ペルソナ物語4~ポケットが真実でいっぱいいっぱい~   作:琥珀兎

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第十四話:救いたいのは君ではなく

 待つのは簡単だ。

 ただ必要なのは待ち続ける精神力と、耐え続ける忍耐力だけだから。

 

 進むのは困難だ。

 必要なのは上記二つに加えて前に進み続ける勇気と、何より後続者に後ろ指を指される覚悟が必要だからだ。

 

 変革を求める探究心はいずれ対人関係に軋轢を産み、賢人と言われ崇め奉られた徒人は愚かなる愚者と成り果てるだろう。

 進む先が崖とも知らずに、ただひたすらに上を向いて歩き続ける勇敢なる愚者。

 彼の者は独り、破滅に向かってそぞろ歩く。

 目先の成功に目が眩んで、その選択が誤りだということにも気がつかないままに―――。

 

 

 

 

 六月二十一日 月曜日(雨)

 

「りせ……起きてるか?」

 

 夜も更けって闇が一層深くなった午前十二時過ぎの事。

 さっきまでマヨナカテレビを見ていた大和は当事者になってしまった久慈川りせの事を心配して部屋の前に訪れていた。

 

「……大和さん?」

 

 僅かに間を開けて返ってきた声は思っている以上に元気そうで、少し拍子抜けしてしまったのを大和は恥じた。

 哀咽の声を期待していたわけでは決してないのだが、女性としてはこのマヨナカテレビと言う怪現象を少しは恐怖し、動揺するものだと勝手な介錯と偏見で見ていた大和だったが。それは彼の思いすごしだった。

 

「ごめんなさいっ、ちょっと待っててね」

「……? ああ、急がなくてもいいからな」

 

 少し慌てた様子が伺い知れるりせの言葉が短く聞こえた途端、ドタバタと物音がし始めた。

 いったい彼女は何をしているのだろう。音を聞く限りではりせ以外に人は居ないし、だからといって一人で暴れる理由も検討がつかない。

 などと鈍感が売りの青少年を演じること数分。天岩戸ならぬただの扉が開かれ、目的の少女が姿を現した。

 

「随分と音がしてたな、いったい何をしてたんだ? あんまり音を出すと婆さんが起きちまうぞ」

「えっとね、ちょっと部屋の整理をしてたの。ほら、折角大和さんが来てくれたのに掃除もしてないんじゃちょっとみっともないでしょ?」

「今更部屋の一つや二つ見たところで印象は変わらないだろ。大体、一緒に住んでるんだからその場限りの取り繕いはいつまでももたないぞ」

「そーかもしれないけど、もうっ、大和さんの無神経」

 

 ぷくぅ、と小柄な顔の頬が可愛く膨れて、恨めしそうに自分より高い身長の大和を下から軽く睨む。

 一般人やいちファンであれば惚れ惚れするようなりせの仕草であるが、この大和なる男にとってはなんでもなく、逆効果である。

 

「だから、その嘘くさい仕草をやめんか。俺には効かんぞ、その類は」

 

 大和は呆れて嘆息した後に、扉の前にいるりせを押しのけて部屋に押し入った。

 このまま廊下で立ち話をしてもしょうがないし、何より物音に気がついてりせの祖母が起きてきてしまうのを危惧していた。

 

「あっ……もう、女の子の部屋には勝手に入っちゃ駄目なんだから。大和さんは特別だから良いけど、今みたいなの他の人にはしてないよね?」

「そんな機会、生まれてこのかたあった試しがない」

 

 肩を掴まれて押しのけられたりせが振り返って大和の背に体を向ける。

 この広い背中の庇護下に居れば絶対の安心を約束されたも同然だと思える大和の背中は、もう既に誰かの為にあるのだろうかと都会に居た時は思っていた。が、その疑問もこの前の質問への答えではっきりした。

 部屋に侵入した大和の後を追うようにしてりせも部屋に戻り扉を閉めた。

 

「なんというか、初めて入るがこれが一般的な女性の部屋なのか?」

 

 部屋の中央に立ち辺りを見渡しながら呟く大和。

 りせの部屋はこの家が和風だということを忘れるようなコーディネート……というわけではなかった。

 

「アイドルなんて派手な仕事してるから、部屋も結構派手なんだと思ってたけど……むしろ大人しい感じだな」

「だってアイドルは仕事だもん。それに、私はこのお婆ちゃんの家が好きだから、なるべくその雰囲気を大事にしたいの」

「そりゃそーか」

「あっ、この座布団空いてるから、これに座って」

 

 会話もまずまずに、手持ち無沙汰になった大和に気を使ってりせが座る場所を指定してきた。

 勝手に入った手前、これ以上の暴挙はよそうと思って立ったままでいたのだが、りせの気遣いに救われる形になった。

 差し出された可愛らしい座布団に座って大和は改めてりせを視る。

 

「……? なんですか?」

「いや、何でもないけど。というか、寝る時にその格好は寝づらくないか?」

「これはっ! その、本当は……パジャマを来てたんだけど。急に大和さんが来たりするから慌てて着替えたの」

 

 服装について指摘をされたりせの頬が赤く染まる。

 

「なんでアイドルやってる奴が恥ずかしがってるんだよ。水着とかグラビアで撮ってただろ」

「水着は見せるためだから良いのっ。でもパジャマは……それに、大和さんが」

「まぁなんでもいいや」

「…………」

 

 話を続けてもしょうがないと思った話題を即座に打ち切り、りせの反感を買う大和。

 知り合って一ヶ月程とは言え、それなりに濃い時間を共有してきた二人だから出来る軽口の応酬。

 ここで大和が「それより」と、違う話題を出すべく接続の言葉を発した。

 

「こんな時間まで起きてて何してたんだ? 明日の転校の手続きか?」

「勝手に来て何かと思ったら。大和さんこそ、何しに来たの? もしかして夜這いとか?」

「アホか、んなわけ無いだろうが。お前が昨日マヨナカテレビを見てみるって言ってたから、どうしてるかと思って様子を見に来たんだよ」

「えっ……心配、してくれたの? もーそれならそうと始めから言ってくれればいいのに! すっごく嬉しいから最初の言葉は聞かなかったことにしてあげるね!」

 

 大和が自分を心配して来てくれた事にりせは喜びを隠そうともせずニコニコと笑顔を浮かべていた。

 初めて会った頃からぶっきらぼうで、だけど気遣ってくれる彼をりせは少なからず好意的に感じていた。そんな彼がはっきりと口にしてくれたのが嬉しかったのだろう。

 感激のあまり開いた口を両手で塞いで肩を小さくしている。

 

