「――クリア」
サイレンの鳴り止まぬグラナダ。その中でも特に警備の厳重な区画の一つであるNT研究所を、不審な一団が廊下を駆けていた。
黒いボディアーマーにヘルメット。バイザーには顔が見えぬよう上からフルフェイスタイプのガスマスクが装着されており、完全な機械式であるのか、目元すらもうかがい知ることはできない。完全な黒ずくめである。
そんな一団であるから、手に持つ物もまた不審な、物騒なシロモノであった。
「――クリア」
取り回しがしやすい、小型の短機関銃である。小型と言っても制式の物に比べてであって、拳銃の類よりかはずっと大きい。
それを、一団が皆持っている。そして、必要に応じて、使用している。“何に”対してかは言うまでも無いだろう。
「――クリア」
一団は、ある物を探していた。上司からの命令により、グラナダの内通者の手引きによって侵入を果たした一団。彼らの目的は、そのある物を見つけ、連れ出すこと。
前もって与えられた情報に従い、十字路や部屋など、該当する区画を一つ一つ見て回る。途中、障害となる物や、“運のない奴”を処理しながら。音は、静かだ。
やがて彼らは、目当ての物を見つける。
五つ目の部屋に、彼女はいた。
情報よりも幾らか成長した姿であったが、その容姿から一目でわかった。
ベッドから半身を起こし、恐怖の混じった目で彼らのことを見つめる少女。
恐怖だけではないのだろう。畏怖か、嫌悪か。
それは一団の者に対してか、それとも彼らの持つ鉄の塊についてか。
「……何者です」
少女が、一団に問う。幼いながらに取り乱すこともなく、気丈に。
しかし、彼らは答えない。
答えたのは、遅れて部屋に入った、おそらく男。
見た目の上では他と変わらぬその男。男は、少女の予期せぬ行動を取る。
跪き、目の前に銃を置いたのだ。そして、異形のマスクの向こうから、少女への言葉が紡がれる。
「ハマーン・カーン様ですね? 救出に参りました」
少女の、ハマーンの目が、それまでとは違う理由で、揺らいだ。
◆
「中佐、何ごとですか!?」
「わからん! 事故ならばそれでいいが、連邦の残党による襲撃かもしれん! いつでも出られるようにしておいてくれ! 俺のザクもだ!」
「はっ!」
「……大した面の皮だね」
「……褒め言葉?」
「だと思う?」
「いいや」
ウルラへと到着した冬彦は、いけしゃあしゃあと嘘をつく。
戦隊の中で、事の次第を知っているのは冬彦とアヤメ。それに車に同乗していた三人のみ。それ以上は広めるつもりは無い。
秘密作戦など、必要に応じて、極々少数の人間だけが知っておけばいいことなのだから。
「駄目だ駄目だと、明日にも死にそうだった君はどこへ行ってしまったんだろうね」
「今もちゃんとここにいるさ。それに、そう言ったことは最初に閣下から計画を伝えられたときに他のお歴々と散々言い尽くした」
「あー、何となくわかる気がするよ」
ちなみに、特に胃に深刻なダメージを食らったのは実際にグラナダまで出向く冬彦と、幕僚の仲でも参謀役として広い分野に対応しているラコックである。
「……冬彦。少し、いい?」
「何」
「僕が言ったこと、覚えているかい?」
「多すぎてどれのことだか……」
「さっきのことだよ。この作戦が本当にドズル閣下による物か、って言ったろう?」
二人がいるのは、MS格納庫である。艦首ハッチは開いていて、MSの発進準備が行われているが人はMSにかかり切りで隅にいる二人を気にもとめない。
まだ外との隔壁が開いておらず、エアロックが解除されていないため二人は軍服のままだが、周りは既にノーマルスーツを着ているために多少浮いている。
気づいていないことはないのだろうが、誰も彼も声をかけられた訳でもないのに偉い人の相手はしたくないのだろう。
気心の知れた上司と言えど、将校が二人陰気な顔をして格納庫の隅で話しているのに加わりたい者など、そうもいないであろうが。
それでもなお、盗み聞きを警戒して、小声でアヤメは問いかける。
「この計画、一見派手だが内通者がいないと絶対に成功しない。それだけの仕込みをドズル閣下ができるとは思えない」
「それは……余りに閣下を下に見過ぎじゃないか?」
「無論、幕僚の誰かが主導してパイプはつくってるだろうさ。だが、グラナダで事を起こせるほどの人員となると、流石にね」
「……何が言いたい」
「誰かに踊らされてるんじゃないかってことだよ」
「例えば?」
「ギレン総帥」
出した名に、流石に冬彦も表情が真面目な物になった。馬鹿な、と一笑にふせないのが辛いところ。
