についての身辺調査報告書』と書かれていた。現代の探偵らしい浮気調査などでも使われそうな定型文だな。
表紙をめくると、始めに目についたのは紙面左上に印刷された俺の顔写真だった。この世の全てから目を逸らして達観している小坊主みたいな表情をしているのから察するに、この町に来る前の都会に居た頃に撮られた写真だろう。あと気づいたのは正面からではなく、若干視線が外れているくらいだろう。
「これ……盗撮したやつだろ」
「はい、すいませんがそれぐらいしか見つからなかったもので」
悪びれた様子もなくきっぱりと返答した白鐘の視線は、揺らぐことなく俺の瞳を見つめていた。足元を掬うのはやめた方がいいかもしれない。これほどの奴が馬脚を現すとは思えない。
顔写真はともかく内容を見ると、そこにはご丁寧に出生から六月二十五日までの俺についての大まかな行動と人間関係からテストの点数まで記されていた。二枚目の顔写真がある紙には、俺の生年月日と生まれた病院や両親の事についてが事細やかに書かれていた。それ以降は全て霧城大和についての情報で埋まっていた。
「随分とまぁ、よくぞここまで調べ上げたな。浮気調査とか始めたら儲かるかもしれないぜ」
「探偵は事件解決こそが本来あるべき姿だと思っているので、そういった事は他の方にお任せします」
「さいですかい」
視線も上げずに資料に集中していたから白鐘がどんな表情をしているのかはわからなかったが、ささくれ立った言い方で、こいつは探偵についておちょくると冷静を保てなくなるようだと思った。
二枚目を全部読んで思ったのは、俺の両親はどんな人だったのだろうというおかしな記憶の齟齬だった。普通ならそんなの簡単に思い浮かぶ筈なのに……どうしてだ?
「なあこの資料には“間違い”なんてないんだよな?」
「白鐘の名に誓って間違いないと言い切れます」
ならどうして―――俺は両親について何も覚えてないんだ。
いや、それ以前に何故そんな“当たり前の事”すら考えた事も無かったんだ。どうして俺はこの町に来たんだ。どうして俺は、マル久に下宿する事になったんだ。
絶対だと思っていた思い出が、俺の中でがらがらと音を立てて崩れていく。なんなんだよこれは。
焦りが生まれて記憶に追い縋るように俺は資料を一心不乱に目を走らせた。白鐘は黙ったまま、他人と隔絶したような顔をしている。
七五三、小学校入学、運動会、遠足、卒業式、中学入学、体育祭、文化祭、中間期末テスト、合唱コンクール、修学旅行、高校受験、卒業式、高校入学。ありとあらゆる思い出が俺の持っている思い出とはかなり異なっている。
まるで敗れた衣類を繕う為にアップリケを使ったような補修のような、欠けた記憶を他の何かで補完したような違和感がある。
衝撃はそれだけで収まらなかった。もう完全に余裕がなくなった俺に、追い打ちをかけるように白鐘が口を開いた。
「おかしいですよね。先程あなたから聞いた話の高校一年生の思い出はあるのに……その資料では―――入学してから一週間であなたは交通事故で植物状態になっているんです」
…………………………。
最後のページには、病院のベッドで眠り続ける俺の写真があった。
「なのに霧城大和という個人が、同じ顔で僕の前に座っている。これは、どういう事でしょう」
そんなの……こっちが訊きたい。
俺の眼は嘘を吐かないし吐けない。だからこそわかってしまった。
写真を視ている視界には紛うことなく俺の、本当に俺の名前なのかすら怪しい『霧城大和』と浮かび上がっていたんだから。
白鐘、お前はしてやったりと思っただろう。これを提示して何を望むのか知らないが、確かにこれは俺を“殺す”には最適かつ最大限の殺傷力を持ってるだろう。
「始めは、この事件は何かがおかしいと思っていました。証拠が一切見つからない不可解な死因と死体となった被害者は、どうやって殺されたのか。単独では難しい犯行だと思いながらも、事件は続く」
もうこいつが何を言っているのか、何を言いたいのか。理解する気力が俺にはわかなかった。
一人にして欲しかった。思う存分に、一目を気にする事の無い山中まで行って大暴れしたい気分だった。それに体が熱い。大言創語を使った時以上に、まるで全身が燃えるように熱い。
