校内一の変人のせいで憂鬱   作:魚乃眼

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Ω-3

 

 

 学校での時間は驚くほどスローモーだ。特別に仲がいい奴がいるわけでもないし、授業は知ってる内容だしな、流石に三度目ともなれば俺だって真面目に取り組もうという姿勢は失せるさ。

 何より刺激が足りない。こんな考えをしているようではもはや末期的なのだが、それほどまでに退屈なんだから仕方あるまいて。

 

 

「ふぁあ……」

 

 思わずあくびが出てしまう。もしここで居眠りをしたとして、目覚めたらそこは北高だったなんてことが起きても今の俺なら驚かないだろうよ。

しかしながら寝ても覚めても待っているのは普通の世界、日常、現実、ハルヒが嫌いな三拍子が見事に揃っている。まあいくら不満を並べたところで俺に世界を変えちまうほどの能力などない。

 だいたい普通に文句を言うのが間違ってるんだ。どっかの誰かが言ってただろう、普遍性こそが偉大だと。俺も頭では理解してるはずなんだがな、肝心の心がついてこないらしい。

 まるで大渋滞を起こした高速道路のジャンクションのように遅い一日だとしてもそれには必ず終わりが訪れるわけで、適当にぼーっとしていたら気が付けば六時限目も終了しSHR、周囲にあわせて気の抜けたあいさつをすると放課後だ。当然部活動にも所属していなければ学校の許可を認められていない団体にも属していないので直帰コース、校舎を後にさせてもらう。

 いや、なんだかんだ言っても現状を悲観的にとらえているわけではないのだ。少なくともこんな毎日ならば青髪のイカレ宇宙人女に命を狙われることもないだろうし、蒼の巨人が世界を滅ぼさんとする光景を特等席で見せつけられることもない。

 俺が気にしているのは後にも先にもハルヒだけだった。今までのあれが本当の本当にただの幻想であれば問題はないが、もしあれも一つの現実だったら? だったらハルヒはどうなるんだ。たかが俺ごとき消えようがどうでもいいだろうが、ハルヒが宇宙人とか頭のおかしな連中に目をつけられているという状況は俺がいてもいなくても何ら変わりないわけでジリ貧でしかない。状況は芳しくないのだ。

 その最悪な状況を打開できるのは俺なんかじゃなく結局のところはハルヒ本人だ。

 

 

「……はぁ」

 

 何が"鍵"なんだ、紛失しちまったらそれで終わりじゃねえか。我ながら使えないぜ。

 足早にしかし気持ちは反比例するかの如く重苦しく家路をなぞる。言うまでもなく帰りも電鉄で、ひとしきり揺られればあの駅に到着する。

 元々同じ高校の中で特別に仲のいい奴なんかいなかったし、俺が事故にあったのは中学の卒業式の翌日というタイミング。短い春休みは入院生活に潰れた挙句、入学式にも出られなかったということもあって若干浮いている。他人の目なんざどうでもいいんだけどな。

 シャコッ、と磁気定期券を改札機に通して北西出口から外に出る。それから横断歩道を渡ると、行きと同じように駅前公園を突っ切って何事もなく帰宅――

 

 

「――よう」

 

とは、ならなかった。

  

 

「待たせたな」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 公園の石段に腰を掛けていた男がゆっくり立ち上がると、こちらへ歩み寄って来た。

 俺は大して気にも留めずに通りすがろうとしたのだが、

 

 

「よう」

 

などと声をかけられた。

 その男の風貌はいたって普通の青年といった感じで例によって俺と同世代ぐらいだ。学校帰りだからか制服姿なので間違いないだろう。

 特筆すべきこととして男は何故かティアドロップ型のサングラス――年齢にあってない――をかけており、その眼差しは窺えないことともうひとつは彼が身に着けている制服は緑のブレザー、県立北高校のそれに違いないということである。

 もちろん初めて見る相手であり、もしかしなくても男は人違いをしているのかと思っていたものの、

 

 

「待たせたな」

 

明らかに俺に対して語ってきているようだ。

 いや、野郎なんて待ってねえよとノリよく返せるほど俺は外向きな性格でもないので俺は若干逡巡しつつ。

 

 

「……あの……オレに何か?」

 

「ん、あぁ、やっぱり聞いてないんだな。まぁ当然といえば当然だが」

 

 ともすれば怪しい宗教勧誘かもしれないので俺は無視して先を急ぐことにした。

 だが男はしつこかった、すくなくとも俺がうざいと思う程度には。

 

 

「おいおい、人の話は最後まで聞けってんだ」

 

「んだよ」

 

 事と次第によっては荒っぽい解決の仕方もあるんだぜ、と食って掛かると男はこともなげに。

 

 

「そうだな……あ、涼宮ハルヒがらみ、って言えばわかんだろ?」

 

 ――何?

