ペルソナ物語4~ポケットが真実でいっぱいいっぱい~   作:琥珀兎

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大変お待たせしました十六話です。
今回もまぁシリアスです。

戦いが終わったら、また気楽な話しを書きたい。


第十六話:からっぽの自分

 幽玄漂う場内で六人のペルソナ使いは圧倒的なまでの戦況を見せられていた。

 久慈川りせのシャドウが開放された後、彼らはそのシャドウを倒すべく自らの仮面を召び出した。

 口火を切ったのは陽介のペルソナ『ジライヤ』である。

 風の技を得意とし、ペルソナの速度が優秀なジライヤが空を駆け、地上でシャドウに向かって走る陽介と並走する形になる。

 先手必勝、と陽介は思ったのだろう。彼の考えではまず相手の出方を伺うよりも打って出た方が有利に働くと信じているのだ。確かにその理論もあながち間違っては居いない。正体不明の敵に遭遇した時、どんな戦法で攻撃してくるのか分からないのにただ待っているだけでは相手の思うツボだ。自ら進んで的になるなどという愚行を、陽介は推奨しない。故に、彼は誰よりも疾く攻めた。

 

「待ってろよっ、今助けるからなぁ! やれジライヤァ!」

 

 上体を屈め低空姿勢のまま走る陽介が、両手に持った苦無の内右手を掲げた。

 それはジライヤの攻撃スイッチ。

 少年の持つヒーロー像の具現であるジライヤが、中空でフィギュアスケートでも主な技であるアクセルジャンプの様に回転し右手をりせのシャドウに突き出す。

 

   《ガルーラ》

 

 初歩的な《ガル》の上位互換である技が繰り出される。

 敵の足下より“それ”は顕れ、一撃でなぎ払う豪風がりせのシャドウを襲う。

 陽介は思った。

 通常よりも威力の高いこの攻撃ならある程度のダメージを与える事が出来るであろうと。もし、相手が風の属性に耐性があったとしても、それはそれで一つの収穫になる。そうであれば悠がすぐさま別の作戦を講じるであろう。

 陽介の先制攻撃は、仲間を信頼してこその行動だった。

 想像通り豪風はシャドウを襲い、その濃密な風のカーテンに敵の姿は一瞬見えなくなった。

 

「よしっ!」

 

 手に持った苦無をギュッと握りガッツポーズを作った陽介。

 手応えは十分、これなら……と心中で余裕を見出した。

 

 ―――だが、それも刹那の夢に過ぎなかった。

 

「アハハッ! そんなのぜ~んぜん効かないよ!」

 

 無邪気な悪意の詰まった声がホールに反響した。

 風が止んだ後に残ったのは驚嘆か、はたまた絶望か。

 陽介の攻撃などまるでそよ風のようだと言うように敵は変わらぬ体勢のままで踊り狂う。

 踊り子の肢体にはまるで傷のような、ダメージを受けた形跡など皆無であった。

 

「なっ……嘘だろおい」

 

 予想してなかったわけではないが、今自分が持てる最大の技をこうもあっさり無効化されて驚愕を抱かないわけがない。

 希望的観測に過ぎないが、心のどこかで僅かでも敵を消耗させる事が出来るかもしれないと思っていただけに、この現実はなかなか陽介には堪えた。

 しかし、始まって間もないのに戦意を失うのは即ち死に直結する。

 だからクマは想像の範疇で確証こそないものの、陽介を励ますように声を上げた。

 

「きっとあのシャドウは風を無効化するのかもクマ! 気をつけるクマ!」

 

 戦うことが出来ない自分が唯一出来る事をしよう。

 せめて少しでも役立ちたい一身でそう言ったクマに、雪子が応えるように動き出した。

 

「風が駄目なら、こっちはどう!? お願いコノハナサクヤ!」

 

 反撃の隙を与える間もなく雪子が舞う。

 手にした扇を巧みに扱い、連動するようにコノハナサクヤも舞う。

 

   《アギラオ》

 

 雪子が、コノハナサクヤが今持てる最高の炎がりせのシャドウを襲う。

 自身のペルソナから前方一メートル先程から爆炎が発生し、それに呼応するが如く連鎖的に、敵に向かって繰り返し爆発が起きる。

 耳朶を震わせる轟音が彼女の自身の源となる。これならばひとたまりもないだろうと。

 雪子の攻撃に対して特によける様子もなく敵はポールから身を離すことはなかった。もしかしたら、敵はあのポールから離れることは出来ないのでは、と夢想するぐらいには雪子にもまだ余裕があった。

 

 ―――爆炎が敵を襲う。

 

「これならどうっ……!?」

 

 だが、それもまた儚き夢であった。

 

「きゃはははは!! たったこれだけの攻撃でわたしを倒すつもりだったのぉ?」

「嘘……これも効かないの」

 

 結果は惨敗。

 野球の試合で投手が全力で投げた球が、ホームランで打ち返されると言うよりむしろ、それがフォアボールとなって押し出し。逆転サヨナラとなった時の無力感にも等しい。真っ向からの勝負とは違った結果に負けを期した投手のような気持ちに雪子はなった。

 黒曜石のような瞳に絶望の色が混ざっていく。

 同時に心の臓が早鐘のように強くなっていくのを雪子は感じた。

 生物というのは敵わぬ相手に相対したとき、本能が脳に体に警告のアラームを光の速さで伝達させる。決して敵対してはいけないと、魂の器である肉体が悲鳴を挙げるのだ。逃げろ。一目散に逃走するのだ、と。

 これまでどこか楽観視していた雪子が、初めて死に直面した瞬間だった。

 

「あっ…………」

 

 足が震える。呼吸がうまく出来ない。脳が酸素不足で機能を鈍化させ意識が視界が朦朧とする。

 怖い―――恐い―――強い―――。

 閉じ方を忘れた口がガチガチと歯を打つ音を立てる。力を込めようと、口を閉じようとしてもどうにもならない。

 見下し嘲笑するシャドウはユラユラとポールにぶら下がっているだけ。なのに一度恐怖を覚えてしまった雪子にはそれすらも不気味で、とても恐ろしいものに思えてきた。

 覚悟ならあるなど聞いて呆れる。いくら口先で取り繕おうと所詮はただの一般学生なのだ、数ヶ月のうちに命のやり取りなど出来るはずがない。

 もう、雪子はこれ以上戦う事は、出来ないだろう。

 

