ペルソナ物語4~ポケットが真実でいっぱいいっぱい~   作:琥珀兎

14 / 27
お待たせしました十三話です。
およそ三週間以上は期間があいてしまいましたが、これからは週に一回は更新できると思います。
早くて三日に一回ぐらい……。

不定期更新タグ、付けた方がいいのかなぁ。

追記。
本文の一部分名称を間違えたため修正しました。


第十三話:前に進むということ

 六月二十日 月曜日(曇)

 

 ――――八十稲羽高校――――

 

 林間学校明けの初週。通常通りの授業が始まった月曜日は、学生たちにとっては苦痛以外の他でもなくその表情は揃って浮かなかった。

 例に漏れず大和達もその一員であり、特に陽介なんかはやる気を通学路にでも落としてきたかのようで、授業開始を待たずして机に突っ伏して眠っていた。

 夏も近付き気候も暖かくなってきた教室内は眠る者に限っては適した気温で、その眠りも拍車がかかってさらに深くなるばかりの今日この頃。

 隣の席に座っているとある人物の視線を受け流しながら、黒板をボーッと眺める大和は心中穏やかではなかった。

 

 昨晩の千枝との電話中の乱入劇。

 誤解を招きかねないりせの発言と、運悪くその声を聞いてしまった千枝。

 発言の内容まで聞こえていたかは分からないが、少なくともその声音が女性であることは聞き及んでいるだろう。証拠に、千枝は女性の声がした、と大和に問うていたのだから。

 大和は思う。

 “里中は絶対に勘違いしてる。りせとは何もないのに、俺を咎めるような目で見ないでくれよ……。”

 真面目に授業を受けている最中ずっと剣呑な視線を感じているのは居心地が悪い。

 嫉妬している千枝を好ましくは思うが、無罪の罪で妬まれるのは大和としても勘弁願いたい所。特に最近の彼女はその傾向が顕著にあらわれている。

 海老原あいの時といい、林間学校前日の買い物時の雪子といい、当日のあいかといい、女性の影があれば千枝の機嫌が悪くなる。

 いくら好きな人といっても、それだからって許されるわけではない。自分の行動一つとって嫉妬されては身が持たない。いっその事冷たく諌める事が出来れば楽なんだが、大和は千枝に嫌われるのは嫌だった。

 

 好きだけどかまって欲しくない時もある。

 男の中に眠る女々しい感情が行動を起こした。

 

「すんません。気分が悪いので保健室行ってきます」

 

 逃避である。

 現実がどうにも出来ないのであれば、逃げてしまえばいい。

 ゲームの世界でも適わない敵に遭遇した時は逃げればいい。

 

「んっ? そうだな、それじゃあ気を付けて行くんだぞ。保健委員は」

「いえ、自分一人で行けます」

 

 教師は特に訝しんだ様子もなくすんなりと彼の仮病を許した。

 転入して間もないにも拘らず中間テストで非常に優秀な成績を残した大和を、教師達は一切疑わなかった。普段の授業態度も然ることながら、もしかしたら有名大学に進学するかもしれない貴重な優等生でもある大和は教師達にとっては貴重な生徒だ。そうそう仮病なんかするわけがないという先入観が出来上がっている。

 席を立ち教室の後ろ側の扉から大和が出るのを確認すると、何事も無かったかのように教師は授業を再開した。

 他の皆も授業に戻ったが、悠と雪子と千枝の三人は彼が去った扉を心配そうに見ていた。

 陽介は何の反応も示さず、ずっと眠っていた。

 

 

 

 

 保健室は無人だった。

 元々サボるつもりで訪れたので自分としては願ってもない状況だ、とほくそ笑みながら備え付けのベッドへと身を投げ出した。

 学校のベッドは病院のとは違って少々硬いが、横になるだけならこれでも十分だ。

 

「今頃アイツは何をやってんのかな……?」

 

 仰向けになり白い天井を見上げながら呟いた。

 思い起こされるのはりせの事。今は千枝の事よりもりせの事の方が重要だった。

 昨晩、寝る前に交わした会話の中で彼女はこの学校に転校すると言っていだが、果たして彼女はこの学校に馴染めるのだろうか。有名人という枷にとらわれているりせは、内心で普通に過ごしたいと思っているのが伺い知れる。休業の報道が流れた時の感情の揺らめき方から大和はそんな気がしていた。

 現に町や教室内では朝から久慈川りせの話題でもちきりだった。

 何もないのが取り柄だった田舎町にアイドルがやってくる。それだけで町は活気づいた。

 しかしそれが原因となって起きる出来事だってあるだろう。

 

