Cannon†Girls   作:黒鉄大和

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第12話 妹を想う姉の怒りの鉄槌

 怒り狂う怒号(バインドボイス)にレンは一瞬動きを封じられた。耳を塞ぎ、内から沸き起こる恐怖に身を固めてしまう。どんな熟練のハンターであっても、生物である限り本能からの恐怖には決して逆らえない。

 耳を塞ぎながら苦しげな表情を浮かべながらも、決して視界からリオレイアの姿を見失わない。必死になって体を強張らせる恐怖を追い出そうと、心を奮い立たせる。そして、リオレイアが動き出す一瞬前に体の自由を取り戻し、勘を頼りに横へ飛び出す。

 刹那、自分のいた周囲諸共吹き飛ばすようにリオレイアの三連ブレスが爆ぜた。その爆風にレンは吹き飛ばされて地面を二度三度転がるが、すぐにその勢いを利用してフラつきながらも起き上がる。ハッとなって振り返ると、リオレイアはすでにこちらに向き直って怒号と共に突進を開始していた。

 迫り来る死へと導きし竜。しかもレンがいる場所はエリア中央部にある岩と壁際の岩に囲まれた左右に逃げ道のない場所。今から反対に走っても、ひき殺されるだけだ。

 死への恐怖に身を震わせながらも、レンの鋭い眼光は一瞬の隙を見逃さなかった。

 突進して来るリオレイアに、武器を背負ってあえて真正面から突進。剣士の防御力もなければ身を守る盾もない。そんな状態でリオレイアの突進を受ければ、命はない。でも、逃げても命はない。ならば、賭けてみる価値はある――いや、賭けではなく、これは確信だ。

 リオレイアの顔が眼前にまで迫った瞬間、レンは身を捩って頭部を回避。しかしすぐに胴体が襲い掛かる。レンはすぐにその一瞬の隙、リオレイアの脚の間へと飛び込んだ。幅にして自分の身長よりも狭く、高さも十分では決してない。そんな小さな出口に向かって、レンは全力で突っ込む。

 すぐそばを、大木のようなリオレイアの脚が通り過ぎる事に恐怖しながら――レンは地面に転がった。

 無理な体勢で地面に突っ込んだ為体には痛みが走る。しかし、おかげでリオレイアの突進は避ける事ができた。すぐ近くに薬草の花が揺れている。その向こうでは、突進に失敗しながらも身を止める術なく壁に激突して一瞬苦しげな声を漏らすリオレイア。

 レンはすぐにこの狭い場所から逃げるようにしてエリアの中央部へと避難する。だが、エリア4は十分に広いとは決して言えない。リオレイアを相手にするにはあまりに狭過ぎる。

 レンは背中に戻していたティーガーを構え、すぐに弾を装填する。防具が貧弱な今、この武器だけが自分を守る唯一のもの。そして、今までもずっと自分と一緒に戦って来てくれたもう一人の相棒だ。

「ティーガー……、また私に力を貸してね……」

 日の光を浴びて煌く銃身を見てレンはそっと微笑むと、こちらに向き直るリオレイアを見詰める。リオレイアは低く唸りながらレンを睨み付けると、狙いを定めて単発の遠距離ブレスを放った。その射程距離はレンとの距離を物ともしない。

 迫り来る炎の塊にレンは横へ転がるようにして回避した。すぐそばを数百度の熱源が通り過ぎる瞬間、肌を焼くような熱さが頬をかする。あれの直撃を受ければエリーゼの防具でも大ダメージは必至。自分の貧弱な防具では一撃で爆殺される。

 冷や汗を流しながら横へと逃げたレン。しかしそこへリオレイアが突進を仕掛ける。距離があった為にレンはすぐに起き上がって横に走って回避する。目的を失った巨体はすぐに止まる事はできず自らのその巨体を投げ出すようにして急停止。もしもあの下敷きになっていたら、それでも即死していたに違いない。

 まさに、体中全てが凶器と言っても過言ではない。それも、全てが一撃で即死する常識外れな威力を持つ武器だ。そう思うと冷や汗が止まらないし、心臓が痛いくらいに軋む。

 だが、これは絶好のチャンス。リオレイアがこちらに背を向けている間に、レンはすぐに装填してあった通常弾LV2を撃ち込む。ビシッビシッと弾が命中するが、その威力は決して大きくはない。一撃一撃なんて、それこそ微々たるものでしかない。ガンナーの攻撃は、こんな微々たる攻撃の積み重ね。大剣のような派手さも、ハンマーのような豪快さ、ガンランスのような迫力もない地味な波状攻撃。

 だが、どんな武器よりもより正確さと状況判断能力、臨機応変さが求められる奥の深い武器でもある。

 装填していた全弾を発射し終える頃には、リオレイアはゆっくりと起き上がり――ゆっくりと振り向いた。その動作を見て、以前知り合ったリオレイアに関しては抜群の知識を持つ同じガンナーの友人の助言を思い出す。

 ――リオレイアはゆっくり振り向いた後は、ブレス攻撃をするわ。それは脅威でもあるけど、同時に大きな隙でもあるの――

 レンはそんな友人の助言を信じ――突進して一気に距離を詰める。

 振り向いたリオレイアは首を上げてブレスを撃つ構えを見せた。レンの判断は見事に的中し、彼女は迂回するようにリオレイアの単発、及び三連ブレスの範囲外から接近する。

 爆音と共に撃ち出されたのは三発。これは大きな隙だ。レンは弾の威力の事も考えて距離を詰めてがら空きの胴体に向かって新たに装填した弾を撃ち放つ。それらは全て命中するが、リオレイアは何事もなかったかのようにこちらへ向き直ると至近距離から突進を仕掛ける。レンはとっさに横へ身を投げ出すようにして何とか回避する。だが、リオレイアは突然レンの前で急停止した。驚くレンが振り返った時、リオレイアはまるで力を溜めるようにして二歩ほど後ろへと下がった。その動作にレンは慌てて身を起こすと四足歩行で急いでその場から離脱する。

