ペルソナ物語4~ポケットが真実でいっぱいいっぱい~   作:琥珀兎

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大変長らくお待たせして申し訳ありませんでした。
十八話です。
色々と始まる話でもあると思います。


第十八話:アイドル加入/マスコット参戦

 六月二十五日 土曜日(雨)

 

――――ジュネスフードコート――――

 

 戦いが終わってから二日。

 誰もが辛い出来事だったと記憶している戦いの後。

 絶え間なく降り続ける雨の旋律を聞き流しながら、大和は無表情のまま虚空を見つめる。

 脳裏に蘇るのはアメノサギリとの対話の情景。全てを塗りつぶす白の世界での話を思い出し、その意味を理解すべく思考を加速させていく。……が、以前よりもその反応が鈍くなっているのを大和は感じていた。

 似たような事例が以前にも一度あったのを、大和はよく覚えている。完二を救出した後にもこのような事があった。あの時は『呪い』の効力が強まって、自分の力を抑止しているのかと推測していたが、この仮説はアメノサギリが言った言葉によって否定するべきだと脳が提案をしてきた。

 

「…………封印だと……確かにあいつはそう言ってた」

 

 だとしたら、この衰えは一体どんな力が働いた結果の産物なのか。

 知能の劣化が進んだ今の自分では、それに対する明確な答えを出すことが出来ないのが大和にはもどかしく感じた。出来る事が出来なくなる。水の中でもがくような不自由さは、イザナギにかけられた『呪い』と相まってさらに増している。

 自分の身体の事なのに、分からない。体内には複雑怪奇な異形が棲んでいて、まるでそれに良いように操られているのでは、と思ってしまう。

 今ここに、自分以外に人が居なくて良かった、と大和は安堵した。きっと今自分の表情は強張っていて、不用意な感情を相手に植え付けてしまう可能性があるから。

 

 あの後。

 りせとクマの影との戦いが終わり、現実世界に帰還した一同は、まずりせを発見した事を警察機関に伝えた。

 

『今回は俺が警察に届けを出す。花村は完二の時に連絡したから、連続じゃ怪しまれる』

 

 そうきっぱりと言って、大和は警察にりせを届ける事にする。

 テレビから出るなり衰弱の色を顔に浮かべていたりせは、大和を見つけた安堵で緊張の糸が切れたのだろう。操り糸を失った人形のように膝から崩れ落ち、眠るように意識を手放していた。

 眠るりせを抱き留め大和は警察に連絡をした。その間に、仲間達は余計な詮索を警察にされないようその場を後にした。

 去り際に、千枝が不安そうな面持ちで大和のことを見ていたのを本人は気が付かなかった。

 

『久慈川りせを見つけたって通報があったが……まさかお前が第一発見者だとはな』

『俺が見つけた事が、そんなに意外でしたか……堂島さん?』

 

 以外と言えば以外だが、それは当然の事。

 稲葉市で起きている一連の連続怪奇殺人事件について積極的に捜査をしているのが堂島なのだ、それに、大和は一度彼がマル久豆腐店に警告をしに来たのを知っている。少し考えれば、この状況が出来上がるのは当然の事だった。

 

『堂島さん、行方不明の彼女が見つかったって……あれ、君は、たしか豆腐屋で』

 

 引き取りに来た堂島の車から、遅れて顔を出したのは部下の足立透。

 見るからに人畜無害そうな人相と声色の彼は、大和の存在に気が付くと思い当たる記憶を探り指さした。

 

『あの時はどうも。とりあえず、無駄話をするより早く彼女を救急搬送してくれるといいんですが。呼んでいるんでしょう?』

『……よく知ってるな。あと二、三分もすれば到着するだろ』

 

 感心したように堂島は言うが、大和を見るその眼光は疑心の色を放っていた。

 救急車を呼ぶと、同時に警察機関に連絡が行くように、逆もまたあるのだ。一般の高校生が知ることじゃないが、それを大和はさも当たり前のように指摘した。そこが堂島の中で疑わしさを生んでいた。

 過去に救急車に運ばれた事があるのだろうか。もしくはそれに近い事を……。堂島は救急車が来る間考える。

 仮に、過去に通報を受けて救急車が来た時に、一緒に来たパトカーを見て質問をすればすぐに分かる事。別に秘匿義務のある案件でもない。だが……。

 警察官としての感が、正論を跳ね除けようとする。

 表情を崩さない大和への疑いは、どんな形であれ答えを出すまでは消してはならないと。それが例え、思い違いだったとしても。

 

『それにしても、行方をくらましてから一日で見つかるってことは、もしかしたらそこまで事件性が高いものでもなかったのかな』

『なに呑気な事言ってやがる足立。悪い意味でこの町に馴染み過ぎなんじゃねぇか? 今更平和ボケしてどうするんだ』

 

