ペルソナ物語4~ポケットが真実でいっぱいいっぱい~   作:琥珀兎

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一章:偶像と虚像/分岐点
第十二話:アイドルりせ帰省


「ようこそベルベットルームへ……」

 

 狭間の住人―――イゴールが嗄れた声で歓迎した。

 異空間を走るリムジンに気がつけば大和は居た。

 直前までの記憶ではたしか、林間学校が終わって自宅に帰る途中にりせから電話がかかって来て、明日マル久豆腐店に帰って来ると言っていたのを覚えている。

 思いつめたような声音が携帯電話越しに聞こえたりせは、以前会った時よりも疲れている印象を抱いた。

 なにか困り事を抱えているのなら、出来る限りの手助けをしてやろうかな、と気まぐれに思案したのが最後の記憶。

 気がつけば大和の意識はこのベルベットルームにあったのだ。

 

「最近そっけないとは思ってたが……ちょっと急過ぎやしないか?」

「これは失礼しました。ですが、これから伝えることはどうしてもこの時間……この瞬間にお招きするしかなかったのです、どうかご容赦を」

「怒ってるわけじゃないから、俺は別にいいんだけどさ……で? 今度は何の話があるんだ?」

「はい、まずは貴方様の覚醒なされたペルソナについてのご説明を。……マーガレット」

 

 そう言って破顔したイゴールが続きを促すようにマーガレットの名を呼んだ。 

 もう一人の住人―――マーガレットが大和の方に顔を向ける。

 日本人離れした彫りの深いマーガレットの容姿はあらゆる男性が声を揃えて『妖麗』と評するであろう美貌で、それがまた彼女が何者なのかと大和を思わせる。

 玲瓏たる双眸は、神秘の輝きを放ち客人であり契約者の大和を映し出していた。

 

「お客様の覚醒なされたペルソナ『トコタチ』は、一言で仰るのであればまさに活殺自在。本来『ワイルド』の能力を持つ者は絆の力によって複数のペルソナを持ちますが、貴方の力はそのペルソナ自身にあります。複数の仮面を“付け替える”事によって様々な状況に応じて属性を変化させることが出来ます。ですが、大いなる力には相応の対価を支払わなければなりません。……お客様は、もう分かっていらっしゃると思いますが」

「《大言創語》の事を言ってるんだったら、もう分かってるよ。使う度に体の中が焼けるような感覚がするからな」

「それはお客様の生命力を燃料に燃え盛る、命の奔流です。くれぐれもあまり多様なさらないようにお気を付けください」

「分かってる……俺だって目的も果たさないままに死にたくは無いからな」

 

 嘆息してマーガレットの要望を諒承した大和ではあったが、決してその先の事には触れなかった。

 目的を達成した時―――果たして彼はそれを守りきれるのだろうか。

 だがそんな事は、イゴールやマーガレットが口を出していい領分ではないのを分かっている。

 自分の仕事は終わったとばかりに瞼を閉じて視線を元に戻したマーガレットの後に、愉快そうな嗄れた声が大和の耳に届いた。

 

「それでは、次に伝えますのは貴方様の運命についてです」

 

 諧謔の笑みを浮かべて住人の主は目を見開く。

 

「以前、初めてお目にかかった時……貴方様の運命は閉じてしまうと言ったのを覚えておいでですかな?」

「……たしか、今年中に運命が閉じるとかなんとか言ってたな。それがどうかしたのか?」

「もう直ぐ、貴方様の運命に分岐路が現れます。許多の虚飾を統べる《嘯く者》である貴方様は、果たして【真実】を掴み取れるのか……私共も見守っております」

「……分、岐路」

 

 イゴールの言葉を反芻する。

 成り行きから始まったこの旅路は、元を正せば自分の死の回避の為だと暗にイゴールは言った。

 元々彼はこんな異能は望んでいなかった。

 一方的に押し付けられた力が原因で一方的に『呪い』を浴びせられ、選択しなければ年内に死んでしまうと告げられた。

 いつだって彼は状況に流されてここまで来てしまった。

 本来であれば、普通に学生生活を送り。友達を作り、恋人との逢瀬を重ね、掛け替えのない瞬きの青春を謳歌する権利を持っていた。

 

