山梨県、八十稲羽市。
かつては炭鉱で賑わったこの街も、閉鎖後はすっかりさびれてしまい、過疎化に悩む地方都市の典型のようになってしまった。特に近年、市内に全国チェーンの大型ショッピングセンターが建ったせいで、それまで街の中心だった商店街に閑古鳥が鳴くようになってしまった。そのせいか、利便性は増したものの、街全体に活気が無くなってきている。
そんな、すっかりシャッターばかりが増えた商店街を歩く女の子の姿があった。片手にお惣菜の入ったビニール袋をぶら下げて、家に帰る途中だ。
そして彼女が商店街の端の、ガソリンスタンドの前まで近付いた、その時だった。
ドオオォン、という大爆音が、商店街の外れから轟いた。
商店街に居た人は皆度肝を抜かれ、そのまま転んだり倒れたりする者も少なくなかった。そして少女も、地震の時に机の下に隠れるのと同様に、頭を抱えてその場に蹲った。
しかし―――爆発音に驚いたのは、歩行者に限った話ではなく。
ちょうどガソリンスタンド近くに差し掛かっていた乗用車のドライバーもまた、突然の轟音に驚き、はずみでハンドルを不用意に切った挙句、車の前面から視界を逸らしてしまった。
そして、ドライバーが視界を戻した時、時速数十キロを維持したままの自分の車の目の前で蹲った少女の、呆けた顔と目が合った――――――――
爆発音に続いて商店街に轟いたのは、甲高い悲鳴のような、車の急ブレーキ音だった。
「か、間一髪、間に合った…。」
横島がその光景を目にしたのは、爆発が起こった方角の直線上に少女が居たからであった。爆発に対しては慣れもあって然程驚かず、すぐに立ち直れたが、目の前で少女が車に轢かれそうになっている事には、顔が真っ青になるほど驚いた。
すぐさま駆け寄ったが、すぐに間に合わないと直感する。
そこで横島は、自身の持つ霊能力―――『文殊』を使用した。
『文殊』とは、ビー玉状に凝縮した霊力の玉に、漢字一文字分の念を込めることで、その字の効力を発動させる霊具である。字とイメージさえあれば、攻撃、防御、回復等、汎用性は非常に高い。横島はこの文殊を自己生成出来る、世界で唯一の人間なのだ。
そして今横島が込めた念は、『速』。
これを自分に使うことによって、自身の速力を超強化して一気に駆け寄り、迫る車輪から少女を救いだす事に成功した。
―――ただし。
救出直後、自分にブレーキをかけるのが間に合わず、その速度のままガソリンスタンドの前の電柱に顔面からぶつかることにはなったが。
「何年経っても…こんな役回り…。」
自動車に轢かれた方がまだマシなダメージを負いながら、それでも少女だけは無傷で、車にも電柱にも掠らせることなく助け出しているので、お手柄である事は間違いない。とはいえ、車の急ブレーキを聞いた周囲の人々が目にするのは、何故か電柱に上半身をめり込ませている奇怪な男というだけだが。
「え、えっと…お兄ちゃん、大丈夫…?」
救出された少女が、お礼よりまず先に横島の具合を気遣った。まあ、目の前に電柱に頭から突っ込んでいる人間を見て、心配しない人間など居ないだろう。
「ん?ああ、俺は大丈夫だよ。よっ、と…。」
少女の声を聞いた横島は、とりあえずめり込んだままの自分の身体を電柱から引っこ抜いた。普通なら顔面骨折の大怪我だろうが、額から少し血が出ている程度で済んでいる。もちろん横島が異常なだけである。
「よし、お嬢ちゃんも大丈夫みてーだな。ふー、ヒヤヒヤした。ったく危ねーなー。」
そう言って額の血を拭いながら、車の中で茫然自失としたままの運転手の方に歩いて向かっていく。その後ろ姿を見て、ようやく少女は、自分が九死に一生を得たことを思い出し、実感した。
「あっ、あの…ありがとうございました!!あの…その…えっ、と…。」
