――モニターに映る光が乱反射して、高解像度であるの筈のそれがモザイク画のように崩れていく。機械工学の結晶としてある種完成されたシルエットを持つザクの姿が、まるで不細工な泥人形のようだ。
震える手を顔にやって、ヘルメットのバイザーに阻まれた。
指に伝わる硬い感触。見ればこれもぼやけて、震えている。
縁にそわせて米神の方へと動かし、開閉の為のスイッチを探る。
バイザーを上げて、今度こそ触ってみれば、手には黒い跡が残った。
濡れている。涙だ。
滲む視界が涙のせいだとわかって、呆然とした。
いつの間にか、広く見えていたはずの視界に抱きしめた膝だけが映っている。
自由なはずの手足を自分で縛って、動けないでいる。
怖い。
自分の足で踏み出したはずなのに。
自分の手で道を斬り開いたはずなのに。
MSという鋼の箱の中で、うずくまることしかできないのか。私は。
望んで来たはずの場所で。
――私は。
静かに世界が閉じていく。
頭を膝におしつけて。
固く、目を瞑って。
全部、外へ押し出して。
ひとり、からに閉じこもる。
何も聞こえない。何も見えない。
聞きたくないし、見たくない。
だから、暗い世界へ。
ひとりの世界へ。
それでも見えてくるものはある。
嫌な物。
硝子細工の万華鏡のように、端々で現れては消えて行く、私。
過去の、私。
月にいた頃の私だ。
思い出したくもない。
けれど記憶は。思い出は消えてはくれない。
体中に電極をつけられた私がいる。
針を打たれて、薬剤を投与される私もいる。
過剰な光の反射と点滅で、嘔吐する私までいる。
他にもいる。
怖い顔をした軍人達。
表情をまるで変えない、機械よりも機械らしい白衣の科学者達。
彼らは皆、私を見ていない。
私の中にあるという可能性を見いだそうとしている。
ニュータイプ。
人の可能性の行き着く先、あるいはその過渡にあるもの。
私を閉じ込めた物。
私を研究してでも誰かが知ろうとした何か。
――嫌い。
――嫌い、嫌い!
暗い火が灯る。
燃やすのは、忌々しい記憶達。溶け落ちて消えて行く様を見るために顔を上げれば、見えたのは光輝くモニター。
映るのは、当然ザクだ。赤い彗星と呼ばれる彼の、パーソナルカラーに塗られたザク。
溶け落ちたはずの記憶が、重なって見えて。
両手は、自然と操縦桿に伸びていた。
◆
見上げた先で砲口が光り、ほんの一瞬前までいた場所へ模擬弾頭が殺到する。
シャアが居たのは、ビルの屋上。
およそ四十メートルほどの高さで、丁度MSが二機分くらいの高さになるだろうか。
通信がなければ、そのまま大破撃墜判定を貰っていただろう。
粉塵を巻き上げて後退するドムの軌跡をなぞるように、ピンクの塗料が演習場を染めていく。シャアの狙いは正確で、確実にドムに迫っている。
現に、モニターに映る半透明のドムのシルエットには微細なダメージとして爪先のあたりに赤い影が見て取れた。
「あっ、んのロリコンめッ!」
毒づいた瞬間、模擬弾が頭部のすぐ側、きわどいところを掠めていく。
当たらなかったのは冬彦の腕ではなく、まぐれにすぎない。
《謂われのない誹謗中傷はやめていただきたい!》
シャアの声が、通信機越しに響く。
そういえば、通信を切る余裕も無かったかと思い出す。
歯を剝き出しにして浮かべる笑みは、苦しい心中を誤魔化すための物。
エースパイロットと聞いて誰を思い浮かべるかと問えば、彼を知る者は皆そう答えるであろう、正真正銘のトップエース。
某連邦の白い悪魔を散々取り逃がしただの、生涯そのパイロットに勝てず負けっ放しだったとか一部(?)での評判はよろしくないが、
それが、シャア・アズナブル。
分が悪いというか、そもそも相手が悪い。
《貴方の真価、見せて貰おう!!》
向こうはマシンガンを持ち、こちらはヒートホーク一本。
高所に陣取られ、追跡され、逃げるのも精一杯。
反転しようにも、弾幕に突っ込むのは無謀である。
せめてシールドを装備していれば、まだ重装甲任せに突っ込むなりシールド裏に常にマウントしているグレネードやらで仕切り直すなりできたのだが、そこは重力下における重量制限の兼ね合いであるから今文句を言っても仕方がない。
「たいしたことはないぞ! 赤い彗星!」
モニターから少しばかり視線を下に。
シートの向こうでは、今も少女が膝を抱えているはずだ。
くどいようだが冬彦はニュータイプではない。
そのことは他の誰よりも冬彦自身がわかっている。
MSに乗っていて、何となく感覚で砲弾の通るところがわかったりしたことなどない。
センサーの有効範囲のずっと外から来る敵を察することができるわけでもない。
少女であれば、それができたかもしれない。
しかし、今のハマーンにそれを求めることが出来ない。
選ばなかったのは彼女自身。選択を強いたのは冬彦だ。
「……隙が無いな」
冬彦にも考えはある。
いつも通り作戦と言うには大概な無茶なものだが、じり貧のまま逃げ続けるよりかは目はある。
だが、それを実行に移すだけの隙がない。
弾切れを待って弾倉交換のタイミングを狙っても良いがシャアをしてそれが隙になるかどうか。
――考えろ。何でもいい。
そう言い聞かせて、記憶をたぐる。
シャアの弱点と言えば、何がある?