 “―――だけど、昔のままの俺だったら……きっと平和で……だけど退屈だった。”

 

 里中千枝とは初めての会話を最後に関わらなかっただろう。

 天城雪子とはろくに話もせず顔を合わせることもなかっただろう。

 花村陽介とは最低限との関わりに抑えて徐々に疎遠になっていただろう。

 巽完二とは出会いもしなかっただろう。

 鳴上悠とは―――きっと彼を嫌っていたであろう。

 

 全てがIFで、全てが曖昧だっただろう。

 

「それでは、貴方様の旅路に……相応しき時が訪れましたら、またお会いしましょう」

 

 別れの言葉は唐突に、あっけなく突き放すように訪れ、大和の意識は闇に沈んでいった。

 他人は当然、自分すらも客観的にどこか見ている大和が思ったのは―――何故だか将来の自分だった。

 

 

 

 

 六月十八日 土曜日(曇)

 

 ――――目標に近づくほど、困難は増大する――――

 

 そう言ったのは誰だっただろうか。

 太陽が没し夜も更け、闇が濃くなった自室で一人意識が戻った彼は漠然とそう思った。

 巽完二を助けてからというもの、自分の体の不調が際立っていた。

 不調、とはいったがそれはそこまでの重病でもなければ、風邪のような気怠さとも違う。

 身体の強化が、異常な剛力が、研ぎ澄まされた知能が、僅かに落ちているような気がしているのだ。

 百の力を使おうとすれば九十の力しか出ないような、天井知らずだった能力に蓋が覆い被さって限界が見えてきたようなそんな感覚がしていた。

 この異常事態はさっきマーガレットが言っていた“命の薪”を火にくべた影響だろうか。それとも、憎き奴のかけた『呪い』の影響だろうか。

 知能も僅かに下がった今ではそれもわからない。

 

「考えた所で、しょうがないか……。元々無かったものなんだ、惜しく感じても意味がない」

 

 それよりも今は、久慈川りせの方を気にしたほうがいい。

 あの電話での一方的な会話が本当の事ならば、りせは明日にでもこの町に帰ってくるだろう。

 人気急上昇中のジュニアアイドルであるりせが一体何故この時期に帰ってくるのか。

 映画の主演が決まったと言っていた彼女のマネージャーは、あっという間に増えた仕事のスケジュール調整を嬉しそうな顔で忙しそうに駆け回っていた。

 芸能人をよく知らない大和でも今のりせが多忙を極め、この田舎町に帰ってくる余裕などありはしない筈なのはよく分かっている。にも拘わらず彼女は「帰る」と言っていた。

 この事実に、大和は彼女に何かあったに違いないと邪推せずにはいられなかった。

 事の次第を問いただそうと折り返しりせに電話をしてみたが、繋がったのは留守番電話のサービスだった。

 

 帰宅してすぐにりせの祖母にも問いただしたが、どうやら初めから知っていたらしく特に驚いた様子もなかった。

 ただ、彼女も詳しくは知らず。大和と同じで帰ってくるという事と、その日時しか知らなかった。

 

「明日の夕方には駅に着く予定らしいから、大和君ちょっとりせちゃんを迎えに行ってくれないかい?」

 

 と、なんでもないように言われて、大和は二つ返事で了承するだけだった。

 ふと誘拐事件の事を思い出す。

 鳴上達は事件の被害者の共通点に『テレビ報道された町の住人』という仮説を立てた。

 これは大和もまた同じ意見だった。

 そうなると思い当たる次の人物が『久慈川りせ』しか思いつかなかった。

 アイドルとしてテレビに出演し、人気もある彼女が田舎町に行くのだ。そのネタにマスコミが食いつかないわけがない。きっとニュースになって報道される。

 大和の仮説が事実になったら、きっと次の被害者はりせになるだろう。

 

 これから一つ屋根の下で生活することになる彼女を、自分は救えるのだろうか。

 完二の時は無理だった。

 ならりせは―――。

 

 思考は答えを導き出すことなく延々と同じ事を繰り返している。

 結局―――大和は一人では誰も救えないのかもという不安から目を逸らしているだけなのだ。

 今夜はよく眠れなかった。

 

 

 

 

 六月十九日 日曜日(曇)