 能天気にのたまった足立に、諌めるように堂島が言った。

 この田舎町では事件と言ってもそこまで大仰な案件など極稀な出来事だったせいか、今回の事件はあらゆる意味で町民に刺激をもたらした。それはまるで、止まっていた時間が動き出した古時計のように、秒針は休むことなく刻を刻み続けている。

 堂島に叱られた足立は罰が悪そうな顔をして軽く誤り、傍観者になっていた大和の方へ向き直った。

 

『こうやってちゃんと話すのは初めてだよね、堂島さんの部下の足立って言うんだけど。ちょっと聞きたいことがあるんだけど、いいかな?』

『…………?』

 

 突然なんだろう、と大和は馴れ馴れしい足立を無意識に警戒しだした。

 以前、マル久で会った時に彼を見て、大和は眩暈を起こしたのを覚えている。克明に。シナプスに至るまで鮮明に。

 あまりの狂気。アメノサギリを見つけた時の自分よりも凌駕した狂気の渦のような人間。それを視認してしまった大和は、ある程度この事件を理解しつつあった。しかし、それも予測。確実と銘打つことは出来ない仮初の証明。

 結果、様子見をするしかないと結論を出した大和は足立の質問に沈黙でもって返答した。

 どんなことを聞かれるだろうか。

 もしかしてこの男はもう既にすべてを知っているのか。それとも、こんなところでその確認を行うつもりなのだろうか。

 様々な可能性を探るが、これだ、という答えが出てこないのは力が弱まった影響か。いずれにせよ、足立の言葉を聴かなければ分からない。

 

『君ってアイドルと一つ屋根の下じゃん? だったらさ、一回くらい彼女のちょっとエッチな場面に遭遇したりとかしたかい?』

『…………』

 

 前言撤回。この男は何も考えてないのかもしれない。

 油断を誘うために芝居を打っているか? とも思ったが、それをして得られるものが足立には無い筈。ということは、この男はまだ自分のことを詳しくは知らないのかも。

 今は、そこまでの警戒をしなくてもいいだろう、と大和は内心でため息をひとつ吐いた。

 

『いや、そこまで嬉しい展開……一回も無かったですよ』

『そうなの? なんだ、やっぱりああいうのは漫画とかアニメだけの専売特許か……まったく―――』

『―――世の中、クソですよね』

 

 足立の落胆に次ぐようにして吐いた大和の言葉は、いたく足立の機嫌を良くしたのを今でも鮮明に、克明に、深く刻まれ覚えている。

 

 

 

 

「なにはともあれ、りせは病院。婆さんは心労で床に着いてる。結果店は俺次第」

 

 面倒だ、と思わず顔を顰める大和。

 りせを発見し、警察から病院へと移された後、事実を知らせた大和の前で倒れたりせの祖母は一日経っても回復の兆しを見せなかった。

 高齢のせいか今回の事件は相当心臓に負荷が掛かったのだろう。緊張の糸が途切れたりせの祖母を見て、大和も流石に焦った。

 その為、今日店は臨時休業にするしかなかった。

 大和一人でもやろうと思えば営業出来るが、豆腐の味は長年老婆がやっていただけあって違いがある。これは、常連の人なら直ぐに分かるぐらいだ。大和がでしゃばって店の評価を下げるわけにはいかなかった。それに、平日は学校がある身では一日中店にいることも出来ない。店の為に学校を休んだと知ったら、床の住人はきっと怒るだろう。

 余計な心配をさせるのは老体には良くない。昨晩考えた結果、店は休むしかなかった。

 

「店はいいが、それより今は……」

 

 滅多に使わない携帯を取り出し、メールを開く。

 どうしてこんな雨の中屋外のこんな場所に居るのか。その原因であるメールを見て、大和は思わず逃げ出したくなった。

 メールの差出人は『里中千枝』

 クラスメイトである彼女からのメールには一言“ジュネスのフードコートに来て”と、そっけなく書いてあるだけだった。

 メールが届いたのは午前中の事。目覚まし代わりに鳴り響く携帯の音を鬱陶しく思いながら開いて見れば、とんだパンドラの箱だったわけで……。

 赤紙を送られてきた国民のように、粛々とその命令に従いつづける事数十分。昨日の出来事を振り返り、現在まで時が進んでしまった大和は手持無沙汰に目の前の缶コーヒーを手慰みに時間を潰していた。