なのに、白鐘の話は続く。
「二人目の被害者が現れてから突然殺人が収まったかと思えば、今度は行方不明者が続出する。一人目は天城雪子。二人目は巽完二。そして……三人目に久慈川りせ」
「…………なにがいいたい」
「一人目の天城雪子が行方不明になってから、彼女が見つかるまでには十日余り掛かりました。そして二人目は居なくなってから四日程。最後の三人目に至っては行方知れずになった晩から翌日の内に発見された。……あなたがこの町に現れてから、事件解決にかかった日数が各段に短くなってるんです」
天城の捜査に十日以上もかかっていたなんて初めて知った。今まで聞いたことなかったが、そんなにも苦戦していたとは。
白鐘の口調はまるで俺を追い詰めるようだ。もしかしてこいつはとんでもない勘違いをしているんじゃないのか? 呆然自失としている場合じゃない。彼女は俺を犯人の一人……もしくはその重要参考人の一人だと思い込んでいる可能性がある。
展開を早める為、犯人をかく乱して炙り出す為にやったりせ誘拐の自作自演が、まさかこんな所で影響を及ぼすとは思わなかった。白鐘という存在は、俺にとってまさに盲点だった。
体の熱は、気が付けば収まっていた。
「だから、俺がこの事件に繋がる何かを持っている……そう言いたいのか?」
「推理としては穴だらけの三流だと自己評価しましたが、おぼろげながらに思うのです。あなたはどこか怪しい、と」
情報量の少ない判断は正答かもしれない可能性以上に危険を孕んでいる。それは少なければ少ないほどに危険だ。
乙女の勘だとか言ったならば理由もなく納得したかもしれない。だけど白鐘は、理性的にそれを情報化している。
ここで判断を誤れば、俺は一瞬で転落するだろう。だって彼女の手元には俺を社会的に殺せる代物をもっているのだから。ならば俺が下すべき判断は?
りせを救出してから二週間は経過した今、俺の力はさらに低下している。視れる情報は簡略化しているし、身体能力だって初期の半分ぐらいにまで低下している。それでもまだ、常人に比べれば辛うじておかしい域にいるが。
そんな現状で出された答えが最適だとは自身をもって言えないが、それでも黙っているよりはマシだ。
「テレビ報道されている人間が狙われている……というのは、お前も知ってるよな?」
「ええ、ですが今回はそれに該当していません」
既出の情報を伝える分には『呪い』は発現しない。これも最近になって緩くなっているというのもあるが。
「―――交換条件だ」
「交換、条件?」
さっき提示したような生温い条件じゃなくて白鐘の行動を封殺する為にも、このまま泣き寝入りをするわけにはいかない。
「三つ……三つだけ俺が知っている事は答えよう。その代りに、お前は俺について持っている情報を決して明かさない事を約束してくれ」
「そんな条件、僕が呑むと思っているんですか? 主導権は僕が握ってるんですよ」
ああそうだろうな、確かにジョーカーは白鐘が握っている。しかも俺を犯人の一人かもしれないと疑ってる。こいつからしてみれば俺は他人を装っている不審者なんだ、逆転するのは非常に困難だ。
でも彼女の推理は証拠が少なく、綻びがある。俺は霧城大和を偽っている、というのが一連の事件との繋がりが薄いからだ。一人目、二人目の被害者が出た時、俺はこの町にはいなかったんだから。
なにより、俺も彼女に対するジョーカーたりえる手札をもっている。実際に効果があるかどうかはわからないが。
「その資料を警察に提示しても意味ないと思うぞ、犯人が決まった今いくら要請があった人間とはいえ部外者である白鐘の言葉を訊く人間はいないだろ?」
「…………」
鉄仮面を張り付けて淡々と口上を述べる。すると白鐘の表情が初めて苦々しいく歪んだ。
思った通り、彼女は警察では疎まれているんだろう。若輩であるという事、それに加えて……。
「……男装して男を装うのは、大変じゃないか?」
「それは、脅迫のつもりですか?」
「別に……ただ、警察には隠しているそれが露見したら、世間にまで広がる。そうなったら、探偵としてお前は必要とされなくなるかもな」