「大丈夫だ、天城。……君は一人じゃない」

「…………鳴上……く、ん……?」

 

 シャドウと雪子の視線上を、遮るように立ちはだかるは鳴上悠。その大きな背中が、雪子にはとても大きく感じられて、言いようのない安堵感が込み上げてきた。

 悠は思う。陽介の風、雪子の火、その二つが無効化されたというのは確かに驚くべき事だが、この劇場には他にも同じように属性攻撃が全く効かないシャドウならいた。故に、それ以外の、どれか一つの属性なら通るかもしれないと悠は予想する。

 

「どう思う霧城、りせのシャドウはさっき戦ったなんでも跳ね返すシャドウと同じようなものだと俺は思うんだが」

「…………」

「……霧城?」

「んっ? あ、ああスマンちょっと考え事をしてた」

 

 自分の持論が概ね正しいのか悠は大和にそれを訊ねたが、何故だか大和は驚いたように目を見開いて敵シャドウを凝視していた。

 何か気づいたことがあったのだろうか。だとしたらこの場で意見を聞きたいが、

 

「キャハハ! わたしの全てを見せたげる!」

 

 その時間はどうやら無いらしい。

 妖しく蠢くりせのシャドウから、何かが発生するのが大和には見えた。それは属性攻撃が発言する光のようなもの。

 

   《マハジオンガ》

 

「きゃあ!!」

「ウハァ!」

「チッ、上等だぁ!」

「ハイピクシー!」

「ふんっ!」

 

 雷属性の全体攻撃。

 悠と大和を除いた四人が成す術なく攻撃を受けてしまった。特に、陽介のダメージは大きかった。以前に完二のシャドウと戦ったさいにも同じ雷属性の攻撃をくらった時、彼だけが他の人よりも大きなダメージを受けていた事から、陽介にとって雷属性は弱点だということが窺い知れる。

 逆に、悠は自分のペルソナを変え雷属性の攻撃を無効化するペルソナにしていた。そして大和もまた、ペルソナの仮面を変えその属性を変化させていたのだ。結果、悠と大和だけが難を逃れて無傷のままとなった。

 

「……厄介だな」

 

 舌打ちをし吐き捨てるように呟いた大和は敵を見据える。シャドウを捉える瞳には様々な情報が映し出されていると同時に、それが何なのかを脳が理解するように思考が高速化していく。

            情報(アナライズ) 名称/固有の名詞は無し。よって仮にりせの影と今後は呼称する 弱点属性/無し 無効化/光 闇 状態/《大言創語》によってあらゆる攻撃が無効化される

 ―――内心、自分という個を滅ぼしたくなってきた。

 このシャドウは自分がかけた言霊のせいであらゆる攻撃を是とせず、全てを無に帰してしまう。本来、陽介と雪子の攻撃は無効化されることなくちゃんと当たる筈だったのに、大和のりせに対する“保険”のせいで窮地に瀕してしまっている。それもこれも、始めに大和がりせを攫ってしまったからである。

 

(俺がりせを誘拐したことが起因しているのだとしたら、元々俺が何をしても意味は無かった、としか思えない。しかし、それじゃあ俺の運命は変わらずに……待てよ、違う、俺はこうなる結果を早める為に……クソッ“以前”よりも思考が上手く回らない)

 

 忸怩たる思いをしながらも、大和は仲間達を見渡す。

 ハイピクシーにチェンジして事なきを得た悠と違って、多少ダメージを負っている四人を視て、まずは回復をしなければと行動に移す。

 

「万象悉く見せつけろ―――トコタチ!」

 

   《メディラマ》

 

 唱えた瞬間、癒しの力が四人を包み傷ついた体がみるみる元通りになっていく。

 霧城大和は表立って戦わない。それは彼らの意思を踏みにじらない為。自分の力が異常だということを知っている大和は一人で敵を屠る事ぐらい、障子紙を破るのと同じぐらいに簡単な事。でも、それでは彼の望む【真実】には辿り着けない。

 だからこそ、彼は必要最低限の手助けしかしないことにした。勿論仲間が死に瀕したら全力で助けるだろう。逆に、命の危機が訪れない限りはその旨ではないということだ。

 

「ふぅ、ありがとう大和君。ホントそのペルソナって凄いね……なんかさっきとちょっと顔が違う気がするけど」

 

 傷が癒えた千枝は感謝を述べながら大和のペルソナに視線を移す。

 召喚された当初は何の表情も持たぬ無貌であったトコタチは、以前完二を助けた時と同じ仮面を付け泰然として構えている。

 有耶無耶なままで棚に上げられた疑問が、ふと千枝の胸に湧き上がってきた。

 

「そういうペルソナなんだろ多分。俺も、よくは知らないんだ」

「そっか、でもやっぱり強いねその子」

 

 湧き上がってきたのだが、それよりも優先すべき事案に立ち向かっている今はそれを聞くべきではないと千枝は判断した。

 何か聞きたかったものを飲み込んだように見えた千枝の仕草を、大和は見逃さなかった。だけど、今はそれよりもりせのシャドウに―――正確にはりせ本人にかかっている言霊を解除しなくてはならない。

 この場面では、それもたやすくは行えないのを大和は感じ葛藤する。

 大和にとって《大言創語》は切り札中の切り札。秘中の秘であり、最後の砦。

 そう易々と、たとえ仲間といえど晒すわけにはいかない。能力の万能性、その強大な強制力を知ってしまったら、きっと彼らは自分に対する疑惑と恐怖の種が心の内に植えつくことになる。それだけは、何としても避けたい。

 

(今は下手に動けない。だからといって、このままりせの《大言創語》を解除しなかったら俺達はじわじわと体力を削られて全滅は確実……。全部、俺が悪いってのか?)

 

 言霊の解除にはある特定の条件がある。

 一/対象の命、または存在が消える事。

 二/同じ《大言創語》でかけた言霊を否定する。

 三/術者の粘膜と対象の粘膜接触―――簡潔に言って、接吻。

 

 これが、大和に躊躇いを生み踏ん切りがつかない理由である。

 

 

 

 

 ―――思えば、間違いとは一体なんなんだろう……と考える事がある。

 

 正しいの対義語?