「マヨナカテレビだっけ。さっきまで見てたけど、なんか思ってたよりは怖くはなかったなぁ」

「俺も見てたけど、自分が映ってたのは分かったか?」

「うん。でもちょっと違う気がするんだよね。私あの髮型で水着のプロモ撮った事ないし、それに……」

 

 そこまで言って、りせの口が言い淀む。

 何か気になる事でもあるのだろうか。りせが言おうとして中断した言葉が気になった大和は続きを促す。

 

「それで?」

「そのー……何でもない! 見間違いかもしれないし、多分あれ私じゃないよ」

 

 飲み込んだ言葉が大和に伝わることは無かった。

 この事実を、少なくとも今大和に知られるのはりせにとってなんだか嫌だったのだ。

 言えるわけがない。テレビに映っていた女性が自分の胸のサイズよりも若干大きかったことなど。多少なりとも気になっている男性を前にして言える話題ではない。

 恋愛ごとでは積極的になろうと思っているりせではあるが、流石に『夜二人っきりで部屋の中』という状況下で話せる内容じゃない。

 この胸のサイズの違いに関しては大和も知っているのだが、それをりせは知らない。知っていたら多分部屋に上げなかっただろう。

 

「そうか、お前がそう思うならそうなんだろうな。それじゃあ、俺はそろそろ部屋に戻るよ」

 

 もう聞きたいこともなくなった大和としては、これ以上この場に留まっていてもなんの特もしない。

 早く自室に戻って明日のりせ誘拐の計画を練らなければならなかった。

 腰を上げて立ち上がろうと胡坐(あぐら)をかいていた足を縦に切り替える。

 その時―――、

 

「待って! もうちょっと話さない? 色々聞きたいんだ、大和さんが学校でどんな生活してるのかとか」

 

 遮るようにしてりせが大和の手を掴んだ。

 逃がさないという念が伝わり、腰を上げようとしていた足も力が抜けてそのままの態勢になってしまった。

 

「どういうつもりだ? 話なら明日学校が終わってからでも十分できるだろ」

「それじゃあ帰ってくるまで話なんか出来ないじゃん。最近いつも帰るのが遅いんだから。昨日だって―――」

「あー、分かった分かった。それじゃあ一時までな。それ以上は駄目だぞ」

 

 観念した様子で再び座り直してりせの手を振り払う。

 解けた手は元の持ち主へ。少し残念そうな表情を浮かべているのが印象に残る。

 

「ごめんなさい我が儘言って。私この町でも都会でも、こんなに仲良く話せる同じくらいの年の友達って居ないから……つい」

 

 しゅん、として大和の隣に座るりせ。

 彼女はアイドル業をしている今こそ、人気を誇るジュニアアイドルとして活躍しているが。その前、つまりは普通の学生をしていた頃は大人しい少女といった感じで、原因こそ当事者にしか分からないがイジメにあっていた事もあった。

 その頃の名残なのだろうか。自分を理解してくれて守ってくれる庇護者に縋ってしまう癖がついてしまったのだ。

 というのも大和がりせの事務所に訪れてから発覚した事なのだが、幸いにも大和はこれを許容してしまった。そう、受け入れてしまったのだ。

 面倒を嫌った彼はその場限りと思い庇護者役を受けたのだが、そうはならなかった。

 もう会えないかもしれないと思っていた彼と会えた。この喜びは厳しく戒めた彼女の枷を解き放つのに十分な力を持っていた。

 普段の対応こそあまり変わらないが、たまにこうやって二人になると出てきてしまう。甘え癖と言えば聞こえがいいものだ。

 

「あー……気にすんな。俺は別に困ったりはしないから。そうだな、それじゃあ俺のこの町で出来た友達についてでも話そうか」

 

 りせをこうしてしまったのには大和にも責任がある。

 もっと早い段階で矯正が出来ていたらりせは今でも自立した精神だけを持って、大和を引っ張って行く側になっていただろう。

 これは彼の怠慢が招いた一つの失敗だ。

 些細な判断が、他人にとっては根幹を揺るがす事態となる。

 大和はこれを安直に捉えているのだ。

 

「花村って馬鹿な男が居るんだけど、こいつがまた傑作で。なんでか自転車に乗ると電柱とかゴミ箱に突っ込むんだよ」

 

 能力的に完璧と言ってもいい大和であるが、対人関係に関しては理論的に考えてしまう節があるが為にこういった結果を生み出してしまった。

 このりせの異変に大和は気がついていない。元々こういった性格の人間なんだろうと思っている。

 ただ自分を頼ってくれるりせを可愛く思い、こうやって世話を焼いてしまっているのだ。

 

「他にも、鳴上ってポーカーフェイスの達人だったり、完二って見た目不良の中身面倒見のいい奴だったり…………」

 

 話は続く。

 それをただ相槌を打つだけでりせは聴き続ける。

 まるで赤ん坊が母の子守唄を聴いているかのように、心地よく。

 

「あとはそうだな。天城って旅館の娘で大和撫子の体現者みたいな奴とか、アイツは笑いのツボがおかしいからそれで台無しだけどな」

「え、ちょっと待って。大和さんって女子の友達とも仲が良いの?」

 

 『娘』って単語を聞き取ったりせが楽しそうに話す大和を制止した。

 

「そりゃ、一人や二人ぐらいいてもおかしくないだろ」

「二人って事はもう一人いるの?」

「ああ、里……千枝って名前の肉が大好物のカンフー少女だ。元気の塊みたいな奴だけど、意外と乙女なところもあるんだよ。あ、肉ガムあげると仲良くできるぞ。それがどうかしたか?」

「……ふーん…………。なんか大和さんって男子達と仲良くしてるイメージだったから、女子の友達がいるってことが意外に思っただけだよ」

 

 りせは聞き逃さなかった。

 今までおそらくは苗字であろう名で呼んでいたのに対して、千枝に関してだけは苗字を言おうとして名前に言い換えたのを。

 “大和さんが楽しそうに呼ぶ千枝って人……いったいどんな人なんだろう”

 顔も知らぬ相手だがりせは気になってしょうがなかった。

 話題にされている本人のあずかり知らぬ所で興味の対象にされた千枝。彼女とこの少女の邂逅はいつになるのだろうか。大和の知らぬところで着々と事は進んでいた。

 

「失礼な、確かに俺は友達が少ないが女子の友達ぐらいいるさ」

「ねぇねぇ、その千枝さん……同じ学校に転入するから千枝先輩だね。千枝先輩の事もっと教えてっ」

「千枝の事? それは別に良いけど。俺の事は先輩で呼ばないのか?」

「うーん、大和さんは先輩って付けると、ちょっと言いづらいしなー。で、も、大和さんがそうして欲しいなら『大和先輩』って呼ぶよ」

 