しどろもどろになりながら感謝の言葉を探す少女に、横島は立ち止まり、人懐っこい笑顔を浮かべながら、少女の目線と合うようにしゃがみこんだ。
「お嬢ちゃん、名前は何て言うんだ?」
「え、えっと…堂島菜々子、です…。」
いい名前だな、と褒めながら、わしゃわしゃと頭を撫でる。
「きっとな、菜々子ちゃんが将来美人になるから、神様が助けろって俺に囁いてくれたんだよ。だからお礼言うなら神様に言うといいぞ。」
「え?神様が、菜々子を助けてくれたの?」
「そや。神様は美女には滅法弱いからな。可愛い女の子は優先的に助けてくれるんや。俺はその手伝いをしただけなんだよ。だから、これからも病気やけがに気を付けて、すくすくとボンキュッボンの美女に育つといいぞー。神様はそういう女の子を、一生見守っててくれるからな。」
横島は最後にぽんぽんと頭を優しく叩いて、傍の路上に置かれた惣菜入りのビニール袋を握らせた。
「ホラ、怪我はしてないか?もし後から痛くなったら病院に行くんだぞ?それとコレ、あの車のナンバー―――必要ねーかな。こんだけ人目に触れてりゃ逃げ場も無いし。けどまあ、多分後から救急車かパトカー来ると思うから、その人にその紙渡しときな。」
運転手がバックレた時のためのナンバープレートの控えを、いつの間にか用意していたらしい。状況を鑑みるに不要そうだが、一応少女のポケットに入れておいた。
「さて、トンズラしないとな。警察にあれこれ聞かれるのも嫌やし。」
警察経由で百合子にバレないとも限らない。少女を助けたなんて記事が出回れば確実にバレる。騒ぎを見つけ聞き付け人も集まって来たし、後は彼らが適当に処理しておいてくれるだろう。なので、さっさとこの場を立ち去ることにした。
「じゃーな、菜々子ちゃん。10年後に期待してるぜー!」
菜々子が引き止めるよりも早く、横島は駆け出していた。
その後菜々子は、騒ぎを聞き付けた近所の人が立ち上がるのに手を貸してくれるまで、去っていったその背中と笑顔を焼き付け続けているかのように、ぼーっと横島の逃げていった方角を見ているだけだった。
――――その頬を、桃のようにほんのり桜色に染めたままで。
ところで、先ほどの爆発が一体何であったのかというと。
商店街近くにある古びたアパートで小火が起こり、それが運悪くアパート裏のプロパンガスのボンベに引火してしまったのである。アパートは全焼してしまったが、幸い怪我人は居なかった。というのも、このアパート唯一の入居者が不在だった―――というか、今日から入居する予定で、まだ到着していなかったからであった。
その、今日から世話になるはずだった、唯一の入居者というのが。
「何でやぁーーーーーーーーーーーーーっっっ!!!!???」
何を隠そう、横島忠夫だったのである。
そんなわけで横島は、八十稲羽到着一日目にして、生活の拠点を失ってしまったのであった。
夜、八十稲羽の鮫川河川敷に、一人の男の啜り泣く声がこだましていた。
「ヂグジョー…何で来て早々こんな目に合うんや…。ワイが何をしたって言うんや…。」
行き場を失くした横島は、河川敷のブロックの上に座り込み、一人己が不幸を嘆いていた。
荷物自体はまだ届いていなかったため無事だったが、代わりの住居がすぐに見つかるはずもなく、一度東京の美神事務所に戻ろうにも、手持ちの現金は尽きており、家賃を支払ってくれる手筈になっていた両親にも、アパートの大家にも電話する術は無い。正しく八方ふさがりだった。
別に野宿する事には慣れているので苦は無いが、このまま新住居が見つからないとなれば最悪だ。これから八十稲羽で過ごす一年余りを、段ボールに身を包んで橋の下で寝泊まりする事になりかねない。
「ふううう、寒っ…。とりあえず、今晩だけでも寝れるトコ探さなきゃな…。」