 千枝の用とは何なのか、女心と秋の空なんて言われるほど女性は感情の起伏が激しい一面を持っている。それも、千枝なんかは一等それが高く持っていると大和は感じてる。何故なら今までの彼女の行動や言動、その全てを鑑みるとある一定のラインを越えると、そのふり幅は収まらずに周囲に発散するような形で鎮静を図っている節が見られるからだ。

 いわば癇癪を起すようなもの。千枝のキャパシティを越えた感情の超新星爆発を被っている大和からしては、そうとしか考えられないのが現状。今後の成長、もしくは精神の外骨格を生成する事を祈るばかりである。

 

(でないと俺が、いつか刺されてしまう……)

 

 他人の感情を読み取ることは出来ないが、これまでの事を材料に調理すると、出来上がる料理は自ずと死を招く毒入りリンゴのような物になってしまうだろう。

 もしかしたら、それが今日かもしれない……。

 

「お待たせ。いやーごめんね、ちょっと遅くなっちゃった」

 

 いかに上手く弁解するか、言い包めるのか煙に巻くのか、それとも強硬手段を取ろうかと大和は策を講じていると普段着の千枝が現れた。

 雨が降りしきる屋上で、彼女のトレードマークである緑色のジャージと合わせた色の傘を差している千枝は、大和が思っているよりもその表情に皺が無かった。

 拍子抜けといえばそうだろう千枝の態度はいつも通りで柔らかい。過去に大和と親しげに交流している女性を見て刺々しくなるような事もない。お陰で大した被害を被る事もなさそうな大和としては願ってもないのだが、疑り深く用心に金を払うほど慎重になっている今の彼は、彼女の微笑みが逆に恐ろしい。

 嵐の前の静けさと例えるべきか、自分の正面の席に着いた千枝の一挙手一投足を見逃さずどこかに内心を表すサインは無いだろうか、と観察を怠らない。

 

「それほど長い時間待ってないから気にしなくていいさ。それより、今日はどうしたんだいきなり? こんな雨の中」

「うーんなんて言えば良いんだろう、詰問……かな? いや、それよりは整理って方が“らしい”気が……」

 

 詰問と……そう言い放った千枝に大和は何とも言えぬ良くない悪寒を感じ取った。

 これはマズいのかもしれない。十中八九千枝は真面目に、大和にとってはさして重要でもない話題について尋問をするつもりなんだ。最近何かとてんやわんやで有耶無耶になっていたのを全て、洗いざらい吐かせて“整理”するつもりなんだ。これは、その為の彼女が設けた簡易裁判所に他ならない。

 被疑者は当然大和、弁護人も大和。その他検事から裁判長まで、果ては傍聴席まで全てが千枝で完成する独壇場。数の暴力とは時に平等に、また無慈悲に不平を強いる現代の戦略兵器。マイノリティな反論など『多数決』という波濤の前には強風に晒される灯も同然。

 

「もしかしなくても、その整理ってのは『りせ』とかが……その、関わってたりするのか?」

「そうだねー。君ととっても仲がいいりせちゃんが関係してないとか……思えるわけ?」

「……oh」

 

 しまった。藪を突いてしまった。

 突かれて飛び出したのは間違いなく、嫉妬という名の蛇であろう。牙には毒を持ち、一たび獲物に喰らいつけばひとたまりもない、それほどの毒。

 

「なんか最近の君は彼女にご執心の様子だし、でも当然だよねなんたって“大切”な人何でしょ? 大和君にとっては。良いんだよ、あたしは別に気にしてないし、なんてったって彼女は今や知らない人の方が少ないほど人気のアイドルだし。こんな片田舎で肉丼が大好物な私とは―――」

「…………」

 

 説教、というか文句は一度口火を切ればとめどなく溢れて出てくる。

 くどくどとまくし立てる千枝のありがたい抗議に、いつ購入してきたのか分からないジュースを啜りながら大人しく聴いている大和。

 しかし、思考は全く別の事ばかりを考えていた。

 まず始めに、自分は今回の事件では恥ずかしくも珍しく我を忘れるほどの激情に身を任せてしまった事。普段が冷静な自分としては、この醜態は布団に顔を埋めて足をバタバタしてしまうほど恥ずかしい。何とも痛々しい言動の数々。まるで酔いに任せて暴走し、翌朝その行いを思い出して自己嫌悪する若者のように軽く死にたくなってくるほどである。

 解決法として、即座に忘却の彼方へと運搬する事に決定した。臭いものには蓋をして余所に捨ててしまうに限る。焼却処分出来るのであれば、なお良し。

 次に、またも現れるであろう分岐路の事。

 今年中に死ぬという宣告にも等しい予言を受けている大和が、回避するための道筋。境界の部屋の主であるイゴールは、近くなれば分かると言っていたがそれも通り過ぎないと成否が分からないとも言っていた。それは要するに、学校のテストと同じような物。訪れる期間は近く報告されるが、実際に解答に望んでもすぐには分からず、テストの返却を待つしかない物。

