ペルソナ物語4~ポケットが真実でいっぱいいっぱい~   作:琥珀兎

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タイトル通り、番外編です。
この話は剛毅コミュと月コミュが混じっています。
アニメもそうだけど。この二つは繋がってるから、一気に行けますね。


番外編其の一:それはお前が決める事

 五月二十日 金曜日(晴)

 

 巽完二をテレビの中から救出した翌日、俺は当然のように学校へと来ていた。

 昨日の戦いの時、アイツらを助ける為とはいえ《大言創語》を二回“も”使ってしまった。

 おかげで俺の体は関節とか内臓とかが結構痛む。その所為で力もそこまで出すことが出来ない。それでも一般人よりは十分強いわけだが、これは今後が不安になってくる事態である。

 『呪い』の事もそうなんだが、思った以上になんだか体に違和感を覚えるのも心配だ。これがあんまりにも続くようだったら対策を講じなくてはならない。

 体育館へと通じる廊下を歩きながら、過ごしやすい五月の暖かな風を身に受け体のしぶしを揉みほぐす。

 何故体育館に向かうかというと、これからバスケ部の練習に参加しなくてはならないからだ。

 ゴールデンウィークの期間中、店番をしていた時に訪れた一条に頼まれ断れないままにバスケ部へと入部した為、店の手伝いがない今日は参加しなくてはと思って向かっている次第である。

 

 一条は幽霊部員が結構居て廃部寸前だから、たまにでも良いから来てくれると助かると言っていた。

 その時のあいつは本当に困っているようだったから練習に来たものの……。

 

「……本当に、人が全然居ないな」

 

 のんびりとした足取りで訪れた体育館は、人口密度って何さ……ってぐらいに人は疎らで少なかった。

 こうして建物の中が過疎化していると一人一人の様子がよく分かる。

 ちらっと見た限りじゃ、バスケットボールを持っているだけで端にある椅子に腰掛けて雑談している奴も居れば、サボっているとは明らかには言えない程度に練習をしている奴も居る。

 廃部寸前と言った一条の言葉は大げさでもなくて、本当に現実のものとなりそうな程だった。

 俺をバスケ部に引き込んだ張本人である一条は真面目に練習に臨んでいた。

 

「一条……お待たせ、来たぞ」

 

 この間買ったバスケットシューズ、略してバッシュに履き替えてひたすらにリバウンド練習をしている一条に後ろから声をかけた。

 俺の声に気がついた一条は振り返って、それはもう嬉しそうな顔をしてこっちへ駆けてくる。

 

「おお、霧城じゃんか! 待ってたんだぜこのー」

「悪い悪い……このところ色々と忙しかったからさ。待たせてごめんな」

 

 婆さんの指令で都会に行ったり、完二を助けたりと忙しかったからなかなか来れなかったのは事実。

 そんな事は知らない一条だが、気にした素振りもなく、冗談交じりに俺の首辺りに後ろから腕を回して脇に抱え、頭頂部をグリグリと拳で軽く痛めつけてきた。これが一条なりのコミュニケーションなんだろう。

 

「仕方ねえよ、なんかお前学校に来なかったりで忙しそうだったしな。こっちは来てくれるだけで十分嬉しいって」

「そう言ってくれると助かるよ。今日から数日は、俺もそこまで予定は無いから練習には参加できるからさ」

「おっ、マジ? 良かったー、明後日の日曜に他校との練習試合があるからさ、来てくれると助かるんだよ。暇だとわかった以上、部員として参加してもらうからな」

「練習試合か、そりゃちょうど良かった。だけど……このメンツで勝てんのか? どう見てもやる気のないのが多数なんだが」

 

 一条から視線を外し、体育館内で自由気ままに行動している他の部員を見る。

 これには痛いところを突かれたと思ったのか、一条の表情が翳りを見せた。

 

「まぁ、他の皆のやる気がないのは今に始まった話しじゃないし、それは仕方ないさ。これでも結構説得したりしてるんだけど、あんまり強制しても反発して辞めちゃうかもしれないし」

「……一条がそれでいいなら、俺は一向に構わないけど。正直な話、今まで試合とかで勝った経験は?」

「悔しいけど、勝率はほぼ零と言ってもいいくらいだ。試合も人数が集まらなくて、長瀬とかにヘルプに出てもらってなんとかって感じだよ」

 

 試合もままならないって、それは運動部として大丈夫なのか。でも、一条の言い方から察するにそこまで深刻ではないらしい。

 多分、これがこの部活では普通の事なのかもしれない。

 俺自身、ガチガチの運動部気質ってわけではないから、サボって楽してる連中に向かって、やれ真面目にとかやれ怠けるなら帰れとは言えない。

 今日初めて来た余所者もいいところの俺が言った所で意味なんて無いだろうし、何より一条がきっともう何か行動をしたに決まってる。その上でのコレなのだから、もうどうしようもないのだろう。

 

「そうか、それじゃあ今回もここには居ないけど長瀬にも頑張ってもらうか。……とにかく、練習始めようぜ。来たばかりで何もしないってのは、なんだか落ち着かないし」

「ああ、そうだったそれじゃあ、とりあえず部員の皆に紹介するよ……皆ちょっと集合ー!」

 

 一条が号令をかけて他の部員を集める。……あれ、さっき見た時よりも人が少ない。

 だるそうに集まった部員達は横一列に並んで一条の前で立っている。

 腐っても運動部。集団行動の隊列とかは流石にしっかりしているな、やる気のなさ加減に目を瞑ればなんだけど。

 珍しいものを見るような視線がちらほらと俺に集まる。バスケ部にとって新入部員というのは、そこまで珍しいものなんだろうか。

 部員が集まりきったのを確認して、一条は隣に立つ俺の肩を掴んで一歩前に出した。

 

「えーっつーわけで、今日から……正確には前から入部はしてたけど、とにかく今日から練習に参加する転校生の霧城だよろしくな。ほら、挨拶挨拶」

「霧城大和です、これからよろしく」

「ち、チーッス!」

 

 挨拶挨拶、と言いながら俺の背中とパンパンと叩いて促した一条に従い、無難な挨拶をする俺。

 急な新入部員に驚いたのか、前に並ぶ部員の挨拶は足並みが揃わずにバラバラだった。

 自己紹介となるとつい無難に大人しく記憶に残らない挨拶をしてしまう。これはもう癖みたいになってるな。人間力が少ない俺ではこれが精一杯なのだ。

 恒例儀式もつつがなく終わった所で、一条が部員を右から左、左から右へとキョロキョロ視線を行ったり来たりしている。どうやら気がついたらしい。

 

「あ、あれ他の奴らはどこいったんだ?」

「帰りましたよ」

「えっ?」

「リバウンド練習しようとしたら、みんな疲れるからパスだって言って帰っちゃいましたよ」

「またかよ…………」

 

 帰ったのは椅子に座って雑談してたグループだな。

 肩を落としてがっくりしてる一条を尻目に、部員達は平然とした顔をしている。日常茶飯事なんだなこれは。

 ふと、部員の一人が一条の前に来た。お、励ますのか?