4月とはいえまだまだ冷える。どうにか凍えて死なないような場所を見つけるため、とりあえず歩き出した。
「っと、その前に文殊作っておくか。」
しかし、数歩歩きだした所で足を止め、もう一度その場に腰掛けた。
横島は文殊を作り出せる世界で唯一の人間であるが、好き勝手にホイホイと作り出せるわけではない。およそ2~3日に1個が限度だ。その代わり、作った文殊は横島の意識下にストックする事が出来、好きな時に取り出し、使える。なので、作れる時は必ず作ってストックしておかねばならない。
「―――――って、あれ?」
しかし、上手くいかない。
いつも通りの手順で、いつも通りに霊力を込め、凝縮させているはずなのに、何も起こらない。というか、霊力が集束しない。何度やってもやり直しても、一向に文殊を形作る事が出来ないのである。
「で、でも昼間は使えたよな…?いや、アレは元からストックしてあったヤツだから使えたのか…?」
試しにストックしてある文殊を出してみると、すぐに出てきた。
つまり、ストックしてある文殊は問題なく使えるが、文殊を一から作る事が出来なくなっている、ということだ。
「こ、これ…かなーりマズイんとちゃうか…?」
横島の額から冷や汗がたらりと流れ落ちる。今ストックしてある文殊の数は3個。文殊を作れないという事は、今後この3つでどうにかしていかなくてはならない、という事で。
「そんなん無理やーーーーーーーー!!不可能やーーーーーーーーーー!!文殊ナシのワイなんて、鉄砕牙の無い犬○叉か、ハ○テもマ○アもおらん三○院ナギやないかーーーーー!!美神さんに捨てられるーーーーー!!GS免許も無くなってまうーーーーー!!ワイに死ねと言うんかドチクショーーーーーーー!!」
夜空に響き渡る横島の絶叫に、川魚たちまでもが驚き、水しぶきをたてながら逃げていく。横島にとってはアイデンティティ喪失の危機であるらしい。
そしてしばらく、神様のバカヤロー、デタント崩壊しちまえー、と天に向けて恨み節を叫び続けていた時だった。
「ちょ、ちょ、ちょっとそこの君!そこで何をしてるんだ!け、警察だぞ、お、大人しくしろ、してくれ!」
警察、という言葉にハッとした横島が振り向くと、若いスーツ姿の男が居た。おそらく、河川敷に挙動不審な男が居る、と近所の人に通報されたのだろう。
しかし、そんな怯え半分の警告など、マイナス方向にテンションの上がっている今の横島にとっては、火に油を注ぐだけでしかない。
「何やー!国家権力がこれ以上ワイから何を奪おうっちゅうんやーーー!!チクショー、せめて婦警さん呼んできやがれーーー!!男なんてお呼びやないわーーーー!!」
ますますヒートアップしていく男の不気味さに、若い警官の恐怖心は募るばかりだ。
「ひっ、な、何なんだコイツ…!?これだから田舎は―――って、アレ?赤いバンダナ?」
が、横島が頭に巻く赤いバンダナに目がいった途端、ある事を思い出した。躊躇しながらも、今度は川に向かって咆哮し始めた横島に近付いていく。
「あ、あの…君?」
「あーもうこのさい逮捕でも何でもエエから、せめて俺に今晩の宿を!それと電話を!後可愛い婦警さんをォーーーーー!!」
「ひっ!?あ、えっと、いやその…!き、君、昼間商店街で、女の子を助けたりしなかった!?」
滂沱の涙を流しながら掴みかかって来た不審者に心底怯えきりながらも、何とか話を切り出す。
「え?あ、ああ…。菜々子ちゃんって子が車に轢かれそうになったから、助けたけれど…。あ、その場から逃げたのは別にやましい所があった訳じゃなくてッスね!?」
そして横島も、昼間の救出を持ち出された事で、正気を取り戻した。というか別の意味で慌てた。警官も横島が(まともに会話が出来る程度に)普通になってくれた事に安堵しながら、掴みかかられたスーツの襟を正す。