 刹那、リオレイアが宙を回った。比喩ではなく、あの巨体が本当に縦回転したのだ。まるで尻尾をハンマーのように振るい、一瞬前までレンがいた場所を猛烈な勢いで空振りし、再び正面を向いたリオレイアは憎々しげにレンを睨みつけ、ズズゥン……と重々しい音と共に地面に着地した。

 サマーソルト。リオレイア最強の一撃必殺の奥義。その威力は強靭な防御力を有する防具でも一撃で粉砕すると言われ、何とか耐え抜いても突き刺さった針から猛毒が流し込まれて体力を失った体にとどめを刺す凶悪過ぎる必殺技だ。あんなの、毒以前にレンの防具なら一撃で粉砕されて巨大な針はこの身を貫くに違いない。絶対に、触れる事も許されない脅威だ。

 地面に転がるようにして何とか回避したレンはすぐに立ち上がり、リオレイアの前面から退避する。リオレイアだけではなく全ての飛竜は攻撃のほぼ全てを正面へと向けている。つまり、無防備に飛竜の正面に立つ事は自殺行為に等しい。エリーゼのガンランスのような強力な盾があれば話は別だが、防具もなく貧弱な防具を纏ったレンでは決して前に立ってはならないのだ。

 その証拠に、レンが逃げた直後リオレイアは三連ブレスを放って自らの前方を焼き尽くした。一瞬反応が遅れていたら、あの炎に身を焼かれていたかもしれない。

 比喩ではなく、リオレイアの一撃一撃は全て死へと直結している。今まで全ての攻撃を紙一重で回避してきたレンだが、紙一重と言うのは精神的にも肉体的にも疲労が大きく、すでにレンの息は苦しげに荒れている。

 さっきから逃げ回ってばかり。まともに攻撃も当てていない事実に、レンは苦しげに唇を噛んだ。

 それは当然の事だろう。自分のようなルーククラスにやっと昇格したばかりの雑魚ハンターが、全ての生態系の頂点に君臨するような最強クラスの飛竜、雌火竜リオレイアを相手にまともに戦う事なんて不可能なのだ。そもそも、リオレイアと対峙して今まだこうして生き残っているだけ、ある意味では奇跡なのかもしれない。

 だが、例えそうだとしても逃げ回っているだけではいけない。ここまで逃げられているのは、エリーゼとの修行の日々で培った体力や感覚、技術などがあってこその事。だが、その修行で彼女に教わったものはただこうして逃げ回る為だけのものではない。

 ――ハンターとして、モンスターと戦う為のものだ。

 もう、この体は自分一人のものではない。この身に宿る炎は、エリーゼから受け継がれた負けず嫌いの炎。自分が許しても、こんな情けない姿はエリーゼは絶対に許さない。

 ――例え相手がどんな強敵でも食い下がるのよッ! 血反吐吐こうが腕が折れようが、せめて一撃でも入れてやりなさいッ! そして相手の驚愕する顔を見てこう嘲笑するのよッ!――

「……大した事、ないですね」

 そう言って、レンは笑った。

 全身打撲や擦り傷で痛むし、呼吸は荒れて肺は苦しく、足は痛くてそう長くは持たない。でも、大した事ないのだ。

 こんなの、エリーゼとの苦しい修行の日々に比べれば――大した事などないッ!

「グオオオオオォォォォォッ!」

 まるでレンの挑発に乗るかのように、リオレイアは突如怒号を上げて突進して来た。殺気を漲らせ、自身のその巨体を武器にして突撃して来るリオレイア。だが、それでもレンは逃げる事などしない。なぜなら……

 ――風が、吹き抜けた。

 レザーライトヘルムから流れる紺色の髪が風に柔らかに揺れる。

 スッと上げられた顔。レザーライトヘルムの鍔に隠れていた瞳が、その瞬間露になった。まるでエリーゼの瞳。勇気に満ちて、でも冷静で、鋭く輝く意思の光。

 今なら、断言できる。

 ――レンは、エリーゼの妹だ。

「喰らいやがれですぅッ!」

 迫り来るリオレイアに向かって、エリーゼはティーガーの引き金を引いた。銃声と共に撃ち出された貫通弾LV3は猛烈な勢いで、同じく猛烈な勢いで突進して来るリオレイアの体を貫く。強固な鱗をも撃ち抜くその一撃にリオレイアは悲鳴を上げて急停止した。弾が貫いた所からは血が流れ出し、リオレイアの深緑の鱗や甲殻を朱色に染めていく。

 苦しげに低く唸って目の前の敵を睨み付けるリオレイア。今まで、レン単身では大した事のないと思っていたのだろう。それが、まさかの強烈な反撃を受けて困惑しているのだ。

 ――そうだ。その表情だ。

 レンは満足げにうなずくと、レザーライトヘルムを深く被ってリオレイアを見据えながら嘲笑する。

「大した事、ないですね」

 

 炎が爆ぜ、岩が砕けて礫(つぶて)となって襲い掛かる。頬が切れて血が滲(にじ)む。それでもフラフラの足は決して止めず、ひたすらに走り続ける。

 背後からは、怒り狂ったリオレイアが口から黒煙を噴かせながら猛烈な勢いで突進して来る。その速度は、通常時よりもずっと速い。怒り状態となったリオレイアの、本気の突撃であった。

 レンは殺されると恐怖しながらも、冷静に目測で距離を測って絶妙なタイミングで横へと飛んだ。目標を見失ったリオレイアだが、簡単に止まる事はできずに岩壁に激突する。岩は砕け、リオレイアもそれなりのダメージは受けただろう。だが、まるでそんなダメージなど気にもしないと言いたげにリオレイアは起き上がると、逃げたレンを血走った瞳で睨み付ける。

 ゾクッ……と背筋が凍りつく。リオレイアの本気の殺気に、レンの体は恐怖に震え出す。だが、そんな震えを気合で相殺し、恐怖を追い出す。今は、恐怖に震えている暇などないのだ。