 では、間違えなければそれはすべて正しいと言えるのだろうか。

 数学の世界には間違いと正しいがわかりやすく線引きされているものの、こと現実においては多面的なものの見方によってその姿形を変えてしまう。

 とある人間にとっての“正しい”は、他の人間にとっては“間違い”で、第三者にとってはどうでもいい事なんだろう。

 十六年と少し生きてきた俺にだって、それぐらいの分別はついているつもりだ。

 だから―――今回のこれは、俺にとっては“正しい”で、他の仲間にとっては“間違い”なんだろう。

 

「鳴上、アイツは多分どんな攻撃をしても今は通用しないと思う」

「……どういうことだ?」

 

 ケタケタと笑いながら踊り狂うシャドウを見据えながら、鳴上に耳打ちをすると、案の定「何を言ってるんだ?」って顔をしながら俺を見てきた。

 ちゃんと全部説明すると、俺が悪者ってことになるんだろうか。もしかしたら説得、というか言い訳のしようによってはコッチが善人になり替わる可能性もまだある気がする。……悪人も善人にも全くの興味は湧かないが。

 ここは、筋の通った風な理由をでっち上げるしかないな。

 

「あのシャドウは多分探索型だ。俺達の情報を読み取ってその攻撃とパターンを読んでるんだ。だから、今は何をしてもきっと効果は無い」

「なるほど、だとしたらコッチには打つ手が無いぞ。全員のペルソナを読まれてるんなら、何をしてもあっちが有利だ」

 

 鳴上の言ってることは正しい。現に、回復した完二や千枝、それに花村と、ちょっと控えめだけど天城が絶えず攻撃の雨を降らせているけどどれも実を結ばない。

 だけど、それは“普通”のペルソナ使いを相手にした時だけだ。

 

「どんな事にも、例外ってのは付き物だ。鳴上……お前の“力”だったら出来るだろ? …………“ワイルド”なんだろお前」

「――――――っ!?」

 

 決定的な言葉に鳴上の顔には驚愕の色が浮かび上がっている。

 出来れば最後まで黙っていた方が良かったかもしれないけど、今を何とかしないとそんな未来はいつまでもやっては来ない。ならば、この状況を味方に付けた方が得策に決まっている。

 

「……どうして霧城がそれを? まさか、お前も―――」

「ご明察。今まで黙っていたけど、俺も鳴上と同じで“ワイルド”らしい、ちょっと毛色が違うけど」

「イゴールが言ってたのは霧城の事だったのか……」

 

 イゴールが? 何の事だ?

 まさかあの長鼻が鳴上に俺の事を漏らしていたのか? だが、直接であれば鳴上のこの反応はおかしい。鳴上は“まさか”と言っていた。それは確証ではなくて、あくまでも予想や予感めいたものに頼って得た答えに付く言葉だ。

 この場合考え付くのは、何らかの理由でイゴールは俺の存在を仄めかす言動をし、それを聞いていた鳴上がもう一人のワイルドの存在を疑っていた、ということだろう。

 

「あいつが何を言ったのかは知らんが、今はその力でりせの影を倒す方が先だ」

「色々聞きたいが、確かにそうだな。今はりせを助けなきゃ。それで、方法は?」

 

 そう、その方法が一番重要なんだ。

 《大言創語》であらゆる攻撃が効かない敵を倒すには、やっぱり俺が解除しなくちゃならない。だけど、条件のうち一つは対象の『死』これは選べない。りせはこれから必要な戦力になる。

 次に条件の二つ目だが、これも結構難しい。大言創語を使うにはトコタチを使うから、その為に嫌でも一目についてしまう。いくらこれから鳴上が目を惹こうとも、少しぐらいは視界に入ってしまうかもしれない。こんなことで計画が水泡に帰すのは俺としても避けたい。よって、非常にやむお得ないが条件の三を選ぶしかない。

 ばれないように細心の注意を払って。特に、千枝にはばれないように。天城にばれても死ぬかも。

 

「さっきも言ったが、相手は恐らく俺達のペルソナの情報を読み取ってるかもしれない。だから勝てない。……なら、ローテーションで読み取る隙を与えなければいい」

 

 鳴上の持つ“ワイルド”という性質上、マーガレット曰く複数のペルソナを扱うことが出来るらしい。

 それなら、相手が読み取る間にペルソナをチェンジして攻撃、さらにチェンジを繰り返していけば想像上は上手くいく。

 ただ、これは相手に《大言創語》の言霊がかかっていない場合だけだ。だから、鳴上が奮闘している間に、俺はりせに―――。

 

「そうか、それならりせのシャドウに遅れを取らない」

「そゆこと」

「だけど、それなら同じワイルドの霧城も一緒に……」

「悪いけど、俺のペルソナはこいつ一人なんだよ。言ったろ、ワイルドだけどちょっと違うって。ま、それがなんなのかは俺も分からないんだけどね」

 

 複数のぺルソナを持たず、一体のペルソナが複数の面を持つ。なのにマーガレットは俺をワイルドだと称した。

 他にも何かが“混じっている”と言っていたが、それがなんなのかは俺には分からない。知りたい事は知らないのに、必要のない情報ばかりで俺の脳は溢れている。無い物ねだりってのはこういう事を言うんだろう。

 

「だから鳴上は先行して敵を叩いて時間を稼いでくれ。その間に、俺がデカい一撃を奴にぶちかます」

「わかった。花村達のフォローは頼んだ」

 

 その言葉を最後に鳴上はりせの影へと突貫していった。

 長い攻防に疲弊していった四人の群を抜けて鳴上のペルソナが変わるのを見届けた後、俺はクマ之介が介抱しているりせの元へと駆けた。

 時間は思っている以上に無い。

 俺が立てた作戦が通用しない事が分かった、皆の意識は俺に向けられる。

 その前に―――りせにキスをしなくては。それも、とびっきり濃厚なやつを。

 粘膜接触がどの段階までなのかは、やってみないと分からない。している途中で多分俺の脳内で何かしらの合図が来るはずだ。だからきっと、もしかしたら深いキスをしなくちゃならない事も頭の片隅に置いておかなくては。

 

「およよ、どしたクマ? クマに何か御用クマ?」

「クマ之介。悪いんだが鳴上達の所に行ってなんでもいい、お前が出来る限りの手助けをしてやってくれ」

 

 りせにキスするシーンを見られたら口に戸を立てられないコイツの事だ、絶対に他のみんなにその事実を漏らすだろう。そしたら俺は破滅だ。今年の終わりを待たずして俺の運命は閉じてしまう。