「実はその菜々子ちゃん、ボクの先輩の娘さんでね。ぜひお礼を言いたいってことだから、ちょっと付いてきてくんないかな?菜々子ちゃんももう一度会いたいって言ってるし。」
「え?あー…とりあえず、今晩警察署内でいいんで、泊めてくれるんなら。後電話も貸してほしいッス。」
「え、泊める?うーん…まぁいいか。じゃあ一緒に来て。ここからなら、本人の自宅の方が近いから。」
警官の先導の下、横島は歩き出す。
「にしても君、こんな時間にあんな場所で何してたの?どう見ても不審者だよ?」
「あー、えーっと…。行き場を失くしたというか、二進も三進も行かなくなったというか…。ところで、菜々子ちゃん怪我とか無かったッスか?」
「うん、君のおかげで全くの無傷。堂島さんのあんなに慌てた姿も、安心して力が抜ける姿も初めて見たなぁ。あ、堂島さんって、菜々子ちゃんのお父さんで、僕の先輩ね。どうやって助けたの?」
「そっか、そりゃーよかった。あん時は無我夢中だったから、よく覚えてねーッス。」
「ふーん。にしても、立ち去らなくてよかったのに。フツーに英雄だよ君?新聞にも載ったんじゃないかな、『身を呈して少女を助けたヒーロー!』って。」
「あー…あんまりそういう扱いって、好きじゃないんで。」
「ハハハ、意外と謙虚な人なんだね。」
訳の分からない雄叫びをあげていた時とは打って変わって、普通に受け答えの出来るまともな人間であると感じたのか、警官は先を歩きながら積極的に話しかけてきた。そうして会話を続けながらしばらくして、目的地と思われる家の前に辿り着いた。
「今晩はー。堂島さーん、昼間菜々子ちゃんを助けてくれたっていう青年、お連れしましたー。」
玄関を開けながらそう声をかけた所、いの一番に駆け寄って来たのは、昼間横島が助けた少女―――菜々子だった。
「あ!あの時のお兄ちゃん!!」
「よーっす菜々子ちゃんこんばんは。半日ぶりやな。」
横島がしゃがんで菜々子の頭を撫でる。菜々子が嬉しそうな笑顔を見せていると、その後ろに壮年の男が現れた。
「アンタが昼間菜々子を助けてくれた人か?」
「あ、ハイ、そうッス。ちょうどガソリンスタンドの所で…。」
「そうか…。俺は菜々子の父親で、堂島遼太郎という。会えて良かった。改めてお礼を言わせてくれ。本当に、本当にありがとう。」
そう言って堂島遼太郎は深々と頭を下げた。
「い、いやいいッスよそんな!」
改まって心からお礼を言われる事などほとんど無いので、かえって横島の方が恐縮してしまっていた。堂島はなおも頭を下げ続けたままだ。
「その…アンタがよかったら、これから飯をご馳走させてくれ。このくらいしかアンタに恩を返してやれる方法が見つからなくて、申し訳ない限りだが…。」
「だ、だからいいですって!菜々子ちゃんが元気なら、俺はそれで十分っつーか…。」
「まあまあ、ご馳走になっておきなよ。堂島さん、君の事本当に有り難がってたからさ。君が受け取ってくれないと、堂島さんも心苦しいだろうし…。」
「足立!バカな口出ししてんじゃねえ!」
足立と呼ばれた警官の余計なフォローを、堂島が怒鳴って諌める。横島はその迫力に足立とそろって尻ごみするも、横島の足元にくっついたままの菜々子の見上げる視線を真っ直ぐに受けることになり、さすがに遠慮しようと思っていた横島の心が大きく揺らいだ。
「あー…じゃあ…折角なんで、ご馳走になります。晩飯食ってないですし。ありがとうございます。」
「そうか、こちらこそありがとう。ホラ菜々子、支度しろ。…しょうがねえ。足立、お前も付いてこい。」
「え、いいんですか!?ありがとうございます堂島さん!」
「やったー!お兄ちゃんとゴハンー!」
菜々子は喜びを全身で表現しながら、一目散に奥へと駆け出していった。その後ろ姿を見送ってから、堂島は横島に向き直る。
