ペルソナ物語4~ポケットが真実でいっぱいいっぱい~   作:琥珀兎

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第十五話:本当の自分

 六月二十三日 木曜日(雨/曇)

 

 ――――ジュネスフードコート――――

 

「お前がいながら、どうしてっ!?」

 

 陽介の第一声は大和に対する叱咤だった。

 自分の責任など二の次に、今度こそ防げると、犯人を追い詰められると僅かな希望が見えていたのに、無常にもその道筋は今回も途絶えてしまった。

 

「……すまなかった」

 

 大和は下手に反論などせずに甘んじて陽介からの責めるような言葉を受け入れている。

 責任、と言えば確かにそうだが、果たしてそれは大和だけの物であったのだろうか。千枝は申し訳なさそうな顔で謝っている大和を見てそう思った。

 だって、もしそうなら自分らが彼を責める権利などありはしないのだから。

 

「ちょ、ちょっと待ってよ! 大和君だけを責めるのはおかしいよ花村! あたし達だってりせちゃんを守れなかったんだから、一番悔しいのは近くに居た大和君なんだよ!?」

「うっ……確かに、そうかもしれないな。……悪かった霧城、俺も冷静じゃなかったらしい」

「気にするな……守れなかったのは、俺の責任でもあるんだから」

 

 軽く頭を下げて謝罪をするが、大和の謝罪と花村の怒りは全くの別物であった。

 原因となる犯人がそもそも違うのだ。花村が憎んでいるのは今現在も捕まっていない犯人であるが、今回の騒動を引き起こした張本人は平謝りをしている霧城大和なのだから。

 りせの誘拐を防げなかった事を謝っているんじゃない。大和はりせを誘拐しておきながらそれを黙っているのを謝っているのだ。

 前提からして食い違っている勘違いの平行線。大和が本当のことを言うか、バレるかをしない限り決して交わることはないのだ。

 

「もうやめよう、ここで揉めてもしょうがないよ。とにかく今はりせちゃんをテレビの中から助け出さないと」

「そっスよ、うだうだ言ってないでサッサと行きましょうよ先輩方」

 

 仲間内で揉めるのなんて御免だと思っている雪子は、皆を宥めすかして早くりせを救出しようと主張を。

 賢くはないが本題を失わずなんだかんだで的確な事を言う完二は皆を奮い立たせる。

 

「急ごう、クマの所に行ってりせの居場所を突き止めよう」

 

 この仲間のリーダーである鳴上悠は全体の指揮を執る。

 目指すはりせの居るテレビの世界―――といきたいところであったのだが。

 

「ちょっと待ってくれないか?」

 

 それを止めたのは大和だった。

 彼はテーブル席から立ち上がった仲間達に制止するよう手をあげた。

 

「どうしたの? もしかして何か犯人に繋がる手がかりでもわかったの?」

「それなら良いんだけど、違うんだよ千枝。俺はテレビに入る前に、お前達をとある場所に連れて行かなくちゃいけないんだ」

 

 この期に及んで何を言い出すのかと思えば、大和は寄りたい場所があると言いだしたのだ。

 一刻も早くりせを救いたいと思っている仲間達は皆、真剣な大和の表情を見てこれはきっと何か関係があるのだろうと思い、どこへ行くのか言うのを待っている。

 振り上げた手を下げて大和は一同の顔を見回す。

 

「これからテレビの中に行くと、またシャドウが襲って来るだろう。その時、お前らが対抗できる手段は『ペルソナ』しかない。……だからこれから武器を調達しに行く」

「武器って、それなら霧城が転校してくる前に俺ら一回もって行こうと思ったぜ」

「ああ、でも途中で花村が警察に見つかって捕まってしまったな」

「あん時はホント驚いたよ。鳴上君と花村が警察に捕まってんだもん」

 

 シャドウとの戦いが一筋縄ではいかないのは知っている。しかし、以前にも同じようにして迂闊にも警察に捕まってしまったという苦い思い出から、陽介や悠、そして千枝は武器という選択肢を自然と除外していた。

 武器を持っていれば確かに肉弾戦でも一手増えるし、いざという時は自分の身を守ることも出来るかもしれない。これは大和が完二を助ける時に見ていた戦闘風景から思っていたことだった。

 こいつらはペルソナが消耗したら、出せなくなった時はすぐにシャドウの餌食となってしまうと。

 

「なるほど、前にそんな事があったのか。なら、今回はより注意して持ち運ぶように気をつけよう」

「つーか先輩、そんな事言っても肝心の武器はどこにあるんスか?」

 

 手段を持っても得物が無ければ話にならない。完二の言っていることは最もである。

 他の人達も同意らしく、うんうんと頷いている。

 だた、千枝は頷きながらも記憶の片隅に『武器』と言われて思い当たる店があるのを覚えていた。奇しくも、大和が言わんとしている所と一致している。

 

「うちの店があるだろ? その隣の『だいだら』だよ」

 

 

 

 

 ――――だいだら――――

 

 商店街の本屋と豆腐屋の間に建っている、一見風変わりな店構えのそこは偏屈で頑固なオヤジが店主で有名な店である。

 様々な形の武具などを作っては「アートだ」と主張をする。それを好んで購入する常連客でその店は持っている。

 店の前に着いた時、皆は「この店か」と合点がいった顔をしていた。

 大和は店の扉を開いて中に入った。置いていかれないようにぞろぞろと後ろから悠達が付いてくる。

 

「おっさん居るか? 今日は客として来たぞー」

 

 店内は無骨な雰囲気で、店の奥で鉄などを加工する炉の中で燃え盛る炎の灯りと天井から吊り下がっている裸電球が唯一の照明だ。

 熱気にあてられ顔をしかめた大和は轟々と火を吹く炉の前に居る店主を呼んだ。

 鉄を打っている店主が気がついて振り返った。

 

「なんでぇ、誰かと思えば大和坊じゃねえか。どした? 今日はなんか良いアートな物でも持ってきたのか?」

「違う違う、今日は客だって言ってんだろ。ったく、そうやって鉄ばっか打ってるから耳が馬鹿になってんだろ」

 

 乱雑に散らばったガラクタを避けながら店主に近づく大和。何を作っているのか気になって炉を覗き込んでいると、眼前に店主が立ちふさがった。

 