 

「先輩、俺らも今日はこれで帰りますね」

「はぁーっ!?」

「今日合コンなんスわ」

「お疲れ様デース!」

「お、ちょ、ちょ待ってよ、試合近いんだ……ぞ」

 

 一人去れば後は芋蔓式だ。続々……といっても四人ぐらいしかいない部員達が連なって体育館を後にする。一条が待つよう言っても、誰も聞きやしない。

 身勝手極まりない連中は去り、体育館に居るのは俺と一条だけになってしまった。

 凄いな、一気に貸し切り状態になった。

 

「とりあえず、1on1でもやるか? 一条……」

「……そうだな、っていうかその言い方をするってことは、少なからず霧城は経験者なんだな。どんなもんか期待してるぜ!」

 

 切り替えの速い奴だ。花村も切り替えが速い奴だが、あまり引きずらない分コッチの方が上かも。

 明後日に控えた練習試合に一抹の不安を抱きながら、俺は一条と二人で広いコートを全面使ってのオールコートで1on1をやって部活を終えた。

 

 

 

 

 男子更衣室って空間は一種の異界に通じているものがある。

 得体の知れない靴下や、いつ購入したかもわからない牛乳のパックがあったり、それに(たか)る虫だったり。身に覚えのない物ばかりがいつの間にやら増えるここは、異界と言っても遜色は無いだろう。というか、もう異界そのものに繋がってるかもしれない。世界ってのは俺が知らないだけでたくさんのことが昼夜起きてるかもしれないんだ。俺の能力も『呪い』もそのおかげだしな。

 小さいながらも立派な男子更衣室で男が二人、俺と一条は全身に掻いた汗を拭いて制服に着替えていた。

 汗かいたのはぶっ続けで練習したからだ。あしからず。

 俺はロッカーに、一条は向かいのプラスチックのベンチに座ってお互いに背を向け合って着替えていると、弾むような一条の声が聞こえてくる。

 

「しっかし、霧城ってマジでバスケ上手いな! あんだけ走ったのに息も全然乱れてないし、ホント何もんだって感じだよ」

「都会にいた時に……ちょっとな。そっちこそ、なかなかどうしてやるじゃん。これでメンバーがしっかりしてればいいところまでは……」

 

 言いながらに振り返って、その話を続けるのは止めた。

 一条の背中が悲しそうに見えてしまったのだ。

 それに俺は一つ嘘を吐いている。都会でなんて話はその場凌ぎのでっち上げに決まっている。アッチの学校にいた時の俺はなんの部活もやってないし、運動もそこまで凄いわけでもなかった。

 ごく一般的な男子生徒。それが俺の過去の肩書き。

 

「悪ィ、そうだよな……」

 

 何がそうなんだ。俺が咄嗟に吐き出した言葉は意味を持たない曖昧な取り繕いの言葉だった。

 一条を傷つけてしまった。そう思ったけど、

 

「なーに言ってんだよ、ホントの事なんだし気にすんなよ」

「…………」

 

 彼は笑顔で振り向いてそう言うだけだった。

 良い奴……そう思った。それと同時に不憫だとも……。

 他人を許せる人間は自分よりも他人を優先してしまう傾向にある。自己犠牲は美しいなんて言ったりもするけど、結局は本心を向けられるのを怖がっているだけなんだ。本気が怖いから許してしまう。

 一条はそれを気づいているのだろうか。

 

「なあ一条、一つ聞いてもいいか?」

「ん? なんだよ改まって、あっ彼女ならいないぞ。だから女紹介してって言われても無理だからな?」

「そんなのどうでもいいよ」

「そうか? まっ、霧城なら引く手数多だろうしな。黙ってても女子の方から近寄ってくるだろ」

「試合には本気で勝ちたいと思ってるのか? と言うか、本当にバスケが好きなのか?」

「………………っ」

 

 言った瞬間、一条の口は止まった。

 二年生という学年で、受験も視野に入ってくる大事な時期に廃部寸前の部活動に専念している一条。

 部員の士気はいつも低迷してて、やる気が失せれば帰るし試合にも参加しない。既にこのバスケ部は半壊状態にあることには、一条も気がついているはずだ。何よりもやる気を持って続けている彼だからこそ分かる筈だ。なのにそれをどこか容認している。サボることを、勝手に帰る奴らから目を逸らしている。

 強制すれば辞めてしまうと言っていたが、それだって他にもやりようはあったはず。なのにそれをしない。

 自分が一人頑張る一方で、他の人間が楽しているのを許している一条の姿はひどく矛盾している。だから気になった―――。

 

「そっか……霧城にはそう見えちゃったか。そうだな、気づいた霧城になら言ってもいいかな……」

「……何がだ?」

 

 諦めたように、一条は話し始めた。

 それは孤児院に居た自分の出生であったり、引き取られた家庭の後継になった話だったり、その家からバスケを反対されていたり、正当な後継が生まれたからバスケを許されたり、なにより……反抗するつもりで続けていたかもしれないバスケへの愛情を疑い始めたり、長く永く一条は話した。

 どうしていきなり俺に話したんだ? と聞けば、

 

「なんだろうな、なんかわかんないけど霧城は大丈夫って思ったんだ。って俺の勝手な言い分なんだけどな」

 

 そう言ってハハハ、と笑うだけだった。

 

「わかんないんだ、俺が今バスケをやってるのは何の為なのか。好きだから? それとも……」

「だから、ぬるま湯みたいな現状を許してる……か」

「俺だってあいつらを叱れないよ、好きかもわかんなくて、厳しい親へのあてつけのつもりでやってたかもしれないんだ。人のこと言える立場じゃないって」

 

 おどけてそう一条は言うが、その瞳は迷いに満ちていた。

 誰を誤魔化せても、俺の目を欺くことは俺以外には決してできない。

 一条は意味が欲しいんだ。バスケを通じて自分が生きていい理由が欲しいだけなんだ。

 良い家柄の元に後継として引き取られて養子になった彼は、それまで沢山の習い事や勉強をして、バスケに出会った。反対されても続けてた矢先、突然生まれた正当な後継。それの影響かバスケを自由にすることを許され、家庭から存在価値を失い、そのバスケにすら情熱があるのか疑問視している。

 着替え終わった俺はロッカーの扉を締める。

 ―――人間は悩み事ばかり抱えている。

 汗の染みこんだ服をカバンの中に詰めて立ち上がる。

 ―――人によってそれはとても大きく、重い荷物となるのに悩み続ける。

 普段より重いカバンを持って俺は一条に声をかける。

 ―――でも、だからこそ……悩み続け考え続けるからこそ、

 

「それじゃあ、次の練習試合でそれをハッキリしようぜ!」

「霧城……?」

「うだうだ悩んでも時間の無駄だ。それなら、次の試合で勝って嬉しかったらバスケが好き……負けて悔しかったらバスケが凄い好きって事でいいじゃん」

 

 成長をするんだ―――。

 

「それじゃどっちも変わんねえじゃん!」

 

 一条は俺を見てツッコむ。その表情はいつも通り……と言えるほど付き合いは長くないけど、悪くない表情をしている。

 悩んでいるってことは、もうすでに答えは出てるって事なんだよ。

 

「いいじゃん、俺は一条がバスケが好きな方に賭けるから。勝ったら愛家で飯奢りな」

「ずりーぞ、それじゃあ俺が損するだけじゃん」

 

 脇やら胸やらを小突きながら、冗談を言い合う俺達。

 男同士で何の意味もないバカを言い合うのはやっぱり楽しい、と再確認した夕暮れ時だった。

 

 

 

 

 着替えも終わって体育館を出た時、一条がこんなことを言い出した。

 

「サッカー部まだ終わってないらしいから、ちょっと行ってくるけど霧城も行くか?」

 

 そう言われて断れるほど俺は薄情じゃあないわけで、まあ長瀬とも最近話してなかったからいい機会かなっと思った。

 それにあそこには鳴上も所属している。あいつがサッカーをやる姿を見届けてやろうかと思った次第である。

 しばらく一条の後に続いて到着したグラウンドには二つの人影があった。

 言うまでもなく、それはよく知る人物だった。

 

「よう長瀬! なんだよ、二人だけでグラウンド整備か?」

「おっ、労働力が二人分増えたな」

「っておい、始っから決定事項かよ! 手伝うけどさ」

 

 そんな軽口を交わしながら、一条はゴール脇にあったトンボを二つ分持ってきて一つを俺に渡してきた。

 あれ、俺もいつの間にか労働力なんですか。拒否権とかないのか?