「悪いがここで少し待っていてくれ。俺も支度してくる。足立、お前は先に車に入ってヒーター付けとけ。」
「了解ッス。」
堂島は車のキーを足立に投げ渡し、自分も奥へ入っていった。
「んー…まさかここまで感謝されるとはなー…。何かムズムズする…。」
堂島親子のあまりの歓迎っぷりに、さすがの横島も居心地悪く感じてきた。かといってここまでされて無碍にする事も出来ず、戸惑いは増すばかりだ。
すると、そんな横島の呟きを耳に入れた足立が、玄関を開ける手を止めて横島の方に向き直った。
「いやそりゃ、堂島さんにしてみれば、君は神様仏様以上に崇め奉りたい人だと思うよ?だってね、あ、これホントはナイショなんだけど―――」
そう言って口元を手で隠し、声のトーンを落とす。
「―――――堂島さん、奥さんを交通事故で亡くしてるんだよ。」
―――一時間後、堂島親子と横島は、菜々子が事故に遭いかけたガソリンスタンドに来ていた。
とはいっても、別に事故の現場を見に来た訳ではなく、食事を終え、足立を帰した後、乗ってきた車のガソリンが切れかけていたので立ち寄っただけだ。
「らっしゃーせー!」
「閉店間際に悪いな。レギュラー満タンで。それと、トイレは向こうだったよな。使うぞ。」
「ハイ、どうぞー!」
「あ、菜々子も!お兄ちゃんは?」
「いや、ワイは別に。」
そう断りを入れてトイレに立つ堂島親子を見送り、給油中の車を尻目にボーっと星空を眺める。
食事に行く前に足立から聞いた話―――菜々子の母が轢き逃げに遭って亡くなっている―――を聞いて以来、横島の頭の中には、何かモヤモヤしたものが蠢き続けていた。嬉しいような、悲しいような、叫びたいような、叩きつけたいような、ともかく言葉にも行動にも表し難い感情だった。
「あ、あのー…失礼ですけれど、横島忠夫さんッスか?」
半分呆けていた所に、突然後ろから声をかけられ、横島は思わず身を竦ませた。素早く振り向いた先に居たのは、自分たちの応対をするガソリンスタンドの店員だ。
「あ、あー…。そうッスけど…。」
「やっぱり!あの大戦の!いやーまさかこんな所でこんな有名人に会えるなんてなー!!すげー!!」
店員が興奮した様子で両手を差し出してくる。握手を求めているらしい。戸惑い、あまり気持ちの良くない複雑な感情を抱きながらも、おずおずと差し出された両手を握った。
その直後。
「「痛っ―――――!?」」
二人の手が繋がった瞬間、火花が弾けたかのような衝撃が駆け抜け、二人同時に勢いよく手を引いた。
「あ、アハハ。何だったんすかね。静電気ですかね。」
「あ、ああ…そうやと思うけど。」
横島は未だに痛みの残る手を擦って、頭では静電気なんかじゃないと理解しつつ、曖昧な同意を返しておいた。しかし、何があったのかを落ち着いて考え直すよりも早く、堂島が戻ってきた。
「ん…?どうしたんだお前たち。何かあったのか?」
「い、いえ、何でも…。あ、もうすぐ入れ終わりますんで!」
店員は横島たちに一礼を返してから、そそくさと給油口の方へ走り寄っていく。堂島は横島が痛そうに片手を擦っているのを発見したが、詳しく聞きはしなかった。
「菜々子はもう少しかかりそうだ。…その間、少し話しないか?」
そう言って堂島は道路側に出て、横島に隣に来るよう促した。
「…菜々子の母親…千里はな、亡くなってるんだ。数年前に、轢き逃げに遭ってな…。」
星空を眺めながら、隣に立つ横島にそう語り始める。もちろん、知っている、などとは口が裂けても言えない。横島は内心の動揺を悟られぬよう、首肯だけを返して先を促した。
