だからこそ佐々木に対してまともな説明などできるはずもなかった。
元々ハルヒのことなど知らないだろうし、ましてやハルヒがこの世界に存在しないのであれば何を言っても"ただの嘘っぱち"と相違ないだろう。
いずれにしても俺にとって重要なのはこんなふざけた茶番を終わらせること、そのための回答を突きつけることの二つだ。
俺が交通事故にあった際の記憶どころか病院で目覚める前のこの世界の思い出の一切がないことも付け加える。
それらを聞いた佐々木はいつもの調子を取り戻していたらしく、
「キミの話が嘘偽りない真実だとして……それを僕に今打ち明けたのはなんでだろう」
まるで信じ切っているかのように疑いの一切を感じさせぬ澄んだ瞳でこちらを見据えて、
「僕はキミに質問しているよ。きっと何か理由があるんだろ? 教えてくれないか」
と伺う姿勢は友人の悩みを解決しようと真摯に向き合ってくれる真人間そのものではないか。
ならば俺もそれに応えなければならぬ。駄目で元々なのだ、ええい。
「実は、だな」
さてなんと言ったものか。
「ここは現実じゃあない」
俺は自分に言い聞かせるかのように言葉を放っていく。
「お前が創り上げた妄想の産物だ」
だから。
「俺をここから出してくれないか?」
――なんてな。
あのグラサン野郎の発言に乗っかってみたはいいものの佐々木の反応は明らかだ。
「……僕には意味がわからないよ」
彼女の表情には困惑以外の色は見られない。当然の対応だったし俺も特に言うことなどあるまい。
負け惜しみに聞こえるかもしれないが始めから期待しちゃいなかったし、何よりそんなことがあってたまるかと思っていた。だいたい閉鎖空間だかなんだか知らないがな、ハルヒみたいな人間災厄クラスがわらわらいてもらっちゃたまったものではない。
それにまだ万策尽きたというわけでもないのだ。少なくともジョン・スミスと名乗った男が俺に接触できるぐらいには抜け道があるはずだ、それにハルヒが本当にこの世界にいないなんてことはまだわからないじゃないか。
俺は日本中を探したのか? いいや、まだ町中すら探しちゃあいないさ。だから俺の戦いはまさしくここからで、
「キミは……」
「ん」
再び佐々木の方へ意識を割く。
「ずいぶんと元の世界に戻りたがっているようだけど、どうしてだい?」
至極単純な理由だ。
「ここじゃない場所にいるヤツと会いたい。オレには会わなくっちゃあいけないヤツがいるんだ」
もちろんいつも通り具体的な作戦なんてものはない、ノープラン。それでも俺がどうにかしなければならないのだ。
佐々木は念押しするかのように。
「会いたい人がいる?」
「ああ」
「その人に会うためにここからいなくなりたい、と?」
「そうだ」
「キミがただの冗談でこんなことを言う人間だとは思わないよ」
でも、と佐々木。
「ごめん、やっぱり僕にはついていけそうにない」
そりゃそうさ、今までがおかしかっただけなんだからな。
ふいに異世界などとぬかされて嬉々と対応する人種は変人でしかない。佐々木は違う。
俺は「ただの与太話だ、忘れてくれ」と言って歩みを始めようとする、
「キミは考えたことがあるかい……?」
が、佐々木はまだぼっ立っているままだ。
「どんなことを」
「自分がどれほど世の中に必要とされているかを、だよ」
似たような質問を俺がハルヒにした気がする。三年前の七夕に送り飛ばされたあの時だ。
結局のところ己の存在価値が己である必要なんてないわけで。
「……まあな」
「キミが病院で意識を失っていた間にたくさんの人がお見舞いに来ていた」
話には聞いていた。親戚一同から東中の連中――谷口もいたのかは知らんが――まで、元担任も見られたと母さんが言っていたな。
「彼らはきっとキミのことを心から心配していたに違いない、もちろん僕も」
「その節はどうも」
「同じクラスだったという荒川くんにも会った。彼は相当にショックを受けていたよ、医者から安静にさせるように言われてなければキミに掴みかかっていたかもしれない」
「なあ、何が言いたいんだ」
すると途端に佐々木の目つきは険しいものとなる。
「まだわからないのか!?」
今までに見たこともないような凄まじい剣幕だった。彼女が声を荒げるようなところなど俺は見たことがない。
「キミがいなくなって悲しむのはご母堂様や妹さんだけじゃない、異世界人だか知らないがキミは残される人のことをどう思っているんだ」
どう、って、な。
「どうもこうもあるかよ、オレはてめえのことでいっぱいいっぱいなヤロ―だぜ。気にしてたら身がもたねえ」
「……そうか。キミは期待を裏切らないな」
佐々木の言いたいことももっともなのだろう。結局のところ俺がやってるのは他の世界を見て見ぬフリでしかない。
しかし俺にだって大義はある、自分が為すべきことを見つけ出したのだからそれを達成しなければマジもんの屑男だろ?