 ポケットの中にある携帯を取り出してアドレス帳を起動する。

 慣れた様子で端末を操作してカ行の一覧を表示すると、そこには『久慈川りせ』と書かれた名前が出てきた。

 

「何かあったら連絡してくるとは思うけど、まだコッチに引っ越してから二日だ。マスコミもすぐには来ないよな……」

 

 その呟きは誰の為か。

 発せられた言葉は静かに消え再び無音の空間が戻ってきた。

 独り言を言ってから数分後。何をするわけでもなくぼーっとしていたら大和の携帯が音を出さずに振動した。

 

「ん? 早速来たのか?」

 

 もうりせから来たのだろうかと思い新着メールを開いてみると、大和の予想とは違った人物からの連絡であった。

 簡潔ながらも要点はしっかりまとまっている丁寧な文章は、体調が回復したらでいいので放課後にいつもの屋上で待っているという内容であった。

 大方、りせ関連の話だろうと思って大和はそのメールを、差出人である天城雪子に簡素な諒承の言葉だけを載せて返信した。

 陽介なんかからは根掘り葉掘り聞かれるんだろうなぁ、と内心ゲンナリしながら携帯を閉じて天井を見上げる。

 実家で祖母の手伝いをしているのであろうりせの事を思いながら、大和は静かに眠気に任せて瞼を閉じていった。

 

 

 

 俺がここに来てからの生活は激変したと言っても過言ではないだろう。

 その証拠に、俺は今までの日常からでは決して体験できないような出来事に見舞われている。

 始まりはあのガソリンスタンドの人物なのだろうけど、それを見過ごすことも出来たはずなんだ。行動の制限をされたからといって、別に日常生活に支障をきたす程でもないし命に関わりそうでもない。

 イゴール曰く、俺の運命は今年中に閉ざされてしまうらしいけど、それもあまり信じてはいない。

 それでも俺は行動を起こした。こんな『呪い』をプレゼントしてきた奴を殴って解いてもらうために。

 これが映画やアニメだったら、これほど些細でどうでもいい話しは無いだろう。

 だって犯人を突き止める事は出来ても、俺からそいつを追いかけることは出来ないし、第三者にも伝えることが出来ないんだから。いつまでも停滞し続けて先に進むこともなく、ただ状況に流されているだけだ。

 ―――なんて三流の脚本。

 ラジー賞も間違いなしの最悪の出来だ。

 

 だから―――俺はその現状を破らなきゃいけない。

 

 誰にも悟られないように、一部の隙も作らずに綿密かつ迅速に遂行しなくちゃならない。

 これは俺の、俺だけの戦いとも言えない自己満足の欺瞞に他ならない。

 計画が成功したら、恐らく目的に一歩近づくだろう。初めて、俺から近づくことが出来る。

 だけど行動するにはまだ材料が足りない。

 急いては事を仕損じるってことわざがあるぐらいだ、俺はそれに従って今はまだ待つことにしよう。

 そう―――今はコイツらを説得して納得してもらわなくては。

 

「―――だから……確かに俺はりせと一緒に住んでるけど、花村が邪推するような事件は起こってないぞ」

「嘘だ!! ぜってー嘘に決まってる! あの『りせちー』とひとつ屋根の下なんだぞ、なにか起きない方が間違ってるに決まってる! ああ、でも何も起きてない方が俺としては嬉しい……くそぅ、頭ん中がこんがらがってきた」

「なに勝手にドツボにハマってんのよ花村は。邪魔だからちょっとあっち行っててよ」

「んなっ里中テメェ、大和がりせちーと同棲してる事に妬いてるからってその仕打ちは理不尽だろ」

「だーかーらー、妬いてないっつの! いい加減にしないとさすがのアタシも怒るよ!?」

「もう怒ってるじゃねーか…………」

 

 保健室で考えをまとめた後、何事もなく教室に戻った俺を迎えたのはいつもの仲間たちだった。

 その時から何やら聞きたそうにしている様子であったが、教室内には他にも生徒が居たので聞き出せなかったんだろう。

 溜まりに溜まった鬱憤は放課後の屋上で今まさに発散されていた。

 毎度のことながら、いつも賑やかな連中である。

 

「お前らがどう思うかはお前らの勝手だが、りせの名誉の為に言っておくぞ。一緒に住んではいるが、手は出してないし漫画みたいなハプニングも無いぞ。喜べ花村」

「バトル漫画の登場人物みたいなお前が言っても説得力ないっての。……ま、でもそうだよな。霧城にはもう相手が―――」

「そんなことはどうでもいいんスよ。それより、先輩らの予想が合ってんなら」

 