 

 ――――八十稲葉駅――――

 

「相変わらず、この駅は寂れてるな。人っ子一人居やしねえ」

 

 時刻は夕方五時を過ぎた頃。大和はバイクに乗って駅前まで来ていた。

 マル久の手伝いで店番をしていたところ、大和の携帯電話に一通のメールが届いた。

 送信者は久慈川りせ。

 内容は簡潔に夕方五時頃に八十稲羽駅に着くから出来れば迎えに来て欲しい、との事だった。

 そのメールを読んだ大和は、仕方なく店主にりせを迎えに行ってくる旨を伝え諒承を得て駅へ向かった。

 

「時間通りに着いたものの、あいつが着いてないじゃん」

 

 静寂の夕暮れ時の駅前で、独りごちる大和。

 電車で来るのは分かっているが、常に正確な時間通りに来るわけではない。ましてはここは田舎町。

 そのうち待っていれば来るだろう、と思ってサイドカーに座って空を見上げる。

 茜色に染まった空はどこまでも広く果てなどない広大さに、まるで真っ逆さまに落ちていくような感覚を味わってしまう。

 こうして無心で空を眺めること数分後。ようやく電車が駅に到着した。

 この電車にりせは乗っていたのだろうか、と駅前の出口を眺めて降りてくる人を見る。

 降車した人物は一人だけだった。

 

「大和さん、お久しぶり。また会えたね……私のこと、ちゃんと覚えてる?」

 

 季節を意識したおとなしめのファッションを見に包んだ少女が微笑んで駆け寄ってくる。

 都会で人気のブランドのブーツがカツカツと音を立て近づいてくる。

 大和はサイドカーから身を離し、一応の変装用かもしれない大きなメガネをかけた少女を待ち構える。

 

「おう、ちゃんと覚えてるよ―――りせ」

 

 柔らかい声音でそう言って少女―――りせを迎える大和。

 以前会った時よりも幾ばくか疲れているようで、彼女の声には抑揚が感じられなかった。

 

「一ヶ月ぶりくらいかな? 変わらないね大和さんは」

「何を言う、男子三日会わざれば刮目して見よと言うだろう。俺だって少しは変わるさ」

「あはは、そうやって難しいことを言うのは変わってないじゃん」

 

 朗らかに笑うりせは揚げ足をとって大和をからかう。

 初めて会った時から変わらない大和の不遜な言動は、芸能界で生きてきた彼女にとっては気を使わず気楽に話せるという点では気に入っていた。

 常に誰かの目に晒され、求められたキャラクターを演じてきたりせにとって大和とは近い年齢の中では唯一頼れる人物であった。

 

「なんとでも言え……とにかく、家に帰ろう。婆さんも皺だらけの首を長くして待ってるだろうしな」

「あー、人のお婆ちゃんにそういうこと言って……後で怒られても知らないよ?」

「大丈夫だ。お前が黙っててくれれば問題ない」

「どうしよっかなー……なんだか私、大和さんの作った料理が食べたいなー」

 

 面白い悪戯を思いついた子供のような顔をして、艶やかな形のいい唇に人差し指を当てる。

 世の男子の大半が羨む久慈川りせが目の前で悪戯気に笑っている。それだけでも値段が付きそうな仕草に、大和は興味なさそうに受け流し見ていた。

 こういった冗談を好む質であることは既に彼は分かっていた。仕事の手伝いをしていた時に、散々目にしたからだ。

 

「馬鹿なこと言ってないで、サッサとバイクに乗れ。いくら人が通らないからって、誰も居ないわけじゃないんだ。見られて記事にされたらたまらん」

「もぅ、ちょっとは付き合ってくれても良いのにつれないなー。……それに、別にもうそんなの関係ないし…………」

「……ほらコッチに乗れ。戻ったら婆さんの飯と……俺も作ってやる」

 

 雑誌記事にフライデーされるといった事に、りせの表情が翳り、その声には力がこもってなかったのを大和は感じた。

 思った通り。なにかあるとは思ったけど、りせが抱える問題(コンプレックス)もなかなか根が深そうだ。

 都会で何か嫌なことがあったからコッチに来たかもしれなのに、迎える自分がりせを追い込んでは仕方ない。落ち込んでる女性を見捨てて傷口に塩を塗りこむなんて趣味は、生憎だが持っていない。