 勇気を奮い立たせ、レンは通常弾LV3を二発撃ち込み、すぐさまリオレイアの正面から退避するように横へと翔ける。その背後を、爆音を響かせながらブレスが通り過ぎた。

 岩陰に隠れ、そこから再び二発撃ち込み、すぐさま移動する。直後、レンが一瞬前までいた所にリオレイアが突撃し、岩の一部を粉砕した。

 すでにレンとリオレイアの死闘は二〇分近くも続いている。しかも数分前にはリオレイアが怒り状態へと突入し、レンの不利は益々拍車が掛かってしまった。しかし、それでもレンは驚くべき結果を残している。

 逃げ回るリオレイアは、頭の鱗などが剥がれて血を滲ませている。両翼に生えた爪も砕け、その姿は最初に会った時よりもずいぶんとみすぼらしいものとなっていた。これも全て、レンの地道な攻撃が形となったものだ。

 だが、レン自身も相当なダメージを受けていた。リオレイアの猛烈な反撃に転んだり爆風に吹き飛ばされたりし、体中傷だらけ。レザーライトメイルの左肩の部分の装甲も壊れ、そこからは血に濡れた素肌が露になっている。

 体中傷だらけで、肺は乾燥して呼吸をするたびに痛み、心臓は苦しく、足は鉛のように重い。すでにレンは自身の限界をとっくに超えていた。

 リオレイアはまだ余裕があるのに対し、レンはすでに満身創痍という状態。どちらが不利かなど、一目瞭然だ。

 砕いた岩を振り払うように勢い良く起き上がるリオレイアをレンはズキッと痛む左肩を押さえながら見詰める。

「はぁ……はぁ……はぁ……」

 口の中も切っている為、口の中は鉄の味で一杯だ。

 いつもは使い慣れているはずのティーガーが、今はまるでハンマーを持っているかのように重い。

 これ以上の戦闘は無理。そんな事彼女自身が一番よく知っていた。

 こちらに向くリオレイアを見詰め、レンは再び横へと走る。だがフラフラの足ではうまく走れず、轟音を立てながら炸裂する三連ブレスの爆風に吹き飛ばされてしまう。悲鳴を上げる力もなく、ゴロゴロと転がるレン。そこへリオレイアは突撃を仕掛ける。

「くぅ……ッ!」

 レンは何とか起き上がると、再び必死に走ってリオレイアから逃げる。リオレイアはレンの目の前で急停止すると、渾身のサマーソルトを炸裂。しかしレンは間一髪の所でリオレイアの正面から逃げていたので回避できた。着地と同時に再びサマーソルトを放つリオレイアだが、すでにその時にはレンはリオレイアの動きに何とか対応できる間合いにまで退避していた。

 ズゥン……と重々しい地響きと共にリオレイアは地面に降り立つ。憎々しげに睨み付ける先には、渾身の一撃を逃れた小賢しい敵が立っている。

 リオレイアは低く唸ると、その圧倒的な体力で再び全力突撃。敵を粉砕する事だけを考えての猛烈な一撃。レンは横に全力で走ってそれを回避する。最低限の間合いが開いていただけあって、レンはリオレイアの突撃及びその直後の二連続サマーソルトも回避できた。

 再び着地するリオレイアを見詰めながら、レンはチラリとエリア3へと続く道を見た。

 もう、エリーゼはエリア2辺りに入っている頃だろうか。まだまだ油断はできないが、それでももうほとんど終盤という場所に到達している事は間違いないだろう。そうなるとエリーゼが安全地帯まで退避する時間を稼ぐという本来の役目は達成できたと判断していいだろう。これ以上の戦闘は自分の体力が持たない事も考えると、そろそろ引き際だ。

 だが、この状況で逃げる事は可能だろうか? エリア3へと続く道はこれまでの戦闘で砕けた岩が塞いでしまって通る事はできない。だとすれば、残るルートはただ一つ。巣のあるエリア5へと続くあの洞窟のみだ。

 しかし、あの人の背丈程ある段差を上り、洞窟へと逃げ込む間をリオレイアは待ってはくれないだろう――否、その隙を全力で攻撃して来るに違いない。だとすれば、どうすればいいか。こういう時に使える閃光玉はすでに使い果たしている。残念ながらシビレ罠や落とし穴といったモンスターの動きを封じる道具も持っていない。

 だとすれば、残る方法はただ一つ……

「自分で活路を開くしかない、か……」

 だが、それも難しい。何せ今まで自分は立ち居地の確保なんて余裕がない程リオレイアに対して防戦の一方だったのだ。その状態で逃げ道を確保するのは厳しい。それに、持って来た弾丸も残り少ない。剣士と違い、ガンナーは弾や矢がなくなれば一切の攻撃力を失う事になる。決して、ボウガンはハンマーのように振り回して殴る事には適していない。

 圧倒的な劣勢な状況で、自分の使える手段にも限りがある。それはある意味で絶体絶命のピンチと言っても過言ではない。だが、逆境であればあるこそ、人は想像を絶する力を発揮する。それが人間であり、ハンターなのだ。

 レンは覚悟したような表情になると、スッと道具袋(ポーチ)に手を伸ばした。そこから拳大の物を取り出すと、それを思いっ切り地面に向かって叩き付けた。刹那、ボンッという音と共に辺りが真っ白な煙に包まれた。

 けむり玉。その名の通りけむりを発生させる玉であり、これを使用すると半径数メートル範囲で真っ白な煙を発生させる事ができる。主にモンスターと遭遇時に自らの姿を隠して別エリアへと逃げる際に使う道具だ。かなり効果的なのだが、色々とクセのある道具でもある。風などに影響されるので使っても運に頼る部分があり、しかもかなり接近して使わないと効果がない。そして、モンスターに発見されている場合は意味を成さない。あまりにも使い勝手が悪い為、マイナーという扱いを受けている道具だ。