 

 絶句、否、思考が瞬断され絶たれたもののすぐに頭のサーキットを再駆動させる。

 おいおい、おいおいおいおいおいおいおいおいおい。

 今、この男は、なんて言った?

 聞き間違いじゃあなければだ、

 

「涼宮ハルヒ」

 

だって?

 男は馴れ馴れしく肩にポンと手を置いて、

 

 

「どうだ、話を聞く気になったよな」

 

口元を緩める。

 涼宮ハルヒ、すずみやはるひ、スズミヤハルヒ、日本で同音異字のやつがどれほどいるかは甚だ不明だがそんなことよりも"涼宮ハルヒ"というキーワードを俺相手に出してくるということの方が重要なのだ。

 俺はグラサン野郎に対して終始訝しむ視線を送りつけることしかできなかったが、

 

 

「立ち話もなんだろ、お茶でも飲んで話でもしようぜ」

 

散々痛い目にあった俺でもその言葉に乗らないほど馬鹿ではなかった。

 俺はここいらの茶店に明るいわけではないのでなんとも言えないのだが、男の先導によって入っていったのは例によって例のごとくいつかの某喫茶店だ。

 適当に席に腰かけ、ウェイトレスがお冷を配ると男は、

 

 

「俺のおごりだ、好きなもんを頼め」

 

言われんでも俺はそうさせてもらうつもりだった。

 男のカフェラッテという言葉に続けて俺は情緒不安定気味にアプリコットと告げ、それから数分もしないうちにオーダーが運ばれてくると早速本題に入らせてもらおう。

 グラサン野郎の方も俺の雰囲気を察したのか、

 

 

「そうだな、どこから説明したもんかね……」

 

「待てよ。まずひとつ確認させてくれ、あんたは何もんだ?」

 

 涼宮ハルヒという人物名をキーワードとして俺に接触してくる連中に文字通りまともなやつはいなかった。殺人すら厭わないサイコパス宇宙人、欠陥品なまでに感情を感じられぬスペースアンドロイド、ただの捨て駒とさえ思える未来から派遣されたグズ女、腹の底さえ読めやしない変態集団のエスパーエージェント、何より当のハルヒがまともじゃないんだからな、どうもこうもあるかってんだ。

 しかし男からの返事は納得のいくものではなく、

 

 

「ジョン・スミスさ。お前にとって俺はそれ以上でもそれ以下でもねえよ」

 

誰がどう考えても偽名を騙る意味不明な自己紹介だった。

 流石に俺は弾けそうになった。

 何かって? 全てをだ。

 

 

「……てめぇ」

 

 だが握り拳をテーブルの下に作りながらもなんとか俺は耐えた。今はまだ怒る時ではない、怒りとは撒き散らすものではなく"何か"に向けるものなのだ。きっとこいつじゃあない。

少しでも怒りを紛らわせるべく俺が口にしたのは、

 

 

「日本人ツラのてめえが"ジョン"とかぬかすのはスルーしてやるとして、だ。そのグラサンは何だ」

 

「見てわからないか? これはファッションだ」

 

「の、わりには似合ってねえな。正直言ってダセぇぜ」

 

「そうかい、てっきり礼儀の話をしてるのかと思ったが……サングラスはこの世界に対するプロパガンダのようなものさ、あのマッカーサーだってつけてただろ?」

 

 すまんが意味がわからん。

 

 

「意味はない。それは俺の名前も同じだ。これはある人の受け売りなんだが、そいつに言わせると『名前などただの識別信号』らしいぞ」

 

 知るか、だとしてもそれを初対面の俺に押し付けるのは礼儀以前の問題ではなかろうか。

 

 

「手厳しいな」

 

「話し合いの場で自分語りは確かにしらけるがな、自分のことを語れないやつはもっと最悪じゃあねえか」

 

「とにかく見たまんまの男だと判断してくれ」

 

 もっといいメーカーのサングラスも買えない貧乏人か、そう判断させてもらうぜ。

 

 

「仮に今俺が超能力者だ、と言ったところで証拠がなければお前も信じられないだろ?」

 

「そりゃあな」

 

 かといって超能力の証明のためだけに真っ黒な閉鎖的空間に連れてかれるのはごめんだが。

 男はどこか誇らしささえ感じさせる口調で、

 

 

「あいにくと俺の武器は喋りだけでね。安心しろ、他には何もないさ」

 

「あんたがそうだとしても他に妙な仲間がいないって保証はねえぜ」

 