 結局は、全ては起きてからでないと分からないという事なんだろう。空から飛来する一滴の雨粒が何処に落下するかなんて、落ちてみなければ分からない。

 

「大体ね、君は少し節操がないと思うんだよねあたしは。あいかちゃんともそうだし、バスケ部の時は海老原さんとも何かあったようだし……結局誤魔化されたままなの、思い出しちゃった」

「な、なぁ千枝。もしかしてその話、トイレ休憩とかはさむぐらいには長くなるか?」

 

 だとしたら、何としても阻止したいところ。仮にも好きな女性を相手としていても、その全てを愛せるほど、まだ大和の心身は悟りきっていない。

 当然、千枝はそんな大和の縋るような質問に、笑顔で答えた。……額に青筋を立てたまま。

 

「もちろんっ。あ、もう少ししたら雪子も来るんだった、なんかね雪子が『大和君に訊きたい事がある』って言ってたよ。なんか怒らせるようなことしたの? 怖い顔してたけど……」

「……もういい、今日はそういう日なんだろうと割り切る。煮るなり焼くなり好きにしろ」

 

 雪子が来る。それを聞いた瞬間、大和は千枝からメールが届いた時よりも慄いた。

 癖として貧乏ゆすりをする性質ではない自分が、何故だか脚の震えが止まらずしきりに8ビートを刻んでいる。

 背中からはじっとりと冷たい汗をかき始めている。雨の湿気のせいだろうか、いや、そんな現実逃避はなんの役にも立たないだろう。精神時間をいくら引き伸ばしたところで、終わりというのはいつか必ず訪れるんだから。盛者必衰の理ここに在り。

 霧城大和は報復と復讐を誓った者。それは何人であろうとも邪魔はさせない鋼鉄の誓約だが、思春期の乙女にはそんな物は骨董品(時代遅れ)と同等の価値しかない。

 前門の緑の成龍に、水の音を含んだ背後から迫る足音の主であろう後門の赤い女将。

 ペルソナを出せない現実世界で《大言創語》が使えたなら、と思わずにはいられない大和であった。

 

 

 

 

 ――――???――――

 

「これは……どういうことでしょう、もしかして……」

 

 三㎝はありそうな厚みの書類の束を見て、思わず声を漏らした。

 西洋の雰囲気が色濃く表れている洋館の一室で、一人の若者がこの田舎町での連続殺人事件の犯人究明に尽力していた。

 始めは警察機関からの要請で始めた事であったが、次第に湧き上がる興味と奇妙さから、既にこれは自分が解決するべき事件だと使命感のようなものを抱いていた。

 探偵として有名な一族なだけあって、若者にもそれ相応に優れた洞察力と推理力は備わっていた。現に、警察との合同捜査の時も的確な推理と指示をしていた。

 しかし、所詮は若造の言う事。自分の半分以下の年齢である子供に指図をされるのは、長年警察として生きてきた者達にとっては疎ましく感じて来てしまうもの。ならば若者が疎まれるのも当然。特出しすぎた有力者は、いつの時代も数の暴力に屈服させられてしまうのだ。

 

「だけど、僕は負けない……」

 

 この手にある資料は連続殺人事件の犯人に繋がる、重要なヒントだ。これを使ってコンタクトを取れば、あの大人たちも認めるだろう。

 ―――あの事実に気が付かれなければ。

 

 思わず資料を持つ手が強くなる。

 網戸などついていない洋風の窓からは、降りしきる雨の音が奏で続けている。

 明かりも点いていないこの部屋が、今は自分には心地が良い。影に隠れていたい。そんな感傷が若者を支配しているからだ。

 誰にも漏らせない秘密がある。

 でも、それはいつかはきっと露見する見まごうこと無き【真実】。

 

「バレてはいけない……絶対に」

 

 今まで積み上げてきたものが、一瞬で瓦解してしまうかもしれないから。

 若者はそれが脆く愚かしい砂の城だと気が付くのは、まだ先の話―――。

 

「……霧城、大和……」

 

 資料に掲載されている顔写真付きのプロフィールを見て思わず呟く。

 標的と定めた探偵は動き出す、罪を……【真実】を白日の下に晒すために。

 

 

 

 

 七月十日 日曜日(曇/晴)

 

 ――――マル久豆腐店――――

 

 千枝と天城の二人からの波状攻撃を受けてから二週間程が経った休日。

 あの日の事は俺としても結構堪えたらしく、あの二人……特に天城と顔を合わせると反射的に震えが起きてしまう程だった。

 千枝の批難の言葉は聴いていて辛かったが、ふくれっ面などは大変愛らしくちょうど均衡を保っていられたが、そこに天城が加わった瞬間天秤は偏ってしまった。

 