 危うく林間学校での内緒話を漏らしそうになった花村を遮って完二が主張した。ナイスだ、あと少し遅かったらさらに面倒で気まずくなっちまうところだった。後で肉丼奢ってやるぞ。

 

「うん、完二君の言う通り、次にマヨナカテレビに映るのはもしかしたら―――」

「―――久慈川りせ……ってことになるな」

 

 真剣な面持ちで相槌を打った天城に継いで、透き通るような声音で鳴上が事件の予想をした。

 次の犠牲者候補がりせだという事に、俺を含めた五人が同意するように頷いた。

 だけど、まだ決まったわけではないのを皆知っている。これまでの予想はマヨナカテレビに映った人間がテレビに入れられるという仮設しか正解しなかったのだから。

 闇雲に行動して犯人がナリを潜めたら俺が困る。まだ何も成し遂げていないんだから。

 鳴上達はこれから様子を見に行こうって雰囲気があるものの、まだ踏ん切りがついてないようだ。それなら俺が、

 

「だけど、まだマヨナカテレビは映らない。予報では明日から雨らしいし、その後でも遅くはないんじゃないか?」

「そうだね、大和君の言う通り焦ってもしょうがないし、今はまだ様子を見ようよ。それに……本当に彼女が狙われても、大和君が一緒に住んでるんだし多分大丈夫でしょ」

「アイドルとひとつ屋根の下ってのは羨ましくてしょうがないけど、意見そのものは筋が通ってるな。これで本当にりせが狙われたら犯人の狙いも絞り込めるな」

「狙い? どうしてそれが分かるんスか?」

 

 完二はよく分かってないらしい。疑問を浮かべた表情で花村に説明を求めている。さっきはちょっと冴えてるかと思ったらこれだ。

 呆れたように嘆息して仕方なさそうに口を開く花村。

 

「もしこれでりせがマヨナカテレビに映って攫われたら、俺達の立てた予想の“この町に住んでてテレビ報道された人間”ってのが濃厚になるだろ。そうなったら最初の事件の被害者関連って線はほぼ無くなるってわけだ」

「あー、はー、なるほど……」

「ホントに分かったのかよ……」

 

 気のない返事で花村の説明を聞いていた完二に、呆れ顔で諦めたように愚痴を花村がこぼした。

 実際のところ間違ってはないだろう。能力が少し下がった今でも、それぐらいのことは分かる。

 ただ分からないのは犯人像と、その動機だ。

 今までそんなに重要性を感じてなかったから調べなかったが、犯行手口は分かってるんだ。自ずとこの小さな町でそれが出来る人間は限られている。

 手口に関しての正答率は『呪い』が身をもって教えてくれた。逆手に取れば少し体に負担のかかる不思議な解答用紙だと思えば良い。

 動機に関しては……こればっかりは本人に問い詰めなくてはならない。これもまた、そのうち鳴上達がたどり着いた時にでも教えてもらおう。

 

 あらかた話し合いが進んでこれ以上の進展が今日はもう見られないだろう放課後は、少しの間静かになっていた。

 これ以上ここに居てもしょうがない。

 

「それじゃあ、今日はこれで解散で良いな?」

「いやちょっと待ってくれ霧城……いや、霧城様!」

「様って……何言ってんだ花村、昼になんか悪いもんでも食べたのか?」

 

 まとめに入って今日はこれで解散しようとしたら、いつになく真剣な花村が制止の声を上げた。

 様付けで俺を呼ぶのは気持ち悪いからやめてほしい。いやホントに。

 何かと思って花村の返事をジッと待っていると、コイツはおもむろに冷たいコンクリートの上で土下座をし始めた。

 今に始まったことじゃないが、思いつきで行動するのはやめてほしい。ほら、他の奴らも引いてるぞ。

 

「頼む一生のお願いだ! 今日この後お前から俺にりせちーを紹介してくれ!」

 

 

「……はっ! スマン、あまりに馬鹿らしい言葉が聞こえた所為で一瞬意識が飛んでた」

「花村……そこまでして会ってみたいのか」

「花村先輩、やってることは男らしいっスけど言ってることはメチャクチャ情けないっスよ」

「何とでも言え、俺はあのキャワイイりせちーを生で一目見られて……あまつさえ会話なんか出来ちゃう為なら鬼にも犬にもなるさ!」

 

