あー、その、なんだ。
ひとつ言わせてくれ。
「……ざまあねえぜ」
あれからほどなくしてタクシーは北高の校門前に停車、料金はツインテ女がもったから問題ない。
俺が今問題視してるのはだな、どうやら俺は同じ手に引っかかってしまったようだということだ。
「早くしろ、あんたに選択権はない」
在校生でもないのに生徒玄関前まで行き、偉そうに俺に声をかける男。
言われんでもぱぱっと用事を済ませて帰りたいさ、いや、現状把握が先なんだがそれすらままならなくなっちまった。
空は青さを失い、夕焼け色でも夜の漆黒でもなく淡い黒褐色の混じったクリーム色と化しているのだ。
おかしいのは空だけではない。およそ自然界ではありえないような配色の光に北高一帯が照らされている、太陽の明るさなど微塵も感じられない、しかも校門の外に出ようとしたら見えない壁か何かに押し返されるときたもんだ。
「そういや前もこんな感じのことがあったっけ……」
もっともあの時と今とではいくつか異なる点がある。ハルヒの閉鎖空間とやらが黒一色だったのに対しこちらは暖色系、青白く発光して破壊活動を繰り返す巨人もいない。
佐々木は俺を釣るためのエサにすぎなかったのか、彼女の姿は見受けられない。この閉鎖空間もどきにいるのは俺と男とツインテ女だけらしい、先ほどまで聞こえていた運動系の部活連中の声も聞こえなくなっていたし。
と、忌々しさが顔に出ていたのか、ツインテ女は申し訳なさそうに頭を下げて、
「あ、あたしもよくわからないんですけど……ごめんなさい……本当は」
脂汗を顔に浮かべながら両手をハタハタ動かしているものの、焦り以外の何も彼女からは伝わってこない。
この状況を察するに全部あの男が仕組んでいることなのか、あるいはヤスミか、いずれにせよ俺はまたまたやられてしまいましたというわけで、男が待つ生徒玄関前まで歩いていくと、
「それで? 何がしたいってんだ」
「特別なことじゃないさ、少なくともあんたにとっては」
異空間に人ひとり送り込んでまですることが特別じゃないだと? こいつらの常識はどうなってやがる。
「最終目的地はあんたたちSOS団が根城にしてる小部屋だ」
「文芸部か。んなもん素直に行きたいって言ってくれりゃあ案内してやるぜ」
なんなら朝比奈にお茶を淹れてもらおう。
だが男は相も変わらずにスレた雰囲気で、
「それが出来たら苦労はしないさ。だからこそわざわざ面倒な手順を踏んだんだからな」
思わせぶりな発言を言うだけいって説明はナシ、あるいは常人には理解できぬだけなのかもしれない。
生徒玄関に入り、上履きに履き替え――他二名は来客用のスリッパを拝借している――廊下に出るや否や男と女は自然な足取りで校内を先導していった。
なるほど、ハルヒがらみで普通じゃない連中だけあって北高のマッピングなど織り込み済みというわけか。
できればこのまま俺を放っておいてくれと思いつつ適当な会話でお茶を濁すことに。
「なあ……佐々木はどうしたんだ?」
「フッ、気になるのか?」
質問を質問で返すなってんだ。急に消えて気にならない方がどうかしているだろ。
「用が済んだら佐々木もあんたも自由の身だ。好きなだけイチャコラすればいい」
今すぐこいつに殴りかからなかったのは得体の知れぬ相手だからではない、俺が年齢相応の自制心を身につけていたからだ。
男は俺の胸中などいざ知らず、もしくは知っててか、
「おっと、あんたの好みはむしろ涼宮ハルヒの方か? どっちにしろ僕の手には余る人種だな」
オーライ落ち着け、そうさ、落ち着くんだ。Take it easy, easy dose it.
