校内一の変人のせいで憂鬱   作:魚乃眼

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第二十九話

 

 

昨日と同じようにして県道を歩いて行く俺と長門有希。

もともと昼間から曇っていた空が再び闇夜に支配されるまでにかかる時間はそう長くない。

気温的に劇的な変化などないはずで、いぜん寒いことには変わりないのだが明るくないってだけで更に体感温度は下がるというものだ。

吐く息の白さを確認するよりも早く吐息は宙に溶けていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

長門の手は小さかった。

野郎の俺と比べたら当然のことではあるが指は細く手の平は一回り以上も俺より小さい。

そんな彼女の右手は雪のように冷えていた。俺の手だって冷えている。

人間の身体は末端から冷えていくとかなんとか聞いた気がするが、とにかく温もりを感じられはしなかった。

何故かわからないが俺は無性に悲しくなった。

 

 

「……」

 

「……」

 

手を繋ぐという行為は彼女にとって儀式的な意味合いがあったのかもしれない。

俺にとってはなんの意味もない、無意味な行為に過ぎないはずだ。付き合う理由もないはずだ。

 

――俺が"キョン"じゃなかったら。

なんてこと、口が裂けても言えやしないだろう。

他の人間が俺をキョンという野郎として認識する原因は不明だ。

記憶改竄みたいなSF的作用が働いているのかもしれないし、あるいは。

 

 

「長門」

 

「……なに?」

 

どんな話をしてくれるのだろうか。

といった様子で期待を顔に浮かべながら俺の言葉の先を心待ちにしている彼女。

宇宙人の長門は俺とキョンがそっくりな顔立ちかどうかという質問に対してノーコメントだった。

俺とそいつは本当に同じ顔なのかもしれない。

 

 

「明後日は、休みだな」

 

「うん……」

 

「どっか出かけたりはしないのか?」

 

「……今のところは何も」

 

「そうか」

 

グリム童話集、その白雪姫の最後のページに挟まれていた一葉の栞。

最終期限は二日後。この符号の意味するものはつまりタイムリミットだろう。

プログラムとやらには使用期間が存在するらしい。有償ソフトウェアサービスってとこかよ。

思い起こせば五月の時も宇宙人のコマンドプロンプトは時間制限つきだった。

これがあの長門からのメッセージであればあの時と同じということだ。

つまるところ俺は判断を任されたのだろう。ここに残るか、回帰するか。

答えは考えるまでもないはずなんだ。

 

 

「なら、オレと出かけるか?」

 

「……いいの?」

 

「暇なのが自慢の一つだ」

 

「ふふ。自慢になってない」

 

人見知りなきらいがあるだけの普通の文学少女。長門有希。

いいやそれだけじゃない。殺人なんかとは無縁そうな朝倉涼子。

未来だとか言われてもピンとこないだろう友人との日常を過ごす朝比奈みくる。

古泉も『機関』とかいう物騒な連中の一員ではなくどこかで普通の男子高校生として今を生きている。

涼宮も光陽園学院で彼女なりの新しいスタートを切っているはずだ。

 

――なあ、誰でもいいから教えてくれないか。

この世界が俺の生まれついた世界とは絶対に、九分九厘、百八十度で違うんだ、と。

明確な否定が欲しい。保証してくれ。はっきり言って俺には何が正しいのかがもうわからない。

私立のお嬢様学校だった光陽園学院が共学で市内有数の名門校と化しているだなんてのは俺にとって些末な問題でしかない。

投げ出したいさ。だけどあんなもん見ちまったらそうはいかないだろ。

だから、誰でもいい。俺に少しだけ勇気を分けてほしい。

 

 

「……」

 

「……」

 

あっという間だったかもしれないし、この世で一番長かったかもしれない。

冬の夜道を拭く風はどこまでも冷え込んでいて、俺の背中にかじりつくようでもあった。

長門も、俺も、寒さに身を震わせていた。

 

 

「……っと」

 

かくして分譲マンション前に到着した俺たち二人はエントランスに入るなり繋いでいた手を離した。

この時も長門はやや切なそうな顔をしたが、それも一瞬ですぐさま普通の表情に戻ると接地されている操作盤のキーを押して暗証番号を解除。

つつがなくロビーへと入っていき、エレベータに乗り込んだ。以前、ここの屋上で天体観測をした時に五人で乗ったエレベータだ。

長門の部屋は七階にある708号室らしい。

 

 

「お邪魔、します」

 