 けむり玉は相手に発見されている場合は効果がない。そんなの初心者でも知っている事だ。しかしそれでも、全く効果がないという事はない。

 一瞬、本当に一瞬だけ相手を驚かせて自分の位置を隠す事ができる。そして、その一瞬が大事なのだ。

 レンはけむり玉の炸裂と同時に走った。煙の中を突っ切るようにしてリオレイアのすぐ傍を通り抜ける。そしてそのまま段差へと駆け込み、その勢いを利用して一気に跳躍。縁を掴み、転がるようにして段差の上へと飛び乗った。

 まさに一瞬の出来事。リオレイアが振り返った時には、レンはすでに洞窟の前に倒れていた。リオレイアが逃がさないと言いたげにブレスを構えるのを見て、レンは慌てて洞窟の中へと転がり込んだ。

 刹那、至近に炸裂したブレスの猛烈な爆風に吹き飛ばされてレンは吹き飛ばされた――エリア5へと。

 黒煙を吸って咳き込みながらフラフラと立ち上がると、そこは先程エリーゼと共に卵を手に入れたエリア5。飛竜の巣がある場所であった。

 先程までの死闘が嘘のように静かなエリア5に、ひとまず安心とばかりにレンはため息を漏らして崩れ落ちる。もう体はフラフラでボロボロ。今こうして生きているのが不思議なくらい、疲労困憊という状態だった。息をするたびにのどが渇き、水を求める。だが生憎水筒の持ち合わせはない。正直、口の中に広がっている血の味を何とかしたいし、傷口を消毒したい。でもそんな装備はない。

 だが、贅沢を言ってても仕方がない。今はこうして生きている事を喜ぼう。そして――任務達成を喜ぼう。

「……エリーゼさん、私やりましたよぉッ」

「グオオオオオォォォォォッ!」

 突如洞窟の中に鳴り響いたその怒号に、レンはハッとなって起き上がった。慌てて辺りを見回すが、そこに彼女の姿はない。まさかと上を見上げて、レンは絶句した。

 猛烈な暴風を纏い、女王リオレイアは怒り狂った眼光でレンを射抜きながら舞い降りてきた。

 まだ、レンの戦いは終わってはいないのだ……

 

「ギャアッ! ギャアッ!」

「ついて来ないでよバカッ! あんた、後でひどいんだからッ!」

 背後から追い掛けて来るランポスに罵声を浴びせながら、エリーゼは走っていた。

 左側にはのどかな川が流れるここは、エリア1。この先の曲がり角の向こうにあるトンネルをくぐれば、拠点(ベースキャンプ)。今腕に抱えている卵をそこにある道具箱の中に置けば任務達成。つまり、今エリーゼは達成寸前という場所にまで来ていた。

 背後から追い掛けて来るのは一匹のランポス。最初に片付けておいたのにランポスがいる事を不幸と見るか、片付けておいたおかげで一匹で済んでいるという幸運と見るか。エリーゼは間違いなく最悪と断言するだろう。

「ギャアッ!」

 嘴を伸ばして噛み付いてくるランポスの一撃を回避し、エリーゼは冷や汗ダラダラで走り続ける。

「ほんとしつこいわよこのバカッ!」

 そんな罵声を叫びながら走るエリーゼだったが、実は内心かなり追い詰められていた。

 ここまで何とか卵を無事に運んで来れた。エリア3でランポスに遭遇し、エリア2は無事に通り、エリア1でこうして一匹のランポスに追われている。先に下準備をしていなかったら、きっとここまで来れなかっただろう。そういう意味では自分の策が間違いではなかったと立証でき、嬉しくもある。

 だが、逆に言えばここまで来たのだ。ここでもしも卵を失うような事になれば、策士策に溺れる。つまり、作戦は間違っていなかったのに失敗したというのは自分の未熟が原因となる。プライド高いエリーゼにとって、そんな屈辱は許されない。

 何より、レンに合わせる顔がない。

 レンは、自分を信じて自ら危険な囮役を引き受けて、もしかしたら今もリオレイアと戦っているかもしれない。レンが命懸けの大役を果たしているというのに、自分がこんな所で失敗する事は決して許されない。それこそ、腕が折れようと足が折れようと、血反吐を吐こうとこの卵だけは絶対に守らなければならない。

 今のエリーゼにとって、腕に抱える卵はただの依頼達成目標ではない。

 それはレンとの絆であり、彼女から託された想いであり、自分のプライドであり、後悔であり。様々な想いが込められた、大切なものだ。

 そんなものを、ここまで来て――こんな所で失うなんて絶対に許さないッ!

 角を曲がり、そこから十数メートル先にトンネルがある。あそこは入り組んでいる為、小型モンスターであるランポスでさえ通る事はできない。それこそ人間やアイルーなどしか入れない。あそこに入れば安全だし、依頼達成だ。

「ギャアッ!」

 まるでそんなエリーゼの想いを打ち砕くようにしてランポスが鳴き声を上げながら襲い掛かってくる。髪が掛かるような距離で振るわれる爪に顔を真っ青にしながら、でもエリーゼはただ前だけを、トンネルの入口だけを見詰めて走る。

 体にズシリと重く圧し掛かる卵。これを運ぶ為に、自分はレンに命懸けの無茶を押し付けて、逃げるようにして必死にここまで走ってきた。あと少し、あと少しで――レンの所へ駆けつけられるッ!