衝動に身を委ねるのはことのほか簡単なんだ、あれが欲しいだのあいつが気に食わないだの、人間が一時の感情に流されてしまうのは心の弱さなどではなく元来そういう生き物だからだ。
でもな、"それ"は決して永続しないのさ。人間は簡単にイカれたり出来ないんだ。だからもしイカれているように見える奴がいたとしたらそいつは数日もすれば普通の奴に持ち直す、十年経ってもおかしいならそいつは最初からイカれてたってだけのことさ。俺は違う。
「あんたも奇特なもんだ」
「……お前ほどじゃあねえ」
「ククッ」
結局のところ、自分の世界を変えられるのは自分だけでしかない。俺は普通の世界に生きている普通の人間なんだ、俺からそれを奪おうなんざ、奪う権利なんざ誰にもないんだからな。
度重なる異常事態に俺の精神はパンク寸前だったが、軋む身体を誤魔化すために脳内にワルキューレの騎行の戦慄を思い浮かべながら二人の後を追っていく。
そうこうしているうちに部室の前までやってきてしまった。奇しくも俺がかつてヤスミに呼ばれるがままに足を運んだ時間帯と同じだ、これで俺が部室の中にもう一人いたらさてなんて声をかければいいのやら。
男は扉を顎でしゃくって、
「さあ、開けるといい」
こいつに従うのは癪だが下手に逆らうリスクも被る必要はあるまい、俺はぶっきらぼうに扉を叩いてから中の返答も待たずにノブを捻って押し開けた。
部室には誰かいるようだ、男と女――
「――」
不意に、軽く押し返されるような感覚を味わう。胸の辺りを何かに小突かれたような緩い衝撃、
「んあ……?」
瞬間、何が起きたのかわからなかった。咳、むせ返りを覚えた俺が手で唾液の飛散を防ごうと口もとを抑えるが一向に咳は止まらない。
「お゛ほっ、え゛ぶっ」
口元が濡れている。手を口から放すと濡れている原因がわかった。
「んぐ……」
血だ、しかも手のひら一面に広がっている。思わずくらっときたね。ドアを開けた瞬間になんらかの攻撃を受けたらしい。
男とツインテ女、室内の人間がどういう反応を示しているのかわからない。男は何か言っているようだが小声でよく聞き取れない。
とにもかくにも俺の抹殺が全ての目的だったのか? 馬鹿馬鹿しい、なんだって俺なんぞを殺す必要があるよ。それにしたってもっと直線的に襲って来ればいいだろうに、いや、タフガイぶるなよ俺、まだ、死にたくねえぞ。
呼吸がままならない、脳に酸素が回らない、貧血によるものなのか足元もおぼつかなくなりつつある俺が最期にはっきり見たのは自分の胸元。
なるほど
声には出せなかったが、どうやら俺の身体には拳一つ分ぐらいの大きさの穴が開いているようだった。原因は不明だが明らかな致命傷。
おいおい、いくらなんでも そりゃあな
――重い。
「……ん」
俺の身体から力という力が抜けきっていて重力に屈しているとはまさにこのことか。
薄らぼんやりと目を開けるとその先は白、白い天井だ。見慣れないヤツだ。俺の自宅のそれではない。
「……」
ここはどこだ、と考えるよりも先に身体が動いた。
腕を動かし力を込め上体を起こそうとして自分がベッドの上にいるのだということに気付く、清潔感あふれる仕様はまさしくあつらえ向きだ。
徐々にだが頭が回りはじめる。そうだ、前にもこんなことがあった気が
「……キョン?」
首を動かして声の主の方向へと向ける。
「さ、佐々木か」
ベッドの脇に座っていたのは紛れもなく私服姿の彼女ではないか。なんだ、何がどうなっている。とりあえず当面の危機は去ったのだろうか。
俺は佐々木に色々と質問するべく声をかけようとしたが、彼女の反応がおかしい。
いつもこの世に怖いものなんてないといった様子でふるまっている佐々木の顔が歪んだ、肩をわなわな震わせ、ともすれば手で顔を塞いでいる。
ひぐっ、ひぐっ、すぐに察しがついた。佐々木は今泣いている。
「すっ……すまない……すぐに先生を呼んでくる」
と言い残すや否や佐々木は泣き止むよりも早く病室を後にしていった。