強者の驕りか? 敵を見逃す酔狂さか?
それだけでは駄目だ。足りない。
付けいる隙にはなり得るが、まだ足りない。
既に、シャアはこちらを敵と見定めている。
戦域を定められた模擬演習場では逃げるにも限度がある。
シャアと言えば――
「あ」
脳裏に閃いたものは、シャアのシャアたる何かを決定づけたとあること。
“いける”かどうかの検討と、やっていいのかという逡巡は一瞬のこと。
通信が生きていることを確認して、声を発する。
「時に少佐」
《何かな》
「ここ何ヶ月かで、地上に降下することはなかったか」
《……それが何か?》
「風の噂だが、現地の美人を連れかえったとか。いや、年端のいかない少女だったかな?」
見当違いな方向に、模擬弾が流れていった。
それを見て、冬彦は逃げを打ちつつも笑う。
先ほどまでの物とはちがう、こう、ニターっという感じのいやな笑みだ。
人相の余り良くない冬彦をして、余り人に見せない表情だ。
ついさっき、ガトー相手に通信していた時にも、そんな顔をしていたような気がしないでもないが。
「ほうほう。ほうほうほう?」
《っ! 下衆な勘繰りは止めてもらおう!》
「まだ何かしたかまでは聞いていないが?」
《何もしてはいないさ! 魅力的であることは否定しないがね!》
シャアを弾幕が苛烈になったが、ペースに乗せることができた。
この一瞬の隙にMSの体勢を変える。
今までが距離を取るために最も速度を出せる体勢、即ちシャアに背を向け前傾姿勢を取っていたのを反転させ、のけぞるような体勢にする。
そのまま背部のバーニアで機体を支えながら、滑るようにしてジグザグに後退していくのだ。狙いを付けづらくするための物であり、また回避しやすくするためのものだが、ホバー機だからできる芸当だ。
実際には、ホバー機でなくても機体によっては大推進力に任せてこれを行うパイロットもいるのだが……それはまた別の話。
ともかく、今冬彦が取れる選択肢は二つ。距離を詰めるか離すかだが、冬彦の頭にあるのは距離を取ること。演習だからといって、何時までも区画を占有して切った張ったをできるわけではない。
であるなら、時間ギリギリまで粘ってシャアのアクションを待つ。それが冬彦の判断だ。
マシンガンの弾倉はザクであれば多くても装備している予備は二つ。
今までのペースで言えばそう遠く無い内に温存に切り替えてくるはず。
背を向けたままでは辛いところだったが、そこは正面を向けられたことが大きい。
機動力は若干落ちるが、装甲は正面の方が当然厚いのだ。
《ちぃっ!》
「はっは、もうしばらく付き合ってもらうぞっ……!?」
一度機体を振ってから、建物の影に逃げようとしたその時にハマーンが頭を起こして、操縦桿へと手を伸ばした。同時に、冬彦からは影になって見えない位置で何かしらの操作が行われたのが、その動きで理解出来た。
そして世界は逆転する。
◆
その時何が起きたのかは、機体に乗っていた冬彦も、相対していたシャアも、戦場にいた他のパイロット達もわからなかった。
けれど、指揮所でもってデータ収集を行っていた何人かだけは、それを理解することができた。
起きたことを言葉にするなら、重MSであるはずのリックドムⅡが後退から一転、Gをまるで感じさせない動きでもって、横にあった壁を駆け上がり、ロールしながら向かってきていたシャアのザクの頭部を蹴り潰した、というだけの話。
ところで、某けもみみ万歳なゲームの続編が出るそうですね。
まさか本当に発売される日が来るとは……
え?私?予約しましたが何か?