 

「ないに決まってるだろ、手伝い頼んだ」

 

 勝手に人の心を読むんじゃないよ鳴上君。

 

「仕方ない、乗りかかった船だ。俺も手伝うよ」

「悪いな霧城」

「いいよ別に、俺も暇だしな」

 

 ぶっきらぼうにそう俺に言って長瀬はまた整備に戻る。

 バスケ部と違ってサッカー部の人員は結構いるはずなのに、何故だか二人しか今は居ない。

 おかしく思って理由を鳴上に問いただそうかと思ったが、さっきの一条への失言を思い出して思いとどまる。余計なことを言ってまた誰かが深刻になるのは嫌だ。いい加減シリアスは面倒だ。

 ここは速攻で終わらせてサッサと帰るに限る。

 しばらくの間、俺達四人は談笑しながらグラウンド整備に精を出した。

 

 作業は特に難航せずにトントン拍子で終わった。時間にしておよそ二十分ぐらいだった。

 これにて本日の作業は終わりとなって、俺達は揃って昇降口に向かっていた。

 始っから制服で帰る準備の済んでいた俺と一条とは違って、鳴上と長瀬は体操着のままだ。よって着替えに戻らなくちゃならない。

 途中、鳴上にバスケ部のことを聞かれたり、それで思い出したのか、一条が長瀬と鳴上にヘルプに出て欲しいと頼んだりしていた。

 あと少しで昇降口に着くと思った時だった―――。

 

「無理、ありえないから。鏡見てから出直して……て言うか話しかけないで」

 

 昇降口に男女が立っており、その中の派手な格好をした女がこっ酷く男を扱き下ろしていた。

 あそこまで言われたら、大抵の男は心にデッカイ風穴があいてしまうだろう。おお怖い怖い。

 

「あ、で……でも……っ!」

「アタシが言った事、聞こえなかったの? サッサと目の前から消えてよ」

「~~~っ!」

 

 刺のムチで撃たれるみたいな暴言に、男は顔を悔しそうに歪め走ってその場所から去っていった。

 哀れなり、名も無き男子生徒よ。

 派手な女はフンッ、と鼻で蔑んで踵を返し、出口へ……コッチの方へ歩いてきた。

 

「……あっ…………」

 

 何かに気がついたように派手女はこっちの方を一度見ると、何でも無かったかのようにまた歩き出す。

 去りゆくその背中はなんだかちょっと、寂しそうに見えた俺の目はもう駄目なのかもしれない。

 なんか鳴上は顔を青くしていたし。

 ちょっと気になったので聞いてみる。

 

「なぁ、さっきの派手な女は誰かの知り合いか?」

「あれはウチの、サッカー部のマネージャーで海老原あいって名前だ。それに、さっきの男の方はサッカー部の奴だ……」

「海老原さん、結構ドギツイ振り方するなー。あれじゃあ、恨まれるかもしれないじゃん。あ、海老原さんって俺と同じクラスなんだよ」

「それは聞いてないよ一条」

「ひっでーな、気になってるようだから折角教えてやったのに」

「気になってはないよ。ただ、こっちを見てきたから、なんだろうと思っただけだ」

 

 あの時の海老原の表情。なんだか複雑な感情が入り混じった感じに見えた。それがなんとなく気になっただけだ。

 だから決して一条が思うようなモノとは全然違う。それに今の俺には里中の方が良い。

 一見すればあの海老原って女子も綺麗だけど、なんか嘘っぽい。被りもんをしてるみたいな、中身が伴ってないように見えた。

 

「そういえば、さっきから鳴上はなんでそんなに顔色が悪いんだよ?」

「……え、ああ……何でもない、ちょっとな……」

「…………?」

 

 

 

 

 五月二十一日 土曜日(曇)

 

 土曜日なのに学校がある。

 これは俺がこの町に来てから初めて思った嫌な事である。

 都会の学校にいたときはゆとりだかニワトリだか知らんが、土曜日は休みって決まっていただけあって結構ショックだった。

 なんで土曜日なのに学校行くのか全然わけが分かんねえ、いいじゃん休みで。と不満に思っていた夜もあったが、今はもう慣れたもんで何の疑問も持たずに学校に来ていた。

 せめての救いは一日じゃなくて半日、いわゆる半ドンってやつであることぐらいだ。

 

 退屈ながらも興味深い、個性的な授業も終わって、今日もまたバスケ部の練習に顔を出すわけなんだが。その前に済ませておきたいことがあった。

 学生の楽しみ、昼ご飯である。

 花村や里中は帰ったし、天城も家の手伝いがあるから帰った。鳴上はなんか気がついたら居なかった。と見事にぼっちになった俺は、飯を食べる場所を求めて放浪していた。

 初めは同じ部活の一条と食べようかと思って二年一組に行ってみたが、すでにどこかに行った後だったらしく席は空席だった。

 そこらへんに居た女子に聞いた話しだから間違いはないと思う。それにしても、あの女子は俺と決して目も合わせてくれなかった。チラチラを伺う程度、ですぐに俯いてしまった。俺と話してる姿を誰かに見られるのはとても恥ずかしい事なのかと思って傷ついてしまった。嘘だけど……。

 

 食事場を探して数分。

 やっとのこと見つけ出した場所は屋上だった。

 

「やっと飯にありつける……」

 

 らしくもない独り言を言って、何が何でもここで食べるぞといった意気込みを持って屋上の扉を開けた。

 開いた瞬間、風が俺に向かって吹いてきて、咄嗟に瞼を閉じてしまった。扉を開けたことで風の通り道が出来てしまったのだろう。

 ゴミが目に入らぬように薄目になりながらゆっくりと俺は扉を閉めた。

 その時、キィ、と金属の軋む音が響いた。なかなか苦手な部類の音である。

 

「誰……っ!?」

 

 どうせ土曜だし、この曇り空だから誰も居やしないだろうと高を括っていたら、予期してなかった人の声に驚いて咄嗟に声のする方を向いていた。

 居たのは一人の女生徒だった。

 名前は―――。

 

「―――海老原……だっけ?」

「なんであんたがアタシの名前を知ってるわけ? ストーカー?」

 

 ……なんて女だ。会ってわずか十秒足らずで人をストーカー呼ばわりするとは、とんでもなく豪胆な性格してやがる。

 ジロッと人を殺しそうな殺気のこもった視線を向けられる。

 なんで俺がこんなに睨まれなきゃいかんのだ、と思い見つめ返すと、彼女の目……正確には白目の所何かが赤く充血しているのが見えた。

 

「なんだ、泣いてたのか……」

 

 それならこいつが俺をこんなに睨んでくるのもよく分かる。

 見られるのが嫌だったから威嚇して、俺にこの屋上から立ち去って欲しかったのだろう。

 海老原はハッとした顔でこちらを一瞥した後、颯爽と俺の横を通り過ぎて屋上を後にした。後に残るは俺のみ。

 見事海老原の眼光から耐え切った俺が勝ち取ったのは、寂れた屋上の貸し切り権だった。戦いとはいつも虚しいばかりだ。

 気を取り直して俺は婆さんが作ってくれた弁当を食べ始めた。

 

 思えばそれは、この学校に来てから初めての一人での食事だった。

 

 

 

 

 午後からの練習は昨日より人は居たが、それでも少なかった。

 何故だか居る長瀬と鳴上を加えてやっと5対5で普通のゲームが出来るぐらいだった。

 どうしてサッカー部の二人が来ているのかを一条に尋ねたところ、

 

「長瀬はたまにコッチに遊びに来てるんだよ。鳴上もきっと長瀬に連れられて来たんだろうな。どっちにしても、これで人数が揃ったから助かったよ」

「今日はサッカー部も自主練だから暇でな、こっちで運動したほうが楽だし」

 

 との事だった。

 長瀬本人がいいと言っているのなら、俺にそれを咎める権限も意味も理由もない。

 長瀬と鳴上が敵チームとなり、俺と一条が同じチームで戦う形式で試合は進む。

 一条はのポジションはパワーフォワード。

 役割としては簡単に言うと、何でもそつなくこなせるフォワードといえば分かり易いだろう。守備、得点が主だった役割ではあるが、その他にもリバウンドやセンターのようなゴール下でのプレーも求められる。俺はこれをフォワードの上位互換みたいなもんだと思っているが、これを本職の人に言ったらきっと怒られるだろう。

