十二月十八日だ。
いつも通りに起床した俺はいつも通りな日々を送るはずだった。
いつの間にか愚妹より俺の方に懐いていた三毛猫のシャミセンは俺の近くで毛布にくるまって惰眠をむさぼっている。
気楽な猫だ。猫は一日の大半を寝て生きるぐらいなんだからな。
愚妹に睡眠妨害されたくなくてここまで逃げて来ているのだろう。
俺はシャミセンを部屋に残して顔を洗いに行く。
「お兄ちゃん、シャミはぁ?」
顔を洗い終わったタイミングを見計らってやってきた愚妹が開口一番そんなことを言い出した。
毛玉生物には同情しないがまず言うことがあるだろ。
「あいさつもできん奴にはシャミセンの居場所は教えられん」
「お兄ちゃんおっはよー」
「……ああ、おはようさん。シャミセンならまだオレの部屋で寝てるんじゃあないか。朝いじくりまわすのはやめてやれよ」
「あたしの勝手だもんっ」
なんと涼宮みたいなことをぬかしやがった愚妹はさっさと失せていった。
哀れ也、毛玉生物。お前の安眠は愚妹がお前へのちょっかいを止めない限りはなさそうだな。
「……はぁ」
溜息をついて外気が上がるのならば俺は一秒間に十回の呼吸をしてやっても構わない。
体感温度ぐらいは上がってくれるだろう。呼吸するってだけでも人間はエネルギーを消費するわけで、つまり運動なんだからな。
朝の登校も慣れたもんだ。県道を歩いて行き、次第に急こう配になってきたかと思えば人影もぞろぞろと増えていく。
こんな坂道を朝からダッシュで行こうとするのは涼宮ぐらいだろうな。だからこそあいつは俺より先に教室にいるのかもしれない。
ところで冬といえば急激な冷え込みによりバイオリズムを崩され、風邪に始まりインフルエンザや昨今ではノロウィルスなんかもあるくらい面倒な季節だ。
それでいて北海道なり降雪地域の連中は雪害もあるのだからよく生きてられるなと思うね。
「お前はどう思う?」
「べつに。雪が降った方が楽しいと思うけど」
教室につくなり後ろの女にしてやった話題提供がさきほど述べた内容なわけだが、こいつの中では楽しけりゃ死んでもいいってなってるのか。
雪害で亡くなってる方々に申し訳ないとかそういう態度は一切合財感じられない。
「だって雪でも降らないと見飽きちゃうじゃないのよ」
「外の景色の話か?」
「そうよ。季節が変わっても外の明るさぐらいしか変化してないでしょ。こんなんで楽しめっつー方が無理ね」
だからって部室を好き勝手模様替えしていいなんてことは何処にも書かれてなければ誰も言ってない。
それは自由にやっていいって意味合いではなくそんな常識外れなマネはするわけがないと暗黙の認識があるからである。
いや、百歩譲って装飾がありだとしてもやはり鍋はバレたらまずいよな。さっさと平らげるのがベストか。
「だからあたし考えたの」
「……何をだ」
「むふふ。ひみつ」
朝から笑顔でつられて俺も笑ってやりたいところなんだが物騒な内容だったら困るね。
とにかくまた何か思いついたらしいがよもや雪を降らせろとか命令された日にはどうすればいいんだ。
天に乞うたところで振ってくるのは雨ぐらいなもので奇跡的に雪を見られたことなんて年に一度あれば多い方だ。
聞けば降雪地域からすればいい迷惑でしかなく、雪なんか眺めてても飽きるだけ、さっさと溶けてしまえとの不満の方が雪よりも積もっていくだけだとか。
とにかく不満不平を持つ限りはお互い様なんだろうさ。
「……」
翌日から短縮授業だということを支えにしながら午前を消化し、昼休みは聞きたくもない谷口のナンパ哲学を聞かされ、しょげかえった精神で午後を乗り切って放課後。
例の如く涼宮は帰りのあいさつが済むなり最初からいなかったんじゃないかって勘違いするくらいの勢いで教室を飛び出していったので後ろの席はすぐに空席に。
涼宮は意外にも掃除当番の時はきちんと仕事をこなしているらしくむしろ駄目出しする側なんだとか。