「…………良いでしょう、条件を……呑んであげます」
「物わかりが良くて助かるよ。流石は“探偵王子”だな」
きっと白鐘には今の俺はよっぽど憎い相手に見えるんだろうな。でも、そうしてでも俺は時間を繋がなくちゃならない。
ここで終わったら、俺が俺である事を確かめる事も出来やしない。
事件以上に、イザナギ以上に最優先してこれは確かめなくてはならない。存在意義そのものが脅かされているんだから。
「それじゃあ、まず一つ目の要求を聞こうか」
「あなたが知りうる、事件に関しての全てを……」
成程、ルールを細かく決めてなかったからな。これぐらいは想定内だけど。
「まず俺は犯人じゃない。また、鳴上達も犯人じゃない。被害者はテレビ報道されたこの町の人間。今回の犯行はお前も思ってる通り模倣犯。他に聞きたい事は?」
「情報の成否は疑わしいですが、今は置いておきます。それにしても、僕が模倣犯だと思っていたと言い切った理由は? 言っておきますが、これは事件と関係がある事なので一つ目の要求に当てはまります」
「抜け目ないな、まいいさ。さっき『今回はそれに該当しない』って被害者の予想を言った時に言ったろ。それでカマかけしただけだ」
本当は俺が問題なく今回の事件についていう事が出来た。ってのが何よりの証拠なんだけどな。
共通の認識を持っていれば『呪い』は発現しないってのは確認済みだ。
「では、他にどうやって行方不明者を救出しているのですか?」
これも事件に関係している。と白鐘の目がそう語っていた。
溜息を吐いて言える限りの事を薄情する事にした。
「説明するには、場所を移す必要があるな。この後用事とかあるか?」
「ありません。今日は霧城さんの聴取の為に時間を作りましたから」
「なら問題ないな、付いてきてくれ」
席を立ち広場を後にする。白鐘も疑問を浮かべながらも、大人しく俺の後を着いてくる。
向かう先は、勿論ジュネスだ。
※
既に鳴上達が解散しているのは、千枝の送ってきた俺の身を案じたメールで確認済みだ。よって、今現在白鐘と一緒に家電コーナーに入っても目につく事はない。
「こんな所に連れてきて、一体なんのつもりですか。まさか僕を騙したんじゃ」
白鐘は怪訝な顔をして俺を見咎めた。
無理も無い。救出方法とこの場所が結びつくなんて、普通じゃ考えられないからな。
いつも使う大型のテレビの前に立ち止まり振り返る。さて、それじゃあ彼女の疑惑を一遍に取り払う事にするか。
「白鐘……お前の現実を、いま全て壊してみせよう」
「っ!? それじゃあやっぱりっ……!」
騙された、そう勘違いしたんだろう白鐘が険しい顔をして牙を剥いた。
けど、それよりも早く俺は彼女の腰を掴んで一緒にテレビの中へと落ちていった。ぐるぐると螺旋のように回るテレビの枠を越えて、俺と白鐘は非日常の象徴たる世界に降り立った。
着地してしばらくの間呆然と辺りを見上げては信じられないという顔をしていた白鐘だったが、持ち前の頭の回転の良さですぐに順応したのか、あっという間に元のポーカーフェイスに戻ってしまった。
「ここはいったい……なんですか?」
「簡単な話、テレビの中にある世界だ。詳しくは俺もよくわからないけどな」
そして俺はこれまでの事を話し始めた。
ペルソナの事、シャドウの存在。この二つは実際に見せる事で信用させた。そして、被害者がここに入れられ現実世界で霧が発生するとシャドウが活発化して死んでしまう事を。それがこの事件の真相の一部だと、りせの誘拐を伏せて伝えた。
始めは白鐘も信じられない様子だった。だけど目の当たりにしては否定出来ない性質なのか、ペルソナとシャドウを見せてからは簡単に話は進んだ。
「なるほど、確かにこの世界を使えば足もつかずに犯行に及べますし、行方不明の理由も説明できます」
「だろ。この世界に入れる俺達は、その犯人を追ってるんだよ。これでわかったか?」
「あなた方がこれを犯行に使う……というのも考えましたが、それじゃあ救出された人物を懐柔する意味がなくなりますね。事件の統一性も見いだせない」
「これで少しは推理の穴埋めは出来たろ」
「ええ、十分です」