 だから大和はぶっきらぼうに答え、りせの要望に応えてやろうと思った。

 傍から見れば素直じゃない言動を見たりせは、クスッと小さく含み笑いをして、それを取り繕うようにすぐいつもの笑顔を浮かべた。

 

「言ったわね? 私、期待しちゃうよ?」

 

 当然料理の事であるが、一般高校男子が聞いたら一も二も無く飛びつきそうな台詞だった。

 取り繕いに作った笑顔は、りせが芸能界で生き残るために身に付けた作り物の仮面である。

 言いようによっては騙しているようにも思うが、これは無意識のうちに出てしまうほど身に染みこんだ芸当で、りせはそれに気づかずにやっている。

 

「はいはい、それじゃあ帰るぞ」

「はーい、安全運転でお願いね?」

 

 りせが指定したサイドカーに座った。

 タンデムシートに座らせても良かったが、大和が乗るバイクの場合、嫌でも後ろに乗ると体が密着してしまう。

 いつだったか陽介が立案した密着計画が頭をよぎり、また、一応男子高校生として当たり前の性欲を持っているので密着すれば興奮してしまう恐れもあった。

 どんなに知識と力に優れようと、男はみんな一人に一匹、体内に獰猛な獣を飼っているものである。

 余計なことをして下手にりせの信頼を裏切る真似はしたくなかった。陽介が聞いたらヘタレと罵る言い訳である。

 

「じゃあ出発ー!」

「しんこー!」

 

 大和の悪乗りにりせが同じように拳を突き上げて応える。

 二人を乗せたバイクは快調に走り出し自宅へと向かって行く。

 

 自宅に向かう道中、二人は色々な会話を交わしていた。

 

「ねえ大和さん。最近のお婆ちゃん、体調はどうなの?」

「元気も元気、凄い元気だぞ。暇さえあれば俺のこと扱き使いやがる。そのうち俺の方が体調悪くする」

「そっか……お婆ちゃん元気なんだ、良かった。じゃあ、大和さんはお婆ちゃんの長生きにバンバン貢献してねっ」

「おい、俺に人身御供になれってか?」

 

 冗談じゃない、と言ってジロリと横目に軽く睨んでみる。

 りせは何が楽しいのか、くふふ、と声を押し殺して笑っていた。大和の視線には気がついてなかった。

 

「やっぱり、大和さんと話してると落ち着くなぁ……。私、こんなに歳の近い男の人と話すことって、ホントの意味では無かったから……なんだか楽しい」

「その台詞……前も言ってたよな。もっとも、初めの二日は俺のことなんかそこらの看板を見るみたいな目で見てたくせに」

「それは……だって、いくらお婆ちゃんの紹介だからって始めから信用なんて出来なかったし」

 

 おどけた大和の口調にりせがバツの悪そうな顔をする。

 大和が言ったように、りせは最初彼のことを信用していなかった。

 映画の主演が決まりそれに伴って仕事の量が増えた時、タイミング悪く体調を崩してしまったマネージャーの補佐として派遣されたのが大和だった。

 ちょうど祖母にその話をしていた時に「なんなら仕事の出来る人材をそっちに送るかい?」と言われ、それにりせは「本当にそんな人が居るなら良いね」とお世辞のつもりでやんわり断ったのだ。が、りせの祖母はそうは捉えずに、結果として大和が派遣された。

 初めは帰ってもらおうとしたんだが、会って早々に的確な指摘をしてきた大和に、事務所の社長が気に入って短期の契約をしたのだ。

 どんな人なのだろうと猫を被って話してみれば、あっという間に看破されるし。自分に興味なさそうな態度に、少なからず良い印象は抱いていなかった。

 

「ま、あれは俺も悪かったしな。……ちょっと出しゃばり過ぎた」

「初めて会って話した時、大和さんに『なんでそんな胡散臭い笑い方してんの?』って言われて私驚いちゃった。私、結構お芝居の自身あったのに」

「あんなお粗末な作り笑顔、分からないわけ無いだろ」

「そんなこと言うの大和さんだけだよ。普通、皆分からないよ」

「普通……ね」

 