 俺にとってはとんでもなくどうでもいいことに一生のお願いを使った花村に、呆れて物も言えなくなってしまった。

 鳴上はなんか花村の啖呵に身を打たれたのか、なんか体を震わせながら生暖かい眼差しを向けてる。

 完二は潰れたカエルを見るような哀れんだ視線を向けてる。

 女性陣に至っては何も言ってこない。と言うか無視してる。虫を見るような目を向けたかと思えば、何事も無かったかのようにして二人で会話に花を咲かせている。これが一番怖い。

 きっと花村陽介史上最高に女性株を大暴落させた日になるだろう今日は。

 

「鬼にも犬にもって、せめて鬼になれよそれじゃあ。なんで犬のように服従したし?」

「俺が鬼になったらお前、絶対聞いてくれないだろ」

 

 確かに。それは間違ってないな。

 仮に花村が鬼のように偉そうに、それでもって傍若無人に振舞ってその上りせを紹介しろなんて言ってきたら、きっとぶっ飛ばす。

 そういう意味じゃ、花村のこの判断力は侮れないな。

 あと、未だに土下座をやめない根性も買ってもいいだろう。

 

「うーん……」

 

 悩むような仕草で腕を組む。

 俺としては花村の要求は聞いてやっても良いんだけど、それをりせが許すかどうかだな。

 何の連絡もなしにいきなり押しかけて「これ友達の花村陽介、よろしくな」とか言っても、アッチの対応に困っちまうだけだ。

 アイドルとしての自分を捨てて来た彼女の意思をなるべく尊重してあげたい。ただでさえ野次馬とかが家に集ってるかもしれないんだし。

 答えを今か今かと待ち構えている花村を見下ろす。その後、チラッと横目に女性陣の方を伺ってみる。

 

「…………」

「…………っ!」

 

 天城は冷静に、里中は『どうせロクなことにならないから断ったほうがいい』と目線で訴えてきた。

 よし、腹は決まった。

 

「花村……」

「決意してくれたかっ!?」

「…………駄目!」

 

 バッサリと言い放った。

 名前を呼んだときは一縷の希望にすがって嬉しそうな顔をしてたけど、それも一転、拒否の意思を示したら絶望の底に落ちたような表情になった。

 二十の面を持つ怪盗でもこの表情は出来ないだろう。

 

「な、なんで……?!」

 

 信じられない、といった様子で土下座から元に態勢を戻して喰ってかかる花村。全くもって往生際の悪い奴だ。だからガッカリ王子だとか、三枚目だとか言われるんだよ。

 仕方ないから正当な理由を突きつけることにする。

 

「んなの、りせがきっと迷惑するからに決まってるだろ。考えても見ろよ、アイツは休業という形で休みに来てんだ。会社員にしてみればオフだ、休みだ、休暇って奴だ。そんな時にファンが押し寄せてみろ、ゆっくり休んでるってのに会社の人間に会いたくないだろ。花村、お前がジュネスのバイト休みな時に、部屋でゆっくりしてるってのにパートのおばちゃんと会ってみろ。どう思うよ?」

「すっげぇ嫌だな面倒くさい。休みの時ぐらいほっといて欲しいわ……。ってそっか、俺それと同じような事を」

「そういう訳だ。仮にも、少し前まであいつのマネージャー業務補佐をしてたからな、一応気を使ってやらないと可哀想だろ」

「霧城の言う通りだな……流石マネージャー業務補……ん? なんだそれ、聞いてないぞ?」

 

 あれっ? 言ってなかったっけ。

 

「ちょっと待って、それじゃあ大和君が前に言ってた『ある人』の手伝いって……久慈川りせの手伝いって事だったの?」

「よく考えたら霧城君始めから彼女の事『りせ』って親しそうに呼んでるし、あの時町に居なかったのもそれが理由?」

「思い起こしてみると、結構納得がいくな。前に話してた内容的にも当てはまりそうだ」

「はー、色々バイトしてんのは知ってたけど、そんな事までしてたんスね先輩」

 

 俺の発言を皮切りに各々意見や質問を投げかけてくる。

 そんなにいっぺんに言われたって返せないっての。俺は聖徳太子かよ。

 

「あー、まぁ大体合ってるな。そうだよ、婆さんに頼まれて都会に居たりせの手伝いをしてたんだよ」

「霧城の言い分は分かった。でもよ、俺達あの時、お前を訪ねてマル久に行ったぞ。その時あのお婆さんに話を聞いたけど、詳しくは教えてくれなかったんだけど」

「なかなか鋭いじゃないか」

 