「どうぞ」

 

さて、妙に俺は改まってしまう。

あろうことか両親は不在のようで、というか彼女は絶賛一人暮らし中らしい。

男の俺をほいほい上げてしまっていいのかと思ったところで長門とキョンは付き合っているという話だった。

俺が彼女の部屋を覘くのは今回が初めてだが、彼女がキョンを部屋に招くのは今に始まったことではないのだろう。

独り暮らしなせいかどこか殺風景ではあるものの多少のインテリアはあり、テレビの横には観葉植物も置いてあった。

では、宇宙人の長門有希はどんな部屋なのだろうか。勝手な想像で失礼だがここと違って何も置かれてないような気がしてならなかった。

 

 

「……どうかした?」

 

「ん、いや……なんでもないさ……」

 

居間の端で立ち尽くす俺を小首を傾げながら見つめる長門。

彼女は部屋の中央に置かれているコタツの電源を入れたようで、座るように促した。

流石に高そうなマンションの一部屋というだけあって壁も特殊な材質なんだろう。

それに冷暖房だって完備されている。俺の部屋とは雲泥の差である。

コタツに下半身を忍ばせた俺は着ていたコートをすぐに脱いだ。

 

 

「お茶……淹れてくる」

 

と言って長門はキッチンの方へ足早に駆けていく。

そんな彼女の様子がどこかおかしくて俺は自然と顔がほころんでいた。

涼宮が気に入るぐらいだ。キョンはいい奴なんだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それから長門とは取り留めもない話をした。

昨日の帰りに彼女とした話の延長線上のようなものだ。

クラスのこと、勉強のこと、部活のこと、冬休みのこと。

 

 

「明後日だが、行きたい場所はないか?」

 

どうして俺がこんな薄情なセリフを吐けたのか。

それはきっと長門を心配させないためだったんだろう。

長門はもしかすると俺が普段のキョンと違うことをどこか察していたのかもしれない。

彼女から俺を家に誘うなど、その一挙一動からは到底想像できない。

人見知りで奥手な彼女が心を許せる数少ない相手。それがキョンに違いない。

コタツの向かいに座る長門はどこか遠慮しがちに。

 

 

「いつも通りでいい」

 

いつも通り。はて、そう言われたところで俺はその注文の内容など知らぬ存ぜぬだ。

キョンの甲斐性がいかほどなものかは不明だが適当に話を続けるとしよう。

 

 

「たまには違う場所に行くのもいいんじゃあないか?」

 

「……考えがあるの……?」

 

そう言われると言葉に詰まらざるを得ない。

涼宮とデートもどきを過去二回経験した俺ではあるが、女性経験など皆無である。

件の過去二回のデートもどきの内容だって行き当たりばったり。

もっと言えば明後日に俺がどうなっているかなど皆目見当がつかない。

何故ならばプログラムの期限である二日後とやらはもしかしなくても明日が期日だと推測されるからだ。

つまり、俺の周りが変わってからの二日以内。栞を発見した今日から二日と考えるのは都合がよすぎる。

常に最悪な考えをしといて損することはないのさ。

 

 

「ノープランだ。だが、考えておこう」

 

くすっと俺の発言に笑う長門。

なんだか俺は段々とこっ恥ずかしくなってきた。

彼女からすれば俺との会話は楽しいんだろうし俺としても新鮮味がある普通の長門相手との会話は悪いもんではない。

だけど、そろそろ俺も嫌になりつつあるのさ。

 

 

「……楽しみにしておく」

 

本当にサプライズを心待ちにするかのように長門は言ってくれた。

名前まで変えられちまった俺が、次に容姿まで変わっちまったらと考えただけで吐き気がする。

俺は俺なんだ。まだ、自分の名前は忘れずに覚えているんだからな。

なんだかんだ持ち直しつつある俺だった。流石に長門に手を出そうとは思わんが気分が浮足立っていたのは否定できない。

そんな中で唐突に、ピンポーン、とチャイムの音がこの空間に介入した。

 

 

「ちょっと待ってて……」

 

コタツから出た長門は壁際にあるインターホンまで来訪者に対応しにいった。

二、三会話したかと思えば申し訳なさそうに俺を一瞥してから会話を終了して玄関へ消えていった。

何事かと思った俺がそれを把握するのは数秒後の話であった。

 

 

「――あらあら。私ってもしかしなくてもお邪魔虫だったのかしら?」

 