 俺はといえば、ポイントガードと言うポジションを担っている。

 本来なら身長の高い俺はセンターなどをやるべきなんだろうが、一条曰く「霧城ほど動けて周りを見れる選手が他に居ない」と言う理由からそうなった。

 ポイントガードは言わばチームの司令塔。リバウンドなどのゴール下でのプレーはあまりせずに、外から状況に応じたプレーを指示し、パスを回したりアウトレンジからのシュートなどをしていく役割だ。

 入って間もない俺にそれを任せるとは、一条もなかなかえげつないことをしてくれる。

 

「一条……!」

 

 コート中央のミドルレーンでドリブルしている俺は、右サイドレーンからゴール下ローポストへと人の隙間を縫うように切り込んだ一条にパスを回す。

 難なく通ったそのパスは敵にとっては予想外の出来事だったのか、完全にフリーになった一条はボールを受け取ったままシュートの体制になる。

 ゴールまでの距離は目測で二歩半。

 一条はドリブルしながら左足で軽くステップする。この時ボールはすでにての中に。次に右。これで一歩目。そして左足でゴールに向かって飛び上がる。これで二歩。

 手に持ったボールを右手で持ってリングに向けて差し出すように腕を上げ―――柔らかく手放した。

 手を離れたボールは緩やかにリングの後ろ、バックボードの黒線に当たって跳ね返り―――そのままリングに吸い込まれていった。

 

 同時に試合終了を告げるブザーが鳴り響いだ。

 

「よっしゃぁーーー!」

「くそっ、やられた。まさか霧城がここまで上手かったなんて」

「ちょっと待てよ、今俺がシュート決めたじゃん! なんで俺じゃなくて霧城を褒める!? いや、確かに霧城もメチャ上手いけど」

「お前を褒めるのって、なんかやだよ俺。お前だってそう思うだろ?」

「……確かに。なんか長瀬っぽくないな」

「なんだよそれ……」

 

 一条が勝利を喜び、長瀬がそれを弄る。なんとなくこの二人のやり取りを見ていると微笑ましく思えてくる。

 二人がああでもないこうでもないと言い合っている光景から目を離して、汗を掻いて息を切らしている鳴上に近寄ってスポーツドリンクを差し出してやる。

 

「ほら、疲れたろ……これ飲みな」

「あ……ああ、ありがとう霧城……」

 

 疲れているのが目に見えてわかる鳴上が俺からスポーツドリンクを受け取って口から喉に流し込む。

 

「疲れたろ。サッカーと違ってバスケは短距離だからな。自然と全力でずっと走っちまうんだよな」

「ああ、なんだか右に左にボールが飛び交って……はっ、ゲホッ……てんてこ舞いだよ」

「そりゃ違いない。展開が早いから、コッチも自然と早くなっちゃうしな」

 

 なんて偉そうに言ったものの、俺のバスケ経験は昨日の1on1と自室にあるバスケ漫画だけだ。

 実質の経験なんて今日で二日目。

 いくら運動能力に長けていても、経験という厚い壁の前にはあまり意味はないだろう。俺が出来るのはドリブルとパス回し。……それとレイアップとダンクシュートぐらいだ。

 でも試合中にダンクなんて目立つこと、俺は極力したくない。いや絶対しない。

 そうなると、明日の試合は一条の頑張りしだしになってくる。他の部員は当てにならない。

 

「…………ん?」

 

 ふと視線を感じた俺は体育館の入口の方を向く。

 視線の先には……昼も見た海老原が入口から隠れるようにして立っていた。が、俺の位置からは丸見えである。

 何しに来たんだあの女、サッカー部のマネージャーがこんな所に居ても良いのか?

 ジッと見ていたら目が合った。……あ、逃げた。

 

「何がしたいんだアイツは……?」

「それじゃあ、二十分休憩ー!」

 

 ポツリと漏らした言葉は、一条の号令によって掻き消えた。

 休憩になったし水分補給をしようかと思ったが、さっき鳴上にあげたのが最後だったのを思い出した。格好つけるんじゃなかった……。

 仕方ない、こうなったら外の水場で飲むか。他に方法も無いしな。

 そうと決まれば早速、俺はバッシュを脱ぎ外履きに履き替えて外にかける。

 

 水場は外を歩いて一分の近場にあった。

 蛇口の向きを上に回し、水を出す。この時、ちょっと勢い良く出して蛇口の口から距離を取る。

 こうすると、噴水のように出る水を直接飲めて、尚且つ蛇口に口をつけなくて良いのだ。

 俺が小学生の時に学んだ術である。

 

「んぐ、んぐ……んぐっ…………」

 

 砂漠のように乾いた喉に潤いが戻ってくる。

 思った以上に汗を流したらしい。

 その時、背後から足音と人の気配がした。

 

「……ねえ」

「んぐ、んぐっ…………」

「ちょっと、聞いてんのアンタ?」

「ふご、ふごっ…………」

「無視してんじゃないわよ!」

 

 後ろから高圧的な声がかかって来たので無視したら怒られた。

 面倒だけど、これ以上無視しても仕様がないので渋々といった感じに飲むのをやめてそちらを振り向く。

 声の主、海老原あいは見下すような視線で俺を見ていた。

 

「アンタ、さっきの事……忘れなさい」

「はっ? なんの事だよ?」

「とぼけないで! さっきアンタ屋上に居たじゃん!」

「ああ……」

 

 なるほど。こいつは俺に自分が泣いていたことを黙っていて欲しいのか。

 そりゃあ、あんだけひどい言い方で男を振っていた女が屋上で一人泣いていたなんて光景。言いふらされたくはないよな。なんか女子に嫌われる感じのタイプに見えるし。

 

「いいよ別に、誰にも言わないし……忘れよう」

「……ホント? なんか、信用なんない」

「じゃあ、俺に一体どうしろと……?」

「そうね……」

 

 うーん、と口元に手をやり考える海老原。

 いたずらをした子供にどんな罰を与えようか、そんな事を考えるような気がするのは気のせいだろうか。

 そうだっ、と考えが纏まったのかピンと人差し指を立てて表情を明るくした。

 

「アンタ、部活終わったらアタシに付き合いなさい」

「やだ」

 

 即答である。

 海老原は信じられないような物を見る目で俺を見ている。そのどんぐり眼は困惑の色を伺わせている。

 が、諦めの悪そうな海老原は喰いつてくる。

 

「はぁ、なんで!? アタシが誘ってんのよ!? 断るとかありえないから!」

「断る」

「うっさい、アンタに拒否権はないんだから! いいから付き合いなさいっ!」

「却下」

「なんでっ? なんでヤなのよ!」

「理由がない」

 

 見るからに地雷の匂いがプンプンしてくるんだよね。

 良くないことが起きる予兆な気がしてたまらんのですよ。

 断るたびに段々と困惑が表情にも現れはじめ、自身の表れのように吊り上がっていた眉はすっかり下がってしまっている。

 もう一つ付け加えるなら、なんかもう涙目寸前だった。……ちょっと罪悪感とは別に、嗜虐心がこみ上げてくる。

 

「……わかった、それじゃあ。理由を作ったげる」

「どういうことだ……?」

「付いて来なかったら……アンタに乱暴されたって言いふらす。キズモノにされたって言いふらす」

「………………」

 

 なんということだ。女の最終兵器をこうも易々と使ってくるとは……恐ろしい子。

 こうなってしまった以上。俺に拒否権は無いだろう。

 仮にそんなの知るかっ、と突っぱねても大丈夫だろうが、こいつがもし本当に実行したら大変だ。

 身の潔白は証明できても、根っこに根付いた印象と言うのはそうそう変わったりしない。きっと廊下とか歩いてるとヒソヒソ噂話なんかして、こっそりと俺を笑うのだ。ああ恐ろしい。

 そうなったら里中との距離が縮まらなくなってしまうかもしれない。……仕方ない。

 

「……わかった。部活が終わったらな」

「フンッ、分かれば言いのよ。それじゃあ、校門で待ってるから……じゃあね」

 