 花村の疑問は確かだ。

 矛盾があることは重々分かっている。というかそもそも、

 

「そもそも、孫娘がアイドルやってるんだけど今それの手伝いに行ってるなんて、言えるわけないだろ祖母って立場で」

「それもそうだな。あの時点でわかってたらもっと早くにりせちーに会えるよう頼んでたかもしんないしな」

「アイドルが孫なんて、この町で言ったらあっという間に広がっちゃうもんね」

 

 それに今やテレビ報道で“時の人”状態だしね、と遠く距離のあるようなニュアンスで話す里中が俺を見やる。

 一般的に猫目というのだろう里中の色素の薄い茶色い瞳が俺を捉える。

 人の感情の機微が理解できていない自分には里中が何を思っているのか正確には分からないが、きっと昨晩のことについて聞きたいのだろう。思考がわからなくとも、表情筋と汗の分泌量やその他もろもろの要因を重ねた科学的根拠に基づいた予想は出来る。

 今までは俺と里中だけの、言わば両端に向かい合って座るシーソーのようだった状態が、りせの登場によって里中には俺を中心としたヤジロベーのようになってしまったと思ってるのかもしれない。かなり自意識過剰な思考だが、こういうのは考えすぎな方がかえって傷が広がらない予防となるはずだ。

 俺は里中と目を合わせて、後で話そう、といった返答を視線とジェスチャーで伝えて、皆に向き直った。

 

「とにかく、そういうわけだからマヨナカテレビになにか映るまでは俺がりせをマークする。それまでは我慢してくれ。もしマヨナカテレビに彼女が映ったら、そのときは嫌が応にも合わなきゃならないかもしれないしな」

「最速でも明日の夜の十二時だな。……よし、とりあえずりせの事は霧城に任せるって事でいいか?」

 

 気持ちの整理が付いたんだろう花村が締めると、皆一同賛成の声をあげた。

 これをもって本日の特別捜査隊の活動は締めくくられた。

 ただ俺は、これからもう一つの釈明を里中にしなくてはならない。

 身の潔白はあるのだから何も物怖じする必要はないんだけど、なんだか胃が痛くなってくるな……。

 

 

 

 

 ――――鮫川河川敷――――

 

 里中千枝は今日一日を振り返って、一言でどんな日だったかと問われれば『肉のないねぎま』と称するだろう。

 これは彼女の好物から連想される彼女特有の言語であり、現代語に訳すのであれば『本来あるものが無いという戸惑いと不安の意』である。

 昨晩の大和との通話の時に紛れ込んできた女性の『お風呂が空いた』という発言を、偶然にも両者にとっても運悪く聞いてしまった彼女はそれをすぐさま問いただそうとしたものの、大和によってけんもほろろな対応によって切られてしまった為に有耶無耶になってしまっていた。

 この時点で久慈川りせの存在を明かしてくれたのであれば、千枝もここまで不安にはならなかったであろう。多少の嫉妬はしたものの、大和自身を責めるようなことはもうしない。それはあの林間学校のテントで思い直して決めたことなのだから。

 なのに―――彼は誤魔化して嘘を吐いた。

 ほかでもない自分を欺いたのだ。

 

 歯に衣着せぬ物言いの大和が言葉に虚飾を着せたのだ。文字通り虚言を飾ったのだ。

 今までの大和からはおよそありえない事に彼女の心はひどく同様していた。本当ならば、今日は学校に行くのは止めようかと思った程である。

 正直に白状すれば、怖かった。『あの時、どうして誤魔化したの?』と問い詰めれば、もしかしたら彼は遠くに行ってしまうのではないのかと。雪子も彼のことは素敵な人と評していたし、あちら側からすれば選り取りみどりであろう。

 自分なんて肉が好きで運動ばっかりのガサツな田舎娘なんぞ相手されなくなる。一瞬でもそう思ってしまった自分を千枝は厳しく戒めた後、後悔した。

 そんな事もあってか学校に着いた後も、なかなか大和に言い出せないままにただ眺めるだけになってしまっていた。

 羨望にも似た眼差しで見ていた千枝の姿は、傍から見れば他の女生徒同様、大和を観賞用として愛で羨む人と一緒くたに見られても仕方ない程だった。

 

「それで、話ってのは昨日の事なんだけど」

 

 だから、今こうして彼を前にしても、燃えるような恋慕を抱きながらも何処か遠い人のように思えてしまっていた。

 