それからほどなくして医師が駆けつけ俺は問診を受けることに。どこか痛いところはないか、身体に違和感はないか、俺はありのままに「特に異常はありません」と答えた。
後ほど精密検査を行うという旨を伝えた医師に今度は俺が質問する番だ。
「オレはなんでこんなとこに運ばれてたんですかね?」
医師の口から語られたのは内容はこうだ。今から二週間ほど前、私鉄の踏切近くにある県道に重なっているとある十字路で人身事故があったらしい。相手の車両は中型トラック、で不幸にもトラックなんぞと接触してしまった相手が俺だそうな。
119番通報してくれた方が事故の詳細を目撃していたそうだが、話を聞く分にはとてもじゃないが俺が生きていられるような事故だったとは思えない。
トラックのスピードは40キロ程度、まともにぶつかってしまった俺はフッ飛ばされるとゴムマリのようにアスファルトをバウンドしたとか。
だが今の俺に目立った外傷はない、いや、頭に申し訳程度の包帯が巻かれているが特に痛みもしない。
「とにかくしばらくは安静にしていただきます。何か異常を感じたらすぐにナースコールを押してください」
病院はいつぞやお世話になった某私立病院であった。ともすれば古泉がまた動いてくれたのだろうか、なんてこの時の俺は考えていたわけだ。それが現実ならどれだけよかっただろうか。
その翌日、午前中が精密検査で潰れた俺の病室に来訪者がやって来た。三人も。
二人は見知らぬ中年男性とその妻らしき女性、そしてもう一人は見知った顔、栗色のウェーブがかったロングヘアの巨乳少女、朝比奈みくるその人に間違いなかった。
俺の母さんも同席する中、来訪者三人組は頭を下げた。
「……本当に申し訳ありませんでした」
一体全体何事なんだ、神妙な面持ちの母に尋ねると中年男性が重々しく口を開く、
「キミは私の娘……みくるを助けようとしてトラックにぶつかったんだ」
決して彼女が交通ルールを逸脱していたわけではない。否、過失があるとすればドライバーの方であって、つまるところ信号無視が原因らしい。
ならばこの人たちが頭を下げる必要などないのではなかろうか。そもそも俺は彼女を助けたことさえ覚えていないわけだし。
「それでも娘の不注意にキミを巻き込んでしまったのは事実。我々にも責任はあるのです」
と、言われてもな。ぜんぜんピンとこない。
正直なところ今までの流れが全部ヤスミの仕掛けたドッキリか何かでないかとさえ俺は疑っている。そんな思考回路からか俺は大人組に席をはずしてもらい、朝比奈みくると名乗ってくれた少女に訊ねた。
「なあ、あんたは未来人で間違いないんだよな?」
「……ふぇ?」
責任感からか悲痛な面持ちだった少女の顔は、俺の荒唐無稽な質問によって素っ頓狂なものとなった。
ここまで含めてドッキリならいい加減に俺の敗北宣言だぜ、だから誰でもいい、全部嘘だと言ってくれ。
「オレだって詳しいことは理解してねえがな、あんたは未来人で、タイムマシンみたいなのも使えて……とにかく普通じゃあないはずだ! 違うか!?」
俺は必死に事のあらましを語ろうとした。更に未来からやってきた大人朝比奈の存在、七月七日、俺が世界から消失したこと、断片的に言葉にしていった。
人間は自分の顔を見ることはできない。もし自分の顔を見れるならこの時の俺はどんな顔をしていたのだろうか。
少なくとも朝比奈みくるを混乱させるほどの気迫はあったようで、彼女はしどろもどろになりながら、
「ええっと、あの、あたしは何も、その……」
ヨクワカンナイデス、ゴメンナサイ。
そうだ。か細い声だったが俺の耳に届いたのは肯定なんかじゃなかった。
春が出会いと別れの季節、なんて最初に言い出したのは誰なんだろうか。そんなのは単純にイメージの問題でしかない、要するに年度が替わるタイミングで進学やら就職やら人事やらその他もろもろの都合で人の出入りが激しくなるといった統計的なもんだろ。悪いが一番怖いのは予期せぬ出会いと別れと相場が決まってるんだ。
なんて言おうが言うまいがどうでもいいがな、どうやら事態は俺が思っている以上に行き詰っていたようだ。
「行ってきまーす!」