 『霧城君は見た目と反して中身は醜悪だったんだね』とは天城談。

 そんな毒沼からはい出るような声で言い放つ毒舌を、にこやかにやってのける天城の方が俺には腹の底が醜悪に見えてしまった事をここに懺悔しよう。

 あれは間違いなく敵に回してはいけない部類のキャラだ。いつぞやの完二との追いかけっこの時も思ったが、千枝の事に関すると天城のステータスは一気に上昇する事がわかった。

 ということはだ。今後千枝を泣かせるようなことがあれば、あの赤い女将は容赦なく俺を抹消するかもしれん。いや、抹消なんて生ぬるい事はしないだろう、もっと恐ろしく痛ましい苦痛を俺に与えかねん。今後の付き合い方を考え直してしまいたくなる事実だ。

 

「とんだ姑だ。まだ、付き合ってすらいないというのに……」

 

 下手な事は出来ない。

 しかし、もう既に俺はとんでもない事をしでかしてしまっている。

 俺とりせしか知らない事。

 俺が、りせにかけた言霊を解除するために行った接吻。キス。口吸い。フレンチキス。ディープキス。濃厚なやつをしてしまったのを、千枝が知ったら……。

 これまでの事を考えるに、まず間違いなく千枝は何らかのアクションをしてくるだろう。それを天城が知ったら……。

 

「恐ろしい。イザナミと対面する前に死んでしまうかもしれん……」

 

 りせには黙っててもらわないと。

 眠っているところを良いようにしていたが、途中から彼女が目覚めていた事は俺にもわかっていた。あの場ではあれが最善だと思っていたから、中途半端にやめるわけにもいかずに強行したが、りせはどう思っただろうか。

 俺なんかに、きっと初めてかもしれないキスをされて。それが気になりつつも、余計な心労を増やしたくないという思いから未だりせには伝えていない。もしかしたらあのいざこざですっかり忘れてしまったかもしれない。それならそれで俺としては好都合ではあるが。

 どのみち、俺が最低な野郎というレッテルはいつまでもついて回りそうだ。

 店番をしつつ項垂れていると、奥の居間から婆さんが声をかけてきた。

 

「そろそろ時間じゃないのかい? りせちゃんの退院の時間」

「わかってる。そう焦らなくても、ちゃんと迎えに行くよ」

「バイクで行くんでしょ? なら、事故には気を付けるんだよ。りせちゃんは勿論、大和君だって大事な家族なんだから」

 

 穏やかに微笑む婆さんは、初めて会ったあの日より若干衰えたようにも見える。

 

「大丈夫だよ、安全運転でちゃんと行くから。戻ったらまたみんなで飯を食べよう」

「はいはい、ちゃんとご飯作って待ってるからね」

「いいよ婆さん、無理しなくて。今日は俺が作るから」

 

 りせとの一件から、精神的に消耗していた婆さんは日に日に老けて見えていた。普通の人からしたら分からない僅かな変化だが、俺の眼はそうは言ってなかった。

 見ると視るでは情報量が違うんだ。衰えてきた今でも、それはまだ分かる。故に、無茶はさせたくない。原因はきっと俺にあるんだから。

 “間違いこそが正しかった”

 そう言ったイゴールの言葉が、今の俺には痛い。

 俺が生きながらえる為に、婆さんの寿命が縮んだようで、まるで俺は―――人を喰っているようにも思えて。

 

「それじゃあ、そろそろ行ってくるよ。ちゃんと休んでるんだぞ、店の前に張り紙はしておくから」

 

 居たたまれなくなって店から逃げるように出て行った。

 今日はりせの退院の日だ。

 生意気にも俺の送迎を希望した彼女は、今頃病院のベッドに腰掛けて悪戯な笑みを浮かべているに違いない。

 家屋の中から婆さんの俺を送る声が聞こえ片手をあげて返事をする。

 聞きなれたバイクの駆動音が心地よく、身を任せるように跨り、別に囚われていないけど小高い所に立っている建物に向かって出発した。

 

 

 

 

 病院に到着するとりせが待ちかねた様子で入口に立っていた。

 どれぐらい前から待っていたのかは知らないが、もしかしたら結構時間がたっているかもしれない。りせの性格上、一度こうして待つ態勢になったあとに根負けして諦める、というのも考えにくい。ある程度引き返しのつかない所まで来てしまっていたんだろう。

 