 あの屋上での集まりの後。各自それぞれの用事に向かって行った後、千枝の携帯に大和からの呼び出しメールが来ていた。

 内容は相変わらずに簡潔で『この後、話があるからいつもの特訓場所で待ってる』と書いてあるだけだった。それが彼らしいと思って、また愛おしく思ったもののそれと一緒に脳裏に浮かぶのはりせの顔だった。

 素直に喜ぶことが出来ない程に、千枝の中でりせという存在は大きくなっていたのだった。

 そして到着して大和が千枝の姿を確認しての第一声がそれだった。

 

「昨日って、アタシがキミに電話してた時に聞こえてきた久慈川さんの声の事?」

「あ、ああ……あれはアイツがいきなり部屋に入って来たからなんだよ。それに、黙ってたのは花村にも言ったように、りせの為だからだ」

 

 思ったよりも低い声が出たことに千枝は驚いた。

 大和もまた彼女がここまで根に持っているのかと思って、思わず間抜けな声が出てしまった。

 二人共木製のベンチに座っているが、両者の間にある距離はちょうど人一人分空いていた。これがりせの存在を臭わす行為だとしたら、大和にとっては最大の精神攻撃と言えるだろう。

 千枝は右に座る大和を見ずに、ずっと夕日に染まった鮫川を見ている。

 

「“りせ”の為……ね……」

「なんにせよ、里中が誤解するようなことは一切無いからな。神に誓ってもいい」

「私は“里中”なのに…………」

 

 “大体、明確な言葉を交わして心を通わした相手ってわけでもないのに、なんで俺はこんなに浮気のバレた甲斐性無しみたいな真似してるんだ”

 傍から見ればこちら側が完全に敗者席であるのは明瞭だ。

 だがそんな言い訳がましい事実を耳にしても、千枝の耳に入ったのは“りせ”と呼ぶ彼の声だった。その上で自分を“里中”と呼ぶ声が、更に彼女を不安にさせた。

 本当ならこんな事はしたくないのに、感情はいうことを聞いてくれない。

 林間学校の時は自分の都合で無闇に彼を責めないと決めたのに、今は彼に気を使わせてしまっている。あっちを直せばこっちがおかしくなる。これじゃあ廃車寸前の車を直しながら走っているようなもんだ。いつかきっと壊れて怪我をしてしまう。

 たったこれだけ『そうだったんだ、それならそう言ってよもうっ』という言葉を言えば済む話。ついでに誤魔化した罰として冗談交じりに肉丼を要求すればなお良かっただろう。

 要するに出だしからして間違っていたのだ。

 

「あの時、一方的に誤魔化して切ったのは謝る。出来るだけ穏便に済ましたかったんだ」

「そうだよね、アイドルと“一緒に住んでる”なんてバレたら大変だもんね」

「……そうなんだよ。しかも、俺が町を離れてた時の事も事務所の契約で話すわけにはいかなかったんだよ」

 

 これは本当である。

 実際、大和が事務所と交わした契約書の中に『当事務所に所属するタレント・アイドル等の芸能人に関する守秘義務』の項目があったぐらいだ。

 契約と言うなら従う他ないと思っていた大和は、今日までそれを守っていた。

 だから千枝の“一緒に住んでる”と強調したような言い方に対抗するように、今となってはバレてしまって効力をあまり持たない契約内容を武装して逃れようとしたのである。

 なのに―――大和は千枝の方を見ているのに、千枝は一向に顔を向けてくれない。

 聞く耳を持ってるのか持ってないのか、この会話の落としどころを見失った大和はやきもきしていた。

 これではいつまで経っても話が終わらず、のれんに腕押しもいいところだ。何を言っても聞き流すようにするか、まともに取り合ってくれない。

 それなら、と大和は思う。

 

 “落としどころがないんなら―――無理矢理落とし穴でも掘れば良いんだ”

 

「……なんか、さっきから機嫌が悪いな里中」

「そんなことないよ、アタシはいつだって元気だよ!」

「いや、機嫌悪いね。その証拠に今の声にも覇気がない……そもそも―――始めから話しを聞くつもりがないんじゃないか?」

 

 ここで初めて千枝が大和の方を向いた。

 千枝自身も驚く程機敏に首が稼働していた。

 眼球が捉ええた大和の表情は、なんだか自分を嘲笑っているようにも見えた。

 

「なっ!? そんな事ないよ、ちゃんと聞いてんじゃん!」

 

 思わず声を荒らげてしまう千枝。

 自分が軽く見られているような、侮辱にも似た大和の眼差しに怒りがこみ上げてきたのだ。

 が、牙を剥いても大和にはまるで応えた様子はなくつり上がった口端も下がっていない。

 