 満足そうに俺に背を向け立ち去る海老原。

 どうでもいいけど、その前にもっかい涙を拭ったほうが良いぞ。新しい犠牲者が生まれない前に。

 全くもって面倒だ。

 なんて面倒くさそうな女子に目をつけられてしまったんだ。

 トボトボと体育館に戻る。

 歩きながら、台風でもいきなり来ないかなー、とか天に思ったが。ここは現実世界だからそういった事は一切出来ない。

 これがテレビの中だったら簡単だったのに……。

 

 体育館に戻った俺は昨日海老原を見て顔を青くしていた鳴上に、彼女の事について聞いてみることにした。

 

「なあ鳴上、海老原あいってどんな奴かわかるか?」

「……疲れるひ……いや、何でもない…………」

「…………」

 

 

 

 

 ――――沖奈駅前――――

 

 言いにくそうに言葉を詰まらせる鳴上に一抹の不安を抱いた俺は、約束通り海老原に連行されて沖奈まで来ていた。

 ある程度栄えている沖奈で、俺は海老原と共にある店に来ていた。

 

「うーん、これはもう持ってるし……これは、へぇー新作出たんだ。じゃあこれ買おっと」

「………………」

 

 店内はピンクっぽい照明で統一しているなんとも目に優しくない色を発していた。

 いやいやながら連れてこられたここは服やバッグ、それとアクセサリーなどの小物を扱っている女性専用の店だった。非常にい心地が悪い。

 ……もう帰ってもいいかな?

 

「あっ、これもいいー。はいこれ持って」

「おい……」

「なによ?」

「それぐらいテメェで持てよ。見るからに軽量だろうが、米俵でも買うんなら別だが……それ以外で俺を使いッパにすんなよ」

 

 そんなにちょくちょく差し出されたものをホイホイ受け取って従っても、こいつが付け上がるだけで俺にはなんの特もない。

 こっちはいやいや付き合ってるんだ。それぐらいの抵抗は受け入れて欲しいものだ。

 その旨を俺は海老原になるべく穏便に言ったら、驚いたように目を丸くしていた。

 

「マジで言ってんの? そんな事アタシにそんな口聞いた奴って初めてかも……」

「どんだけ我侭に生きてきたんだよお前は」

 

 本当だとしたら生意気この上ない。

 鳴上も何か言いかけてたし、もしかしたらコイツの犠牲者の一人とか?

 あいつ押しに弱いから、命令されても無表情で従いそうだしな。……いや、それはないか。

 

「まぁ、いいわ。特別にアンタだけは許したげる」

 

 フッと小悪魔みたいに微笑む顔は確かに可愛いっちゃ可愛いけど、俺よりも態度が偉そうだ。

 サッカー部のあの男はこんなのが良いのか。振られて正解だ。

 

「はい、これ持って。お願いね」

 

 当て所なく店内をウロウロしていると、会計が終わったらしく、有無を言わさず紙袋を持たされてしまった。

 さっき言ったこと、何も聞いてなかったのかコイツは。

 だがしかし、もう持ってしまった物をつっ返すのは気が引ける。持たされる隙を作った俺にも非はあるからな。

 仕方ないので、荷物を持ったまま一緒に店内から出て一旦駅前のカフェに入った。

 なんとかかんとかチーノとか言うのを頼んだ海老原は外にある丸テーブルがある椅子に腰掛けた。ついでに俺はただのブラックである。注文システムが複雑で面倒だし、ブラック好きだからこれでいい。

 なんとかチーノを美味しそうに飲んでいる海老原の向かいに腰掛け、俺は今回のこれがなんの意味があるのか問いかけることにした。

 

「なぁ、いい加減本当のこと話さないか?」

「なんの事……?」

「……屋上での一件を口封じしたいなら、水飲み場での話で済んだ話だろ。俺をここまで連れてきた脅迫材料をそっちに使えば良かっただけの話なんだし」

 

 そう、こいつは本当に黙って欲しかったのなら「言わなかったら言いふらす」といえばそれで済んだのだ。

 なのに、態々こんなまだるっこし手を使って俺を沖奈まで連れてきた。そこが俺が腑に落ちなくて気になっていた所だった。

 決着はあの場でついたはずなのに、延長戦にした理由それが何なのか。

 

「なのに連れてかれてやることは、口封じとは思えないなんとも普通のショッピング。……何が目的だ?」

 

 不意に、海老原の表情に影が差した。

 今日の昼に屋上で見た表情と同じだ。

 そして、海老原はポツポツと経緯を話すために口を開いた。

 

「アンタ、サッカー部の長瀬君とか、鳴上君と親しいんでしょ?」

「まあ、それなりに仲良くしてるが……それが?」

「それは、いんだけど。昨日サッカー部の奴が告ってきた時、アンタも居たでしょ?」

「居たけど?」

「アイツがしつこく言い寄ってきてさ、アタシ迷惑してんだよね。それで、あの時を見てて事情も知ってるアンタに追っ払ってもらうの手伝ってもらおうかと思って」

「それなら、鳴上か長瀬に頼めばいいじゃんか。俺よりもよっぽど手伝ってくれそうだけど」

 

 あいつらならきっと手伝うだろう。長瀬はちょっと渋るだろうが、鳴上は絶対そうする。あいつは困った人間に何故だか手を差し出したがる。

 だけど、俺の意見は賛同できないのか、海老原の表情は暗いままだった。

 

「鳴上君は駄目。もう、前に手伝ってもらったから……頼めない。それに長瀬くんも……」

「なんでさ? きっと鳴上なんかは手伝うぞ」

「いっぱい迷惑かけちゃったから。もう迷惑かけられない」

「俺ならいいのかよ……」

 

 一体どう言う理屈だよそれ。

 鳴上は過去に手伝ってもらったことがある。それだからアイツは苦い顔をしてたのか。

 おかげで海老原に苦手意識を持ってしまったんだな。

 

「だってアンタは見ちゃいけないものを見ちゃったんだから、それの償いぐらいしてもらわないと」

「それを言うなら、お前があんなところで泣いてる方が悪い」

「泣いてないってば!」

 

 バンっとテーブルを叩いて豪語する海老原。

 あれは見るからに泣いていたが、それはコイツにとっては認めがたい屈辱らしい。

 俺は残りのブラックを一気に飲み干し、改めて海老原の目を真剣に見つめる。

 

「は? 何、ちょっと……そんなに見ないでよ」

 

 微かに頬を染めて俺から顔を背けるが、それを逃さないように俺は口を開く。

 

「じゃあ、なんであんなにこっ酷く振ったんだよ。それさえしなかったら、お前はなんとも無かったんじゃないか?」

「なんでって、そんなのピンと来なかったからに決まってんじゃん。第一、今あたし誰とも付き合う気ないし」

「ならそう言やよかっただけの話しだろ」

「だから―――」

 

 ああ駄目だ。これじゃあ話が堂々巡りしてしまう。

 結局のところ、海老原は困ってて、それを助けて欲しいって言ってるだけなんだ。

 言い方は少々アレだが、困っているってことに限っては違いないのだ。

 瞳を視てそれは分かった。

 助けをこいつは求めているだけなんだ―――。

 

「はぁ、わかったよ……手伝ってやるよ」

「ホント? 嘘だったらマジ言いふらすかんね」

「安心しろ、俺は自分に不利な嘘はつか―――」

 

「―――あいから離れろよお前」

 

 突如背後より降りかかる声に逆らうように、俺は咄嗟に、向かいに座って恐怖してる海老原の横まで椅子に座ったまま滑るようにして横に行った。

 俺に殺気をぶつけているのは、昨日昇降口で海老原に告白して振られた哀れな男子生徒だった。

 男はフーッフーッ、と危ない感じに呼吸して俺を視線で殺さんと言わんばかりに睨んで居る。

 

「悪い、間違えてお前から離れちゃったよ」

「何俺の許可なく勝手に近づいてんだよ、サッサと死ねよ」

 