「今回は俺一人だ。そしてお前に会うことはもう二度とないだろうよ、残念だが」

 

 戯言も甚だしいとはまさにこのことである。

 これ以上の質問は無駄と判断した俺はおとなしく黙っていることにした。

 ずずっとティーカップに口をつけているとグラサン男は語り始める。

 

 

「お前、この世界がどうやって存在しているか知っているか?」

 

 知るわけあるか。そんな話は科学者か哲学者相手にしてくれ。

 

 

「まあ俺も詳しくは知らんが」

 

「あんたの与太話にハルヒが関係するようになったら起こしてくれ」

 

「いいから落ち着けって、すぐにわかるさ、すぐにな」

 

 そのカフェラッテが冷めちまうぐらいなら俺が飲んでもいいんだがな。

 しかし"世界"ね、えらくマクロな話をしたいらしい。それもそうか、ハルヒについてどうこう言うような奴なら。

 

 

「べつに俺は重力がどうとかって話をしたいわけじゃない、意識の問題だ」

 

「お次は自己啓発か?」

 

「人間ってのは自分本位なもんだ。他人がどうあれ関係ないし自分の眼で見て確かめたものだけが全てで、結局のところ世界ってのは自分の意識と同じなのさ。人間本位ってわけだ」

 

 やっぱり怪しい方向に話が進んでいる気がする。

 だいたいハルヒの奇人っぷりは中学時代から有名だったのだ、東中から北高に行っている奴はいる――谷口とか――しこいつはハルヒの伝説に感化されただけのただの電波人間というオチでもおかしくはない。 

 グラサン野郎は俺のそんな呆れた様子に気づいて、

 

 

「食いつきが悪いな。だったらお前に耳寄りな情報を教えてやるよ」

 

などとぬかしたのだが俺はたいして期待などしちゃいなかった。

 適当にやり過ごして帰ろう、こんな奴のことは明日にでも忘れちまえばいい、と。

 

 

「この世界に涼宮ハルヒはいない」

 

「……は?」

 

 きっとこの時の俺は谷口にも負けないほど相当にまぬけなツラをしていたに違いない、この日聞いた男の言葉の中でトップクラスに意味不明だった。

 涼宮ハルヒがいない、それは何を意味するのだろう。ゴッドパワーを持った無敵のハルヒはいないという意味か、いや、男の口ぶりはむしろ、

 

 

「だからな、涼宮ハルヒなんて人間はこの世界に存在しないんだ。何故なら存在する必要がない。信じられんだろうが事実さ、何ならあいつの家の前まで行ってみればいいし、それでも納得できないならケータイに連絡してみりゃいい。番号かアドレスは覚えてるだろ? まあ繋がらないんだが」

 

彼女という概念そのものを否定する発言であった。

 とりあえずハルヒに接触を図るのは後回しにしておいてだ。彼の発言はどういうことなのか、その結論に至るまでの過程をしっかり説明しやがれ。

 

 

「神が誰か……なんて宗教じみた話を俺はしたくないんだがな、この世界が存在するのはこの世界がある一人の女によって創られたからだ」

 

 古泉一樹に言わせればそれこそがまさしくハルヒなのではなかろうか。

 男は片手でマドラーを弄びながら、

 

 

「残念だが違う。いいか、一度しか言わんからよーく聞け」

 

 重要なことはだいたい面倒だ、なんてことを言ったのはどこの誰だったか忘れたが、グラサン男の口から語られたのはまさしく衝撃の事実であった。

 

 

「ここを創ったのはお前もよく知ってる女、佐々木だ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 よく知ってると言われたところで俺は佐々木をそれほどよく知っているというわけでもない。

 何せ塾が同じで席が隣だったから知り合いになったという程度の仲で、俺やハルヒとどうも関係しようもないはずだ。

 と、俺は本題から逸らすかのように述べると、

 

 

「お前、覚えてないのか?」

 

「少なくとも宇宙人だとかにつけ狙われるようなことをしでかした覚えはねえぜ」

 

「やれやれ……記憶の統合はされてないと聞いてたが、単純に忘れているだけか。まあいい」

 

 男は俺が何について忘れているのかは説明する気がないらしい。

 

 

「それで? 佐々木が世界を創ったってのはどういう意味だ」

 

「言葉通りの意味だ。現実ってもんをどう定義するかにもよるが、あいつがこの世界を創ったのは間違いない」

 

「まさか」

 

 そんなことできるわけがないだろう。

 

 

「お前に否定できるだけの判断材料があるのか?」

 

「でも結論を出すには早すぎんだろ」

 