「そうか? 俺にはそうは見えないな。ただ嫌なことから目をそらしてる子供に見えるよ」

 

 愚昧な人間を(あざけ)笑うように大和は言う。

 りせのことや自分の事、それに今の大和の事など沢山の不満と鬱憤が噴火するように千枝のボルテージは高まっていく。

 

「なにそれ! 子供なのはそっちでしょ!? 悪戯がバレた子供みたいなバレバレの誤魔化し方なんてして、アタシが分からないとでも思ってたの!?」

「……ば、バレバレってのは心外だな。結構上手かったと思うぞ」

「はんっ、あんなの目を瞑ってたって分かるよ。見え見え」

「あー、そうですか。そうだよな、目を瞑っても耳は聞こえてるもんな!」

「そーやって屁理屈言うから友達少ないんだよ! この偏屈!」

 

 いつしか、もはや本題などそっちのけで互いに罵倒しあうただの言い争いに発展していた。

 陽介と千枝がいつもやっているような、売り言葉に買い言葉のレベルの低い口論。思いつくままに相手の欠点を貶しては優位に立とうとする愚かしく浅ましい―――だけども微笑ましい小さな戦いである。

 

「だいたいねぇ! 大和君がいつまでもアタシをのけ者にするからいけないんでしょ!」

「のけ者って、俺がいつ里中をないがしろにしたんだよ!?」

「してるじゃん! 雪……あいかちゃんとは楽しそうに名前で呼び合って話してたし、海老原さんとなんかはあの試合の一件の後もたまに会ってるらしいじゃん! アタシはいっつも遠くから見てるだけ!」

「あいかは常連の店の人で、ご近所だからだろ。それに、エビはあっちが勝手に付きまとってるだけだ。里中とだってよく一緒に遊んでるじゃんか、なにがいけないんだ!?」

 

 ここで千枝は今まで思っていた“たった一つ”の事柄について大和にぶつける事を決意する。

 恥ずかしいだとか、そんな事をいつまでもぐじぐじ思っていてもしょうがない。初めの一歩はとっくに踏み出したのだ。

 意を決して千枝はベンチから立ち上がり、持てる全ての力を振り絞って口を開く。

 ―――これ以上足踏みなどしていられない!

 

 

「アタシの事も―――“名前”で呼んでよ!!」

 

 

 そう、いつだって千枝はこれを気にしていた。

 あの大和が倒れて病院に運ばてた時。あの時から千枝は努めて大和を名前で呼ぶように努力した。

 好きな人から名前で呼んで欲しいと頼まれたのだ。受けない方がおかしいに決まってる。だから千枝は頑張った。

 たまに間違えたり、初めは気恥ずかしくて苗字で呼びそうになっていたが、それも今では慣れたもんで違和感なく呼べるようにまでなっていた。人間の適応能力の高さに、初めて感謝した瞬間だったかもしれない。

 だというのに、肝心の大和はいつまで経っても自分の事は名前では呼んでくれない。

 

「あいかちゃんは名前で呼ぶのに、海老原さんはあだ名で呼ぶのに、挙句久慈川さんなんてとても大切な者のように名前で呼んで! アタシはいつまでも苗字で、なんだか一線を置かれてるみたい」

 

 苗字と名前、呼び方などそれぞれで何でもいいかと大和は思っていたし、千枝とはもう少し時間をかけようと思った末の行動は裏目となり結果こうなってしまった。

 彼がどう思っても、彼女はこう思っていたのだ。

 苗字と名前の間には、絶対的かつ圧倒的なまでの隔たりがあるのだ。

 “だから、この願いは正当なんだ”

 

「なんだか、林間学校での事が夢で、今が現実みたいな感じがすごくしちゃうんだよ……。不安で、怖くて……あの時繋いでくれた手の温もりも幻だったのかもって……」

 

 一度決壊してしまえば後は雪崩のように崩れていった。

 積み上げた思いが、偲んでいた情念が、大和を覆い尽くさんと波濤のように迫っていく。

 

「そのこととか聞きたかったのに、いつの間にか大和君の家には知らない女の子が住み始めるし。それなのに―――」

「千枝…………っ!」

 

 手を握る。

 それ以外の行動など今のこの場においては無意味に他ならない。

 宙に放られた千枝の手を、大和はしっかりと握り締め―――初めて名前で呼んだ。

 