 うわー、話が支離滅裂と言うか、突拍子なく飛躍してるよ。怖いんだけどこの人。

 なんか目が充血してるし、瞳孔が……。

                                     解析/薬物反応

 だからか、なるほど。そりゃこんだけおかしくはなるわ。

 

「迎えに来たよあい……早く俺達の家に帰ろう。子供も、ママの待ってるよ……」

「は、はぁ? アンタなにわけわかんない事言ってるわけ。家とか子供とか、ママとか……ありえないんだけど! 話しかけないでって言ったじゃん!」

「おい、あんまりこいつを刺激するのは―――」

「大体、アンタがアレを盗んだんでしょ!? 返してよ!」

 

 ……駄目だ。恐怖で軽く混乱状態になってる。

 海老原は俺の服の袖を震える手で掴みながら、気丈な態度を崩さない。気に入らない相手には決して弱みを見せまいとしているその姿勢は、不覚にも俺は感心してしまった。

 何様だって感じだが、海老原は海老原なりの矜持があることを俺は知った。

 それと、先ほど口にした“アレ”という謎の存在。それが海老原の目的の一つなんだろう。

 それなら俺は―――。

 

「ぐっ、いい加減……ワガママ言ってナイで……っ!」

「なあ、お前はどうしたいんだ?」

 

 怯える海老原ではなく、薬でラリった男に俺は話しかける。あくまで穏便に。

 

「なんだよお前、まだ居たのかよ。早く消え失せろよ!」

「消え失せるのはアン―――っ!?」

「駄目だ、今は静かに、刺激するな……」

 

 反論しようとした海老原の口に指を優しく当てて、静かにするよう小さな声で話しかけて促す。

 するとさっきまでの剣幕が嘘だったかのように、簡単に静かになった。

 そのまま、俺は男に向き直る。

 

「もう一度聞くけど、君は何が目的なのかな?」

 

 今度はもっと優しく語りかける。この状態の相手を刺激してもしょうがないんだ。

 しかし、男の顔色が変わる様子はなく、未だに充血した瞳で俺を睨んでくる。

 

「そんなの、どうでもいいだろ! 早くシネよ! じゃまなんだよ! お前も、長瀬も、鳴上とか言う転校生も!」

 

 そう吠えて懐より何かを取り出した。

 長方形の金属で、それを一目視た俺は一瞬でそれが何かを理解した。まったく、こういう時は役立つんだから本気でいらないとも思えなくなってきたよこの力。

 十中八九、男が持っているのは折りたたみ式のナイフだ。

 コイツだけが被害を被るなら良いけど、それじゃあ済まないと思うから、俺はなるべく速度を抑えて、それでも早く男の前に立ちはだかった。

 

「……それを開いたら……一生右手が使えなくなるよ……」

「ヒッ…………!」

 

 出来る限り重く体の芯に響くような殺気のこもった声で脅した。

 すると男は怯えて上ずった声を上げて固まってしまった。

 今なら、話も通じるだろう。

 

「いいか、海老原が言っていた“アレ”を返せ。そしてこの場から可及的速やかにいなくなれ。でないと……分かるな?」

「あ、あぁあぁぁ……わ、わかり……まし、た」

 

 引き付けを起こしたみたいに震えながら、ナイフを握っている右手とは逆の左手でポケットをまさぐり、俺に“それ”を手渡した。

 “それ”は手のひらサイズのコンパクトミラーだった。

 薄いピンク色のコンパクトミラーの外装は小さな宝石モドキの装飾をしてあって。シンプルながらも良いデザインをしていた。

 

「よし、それじゃあ……二度とこんな莫迦な事はするなよ。二度とアイツの前に現れるな、話しかけるな……これは警告じゃなくて脅しだ……良いな? じゃなかったら今使ってる薬のことを町中にバラすからな」

「は、はい……し、しつ……失礼、し、ます……」

 

 クルッと踵を返して男は去った。

 暴力に訴えた方が早かったかもしれないけど、あの男だけが悪いわけじゃないし、きっとまたいつか復讐してくる。

 もしかしたらそれは俺じゃなくて、海老原相手かもしれない。

 それなら、新たな脅迫で上書きして標的を俺にしたほうが安全だ。

 俺はふぅ、と嘆息して海老原の方を振り向き男から奪い取ったコンパクトミラーを手渡す。

 

「ほら、これだろお前が言ってた“アレ”って」

「あ…………ありがとう」

「なんだよ、ちゃんとお礼言えるんじゃん」

「う、うっさい……当たり前でしょ、アタシ結局……助けてもらったんだし、お礼ぐらい言うわよ」

 

 しおらしい態度でコンパクトミラーを受け取り、頬を染めながら感謝の言葉を口にした海老原。

 今のこいつを見てると、なんだかやっと外見と内面が一致したような。パズルの最後のピースが埋まったみたいでスッキリした。

 

「はいよ、それじゃあ俺の仕事はこれで終わりだな……帰ろうぜ。日も暮れてきた」

「うん…………ちょっと待って」

「なんだ? まだ何か買いたいものでもあんのか?」

「名前…………」

 

 俺より背の低い海老原が見上げながら聞いてくる。

 

「名前?」

「アンタの名前……アタシまだ聞いてない……知らない。教えてよ」

 

 そういえば聞かれなかったから言ってなかったな。

 俺だけが一方的に知ってただけだし、それじゃあ確かにストーカーみたいだな。甚だ不本意ではあるが。

 このまま答えないままってのも後味悪いので答えることにする。

 

「霧城大和だ……よろしく」

「霧城……大和……。アタシは海老原あい……よろしくね」

「もう知ってるよ」

「何? アンタもしかしてストーカーなわけ?」

「おいっ」

「冗談よ……もう疑ったりしないから」

 

 そう言っていたずらの成功した子供みたいに無邪気に笑う。

 さっきみたいな小悪魔チックなのも悪くはなかったが、コッチの方が彼女にはよく似合うと思った。

 今更ながらに、言動がキツいだけの面倒な女じゃないと、評価を改める俺だった。

 

「そうだ、携帯番号教えてよ。暇なときまた買い物に付き合ってもらうから」

「教えるのは良いけど……しょっちゅう付き合うと思わない方が良いぞ」

「良いから、ほらっ……携帯貸して」

「ったく、ほら」

 

 諦めて携帯を差し出す。

 別に見られて困るものとか一切無いし、そのまま手渡して委ねても安全なのだ。

 何故なら携帯とか殆ど使わない。たまに花村とか里中とか特別捜査本部の連中から他愛もない連絡が来るぐらいだ。

 携帯を受け取った海老原は高速でなんだかカチカチボタンを打っている。ニュ、ニュータ○プ!?

 

「はい、終わったから。返すね」

「ん? ああ、ありがと」

 

 ポンっと放り投げられた携帯を危なげなく受け取った。

 そのまま確認もせずに俺は携帯をしまって先を歩く。

 

「それじゃ、本当にそろそろ帰ろう。暗くなってきたし、俺明日バスケの練習試合あるから朝早いんだよ」

「へぇー、明日試合なんだ。何時から? 場所は体育館?」

「…………?」

 

 しつこく日時を聞いてくるもんだから、正確な情報を海老原に伝えて俺は一緒に電車で帰った。

 歩き慣れた八十稲羽へと―――。

 

 

 

 

 五月二十二日 日曜日(曇)

 

 夜も明け空が白んでいる早朝。

 練習試合の日である。

 一条の迷いを断ち切る為には必要不可欠な試合。

 おそらくはこれが一条の人生においての分水嶺になるだろう。選択次第で幸か不幸かに転がるだろう。

 でも実際はどっちでも良いのだ。それを良しと判断するのはあくまで一条本人で、俺じゃない。

 だから、俺は俺の出来る事をやるだけだ―――。

 

 早朝って事もあって多少冷える空気に身を震わせながら、俺は学校へと歩を進めた。

 

 学校に着き体育館に入ると、既に一条は来ていた。

 俺に気がついたらしく、こっちを向いて一条がいつものにこやかな表情を浮かべる。

 