「うわあああああぁぁぁぁぁッ!」

 ラストスパート。

 エリーゼは背後のランポスを振り払うように残る体力を全て出し切って全力疾走。そして――

「はぁ……はぁ……はぁ……」

 荒い息をしながら、エリーゼは立ち尽くしていた。目の前に広がっているのはここについた時に初めて見た光景であり、何度もこの狩場へ来た際にいつも準備を整えるスタート地点――拠点(ベースキャンプ)。

 ついに来た目的地。だがエリーゼは喜ぶような事はせず、無言でゆっくりと慎重に歩きながら天幕(テント)の横に備え付けられた赤い道具箱、支給品を取り出す青い道具箱とは違ういつもはほとんど使わない道具箱に近づき、その中にここまで運んで来た卵を慎重に置く。もしかしたらこの衝撃で卵が割れてしまうかもしれないという不安を抱くも、それは杞憂に終わった。

 柔らかな緩衝材の上に置かれた卵は割れる事もヒビが入る事もなくエリーゼの手を離れた。数秒様子を見るも、何の変化もない。

 ――飛竜の卵運搬、見事に依頼達成だ。

「ふぅ……」

 だが、エリーゼは喜ぶような素振りを全く見せない。強がっているのではなく、純粋に喜んでなどいないのだ。

 彼女にとってのゴールは、まだ先だ。

 砥石を取り出し、消耗した近衛隊正式銃槍の切れ味を回復させ、回復薬で少し減っていた体力も回復させ、携帯食料で小腹を満たす。体の各所を入念にチェックし、準備万端。

 来た時とは逆に、身軽になった体でトンネルの方を見詰めるエリーゼ。そこにはいつも不敵な笑顔が戻っていた。

「レン、待ってなさい。この借りはキッチリ三倍返ししてあげるんだからッ!」

 そう宣言し、エリーゼはエリア1へと向かって全速力で突っ走った。

 

 爆発に吹き飛ばされ、レンは数秒の浮遊の後地面に叩き付けられた。背骨が折れたのではないかという衝撃と激痛に肺の中の空気を全部吐き出し、激しく咳き込む。

 響き渡るリオレイアの怒号に慌ててボロボロな体を起こして逃げようとするが、再び至近でブレスが炸裂してレンは吹き飛ばされた。

 このまま落ちれば死ぬッ!

 レンは必死になって手を伸ばして木の枝を掴んだ。レンの軽い体重でも木は大きくしなり、折れてしまうのではないかという不安が沸き起こる。だが、幸い枝は折れる事はなくレンの体を支えた。

 ほっと胸を撫で下ろすが、安心はしていられない。見上げると、リオレイアが自分を追って降りて来るのが見えた。レンは急いで体を振り子のように振って足場になりそうな岩の上へと飛んだ。何とか着地すると、急いで次の足場へと飛び降り、次の足場へ、次の足場へとどんどんそれを繰り返す。

 そして、転がるようにしてようやく土の地面へと降りた。すぐに起き上がると、今まさにリオレイアが地面へと降り立とうとする瞬間であった。

 リオレイアを見詰めながら、自分が今降りて来た険しい崖を一瞥する。

 ここはエリア6。エリア5へと繋がるもう一つの道だ。レンはリオレイアの追撃を避けながら、こうして崖を何とかか下ってきたのだ。無茶な降り方やリオレイアのブレスに何度も吹き飛ばされたレンは体中傷だらけ。擦り傷などから血が溢れ、見るも無残な姿になっている。

 まるで生まれたばかりのアプトノスのように足は震え、立っているのもやっとという状態。

 とっくの昔に自分の体力の限界を超えた戦いは、ついに本当の限界に達しつつあった。

 視界はぼやけ、まるで自分の体じゃないかのように体は重くて力が入らない。気合で何とか立っているが、その気合ももう底を尽きかけている――意識を保っているだけでも奇跡というような状態であった。

 それでも、レンは真っ直ぐとリオレイアを見詰めている。どんな時でも相手を視界から見失わない。エリーゼから教わった狩りでの絶対条件の一つを、レンはしっかりと守っていた。

 ――だが、そこまでであった。

 何もかも、今まで自分を支えていたものが全部底を尽きてしまい、レンは崩れるようにして地面に倒れた。

 意識も朦朧(もうろう)とし、何とか最低限の視界を保つ程度しかできない。指一本すらも動かせない状態とは、このような事を言うのだろう。そんな余計な事を考える力が残っているのなら、指の一本でも動かしたい。でも、そんな体力も気力も、もう残ってなどいなかった。

「……ここまで、ですか」

 諦めるような言葉が口から漏れた。

 覚悟はしていたから、諦められる。エリーゼと死なないと約束はしていたが、やはりリオレイア相手ではそれくらいの覚悟は必要だった。じゃなきゃ、とっくに殺されている。

 覚悟は時に人を苦しめる。覚悟は時に人の足を止めてしまう――でも覚悟は、時に人に大いなる力となる。

 死を覚悟した者程恐ろしいものはない。

 まだまだかけだしのハンターでしかない自分が、リオレイアにわずかでも手傷を負わせられたのはその覚悟があったからだ。

 だから、後悔はない。自分は、文字通り命を懸けて役目を果たしたのだから。

 ――何も、悲しむ事はない。

 なのに、何で……

「……涙が、出るんですか?」

 瞳からは、涙が溢れる。

 覚悟はしていたのに、何で今更涙が出て来るのか。

 重々しい地響き。リオレイアが着地したのだと見ずともわかった。

 何で、泣いているのか。悲しみ? 悔しさ? 嬉しさ? どれでもない。

 この涙の正体は――

 大好きな父親の顔が浮かんだ。いつも優しい母親の顔、ちょっとシスコンっぽいけどすっごく優しい姉の顔、仲の良かった近所の友達の顔、年下の弟のように可愛がっている男の子の顔、いつもお茶やお菓子をくれる優しいお隣のおばあちゃんの顔、イゴとかショウギとかを教えてくれるちょっと厳しいけど優しい村長の顔、父に憧れて先にハンターを目指して村を出て行った姉のように慕っていた人の顔、いつも笑顔で自分の背中を押してくれる頼れるお姉さんなライザの顔。

 あぁ、そっか……これは……

 素直じゃないくて口ではひどい事ばかり言うけど、本当はすっごく優しい。姉のように慕っていて、師のように厳しい自分の大好きな大好きな相棒の顔が浮かんだ。

「エリーゼさん……」

 ――恋しさだ。

 今浮かんだ人達に会いたい。そんな気持ちが、涙となって流れる。

 覚悟はしていた。でも、やっぱり……

「……死にた、くないです……」

 ――それが、本心だった。

 どんな詭弁を使っても隠す事のできない本心――生きたい。

 もっともっと、やりたい事がたくさんある。だから、死にたくないッ。

 怒号が響くと同時に、猛烈な地響きが大地を揺らす――リオレイアが、とどめの突進を開始したのだ。

 迫り来る死の執行。涙が溢れ、止まらない。

 高い高い崖を見上げながら、エリーゼの笑顔を思い出しながら、レンは泣き叫ぶ。

「エリーゼさあああああぁぁぁぁぁんッ!」

 