「ちょ、びっくりするからそういうことすんのやめてくれよ!」

「漢のアートを覗くなんてのは野暮ってもんだ。漢ならドカっと座って完成を待ってるってもんだ」

 

 覗き見のような態度が気に食わなかったらしい。

 店主は大和の肩を掴んで炉から遠ざけた。

 一見して乱暴な態度であるが、店主が大和にこういったことをするのは彼を気に入っているからである。

 初の邂逅の時から彼の観察眼は評価しており、店主の好むアートを掘り出してくるからだ。ただ、この観察眼は大和が第三者の手によって与えられたものだから、もしかしたら本来の大和であったならここまで気兼ねなく対応をすることはなかったかもしれない。

 

「悪かったよおっさん。とりあえず、おっさんが作ったアートを買いたいんだけど、見ても良いか?」

「好きにしな、俺のアートはちと高いぞ。ま、お前が今度店を手伝うってんなら少しはまけてやっても言いがな」

「はいはい、それじゃあ今度な」

 

 都合がつき次第店の手伝いをすることを確約して話は終わった。

 近い未来に労働を約束された大和が振り返り、陳列棚を見ては物色している仲間達に声をかける。

 

「皆、それぞれ自分に合うと思った武器を選んでくれ。今回に限り、支払いは俺が持つ」

 

 それは贖罪のつもりなのか。心臓に毛の生えた大和の神経は図太く、それでいて根が深い。そんな彼がりせの一件についてそこまでの後ろめたさをはたして持つのだろうか。

 答えはイエスである。

 どれだけ力を持とうとも、何より強靭な鎧を身に纏おうとも中身は何も変わらないのだ。

 これが転校当初の霧城大和なら話は違っていた。だが、己のしでかした罪に背を向けて生きていける程、いまの大和は、面の皮が厚くないのだ。

 

「マジかよ霧城!? 太っ腹じゃないか、どうしたんだ?」

「ありがたく頂きますわ霧城先輩!」

「この借りは今度必ず返す……ガバスで」

「そんな悪いよ、これぐらいだったら私買えるから大丈夫だよ」

「そんな無理しなくても、大和君が責任を感じることもないんだよ?」

 

 陽介が喜び、完二が遠慮せずに甘えて、悠が冗談を返して、雪子は額に慄いて遠慮し、千枝が大和を気にかけた。

 それぞれが様々な思惑を胸に抱いている。

 結局遠慮をしていた女子二人は、りせの事を盾に大和の話術によって言いくるめられてしまった。

 だいだらに入って数分後。みんながお気に入りの武器を選び終わっていた。

 形や種類。手に持った感触から自分の振るいやすい重量など、多面的にじっくりと吟味した結果。以下のように武器は決まった。

 

 悠が大剣。

 陽介が双剣。

 千枝が靴。

 雪子が扇。

 完二が鈍器。

 

 そして大和は籠手を。

 

 六人分の値段は結構張ったが、店主が若干ながら割引をしてくれたので大和の全財産が無くなるということにはならなかった。

 無事購入を終えた仲間達は各人が形にあったケースに武器を収め、カムフラージュしている。これをしないと、以前陽介の失態で警察の厄介になった時の繰り返しになってしまうので、絶対に忘れてはいけないと陽介が念を押した。捕まった時の事を身をもって知っている陽介だからこそ説得力があり、なんの疑問も持たずに皆従った。

 これにて大和の用も済んだので、改めてジュネスの家電コーナーへと向かって歩きだした。

 

 道中、大和はりせの事で頭がいっぱいだった。

 自分の都合の為に他人を巻き込む覚悟はしていたが、何故だかりせの事に関してはなかなか割り切ることが出来ていなかったのだ。

 悠達を自分が《真実》に近づく為の駒として近づいたが、時が経つにつれそんな思考は薄れていった。いまでは仲間の一人に恋をしてしまったぐらいだ。この心情の変化には、本人も驚いていた。

 殆どが人とはズレているが為に日々を無難に過ごしていた存在の自分が、この町の人間と関わる事で少しづつ変わっていく。パズルのピースが埋まっていくようにして大和の心は満たされた気持ちを覚えていた。ただそれを素直には喜べない。彼女を、りせを犠牲にしているいまは何をしても彼女の面影が脳裏によぎってしまう。

 それは罪悪感か、それとも別の何かなのかは分からない。

 一つ確かな事は、大和はりせを蔑ろに出来ないということだ。

 

 ふと、りせをテレビの中に入れた翌日の事を思い出す。

 無事りせのマヨナカテレビを録画し終えた大和は早朝の手伝いの為に厨房へと顔を出してみると、厨房に置いてあるビンケースを椅子にしてりせの祖母が座っていた。

 深いクレバスのような皺は、以前より一層深みを増しており年齢よりも上に見えてしまった。

 祖母は大和の顔を見るなり、クシャクシャの顔を歪めてりせの行方を知らないか訊ねてきた。縋り付くように強く大和の服を掴んで何度も聞いてきた。りせちゃんはどこ? りせちゃんはどこ? 大和君は何か知らない? と。壊れたラジオみたいに同じような単語を繰り返す。

 孫を支えとしていた祖母が瓦解していく様を目の当たりにして、改めてその罪深さに身を切り裂かれるような思いをした。

 自己中心な行動はここまで他人を狂わせてしまう。懺悔は、まだされていないのだ。まだ何も成し遂げていないのだ。心を鬼にして遂行せねば、自分はただの犯罪者へと成り果てる。それまではりせの祖母といえど何も言えない。漏れ出そうになった言葉を飲み込んで励ましの言葉を送った。

 暗澹たる思いを抱きながら、彼はりせと、その祖母に詫び続ける。

 

 

 

 

 ――――ジュネス家電コーナー――――

 

 平日ということもあって相変わらず家電コーナーに人の影はあまりなかった。

 人目については困ることを今からするつもりなので、こっちの方が彼らには都合が良い。タネも仕掛けもないイリュージョンは、秘密裏に行うべきなのである。

 

「皆、準備は良いか?」

 

 リーダーである悠が訊ねた。

 武器は忘れずちゃんと持っている。他に必要なのは、戦う覚悟だけだ。

 五人の前に立っているリーダーにその意を目で語りかける。強い気迫の渦が渦巻いているように見える。

 