「菜々子が事故に遭いそうになったと聞いて…。その後、菜々子の顔を見るまでの記憶が、すっぽり抜け落ちちまってる。無事だって最初に聞いたはずなのに、完全に放心しちまったんだ。菜々子の顔を見て、駆け寄って、抱きしめて、体温を感じて…全身から力が抜けて、立ち上がれなかったよ。気付いたら泣いてて、菜々子ももらい泣きしてた。」
苦笑気味に語る堂島に、横島はただただ神妙に耳を傾けることしか出来なかった。妻を事故で亡くし、そして唯一残された一人娘まで失いかけたのだ。堂島の心境は如何ほどのものだったか、その底知れぬ深さに、横島は想像だけで身震いしてしまった。
そして同時に、堂島親子がどれ程自分に感謝しているのかも、痛感したのだった。
「横島、アンタには…それこそ一生涯、お礼をし続けても足りないくらいだ。恥ずかしい話、俺はずっと、家族の事から逃げ続けてきた。千里を殺した犯人を追うなんて言って、菜々子を省みようとしなかったんだ。菜々子が誰よりも寂しい思いをしていたはずなのに、家族としての愛情を注げるのは、俺だけしか居なかったってのに…。」
「…まだ間に合いますよ。今日から始めりゃいいんです。」
堂島の懺悔するような沈痛な声に、横島が思わず口を挟んだ。尤も、心中では『もっと気の利いた事言えんのかワイのアホー!!』と自分の口下手っぷりを責めていたのだが。
そして堂島が黙りこみ、横島もこれ以上どう声をかけたらいいか分からず、二人の間に沈黙が流れた。
「そ…そろそろ菜々子ちゃん戻ってくるんじゃないッスかね!?つーか足立さん、ちゃんと泊まれる場所確保しといてくれたんかなー!?」
「いや―――してないはずだ。というか、俺がさせていない。」
お茶を濁そうとした発言への堂島の返答に、横島はへ?と間抜けな声を出しながら硬直する。
「今晩はウチに泊まっていけ。いや―――――」
そして堂島は横島に向き直り、小さく微笑みを浮かべた。
「さっき食事の場で事情は聞かせてもらった。菜々子が事故に遭いそうになった原因の爆発音ってのも、お前さんが住むはずだったアパートの爆音だし…何やら因果めいた話だな。
まぁ、俺はそんなモン信じてないが…縁の一つではあるだろう。
お前さんさえ良かったら、しばらく俺と菜々子の家に来ないか?きっと菜々子も喜ぶ。」
今度は横島が黙り込んでしまう番だった。
恩、感謝、遠慮、自分自身など、様々な言葉や概念が横島の脳内で駆け巡り、ぶつかり合い、ごちゃ混ぜになりながら、散々唸った末に――――
「…俺で、良ければ。」
それは、大凡横島忠夫という男には似つかわしくないほどの、控えめな了承だった。
堂島はにっこりと笑みを深くし、横島に歩み寄って、その両手を握った。
「ようこそ、堂島家へ。」
そして横島は、自分の中で蠢いていた謎の感情の正体に気付く。
これまでGS見習いとして、働き、戦う中で、多かれ少なかれ感謝はされてきたが、それは主に雇い主である美神に行くもので、自分に向けられる部分はほんのわずかだった。まあ大概横島自身があまり褒められた行動をしなかった事にも原因はあるが、それを抜きにしても、心から感謝された経験というのは少ない。
しかし今、堂島菜々子の命を救い、それが堂島遼太郎の心をも救った。
自分の力で、誰かを救えた。
今、横島の胸を震わせているのは、横島忠夫という自分自身への価値を見出した事への、爆発しそうなほどの達成感と安堵だった。
「―――ウス!こちらこそ、よろしくお願いします!!」
快哉を挙げるような返答。
ちょうど菜々子がトイレから出てきた所だった。
横島と堂島は、二人並んで菜々子のもとに歩いていく。
そして横島は心の中で――――ゴーストスイーパーになりたいと、誰かを救える男になりたいと、本気で思うようになった。
―――――ここは夢の中だ。
―――――理由は無い。けれど確信出来る。
『ようこそ、ベルベットルームへ。』
―――――老人だ。
―――――小柄な体躯。