いたずらのような笑みを浮かべて姿を現した彼女は紛れもなく朝倉涼子であった。

彼女はオーブン手袋を両手にはめ、その手で鍋を掴んでいた。

 

 

「長居するつもりはないから安心して。いつも通りちょっとだけ」

 

土鍋をゴトリ、とコタツの上に置く朝倉。蓋の穴からはもくもくと白い煙が這い出ている。

匂いからしておでんらしい。

 

 

「……食器、用意してくる」

 

長門はそう言うなり居間から少しの間、消えてしまう。

すると朝倉はわざとらしく俺の向かいに座り込んで。

 

 

「どうやら調子は戻ったみたいね?」

 

「さあな……なんのことやらだぜ……」

 

んなことより俺はこの鍋の方が気になるんだがな。

ちょっと朝倉に探りを入れたら。

 

 

「ああ、これ? もちろん私が作ったのよ。自信作なんだから」

 

「お前も確か、一人暮らしなんだよな?」

 

宇宙人だった長門と朝倉はこのマンションで一人暮らしをしているらしい。

だからここの朝倉もそうかと思って俺は質問した。事実、長門は一人暮らしみたいだし。

朝倉はわざとらしく溜息を吐いて。

 

 

「ええそうよ。今更だけど私も長門さんと同じ一人暮らし仲間。だからこうしていつも通り差し入れしてるんだけど……。何、その目? もしかして長門さんの次は私に手を出そうとしてるの?」

 

「な、わけあるかってんだ」

 

馬鹿も休み休み言ってほしい。

こいつにも、長門にも関係ないが、俺には心に決めた相手がいるんだ。

直々にフられない限りは今のところはそいつが本命なのさ。

今日のこれは、まあ、なんというか、気の迷いだ。

 

 

「ふふっ。あなたが長門さんを裏切るわけないもんね?」

 

「……ああ」

 

俺の胸を刃物で抉るように朝倉は真っ直ぐに俺に呼びかけた。

やはりどこか俺は彼女という人種が苦手みたいだ。宇宙人だろうがそうじゃなかろうが、な。

 

 

「前にあなたには話したかしら?」

 

「なんの話だ」

 

「私と長門さんが初めて会った時のことよ」

 

「……聞いていたとしても多分忘れちまってるな。オレは物覚えが悪い方でよ、メモを持ち歩くかどうか最近は真剣に検討してる」

 

「その検討した内容を忘れちゃうってわけね」

 

なんとでも言うがいいさ。

真っ向から俺を馬鹿にする女なんて寝ても覚めても俺には涼宮しか浮かばない。

恋愛感情っていう精神病もいいとこなんだからな。

さて朝倉と長門の出会いってのはどんなもんなのかと期待していると、すっと俺の目の前に小さなおわんが置かれた。

 

 

「ごめんなさい……」

 

どういうわけか申し訳なさそうにそう言った長門。

彼女は俺と朝倉の会話に水を差したことに対して気を揉んでいるらしい。

気にしなくてもいいのに。

 

 

「いっぱい作ってきたから……あなたも食べるでしょ?」

 

からかうように身を乗り出して俺に訊ねる朝倉。

まだまだ俺に居てほしそうな長門。

涼宮相手ほどではないが、拒否権はないらしい。

 

 

「悪いがオレはおでんにはうるさいからな。コンビニのしみったれたヤツなんかじゃあ満足できねえぜ」

 

などと息巻いた俺が舌鼓を打つぐらいに朝倉のおでんは素晴らしかった。

彼女と交際する野郎は彼女の美味しい手料理を食べられるに違いない。

ともすれば毎日彼女にお弁当を作ってもらえるかもしれないのだ。

この高級分譲マンションさながらに朝倉涼子は高い女だろう。高嶺の花ってヤツか。

ただ、俺が残念だったのはおでんに牛スジが入ってなかったってことだ。

あと宇宙人長門は大喰らいだったが、この長門は見た目相応の小食であったということも追記しておく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さて帰りが遅くなっている上に晩御飯まで済ませたなんて母に言おうものならどんな小言を言われるのだろうか。

頭の片隅にそんな思考を追いやりながらも現実と直面する時間がいよいよもって訪れたのだ。

 

 

「……じゃあな」

 

「長門さん、また明日ね」

 

バタン、と閉じる扉。朝倉と二人して長門の部屋を後にする。

度々触れているがこのマンションは一部屋だけで何万するかも学生の身分には想像したくもない値段するような高級住宅だ。

廊下といえど快適な空気で、外界の寒さを想像しただけで俺はかえって憂鬱になった。

 