これで俺達への疑いは晴れた。今後白鐘が余計な詮索をしてくる必要もなくなったし、こうなった以上俺に関する調査資料も使う必要がなくなる。
白鐘が優秀じゃなければ。
「じゃあさっさと元の世界に戻るぞ。あまり長居したら危険だ」
「はい、帰りましょう」
クマ之介が出しっぱなしにしておいた、広場中央に鎮座している複数積み重なったテレビに飛び込んだ。
元の世界に返ってくると、白鐘が少し態勢を崩して体調の心配をしたが、視る限りじゃそこまでの消耗は無かった。しかし、このままさよならとはいかないらしく、戻ってくるなり付いて来て下さいと、俺より先を歩き始めた。
ジュネスを出て数分。到着したのは再び鮫川の河川敷だった。すっかり日が暮れて茜色に染まった空には、帰りを促す歌にもあるようにカラスが鳴きながら飛んでいた。
白鐘はさっきまで座っていたベンチに戻るなり振り返り、射抜くような鋭い目線を俺に向けた。
「質問に応える権利は、あと二つありましたね」
「ああ、残ってるな」
「特に期限を定められなかったので、別に今日で全部つかわなくちゃいけない、というのは無いですよね」
「白鐘が言って来た時点で否定させないつもりだろ。別にいつだって良いぞ」
一つ一つ確認をとる白鐘に、俺は言いようもない焦りを感じていた。
棚に上げられた案件を態々持ってくるような、そんな予感がどうしてもしてしまう。
条件には俺が知っている事というのが前提だ。当然だろう、知らない事を応える事は出来ない、そんなの俺だって不可能だ。なのに白鐘は重箱の隅をつつくように言った。
「ではもう一つ質問です―――あなたは誰ですか?」
「…………そんなの、こっちが訊きたいぐらいだ」
本気でそう思う。
目の前に立つ人物のせいで俺は自分という盤石だと思っていた足場を壊されたんだ。むしろ俺の方こそ、真実を知りたい。
力はあるのに俺はいつだって真実を引き寄せる事が出来ない。これもまた『呪い』なのだとしたら、なるほどかなりむかっ腹立つ所業だ。
積荷は空っぽになってしまったのに、目的地に進み続ける意味があるのか? このまま立ち止まってもしょうがない、と思った瞬間、またも身体が熱くなった。
そうだ、空っぽになってしまったからこそ、さらに目的まで見失うわけにはいかない。そうなったら本当に俺は何もなくなってしまう。立ち止まってしまったら何も進展しない。
「一つ、俺の頼みを聞いてくれないか」
「内容によりますが、あなたは有益な情報を提供してくれた。多少は信用できると思うので、善処します」
捻くれた答えをありがとう。
疑いが晴れたからって、即日信頼を獲得するのはさすがに無理があるか。でもまあ、それは今後の課題にしよう。
勝ち取る為に、俺は白鐘に手を差し伸べて言い放った。
「―――協力してくれ」
※
七月二十六日 火曜日(雨)
――――八十神高等学校――――
しとしとと雨が降る最中、形式ばった厳かな終業式が行われていた。
夏休みを前にした最終日。生徒達は皆教師の話が終わるのを、今か今かと待ち望んで浮き足立っていた。
暇つぶしに周りを見渡してみれば、仲間内では千枝と花村なんかは顕著だった。千枝は目をきらきらと輝かせていた。恐らくこれからの夏休みの予定でも考えているんだろう。花村は全身で楽しみだと言うのを物語っていた。
そうして時間を潰す事十数分。
解放された生徒達で教室はあっという間にごったがえしていた。らしいと言えばらしいんだけど、このクラスはちょいと落ち着きが無いような気がするんだよなぁ。人の事は言えないけど。
「さぁーて、待ちに待った夏休み突入だぜ!」
「ねぇ今年は海行こうよ海! みんな免許持ってるんだしバイクでさ、ねっ雪子は予定とか大丈夫?」
「うん、多分大丈夫だと思うよ。一応、予定は頑張って開けておくね」
「でも完二とりせは免許持ってるのか?」
「りせは持ってるけど……完二は知らん」
特捜隊のメンツも夏休みという魅力的なワードには逆らえず、事件そっちのけで色々と夏を満喫する計画を企てはじめていた。
バイクで海に行くのは良いんだけど、りせも免許は持ってるし。でもバイクを持ってないから、いざとなったらあいつはサイドカーに乗せるか。完二は……多分大丈夫だろう。