まあそれが"何か"ってのは置いておいて、
「心当たりがないならそれでいい」
気が付けば完全に陽は没していた。もう帰ろう、ここから先は俺一人でなんとかするさ。
またあのグラサン野郎が出てくるなら首根っこを捕まえてでも解決してもらうだけだ。
ようやっと歩みを再開させた俺たちだが足取りは重い、遅いのは主に佐々木の方の歩調だが。
「もうひとつだけ僕に聞かせてくれ」
「……」
「覚えているかな、僕たちが最初に出会った時のことを」
「もちろん」
塾で話すようになった程度の仲だが佐々木は俺のことを友人だと思ってくれているのだ、ありがたいどころの話ではない。
すると佐々木はいつものようにくつくつと笑い、
「あぁ……なるほど、わかったよ」
いったいどうしたのだろうと呆気にとられていると不意に"それ"は訪れた。
視界がぼやけて平衡感覚がじわじわ失われていく、立ち眩みといえば聞こえはいいがこれが慢性化しているようなら立派な病気だろうに。ともかく嫌というほど慣れつつある謎のブラックアウトが俺を襲う。
「キミは確かに別人だ」
完全に意識が途切れる刹那、もっと手堅いプランはなかったのかと不満がわき、すぐに霧散した。
意識が復活した俺の視界は平素より九十度は傾き乱れていた。
知らない天井だ、と言いたいところだったが今回も言えそうにない。横になって眺めたことこそなかったがこのおんぼろ石膏ボードで彩られた天井は比較的見慣れていた類のもので、北高部室棟部室のそれと見受けられる。
またまた病院スタートだったらどうしたもんかと思っていたが上体を起こすと余計にどうしたもんかと言いたくなるような状況だった。
「信じられないわ」
数メートル先には窓を背にして立つ朝倉涼子の姿。
その表情は驚愕そのもので、あるいは思考ルーチンが故障したロボットのように張りつめたものだった。
俺は尻もちをついたような体勢で周囲を見渡す。ここは懐かしき文芸部もといSOS団アジトに相違ない、内装はいつぞやの殺風景文芸部と違ってハルヒ色全開で有象無象が散乱している。もっとも外の光は自然界の太陽のそれではなく奇妙なセピアカラーの彩りだが。
どうやら戻ってきたらしい。その証拠としてべつにいなくてもよかったが俺の背後には橘京子と未来人の男が突っ立っているからな。
よっこらしょと立ち上がり――着ている俺の制服はもちろん北高指定制服こと緑ブレザーだ――くそったれ未来人野郎に伺う。
「んー……あーっと、どういう状況だよ?」
「こっちが聞きたいぐらいだ」
んなこと言われても俺が理解できる範疇などとっくの昔にオーバーフローしているんだが。
「寝ぼけているのも無理はない、あんたは今しがたあそこの宇宙人形に攻撃されたんだからな」
何だって? 朝倉の方をじろりと見る。
こちらに答える気力など感じさせず朝倉は淡々と、
「理解不能よ。私は確かにあなたの心臓ごと胸を貫いたわ」
物騒極まりない発言をしてくれるではないか。
さて俺は脳細胞をフル稼働させ若干灰色と化しつつある記憶を手繰り寄せる。言われてみれば風穴が俺の胸に開くというショッキングな現象があったような、しかし今はキレイサッパリなんともない。
よもや俺をこのセピアカラーの空間に拘束して朝倉に始末させよってハラだったのかくされ未来人よ。
「僕にも想定外だ。またしてもこいつが干渉してくるなど……」
度々思うが異端者は異端者どうしでモメてくれってんだ。
というか朝倉は俺に危害を加えられないはずじゃなかったのか、プロテクトがどうこうで常識外れの宇宙人パワーも行使できないと聞いていたんだが?
