校内一の変人のせいで憂鬱   作:魚乃眼

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第二十六話

 

 

最初に変化したとすれば、それは間違いなく俺なのだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

十二月十八日。

いつも通りに起床した俺はいつも通りな日々を送るはずだった。

いつの間にか愚妹より俺の方に懐いていたシャミセンは俺の部屋に住まうようになっており、最近では猫と一緒に寝るような日々が続いていた。

何故シャミセンが俺に懐いたのかというと、おそらくそれは愚妹が必要以上にシャミセンにちょっかいをかけるからだろう。

猫は気ままな生き物ば上に一日の三分の二ほどを寝て過ごすのだから自分の時間を奪いにくる妹を嫌うのは当然の帰結だ。

そんな三毛猫シャミセンを抱きかかえて部屋から出る俺。顔を洗い終わると愚妹が俺の傍にやってきて。

 

 

「キョンくん、シャミはぁ?」

 

「ああ、部屋から出したらどっか行ったぞ」

 

「ふうん」

 

と確認だけするなり足早に猫を捕獲せんと家の探索を開始しに行った。

朝からこのザマだから猫にもうっとおしがられるというのに。

 

 

「まったく。……ん?」

 

今、あの愚妹は『キョンくん』とか言わなかっただろうか。いや、言ったはずだ。

つい昨日までちんちくりんなりにかわいげがあって『お兄ちゃん』と俺を呼んでいたのに。

ちくしょうが。これもちょっとした反抗期の先駆けなのだろうか。

あと二、三年ぐらいは俺をお兄ちゃんと呼んでくれると思っていたんだがな。

俺は少々の物寂しさを覚えつつもまさか愚妹がキョンくんと言うとは思わなかったということにも驚いていた。

俺がキョンと呼ばれるようになっていたのはあいつも知っていたが、このタイミングでそれに切り替えるとはね。

なんてことを思いながら寒い朝の通学路をなぞる作業を今日もまたやっている俺だ。

吐く息の色が白なのは今に始まったことではないのだが、何度見ても嫌な気分になってしまう。

一人ではとりとめのないことしか考えられないのが人間である。

よって俺は目の前を歩いていた野郎に声をかけるとした。後姿から察するに谷口だった。

 

 

「……なんだ……」

 

気のない返事をした谷口はやけにバッタのような口元になっているかと思えば彼の顔色も悪い。

谷口はマスクをしていた。風邪か。

 

 

「予防って感じじゃあなさそうだな」

 

「ん。……ああ。そうだ、風邪だぜ」

 

休めばいいだろうに彼の親父は頑固者で少しだけ有名であり、たかだか風邪程度で簡単に休ませるようなお方ではない。

中学の時、そんな話を聞いたような聞かなかったような気がする。

馬鹿は風邪を引かない理論で言えば、こいつはつまりアホというわけだ。

 

 

「うっせえな……ちくしょう……」

 

「さっさと治すんだな。クリスマスイブにデートがあるお前さんにとっては一大事だ」

 

「……デートだと? んだそれ」

 

何やら彼が言うにはそんなものの心当たりなどないらしい。

昨日は嘘をついていたのか。アホな上に嘘つきだとはな。

 

 

「知るかよ……ゲホゲホ……しんどいぜ……」

 

少なくとも谷口が風邪なのは俺の目には本当のように見えた。

いや、何が本当で何が嘘かなどどうでもいい。

話したい内容はこんな野郎のことなんかではないのだから。

 

 

 

教室に到着した俺が次に「ん?」と思ったのは我がクラスの出席率の悪さであった。

冬の寒さに負けて登校時間が後退するのはありがちな傾向であるが、予鈴が鳴っても埋まらない席が多数。

マスクを付けている生徒だってそこそこ見受けられる。

こと欠席に関して言えば、あろうことか俺の後ろの席の女子もそうらしいってことである。

 

 

「……馬鹿は風邪を引かない、ね」

 