―――――異様に長い鼻。
―――――瞼が無くなってしまったかのように見開かれた目。
―――――人間というよりは悪魔に近い。
『貴方のお名前は存じております。私の名はイゴール。貴方にお会い出来る日を、幾年も待っておりました。』
―――――しかし、敵ではない。敵意は無い。自分にも無い。
『ここは夢と現実、精神と物質の狭間にある場所…。ご心配めさるな。現実の貴方は、眠りについていらっしゃる。』
―――――ここは何処だろう。
―――――周囲を見渡そうとする。
―――――しかし、視界は老人を中心に捉えたまま動かない。
―――――分かるのは、ここがリムジンのような車の中ということだけ。
『しかし、こうして相見えますのは初めてでございますが…フフ、本当に、変わった定めをお持ちですな。』
―――――イゴールの前の机に、数枚のカードが現れる。
―――――イゴールが手をかざすと、その中の2枚がめくられ、表になった。
『貴方は近く、大きな“災難”を被られる。そして、明暗分かたれた“岐路”が見えます。』
―――――心が不気味にざわめく。声を出そうとしたが、出ない。
『今年、貴方の運命は節目にある。その岐路の先が開けたものとなるか、閉ざされたものとなるかは、全て貴方次第。私に出来る事は、ほとんど御座いません。』
―――――自らを役立たずだと自称しながらも、イゴールの不気味な笑みは一片も崩れない。
『しかし私は、永き年月を経て貴方に引かれ、呼ばれた身。貴方の歩く道程において、何らかの手助けをするために、ここで巡り合ったので御座いましょう。尤も、その役割が何であるのか、今の所皆目見当も付きませんが…。』
―――――視界が広くなっていく。
―――――否、自分とイゴールとの距離が急速に離れていっている。
『それでは、私の役目が訪れるその日まで、御機嫌よう――――――』
―――――視界に映るイゴールは、最早米粒ほどの大きさでしかない。
―――――聞こえる声も遠ざかっていく。
―――――そして最後に聞こえたのは。
『―――――“ ”殿』
―――――少なくともそれは。
―――――自分のものではない名前だった。
お待たせしました、第2話です。
今回は後書きの前に、読者の皆様方に伝えなければならない事があります。
当作品において、原作の“主人公”たる番長(鳴上悠、瀬多総司)は出演いたしません。
そのポジションに居るのが横島です。
番長の登場を楽しみにしていた方、大変申し訳ありません。
理由といたしましては、番長が補完的役割というか、メアリー・スー的立ち位置になってしまいやすいからです。都合良く物事を運ばせるための原作主人公を書くのは嫌でした。
改めて、申し訳ありません。
さて、本編の方ですが、とりあえず伏線ばら撒き回です。
イゴールとのやりとりは、原作を踏襲しつつだいぶ違う物にしました。正直イゴールさんの出番は終盤までほとんどありません。マーガレットさんは出します、多分。というか横島が居るんだったら、女性キャラはとことん出さないと。
そして横島の代名詞たる文殊。使用制限かけました。これもまたご都合主義を発動させやすいですし。とはいえ実は完全に作り出せなくなった訳ではありませんが。使える数の上限を設定しただけです。
そして横島は堂島家に居候です。すでに正義&法王コミュが7以上行ってる?気にしない気にしない。性犯罪常習犯の横島が警察と一緒に暮らしてる事も気にしない。
今現在、会社から毎月進捗報告の提出を求められている状況なので、それと同時並行で少しずつ書くしか無く、ペースはかなり遅いです。なので、早速お気に入り登録して下さった方々には申し訳ないですが、気長に待っていただければ、と…。
次回はようやく八十神高校入学、そして第一の事件です。それではまた次回!