ふと、鳴上が思い出したように手を叩いてあっと声を出した。古典的な真似をするなぁ。
「そういえば花村、バイク壊れてなかったっけ?」
「あぁ~、それ言っちゃう? 俺ん中で無かったことにしたかったのに……」
「スマン」
「ま、良いんだけどさ、結局死ぬほどバイト頑張って修理したから」
そういえばそんな事もあったな。大谷に無理やり跨られて……むしろあれは飛び乗るというのが正しいか、そして彼女の体重に耐えきれなくなって思いっきり壊れたな確か。
過去の悲しい思い出に思いを馳せているのか、遠い目をした花村の目じりにはうっすらと涙が滲んでいた。
夏休みを満喫するのも良いが、楽しむためにはまだやらなくてはならない大きな宿題がある。
「夏を遊ぶためにも、早い所モロキンを殺した犯人をとっ捕まえないと駄目だ」
「そりゃわかってるさ。早いとこ犯人捕まえて、真犯人も捕まえなくちゃな」
「結局、昨日は雪子が旅館の用事で行けなかったから中止になっちゃったしね」
「ごめんみんな……」
天城がバツの悪そうな顔をして俯いた。責めるつもりなんて微塵もなかっただろう千枝は、慌てたように天城を励まし始めた。
昨日、そう昨日にはテレビの中に行って速攻かけて犯人を捕まえるつもりだった。自分を見失った今、俺は何かをしていなくちゃ落ち着く事も出来ないから。
白鐘とわかれてからの数日は生きた心地がしなかった。だけど、それも鳴上との屋上でした会話でどうにか救われた。どうあれ、少なくとも一人は信頼を持てる人物を得ることが出来たんだ。
「今日は雨だ。きっとマヨナカテレビが流れる筈だから、見逃さないようチェックしよう。何かわかるかもしれない」
鳴上が冷静に、大局の視点から意見を述べた。
「そだな、相棒の言うとおりもしかしたら何かヒントがあるかもしれないし」
「案外犯人が映ったりして」
ありえる。相変わらず千枝はここぞというときは鋭いな。
話は今夜のマヨナカテレビを見る事で決まった。そうと決まれば、今夜は忘れずテレビを見なくては。
ちょうど話が終わって手持無沙汰になったその時、りせと完二が教室に姿を現して、マヨナカテレビを見るよう話帰宅する事になった。
一緒に帰ろうと言ってきたりせを断り、俺は鳴上と二人で帰路についていた。
と言うのも彼と二人きりで話したい事があるからだった。
「―――計画の件で伝えておくことが一つ増えた」
「なんだ?」
携帯を開いて電話帳を開く。そこにはこれまでに無かった名前が一つ、項目に現れている。必要だった協力者――鳴上程信頼を寄せる事は出来ないが、こっちが裏切らない内は大丈夫だろうと思う――が増えた証。
「正式に、推理役を引き受けてくれる奴がいる。だから、今後鳴上は本来の役に付いてくれて構わない」
「わかった。これで、あれを翻訳する事ももう無いんだな」
「苦労したか?」
「慣れない事だったから、想像以上に時間がかかったのは確かだ。でも、色々為になったよ」
何であろうと未経験は全て自分の糧になる。
鳴上の言っていることは簡単に聞こえるが、実際の所なかなか実行できることじゃない。凡人ならそんなのは言うだけで、本当に力になってなんかはいない。なのに鳴上は事実、全てを己の一部として吸収している。この成長力は目を見張るものがあった。
努力という積み重ねがただの経験の上書きになってしまった俺には無い、彼だからこそ出来るもの。そんな人間らしい彼の在り方が俺には羨ましかった。
「お前は初めて会った時よりも、随分と変わったな」
「そうかな。霧城は何も変わってないな」
「仕方ないさ。そういう風に出来てるんだからな、俺は」
「計画が上手く行けば、それも変わるかな」
「わからない。俺が誰なのか、それが確定して初めて意味があるのか、それとも無くなるのかハッキリするからな」
目的を達した所で、果たして俺に続きが存在するのか。
霧城大和の偽者である俺は、本来ここでこうして学校生活を送っていい人間じゃないんだ。
記憶喪失なのか、それともイザナミの仕業なのかは知らないが、不思議とその答えは次の敵を相手にすればわかるような、そんな荒唐無稽な予感がしていた。