 思えば完二は、これが初めて自分の意思でテレビの中に入る時である。僅かに震える膝は武者震いに決まっていると自分に言い聞かせ、己を奮い立たせる。

 ここに居るメンバーに助けられた時、完二は救われたと思った。それは肉体的でもあり、精神的にでもあった。自分と向き合うというのは、腕力でどうにかなる代物ではないのだ。それを身をもって感じた完二は、同じような目にあっているかもしれないりせの事を考える。

 そこまで話した事は無かったが、大和がとても大切に扱っているのを見てそれはもう驚愕した。鬼のような力と強靭な精神を持っているように見える完二からしたら、大和は敬愛すべき先輩なのだ。そんな彼が無条件でりせを枢要な物を扱うようにしているのが信じられなかった。

 だからこそ、自分は久慈川りせを救わなくてはならない。大和の大切な人を救ってやらねば。あわよくばこれで以前のバイクでの借りを返せたら、と思った。

 

「うっス! いつでもいいっスよ!!」

 

 気合の入った声を張って一歩前へ踏み出した。

 誘拐だなんて最低な事をする犯人の思惑を打ち破るべく、完二の戦いが始まる。

 

 雪子にとってこの事件は他人事ではない。一度犯人の手で攫われた彼女は、犯人がどんな人なのかを知りたかった。どうしてこんな事を始めたのか、何を思ってテレビの中に人を入れるのか。もしかしたらそれは壮大な企図の上行われた事かもしれないと思った事もあった。

 小さな田舎町でこれだけの事件を捕まらないままに成し遂げるのは異常だ。証拠が出てこないことが原因の一端を担っているにしても、これだけ目撃者が少ないのも異常である。だからこそ、今度もまた自分を救ってくれた時の三人のように助けなくては。

 チラリと横目で大和の顔を伺う。彼は今どんな思いを抱いているのだろう、と。この中でりせと一番距離の近いところにいた彼はきっと口惜しい思いで一杯なのだろう。

 いつだったか自宅である天城屋旅館での二人の会話を思い出した。あの時は千枝とやけに仲が良い大和を試すように早まった事をお願いしてしまったが、今思えばそれは間違いじゃなかったと思い直す。

 あれからの千枝はどんどん大和にのめり込んでいって、いまでは彼なしの人生などありえない程だろう。親友が、素敵な人物と会えたことは自分のことのように嬉しく思う。りせの事を気にしている素振りが見られるが、これからも自分は千枝の味方でいようと思う。

 

「行こうっ! 彼女を助けてあげなきゃ!」

 

 もうこれ以上、被害者を出さない為に。

 親友の好きな人が重荷を下ろせるように、一歩を踏み出した。

 

 これ以上進めば、それはもう現実の理を外れた世界だ。

 そんな世界に置き去りにしてきた意味を得るために、大和は今一度大きな一歩を踏み出した。

 ―――全ては■■■■を殴るために。

 

 

 

 

 降り立った地は変わらず悪趣味なセットの場所だった。

 

「毎度のことながら、この不気味なデザインはどうかと思うよ」

 

 独りごちた大和は目の前で蹲っている物体に気がつかずに蹴ってしまった。

 通常よりも力の強くなっている大和の何気ない蹴りでも馬鹿に出来ない。蹴られた物体は転がって仰向けになった。

 それが何なのか気がついた悠が口を開く。

 

「クマ、一体どうしたんだそんなに落ち込んだ顔をして」

「みんなが全然会いに来てくれないから、クマ寂しかったクマ」

 

 仰向けに転がっていたクマは悲しそうな表情で霧の空を見上げている。その構造上、上しか見ることが出来ないから仕方ない。

 便宜上、彼という呼称を使用するが、彼―――クマは自分が誰なのかを知らない。

 気がつけばこの世界に当たり前に存在していた。発生、というのがこの場合の表現にふさわしいのか、彼は自我を得た時には既に自分が何者なのかという自問に答えを持ち合わせていなかった。

 不可思議の上に摩訶不思議を貼り重ねたような世界で一人、彼は己の存在意義について考え続ける。

 そんな折りに現れたのが、ここにいる三人。鳴上悠、花村陽介、里中千枝であった。異変が置き始めたころに突如としてこの世界に現れた三人は、彼にとっての転機の訪れであった。

 自分が誰なのか、本当の自分は何処に居るのか、それを捜す手伝いをしてくれるようになった今、依然としてその成果は現れない。

 それでも彼は探求し続ける。それ以外にやることがないから。

 

「みんなはあっちの世界で楽しそうにしている間、クマずっと一人だったクマ。仕方ないから自分が誰なのか考えてみたけど見つからないし。悲しくてなこうかと思ったクマけど、泣けなかったクマ」

「悪かったってクマ。俺らも色々あったんだよ……」

 

 陽介に悪気は無かった。ただ現実での日常が、人として最低限送らなくてはいけない生活が彼の脳内でこの世界での事の重要性を下げていた。

 横になったままごろごろと転がるクマに申し訳なさそうな顔で謝罪する陽介は、そんな事よりも今はりせの居場所を知ることが先決だった。

 

「それよりクマ。昨日、ここに人が入れられなかったか?」

「そんなことってなにクマか。クマは真剣に悩んでいるクマよ」

「ごめんなさいクマさん。あなたにかまってあげられなくて」

 

 蔑ろにされたクマに謝ったのは雪子だった。

 雪子は不貞腐れているクマに近寄ってその頭部に手を置いた。ふかふかの毛の触感を感じながら、やさしく子供をあやす母のようにクマの頭を撫でる。

 今まで頭を撫でられる事が無かったクマは気持ち良さそうな表情で目を細めている。

 

「今度からはちゃんとクマさんの所にも来るから、怒らないで」

「……いつか逆ナンしてもよいクマ?」

「していいしていい」

 

 雪子ではなく千枝が同じようにクマの毛並みを撫でながらその質問に答えた。

 言われた瞬間雪子があっ、という顔をしたがそれも一瞬の事で、すぐに元の優しげな表情に戻っていた。

 今は自分の都合よりも、クマの方を優先してあげよう。雪子の思いを理解した千枝が、そういう行動に帰結した。

 