 俺が頼ってくるのが嬉しいのか、クマ之介はやる気に満ちた顔で戦闘中の中に突入していった。

 これで邪魔者はいない。目の前には眠ったままのりせだけ。

 

「……すまない。俺の身勝手な行動がこうなるとは、俺も思ってなかったんだ。だけど安心しろ、それも今開放してやる」

 

 今回の沙汰に限り、全ての罪は俺にある。ならば、俺はそれを贖わなければならない。

 罪には罰を。当然の摂理だ。

 下される罰がどんなものなのかは分からないが、きっとそのうち俺は痛い目を見るはずだ。

 

(或いは、りせに対する“これ”が俺の千枝への思いに反故する為の“罰”なのかもしれない)

 

 膝を折りソファで眠るりせへと距離を縮める。

 人形のように眠るりせに優しく、重要文化財でも触れるかのように慈しみを持ってキメ細やかな頬に触れる。

 フワリと絹にでも触れたような感触がして、思わず心臓の鼓動が早くなってしまった。

 アイドルとしてテレビや衆目を集めるだけあって、やっぱりりせの容姿は可愛らしい。年相応というのもあって、美しいというよりは可愛い。色香ならマーガレットに軍配があがる。

 目を覚まさないよう慎重に顔を近づけ間近でその顔を凝視する。

 呼吸は正常。顔色が若干優れないけど、命に関わるほどではない。

 

 ごめんな。こんな形でお前の初めてを奪うようなことになって。この事実は俺が絶対に秘密にして墓まで持ち帰る。だから、お前は何も知らないままずっと眠っていてくれ。

 

 事に及ぶ前に一度鳴上達がどうなっているのか確認すべく、視線を破壊音などが行き交う方へと目を向けてみる。

 

「“チェンジ―――カハク!”」

「げっ、お前どれだけペルソナ持ってんだよ!?」

 

 順調に猛攻を仕掛けているようだった。

 一応千枝の様子も伺ってみたが、どうやら戦闘に集中しているのかこっちには目もくれない。一度決めたら猪突猛進で、それが彼女のいい所でもあり好ましく思う。

 でも、俺は今からそんな思いに泥を塗るような事をします。ごめんなさい。これから俺は、ずっとこの“嘘”を抱えていかなきゃいけません。

 自分で蒔いた種は、自分でどうにかしなくては。

 

「……よし」

 

 向き直って唇へと侵攻を進める。

 気がつけばその距離は既に十センチにも満たない。

 規則正しい呼吸を繰り返す艶やかな唇を犯し、陵辱する。

 罪悪感と背徳感がせめぎ合って、それが俺にある種の興奮をもたらした。

 いつもは冷めている血液が熱く沸騰し、供給速度が明らかに早くなっているのがよく分かる。心臓が早鐘を打ち、脳内でスパークを起こしたように閃光が走り、それが網膜へと到達して軽い目眩のようなチラつきが起きる。

 正確に唇を捉えるために右手は絶えず頬に添えられているが、そこからじっとりと僅かに汗をかいている。

 端的に言って―――緊張している。

 

(不肖、霧城大和―――逝かせていただきます!)

 

 五センチ、三センチ、一センチと距離は縮まり、りせの吐息が俺の唇に触れたと実感した瞬間―――。

 

 俺とりせの距離は零になっていた。

 初めは優しく。世界一柔らかいマシュマロでも、この柔らかさには敵うまい唇に触れた。

 初めての出来事に、俺も同様を隠せない。偉そうなことを言ってきたものの、俺だって人並みに緊張はするし興奮もする。

 

「……んっ……ふっ、ん…………っ」

 

 合わさりきっていないりせの口端から熱い吐息が漏れ出る。気のせいだろうか、僅かに唇が震えているようにも感じる。

 時間にして一秒ほどその姿勢のままでいたが《大言創語》が解けた様子は無い。

 ということは、

 

(更に、深く―――)

 

 触れ合っている唇の角度を僅かにずらし、俺は少ししか開いていない狭き門をこじ開けるように舌を捩じ込んだ。

 

「……っ……ふぁっ、ん……ちゅるっ…………っ」

 

 力が篭ってなく、強張ってもいなかったお陰で侵略は難なく行えた。

 熱を持った唇を抜け、軽く空いていた歯の林を走破して本命の舌へと到達を果たした。

 そのまま、言霊の合図が解けた様子が無いのを歯痒く思いながら、青少年の青い衝動に気圧されて俺は、呼吸が荒くなり、呻くように眠るりせの舌を攻め始めた。

 舐るようにして絡みつき、無意識のうちに逃れようとする標的を逃さず、絡め取っては互の唾液を交換し続ける。

 

「んむっ……ちゅっ、ちゅる……んぅ、ふっ……じゅるっ……しぇん……ぱぃっ…………ぁっ」

 

 りせの口腔内を嬲ること数秒。ついに脳内で言霊の解除の合図が出た。

 なんかもう、完全にりせの反応が怪しくて背中の冷や汗が止まらないけど、問答無用で口を離して俺は叫ぶ。

 

「今だ鳴上! 畳み掛けろぉーー!!」

 

 怒号は空気を振動させその音は鳴上を含めた全員に行き届いた。

 呼応するように、鳴上が、花村が、完二が天城が、そして千枝が武器をその手に持ちペルソナと共に攻撃を仕掛けた。

 

   《ジオンガ》《ガルーラ》《アギラオ》《マハブフ》《キルラッシュ》

 

「あぁ~ん―――っ!」

 

 《大言創語》が解けた瞬間、五人の一斉攻撃に対抗できず直撃をくらったシャドウが断末魔のような声をあげた。

 一時、怒涛の攻撃に砂塵が巻き上がり目の前の景色が見づらくなっているのを見計らって、俺はりせから離れ鳴上達の所へと近づいた。

 

「やったな、これで奴もひとたまりもないだろ」

 

 労をねぎらい近くにいた完二の肩を軽く叩いた。

 

「あっ、霧城先輩遅いっスよ。もう倒しちまいましたよ」

「倒したんなら、それでいいじゃんか」

「そういえば、大和君はどこに居たの? あたし戦いに集中してて全然わかんなかったよ」

 

 千枝の何気ない言葉にドキッとしてしまった。

 言えない。りせに超濃厚なキスをしてたなんて、口が裂けても言えない。

 

「俺は少し離れた所からサポートしてたんだよ」

「まっ、何はともあれこれでりせちーも助か―――」

 