「もうっ、大和先輩遅いよ! 私待ちくたびれそうになっちゃったじゃん」

「大人しく病院の中で待ってたら良かっただろうが。一応病み上がりなんだから、無理をするんじゃない」

「もしかして先輩、私の事心配してくれちゃったりする? どうなんですかぁー?」

 

 ニヤニヤと分かりきった事を訊くような口調と笑みを浮かべるりせに、意地の悪さが出た俺は……。

 

「ありえないな、そんなことは」

「えーーーー! 先輩冷たーいっ」

 

 天の邪鬼と笑わば笑え。兄貴分としては、たまにこの生意気な小悪魔を苛めないことには威厳を保てないからな。

 返事に納得がいかない様子のりせは頬を膨らませているがそんなの瑣末な事だと切り捨て、俺はりせの足元に置いてある着替えなどが入った鞄をバイクに積み始めた。

 

「しかし……随分と私物が多い気がするんだが、着替えなんて三着程あれば後はローテーションでどうにかなるだろ?」

「それは大和先輩が男だからでしょ。女の子は色々と大変なの、いつでも綺麗な姿を見て欲しいのっ」

「なんだそりゃ、女の厚化粧の言い訳みたいな口上だな。雑誌の後ろの方に載ってそうだぞりせ」

「なにそれー、私が悪いみたいに言わないでよぉ。今のはどう考えても、全国の女性を敵に回す発言だよ」

 

 価値観ってのは、時に他者との大きな差異を生み軋轢に変わるらしい。

 小難しくそれっぽく言った所で、結局は俺が悪いって事なんだろう。失言、ダメ絶対。

 さして怒気などを持たない睨めつける視線を受け流し、俺はバイクに跨った。

 りせもそんな態度を見て無駄だと理解したらしく、大人しく後を着いてサイドカーに乗り込んだ。最近はりせしかこの場所に座らせてないな、そういえば。

 

「鳴上達にはもう連絡済だからこのまま神社まで行くけど、別にいいよな?」

「うんっ、それでいいよ」

「それじゃあ、しゅっぱつ!」

「しんこー!」

 

 掛け声と同時に走りだす。

 安全を思ってつけたサイドカーだが、後部座席に座らせて密着を楽しむという花村のような青春模様が得られないのは、確かに少々惜しい気もしながら公道を走る。

 退院の前日、りせは退院当日に鳴上達みんなを集めて離したい事があると言ってきた。その時は何を話すのか本人は教えてくれなかったが、多分それはあのテレビの世界の事と―――。

 巻き込みたくはないと思ったりはしなかったが、あの婆さんの状態を見るとどうしても勧める気にもなれないというのが今の所の心情。

 きっとこれからも俺達は危険な目に遭うし、帰れない夜があるかもしれない。そうなったら婆さんの心労がまた増えるかも。

 帰るところがない俺は、あそこを失うのだけは嫌だと、そう心が哭いている。

 

 

 神社に到着すると既に仲間達は集まっており、バイクの音を聞いたのか到着するなり視線は俺達に集まっていた。

 初夏の日差しは思ったよりも強く、熱気が漂う道路よりも木々がひしめく境内は幾何かは涼しげに感じた。

 

「悪い。ちょっと遅れたか?」

「いんや、みんなさっき集まったばっかだよ。それより、薄着の生りせちーってのも……ごくり」

「生唾を飲むんじゃないの! ったく花村は、いつか本当に捕まるかんね」

「千枝の言うとおりだ。お前、りせに変な事したらこの世とお別れする事になるからな」

「……お前の冗談は本当くさくて笑えねぇよ……」

 

 冗談じゃないから当たり前だな。

 冷や汗を流す花村をけん制し、どういうわけかジト目で睨む千枝を受け流し残りのメンツを見渡す。

 相変わらずこの暑さの中でも表情をあまり崩さない鳴上と、夏服になって凶悪さがました完二に、熱いのは苦手なのかさりげなく木陰に居る天城。……それと、面識がない金髪の美少年。

                     解析 名称/クマ之介 年齢/??? 性質/■■■■

 …………ん?