「かもな」

 

 男は頼んでいたカフェラッテには目もくれずに水を少し飲んでから、

 

 

「単なるミステイクだ。お前がここにいるのはちょっとした手違いでしかない、だから俺がお前を元の世界へ戻す助けをするためにやって来たってわけだ」

 

「そいつはありがたい限りだが、佐々木に世界を創るとかいう大層な力があるってか」

 

「佐々木には涼宮ハルヒと同じような素質がある。もっとも素質だけで本来なら仰々しいことはできないはずなんだが……そういうことだ」

 

まるで納得しろといわんばかりの様子で俺に語ってくれた。

 あのなあ、佐々木とハルヒを同列に扱うのは流石にどうかと思うぜ、と否定するのは後でも大丈夫だ。

 俺は男の言葉をゆっくり咀嚼してから確認する。

 

 

「あんたの口ぶりからするとだな、この世界から出られる方法があるって聞こえるんだが?」

 

「もちろんだ」

 

「教えてくれ、どうすりゃあいい」

 

「簡単なことさ」

 

 身を乗り出しかけた俺に対しジョン・スミスはくくっと鼻を鳴らして、

 

 

「佐々木に頼め」

 

それなりに無茶なことを言い出したではないか。

 

 

「散々な目にあってきたお前にもわかりやすく言えばだな、ここは"閉鎖空間"みたいな場所だ」

 

 ハルヒと同じような素質、と耳にしてフラッシュバックしたのはまさしく黒い無人空間だったがこことは似ても似つかない場所だった。

 そう、ハルヒの世界が現実とはかけ離れているのに対して"ここ"はあまりにも現実そのものなのだ。宇宙人も未来人も超能力者も魔法も異世界もデカデカしいスーパーロボットも何から何まで空想の産物だ、嘘っぱち。

 

 

「まあ正確には違うらしいんだが俺もよくわからん。確かなのはこの"世界"と呼べる規模の閉鎖空間を創ったのが佐々木ってこった」

 

 しかしまた何故そんなことをする必要があるのだろうか。ともすれば佐々木はハルヒ同様に己が力に気付いていないのかもしれない、いや、そう考えるのが自然だ。

  

 

「頼むっつってもな……オレが佐々木に『元の世界に帰してくれ』って頼んで『うんわかった』だなんてなるのかよ」

 

「それはお前しだいさ」

 

 俺に丸投げされた挙句に何とかしてうまくいった事例は少ないのだが。

 

 

「もっと具体的なプランニングはねえのか」

 

「お前の問題だ、お前で解決すればいい。俺は必要な情報をお前に与えるだけだからな」

 

 ようやくカフェラッテに口をつけた男は自嘲気味に「ぬるいな」と呟く。

 俺は一呼吸置いてからグラサン野郎ことジョン・スミスに対して最大の疑問をぶつけることにする。

 

 

「それだぜ」

 

「ん?」

 

「ジョンとやら、あんたの言ったことが全部事実だったとして……何でオレにそんな情報を与えるんだ」

 

 ここが閉鎖空間のような異空間ならばこの男は何らかの方法でこの空間に介入してきたということになるのだが、

 

 

「わざわざそんなことをする意味があんたにあるのか? ハッキリ言ってあんたは気味が悪い」

 

「酷い言い草だな。でもお前がこのまま何も行動しなけりゃ何も変わらない、それぐらいはお前もわかるはずだ」

 

それも確かにそうだなのだが、だとしても自分の正当性とは別問題だろうに。 

 ところで四月という時期は一年を通しても絶妙に時間の感覚を掴みづらいと思うのは俺だけだろうか、学校から直帰で茶店に転がり込んだとはいえ外は未だ夕焼け景色というわけでもないらしい。

 やがて男は感慨深い様子で。

 

 

「最初に言った通り深い意味などない。あえて何か挙げるとすればこれこそが俺の役割なのさ」

 

「だとしたら損な役回りだな、ギャラは弾んでんのか」

 

「ぼちぼちさ」

 

 男は充分だろう、と言わんばかりに、

 

「んじゃ俺は退場させてもらうとするよ。そういうことだ、うまくやれよ」

 

席から立ち上がり、財布を取り出し五千円札をテーブルに置くとそのまま一人で喫茶店から出て行ってしまった。

 ぼちぼちな割には五千円も持ってくれるのか、いやいやどうせなら一万円置いてけよな、なんてくだらないことから重要なことまで色んなことが頭を駆け巡っていた俺なのだがジョン・スミスの後を追おうという考えには至らなかった。

 きっと奴と俺とは住む世界が違う。直感的にだがわかったからだ。

 

 


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