駒は二つ揃った。これでまた一歩、あいつに肉迫するための材料がそろった。
自分を取り戻すためにも、もう振り返るわけにはいかない。
※
――――ベルベットルーム――――
気が付けばそこはさっきまでの長閑な田舎町の景色ではなく、いつものリムジンの中になっていた。これまでと一つ間違いがあるとすれば―――どういうわけか鳴上も一緒に居る事だ。
「どういうことだ? 扉をくぐってないのに、どうして……霧城も居る」
「そりゃこっちの台詞だ。二人いっぺんにここは招くことが出来たのか?」
見れば、イゴールが、マーガレットがこちらを静かに見つめていた。
ゆっくりと顔を上げたイゴールは、これまでにないってぐらいに目を見開かせて、これまでにないってぐらいに口角を吊り上げて、いつもの嗄れた声で俺達を歓迎した。
「ようこそ、ベルベットルームへ」
「その第一声、もしかしてバリエーションとか一切ない感じなのか?」
「村の入り口に居るNPCみたいなやつだな」
俺達のボケをイゴールは黙殺した。どうやら、そういった冗談を今日は言わせてはもらえないらしい。
なんだって俺だけじゃなくて鳴上も呼ばれたのか、さっぱりわからないけど、イゴールは諧謔の笑みを浮かべるばかりで何も言おうとしない。
仕方なくマーガレットに助け舟を求めて視線をやると、待ってましたとばかりに彼女がこちらを向いた。
「本日お客様をお呼びしたのは、他でもありません分岐路についてです」
「……分岐路?」
「お客様はご存じないかと思われますが、そちらの『嘯く者』であるお客様にはすでに聞きなれているでしょう」
自分じゃ面倒だから説明してくてって、そういう事を言いたいんだろう。言いたい事は山ほどあるが、今はその思惑に乗ってやることにしよう。待ちに待った分岐路が現れたかもしれないから。
「分岐路ってのは、いわばあれだ……運命の分かれ道みたいなもんだ。両方正解かもしれないし、両方違うかも、それともまったく違った答えが在るのかもしれない。そんな曖昧な選択肢みたいな奴を、こいつらは分岐路って呼んでるんだ」
「もし、選択を間違ったら?」
「そこから先は、私がお話いたしましょう」
沈黙を破ったイゴールが割り込んできた。
口元で交差していた両手は解かれ、いつの間にかタロットカードが握られていた。ということは、またタロット占いでもするのか?
「今回『嘯く者』以外のお客様も同時にお呼びしたのは、あなた様にも同じ分岐路が現れたからです」
「俺、にも……?」
「はい、お二人の前に現れた分岐路は近く猛威となって襲うでしょう。これは、失敗はあなた様がたの死を意味します」
「間違えたらそこまで、ゲームオーバーって事か」
そりゃ、気を抜くわけにはいかないな。
タロットカードをテーブルに広げ、眩い光を明滅させながらイゴールは話しを続ける。
「ですが、同時にお二人は自分の本質を知る事になるでしょう。『嘯く者』であるあなた様がどうしても知りたい事も、きっと叶いましょう」
心臓が大きく胸を叩いた。血流が早くなり、体中を駆け巡って総身が粟立つのを感じた。
自分を知ることが出来る。俺が、一体誰なのかが分かる。嘘か真かわからないが、イゴールの言葉に間違いなく俺は高揚を隠せないでいた。
「間違えなければ……俺は知ることが出来るんだな?」
「自覚は目覚めでもあります。存在意義を知れば、自ずとあなた様は自分を見つけられるでしょう」
「霧城……」
俺を気遣う鳴上の声が聞こえたけど、反応する余裕も、返事をする気も起きなかった。ただ一心不乱に、この高鳴りを声にして笑いたかった。どん底まで一度は落ちた精神が、天より降りてきた蜘蛛の糸によって救われたんだ。
歪な笑顔で俺は低い笑い声を漏らした。歓喜を謳うように。
たとえそれが僅かな可能性だろうとも、未来に繋がっている手繰る綱を手放すことがないようしっかりと握りしめる。
「目覚めの時は近く、運命の奔流はあなた様を……きっと焼き尽くすでしょう」
イゴールの予言めいた言葉は、この時の俺には正しく理解することも出来なかった。
ただ身を案ずるような鳴上の顔だけが、やけに印象に残った。