「状況が変わったのよ。誰のせいだかわかる?」
知るか。
「あなたがよからぬことを考えているからよ」
と言われてもな、なんだそりゃ。
すると朝倉は――口端をつりあげ――表情を変化させ。
「ふふふ、心当たりはあるはずよ……ね?」
――ぞくり
得体の知れぬナニカが俺の横を通り過ぎるような錯覚、思わず虚勢を放棄しそうになるほどにヤバい。心臓の動悸は割増で顔面にはうすらと汗がにじむ。情けないことに膝はけたけた笑っている。
そうだ、微笑む朝倉涼子の顔を見て俺は心底恐怖していた。
何に由来するかもわからぬ圧倒的な"差"に精神を折られかけている。
だが、どうにかこうにか会話のピースを紡ぎだす。
「はっ! すまんがオレにわかるように言ってくれねえか、お前らと違って普通の人間なんだぜ、オレ」
精一杯。これが限界。
窮鼠もいいとこだ。
しかしな、与太話でも続けて時間を稼げ。期を待て。なんでもいいからこの流れを変える起爆剤、チャンスを。
「だいたい胸に穴を開けられてオレはなぜ生きてられるってんだ」
朝倉よりもまだ比較的優しげがありそうな橘の方をうかがうも、
「ええっと、その、あたしにもわけがわからなかったんですけど」
一呼吸してから、
「あなたが倒れてから次の瞬間には、あたしがまばたきしたらもう傷がふさがってたんです。べったり垂れてた血も消えてたし……」
んなアホな。男塾でももうちょっとマシな回復描写が期待できるぞ。
もちろん俺にはX-MENのウルヴァリンよろしく自己再生能力などない。転んで擦りむいたら消毒して絆創膏と相場が決まっている。
つーか朝倉の襲撃からして常識じゃ考えられんだろうに、ようやく佐々木の閉鎖空間とやらから抜けたと思えば外は未だ淡褐色の非現実世界だ。いや、むしろこの場所こそが閉鎖空間に相応しいと思うのだが真偽のほどは不明だ。
当面の危機に関しては未来人の野郎が助けた説がテクノロジー的に一番現実的なのだが、
「わざわざ僕がそんなことをすると思うのか。仮に出来たとしてもやるものか」
この対応ではな。ありえないだろうよ。
元来俺は人の話は半分程度参考にする、すなわちどんなしょうもない話でも五割ぐらいは頭の中に入れておくタチなので一応こいつらの発言も考慮はするさ。
それに朝倉に関して言えば完全に無害化されただなんて思ってなかったし、一度あったら二度三度というものだ。
ここで更に詳細を問おうとしたのだが、
「あら、ずいぶんと酷い言い草じゃないの未来人さん。あなたたちは仮にも兄弟でしょう?」
「……」
え、なんだって?