 大和が言うならと、要望に応えたいという意思を示して破顔した。

 ここで大和はふと疑問を感じた。

 この少女はここまで聞き分けのいい人間だっただろうか、これではまるで嫌われるのを恐れる小さな子供ではないか、と。

 一度浮き上がった疑問は静かな水面に投げ込まれた一石の小石のようで、水面を揺らして波紋を広げていった。

 そもそもこの少女をテレビに入れようと思ったのも、りせの成長を促すことも目的に含まれていた。

 新たな事実が分かりそうになった今、大和はより一層彼女を一度あの異界に入れることを固く決心した。

 

「それじゃあそうしてくれ」

「うん、じゃあ大和先輩、明後日からよろしくお願いしますっ」

 

 軽くしなを作って大和に後輩アピールをするりせ。

 可愛い後輩が出来た事は好ましいが、りせの言う明後日は来ないことを知っている大和は心情が表に出ないようポーカーフェイスに努めた。

 彼女は明日の夜から―――異界にて過ごさなくてはならないから。

 

 

 

 

 六月二十二日 水曜日(雨/曇)

 

 ――――八十神高校――――

 

 マヨナカテレビが放送された翌日。教室内は久慈川りせの話題で持ちきりだった。

 大和が家を出る時も、既に人だかりが僅かに出来ており迷惑していた。

 

「マル久さん、凄い人だかりだって」

「ぽいね。けど昨日のマヨナカテレビ、本当に彼女だった? なんか雰囲気違くなかった?」

 

 雪子が現状を教えてくれ、それに千枝は返答の後昨晩のマヨナカテレビについての意見を述べた。

 千枝としてはイメージと合わないらしいが、それとは違った意見を持つ陽介が声を上げる。

 

「間違いねぇって! あの胸……あの腰つき……そしてあの無駄のない脚線美! …………」

 

 恍惚とした表情でそう言い、想像の中で理想のりせを作り上げる陽介。

 気が済んだのか想像が終わって目を開く。ふと、視界に収まった千枝の肢体を観察した。

 

「ちょっと……なんであたし見んのよ」

 

 見られていることに気がついた千枝は、思わず視線から逃れようと太ももを両手で隠した。

 一連の流れを他人事のように見ていた大和はここで思わぬ方向、雪子からの射撃に見舞われる。

 

「霧城君はどう思う?」

「…………うむ、大変よろしいと思う」

 

 手を顎に置いてじっくりねっとりと千枝の肢体、主に脚線を観察する大和。

 

「えっ……?」

 

 大和の発言を聞いた千枝は思わずドキッとして頬が朱に染まった。

 もはや彼に首ったけなので、大体の自己肯定の言葉に対して同じような反応を示すだろう。

 自分を受け入れてくれるというのは、それだけ救われ嬉しい事なのだ。

 が、この時点で丸く収まる連中ではない。

 

「えー、えー! 確かに霧城の意見はそうだろうけど、俺は良くないと思うー!」

「……っ!! ジライヤァーー!!」

 

 いつもと変わらない陽介の無神経な発言に怒りを覚えた千枝が、ジライヤの掛け声と同時に戦犯の鳩尾辺りを蹴り飛ばした。

 情状酌量の余地なくこれは陽介が悪い。それが分かっている鳴上は千枝を止めるような事はしなかった。同じくして大和も。ただ雪子は、千枝の発言のどこが面白かったのか、一人ツボにハマって笑い続けている。

 本筋から乖離し始めている空間内で、一人、完二が話を戻そうと口を開く。

 

「先輩ら、ホントに豆腐屋行くんスか?」

「当然! 行くに決まってるだろ! なっお前ら?!」

「そうしたいんだけど、あたしと雪子は職員室に用があるから結構あとになっちゃうな」

 

 陽介は完全にマル久にいく気分らしく、完二の質問にも意気揚々と返していた。

 一方で千枝と雪子は一緒には行けないらしく、男四人で行くことに決まった。

 大和を除いた男三人は、おなじマル久の住人でりせとも面識のある大和を頼りにしていた。小細工など使わずに、堂々と行くことが出来るからである。

 

「それじゃあ、頼んだぜ霧城!」

「はぁ、結局こうなるのな。仕方ない、お前ら余計なこと言うんじゃないぞ?」

 

 こうして男衆総出で豆腐屋“マル久”に行くことになった。

 

 

 

 

 花村はこの行動を捜査だと言い張っていたが、こんなの実際はただの物見遊山もいいところだ。

 まぁ少しは警告をしに行ったりと正当な理由もあるが、学生風情がするようなことじゃない。

 と、心の中で思っていても口には出さないけどな。そんな事は今に始まった事じゃないし、俺はこいつらが一緒にいないと“先”に進むことも出来ないんだから。

 

「言っとくけど、これはれっきとした捜査だかんな! 捜査!」

「それさっきも聞きましたよ先輩」

「今回は関係者の霧城も居るから、完二の時より楽だな」

「あんまり俺を頼りにしないでくれよ鳴上。言っとくがりせにはマヨナカテレビが何なのかの説明すらしてないんだから」

 

 りせには必要以上の情報を与えていない。

 これは俺の持つ情報と、鳴上達が持つ情報に誤差を作らないためだ。

 俺が持っている情報は、鳴上達のとは違って更に先まで進んでいる。それを教えてしまうと、りせの口から……なんて事があってもおかしくはない。

 安心は細心の注意を払って用心してやっと手に入れられる代物なんだ。安売りで手に入るわけがない。

 道中くだらない事を話していると、目的の家―――つまりは俺がお世話になっている豆腐屋に到着した。

 

「げっ、本当に野次馬の数が……」

 

 呟きは花村から漏れていた。

 そうじゃなかったら俺が言っていたかもしれない。なんてたって人の数が……。

 この町にはこんなに人が住んでたっけ? って思うっちゃくぐらいに居る。

 正直、全員蹴散らしたいぐらいだ。

 

「でも、人が減っていってるような気がしないか?」

「本当だ、ちょっと行ってみようぜ!」

 

 鳴上の言う通り、人だかりがみるみる無くなっていった。

 なんだろうか、何かあったのかもしれない。

 花村が先人を切って進むのを見ながら後ろを付いて行く。どうでもいいが、花村は張り切りすぎだと思う。

 

 家の前に行って、人だかりが無くなった理由はすぐに見つかった。

 引き戸の扉に一枚の張り紙がしてあるのだ。恐らく、これを見たから人がいなくなったのだろう。

 俺の目では遠くからも見えるが、あいつらではそれも叶わない。

 先に進んでいた花村が張り紙になにが書いてあるのかを、近づいて確認する。

 