「イッツショーターイム!」

 

 花村の能天気な声は、底冷えするような根明の声音に遮られた。

 その瞬間。俺の体がダンプにでも跳ねられたかのような衝撃に見舞われ勢いよく吹き飛んだ。

 

「先輩っ!!」

「いやぁぁぁああああ大和君っ!!?」

 

 勢いが削がれることなく壁に激突した俺の身を案ずる完二や千枝達の声が耳に聞こえてきた。

 嗚呼、俺、何かにぶっ飛ばされたのか。

 いくら強化されてるといっても、この衝撃に脳は耐えられない。これは脳震盪だな。三半規管が狂って平衡感覚が分からないし、鼓膜も破れてるかも。なんかさっきから何か言ってると思うんだけど、よく聞こえないや。

 

『ちょーっと痛かったけど、ステージはまだまだこれからよ!』

 

 砂塵が晴れてゆくと、そこには今だ健在な姿を保ったりせの影が居た。

 霞む視界の中それだけははっきりと見えた。

 

『テメェ! 許さねぇ、よくも先輩をぉおおお!』

 

 こごもった音が聴こえる。はっきりと何を言っているのか分からないけど、これはきっと完二なんじゃないだろうか。

 怒りを隠せないのが耳には聞こえずとも、目にはしっかりと視えている。

 ……なんか眠くなってきたな。そういえば、最近バイトだの捜査だのと、この町に来てから忙しかったから、その疲れが今になって来たのかな。

 まぁいいや、鳴上には戦法を教えてあるし、あとはきっと何とかなるだろ。

 

 ―――おやすみ。

 

 

 

 

 

 

 大和がりせの影によって昏倒させられた瞬間。

 それぞれの行動は口に出さずとも統制のとれた、まさに息の合った迅速な対応だった。

 

「テメェ! 許さねぇ、よくも先輩をぉおおお!」

 

 大和がやられた怒りに完二の怒声が部屋の中すべてを震撼させた。

 それからの敵に対する猛攻は目を見張るものがあった。一切の迷いを捨て、敵を討つというたった一つの信念の下、完二はあらゆる行動を憤怒という感情以外を捨て去り徹底した動きを見せた。

 加勢するように悠と陽介が飛び出し、嵐のような猛攻をしかける。

 陽介が完二に補助スキル《スクカジャ》をかけ、その動きを促進させる。そして悠は先ほどと同じく、ペルソナを複数回変更を繰り返してあらゆる面から変則的に攻撃を繰り出している。

 

 一方、雪子と千枝は大和を助けるべく駆け寄って出来る限りの処置を施そうとしていた。

 

「大和君! 大和君! いやっ! 寝ちゃだめだよ目を覚ましてぇ!」

「千枝! 今動かしたら駄目! もしかしたら脳に怪我してるかもしれないんだから!」

 

 駆け寄り肩をつかんで揺らしていたのを雪子に注意された千枝が、ハッとなってゆっくりと手を放す。

 雪子の言うとおり、頭に大きなダメージを受けている場合、無暗に頭を揺らしてしまったらさらに状況を悪化させてしまう可能性もある。もしそれが原因で取り返しのつかない事になったら、自分は傍で涙する少女に申し訳が立たない。あと、もう一人、もしかしたら大和を慕っているかもしれないりせにこれが知られたら、きっと自分を責めてしまう。

 取り乱した人間を見ると、逆に人は冷静になるもので、雪子もまた千枝の姿を見てどうにか冷静に状況を判断することが出来た。

 

「どうしよう雪子!? 大和君がこのまま起きなかったら、あたし……っ!」

「大丈夫よ、きっと大丈夫だから落ち着いて。霧城君ほどじゃないけど、私だって回復は使えるんだから」

 

 仰臥している大和に縋る千枝を宥め、おもむろに雪子は立ち上がった。

 大和ほどの力はないけれど、自分にだって癒しの力は備わっている。だから、いつかの恩を、今ここで返す時が来た。

 

「おいで、コノハナサクヤ!」

 

 桜を連想させる華やかな舞と共に雪子のペルソナが大和に癒しの光を降らせた。

 

(こんな所で眠ったままなんて私は許さない。まだ千枝は貴方に思いを伝えてないのよ……だから、戻ってきなさい!)

 

 暖かい、春の陽だまりにも似た光の粒子が眠る大和に降り注がれる。その一粒一粒が触れ、雪が解けるように染み込んで大和を覆う光の被膜となってゆく。

 光降る幻想的な光景を目の当たりにして、千枝は泣き腫らした眼でそれを呆然と見ながら口を開いた。

 

「…………きれい」

 

 

 

 

 何処までいっても自分は無力だった。

 偶然の出会いから数か月。約束をしてくれた心優しき少年少女の窮地に、いつも戦う力にはなれない一人の異形はその無力さにいつも懊悩していた。

 いつだって異形は影に居て、表立って少年少女が命を賭して戦ってくれる。だのに異形はいつも自分の事ばかり。

 本当の自分とは何なのか、それは一体どんなものなのか。一緒にいる少年少女のような身形なのだろうか、それとも彼らが戦うような身形の―――。

 考えはいつだって止めなかった。そう、いつもその探求心がやむことはなかった。まるで熱にうなされるかのように、熱病は止むことを知らずこの仲間のピンチな時にさえ自分に何が出来るのか、その片隅で己が誰なのか自問自答を繰り返している。

 なんという罪深さだろうか。

 そんな自分に腹が立ってきた。

 何も出来ないなら出来ないなりに考えればいいものの、残念な事にそれほど上等な思考回路を異形は持ち合わせていなかった。

 

「ど、どうするクマ!? クマになにか出来る事、な、何もないクマァー!」

 

 短い手を頭に当てて捻り出そうとしても、出てくるのは黒く靄のかかった不可思議な声だけ。

 何を言っているのか耳を傾けても、視界に霧がかかるように、聴覚に海の藻でもつまった時のような声しか聞こえず、それが何を意味するのか異形は知らないままだった。

 一人の少年に頼られて戦線に出ても、役立たず。その少年がやられた時にも、役立たず。

 仕方なく邪魔にならないよう、せめて件の少女だけでも守ってみせると意気込んで彼女の傍に立ち尽くす。

 

 “こんな自分は嫌だ。なんの助けも出来ない無力な自分は泣きたくなるほどに辛い”

 

 ならば、そんな愚かしい自分にはどんな選択が残されている?