 

「ねえ」

 

俺の行く手を阻むように躍り出た朝倉。

何用だ。

 

 

「さっきの話、聞きたくない?」

 

長門と出会った時の話とやらだろうか。

食事中、終始朝倉は長門に話しかけていた。

ひとえにコミュニケーションスキルの高さと言えよう。

俺には精々ちょっかいを出す程度しか無理だ。

エレベータ前に立った朝倉は下へ参るエレベータのボタンを押す。

一階まで降りているそれが七階まで上がってくるのには少々の時間を要した。

 

 

「もう、三年も前になるのかな。中学校に上がった時期に、私の父さんは仕事で海外に行くことになったの」

 

「……へぇ」

 

「私も母さんと一緒について行ってもよかったんだけどね……でも、慣れない土地での生活が私の負担になるって思ったみたい」

 

「それで?」

 

「このマンションで一人暮らしすることになったわ。私一人には使いようのないくらいのお金が生活費として毎月振り込まれてるの」

 

俺には想像もつかない世界だ。

長門も長門の事情があって一人暮らしをしているのだろう。

それこそが、一番の負担だというのに。

 

 

「私はへっちゃらよ? 学校に行けばみんなが仲良くしてくれるから、寂しさなんて忘れられる」

 

「長門は違うってか」

 

「……長門さんも私とほとんど同じ時期に入居したいみたいなの」

 

チーン、という音とともにエレベータが到着した。

中に入り込み、再び朝倉がボタンを押す。五階の505号室に彼女は住んでいるらしい。

 

 

「初めて長門さんと会ったのは三年前の四月ぐらいね。夜、マンションの前でばったり」

 

朝倉は買い出しにでも行ってたそうだ。

そこで初めて見かけた、同じマンションに住まう同世代らしき少女。

 

 

「私は『こんばんは』って挨拶したわ。長門さんはまさか声をかけられると思ってなかったのか、ちょっとびっくりしたみたい……それでも小さい声だったけど、返事してくれた」

 

エレベータの駆動音と朝倉の声だけが音界を支配していた。

彼女が語る長門有希は紛れもなく一人の人間として存在しているのだろうし、彼女だってそうだ。

いじらしい長門。朝倉ほどの奴が打ち解けられない人なんてこの世に数えるほどしかいないはずさ。

 

 

「ある時ね、長門さんが手にパンパンに膨らんだコンビニの袋を握ってたの。私は中身を訊ねた、そして、ビックリしちゃった。長門さんったらコンビニの食べ物しか口にしてなかったのよ」

 

「チェーン店とコンビニエンスストアをなめんじゃあねえぞ」

 

「あなたみたいな男の子は無茶してもいいけど、女の子はデリケートなんだから。それからこうして私は定期的に長門さんに手料理を食べさせてるの」

 

「お前、長門のお母さんみたいだな」

 

「いくら私でも長門さんの両親には勝てないわよ」

 

長門相手に限った話ではない。

朝倉はどんな相手でも向き合おうとする。

実際、俺とこうして話しているわけだ。

 

 

「……だけど、あなたなら別かもしれないわね」

 

目をつむり何かを悟ったようにそう語る彼女。

俺より長い付き合いらしい長門が、ぽっと出てきた野郎に奪われた。

そんなふうに考えているのかもしれない。

 

 

「今年の五月ぐらい。長門さんからキョンくんと付き合うことにした、って言われた時、本当に心配したわ」

 

「オレはそんなに信頼のおけない野郎かね」

 

「あなたを悪く言うつもりはないけど、正直ね……騙されてるんじゃないかって思った」

 

俺は今まさにお前達を騙しているんだがな。

でなけりゃ世界の方が俺を欺いているとしか言えない。

 

 

「……なんて、要らない心配だったのよ。あなたのことを話す時の長門さんったらそれはそれは楽しそうなんだから」

 

やがて、うすのろエレベータは目的階に到着した。

数歩前に出ていきドアの外に行った朝倉。

 

 

「余計なお世話かもしれないけど、長門さんのことを大切にしてあげて。えっちなことも、するなとは言わないけど、ほどほどにね」

 

笑いながら言うようなことかよ。

そして、ゆっくりとドアは閉じていった。

 

 

「じゃあね――」

 

最初から最後まで、朝倉涼子は笑顔だった。

と、考えるのが自然なのかもしれない。

 

 


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