「俺も……モフりたい」

「やめとけ、きっとクマは嫌がる」

「そんなぁ、先輩酷いっスよ。なぁクマ公、俺も……その、触っても……良いか?」

 

 女子二人がクマの毛並みを堪能しているのを完二が羨ましそうに見ていた。

 自分もそのモフモフに触れてみたい。そう思ったのが口に漏れたが、悠が諫めた。女の子が好きなクマはきっと完二が触ることを拒否すると思ったからだ。

 触ってみたいという願いをすげなく第三者に切り捨てられた完二だが、それでも諦めがつかないのか本人に問うてみた。

 が、クマはそんな完二の願いを、

 

「嫌クマ」

 

 の一言で一蹴した。

 

「ユキチャンとチエチャンは良いクマ。あと、センセイとヤマトも触っても良いクマ。でもヨウスケとカンジは駄目クマ」

「くっ、ちょっとぐらい良いじゃねぇかよ! 減るもんじゃねえんだし」

「さり気に俺も巻き添えじゃねえかよ、触りたいわけじゃないけど。てか完二、お前の言い方なんか怪しいぞ」

 

 なぜ悠と大和が良いのかはこの際無視しても、何も言ってないのに拒否された陽介は完二に八つ当たりをした。

 クマにお願いをするときの完二の言い方が、まるで女性に告白するようで、陽介にはそれが気味悪かった。

 

「ああ゛? べ、別に怪しかないっスよ! ただ俺は手芸をやるときの勉強に」

「完二の趣味については今はどうでもいいだろ。それより、りせって女が居る筈なんだが、何処に居るか分からないかクマノ介」

「ちょ、霧城先輩。どうでもいいって言い過ぎじゃないっスか……」

 

 大分話が逸れた為、仕方なく大和が本題に戻した。完二が細い眉を下げて落ち込んでいるが、そんな事今はどうでもいい。

 女子二人の献身ですっかり調子を戻したクマは一つ返事で承諾し、雪子と千枝に助けられて起き上がり中空に向かって鼻を利かせてみた。

 正体不明の霧がたちこめるこの世界では、人間の視力では見通しが悪い。闇雲にそこらを歩くだけですぐに道に迷い、シャドウに襲われてしまう。

 その為ここで人捜しをするにはクマの嗅覚が無くてはならないのだ。

 

「クンクン……確かに誰かが居るクマ」

「間違いない、りせだ!」

「でもおかしいクマ、人が入ったらクマすぐに分かるのに気がつかなかったクマ」

 

 確信を持って陽介が言うが、クマは身に覚えがなく首が無いので体ごと傾げて疑問を漏らした。

 しかし、それもすぐにやめて他の問題についてクマは話し始めた。

 

「でも、どこに居るのか正確な場所は分からないクマ。そのりせって子の情報がないと捜せないクマ」

「そういえばそうだったね。大和君、なんかりせちゃんの事について知ってることない? 持ち物とかでも良いから」

「ああ、それだったらちょうどいいのを持ってるぞ」

 

 こんなこともあろうかと持ってきたんだ。

 そう続けて大和はポケットをまさぐり始めた。手を入れて数秒、目当ての物を探し当てたのか大和は『それ』を引っ張り出した。

 それは―――。

 

「……なんで」

「ポケットから……」

「それが…………」

「出て…………」

「くる、の……?」

 

 悠が、陽介が、完二が、雪子が、千枝が、驚愕の二文字を顔に貼り付けそう言った。

 千枝に至っては声に怒気が宿っている。

 大和は五人の疑問にきょとんとした顔をし、その手に持っている布切れを一瞥し口を開く。

 

「なんでって……必要なんだろ? りせの持ち物が」

 

 掲げ出されたのは見紛うことなき―――女性物のパンツであった。

 あまりに驚くものだから自分が何を持っているのかを、大和は確認するように掲げた右手を見た。

 

「あっ…………ごめん間違えた」

 

 

 

 

 ――――特出し劇場丸久座――――

 

「ここにりせが……?」

 

 到着した建物を見て悠が声を漏らした。

 

「なんか、アレな雰囲気の店だな」

「いやこれって、温泉街とかそこにある旅館に付き物の店ってやつ?」

 

 顔を腫らしてボロボロになった大和がそう評し、陽介が補足した。

 クマにりせの情報としてパンツを提示した後、大和は誤魔化す暇なく女性陣にボコボコにされてしまった。特に千枝の猛攻は凄まじく、顔を真っ赤にしながら憤怒の表情で大和を蹴っていた。ちなみに、代用品としてりせが持っていた携帯のストラップをクマには嗅がせた。

 陽介はりせのパンツをどうにかして大和からもらおうと隠れて交渉をしたり、完二は鼻血を出してまたも雪子に攻撃されていた。悠だけが興味深そうにしているだけで、本能を丸出しにして愚かな行動をする事が無かった。

 

「あっ……う、ウチには無いからね」

 

 旅館という陽介の言葉に雪子が横にいる千枝に、慌てたようにそう言った。

 それどころではない心情の千枝は、未だに大和に腹を立てていた。というか疑っていた。突発的な怒りに身を任せて彼を攻撃してしまったが、それをどうして持っているのかを聞きそびれてしまっていた。もしかしたら……りせの事が気になって、そのリビドーを抑えきれずにこんな行動をしてしまったんだろうか。と言いようのない不安がよぎったが、頭の良い大和がそんなミスをするのだろうかとも考えた。

 始めから本当に情報として彼女のパンツを持っていただけで、他になんの意味も無いのかもしれない。だって、後ろめたい気持ちがあって盗んだ物だったら絶対にこの場では提示したりしない。もし自分が大和の立場にあったなら、きっとそんな事はしないだろう。だとしたら本当に……?