適当に動くくせに手抜きが嫌いって理不尽極まりないよな。そりゃ煙たがられるのも無理はないのかもしれない。
「……」
コートを羽織り、マフラーを巻いて、学習鞄をもって廊下を歩くこと数分で目的地へ到着。
しかしすぐには入らない。朝比奈の着替え中だったら困るのでノックをする。
「――はぁーい」
どうやら入ってよさそうだな。
俺はドアノブに手をかけて、ガチャリとやったところで気付く。
待て、今の声、誰のだよ。
「……誰だ、お前?」
ドアの向こうには待っていましたといわんばかりの期待感あふれる表情の女子生徒が窓の近くに立っていた。
間違いなく長門でも朝比奈でも涼宮でもなく、朝倉でもなければ喜緑でもない。
同じクラスにいる女子でもない。が、彼女の上履きの色から察するに俺たちと同学年の一年生らしい。
そいつはニコっとしれから。
「はじめまして……に、なるんですね」
思わせぶりな台詞だがはじめましてなのは当たり前で、やはり俺はそいつに心当たりがまるでない。
制服からして北高生らしい彼女。くしゃくしゃな茶色の短髪で、左端にはスマイルマークの髪留めがついている。
存在感がある人種だ。今まで見逃していただけなんだろうか。谷口に訊けばわかるかもしれない。
「SOS団に用か? あー、その、ご覧の通りの有様だが気にしないでくれ」
いつぞやは依頼人募集みたいなよくわからないことをしていた――今のところ依頼が来たのは一回だけだが――のでこの女子もそのクチだろうか。
部室内は徐々にクリスマス装飾が始まっており、とても人様に見せられる状態ではなかった。
しかもこういう時に限って俺一人ってのがまた面倒でしょうがない。長門がいてもどうしようもないだろうがせめて古泉はいてほしいね。
すると何やら改まった表情でそいつは。
「あたしはあなたに用があって来たんですよ」
「はあ……」
と、言われてもなんのことやら。待ち伏せみたいなことをされて話される用件ってどんなものかね。
彼女は生徒会のスパイか何かで俺からこの部室を切り崩していこうみたいな話かもしれん。
涼宮なら喜んで喧嘩に乗るだろうが俺は遠慮したい。
「本当なら滅多なことでもあたしは出られないんですけどね、今回は大ピンチですから」
「用件ってのはなんなんだ」
「そのうちわかりますよ。まあ、あなたに会うのが半分ってところなんです」
「……具体的に言いやがれ」
どうしてこいつらは遠回しな連中なのか。
アメリカ人のように結論優先みたいな精神が羨ましい。
「先に謝っておこうかな、うんっ。ごめんなさい」
突然そいつはぺこりと頭を下げた。
何ださっきから。段々と不気味に思えてきた。
「勝手なことばかり言われても困る。ひょっとしてお前も変な能力みたいなもんがあるのか? 変身したり、バリアー張れたり、タイムワープできたり」
「……さあ?」
けろっとした顔で言う彼女。
だが、普通の奴なら俺の話に荒唐無稽さを感じて何か言うはずだが彼女は否定も肯定もしていない。
つまりこいつも異端者かそれに近い人種ってことだ。
「オレに用があるんならもっとわかりやすい用件で頼むぜ」
「っと、今日はここまでみたいですね」
「おい」
すたすたとこちらに向かってきた彼女。
何かわからんが帰るつもりらしい。
「言うだけ言って帰る気か」
「すみません。でも、あたしもいつまでもここにいれないんですよ」
「……なら名前ぐらい残してけ。フェアじゃあねえ」
そいつはピタリと俺の横で足を止めた。
少し間を空けて、もったいぶってから。
「あたしは、わたぁし」
「……はあ?」
「そういうことですのでー」
俺を通り過ぎて廊下に出てしまう。
今のあれが自己紹介だってのか。
「あたしの分まで、涼宮さんのことをお願いしますねっ!」
と大声で言ったかと思えば部室棟の廊下を駆けてどっかへ行ってしまった。
捕まえてやりたかったが何か反撃されたら困るので俺は渋々部室に舞い戻る。
「意味、わかんねえ」
ジーザス。わかりたくもなかったさ。