「あたしの妹から離れなさいよおおおおおぉぉぉぉッ!!!!!」

 

 聞き慣れた、ほんの少ししか離れていなかったはずの懐かしい声にハッと消えかけていた意識が回復した。

 すぐ近くにまで迫ったリオレイア。その直上から、何かが降って来る。それは巨大な矢――違う、巨大なガンランスを携えた少女であった。

 

 ――気がついたら、飛び出していた。

 レンを追ってエリア1、から2、3、4と来たエリーゼ。しかしそのどこにもレンとリオレイアの姿はなかった。とっくにペイントの匂いは失われ、焦るエリーゼは再びエリア5へと向かった。そしてその時、すぐ近くで爆音が響いた。その音源へと向かって走っていくと、そこはエリア6の崖の上であった。下を見ると、そこには捜し求めていたレンが倒れていた。すぐ横には、リオレイアが降り立つ。

 その光景を見たエリーゼは、冷静であれば無茶苦茶でありナンセンスな考えを実行に移した。

 崖を蹴って空中へと飛び出し、背中に構えたガンランスを構え、その刃先をリオレイアに向けながら一直線に落下。自らの体重とガンランスの重量、そして重力が味方し、その速度は弾丸や矢には劣るものの人間としては最速に等しい速度で落下する。

 リオレイアが走り出した。だが、そのタイミングも速度もエリーゼは計算のうち。砲撃の衝撃で角度を微調整しながら、リオレイアに向かって突き落ちる。

 そして、目視で彼我の距離と彼我の速度を計測し、ここだと思ったタイミングで砲撃加速装置の引き金を引く。

 燃え上がる砲撃機関。砲口は強大な熱に悲鳴を上げるように真っ赤に染まり、集まっていく圧倒的な火力を今か今かと撃ち出すその時を待つ。

 絶対に命中させる。そんな強い意志を抱きながら、エリーゼは落下する。

「エリーゼさあああああぁぁぁぁぁんッ!」

 レンの悲鳴が轟く。その声に、エリーゼは憎き敵リオレイアを睨み付ける。そして、

「あたしの妹から離れなさいよおおおおおぉぉぉぉッ!!!!!」

 

 空から降ってきたエリーゼは、レンを踏み潰す寸前のリオレイアに向かって直上から竜撃砲を叩き込んだ。

 ――それはまさに、妹を想う姉の怒りの鉄槌。その強烈無比な一撃の全てが、リオレイアに叩き付けられた。

 予期しない方向からの突然の猛烈な爆音と爆風、そして爆炎にリオレイアは悲鳴を上げて転倒した。レンとの距離はわずかに一メートル程。まさに間一髪のタイミングであった。

 竜撃砲の反動で落下の衝撃を相殺とまではいかなくともかなり軽減したエリーゼは地面に叩き付けられたが無事であった。すぐに転倒したリオレイアを一瞥しつつ、倒れているレンの方へと駆け寄る。

「レンッ!」

 抱き起こしたレンの体は不気味なくらい力なくぐったりとしていた。だが、そこには確かに生きている温かさがあった。瞳にはしっかりと意識があり、ボロボロになって弱ってはいたものの、確かにレンは生きていた。

「え、エリーゼさん……」

「バカぁッ! 無茶するなっていつも言ってるのにッ! 何であんたはこうバカなのよッ!」

「えへへ……また怒られちゃいましたぁ……」

「笑い事じゃないわよバカレンッ!」

 罵声を浴びせながらも、レンの何とか無事な姿を見て安心したのだろう。エリーゼは無意識に泣き出していた。瞳からはボロボロと涙がこぼれ、何度も何度も嗚咽を繰り返す。そんなエリーゼを見て、レンもまた涙を浮かべながらも再会できた事を喜ぶ。何せ、一度は死別する事も覚悟していただけあって、その感激は大きい。

 再会を喜ぶエリーゼであったが、すぐそばにはリオレイアがもがいている事を忘れている訳ではない。すぐにここを離脱しなければ今度こそレンは死んでしまうかもしれない。リオレイア相手に自分が抑え切れるなんてそんな自信過剰ではない。

 ならばどうするか――そんなの、とっくに答えなど出ている。

「逃げるわよレンッ!」

 そう言うと、エリーゼはレンの体を抱き起こし、そのまま持ち上げて抱える。片腕でレンの背中を支え、もう一方の手を膝下に入れてバランスを取る。それは世間一般で言う所の――お姫様抱っこだ。

「ふぇッ!? え、エリーゼさんッ!?」

「何やってんのよバカッ! さっさと首に手を回しなさいッ! 落ちるわよッ!」

「で、でもこの格好ぉ……ッ!」

 顔を真っ赤にしておろおろとするレンだったが、エリーゼはそんな彼女の胸中など気づいていない。彼女としては背後でゆっくりと起き上がろうとしているリオレイアに意識のほぼ全てが向けられているので仕方がないと言えば仕方がない。

「ほらッ! 走るからしっかり掴まってなさいッ!」

「ひゃあああああぁぁぁぁぁッ!」

 勇ましいスタートダッシュで最初から猛烈な勢いで全力疾走するエリーゼ。さっきまで恐ろしく重い卵を持っていただけあって、驚くくらい軽いレンを抱き抱えるなど全くもって苦ではないのだ。常日頃から重いガンランスを扱うだけあって、日々の訓練も加わってエリーゼは体格以上の力を発揮する事ができる。そして今、その力が思う存分発揮されているのだ。

 リオレイアがようやく起き上がった頃、レンと抱き抱えたエリーゼはすでにエリア6から去っていた。

 どこを見てもいない敵にリオレイアは怒り狂うようにして激しい怒号を放つが、その声は空しく空へと響くだけであった。

 