 思考は答えを、信じたいと結論づけた。でも―――。

 

「次は無いからね大和君」

「…………はい」

 

 烈火の如き怒りを内包した千枝の静かな笑顔に平身低頭の大和。こうなることは予想出来たのに、大和は対処せずにそのままパンツを出してしまったせいである。

 どうしてちゃんと確認しなかったのか、と大和は悔やんだが、恐らくそれは大和自身が焦っていたからに違いない。

 現実世界で霧が出た時に、テレビの中の世界に住むシャドウ達が活発になる事は前に陽介や悠から聞いていた。それまでは少なくとも安全かもしれないと。だが、この世界に長くいると体力を消耗してしまう可能性がある。

 自分でりせを入れた手前、最低限の被害に押さえておきたかったのだ。これ以上の罪悪感を背負うのは御免だから。

 ふと、今日初めてペルソナを召喚するかもしれない完二が気になって目を向けると、メガネをかけていないせいか見づらそうに目を細めて目的の建物を凝視していた。

 

「くっそ、なんも見えねえぞ」

「あっ、完二君メガネ貰ってないじゃん」

 

 この世界の霧を見通すメガネを完二が持っていなかった事をすっかり忘れていた千枝が気がついた。

 完二が戻ってきてから一度もこの世界に踏み入ってはいないし、他にも林間学校やりせの登場などですっかりとメガネの存在を忘れていた。

 

「およよー、すっかり忘れてたクマ。はいよー」

 

 手に持ったメガネを完二に渡す。

 それは大和には苦い思い出の品であり、雪子にとっては笑いのツボになる鼻眼鏡だった。

 霧のせいでそれがなんであるか分からなかった完二はなんの疑問も持たずにそれをかける。途端、雪子が目を見開いて完二を見ると吹き出したように笑いだした。

 

「ぷっ、ぷくく……あはははっ! にっ、似合う!」

「な、なんじゃこりゃあ……」

 

 普通のメガネとは違う鼻ガードの部分を触って、ようやくそれがどんなメガネなのかを知った完二はクマに詰め寄っった。

 

「おいクマ! なんで俺だけこんなやつなんだ!?」

「およよよ、気に入らなかったクマ?」

「当たり前だっ!」

 

 不満気な完二の怒声に驚いたクマは悠の後ろに隠れてしまった。

 なんにせよこれで準備は揃った、と大和は目の前に君臨する大きな如何わしい建物へを足を踏み入れた。

 五人と一匹を迎えた建物の外では相変わらず不気味な霧が空気中に漂っている。暗雲渦巻く空は底知れず人の悪意を煮詰めたような色をしている。それはまるで、中に入った彼らの先々を示すような凶兆の兆しにも見えた。

 一人の人間が持つ目的が形となって出来上がった今回の事件。身勝手な行動がどんな結果を生み出すのか、一般人を軽く凌駕する知識を持っている少年はまだ知らない。

 

 

 

 

「やべぇ、なんかドキドキしてきた」

 

 奥に通ずる道を歩きながら陽介はそんな事をのたまった。

 

「………………そうだな」

「なんかさっきからお前調子悪くないか?」

「そんな事はない、俺はいつだって健康だぞ。歩く健康体とは俺の事だ」

 

 声に覇気を感じられないのを陽介が問いただしても大和の調子は戻らず、それは空元気のようにも見えた。

 やはり彼にとってりせを守れなかった事はかなり響いているのだろうかと、陽介はそんな大和を攻めてしまった事を反省した。自分が浅慮だったが為に追い打ちをかけるような事をしてしまった。

 あの時千枝が言っていた通り、一番辛いのは大和なのかもしれない。

 

「なあ、霧城は……りせの事どう思ってんだ?」

 

 他の人……特に千枝と雪子には聞こえないように、細心の注意を払って調整した音量で大和に質問した陽介。

 これほど彼が思いつめるのも珍しいと陽介は思っていた。それは彼女と同じ、一つ屋根の下で住んでいるのだから情の一つや二つ、もしかしたらそれ以上の情念が湧いてもおかしくないのだが。先程の誘拐を防げなかった事を除いても、彼の思いつめ方は見たことが無かった。

 いつだって人を見下したような不遜な態度の彼が、今日に限ってはその影も見せない。いつも見る不敵な笑顔も身を潜め、どちらかと言えば無表情というか切迫したような表情をよくしていた。

 だからこそ、その理由がもしかしたらりせの事に関係がしているのかもと邪推してしまう。

 肝心の大和はその質問に対して、

 

「どうって、そりゃ家族のようなもん……としか言いようがない」

「家族……? それってお前があの店のおばちゃんとかに同じ気持ちを持ってそうなもんか?」

「当たり前だろ。休業してるっつってもアイドルだぞ、恋愛感情なんか持てねぇよ。それ以外に何もないっての……大体、なんでそんな事を聞くんだよ?」

 

 先に進む歩は休めずに返答した大和は訝しげな表情をしていた。

 ただ一つ、嘘を残して。

 

「そうだよな、悪い余計な事聞いちまったな」

「全くだ、今そんなこと聞いてもしょうがないだろ。万が一でも千枝に聞かれてたら……死ぬかも知れないんだ」

 

 言っただけでゾッとしてしまう大和。

 安心したようにホッとする陽介だが、問題の解決にはなっていなかった。結局どうして大和の表情が優れないのかが分からなかったのだから。

 聞き返そうにも、もう大和は話しを切ってしまった。今更聞けない。

 

(いかん、顔に出てたのか。少し気を付けないとな、いくら薄暗いからっていっても全く見えないわけじゃない。現に花村にはバレちまったわけだし)

 

 陽介が自分に思っていた事は大体予想がついていた大和は内心で安堵した。

 りせへの罪悪感と、なんのイレギュラーも発生しないままに早く事が済んで欲しいと思う願いが表情に出ていた事を知られたくはなかったからだ。

 大和は陽介の質問に『家族』と答えたが、これはこれで間違っていない。ただ、その深度が違うのだ。今の自分はきっと、りせの願いを断れないかもしれない。極力出来る範囲で叶えて上げたいと思ってしまっているのだ。

 それはきっとこの罪悪感から逃れたいから。人知れず贖罪することで罪から逃れたいと思っているのかもしれないのだ。

 

 建物内の探索には結構な時間を要した。

 道中、どこからどともなく騒めくシャドウが襲ってきたりして来て、それの迎撃などに時間がかかってしまったのだ。

 完二と大和を除く四人は何度も戦闘を経験しているだけあって、手馴れた感じにシャドウを駆逐していく。一方大和は持ち前の能力を持っているにも拘らず、極力戦闘には消極的で最低限の攻撃と、味方が傷ついた時に回復魔法をかけるぐらいの事しかしなかった。