 

「クマは……クマは、センセイの力に……ヤマトを助ける力が……」

 

「あぁん……解析かんりょー! いっくよー」

 

 異形が気がつけば戦況は圧倒的なものに戻っていた。

 敵が腕を振るった瞬間、正体不明の立体パースのような緑色の線光が少年達のペルソナを上下左右通り過ぎた瞬間、敵はあらゆる攻撃を回避してみせた。

 それはまさに踊るように、完璧なまでな動きだった。まるで全てを見通したかのように。

 

「くそっ、これじゃあさっきと同じようなもんじゃねぇか! 霧城がやられたってのに、やり返すことも出来ないのかよ!」

 

 普段はお調子者でムードメーカーな少年が無力さに嘆きながらも吠えた。

 敵の不意打ちにやられ眠っている友人を、普段はどこか頼っていた。どんな窮地に瀕しても、きっと彼がいればなんとかなると。お助けキャラと友人を評したのは彼の本心だった。

 だからこそ、この今の状況に憤りを感じずにはいられなかった。

 心の何処かできっと彼がまたなんとかしてくれると、あの熱気立つ施設の時の様に助けてくれるとタカをくくっていた。

 そんな自分が恥ずかしい―――。

 

 せめて敵に一矢報いたくて繰り出す技の数々は、しかし簡単に躱されまた繰り返す。次第にその不満と怒りは焦燥感を募らせ、少年に油断を招く。

 

「アハッ、すけすけー!」

「まさか、さっきの光のせいで……?」

「霧城の言った通り、ペルソナの攻撃が読まれてる」

 

 思わず漏らした言葉に、いつも冷静さを欠かない少年が補足した。

 唯一、この中で敵に攻撃を通すことが出来ているのも、ペルソナを複数匠に扱う少年だけだった。

 がしかし、それも長くは続かない。

 

「それじゃあ反撃、いっくよー!」

 

 ここで初めて敵がポールから離れ地に足をつけた。

 傍らに立つそのポールを掴み、地面から簡単に取り外すと、それは一つの大きな筒砲となり、そこから眩いほどの光線が飛び出した。

 少年らには、それを避ける時間も体力ももう残ってはいなかった。

 

「ぐあぁぁあああああ!!!」

 

 光線は回避されずそのままの威力をまともにくらった少年達は、勢いよく吹き飛び少女達のところまで飛ばされてしまった。

 

「鳴上君っ! 大丈夫!?」

「花村に完二君もしっかりして!」

 

 眠る少年の治療に専念していた所に乱入してきた客に驚き、その惨状を見た黒髪の少女は心を乱さずにはいられなかった。

 自分の前に立って恐怖を断ち切ってくれた少年は傷つき倒れている。他の物たちも皆同じように満身創痍。

 治療が終わったのに目覚めない少年は戦えない。

 扇を握る手が震える。

 目の無い敵と視線が合ったような気がして、思わず形のいい唇が震え開く。

 

「私たち、このまま、死んじゃうの……?」

「大和君……君だけは、あたしが……」

 

 呟きは、疑問は誰に向かってなのか。

 命の覚悟は眠る少年の為に。しかし。

 答えるものは誰も居ない。

 

「さようなら―――永遠にね」

 

 声の主は、いつの間にか光線を出す筒を六つ重ねて構えていた。

 威力は数倍以上。回避する術は何もない。

 万策尽きた少年少女は、もう死を覚悟するしかなかった。

 

 ―――その時。

 

「―――やめて」

 

 眠っていた少女、巻き込まれた少女、久慈川りせは立ち上がり声をあげた。

 

「もうやめて、やめてよ。大和先輩にも、他の人達にも、もう何もしないで!」

 

 嘆きや怒り、懇願するようで糾弾するような、あらゆるりせの中で息づく感情が綯交ぜになった声が、自分の影の動きを止めた。

 

 “もう、寝たふりも、知らないふりもしない! 見て見ぬふりはもうやめる”

 

 勇気はさっき、思わぬ形で想いを寄せる人からもらった。

 初めは驚いて、声を挙げそうになったけど、今でも羞恥で体が燃えてしまいそうだけど、今はそれが勇気になる。

 

「もうおしまいよ! あなたは私が違うって、“間違い”だって否定したからこうなってるんでしょ? だったら―――」

「―――うるさいなぁ……先に消えとく!? …………えっ」

 

 りせの説得に怒りを示した影が筒を彼女に向ける。

 腹立たしいが、本体である彼女を潰せば自分は本当の真なる自分へと成り代わることが出来るかも。

 そう思い消し飛ばすつもりだった。

 

 ―――“あれ”が立ちはだからなければ。

 

 

 異形は悩みました。

 でも、隣で眠っていた少女が道を示してくれました。

 そうです、勇気はもう自分も貰っています。

 前に一歩進む勇気を、仲間達から貰いました。

 

 自分の頭を取り外したりと何かとお調子者な少年から貰いました。

 

 緑のジャージを着ている快活な少女から貰いました。

 

 いつかは逆ナンしてみたい美しい少女から貰いました。

 

 乱暴な口ぶりで何かと粗暴だけど純粋な少年から貰いました。

 

 いつも偉そうで自信気な、だけど頼れる少年から貰いました。

 

 本当の自分を見つけてくれると約束してくれた少年から、貰いました。

 

 だからもう、異形は怖くありません。

 いつか本当の自分を見つけるために、その為に貰った勇気を、今少年少女の為に使います。

 

「クマッ……!」

 

 約束をくれた少年が叫びます。

 異形は―――クマはみんなを守るために、一歩を踏み出します。

 

「う、うおぉぉおおおお、なんじゃこりゃぁああああ!!」

「ちょ、何よこの高エネルギー反応!?」

 

 金色の光を放つクマは、突然の不可解な出来事に狼狽するりせの影に向かって走り出す。

 頭が悪く何も思いつかないクマは、考えるよりも先に体が動き始めた。

 足取りは軽く、えも言えぬ不思議な力に体は今までにないくらい軽く力に溢れている。これなら、敵を倒すことも。

 

「うおぉぉおおお、考えるより先に走るクマァァアアア!」

「クマァーーー!」

 

 敵放った線光を退け衝突をした瞬間、あたり一面が光に包まれた。

 この時、眠り続ける少年はある一つの夢を見ていた。

 