玄関を出たタイミングは同じにも関わらず小学五年生の愚昧は我先にと走り去っていく。その元気をミリ単位でもいいから俺に分けてほしいね。
さて、あれからしばらくして退院した俺を待っていたのはどうしようもない現実だった。
その一は時期的な問題。何を隠そう今の俺は高校一年生、つまり約一年前の春である。流石に自分の正気を疑ったね。生きているのかさえ怪しく思えてきたが自分の頬をつねれば痛いし、何もなかったかのように一日は過ぎていく。これは現実らしい、今の俺にとっては。
その二、環境の問題。俺の部屋は趣味一色、某外人サッカー選手のポスターもあったしお気に入りのスニーカー達も健在だ。ついこの前までは面白味のかけらも感じられぬ、ただの家具しか置いていない部屋だったのに昔の俺の部屋と寸分違わぬ様相が目の前にあった。
「……行ってくるよ」
誰に言うでもなく一人静かに呟くと駅を目指し歩きはじめる。
そう、まるで今までのは全て嘘だったかのように全部が"普通"に元通りだ。俺が今着ている制服は北高のブレザーなんかじゃあない、俺が本来通っていた隣町のやつだ、しかもおろしたて。
最近では愚昧だけでなく俺の方も気に入りつつあった我が家の愛猫ことシャミセンもいない。当然だ、そもそもあいつは十一月に飼うことにしたんだ、数か月も後の話だ。
しかもその数か月後が訪れたところでシャミセンを拾うきっかけが訪れるわけでもない、北高に通っていない俺はSOS団とかいう変人集団に属しておらず、すなわちハルヒ指揮のもとに映画撮影が行われることもない。シャミセンはハルヒが映画の小道具として拾ったネコなんだからな、俺が見つけられるはずないだろ。
歩くこと一、二十分ほどして最寄りのローカル私鉄線駅に到着。思い入れのある駅前公園はハルヒが事あるごとに俺を含めたSOS団連中を集合させるのに利用してた場所だ。そんな駅前公園を横目に駅に呑み込まれていくと、すぐさま改札口に定期券を通してホームへと向かう。
なんでも近頃は自動改札機なるものが出てきたようで、後三年もすればこの駅にも導入されているかもしれない。もっとも俺は磁気定期券のペラペラさと、それを改札機に入れた時の感覚が好きなので自動改札機が主流になったとしてもそっちを使い続けるだろうな。切符がある限りは廃れないはずだし。
それから数分もしないうちに電気鉄道がやってきた。当然俺はそれに乗車する、朝というだけあってそれなりに人はいるが、東京や神奈川圏内の通勤ラッシュとは雲泥の差だ。まあ、俺は都市部の通勤ラッシュを味わったことがないんだが。
「……」
シックス・センスという映画をご存じであろうか。
知らんという方にはぜひ観てほしいのだが、いや、知ってても知らなくても俺の話とは何ら関係ないんだけどな。とにかく再三に渡って述べるが腑に落ちないことばかりだった。
しかしながら現状を否定する根拠が見当たらない。宇宙人、未来人、超能力者、おまけに神と異世界人だって? いったいこんな話を誰が信じるってんだ。体験してきたはずの俺でさえ半信半疑なんだぜ。
いつぞやのように"鍵"を集めてみるか? 完全に部外者の俺が北高に押し入るのは困難だろうが不可能ではない、ハルヒと古泉はジャージに着替えてまで潜入したんだからな、公立校のセキュリティなんざタカが知れてる。
だが俺は行動しあぐねていた。これが本当の現実で今まで見ていたのが夢だという可能性が俺を縛っているのだ。だとしたら無駄なリスクを冒す必要がどこにあるのか、それぐらいならまたいつものようにSOS団の誰かが俺に助け舟を出してくれるのを待ってみた方が賢明ではないのか、と。
なんて、一人で考えていようが結論が出ないのは当たり前なんだが、今の俺には悩み考え続けるぐらいしかできないのさ、情けないことこの上ないがな。
そうこうしているうちに電鉄は降車駅に到着、通学路は北高ほど険しい道のりでもなく、ほどなくして俺は学校に到着した。時刻は8:22、無難な時間だ。
とりあえずひとつだけ確かなことを言わせてもらうとすれば――
俺の教室に涼宮ハルヒはいない、ってことだな。