 テレビに出ていたのを見た時からりせの作り笑顔には分かっていた。

 これは処世術なのだと。この狭い世界でりせが生きていく上で必要な、身を守る術なのだと。

 短期間とはいえ事務所と雇用契約をした以上、手抜きをしない大和がとった全力でりせを理解しようとした結果の行動が、嘘を取り払う事だった。

 基本的に人当たりの良い人物を演じようとしている大和であるが、短期間の内に信頼を築き理解を重ねるためには、最初のインパクトが重要だと思っていた。

 それが結果として今の関係に至っているのだから、間違いでは無かったと大和は思った。

 半帽のヘルメットにゴーグルを付けたりせが大和を見る。

 その瞳は、なんだかさっきのような悪戯を孕んだ、けれども彼女特有の艶めかしさの混じった思惑が潜んでいる。

 

「そ、れ、に……これから一緒に住むっていうのに、そんなに冷静でいられる男の人も普通居ないと思うんだけどなー。女の子と一つ屋根の下で住むっていうのに、なんとも思ってないんだもん」

「それはコッチの台詞だ。本当なら俺が出てっても良いくらいなんだが……りせはそれで良いのか?」

「うーん、大和さんなら別に良いかなーって思うんだ。なんか、安心? と言うか頼れるって感じがするの」

「歌にもあるが、男は狼なんだぞ……俺を含め気をつけろよ?」

「もしそんな事したら、お婆ちゃんに言いつけちゃうから」

 

 楽しそうにそう言うりせ。

 冗談のような口ぶりで言っていたが、本当にそうなりかねん気がした大和は、冗談でも誤解されるような事はしないようにと心がけるのであった。

 

 

 

 

 りせと共に帰宅した後、優しくりせを迎えた祖母も合わせて三人。揃って今で食事をとっていた。

 りせの祖母は何も聞かなかった。ただ一言「おかえり」と言って優しく包容するだけだったが、それがりせには一番の薬だったのかもしれない。

 祖母に抱かれている間のりせを、見てるのは無粋だと思い目を逸した大和は知らないが、とても安らいだ表情をしており目端には涙らしき輝きも見えていた。

 数秒の包容が終わり、何事も無かったかのように祖母は夕食の支度をし始めた。

 それに伴って約束を果たすべく大和が準備を初め、疲れているだろう、とりせは大人しく居間で待っていた。

 

「わぁー、お婆ちゃんのお豆腐って久しぶり。それに、大和さんの作った牛すじ煮込みも美味しい!」

「ふふ、りせちゃんが帰ってくるからって、お婆ちゃん頑張ったのよ。大和君も朝一で手伝ってくれたし、助かっちゃったわ」

「えっ? 大和さんが……?」

 

 意外、って顔をしてりせが大和に視線を向けた。

 

「なんだよ、俺はいつもの手伝いをしてただけだよ。婆さんも余計なことは言わなくていいから」

「あら、余計だったかしら」

「まったく、素直じゃないんだから」

「……家族ってのは、そんな所まで似るもんなのか……?」

 

 げんなりとそう答えた大和の一声に、二人が顔を見合わせて笑い出す。

 何が面白いのか分からないが、とにかく笑っておこう。

 大和も楽しげに笑う二人に合わせて乾いた笑い声を上げた。

 一人増えるだけでこんなにも食卓が騒がしくなるとは、大和も思ってもみなかった。

 とその時、無作為に映していたテレビが一同を黙らせる番組を映していた。

 

『―――以上、当プロ『久慈川りせ』休業に関します、本人よりのコメントでした。えー、時間が押してますので、質問などございます方は手短にお願いいたします……』

「………………」

 

 聞き覚えのある声にまず初めにりせが反応し、気まずそうな顔を浮かべた。

 次に大和が気づいて見てみると、テレビのワイドショー番組ではりせの休業に関する記者会見の映像が映っていた。

 先程話していたのはりせが所属する、大和のことを気に入って採用した事務所の社長だった。

 ちょうどりせのコメントが終わった所で、マスコミ達がワラワラと群がって質問攻めにしていた。

 その映像に、りせの祖母もいい顔をしてはいなかった。

 