急に思わせぶりな発言をした朝倉とそれに対峙し沈黙する未来人野郎。朝倉は続けて、
「見ての通りもうあなたたちの手に負える状況じゃないの。本来だったら私が出る必要がなかったあたりを察してほしいんだけど」
「……あんたのパトロンは何が望みだ」
「現状を悪化させないこと、あなたのお兄さんは何をしでかすかわからないから不穏分子と判断されたのよ」
ひょっとすると俺について話しているのか、こいつら。
「涼宮ハルヒはどうする。彼を排除したところで状況は悪化の一途をたどるだけだぞ」
「違う当て馬を用意すればいいだけの話……だと考えてたんだけど、涼宮さんは随分と強情みたい。まさか傷ひとつ付けることさえ許してくれないなんて」
まさか。俺の傷とやらを消したのはハルヒの仕業だってか。
「それ以外に考えられないじゃない」
おーおーさいですか。だったら神様仏様涼宮様に祈りでもささげてここから出してくれることを期待しましょうかね。あるいはお前でもいいんだが。
「あ、それ無理。だって私はあなたに本当に消えてほしいんだもの」
「心外だな」
俺よりも先に未来人の男が文句を言う。
「あんたたちは涼宮ハルヒの能力という可能性に期待している、この男はそのための重要な構成要素だ。違うのか?」
「過去の話ね」
あなたたちにとっては今が過去みたいだけど、と小馬鹿にしたように朝倉はケタケタ笑いながら。
「何がおかしい」
「そう身構えなくてもいいと思うな。私とあなたは涼宮ハルヒを利用するという一点で利害が一致するはずだわ」
「確かにな」
するとずいっと俺の前に男は出て、
「だが一点だけだ。この過去人の生死など僕にとっては些末なことこの上ない問題だが、姿も見せない情報統合思念体などという奴にへいこら従うあんたら人形の手を借りる必要もない」
「つまりどういうことかしら?」
「とっとと失せるんだな、朝倉涼子。あんたの登場は僕の"既定"に含まれてない」
友好的なのかなんなのかイマイチわからんが朝倉よりもこの男の方が俺にとってありがたそうに思えた。
尚も妖艶な笑みを絶やさぬ朝倉は「こっちのセリフなんだけど」と前置きして、
「邪魔しない方が身のためよ」
「くだらん。こちらにはジョーカーが残っている」
「切り札を出すよりも先にあなたの方が斬られる、と言ってるの」
「やってみろ」
まさに一触即発だ。
大戦前のバルカン半島がどれほどデンジャラスだったか知らんが俺にとってはこの空間の方が冷や汗もんだ。
未来人の男が繰り出す切り札とやらは朝倉に通用するのか、いや、この不発弾のような状況は果たして起爆してしまうのか、と俺が思わず後ろに後ずさりした時だった。
とん、背後から俺の左肩に軽い重みが。
「これはこれは、ずいぶん物々しい雰囲気ですね」
少しの思考停止を経てから何がやって来たのか理解する。
「お待たせいたしました。遅まきながら不躾な質問ですが、交渉の余地はまだありそうですか?」
俺の左肩の重量感は手を乗せられたことに起因していたようだ。
朝倉は新たなる来訪者を前に変わらぬ態度で、
「あなたも死にに来たの?」
「とんでもない。ここが特殊条件下とはいえ、あなたがたと交戦して生き延びられるほど僕は強くありませんから」
まあ、と来訪者は言葉を続けて。
「僕一人だけならば状況は絶望的でしたが」
「……」
なるほどな、朝倉の様子が少しだけ変わった。
お前も来てくれたんだな?
「ご覧の通り、心強い味方がいますので心配は無用です」
もとより全員集合とまでいく必要はないのさ。
俺たちは好き勝手な連中の集まりなんだ、変人ってのは往々にしてそういうもんだろ。なあ。
来訪者こと古泉一樹は未来人の横に並んで、
「ここは僕たちにお任せを」
「勝手なことを言うな」
「あなたにはやるべきことがあるはずでは?」
「僕の行動原理はあんたたち『機関』にとって容認し難いものだと考えていたが」
「敵の敵は味方という言葉がありましてね。今は一時休戦ということで」
話術に関しては古泉に任せとけば充分だろうよ。
はぁ、少しため息を吐いてから後ろを振り返るとますますパニックな橘をドア前からのかせる形で長門が立っていた。
「よう」
俺の呼びかけに反応し誤差の範疇とも思えるミリ単位で長門は頷く。
「もちろんお前にも聞きたいことは山ほどあるんだが、そいつは後回しでいい。なんなら聞かんままでもいいぜ」
「……」
「だがこれは聞かせてくれ」
久々に見たからか、はたまた出来の悪い方を注視していたからか、眼鏡越しの長門有希の瞳からはいつもの無機質さではなく、芯の通った何かを感じた。
「長門、お前もオレを消しに来たのか?」
あえて言うならとっておきの念押しというやつさ。
宇宙人、長門有希はフルフルと首を振って、
「違う」
ハルヒが口に出すような根拠のない勢い任せな発言と同じくらい強く、
「わたしはあなたの味方」
長門有希はそこにいてくれた。