「なになに? ……えーっと『本日、豆腐売り切れ』!? そんなー、ここまで来て引き下がれるか……って、霧城が居るんだからそんなの気にする必要ないじゃん」

「先輩、必死すぎて軽く引くっスよ」

「豆腐はなくてもがんもを食べればいい」

「鳴上良く言った。今日はがんもをプレゼントしてやろう!」

「そうだ、それじゃあ霧城さんお願いします!」

「お前は調子が良すぎだ」

 

 まったく、仕方ない。それじゃあ中に入るとしますか。

 きっとりせは婆さんの手伝いで店に出てるだろうから、家の中を探すまでもないな。

 引き戸を引いて俺達は中に入る。

 こっち側の扉を使うのは久しぶりな気がする。この人が居ない寂れた感じとか、俺が初めてこの店に来た時と全く同じだ。

 

「ただいまー。婆さん、居るかー?」

 

 先に入って声をかけてみるものの返事は無い。というか人がそもそも居ない。

 店内は無人で、水の音や豆腐を入れた大きな冷蔵庫の音だけが虚しく響いているだけだった。

 

「おっかしーなー」

「なぁ霧城、りせちー居なくね? つーかおばちゃんも居ないじゃん」

「聞こえなかったんじゃないっスか? すんませーん!!」

「バッカ! お前はでかすぎるんだよ完二!」

 

 婆さんの心臓が止まったらどうすんだよ。最近歳なんだから労らないといけないのに。

 完二の頭を小突いていると、奥の暖簾から人が出てきた。なんとも気だるそうに。

 それはどう見ても久慈川さん家のりせに間違いなかった。

 

「表の張り紙見なかった? お豆腐なら売り切れ」

「うそ……マジで? ほ、本当にり、りせちーだ……」

 

 いい加減野次馬にうんざりしていたのだろうか、不機嫌そうにりせはそう言った。

 ぞんざいにあしらわれているのに花村には本人と出会えたことの方が大きいらしく、感動に身を震わせていた。ファンというのはこれだから凄い。大抵のことなんか許してしまうんだろうな。

 

「お前りせ?」

「なんで呼び捨て? ……あれ、大和先輩?」

 

 アイドルって存在自体に興味が無い硬派な完二は横で感極まっている花村とは対極に位置する存在だ。こうも普通に接することもなかなか出来ないもんだろう。そういう意味では俺と完二は似てるのかもしれない。

 ただりせにとってそれは馴れ馴れしい行為で、やはり初めて俺と会った時と同様、不満気な声で抗議した。が、俺の存在を目にすると驚いたように落ちかけた瞼の所為で半眼だった目を見開いた。

 

「よっ、ただいま」

「お帰りなさい、あれ? それじゃあこの人達は先輩のお友達?」

 

 片手を上げて挨拶すると、りせの対応が目に見えて変化した。あからさま過ぎて印象悪くしたらどうするんだよこの娘は……。

 文句を言ってたらいつまで経っても話が進まないから、俺はサクサク紹介していくことにする。

 

「ああ、今日はちょっと用があってな。紹介するよ、まずこいつが鳴上悠。俺と同じクラスで、俺より一ヶ月早くコッチに転校してきた男だ」

「よろしく。霧城にはよくがんもとかのお裾分けをしてもらって助かってる」

「気にすんな。それと、この強面の金髪が巽完二だ。俺の一つ下で、歳はりせと同じだな。あと、こう見えて裁縫とか凄い得意だ」

「ちょ先輩、いきなり俺の趣味の話しをしなくても」

「いいだろ別に、いつかは分かることなんだから。最後に、ここで感動してる変人が花村陽介だ。コイツはスケベだから気を付けろよ」

「んなっ! 霧城、俺をオチにつかんじゃねーよ! 誤解されるじゃねーか!」

「五階? ここは二階建てだぞ」

「つまんねーこと言ってんじゃねーよ!」

 

 さてこれで全員だな。今ここにいない女子二人は、またそのうちでいっか。

 

「それじゃあ、大和先輩が昨日話してた人って……」

「おう、こいつらだな」

「すっげー気になるんだけど? その話の内容。特に俺の話!」

 

 いちいち五月蝿いな花村は。そんなに俺の印象操作が気になるのか。

 紹介が終わって、りせは一人一人の顔を見て、顔と名前を一致させたあとペコリと小さく会釈をした。

 

「私、久慈川りせ、よろしく。大和先輩とは前に都会でお世話になってからの友達で、今は一緒に住んでる」

「はぁ~ん、来て……良かった。これで本日のミッション達成……!」

「えぇ、本題がまだっスよ」

「ほんだ~い? なんだっけぇ~?」

 

 駄目だこいつ、完全に腑抜けの顔になってやがる。

 よっぽど焦がれたんだろう。りせに会う前と後のキャラが違いすぎる。違うといえば、りせもなんだかいつもとは違って少しそっけないな。疲れてるんだろうか。暗い雰囲気が僅かににじみ出てる気がする。

 

「最近、何か変わったことはなかったか?」

 

 今ひとつ正常に思考が機動していない花村に代わって、冷静を常とする鳴上がりせに問いかけた。

 変わったこと、と言われてりせは逡巡の後口を開いた。

 

「変わったこと? ストーカーとか?」

「マヨナカテレビって、聞いたことないか?」

 

 ようやくここで本題に入った。

 鳴上の言ったマヨナカテレビという単語は、りせにとっては思い当たる節がとてもあって、聞いた瞬間に俺の方を一度見てから鳴上へ向き直った。

 

「それって昨日の夜にやっていたやつの事?」

「うぇっ? ひょっとして、見たの?」

 

 既に見ていたというパターンは初めてで驚いた花村は素っ頓狂な声を上げて質問した。

 当然俺はこのことをこいつらには十分に説明してないからな。りせが知っていて、花村達が知らないのも無理はない。

 

「噂は聞いたことあったし、大和先輩にも昨日心配して来てくれたから」

「霧城が? なんだよ、それなら教えてくれればよかったじゃんよ」

「悪いな、どうせ後になったら分かることだったし余計なことを言ってもしょうがないと思ってたしな」

 

 どうして言ってくれなかった、と俺を問い詰める花村に無難な理由を突きつけて受け流す。

 

「それにあれに映ってたの私じゃないと思う」

「えっ……?」

「あの水着でプロモ撮ったことない」

 