 

「あれ、その子は誰? 見たことないけど」

 

 少年の姿が目に付いたりせが質問をした。

 それもそうだ、これから話すつもりの話題は他の人には教えられない。それに、この町で金髪でしかも青い目をした美少年なんてそうそういない。というか、そんなのが居たらそれだけで噂になるレベルだ。

 みんなを代表して花村が答えるが。

 

「ああ、コイツは……あー、何つうかその」

 

 とても言いにくそうだ。

 正体がわかってしまった俺としても、コイツがあのクマ之介だという荒唐無稽な説明しずらいな。第一、どうやって説得するつもりだ。

 どうりせに説明するか悩んでいる花村をよそに、張本人である金髪青目美少年にジョブチェンジを果たしたクマ之介が前に出た。

 

「クマはクマだよリセチャン、久し振りクマね」

「……えっ!? く、クマさん? あの、着ぐるみの中ってそんなだったの?」

「クマ空っぽだったけど、チエチャンとユキチャンを逆ナンせねばと思って一念発起したクマ。おかげで中身が出来ましたクマー!」

「むちゃくちゃすぎるだろ、クマ之介」

「だから、逆ナンはもう止めてって……」

 

 根性論とか気合でどうにかとかそういう問題のレベルじゃねえ。

 

「クマさんって、ホント何者……?」

 

 それが分かったらコイツも苦労してないよりせ。

 俺はそれがなんなのか分かるけど、どういうわけかやはりというか以前より見れる情報が少なくなってる気がする。

 なにか、俺の中で異質なモノが蠢いてるような、胎動を感じる―――。

 

「で、俺達を呼び出したのはてめぇだろ? なんの用だよ?」

 

 これまで静観していた完二が本題に入るべく切り出した。

 新生クマ之介との交友を深めるのも悪くはないが、それよりも今は事件についての目下最有力候補の話を聞きたいところなんだろう。見た目に反してなかなか真面目なのが、この巽完二という男である。

 流石に呼び出した本人である手前、りせは完二の言葉を聞いて背筋を伸ばし皆を一斉に見渡した。

 

「もうわかってると思うけど、今日大和先輩に頼んで呼んでもらったのは、あの世界での事を訊きたかったからなの」

「霧城からは訊いてなかったのか?」

「うん、先輩に訊こうと思ったけど多分……全部はちゃんと教えてくれない気がしたから」

「信用ないな俺」

 

 鳴上の考える事は至極まっとうだ。

 りせは俺を通してこいつらを呼ばせたが、そんなことをしなくても俺に直接訊けばよかったんだ。まあ、だからといって全部をちゃんと教えるとは確かに思ってなかったけど。そこらへんの眼力は芸能界で培ったんだろう。

 

「別に大和先輩を信用してないわけじゃないんだよ? むしろ、全部預けても良いくら―――」

「―――でっ! 何が知りたいのりせちゃん!?」

 

 捻くれ者の俺には言い訳のように聞こえるりせの言葉は、しかし千枝が急に上げた大声で遮られた。

 この二人は……なにか因縁でもあるのか?

 遮られて不満げなりせは恨めしそうに千枝を一瞥し、気を取り直して話を続ける。

 

「…………私が知りたいのは、私をあの中に入れた犯人と、先輩たちがあの世界で何をしてるのかペルソナってなんなの? って事かな」

 

 犯人と聞いて、胸がチクリと痛んだがそれだけだった。

 俺は俺の目的のために手段は問わないと覚悟を決めた。今更、やりたくてやったわけじゃないとかみたいな言い訳は言わない。婆さんの事は負い目に感じているが、俺はもう止まらないと決めたんだ。

 りせの要求を聞いて、鳴上は「大体全部だな」と俯きながらつぶやいて顔を上げた。

 

「分かった、それじゃあ一から説明しよう」

 

 そうして、鳴上によるこれまでの経緯が説明された。

 途中おぼろげだったり、俺が加入してない間何をしていたのかなども掻い摘んで説明した。

 テレビの世界の事だったり、この町の連続殺人事件と、失踪事件がリンクしている事とか。それに俺達の持つペルソナという力についても。

 

「それじゃあ、みんなあの世界で自分のシャドウを受け入れてペルソナを手に入れたの?」

「いや、鳴上と霧城だけは違うよ。鳴上は俺の目の前でいきなりペルソナを出して……霧城は偶然らしい。そうだよな?」

「ああ、花村の言うとおり俺も鳴上と一緒で自分のシャドウを見てない」

 

 原因は多分イザナミのせいだろう。

 あの時の邂逅から、俺の人生は狂い始めた。

 だけど、代わりにこいつらと会えたのは僥倖なのかもしれない。

 花村の説明を聞いて情報を咀嚼していたりせの視線が俺に向けられる。

 

「……ん? どうしたりせ」

「んと……やっぱり大和さんって、不思議だなぁーって思って。だって、初めて私と会った時も―――」

「―――それはもういいって」

 

 余計な燃料を投下してどこに火が付くか分かったもんじゃないんだ。花村が喚いたり、それで千枝が怒って天城が怒るなんて連鎖は勘弁願いたい。

 りせが余計な事を言ってしまわないうちにまとめに入ろう。

 

「それで、結局りせはどうしたい?」

「どう……って?」

「決まってる……このまま目を瞑るか、一歩を踏み出すか。どっちを選ぶかという事だ」

 