「おはようさん霧城。ちゃんと起きられたんだな」

「莫迦いえ、俺はちゃんと起きれる子だよ。……それより、なんでお前らまでここに居るの?」

 

 他愛ない冗談を交わして、俺は疑問を投げかけた人物“達”に視線を向けた。

 

「いやー、お前の応援のつもりで皆呼んだんだけど、なんでか選手にされちまった」

「あはは、あたしもなんでか臨時のマネージャーになっちゃった」

「俺はサッカー部のヘルプだ」

「気にすんな、いつもこうなんだよ。一条が、他の部員がドタキャンしたからって頼んだんだよ」

 

 花村が選手で、里中がマネージャー。

 鳴上と長瀬はヘルプ。

 他の部員は全然居ない。

 なんだ。これじゃあ、いつものメンバーが試合するだけじゃん。

 なんだかガクッと肩の力が抜けちまった。

 

「本当にありがとう里中さん! マネージャー引き受けてくれて助かったよ!」

「それは良いんだけど、あたし必要かな?」

「勿論! 当然だよ! ささ、ここの椅子好きに使っていいから」

 

 なんか一条の里中に対する持て成し方が尋常じゃなく優しい。

 違和感を通り越しておかしい。

 花村はその待遇の違いに不満気な表情を浮かべる。

 

「ちょっとちょっと、おかしくない? 俺も一応こうして臨時で手伝ってるんだけど」

「ん、ああ、ありがとな花村!」

「……なぁーんか納得いかねー!」

 

 里中の時とは打って変わった適当な態度に、花村がささやかな反論の声を上げるが意味はなかった。

 見るからに一条は、里中の事が好きなんだろう。見れば分かる。

 だから、いくら言った所で変わらないだろう。

 試合は、もうまもなく始まる―――。

 

 

 最後の確認の為に、一条がチームメイトを招集した。

 さっきまでの腑抜けは身を潜め、今ここに居るのは紛れもなくバスケ部の一条康だった。

 

「いいか、まずはポジションの確認だ。花村はガード。鳴上と長瀬はセンター。霧城がポイントガードで、俺がパワーフォワードだ」

 

 一つ一つ丁寧に、用意した小さなマグネットが着いたコートの書かれたボードを指差す。

 その表情は真剣そのもので、それだけで負けたくないって気持ちが俺には伝わってきた。

 相手チームの長所や、短所を漬け込んだ作戦を説明してる姿は、まさしくバスケット選手だった。

 だから俺は思う。

 始めから、悩んでるってことはもう答えが出てるのだと。ただ、それを本当に選んでいいものか、それを躊躇ってるに過ぎないんだ。一条はもう答えを持っている。あとは、それを選べる“後押し”が欲しいだけなんだ。

 ―――だから俺に出来る事は。

 

「それじゃあ、今日はよろしく頼む!」

「おうっ―――!!!!」

 

 四人が一条に応える。

 そして、運命の試合が始まった―――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ―――率直に言おう。

 試合はあと少しって所で僅かに得点が届かずに負けた。

 急ごしらえのチームにしては善戦した方である。

 鳴上と長瀬はよくセンターとしての仕事を全うしてくれたし、花村もディフェンスなんか頑張っていた。たまにふざけてたけど。

 一条なんか必死になって敵チームに食いついていた。

 ただ―――俺だけが頑張らなかった。

 

 ちゃんとポイントガードの仕事は全うしたが、本気ではなかった。

 俺が頑張れば勿論勝っただろう。自惚れかもしれないが、それでもきっと負けなかった。

 ただ、それじゃあ駄目だと思った。俺はあくまでおまけで、頑張るのは一条の仕事だ。

 あいつが自分で得た結果なら、それは何が何でも受け止めなくてはいけない。《自分》を否定してはいけないんだ。

 この前の完二救出の時だって、本当は鳴上達でなんとかしなくてはいけない問題だった。でも、頭に血が上って、気分も高揚していた俺は間違えてしまった。折角、あいつらが選んだ選択を蔑ろにして。

 誇りに泥をかけてしまったんだ。

 だからもう、俺は最低限の事しかしない。本当に困った時だけ、この力を惜しまず使おうと思った。

 

 自分の為ではなく、他人の為に。

 

 更衣室にはもう一条と俺しか居なかった。

 長瀬は一条の肩をポンと軽く叩いて一番先に出て行った。

 次に、鳴上と花村が。

 そして気がつけば二人だけ。これじゃあ一昨日の練習後の再現みたいだ。

 負けてしまったのに不思議と笑みが溢れる。不謹慎だとわかっているから、一条には見えないように背を向けて。

 その時、

 

「なぁ霧城」

 

 と一条が声をかけてきた。

 

「なんだ……?」

「試合……負けちまったな。あんなに頑張ったのに。でも惜しかったな」

「ああ、惜しかった。あと四点差だったからな」

「そうだよな、あと四点。四点で届いたんだ……!」

「…………悔しいか?」

 

 ひと時の沈黙が舞い降りた。

 更衣室の外では今だ冷めぬ喧騒が聞こえて来て、それが余計に名残惜しく感じてしまう。

 だが、賽の目はもう出たのた。決着は着いて、もう誰にも覆すことは出来ない。

 覆水は盆に返らないのだ。吐いた唾は二度と飲めない。

 しばし沈黙していた一条が、フッと小さく息を漏らしたのを俺は確かに聞いた。

 

「すっげぇ悔しいや。やっと分かった……“間違ってなかった”ってのが分かったよ。―――俺は、バスケが大好きだ。負けるのは滅茶苦茶悔しい!」

「ったく、これがテストだったら時間切れで赤点だぞ。答えを出すのが遅いっての」

「赤点でも、一回は追試が受けられる。またやり直せるだろ? だから、俺はまだ間に合うんだ」

「よしっ―――じゃあ愛家で肉丼奢ってもらうぞ!」

「え、なんでいきなりそうなるよ!? 今めっちゃいい話してたじゃん、青春してたじゃん!」

 

 空気を読まない俺の発言に驚嘆の声を上げる。

 さっきまで浸ってた姿は遥か彼方。今の彼はありのままの一条康だった。

 

「いやほら、一昨日言ったじゃん。俺が勝ったら肉丼って」

「負けた場合のお前が無かったのに、そんな賭けが通用するかっ!」

 

 取り繕って飾っても仕様がない。

 俺と一条は言い合いを続けながら、しばしの間半裸で談笑していた。勘違いすんじゃないぞ。

 

 

 

 

 着替えも終わり更衣室を出ると、鳴上と花村がその場で待っていた。

 二人共、一条の事が心配だったのだろう。だけど、完二の一件から俺がクロなんじゃないかと疑っていた花村はゲンコツをしておいた。

 この二人が分かるくらいだ。長瀬はきっと全部分っていて、それでいてあの対応をとったのだろう。付き合いの長さってのは、それだけ互を理解するに足る価値があるんだろう。

 

「どうだったよ鳴上、俺の華麗なボール裁きは。あの相手を翻弄しきった余裕のドリブル」

「あっという間に取られて、ついでに点数も取られてたよな」

「うぐっ……!」

「あー、そうだよ花村。お前がミスったから、俺と霧城が頑張んなきゃいけなかったじゃん」

「で、でもそもそも、俺ってヘルプだし? なんつーかこう、参加することに意義があるっていうか……」

 

 都合が悪くなって言い訳が始まった花村を横目に、四人揃って昇降口に向かって歩いていると、何やら長瀬と女子の会話が聞こえてきた。

 あ、女子で思い出したが、里中とは校門で待ち合わせている。

 

「なんだ? あれって……長瀬と、女子だよな」

 

 声に気がついた花村がヒョイとだけ昇降口に向けて隠れる。

 自然に隠密行動を取るところ、コイツはしょっちゅうこんな事をしてるんだろう。

 ついでに俺も見ていたが、横で一条が暗い顔をしていた。

 