 昨日俺にも似たような事を言っていたのを花村にも説明するりせ。

 確かにあの胸や腰などを集中的に映したマヨナカテレビでは、個人の特定は難しいだろう。でも、あれは間違いなくりせであっている。

 

「あれに映った人、誘拐されるかもしれないんだ」

「はぁ……?」

 

 信じられないよな顔で鳴上を見るりせ。普通そうだろう。こんな都市伝説みたいな話し、いきなり信じろって方が無理な話しなんだから。

 完二も思っていることは同じで、疑うりせに「いきなり信じらんねぇだろうなあ、でも嘘や冗談じゃねぇ」とどうにか信じてもらおうと説得している。

 俺はといえば皆から一歩離れてその状況を観察していた。どうもこういう集団になると、離れてしまう癖が治らない。

 

『―――ほら! もう帰りなさい』

 

 とその時、外の方から野太い男の声が聞こえてきたのに気がついた。

 他の人も気づいたのか、自然と声のする方を、扉の方を見ている。

 がらっ、と古い引き戸が開かれてスーツを纏った男性が二人中に入ってきた。見てくれと……顔つきからしてそれは確実に警察官だろう。人を見るときの目が一般人とは違って、最初に疑うことを身に付けた人間の目をしている。

 

「ごめんくださーい……って、あれ?」

「………………」

 

 挨拶をしたのは二人の警官の内体型が細くてなよっとした印象を持った優男の方だった。

               名前/足立透 身長/176cm 体重/63kg 血液型/A型 備考/・ソ縺薙・閠・€∝キア縺ィ蜷後§縺上€主鴨縲上r蜿励¢邯吶>縺ァ縺・k縲ゅ∪縺溘€・ウエ荳頑あ縺ィ驟キ莨シ縺励◆閭ス蜉帙・讓。讒倥€ゅ◎縺ョ迸ウ縺ョ髣・・豺ア縺上€∽コ倶サカ縺ョ驥崎ヲ∝盾閠・ココ縺ィ縺ェ繧翫≧繧倶ココ迚ゥ縺ィ謗ィ貂ャ縺ァ縺阪k縲・

 

「…………っ!」

 

 目眩がした。久しぶりの情報量の多さに、許容範囲(キャパシティ)を大幅に超えてしまった。

 だけど、近づいたぞ!

 圧縮された情報を解凍しながら一つ一つ確認をしていく。まさかこんな近くに大きな手がかりがあるとは思わなかった。でも、今の俺では何もすることは出来ないだろう。

 識っただけでこれなんだ。行動を起こそうものなら俺の体がどうなるか分かったもんじゃない。

 

「ど、どうもー……」

 

 俺が違うことを考えているとき、花村が足立透とは別の警官に挨拶をしていた。その顔は非常に気まずそうで、少し怖がっているようだ。……って、この人、菜々子の親父さんなのか。それじゃあ鳴上の家の……。

 気になって見れば鳴上もまたバツが悪そうに警官……堂島遼太郎から目を逸らしていた。

 

「お前たち、どうしてここに……ん?」

 

 堂島が鳴上達がいることを咎めるよな、それでいて疑いの目を持って見ていると、完二の姿を見るなりその怖い顔が更に厳しいものとなった。

 完二は面倒そうに、他二人とは違って恐怖の色は無く、チッと舌打ちをついて顔を逸した。

 

「巽完二……」

 

 その声は咎めるというより悪ガキを見つけた大人の声に似ていた。

 そういえばこいつは昔から悪ガキだったのを思い出した。あんな暴れ方をしょっちゅうしていれば、そりゃ警察官の目にも留まるだろう。

 花村も何か言い訳をしようと思案顔をしてはいるが、思いつかないのか苦しそうな顔をしている。

 ……仕方ない、ここは手助けしてやるか。

 

「あー、そのこいつらは俺が呼んだんですよ」

「ん? 見ない顔だな、お前、名前は?」

 

 よし、方向転換に成功だ。堂島は初めて見る俺の事の方に興味が若干傾いた。

 

「五月にここに越してきた霧城大和って言います。字は霧の城と書いて、戦艦大和の大和で霧城大和です」

「霧城……俺は堂島だ。ここにいる悠の叔父だ。そういえばこの豆腐屋にはこの前、都会から越してきた奴が居たな」

 

 流石は警察、俺がここに来て住んでるのも知ってるのか。でも、それなら話は早い。

 俺は鳴上達の中央、堂島の前へと躍り出て話しを続ける。

 

「それが俺ですよ。今日はいつものように鳴上達にがんもどきでも奢ろうかと思ってまして、それで呼んだんですよ。生憎、この花村だけは豆腐が苦手らしいですけど」

「……言いたいことは分かった。でも、それがなんで今日を選んだんだ? この野次馬が多い、しかも芸能人が帰省しているこの日を」

 

 鋭いなー。いや、鋭いというかエグいな。菜々子の親父はなんでこんな鬼のような人なんだ? 娘は大天使なのに。

 しょうがない。嘘を言っても良いけど、この人そういうの見抜くの上手そうだから搦手でいこう。

 

「りせとは前からの知り合いでして。ここにいる花村が彼女のファンで、どうしても会ってみたいって言うから俺も友人の頼みは受けてしまう質なんですよ。それに、あなた方こそどうして家へ? どう見ても私服組の刑事ですよね? 外の交通整理や安全のパトロールなら交通課や制服組の仕事でしょう?」

「ああ、それはね―――」

「足立! いいから黙ってろ」

「は、はいっ……!」

 

 おお怖い。でも、堂島って人頑固だけど融通が利かないわけじゃなさそうだ。

 俺は鳴上達を逃がすために、店にあるがんもを袋に詰めてそれぞれを三人に手渡した。

 

「ほら、ちゃんと味わって食べろよ? 今日のは俺が朝仕込んだやつなんだから」

「おっ? あ、ああ、ありがとな霧城。それじゃあ、俺たちはこれで」

「サンキュッス先輩」

「それじゃあ……」

 

 がんもどきを受け取った三人は俺の行動の意味を理解したらしく、足早に店から立ち去っていった。

 堂島もそこまで三人に固執しているわけではなく、横を通り過ぎる三人を横目に見送るだけだった。

 

「んん゛っ、どうも稲羽署の足立です」

 

 三人が去って店内には俺とりせ、それと足立と堂島の四人となり仕切り直すように足立が胸元から取り出した警察手帳を掲げた。

 

「警察って事はもう知ってる。それより、どうして警察が家に?」

「ご存知かと思いますが、近頃この辺は物騒で……なぜ急に休業を?」

 