 

 

 

 何も無い―――。

 

 何も為すことの出来ない自分は、それなら一体誰なのだろう。

 

 俺は……いつから自分に対して疑問を抱き始めたんだ。

 確固たる意思をもって自分は自分だと豪語するものは多くはないが、それでも皆漠然ながらも自分というものを持っている。

 それは普遍的無意識の泉から溢れ出る当たり前の思考。

 自覚せずとも持っている『自分』に、俺はいつから疑問を持ち始めたんだろう。

 

 ――――何者でもない。

 

 誰かの声がした。

 

 ――――器に過ぎないモノに自己は必要ない。

 

 どこまでも仄暗い声は俺の“内側”から漏れ出ていた。

 

 ――――来る目的の為、あらゆる障害を焼き尽くす力を植えた。

 

 いつか病室でも夢見た姿見が俺の前に顕れた。

 

 ――――自覚しろ。

 

 姿見は俺を映し出す。

 

 ――――我は■■■■■

 

 燃え盛る炎は形作り俺の姿を模していた。

 

 それじゃあ、俺は―――誰なんだ?

 

 

 

 

 大和が目を覚ました時、事は既に終わっていた。

 あれだけ五月蝿かった爆発音や破壊音は身を潜め、静謐な世界がそこにはあった。

 目を開いて始めに視界に入ったのは幾多の攻防の被害に遭いボロボロになった天井と、瞳に涙を浮かべながら歓喜の色をした千枝の瞳だった。

 

「大和君っ! 良かった、もう起きないんじゃないかってあたし……っ!」

「……千枝……そっか、俺寝てて……」

 

 眠気と今はもう思い出せない夢のせいで朧ろげだった意識が、ようやく覚醒しはじめた。

 

(そうだ、俺……あの時不意打ちをくらって、それで……何かを見てた気がしたんだけど……ダメだ、何も思い出せない)

 

 霧がかかったように不明瞭な思考を振り払うように頭を振って立ち上がる。

 

「あ、駄目だよ。まだ気がついたばかりなんだから安静に」

「もう大丈夫だ。よく寝たし、体もなんともないから。ありがとう千枝」

「あっ……ぅん、何か違和感を感じたらすぐに言うんだよ?」

 

 穏やかに微笑んで感謝すると、その大和の表情に面食らった千枝は頬を赤く染めてしおらしい態度に変わった。

 こういう不意打ちに千枝はめっぽう弱いのだと自覚した瞬間でもある。

 自分を介抱をしてくれた千枝から見て十一時の方向に、他の仲間達が集まっていた。

 扇形に並んでいる仲間達を見て大和は何をしているのだろうと思い、歩を進めてみると、そこではボロボロになって横になるりせの影と、その傍らに膝を下ろしているりせが中央に居た。

 大和が見る限り、彼女はもう自分を受け入れてるのだろうと思った。それは表情を見れば分かる。もう迷いのないその顔には、曇りなどなく影を慈しむようにも見えるからだ。

 

(予定とは若干違ったけど、まぁ、結果オーライって事だな。結局『アイツ』の影も形も出てこなかったけど……)

 

「私、どの顔が本当の自分か、必死に考えてた。でも、そんなの見つかるわけないよね―――本当の自分なんてどこにも無い」

 

 ―――ホントの自分なんて……無い?

 

「あなたも、りせちーも全部……私なんだよね」

 

 その瞬間。

 りせの告白を聞き届けた影が安堵したような表情をし、その姿を変えていった。

 漆黒の女体を包む汚れを知らぬ純白のドレス。そして頭頂部には六角形の反射板の集合体のような大きなアンテナ。

 その視線は天を向き、あらゆる物を見通す力を内包しているようだった。

 

「これは……?」

 

 もう一人の自分が弾け、一枚のタロットカードとなりりせの体内に浸透していった時、その疑問は漏れた。

 

「お前のペルソナだよ……りせ」

 

 いつの間にか他の皆が気がつかぬうちに集団を抜けて隣に立っていた大和がそう言った。

 囲むように立っていた皆が、大和が通り抜けたことに気がつかなかった。が、大和が言葉を発した瞬間に存在に気がつき、各人がそれぞれの驚きと感動を胸に抱いた。

 

「先輩っ! 無事だったんスね! 俺、先輩はぜってぇ大丈夫だって信じてたっス!」

「完二、お前嘘言うなよ。霧城が目を覚まさない時、お前もう駄目だって顔してたろが」

「あぁ? そりゃ花村先輩の事っしょ」

「んなぁ! お前そーいう事言っちゃう!? 普通黙っておくでしょが!」

「霧城君、良かった……私が治療しても起きないから、もう駄目かと」

「おはよう、霧城」

 

「おう、生きてるかみんな?」

 

 さっきまでの暗い雰囲気はなんだったのだろうと思えるぐらいの勢いで吹き飛び、皆が喜びにかまけて羽目を外している。

 皆に振り返ってそれを、いつもの不敵な笑みでサムズアップして返すと、横から軽い衝撃に見舞われた。

 またも不意打ち? とありえない夢想をした大和であったが、それは確かに不意打ちだった。

 さっきと違うのは、相手が影か本人かの違いぐらいのものだった。

 

「大和さん……っ!」

 

 涙声のりせが元気に笑っている大和の胸に飛びついた。

 さっきまで、自分のせいで目を覚まさないのではと自罰的な事で頭が一杯で、それでももうこんなことを繰り返さないようにと自分を受け入れた彼女は、その為の勇気をくれた人の胸で涙する。

 ちゃんとここに居るという確証が欲しくて、顔全体を使って大和の胸板を擦りつけ、空いた両手で片っ端から大和の肢体をまさぐり始める。

 余裕が無い今のりせは、以前大和が言った先輩という呼称を付ける事も忘れていた。

 

「大和さん……やまとさん、やまとさん、大和さん、やまとさん大和さんっ! 良かった、私、大和さんに何かあったら……もうっ!」

 

 繰り返し、繰り返し大和の名を呼び現世に繋ぎ止めるようにして強く抱きしめる。

 そんな光景をまざまざと見せつけられている観客は、やはり呆然としておりこれが本当の出来事なのかと陽介なんかは思わず頬を強く抓っているぐらいだ。

 

「……あいてっ…………夢じゃない」

 

 現実の出来事である。いつだって現実は当たり前に、人の願いを蹂躙する。

 