 エリア6を脱した二人は、途中のランポスなども振り切るようにして拠点(ベースキャンプ)へと逃げ込んだ。狩場で唯一の安全地帯。ただし、怒り狂ったリオレイア相手ではこの拠点(ベースキャンプ)も決して完全なる安全とは言いがたいが、それでもそこら辺に比べたら断然身の安全が確保されている。

 そんな拠点(ベースキャンプ)へと何とか無事に逃げ込んだ二人。ここまでレンを抱えて全力疾走して来たエリーゼは倒れるようにして座り込むと、荒い息を何度も繰り返して何とか平静を取り戻そうとしている。そんな彼女の隣に腰を下ろしているレンも、体中傷だらけで血だらけという状態でぐったりと倒れている。怪我人を扱うにしてはあまりに乱暴なエリーゼの運搬方法が致命傷になった事は内緒だ。

「……ちゃんと生きてるわよね?」

 エリーゼの問い掛けに対し、レンは「何とか……」と力なく答える。ついさっきまで文字通り命懸けの死闘を繰り広げていただけあって、完全に弱っていた。どれも軽い部類だが怪我している為に体力がもうほとんど残っていないのだろう。

 エリーゼは「そう……」とだけ返すとようやく息を整えてレンを天幕(テント)の中へ連れて行って手当てを始めた。まず最初にエリーゼ特製の秘薬を食べさせて体力を回復させてから傷の手当をする。本当に体中怪我だらけとあって、レンは嫌がったもののエリーゼに強引に防具を全て脱がされての手当てとなった。

「ちょっと染みるわよ」

「ふぇ? ひぐぃッ!?」

 毛布で胸を隠しながらエリーゼに打撲だらけの背中を見せていたレンは青あざになった場所に塗られた薬の衝撃に悲鳴を上げる。こんなの実際に怪我をした時の痛みに比べれば大した事ないのだが、その時は痛覚すらも失われるかもしれないという危機的状態だったので、こうして心にゆとりがある時とは痛みに対する構え方が違うのだろう。

 涙目になりながら「い、痛いですぅ……」と必死にエリーゼに《優しくして》とアピールするレンだったが、エリーゼは効率重視という性格の為、彼女の選んだ薬はどれも効き目重視。結果、その後も何度もレンは痛い想いをする事になった。

 レンの打撲や切り傷の手当てをしながら、エリーゼは内心かなり落ち込んでいた。

 いつもレンとは一緒に風呂に入っているエリーゼ。その度にレンの体は見ていた。純白、ではないけど健康的な日焼けの色と相まってレンはとてもきれいな体をしていた。細くて、無駄な脂肪分はない統制された体格。まだまだ胸は小さいけど、きっとこれから大きくなるとレン自身は信じているらしい。

 見た目は華奢な体だ。でも、その実は自分の課した過酷な訓練を毎日のように耐え抜いた鋼の体。でも、見ただけではそこらにいる普通の女の子――いや、そこらの女の子よりもずっとかわいらしくてきれいな体をしていた。

 それが今、目の前で見るも無残な状態になっている。体中に包帯を巻き、包帯を撒く必要のない部分は青あざだらけ。とても自分が知っているレンの体とは比べものにならない程ボロボロだ。その原因が、自分を逃がす為にリオレイアに立ち向かった。後ろめたさを感じずにはいられない。

 無言で手当てをするエリーゼを見て、レンはそんな彼女の心境を察していた。エリーゼは人一倍優しいくせに、人五倍くらい責任感が強い。そんな彼女をずっと見て来たレンは、すっかりエリーゼの心理パターンを理解していた。

「気にしないでください。これは、名誉の戦傷みたいなものなんですから」

 レンは気にしていないと笑顔で言うが、エリーゼは「ごめん……」と小さく返すだけだった。

 そんないつになく元気のないエリーゼを見て、レンはしょんぼりとうな垂れてしまう。何せ、エリーゼに誉めてもらいたい一心であんな無茶な戦いを戦い抜いたと言っても過言ではないレンにとっては、ある意味最悪の結末だ。

 自然と二人とも黙ってしまい、何となく気まずい雰囲気が流れ始める。

 その時、レンが何気なく向いた赤い道具箱からわずかに見える白い球体――飛竜の卵の無事な姿が見えた。

「あ、無事に運搬できたんですね」

「何よ。このあたしが自分の役目も果たせないような能無しだとても思ってた訳?」

 卵が無事な事を確認しただけだったのに、どうやらエリーゼのプライドを多少なりとも刺激してしまったらしい。エリーゼは失礼ねと言いたげな瞳で不機嫌そうにレンを見詰める。そんなエリーゼにレンは慌てて「ち、違いますよぉッ」と否定するが、エリーゼは妙にしつこかった。

「フン。確かにリオレイアを相手にしたのはすごいと思うわよ。だからってあたしを見下すような発言をするなんて、あんたもずいぶんと出世したじゃない」

「そ、そんな事ないですよぉッ! わ、私なんてまだまだエリーゼさんの足元にも及ばないですッ」

「そうよねぇ~。わかってるじゃない」

 レンの言葉にエリーゼは目に見えてご機嫌になっていく。レンもエリーゼがいつもの調子を少しだけ取り戻したのを見てほっとしたのか、小さく笑みを浮かべた。

 それがきっかけとなり二人の間になった微妙な空気が、とりあえず自然と笑えるくらいまでには少しだけ改善された。しかし、その後二人はしばしの間無言だった。幾分か空気が改善さえれたとはいえ、それでもやっぱり気まずい雰囲気は残ったままだ。