『休業後は、親族の家で静養との噂ですが、確か稲羽市ですよね、連続殺人の!』

『え、あの……』

『老舗の豆腐屋だと聞いっ―――』

「ごめん、俺見たい番組あるから変えるわ」

 

 これ以上は駄目だと思い、大和がすぐさまテレビのチャンネルを変更した。

 “こういうことだったのか……”

 大和の中で合点がいったと同時に、りせがさっきとは違って縋るような目をして大和を見ていた。

 

「やっぱり……優しいんだね大和さん」

「……気のせいだ」

「うん、気のせいかも……」

 

 恍ける大和に、フフッと微笑して甘い声色でそう言ったりせは思った。

 やっぱりこの人は優しい、信用出来る、助けてくれる、頼っても大丈夫、と。

 何も聞かずにただ建前を言ってチャンネルを変え、今の自分でいることを守ってくれた。それがりせにとってとてつもない安心感をもたらした。

 “大和さんも、お婆ちゃんも、何も聞かないんだ……。なら、私は何も悪くないのよね……ありがとう”

 少なくとも、この家には自分の敵はいないと安心したりせは心の中で大和に感謝した。

 その後の夕食は、滞りなく楽しく終わった。

 

 

 

 一つ屋根の下という生活においての最大と言ってもいい難所が訪れた。

 それは、りせが恥ずかしそうに着替えやタオルを持った状態で廊下を歩いている所に、大和がすれ違った時だった。

 

「今から風呂か?」

「そうだけど……あ、お風呂覗いちゃ駄目だからね!」

「するか莫迦、早く行け」

 

 わざとらしく自分の体を抱いたりせをバッサリ切り捨てて通り過ぎる。

 背後からりせの不満そうな声が聞こえてきたが、無視して自室へと戻った。

 

 自室に戻った大和は、さっきのワイドショーを思い出していた。

 思った通り、りせはアイドル業を休んでの帰省だった。それがテレビ報道されたってことは、もしかしたら次の誘拐の被害に遭うかもしれないということだ。

 天気予報では明後日から天気が崩れて雨が続くらしいが、そうなった時、マヨナカテレビに映るのは果たしてりせなのだろうか。

 りせに伝えて気をつけろと言うべきか、しかしこんな荒唐無稽な話し信じろと言われても無理な相談である。

 だけど鳴上達はきっとこの懸念に忠告してくるだろう。

 大和がりせと同居していると知ったら、きっと彼らは安心する。彼等では見張ることのできない夜や、家の中に大和が着いているのだ。まず間違いなく誘拐されることはないかもしれない、と高を括って頼ってくるに違いない。しかし、大和にりせを守れる保証が無い事を彼等は知らない。

 『呪い』という制限を受けている今、いざりせが誘拐されそうになっても大和は行動できない。それがきっと、目の前で起こっても。

 

「情けないな……分かっているのに、何も出来ない」

 

 無力を嘆く呟きは、誰にも聞かれることなく消え去った。

 いっその事、りせを箱の中に押し込んで仕舞っておけたらとも思った。だけど、それでは前に進まない。何も起きないって事は、手掛かりもなく【真実】への道も遠ざかるという事。

 ここに来て大和は初めて救うべきか悩んだ。

 出来るのに出来ない。こんな単純な事がこんなにも己を縛って悩ませるとは、久しぶりに『呪い』をかけた張本人を呪いたくなった。

 

「…………ん?」

 

 何もかもが八方塞がりで手詰まりになっていると、大和の携帯電話から着信を知らせる音が鳴り出した。

 こんな時間に誰からだろう、と思った大和はディスプレイを見て相手を確認する。

 画面には―――『里中千枝』と映っていた。

 

「はい、もしもし……どうした? こんな夜に」

「あ、ごめんもしかして寝てたかな?」

 

 電話の主―――千枝は慌てたような声を出した。

 

「いや、全然大丈夫だ……それでどうかしたのか?」

「え、えーっと……林間学校の時の事なんだけどさ……」

「お、おう……」

 

 意外にも妙に緊張した声が大和の口から出た。

 こういった状況において、大和は千枝に対してアドバンテージを握っていたが、ここに来て逆転劇が巻き起こったのか。

 千枝もまた同じなのか、電話口の向こうで緊張を抑えるために深呼吸をしている息遣いが聞こえていた。

 