本国は総帥府に座すジオンの実質的トップ。むしろ総帥なら有りえるか……と思えてしまう不敵な人物。敵も多いが、味方も多い。
ジオン内部の勢力圏で言うと他のザビ家の面々とは規模が段違いの親衛隊を擁するのに加え、本拠地がサイド3であるという点から見てもその地位は高い。
「無いな」
しかし、冬彦はそれを無いと言い切った。
「なぜ言い切れる?」
「総帥だったら、いっそキシリア閣下を直接狙うくらいはするはずだ」
厄介なことだ、と嘆息したのはどちらだったか。どちらとも言わず、視線が泳ぐ。
壁際に固定されたザクは、茶と白で塗装されている。肩には、梟のエンブレム。
パーソナルカラーにマーク。贅沢な事だ。最初はザクⅠのシートに腰掛けただけでも充分だったのに。
ザクⅡの、専用機。背中に大きな可動部位を二つ背負った相棒は、何も答えてくれないし、助けてもくれない。
ふと、埒もないことを考える。もしもザクが“ロボット”だったら、この世界はどのように動いていくのだろう。
ロボット三原則を遵守するザク。どんなものだろう? ALICEを搭載した全自動工業用ワーカー? コロニー落としなど命令した日には一斉にボイコットでもされてしまうのか。
余りに下らない。下らなすぎて、声が漏れそうになった。
「それもそうか。わかった、この話はもういい。それで、件の“お姫様”はいつ到着するのかな?」
「ん?」
「……君は時々、人の話を聞かなくなるな。しっかりしてくれ」
すまない、と一言断って時計を確認する。
「ああ……、うん。事が始まって三十分以内には到着する手はずなんだが」
「過ぎてるけど。どうする」
「やるべき事は変わらない。時間を待って、それ以上は一度グラナダから船を出さないとっ……?」
言いかけた言葉が途切れた。原因は、身体が中に浮かぶほどの大きな揺れ。揺れ自体はすぐに収まったが、代わりに格納庫の明かりが落ちた。
「派手にやっているな。まさか動力を叩いたのか?」
「流石にそれはないだろう。それをやったらグラナダが死体で溢れる。多分、システム系か、送電ラインの途中をやったんだろう」
「それにしたってやりすぎだろう……」
外の闇に目をこらす。ウルラの開かれた艦首ハッチから漏れ出た光が、暗くなった格納庫の中の限られた範囲を道のように照らしている。
「……お出でなすった」
やがて影から現れたのは、一人の少女。
赤と言うには紫に近い髪を持ち、幼いながらも将来を期待させる優れた容姿。時間がなかったのか、格好は寝間着であろうパジャマに髪もまとめられてはいない。
そんな格好の少女が突然現れたのには周りの作業員達も驚いたのか、慌てて駆け寄っていく。
「彼女だけか?」
「そのようだ。エスコートが何人かいるかと思ったが……」
「いよいよ怪しくなってきたな。こちらには顔どころか姿も出さないか」
「しょうがないだろう。それより、行こう」
「はいはい」
言葉と共に、トンと床を蹴って前へ行く。
少女の前に降り立つと、さっと指先をこめかみの辺りに当てて敬礼を一つ。
今は民間人である少女だが、礼を失すると後が怖いことを冬彦は知っている。
「ハマーン・カーン様ですね。宇宙攻撃軍独立戦隊長、フユヒコ・ヒダカ中佐であります」
「同じく、アヤメ・イッシキ大尉であります」
「……ハマーン・カーンです」
冬彦が見たハマーンは、驚く程に覇気が無かった。
この少女を見て、誰が後のネオジオンの宰相と思うだろう。それほどに、ハマーンは幼く見えた。
「直ぐに一室用意いたします。まずはそこでお召し替えを。よろしいですね、中佐」
「ああ。頼む、大尉」
アヤメが珍しく(?)品のある口調でそう言い、追従してそれを認める。
ハマーン・カーン。
冬彦が彼女を見ている間、ハマーンは珍しい茶と白のザクを見上げていた。
「グラナダ司令部は何と言ってる?」
「待機せよの一点張りです。どうも情報が錯綜しているらしく、司令部も混乱しているようで……」
ウルラの艦橋にて、アヤメは艦長席に腰を下ろしクルーからの報告に耳を傾けていた。
冬彦は居ない。既にザクの中で待機している。
「……どうする冬彦?」
ここでヘタに時間を食って、NT研究所の襲撃とこちらの離脱を関連づけられると拙いのだ。既に出航した後ならともかく、その前に足止めを食らって臨検されると非情に拙い。
《多少の無茶はかまわん。むしろ混乱しているならやりやすい。こちらはこちらの流儀でやらせて貰おう。説得は任せていいか?》
「当然」
「艦長……?」
「通信手、管制室に繋げ。何時までも手間取ってるようなら、艦砲で隔壁を吹き飛ばして無理矢理出て行くとな」
最近ラジオ聞いてないなあ。最後に聞いたのははいつだったか……