 最後に、完二は今回が初めての戦闘という事もあって動きが緩慢だった。接近戦での自分の肉体を用いた直接攻撃には文句の言いようもないが、ことペルソナを使うことにまだ慣れておらず何度か大和の回復を受けていた。

 

 何度目かの戦闘を終えた後、敵の背後にある部屋を区切る為のカーテンを抜けた時、その先に見覚えのある人影を大和は見つけた。

 人影のシルエット、ボディラインはハッキリとしていてそれだけで相手が裸、もしくはそれに準ずる格好をしているのだと見て取れる。

 影の正体がりせだと理解するのにはそれほど時間を必要としなかった。

 

「やっと、見つけた!」

 

 陽介がりせに話しかけるようにそう言った。

 

「けど……やっぱ様子が変」

「多分また、もう一人の……」

 

 今までの時と同じだと思った千枝が訝しげに言い、それに雪子が答えた。

 りせの影は到着した彼らを正面に見て、両手に持っているマイクを口元近くにやって口を開く。

 

「ファンのみんな~! 来てくれて、ありがと~!」

 

 その声は魔笛のようで、瞳は金色に輝き、表情は狂気に満ちていた。

 見開いた珠のような瞳は大和を捉えて離さない。

 りせの影は話しを続ける。

 

「今日は、りせの全てを見せちゃうよ~! ……えっ? どうせ嘘だろって? アハハ、おーけーおーけー!」

 

 楽しげに一人語りし続けるりせの影に、一同の視線は釘付けになっている。

 

「ならここで……あ、でもここじゃスモーク焚きすぎで見えないカナ? じゃぁもう少し奥で、嘘じゃないって、ちゃーんと証明してあげるネ!」

 

 テレビ番組などでよく聞くバーンという効果音と共に、完二の時と同じような番組タイトルのようなものが突如として現れた。

 そのタイトルには『マルキュン真夏の夢特番! 丸ごと一本、りせちー特出しSP!』と書かれていた。

 発表された瞬間、部屋の中に弾けんばかりの歓声が鳴り響いた。まるでりせのそれを待ってましたとばかりに。

 もはや見慣れた光景になりつつある悠達は呆気にとられて冷や汗を流し苦笑いを浮かべた。

 

「お、俺もあんな風だったんか……? うお……こらキツいぜ……」

 

 特に苦悩したのは完二だった。

 りせの影の言動に過去の自分を重ねてしまったのか、恥ずかしい過去話をされた時のような羞恥と逃げ出したくなるような怖気がこみ上げてくる。

 フロアの周囲は未だ歓声に包まれている。その声は様々な感情が感じ取れる。

 耳障りなほど騒めく歓声に、千枝は五月蝿そうに顔をしかめる。

 

「うあ、このざわざわ声、今回凄い……なんか気持ち悪くなってきた……」

「誰かが見てるんだとしたら……早く何とかしないと!」

 

 そう言って陽介は正面の影を見据える。ファンとして、ではなく明確な敵として。

 りせの影は笑顔を絶やさず再び口を開く。

 

「じゃあ、ファンのみんな! チャンネルはそのまま! ホントの私……よーく見て! マルキュン!」

 

 りせの影が大和に向けてウィンクをしてきた。キラッと輝く星を飛ばすエフェクトが出て、くるりと翻って奥へと去っていった。

 なんで大和なのか、そう思った雪子が訊ねる。

 

「ねぇ、あのりせちゃんの影……今霧城君にウィンクしたよね……?」

 

 確信を掴んだようなその言動に、大和は胃の腑が掴まれたような声を漏らした。

 シャドウとはその者が抑圧している人格の現れ。それは即ちりせの正直な気持ちの現れであることを示す。

 彼女を見つけてから去るまで、千枝はその視線を外すことは無かった。りせの影は最後まで大和だけを見ていた。言動こそファンを思ってのようだったが、視線は常に大和を見ていた。その事実が千枝の中である一つの仮説が立った。

 だがその考えが結論付く事は無かった。

 

「い、急ごうぜ! イタい話し聞かれるだけとは訳が違うって!」

「シャドウがめっさ騒いでるクマ! さっきのはりせって子が抑圧してる思念クマ! このままじゃ、リセチャン危ないクマよ!?」

 

 陽介が大和の都合を考えて助け舟を出したのだ。

 話題を遮ることが出来た陽介の言葉に、クマが乗っかってその危険性を語っていた。

 長いこと放置すれば間違いなくりせの命に関わってくると、暗にそう言っているようだった。

 

「今度は、俺が助ける側ってか。よし……なら急ぐぜ!」

 

 自らを鼓舞するような完二の声をきっかけにみんながりせの影の後を追う。

 先で囚われているであろう久慈川りせ本人を助けるために。

 

 

 

 

 この日、今日という日、暦にして六月の二十三日という日は俺にとって罪の象徴となる日であろう。

 これまで客観的に事を見送ってきた俺が初めて自分から巻き起こした、このりせの誘拐事件。完璧とも言えなかったが上々の出来で遂行することの出来たこの誘拐は、警察の目を上手く掻い潜る事が出来た。

 例え発覚しても、俺は言い逃れることが出来る……だろうか。ただそれが不安だった。

 一歩間違えれば俺はこの仲間達から追放されるだろう。そうなると当然、学校での居場所も失い住む家も失ってしまう。住居を失ったら俺は元住んでいたところに帰らなくてはならない。それだけのリスクを背負ってまでして起こした今回の事件は、はたして俺にとって確実な有益をもたらすのかと訊かれれば、それに対しての明確な答えを持ち合わせていない。

 何千何万のシュミレーションをしてやっと掴んだ可能性なんだ。『アイツ』から見ればこれはイレギュラーの象徴。何を目的としているかは分からないが、きっと奴はこのイレギュラーを見逃さない。何らかの手を必ず打ってくるに違いない。

 

 りせのいるであろうストリップ劇場に、俺達は既に七階か八階ぐらいまで登っていた。

 その間も敵シャドウは多数現れたが、その度に『ペルソナ』やだいだらで買った武器を使って倒していった。勿論、俺は極力あいつらを見守る側として、回復やフォローに専念した。

 そうやって先を進んでいた時、ふと場内に何処からともなく声が聞こえてきた。

 

『―――そうだなぁ……今の仕事は、うんとてっても充実してるかな。小さい頃からずっと憧れてたから、今は毎日がとても楽しいよ!』

「……りせ?」

 