俺は俺であってそれ以上もそれ以下でもなく、まして、俺以外だなんて考えてはいないから。
それからまるでわざといなかったんじゃないかってぐらいにぞろぞろと四人は部室にやってきた。
長門、朝比奈――ここでサンタコスに着替えるので俺は廊下に出る――古泉、最後に涼宮。
さっさと先ほどの女について相談したいところではあったが、あっさりと涼宮がやってきたのでそんな時間はなかった。
また後でにでもしようと思った。釈然としない感じはどうにか抑え込んで。
「……ほれ。買ってきてやったぜ」
俺は鞄からモールを何個も取り出して長机の上に置く。
でかしたとも言えばいいのに涼宮から労いの言葉などなく。
「んじゃ早速飾ってほしいけど、まず今日は会議をします」
「会議だと? 一昨日やったばかりじゃあないか」
「何よ。何度もしちゃ駄目なの?」
普通の会社ならどうでもいいが俺たちはまず会社でもないのでつまりミーティングなわけだが、その場は涼宮の独壇場だ。
自分の思いつきを提案するだけの場でしかないので俺に無茶な要求が飛んでこないことを祈るばかりなんだが。
「おっほん。こいつは置いといて、とっとと始めるから」
なんて言ってから涼宮はホワイトボードに文字を書いていく。
SOS団クリスマスパーティの文字が未だに残っていたホワイトボードの、その余白である左隅に付け足すように。
「『SOS団スペシャルプレゼンツ』……だと?」
「うん」
何が言いたいんだこいつは。そろそろ考えるのをやめたいんだが俺は。
古泉を見ると首を横に振るだけで、朝比奈はぼけーっとしていてこちらの視線に気づかない。長門は読書中。
もうね、お前らは涼宮の監視以外する気がないのか。
「話が見えてこねえな。プレゼント交換でもしようってのか」
「違うわよ。あたしたちでやってもしょうがないでしょ。役一名、しょうもないプレゼントしか用意してこないだろうし」
「オレのことか?」
「誰とは言ってないけど」
さらっと言ってくれるがこいつは否定していないし俺の方をじろっと見ているのでもしかしなくても俺のことだ。
失敬だな。何を用意するか本当に想像もつかない長門よりはマシだと我ながら思っているのだが。
「で、どんな場を提供するって?」
「見ての通り、みくるちゃんは今サンタクロースの恰好をしてるわ」
「だな」
お前の仕業だろうに。
涼宮は朝比奈をまじまじと見ながら。
「期間限定なの。わかる? 二十六日には着られなくなっちゃうのよ」
「んなもん本人の気持ち次第でいつでも着ればいいじゃあねえか」
「ノンノン。サンタクロースは二十五日までなの。仕事が終わったら私服に着替えるにきまってるじゃない」
こいつの中のサンタ像が普段はアロハシャツ着てゴロゴロしてるようなオッサンだということはわかった。
そもそも朝比奈がこんな格好をしているのも涼宮の命令であり、つまり他の恰好にするのもこいつ次第なのだ。
「もったいないと思わない?」
「思わんぜ」
「サンタクロースなんだからサンタクロースらしいことをしなきゃ駄目なの」
「そんな取り決めは聞いたことがないし朝比奈はサンタではないぞ」
「あんたはあの服がなんに見えるのよ」
まあ、サンタクロースだろうな。
上はさておき下はミニスカートなのでどうかと思うが。
「てなわけでみくるちゃん!」
「ひ、ひゃいっ!? なんですか!?」
「あなたは子供たちに夢と希望をあたえる本物のサンタクロースになってもらうから」
その後の涼宮の説明によるとこうである。
二十五日にこいつの地元で子供会の集会がある――どこで聞きつけたんだ? こいつはガキ大将か――らしい。
でもってその集会に俺たちがゲスト参加して子どもたちにプレゼントを配るといった確かにさサンタらしい行為だ。
「なるほど、面白そうですね」
「……」
どうせ自分はサンタの格好などしないので適当な返事をしているに違いない。
古泉はどこ吹く風だし、長門は話を聞いていたのかさえ怪しい。