 りせが結局みんなを集めたのは、これが目的なんだろう。

 彼女が言うように勿論犯人やテレビの世界、それにペルソナについても訊きたかったんだろう。

 でも、それらを訊くだけなら俺に訊けば済む話。それをしなかったのは、みんなを集めたのは。

 

「うん、私……自分がこんなことに巻き込まれるなんて思ってもみなかった。だから、最初はすごく怖かった。怖くて、寂しくて、また怖くなった。……けど、大和さんが、みんなが助けに来てくれた。それが、すっごく嬉しかった! ありがとねっ!」

「……ーーーっ!!!」

 

 りせの満面の笑みに、皆が息を呑んだ。

 花村の感情を代弁するなら、この笑顔を向日葵を凌駕して、太陽、否! 全宇宙の根源であるビッグバンの閃光のようだ! みたいな感じだろう。なんか涙ぐんでるし。

 

「私、自分を助けてもらったみたいに他の人も助けたい。それと、どうして犯人がこんなことしてるのかも、被害者としては知りたいもん」

 

 くるりと翻ってりせがこちらを向いた。

 瞳は俺を映している。信頼しきっているような眼差しが、りせの件に限って犯人でもある俺を責めているようにも見えるのは、多分被害妄想なんだろう。

 チラリと横目で千枝の様子をうかがってみると、以外にも怒っている様子はなく、逆に不安そうな表情を浮かべていた。

 

「大和さん、じゃなくて……先輩は、私が居てくれたら嬉しい? 私が必要?」

 

 詰め寄り問うてくるその意味は、額面通り、仲間としてなのだろうか。

 濡れた瞳から感じられるのはそれ以外のなにかも潜んでいるように、俺は視えてしまう。

 しかし、だからといって今更りせだけを放逐というのも拙いだろう。婆さんの事を考えれば、りせは巻きこまないのが定石だがそうなった時コイツはちゃんと留守番をするだろうか。大人しく待っているとも思えない。それだったら俺達と同行して俺が守れば。

 戦闘用じゃないりせのペルソナは、自然と後衛になるから安全性も高いだろう。

 考えて、考えて、今一度りせの真意を測るべくその瞳を覗き込んだ。

 玻璃のような瞳は疑心に揺らぐことなく、無謬の輝きを放っている。

 

 ―――そうだ、俺はりせに選択を委ねたクセになんで俺が決めようとしている。

 それこそ烏滸がましいってもんだ。

 

「……必要だ。お前が、りせが居てくれると助かる」

「……うんっ! それじゃあ、私も仲間に、一緒に行きたい!」

 

 嬉しそうに笑う彼女は、俺には眩しくて……だけどとても美しく視えてしまった。

 心奪うようなその表情を見て、やっぱりアイドルになるべくしてなったんだな、と柄にもなく思ってしまった。

 こうして、中身が生えた(?)クマ之介と、元アイドルの久慈川りせが特別捜査隊の仲間入りを果たした。

 

 今回、俺が起こしたこの事件がきっかけに犯人がどういう行動をとるのか。

 受け身に回るしかなかった今迄が変わるような、そんな変化を望みつつ。

 とりあえずは近く行われる期末テストに、苦悶の表情を浮かべる成績不良者たちを救出するための勉強会でもしようかと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 大和がりせを迎えにバイクで出かけてから数十分が経過した頃のマル久豆腐店では、二人の帰りを待つりせの祖母が家を掃除していた。

 最近は体調を崩したりして満足に家の事が出来なかったせいもあり、ほとんどを大和にまかせっきりにしてしまった為、りせの祖母は少しは働こうと思い立ち掃除を始めたのだ。

 居間を掃除し、廊下を掃き、りせの部屋を片付けながら勝手に掃除したことを怒るかしら、と悪戯な笑みを溢した。

 そして、祖母が勝手に思い込んでいるりせ以上に怒りそうな思春期の男子である大和の部屋を掃除しているときに、“それ”は見つけた。

 

「あら、大和君ったらこんな所に色紙を立てかけて、埃が被っちゃってるじゃない」

 

 棚の一番上に掛けられた色紙。

 それは大和がこの町に越してくる前に持ってきた私物の一つだった。

 行きの電車内で眺めていた、級友とも彼は呼ばない者達の寄せ書きの色紙の―――。

 

 ―――はずなのに。

 

「大和君も変わってるわね………………真っ白の色紙を飾るなんて。もしかして、りせちゃんのサインでも書いてもらうつもりだったのかしら」




少しづつ原作乖離を……しようかなと思ったり、今迄決めていた道筋から外れて違う展開にしようかなど考え中。
でもラストは絶対に変わりません。

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