 それは今よりも若干幼い感じの声色をしていたが、間違いなくりせの声だった。

 仕事が楽しいと、毎日が楽しいと言っていた過去の自分。この前マネージャーを前にして怒鳴った彼女とは全然違う。

 千枝も気がついたのか、俺を見て確認をとってくる。

 

「今の声って、りせちゃん?」

「ああ、間違いない。ただ……少しだけ昔のような気がする。声に幼さが残ってる」

「……ふーん、りせちゃんの事は何でも分かるって感じなんだね」

 

 千枝は皮肉を効かせた言葉を投げかけてきた。

 厭味ったらしくジト目で刺すような視線を向けられ、俺の喉が唾を飲み込んでゴクリと鳴った。

 

「気のせいだろ。俺は千枝の事でもそれぐらいは分かるさ」

「そ、そうかな? うん、分かった。君のその言葉を信じるよっ」

 

 迷いを振り切るように笑顔を咲かす千枝だが、俺にはその『信じる』って言葉が痛かった。

 何を持って信じるのか。人は簡単にその言葉を口にする。自分は思いやっての事なんだろうが、相手側からしたらこれ程の拘束力のある言葉はないだろう。

 信頼には真摯な気持ちで応えなくてはならない。いつしかそう言った因習めいた決まりごとのようになってしまったんだ。だからこれはやっぱり束縛にも等しいそれこそ『呪い』のような言葉だ。呪詛だ。

 信頼に報いなかったらそれは罪となる。

 報いとなる罰を与えられてしまう。

 だから俺は『信じる』という言葉が“今”は怖い。

 

「……なんでもいいが、先を急ごう。到着してりせが棺桶だったら笑えない」

 

 自嘲気味に微笑みを交えながら冗談を言って気を紛らわせた。

 俺は今ちゃんといつもの声色で、いつもの声量で話せていただろうか。

 千枝から視線を外した今となっては、彼女がどんな表情をしていたのか俺には分からない。

 

 

 

 

『理想の男性は……うーん、優しくて清潔感がある人かな? あ、顔とか別に興味無いかも。私、逆に、かっこいい人とかって苦手なんですよね~。やっぱり人は中身じゃないですか?』

『でも……今はちょっと気になってる人が居るんですよね。えっ? 誰かって? それは言えませんよ~』

 

 

 

 

 どれほど階を登っただろう。気がつけば目の前には大きなカーテンのような物があった。

 

「この先に、きっといるクマ……多分」

 

 自身があるのかないのかよくわからないクマがそう言った。

 ここを抜ければりせに会える。

 俺の行動が正しかったのか、間違いなのかが分かる。

 

「行こう……サッサと終わらして愛家で祝杯だ」

「おう……!」

「うん……!」

 

 仲間の指揮を高める為に、自分を鼓舞するようにした宣言に、それぞれが反応した。

 それを合図に俺は先に、そのりせが居る部屋へと突入した。

 

 中はポールダンスなどで使うステージが中央に鎮座しており、その周囲を観戦客用のソファーでひしめいていた。

 そのステージに―――りせが居た。

 

「……りせっ!」

 

 どうしてだろう、彼女を見つけた途端思わず声が出ていた。

 誰よりも早くりせの居るステージに駆け寄った。

 後ろから仲間の制止する声が聞こえたが、そんなものは今の俺にはなんの意味も持たない。

 

「大和……せん、ぱい……?」

 

 りせは俺に気がついて心底安心したような安堵の笑みを浮かべた。しかし、その表情には覇気が感じられなかった。フルマラソンを走りきった一般人のような、憔悴しきったように翳っていた。

 俺の身勝手な目的のせいで……彼女が傷ついてしまった。

 わからない。なんで俺はこんなに思い詰めるんだ。これが知らない誰かだったらこんな痛みは無いはずなのに……。

 

「キャーハハハハハ!!」

 

 絹を裂くような悲鳴にも似た狂乱の笑い声が響き渡った。

 発生源はりせの傍にあるポールの横に立つ彼女の影。

 ハッとなって俺がそっちの方を視ると、影と視線がぶつかった。初めて見た時から、何故だか彼女とはずっと視線が合わさっていた。それを千枝にバレているかもという恐怖も一緒に。

 

「見られてるぅ! 見られているのね、いま、アタシィ!」

「やめて!」

 

 りせが叫んだ。

 目の当たりにしたもう一人の自分が信じられなくて。同じ姿形で同じ声の影がする行動を止めたくて。

 ここでりせの影が本物のりせを見下ろした。四つん這いになって見上げるりせと、それを見下ろす影の視線が交差する。

 

「んっもー! ホントは見て欲しいくせに、ぷんぷん! ……こぉんな感じで、どぉ?」

 

 りせの影が嗜虐的な笑みを浮かべると、おもむろにその横に立っているポールを使って華麗に、美麗に踊り始めた。

 体格のよいスレンダーな腰が魅了するように揺れ、カモシカのような足がスラリと棒を絡め取る。上気した頬はほのかに、体を揺らすたび連動する髪が催眠術をかけるコインのように目を引きつける。

 濡れた瞳が……またも俺を捉える。なんなんだ、一体。

 

「もぅ……やめてぇ……見ないで、大和先輩……」

「ふふ、おっかしー、やめてだってー。大和先輩見ないで、だって。―――ざぁっけんじゃないわよ!!」

 

 さっきまでの妖艶な表情が一転、荒んだ荒波のような苛烈な表情がりせの影に映りだした。

 蹲るりせを見下す視線が、割れるような感情の怒号が彼女を責める。

 その口は止まらず次の言葉を持ってりせを責め続ける。

 

「アンタはあたし! あたしは、アンタでしょうが!!」

 

 どうしようもない事実だと言うように、火を見るより明らかだと言うように彼女は宣告した。

 俺は、これを待っていた。近くにいながらそれを止めずに、傍目に傍観しているのはこれがりせが成長するきっかけになるからだ。

 今までのどこか依存性を残した彼女では、いつか一人になった時に潰れてしまう。俺だって、いつまでも一緒には居られない。

 でも、りせはまだ認められないようだ。

 

「違う……違うってば……」

 