 外を見て鳴上達を見ていた堂島が振り返ってりせに問いかけたそれは、いつかの夜の報道でやっていた内容の事だった。

 休業の理由と近隣の治安の注意。それだけの事で刑事が動くのだろうか。

 りせは苦しそうな顔をする。

 

「……疲れただけです」

「実は、脅かすつもりはないんですが……」

 

 言いにくそうに顔をしかめる堂島。

 俺がやばいと思った瞬間にはもう、遅かった。

 

「知ってます、私が誘拐されるかもしれないんでしょ? さっきの三人から聞きました」

「えっ、あ、あの子達から……?」

「………………」

「あの、私これから用がありますから。それじゃあ」

 

 そう言って逃げるように奥へとりせは引っ込んでしまった。余程辛いのだろう。去り際に俺を一瞥したときの目は助けを求めているようにも見えたのだから、俺は相当りせに飲まれてるのかもしれない。

 とりあえず、このまま刑事さんを放置とはいかないから、続きは俺が引き受けることにする。

 

「すいません、今あの子ちょっと疲れてて。さっきまで野次馬で一杯でしたから」

「だよねー、これも有名税ってやつなのかなぁ……」

「霧城……って言ったな」

 

 足立は能天気な返事を返してくれたけど、堂島はそうはいかなかった。畜生、俺もあの時一緒に引っ込めば良かったかも。早くも後悔してきたよ。

 りせに口止めをする余裕は無かったし、警察が来るとも予想は出来たけど、まさかこんなに早く来るなんて田舎を舐めてた。

 

「そうですけど、なんですか?」

「さっきの久慈川さんが言っていた『誘拐』って、どういう事か知ってるか?」

 

 だよなー。気になるに決まっている。

 殺人事件こそ小西って人で止まってるけど、犯人はまだ出てないし、その後に二件の失踪事件が俺と同じ学校の生徒に起きてるんだ。疑わない方がおかしい。相当有能だぞこの人。

 疑惑を向けられているとはいえ、身の潔白は本当だ。ここは煙に巻かせてもらおう。

 

「俺、さっきまで奥のトイレにいたからそこらへんの事はよく知らないですね。なんですか? もしかしてりせが誘拐されるんですか?」

「……いや、勘違いかもしれない」

 

 考えるように瞼を閉じて、最後にそう言って堂島と足立は去っていった。

 俺はその背中をジッと穴が開くほど見つめていた―――。

 

 

 

 

 堂島と足立はマル久の近くに止めていた車に向かっていた。

 この時、ちょうど前に立っていた看板が足立の目に入った。看板にはりせが女性警官の制服を着て敬礼しているポスターが貼ってあった。

 

「どうせこの町に居るなら、一日署長とか頼めばいいのに……ねえ堂島さん?」

「……俺がここに来たのは、言っちまえば刑事の勘ってやつだ。なのに、事情も知らない高校生が先回りってのは、どういう事だ?」

 

 足立の話しなど耳に入っておらず、堂島は情報を整理するように疑問点をつらつらと上げていた。

 

「それに……」

 

 もう一つ、非常に気になるあの男子生徒。

 彼は自分を霧城大和と言っていたが、それの男の言動そのものと言うより、やけに手馴れたように自分らと会話していた。

 しかも、絶えず会話のイニシアチブを握ろうとしているのが堂島には見て取れた。

 自分を見透かすような仄暗く奥の深い洞窟のような瞳。余裕の見える僅かにつり上がった口端。悠達が何をやっているのかも気になったが、一緒にいる大和の事もまた注意するべきかも知れないと、人知れず警戒する堂島であった。

 

(この事件……どうやら一筋縄ではいかないようだな)

 

 

 

 

 堂島達が立ち去った後、大和はりせを追って店の奥、居住区に向かっていた。用があるからと刑事の前から去ったりせのそれは、大和には方便だろうと思ったからそこまで遠くには行ってないかもと考えていた。

 もしかしたらもうどこかに行ってしまったのかも、と危惧していたがそんな事はなく、大人しく居間で座っていた。

 自分で煎れたのか、湯呑にはまだ湯気が立っているお茶が入っておりそれを両手で持ってぼーっとテレビを見ていた。

 テレビではちょうどアイドルの特集をしていた。中でも番組内では『真下かなみ』というジュニアアイドルを推しているようで、彼女を主にした作りになっていた。

 

(真下かなみって……たしかりせの事務所の後輩アイドルだったよな確か)

 

 大和もその姿は何度か目にしたことがあるのを覚えている。

 りせと同じ事務所って事もあって、出入りしていた大和とすれ違うこともしばしばあった。いつもコチラを見てはすぐに目を逸らされて地味に傷ついていた。

 

「りせ……」

「ねぇ、どこか出掛けない? 私、海とか見てみたいな!」

 

 どんな気持ちなのだろうと控えめに声をかけた大和だったが、りせは予想とは大きく外れて明るい表情で振り返って大和に海に行こうと提案した。

 呆気に取られた大和は、目をぱちくりさせて一瞬固まったものの彼女がこうして明るいんだから余計な事をするもんじゃないと思い直した。

 

「そうだな、よし、それじゃあ今から行くか!」

「本当!? 先輩優しい!」

 

 受けてくれるとは思わなかったのだろう。りせは喜びを露にして立ち上がり大和に飛びついた。この光景を陽介や千枝が見たら殺意の波動に目覚めるかもしれない。

 こうして見ると、さっきまでの態度が嘘のように見えてしまうと大和は思った。事実嘘なのかもしれない。

 飛びついてきたりせを優しく受け止めて離し、大和はバイクのキーをポケットから取り出した。

 

「それじゃあ、裏に置いてあるバイクで出掛けるとするか」

「了解っ!」

 

 意気揚々に家を出る二人。店の方はもう商品が全て売れてしまったから、先程大和が暖簾だけ回収してある。

 

「そういえば、先輩のバイクに乗るのってコッチに来た時以来だね」

「あれから特に必要な時が無かったからな。使っても天城屋旅館への配達の時ぐらいだし」

 

 大和が購入したバイクは今では主に豆腐の配達に使われていた。

 趣味程度で欲して買った物だったが、今ではマル久では必要不可欠なものとなっていた。なぜならこのバイクを使わなくては天城屋旅館への配達は叶わず、もしかしたら発注を切られていたかもしれないのだ。

 大和が来なかったらりせの祖父一人であの道のりを配達するのは体力的に不可能となる。そうなると天城屋旅館に商品が下ろせなくなる為、自然と契約は破棄するしかなくなってしまう。

 マル久豆腐店を支える立役者となったバイクは、外に出るといつもの場所に鎮座してあった。

 後に付いているりせにヘルメットを渡し、大和はバイクにキーを差し込んだ。

 