「どうした一条。ポンポン痛いのか?」

「今時ポンポンって言うか普通……じゃなくて、あの女子って長瀬の元カノだよ」

「マジで!? 結構可愛いじゃん、くっそー良いな長瀬」

「俺も知ってる。この前教えてもらったばかりだ」

 

 なるほど、一条が言ってることは正しいんだろう。

 嫉妬してる花村はともかく、鳴上もいうぐらいだから正真正銘元カノなんだろう。

 でも、

 

「なんで今更元カノと長瀬が……?」

「……ちゃんと言葉にするって長瀬は言ってた。あの時伝えられなかった気持ちを、ちゃんと言葉にするって」

 

 鳴上がのぞきながら、真面目な声色でそう答えた。

 流石にそれを聞いてもふざける度胸は無いらしく、花村も大人しく事の結末を見届けている。

 男四人が肩を寄せ合って隠れて覗き見している姿は、傍から見たら完全に不審者のそれである。

 耳を澄ませていると、長瀬の言葉が聞こえてくる。

 

「俺……ちゃんと好きだったよ」

「……どうしたの、急に。」

「……なあ、練習見に来てるのって」

「あ、来た。……どいて、誤解されちゃうじゃない」

 

 そう言って元カノは長瀬のを横切って通り過ぎてしまった。

 一体何が来たんだと思い、元カノを目線で追っていると、一人の男子生徒が現れた。

 元カノは男子生徒が来るなり、急に甘ったるい猫なで声を出してきた。

 

「せんぱ~い、遅い~♪」

「ご、ごめんごめん。グラウンドの整備が長引いちゃって」

 

 うっわー、これって……もしかして、もしかしなくてもそういう事だったりするわけ?

 他の反応が気になって横を見ると、皆同じような、苦虫を噛み潰した顔をしていた。

 

「も~、今日は奢りね」

「しょーがないな。……って長瀬? ……じゃ、じゃーな」

「長瀬くん……ありがとうね」

 

 長瀬の存在に気がついた男は気まずそうにしてその場から立ち去った。勿論、元カノも一緒に。

 今のことから考えられるのは、男が今の彼氏で、しかも長瀬と知り合い。グラウンド整備って言ってたから、きっと同じサッカー部で、元カノは先輩と言ってたから、きっと一個上。

 哀れ長瀬。

 一人になって手持ち無沙汰に後頭部を掻いたりする仕草が、さらにそれを際立たせていた。

 そんな姿俺はもう見たくなかった―――。

 

「長瀬ーーーーーっ!」

「お、お前らっ!? なんだよ急に現れて! てか苦しい、男臭い汗臭い!!」

 

 みんな考えることは一緒だったらしい。

 俺たちは男泣きしながら長瀬を熱く包容した。

 

「落ち込むな長瀬、大丈夫。女子なんかいくらだっているんだ……なに、ちょっと恥かいても次取り返せば良いんだ。今度頑張って合コンセッティングするから!」

 

 と花村。

 

「今日は一緒に帰って、帰りに愛家に寄ってこう! 雨は降ってないけど、きっとスペシャル肉丼が食べられるさ」

 

 と鳴上。

 

「お前、さっきまでホントは自分の事が好きなのかもって期待してたろ? 残念だったな、今日はお前の失恋パーティだ!」

 

 と一条。

 

「長瀬、人生いろいろあるんだ。失恋ぐらい日常だと思っちまえ! 今日は男だけで朝まで飲むぞーーー! 男祭りだー!!」

 

 と俺。

 

「ちょ、ちょっと待てよお前ら! マジで汗臭いから、ホント汗臭いから! 愛家行くのはわかったからとにかく離せー!!」

 

 と、もみくちゃにされながらも割と本気っぽい悲鳴を上げる長瀬だった。

 

 

 

 

 その後俺達は、悪ふざけが過ぎた罰として長瀬からゲンコツを頂戴して校門へと向かっていた。

 校門には言った通り、里中が柱に寄りかかって待っていた。

 里中に声をかけて、今日は男だけの愛家だから……と言おうとした時、後ろから声がかかった。

 

「霧城くーん……!」

「うげ、海老原……」

「エビ…………」

「あれって海老原じゃね? なんで霧城に?」

 

 振り買った先には海老原が俺に向かって駆けてきて。

 鳴上は苦手そうな顔をして、花村はなんで? って顔をしてた。

 

「なんだ花村、海老原知ってんの?」

「知ってるも何も……鳴上の元カノじゃん」

 

 その時、世界が凍った。

 この短時間で元カノが二人。しかもそのうち片方は何の用だか知らないが俺を呼んでいる。

 一体どこの世界の神様の仕業だ。

 花村の発言に凍りついた一同だったが、その中で、鳴上だけが反論の声を上げた。

 

「ち、違う! あれは無理矢理……それに、一度もそういったことはしてないし全力で断った!」

 

 鳴上が反論しているうちに、海老原が俺達に追いついて既に俺の前に立っていた。

 走ってきたせいで、息が乱れて頬は上気していた。

 

「そんなに走って、一体何の用だよ? それに、今日は日曜だぞ」

「アンタのバスケの試合、見に来てあげだのよ。それと、これをあげに来たの……はい」

 

 なんでいるのかを問うたら、ムッと顔をしかめた海老原は乱暴気味に俺に何かを手渡した。

 一体何を渡されたのか、気になって見てみると、

 

「これ……この前のコンパクトミラーじゃん。大事な物じゃないのか?」

「同じ奴、もう一個新しく買ったの。感謝してよね、これあげるのは……アンタだけなんだから。それじゃ」

「えっ、おいちょっと!」

 

 慌てて止めようとするが海老原は聞かない。

 そのまま固まる四人を通り抜けつ間際に鳴上に「いい出会いをありがとね鳴上君!」と言ってまた鳴上の顔が青くなっていた。どれだけ苦手なんだよ海老原が。

 そうして走っていた海老原の姿が校門から見えなくなった。

 その後、携帯が一つのメールの着信を知らせた。

 このタイミングってのが出来すぎてる。そんな気がして見るのをためらわれたが、三白眼で見てくる一条と花村に気圧され、仕方なく携帯を開いた。

 

『この前はありがとう。本当に、アタシ嬉しかった……面と向かって言うのは、なんか恥ずかしいからメールで。追伸、今度はちゃんとアタシと付き合ってよね!』

 

「き、霧城……お前、いつの間に……海老原さんと……」

「待て、落ち着くんだ一条。冷静に話し合えばよく分かる」

「分かるって、海老原と付き合ってるって事が? 鳴上を差し置いて」

「よく見ろ花村。この最後の文は買い物って意味で……!」

「だから、俺はエビとは付き合ってないって……」

「そうだな、鳴上お前の言い分は正しい―――もっと言ってやれ」

「さっき似たような事があったから、わりぃ霧城。味方してやれないわ……」

「嘘だろ? さっきまであんなに仲良く男の友情を確かめたじゃんか! なんでこうなるかな!?」

 

 そう言いながら、俺は校門の方を何故か見てしまった。

 いや、何らかの力が働いたとしか思えなかった。

 ―――だって、顔の上半分が怒っていて、下半分が笑ってるなんて芸当をやってのけながら、里中が走ってくるんだもん。

 そりゃ、見て見ぬふり出来ないでしょ……。

 

 

 汗と涙と、男とたまに女難な三日間は。

 結束を深めたり、最後には台無しになったりと色々と忙しくて―――。

 ―――だけどきっと他の大きな出来事に淘汰されるような。

 

 ―――そんな番外の出来事だった。




というわけで、男だらけで暑苦しかったり、ちょっとハチャメチャな感じのテイストを目指して書きました。
もっと楽しく書けたと思うのですが、男同士の会話って楽しくて、なんか途中描写が疎かになってしまいそうです。

エビちゃんはもっと良い子に書けるかと思ったけど、案外この子難しい。
それに、大和とはあって間もないですからね。仕方ない。
一応、アニメ版の友達エンドで鳴上は終えたの前提のエビちゃんのつもりです。
それでも刺々しいのは、大和が初対面の人間だからです。

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