「……ごめんねレン」

 このままずっと無言が続くのではないかと不安に思っていたレンだったが、その無言はエリーゼの小さくもしっかりとした声によって突然幕を閉じた。

 驚いてレンが顔を上げると、どことなく力ない感じのエリーゼがこちらを見詰めていた。その瞳にはいつもの気の強さはなく、弱々しい。

「エリーゼさん?」

「あんたばっかりに、あんな無茶な役目を任せちゃって」

「そ、そんな事……。私はただ、自分の責務を全うしただけです」

「……すごいのね、あんたって」

「エリーゼさん……」

「……ほんっと、それに比べてあたしは何やってんだか」

 はぁと深いため息を吐くエリーゼ。自分が今回した事と言えば、執拗に襲ってくるランポス達から卵を守りつつ無事に運搬する事。一方のレンは文字通り命懸けの殿を務め上げ、事実大怪我はしていないもの全身傷だらけだ。それに対して自分はほぼ無傷に等しい。

 卵を運搬するのもランポスなどに背後から襲われると考えれば下手すると大怪我するような危険な役目には違いないのだが、やはりリオレイア相手に殿役を務めるという文字通り命懸けの役目に比べたら霞んでしまう。

 いつになく元気のないエリーゼに、レンはおろおろとするばかり。何か言葉を掛けるべきだとはわかっているが、適切な言葉が浮かんで来ないのだ。その為「あぅ……」とか「ふぇ……」とか言語化できない声を漏らすばかり。

 そんなレンの様子にも気づいていないのだろう。エリーゼは何度も幸せが全力で逃亡するようなため息を連発する。

「げ、元気出してくださいエリーゼさんッ」

 やっとの思いでそれらしい言葉を検索できたレンはこの沈黙を打開しようと自ら先陣を切った。だが、その勇気ある突撃はエリーゼの重々しいため息の前に見事に玉砕したのであった。

「はうぅ……」

 今にも零れ落ちそうなくらいたっぷり目の縁に涙を溜めるレン。そろそろ本気で泣きそうというある意味臨界点に達しようとしていた。その時、今までため息しかしていなかったエリーゼがゆっくりと顔を上げた。

「とりあえず、お疲れ様」

 そう言って、エリーゼは微笑んだ。まだどこかぎこちなさが残ってはいるものの、それは彼女の心の底からの労いの言葉であった。そんな言葉を掛けられたレンはすぐさまパァッと笑顔を華やかせる。

「エリーゼさんも、お疲れ様ですッ」

「あたしは何もしてないわよ。ただ卵を抱えて走ってただけなんだから」

「それだってすごく重労働で大変なお役目ですよ」

 どこか自虐的な感じに言うエリーゼの言葉を、レンはハッキリと切り捨てて彼女の奮闘を称える。ある意味、腕力がないレンにとってハンマーよりも重い卵を抱えて走るなんて事自体がそれこそリオレイアを相手に戦うに等しいくらいの難易度なのかもしれない。

「それにエリーゼさん、あんな高い崖を飛び降りてくるなんてすごいですよ」

「べ、別にあのくらいどうって事ないわよ」

 無邪気に笑いながら感動するレンを見て、エリーゼは頬を赤らませながらプイッとそっぽを向く。彼女からしてみればレンに喜ばれる事は破顔してしまう程嬉しい事であると同時に、あんな崖を飛び降りるなんて戦略も戦術もクソもない戦法とも言いがたい無茶をした事は落とし穴にハマりたいくらい恥ずかしい事なのだろう。

「必ず助けに来てくれるって信じてましたけど。いつもクールで理論的な戦略を重視するエリーゼさんとは思えない荒業でビックリしました」

「あ、あたしだって自分があんな無茶苦茶な方法を使ったのを今でも信じられないわよ。で、でもあの時はあんたを助けたいって想い一心だったのよ。しょ、しょうがないじゃないッ」

「いいえ、すっごく嬉しくて、かっこ良かったですッ」

「えぇ……? そ、そうなんだ……」

 無邪気に笑うレンの言葉に、エリーゼは嬉しさのあまりついニヤけてしまう。だがすぐに自分の失態に気づいて慌てて平静を装う。そして、今回の自分のスタイルに合わない無茶苦茶な戦い方の根本的な原因に舌打ちする。

「……ったく、たった半年組んだだけだってのに何てえげつない影響力なのよあのバカ」

「へ? どうしたんですかエリーゼさん?」

「何でもないわよ。ちょっと、昔のバカな知り合いの事を思い出してただけ」

「エリーゼさんのお友達ですか?」

「バカ言わないでよ。誰があんな正面突破しか知らない猪突猛進バカを友人に入れるもんですか。あたしまでバカが移るじゃない」

「……すごい言われようですね」

 苦笑するレンだったが、エリーゼの本心はしっかりと理解していた。きっと、その人はエリーゼにとってとても大切な友人なのだろう。それこそ、自分よりも大切な人なのだ。そう思うと、ちょっとだけ嫉妬してしまう。

 エリーゼの事なら何でもお見通しのレンが唯一見破れなかった事。それはエリーゼにとって、レンは世界で一番大切な妹だという事だ。それこそ、今エリーゼが言った猪突猛進バカ友人よりもずっと。

「それじゃ、そろそろ帰り支度するわよ。あたし達の任務は卵の入手ではなくて無事に入手した卵を依頼主に渡すまでなんだから。それに、一刻の猶予もない状態だしね」

「そうですね。じゃ、じゃあすぐにでも準備を」

「ば、バカッ! 怪我人が無理しなくていいわよッ! 大掛かりな事はあたしがやっておくから、あんたは先に竜車に戻って寝てなさいッ!」

「そ、そんな事できませんッ。私だって何かお役に――」

「頭に包帯巻いてる奴は大人しく寝てなさいッ!」

「は、はいですぅッ!」

 半ばエリーゼに追い出される形でレンは拠点(ベースキャンプ)から少し離れた場所に泊めてある竜車へと向かった。そんな彼女の背中を見送るエリーゼの表情は、さっきまでのいつもの感じは消えていた。まるで何か辛い決意を固めたような、どこか痛々しい表情。

「……卒業、ね」

 そうつぶやくと、エリーゼは一人で黙々と帰り支度をするのであった。

 

 一時間後、レンとエリーゼは竜車に乗って狩場を出発。一路ドンドルマへと向かって帰路に着いたのであった。


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