「……りせ」

 

 突如かけられた声は家先から二メートルも離れていなかった。

 声に気がついたりせと大和は咄嗟にそちらの方を振り向いた。

 声の主はファンやストーカーとは違った。ある意味誰よりも一番のファンでもあるであろう立場の人であった。

 

「……井上さん」

「井上マネージャー……?」

 

 よく見ればそれはりせのマネージャーであり、大和が補佐をしていた人、名前を井上実と言う。

 井上は大和が覚えている限りでいつもと同じスーツを着ていた。

 このまま無視をするのも悪いので、大和は一歩先に出て挨拶をする。

 

「お久しぶりです井上マネージャー」

「君は、霧城君じゃないか。どうしてここ……そうか、そういえば君はここの家に住んでいるんだったね」

「はい、それで本日はどのようなご要件でわざわざこんな片田舎まで?」

 

 理由を問われて井上はりせの方を見やった。雰囲気から察するに、どうもただの挨拶ってわけではなさそうなのを大和は感じ取っていた。この人が挨拶に来るのなら菓子折りの一つでも持ってくる。そういう細かい気配りが出来た人だと認識している。

 彼の思惑が分からない以上余計な事はすまいと、仕事上の知り合いで、元上司て事もあって大和の口調も自然と固くなっていた。

 りせは井上から隠れるように半身を大和の背中に隠している。

 

「そうよ、なんで? 事務所とはちゃんと話してあるでしょ……!?」

「……今日は、僕個人が納得出来ないから来たんだよ。久慈川りせのマネージャーとして、今まで見てき―――」

「私は今、タレントじゃない!」

 

 りせは叫んだ。大和の背に隠れていた体を躍りだして前に出た。

 それは今まで溜まった鬱憤を晴らすように。言いたくても言えなかった深く根付いた暗い感情の発露のようで、相対していた井上が驚いて肩がビクっと震えたのを大和は見逃さなかった。

 癇癪を起こした彼女はヘルメットを持った手を振るいながら続ける。

 

「もう、生活時間をマネージャーに管理される人形じゃない!」

「り、りせ……」

「帰って。帰らないと、警察呼ぶ」

 

 本気なのか、りせは携帯をポケットから取り出す仕草をしだした。

 

「ま、待ってくれ! もう一度、考え直してくれないか? あの映画、僕は“久慈川りせ”しかいないと思うんだ。霧城君だってそう思うだろう? あのキャラクターはりせち―――」

「これ以上、まだ私に“りせちー”を演じろって言うの!? 誰かを、何かを演じろって!」

 

 進退極まった井上はりせの僅か後方に立っている大和に援護支援を求めるが、それが余計にりせの癇に障った。

 大和にまで井上の味方をされたら―――りせは考えるのも嫌だった。

 この世から少ない味方を失うことを恐れている。本当の自分が分からない自分が唯一、そんな括りとは外れた位置にいてくれる彼を手放したくない。

 

「えっ…………?」

「大和先輩を巻き込まないで! もういいの、とにかくそういうのはもう! 芸能界とか、そういうの全部……もういい!」

 

 捲し立てて糾弾するりせだが、大和はその姿にまたも言いようのない複雑な気持ちを抱いた。

 彼女はまだ自分を見つけていない、見つめていない。鏡に映る自分が本物なんだと信じられないのだ。だが、鏡に映らない人間からしたらそれはとても恵まれたことである。

 

(やはり、一度彼女を一回り、無理矢理成長させるしかない……のか)

「井上マネージャー、申し訳ないのですが……今日はこれでお引取り下さい。この状況では話もまともに出来ないでしょう」

 

 いくら裏通りとはいえ人通りが無いわけじゃない。いつかはこの場を誰かに見られて人が集まってしまう。

 そうなったら双方にとっていいことは無い。

 よって大和は井上に一度は身を引いてくれと言った。りせの精神状態からしても、もう井上の言うことは何一つ聞かないだろう。最悪、本当に警察を呼ばれても困る。

 井上を睨むりせを手で制してまっすぐな視線を向ける。

 

「そうだな、少しの間しか君とは仕事が出来なかったけど……その能力は僕も買っている。分かった、今日のところは帰るよ……でも僕は」

「早く帰って!!」

 

 その言葉を聞いて井上は踵を返して走り去っていった。

 大和はやるせない気分を振り切るように空を仰ぐ。

 既に太陽はもう傾き始め夕方になりつつあった。あと数時間もしないうちに青空は茜色になり闇へと落ちていくだろう。

 井上が立ち去った後を見届けながら、りせはバツの悪そうな表情を浮かべる。

 

「迷惑かけてごめんなさい。先輩も知ってると思うけど、井上さんって私と同じ年の娘が居るから、色々と心配してくれて……でも、私にはもう関係ない人」

「気にするな。お前が後悔をしない限り、俺は否定したりしないさ」

「……ありがとう。やっぱり優しいね先輩は」

 

 儚げに笑うりせはどこか無理をしているように見えた。

 休業をして間もなく、それでいてテレビでは後輩の真下かなみが活躍していて、なんとも思わない程りせのプライドも安くはない。

 間が続かなくなったりせは大和の真似をするように空を見上げ、もうそんなに時間が無い事を知った。

 

「なんか、海に行くって感じじゃなくなったね。夕方になってきたし、今日はもう家でのんびりしよっか」

「ま、海ならいつでも行けるし。どうせなら夏にでも行って泳ごうぜ」

「それ賛成! 今から新しい水着とか買っとかなくちゃね。大和先輩を誘惑できるような……!」

 

 そう言ってりせは少し屈んで上目遣いに大和を見上げた。

 太陽に照らされ輝く瞳は、どこか妖しく濡れていて年相応の妖艶さを孕んでいた。

 

「はっ、せいぜい頑張ってみろ。出来たら一度だけ言う事聞いてやるよ」

「あー、言ったね? 私、本気で頑張っちゃうよ!?」

 

 さっきまでの事など無かったかのように楽しそうに笑いながら会話をし、二人は家へと戻っていった。

 

 

 

 

 ――――マル久豆腐店(夜)――――

 

 俺は今、一世一代の誘拐劇を繰り広げていた。

 完璧な誘拐とは、その存在を匂わせないことにある。しかも、犯人は人目のつく所に居て被害者は遠くにいるとなお良い。

 そうなれば俺は捜査線から外れるからだ。

 

「すまないな……りせ」

 

 腕の中で眠るりせに、聞こえるはずもないのに語りかける。

 

 ―――遡ること十分ほど前。

 