 完二の時と同様、巧妙な話術の影に否定せざるを得ないりせ。

 否定すればするほど、影は嬉しそうに踊りながら笑っている。

 

「キャハハハ! ほら見なさい、もっと見なさいよ! これがあたし、本当のあたしなのよぉぉ!」

 

 そう言ってポールに下半身を巻き、上体を仰け反らせて腕を上げる。扇情的なそのポーズは見る男子皆を釘付けにするだろう。

 

「ゲーノージンのりせなんかじゃない! ここにいる、このあたしを見るのよ! ベッタベタなキャラ作りして、ヘド飲み込んで作り笑顔なんて、まっぴら!」

 

 とどまる事を知らない影の本音は、きっとりせが今まで積み重ねた鬱憤が言葉になったものなんだろう。

 マネージャーを相手に言った言葉もそう。りせは、アイドルをやっているうちに本当の自分を見てもらえない事にうんざりしてきたんだろう。演技を強要され、人気のために笑顔を貼り付ける。俺が初めて会った時のりせは、まさしくそんな感じだった。

 

「“りせちー”? 誰それ!? そんな奴、この世に居ない!! あたしは、あたしよぉぉ! 見てくれるのは大和さんだけ……! 守ってくれるのも大和さんだけ……! ほらぁ、あたしを見なさいよぉぉ!」

「わ、たし……そんなこと……」

 

 余計な事を言いやがって影のやつめ。

 俺はその依存性をどうにかしてやりたいってのに……。

 

「さぁーてお待ちかね。今から脱ぐわよぉぉ! 丸裸のあたしを、焼き付けなぁ!」

「や、めて……やめてぇぇ! 大和先輩……助けて……」

「………………」

 

 懇願するように、りせは俺に助けを求めてきた。しかし、それには答えられない。今ここで俺がなんとかしてしまったら、それこそ水の泡だ。

 だから、俺は真っ向からその瞳に意思を送るしかないんだ。

 

「なぁに自分一人だけ、大和さんに助けてもらおうなんて思ってんの!? そんなの、あたしが許さないんだから!」

 

 りせの影が気がついておちょくるような口調で窘めたあと、語尾が強くなった。

 俺とりせ、そしてりせの影の三人を中心に、他の連中はなんて声をかければ良いのかわからないと言った顔で見ているしかなかった。

 

「大和さんはあたしのよっ! いつも守ってくれる優しい素敵な人! 自分から何も出来ないあんたになんか、あげないんだからぁぁ!」

「違う! あなたなんて……」

 

 激昂した影に立ち向かってりせの声が荒げる。

 ゆらりと立ち上がって、真正面の自分を見据える。

 その時、後ろから千枝の声が堰を切ったように飛び出した。

 

「だめ、言っちゃダメ!!」

「止めるなぁ! 言わせてやれ!!」

 

 生まれて初めて千枝に怒鳴ってしまった……。

 今まで男の中でも気に入らない奴にしか出さなかったドスの効いた声を出してしまった。

 言った直後に後悔しただけあって、千枝は、見れば驚愕して縮み上がっていた。後で全力で謝るしか他に無いな。

 翻ってりせを見れば、両手を頭にやって目の前の現実を否定するように、鏡のような影を見て口を開いた。

 ―――否定の言葉をその口に。

 

「あなたなんて……私じゃない!!」

 

 途端、りせの影が怪しく揺らめいた。

 周囲に不穏な影を立ち込め、なにやら良くないモノが集まっているようにも視える。

 影の口は不気味に釣り上がり、その口から寒気のするような含み笑いが、反響する深い洞窟のような音となって漏れ出ている。

 

「うふふ……ふふ、あはは、オーホホホホホッ!! きたきたきたぁ! これで、あたしは……あたしぃぃ!」

 

 歓喜に溢れるその声がトリガーとなって、集まった影がりせの影の身を包み隠しその存在を大きなモノへと変貌させた。

 瞬刻の後、四散する影の中から現れたのは大きな体の女性だった。

 全身を混ざりきらないマーブル状のカラフルな色で覆い、顔を隠すように衛生アンテナのような物がくっついている。りせの影であったという面影は、僅かに残ったツーサイドアップの髪のみである。

 りせが自分を否定した事によって生まれたシャドウは、ゆらゆらとポールに逆さにぶら下がっている。

 今のうちに、俺はステージの端で呆然としているりせに駆け寄って声をかける。

 

「りせっ、大丈夫か?」

「あ、大和先輩……来て、くれて……」

「いいから掴まれ、少し、ここから離れるぞ」

「ふふ……や、ぱり……せん、ぱいは……優しい、ね……」

 

 その言葉を最後に、りせは意識を手放した。

 俺は彼女を背負ってシャドウから遠く離れた、鳴上達のいる方のソファーへとりせをゆっくりと寝かせた。

 

「霧城、どうして止めなかったんだ?」

 

 りせを寝かせた俺の後ろから、鳴上のそんな言葉が聞こえた。

 どうして? 決まっている。

 

「そんなの……こいつ自身が自分を認めるのに、必要だからだ」

 

 本当の自分が誰なのか。様々な役を演じてきたりせにとってそれは薄れていた事実。

 誰も本当の自分を見てくれないと思っている反面、どれが本当の自分なのか分からなくなっていくのが歯がゆかったんだろう。

 だからこんなねじ曲がったシャドウが生まれたんだ。

 何にも混ざらない、混ざりきらない絵の具のようなサイケデリックな模様の浮かぶ全裸姿はその現れだ。

 

「いまここで、りせが全部を晒さなかったら……もう後には振り返れない。だから、今しかないんだ」

「霧城……お前……」

「始めようぜ―――りせの尻拭いをよ」

 

 振り返り敵を見据える。

 俺の起こした事件はここで終わる。

 結局、なんの変化も起きなかったけど、その尻拭いはしてやらなきゃいけない。

 全ての責任は始めから俺にあるんだ。他に俺が出来ることなんて、全力でこの五人を補助することだ。

 地を踏みしめ前を視る。

 眼前の敵を圧倒して、りせのペルソナを生み出すために、自分を認めさせる為に。

 

 

 

 

 ただ……俺は忘れていた。

 りせが悩んで居たように、もう一人、同じような悩みを抱えていた人物に―――。

 

 俺は―――忘れていたんだ。


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