「勘違いするなよ、千枝に言われたからじゃなくて。俺がそうするべきだと思ったからしたんだからな」

「……それ、花村とか鳴上君がたまに言ってるツンデレのつもり?」

「あいつら……」

 

 穏やかに、それはもう木々が眠るような優しい調べのように千枝は語りかける。

 赤々とした日に照らされ顔が赤く見えるが、今はそれを除いてもきっと赤いだろう。

 遠く感じた大和が、今はこんなにも近くにいる。

 

「ありがと……やっと、呼んでくれたね名前」

「こんなもの一つで怒ったり喜んだり、忙しいやつだなお前は」

「お前じゃないでしょ……」

「ああ、里中」

「…………イジワルだなキミは」

 

 いつものようにブーたれた顔で頬を膨らませる千枝。

 それが見たくて大和はわざと言ったと言っても過言ではない。

 だから、次は―――。

 

「悪かったよ、千枝」

「……よく出来ました」

 

 

 

 

 六月二十一日 火曜日(雨)

 

 ――――マル久豆腐店(夜)――――

 

 さて、昨日の歯が浮くような台詞や、胃もたれして糖尿病になりそうな甘ったるい展開があってから丸一日がたったわけだが。

 正直何も起こってないのである。

 昨日はあの後普通に帰り、家でりせの話し相手をしてやったり。なんか知らんが星占いだとか生年月日だとか、動物占いがどうとか乙女チックな遊びに付き合わされてヘトヘトだった。

 信じられるか? あれでまだ付き合ってないんだぜ。

 いやいや、万が一あれで俺が告白して振られたら嫌だしね。もしかしたら俺とは遊びで、本命がいるかもしれないじゃん。

 それに、あの展開も予想して、というか無理矢理誘導したようなもんだしね。

 千枝は単細胞可愛いだから、怒らせれば色々暴露するとは思ったがまさかここまで上手く行くとは。今更ながらになんか罪悪感が出てきた……。

 

 名前で呼ぶようになった今日の朝とかも、他の奴らの前で呼んではいたがなんかもう、わかってるよ~って感じの暖かい視線が痛いのなんの。

 花村なんかはヤブをつついてカンフードラゴンが出てくるのが怖いから触れないだけかもしれんが。

 そんな針の筵みたいな学校が終わって現在は夜の十二時前である。

 

 言わずもがな、今夜は雨。

 マヨナカテレビの放送される時間がやってくるのだ。

 

「テレビにりせが映ったら……俺は鬼にならなくちゃいけない」

 

 思わず呟いていた。

 今のを誰かに聞かれてないかと耳を澄ませて周囲の気配を探るが、聞こえる範囲にはいなかった。

 危なかった。これは誰にも知られてはいけない事なんだ。

 俺だけが、事件でも蚊帳の外に置かれている俺だからこそやらなくてはいけない事。俺だけが到達したい地点に行くために―――。

 

「俺は―――俺の展開を早めなくてはならない」

 

 ――――午前十二時――――

 

 テレビがひとりでに点灯した。

 以前も見たことのある映像だ。始めに砂嵐が画面に現れて、その後に人影が―――。

 人影は体型からして女性だろう。骨盤の広さとか、腰のくびれ、それに何よりも胸が出ている。

 

「……りせだ」

 

 間違いない。

 久慈川りせ。ジュニアアイドルで、俺の同居人の久慈川りせだ。まだ霧がかかっていてよく見えないけど、俺の目を欺くことは出来ない。

 視れば分かる。ただ、コッチのりせよりも、テレビのりせの方が胸のサイズが大きいのは気の所為だろうか。

 まぁいい。これで俺がやるべき事。その相手も確定した。条件も出揃った。

 後は違和感無く事を進めなくては。

 

「とにかく、今はりせの部屋にでも向かおう。もしかしたら怯えてるかもしれないからな」

 

 この町で話題になってるだけあってりせもマヨナカテレビの事は知っていたし、少し興味があるようだったのを覚えている。

 部屋を出てりせがいるであろう部屋に向かう。

 この家には少し前まで、居間にしかテレビが無かったが俺が自分用のを買って、りせも都会にあったテレビを郵送してもらって計三つのテレビがある。

 昔ならちょっとした小金持ちの家にしか無かった物が、こんなにもあるというのは時代が変わって栄えた証拠だ。

 時間は進まなくては進化も衰退もしないんだ。

 だから、俺は明日―――。

 

 

 

 

 犯人に扮して―――りせをテレビの中に入れる。




まさかのりせちー出番なし!
すまぬ……すまぬ……。

次はあるよ、絶対あるよ!

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。