説明を終えた涼宮は少し顔をしかめながら。
「にしてもサンタだけじゃなんか足りないと思わない?」
「大きな袋か」
「違うわよ。もっと大事なのがあるでしょ」
「……言ってみろ」
「トナカイよ」
トナカイ。それはもしかしなくてもサンタが乗るソリをけん引するあの奴隷のような仕打ちを受けているあの家畜か。
もしや本物のトナカイを連れてこいって言うんじゃないだろうな。
「あんた用意できんの?」
「できるわけがない」
「そうよね。安心して、あたしはトナカイ役のことを言ってるの。トナカイがいなきゃサンタクロースとしては不十分だから」
カリブーだかレインディアだか知らないがシカ科の畜生とは無縁らしい。
だがしかし安心とはいかなかった。涼宮はつまり誰かにトナカイ役をやれと言っているのだ。
くじ引きで決めると言われた段階でもう俺は悪い予感しかせず、そしてその悪い予感は見事的中。
どうやらハズレを引いたらしい。俺がトナカイ役になってしまった。
「ふーん。ちゃんと大人しくトナカイらしくやるのよ? 四つんばいになるんだからね」
何が悲しくてそんな役目を引き受けなければならんのか。
一億光年いや一億パーセクほど譲ってやったとしよう。
「オレがやってもいいが、条件がある」
「なによ。あんた意見する気?」
「これが通らなかったらオレはストライキを起こす」
「……ふん。言うだけタダね」
タダより高いものもない。こいつはその辺をよく考えるべきである。
俺の条件はとても単純かつ合理的なものであった。
「サンタクロースだがな、お前がやれ」
「はぁ?」
「お前がサンタをやるってんならオレはトナカイ役をやってやってもいいぜ」
「どうしてあたしもサンタをやるのよ。サンタは一人でいいのよ」
「ああ。お前一人だ。何がおかしい?」
涼宮は俺の要求の意味をよくわかっていないらしい。
ならばわかりやすく言い換えるとしよう。
「つまりだな……オレはお前のサンタクロース姿が見たいってことだ」
「……えっ」
そんな感じでここから俺と涼宮の二者間協議が異端者三人そっちのけで開始されること数十分。
古泉は営業スマイルを浮かべ、朝比奈はサンタクロース役をやらずに済む安心半分残念さ半分の様子で、長門はやはり気にしていない。
ああでもないこうでもないのやりとりの末に、ついに。
「しょ、しょうがないわね……そこまで見たいってんなら……団員の期待に応えるのも団長の仕事だから……そう、そうなのよ」
涼宮が折れてくれたではないか。
いやはや男は度胸。なんでも言ってみるものである。
しばらくして落ち着いた後、涼宮は。
「もうこんな時間なのね。じゃ、これから買い出しに行くわよ。飾りつけは明日ね」
「おいおい、どこに行こうって言うんだ」
「トナカイの衣装を作るのよ。そのための材料集めに行かなきゃ」
わざわざ手縫いでやろうってことらしい。
朝比奈にトナカイ服は着せる予定じゃないのか。
いや、サイズ的な問題なのか。そもそもどれくらいのもんを作ろうってんだ。
「まったく」
かくして俺たちは文芸部の部室を後にして、五人揃って買い出しに行くことになった。
廊下を歩き、階段付近に差し掛かる――
――その時、俺は理解した。
「……やれやれって感じだな」
そうか。
あの時俺がいたのは"ここ"だったんだな。
「トナカイの角の部分はどうしようかしら」
「木材だと破損のおそれがあります。手間ではありますが色の違う生地を縫い合わせて綿づめするのがよろしいかと」
「トナカイさんの鼻って本当に赤いんですか? 本物を見てみたいなぁ……」
「……」
世間話に花を咲かせながら先行していく四人。
俺は四人の後ろを一人でついていく形だ。
そして俺が踊り場の端に足を乗せたその時、身体の制御が急にきかなくなり、前のめりになっていく。
つまり俺の身体は階段にぶつかりながら転がり落ちることになるな。
都合のいいことにコースはちょうど四人の横あたりだろうか。
「後は任せたぜ――」
俺。