「て、テントでの事なんだけどさ……」

「あ、テント? ああ、そういえばあの時は大変だったなー」

「それもそうなんだけど、じゃなくて……テントの中であたし達……その……」

 

 心臓が早鐘のように鳴り響く。

 彼女が言いたいことはもう大和には分かっていた。

 途切れ途切れに話しているが、要はあのテントの中での出来事について問いただそうとしているのだ。柄にもない行動を取ったあの夜、千枝は大人しくされるがままだった。それに加えて、重ねた手に千枝本人も握り返すというサインを送っていたぐらいだ。

 千枝はそれに付いて聞きたかった。

 どういうつもりであんなことをしたのか。

 モロキンの一件で先送りになっていた出来事にハッキリとした意味が欲しかった。

 なんで電話で聞くのかは、単に面と向かっては気恥ずかしいからである。本当ならば、こういった話は顔を付き合わせて聞いたほうが言いのだが、きっと自分は逃げてしまうと千枝は思った。

 でも電話なら、

 

「あたし、あれからずっと気になってて……君が―――」

「―――大和さーん! お風呂空きましたよー!」

「…………」

 

 なんというタイミングの悪さだろうか。

 部屋の扉を開けて言い放った声は正しくりせのものだった。

 

「あれっ? ごめんなさい、電話中だったんだ」

「……大和君? いま、女の人のこ―――」

「―――あれっ、もしもーし! おかしいな声が聞こえない、もしもーし! 電波がわる……っ!」

 

 わる、って所で強引に電話を切った。

 なにも後ろめたい事は無かったが、一緒に居るりせの事を正確に説明するわけにはいかない。だからといって、他の女性に仕立て上げても千枝が勘違いをしてしまうかもしれない。

 逃れる術は、こうして携帯がおかしくなったフリをして電話を切るしか無かった。ついでにもう電話がかかってこないように電源を切る。

 明日になったら色々と聞かれるかもしれないが、今言うよりはまだマシな言い訳が出来る気がする。

 と、大和はもう戻れない泥沼に後悔しながら嘆息した。

 今までのやり取りを見ていたりせが気まずそうな表情で大和を見て口を開く。

 

「あの、もしかして私……余計なことしちゃった?」

「そんな事はない……それはお前の気のせいだ」

「さっきの電話の相手って……大和さんの彼女?」

「違う、俺には彼女なんて上等なもんは居ない」

 

 好きな人はいるが、と心で思って口には出さなかった。

 そこまでこと詳しくりせに話しても仕方ない。

 大和の答えを聞いたりせは、ふーん、と意味深な相槌を打ってなんだか穏やかじゃない表情で座っている大和を見下ろした。

 

「それじゃあ今、大和さんはフリーなの……?」

「そうだけど……それが、どうかしたのか?」

 

 何が言いたい、と継いで吐いた言葉に、

 

「ううん、ちょっと確認したかっただけ。じゃあ、お風呂空いてるから入っちゃってね!」

 

 そう言って、彼女はいつもの笑みを浮かべて去るだけだった。

 大和はりせがどういったつもりなのか分からなかった。

 だた、これはろくでもないことなんだと。そう言い聞かせて言う通りに、空いた風呂に入るしかなかった。

 去り際に見たりせの笑顔は、大和が今まで見たことのないような笑顔で。大和に問うた確約を喜ぶような、しかしそれだけではない感情が入り混じっているのを感じていた。

 

「なんか……俺って女に振り回されすぎじゃね」

 

 りせの残り湯。と言えばファンからは途方もない値段で売りつけることが出来そうな湯船に浸かりながら、大和は今までの女難に苦言も漏らした。

 当然ながら誰もそんな独り言は聞いておらず、湯気をまとって水滴になった物が付いている天井を眺めながら、ひと時の幸せに浸るだけだった。

 

 

 

 

「―――そっか、大和さん……彼女……いないんだ」

 

 満更でもない様子で呟いたりせは、寝巻きを身にまとって布団の上で仰向けに寝転んでいた。

 当然ながら誰もそんな独り言は聞いておらず、蛍光灯の灯りをボーッと眺めながら、言葉に出来ない感情に浸るだけだった。


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