 井上マネージャーとのひと騒動の後、俺はりせに夜九時ごろに辰姫神社で話したいことがあるから来て欲しいと口頭で伝えた。メールや電話だと履歴が残る可能性があるからだ。

 勿論このことは他言無用だ。大切な話しだと言って内緒にしてもらった。

 その後、時間になったりせは俺や婆さんの残る居間で「用があるからちょっと出てくる」と言い残して家を出た。空気を読める彼女は必要以上に婆さんに言わなかったし、俺が後から追いかけるのだろうと推測してなんの疑問も持たずに出て行った。

 

 表に出てからの事はとても重要で、まず通行人に見られないか、それと待ち合わせの辰姫神社に人がいないか等多少運任せなところもあった。

 が、りせは変装をしてったし、俺は目にも止まらぬ速さで走ることが出来る。条件はクリアーされたも同然だった。

 目的地に着いた俺は後ろからりせに近づいて、手刀を一発。漫画のような気絶のさせかたをして高速で家に戻った。

 この時、婆さんにはトイレに行ってくると言った。時間にしてわずが一分足らずの事だったから、まず疑われることはない。

 

 そうして隠れるように、あらかじめ開けておいた自室の窓から侵入して気絶して眠るりせを置く。

 あとは婆さんに「今日はもう寝る」と言っておしまいだ。

 

「さて、多少の穴はあるかもしれないが、もう後には戻れない……」

 

 ―――こうして時間は今に戻る

 なんの疑いももたないりせを抱き抱え、テレビの中に飛び込んだ。

 浮遊感は一瞬で、あっという間にいつかみた空き地の光景が視界に飛び込んできた。

 思った通り、部屋のテレビと今のテレビは位置が近いから、そこまでの誤差は出なかった。

 

「だけど、前見た時よりも……なんか規模が大きくなってる気がする」

 

 見渡してみると、やはりそうだ。以前初めてここに来た時よりも空き地の規模が大きくなっている。

 これはいったいどういうことなんだろうか。考えても答えは分かりそうにないな、とにかく、今はりせをちゃんとしたところに寝かせないと。

 空き地に入って、まずは土管の上に寝かせる。でもこのままじゃ体が痛くなるだろうから、近くにあった民家のソファを拝借した。

 

「食料は一応一週間分ある。これだけあれば、俺が次に行くまでには持つだろう」

 

 インスタント食品などを詰め込んだ袋をソファで眠るりせのそばに置く。

 飢え死にすることはこれで無くなるが、ここにはまだ危険が残っている。だから―――。

 

「―――『トコタチ』」

 

 久しぶりにペルソナを召喚する。

 トコタチは変わらずその特有の顔を有しておらず、いわば無貌ともいえる。ま、無謀なことをしてる俺にはお似合いなのかもな。

 気を取り直して手を振りかざす。目標はりせに。

 

「“―――《大言創語》彼女に攻撃を加えること何人たりとも叶わず”」

 

 これでいい。こうしておけば、万が一シャドウに襲われても、その攻撃は一切当たらない。

 《大言創語》を使ったことによって、またも俺の体は燃えるように熱くなって冷や汗が流れてきた。

 無視できない程じゃないが、使う度に痛みが増すような気がしてならない。

 マーガレットはこれを命を薪に、火にくべる行為だと言っていた。この意味が間違ってなければ、もしかしたら俺は来年を待たずとも…………。

 

「ま、しょうがないわな。……それじゃありせ、また今度会おうな」

 

 ごめんなさい。そして、願わくばこんな自分を許してください。

 これから自分はあらゆる人を欺くでしょう。他でもない自分の為に……。

 真実に近づく為には、いち早くりせにペルソナを覚醒してもらって仲間を増やし、絆を増やして鳴上の力を高めなくては。

 こうやって犯人以外の人間が模倣を始めたら、犯人もまた焦って行動を早めるだろう。

 俺一人が出来ることなんて、これぐらいしかないんだ。

 本当は―――りせを救いたかったわけじゃないのかもしれない。

 

「おっと、そういえば忘れてた……りせの記憶を封じないと」

 

 そうじゃないと目覚めた時、俺に呼び出されたのが最後になっちまう。

 

「“―――《大言創語》我に呼び出された所から記憶を思い出すこと叶わず”」

 

 

 

 

「およよ~、誰かと思ったらヤマトクマ~」

 

「よう、久しぶりだなクマ之介」

 

「どうしたクマ? なんでこんな時間に一人でいるクマ? もしかして、クマに夜這いクマ?」

 

「おい、なんでそんな言葉知ってるんだお前。……まあいい、それがな寝ぼけてテレビに落ちちまったんだよ。だから、変えるためのテレビ出してくれないか?」

 

「ヤマトも見かけによらずおっちょこちょいクマねー。オッケー! それじゃあ行くクマ」

 

「ありがとなクマ」

 

「それほどでもクマ」

 

「それと……ごめんな」

 

「およ?」

 

「“―――《大言創語》今日我と会った事実を思い出す事叶わず”」

 

「―――」

 

 

 

 

 

 

 六月二十三日 木曜日(雨/曇)

 

 ――――マル久豆腐店(夜)――――

 

 日は跨いで本日はもう二十三日。

 時刻はちょうど十二時である。

 

「―――まーるキュン!」

 

 テレビにはりせのシャドウが水着姿ではしゃいでいる。

 抜かりなく計画を遂行させた大和は如才なく、この前のカメラでマヨナカテレビの映像を録画している。

 前回は出来なかったが、今回は完二を救った後に立ち寄ってカメラに言霊を付けて撮れるようにしていた。

 

「春から花の女子高生アイドル―――りせちーでーす!」

 

 現実のりせとは微妙に違う。テレビで見るりせちーとしての自分が映し出されている。

 彼女は恥じることもなく、むしろ自らの体を売りに惜しげもなくカメラに晒していた。

 

「今回は、すっごーい企画に挑戦しちゃいまーす!」

 

 一方、この頃鳴上悠はテレビに釘付けになっていた。

 録画ボタンを必死に連打しながら、我を忘れたように見入っていた。

 

「ス・ト・リッ・プーー!!」

「ストッ…………!?」

 

 

 

 

 この夜。

 マヨナカテレビの噂を知る男共は眠れぬ夜を過ごした。




というわけで十四話でした。
次回よりまたもテレビの中に入るわけですが、今回は原作より一日早まってのマヨナカテレビです。
本来なら二十三日の夜。正確には日を跨いで二十四日のマヨナカテレビでまーるキュンなわけですが。

今回大和は物語を、展開を早める為に、わかった瞬間自ら犯行に及びました。
ほんともう何考えてるんだろうコイツ……。

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