「ちょ、ちょっと待てりせ! そんなにしがみつくな、平気だから。俺はもうなんともないから離れろ」

 

 でなければ少し離れた所、大和が目覚めた所で立ち尽くす少女の怒りをかってしまう、と大和は背中に冷や汗をかきながらりせを引き離す。

 無理矢理な形で引き剥がされたりせは不服そうな面をしているが、それ以上に大和が助けてくれて、無事でいてくれたことが何より嬉しかった。

 

「えへへっ、良かった。大和さんが無事で」

「それ、本来俺が投げかけるべき言葉だろ」

 

 無邪気に笑うりせを見て、大和も思わず微笑み許してしまう。

 そんな仲睦まじいやり取りを傍から見ていた陽介が思わず口にする。

 

「なぁ……あれって、どう思うよ?」

「どうって、千枝が居るのにって思うけど、誰だって助けてくれたらああなるし……それに、りせちゃんは霧城君にとってもどうしても助けたかった人だと思うから、仕方ないと思うよ」

「恋の三角関係ってやつか……現実では初めて見たな。誰が歌うんだ? 霧城がパイロットなのか?」

「先輩が何を言ってるのか、俺には全然わかんないんスけど……」

 

 陽介の質問にまともに返事をした雪子は、仕方ないと言った。

 確かに、さっきまで命の危機だったのだ。それを差し置いて感動の再開を味わう二人に水を差すことなど出来ない。

 ただ、火中の人物となる千枝には、雪子の思いと同じく仕方ないとは思うものの、それを有り余って越す嫉妬と不安があった。

 

「大和君……? 随分、楽しそうだね」

 

 だから、思わず近寄り声をかけてしまう。

 だけど、いつもより声のトーンは低く、少し真剣に。

 

「ち、千枝……さん?」

「えっ? 大和さん、その人……」

 

 千枝の登場に気がつき、思わず顔面蒼白になる大和と、そんな大和の態度に驚き千枝に視線をやるりせ。

 その三人の間を、幾万の感情と言葉が飛び交い、ぶつかり合うのを傍から見ていた悠は幻視した。

 これより起こるは女の熱く意地汚い攻防。

 命を賭けるまでもないが、選択を誤ると大和が命を落とすかも知れない。

 そんな冗談のようで冗談では済まされないイベントが発生する瞬間であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ―――ホントウノ自ブンナンテ居ナイ

 

 

 “それ”は唐突だった。

 何事もなく終わり、このまま帰路に向かおうとも思っていた時だった。

 

 ―――ホントウノ自分

 

 始めに気がついたのは雪子だった。

 

「えっ……!? あれって」

 

 恐怖を内包した雪子のその声に、他のみんなも瞬時に気がついた。

 それまで傍目にしか見ていなかった大和も、その“異常”に全身が総毛立ち弾かれたように原因である方を向いた。

 

「嘘っ、あれってクマくんの……」

「影……?」

 

 以外だという表情で千枝が言い、継いで陽介が信じられない物を見るように、小さく呟いた。

 そう、千枝が言った通り、影が……力を使い切ったクマの背後から現れたのだ。

 その姿はまさに異形。クマのフォルムを最大限に活かした不気味な面相をしており、その瞳は―――やはり金色に妖しく輝いていた。

 

 ―――ジツニオロカダ

 

 クマの影は無感動な眼窩で皆を見下し、酷薄な笑みを浮かべて両手を上げ天を仰いだ。

 同時に、影を中心に白い霧が吹き出しあたりをあっという間に覆い隠してしまった。

 

 

 異形なものは勇気を得ました。

 それは確かに自分を奮い立たせるものでした。

 だけど、気づかせてくれた少女は「本当の自分なんてどこにも居ない」と言いました。

 ホントウノジブンを探し続ける異形にとって、これはとてもショックな事です。

 

 ―――だから、影は生まれます。

 

 少女という輝く光に照らされ、自分という異形は影になります。

 

 もう、眸を曇らせてなくてはいられないのです。

 

 

 ―――真実ハ常に、霧に隠されてイル

 

 霧が吹き出し、メガネをかけているのに不鮮明になる視界の中。

 ただ一人。欺きようのない目を持つ大和が“それ”を目の当たりにした。

 

「………………見つけた」

 

 小さく、けど確かな呟きは疑惑を確実なものにする為の儀式。

 

「…………やっとだ、やっと見つけた」

 

 喜びに声が震える。

 呪文のように囁く大和の口は、煌々と夜空に輝く三日月の様に歪に吊り上がっている。

 その異変に、豹変したような大和に初めに気がついたのは、やっぱりいつも彼を見ていた千枝だった。

 

「大和君……?」

「……見つけた、見つけた、見つけた見つけたぁ!!!」

 

 霧が不自然に取り払われ、奥から計り知れない大きさの敵が姿を現した。

 姿こそクマの影がより巨大に、より凶悪になったものだが、その奥に在るものを大和は見ている。

 数ヶ月に渡って探し続けた敵。他のなによりも始めの、大和にきっかけを作った張本人。

 その力の片鱗のようなものを、大和は確かに見つけた。

 

「ははははははっ! 俺は間違ってなかった! やっと、やっとお前に会えるんだな!? えぇおい!

 その首、長くして洗って待ってろよ! ……必ず引きちぎってやる」

 

 そして大和は嗤いだした。

 もはや狂喜とも呼べる喜びに身を任せ、彼はあらゆる事象にさえ感謝をしたくなった。

 始めこそ些細な感情だったものが、時を経て、感情を積み重ね、何処かで歪めてしまったそれは、大和の理性にヒビ入れるには十分な代物だった。

 

 代わり果てた大和を見つめるのは、状況が上手く飲み込めない千枝と、悲しそうな眼差しで見つめるりせだけだった。

 

 

 こうして、間違いの果てに見つけた【真実】の欠片に、少年は狂喜し飛びついたのでした―――。

 

 

 

 

 ―――我は影、真なる我。

 

 ―――何かを掴んでも、それが真実だと知る術は……決して無い。




というわけで以上主人公がおかしくなったの巻でした。

この人、エロいことしてぶっ飛ばされて目が覚めたら終わってて、そのあと狂って。
今回何もしてないですねすいません。

誤字修正は明日からにでもやります。
本当はこれ投稿する前にやろうと思ったのですが、想像以上に時間がかかって後回しになってしまいましたすいません。

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