ならば校内一、とまで称される次元の変人ならばどうなのだろうか。

理由は不明ながら涼宮は不在であり、そして涼宮は学校を簡単に休むような奴ではない。

中学三年間同じクラスだった過去がある――小学校時代がどんなんだったかはもう覚えていないさ――俺が知る限り、涼宮が病欠したことは一度もなかった。

あいつは退屈そうに授業時間を机に伏して過ごしてはいたものの学校をフけたりなんかもしていない。

涼宮が他人に誇れる点の一つである、皆勤賞だったという点だ。

その涼宮をわずか一日でダウンさせる風邪ってのはどれほどのものだろうか。

クリスマスパーティに浮かれて腹でも出して寝ていたに違いない。

続いて俺が。

 

 

「ん……?」

 

と声を出したのは鞄の中身を確認した時のことだ。

涼宮に頼まれて安いとは言えない買い物をした昨日。

その昨日の買い物で購入して、学習鞄に入れたはずのブツことモールが見当たらない。

さては愚妹の仕業か。イタズラをいつの間にかしていたようだ。

涼宮がこのまま今日来なかったら部室の飾りつけ作業はどうなるんだかな。

とりあえずモールは明日取り付けることになりそうだが。

で、昼休み。

 

 

「谷口もかわいそそうだよね。あんだけきつそうなのに学校に登校させられるなんて。普通だったら休むのに」

 

俺の後ろの席に座った国木田が弁当を食べながらそんなことを言った。

いくら谷口が風邪で苦しかろうが結局は自己責任でしかないだろうに。

げんに俺も国木田も健康だ。

 

 

「僕たちが風邪をひいてないのは運がいいだけだよ。幸か不幸か、今流行してるのは特効薬があるインフルエンザじゃないみたいだけど」

 

「運がいい、ね。オレのは悪運だろうぜ」

 

「ははっ」

 

この出席率の悪さは学級閉鎖もあり得るのではないかといった調子だ。

だとすれば面倒なことこの上ない。忌々しい。

学校の授業時間というものは決められた時間分消化しなければならないものらしい。

つまり学級閉鎖にでもなってしまえばその消化できなかった分をどこかで埋める必要がある。

冬休みが削られるのか。妥当なセンで行けばそんなところだろう。

国木田は弁当のおかずを一つずつ口に運びながら。

 

 

「オススメの予防法は熱いお茶でうがいをすることかな。僕は毎日やってる」

 

「高校生がやることかよ。ジジイくせえな」

 

「おかげでピンピンしてるからいいのさ」

 

そんなことしなくても涼宮ならへっちゃらだろう。

なんて軽く考えていた。彼女に何かあったとしたら異端者三人が俺に知らせてくれる。

 

 

「……そういや谷口はどうしたんだ?」

 

涼宮が欠席しているというそれなりな衝撃によってすっかり奴のことを失念していた。

昼食を野郎三人でとるようになっていたのは俺が知らない間の出来事だから深く意識していなかったのかもしれない。

気がつけば谷口の姿は教室になかった。

大した心配するようすもなく国木田はさらっと。

 

 

「風邪だからねえ。普通の弁当は喉を通らないんじゃないかな。だから暖かいうどんでも食べに学食に行ってたりして。もしくは保健室に引っこんでるとか」

 

思うに、俺は知らない間に見えない何かに自分の周りを取り囲まれていたのだ。

問題はそれがいつ始まったのかということだがきっと結構前から始まっていたんだろう。

昼ごはんもそこそこに俺と国木田が雑談していると、急に教室の一角が騒がしくなった。

女子から嬌声のようなものがあがっている。

 

 

「何だ」

 

と言って俺は声がする方を向く。

俺の視線の先には教室の入り口があるはずだが、そこは現在女子の群れで埋め尽くされていた。

確か、教室内の女子がほぼほぼ集結していたと記憶している。

その現象が何に起因するかはじきにわかった。女子の群れから一人の女子生徒が這い出てきたからだ。

モーセが海を割るように女子の群れが分散していき、出てきたのは赤いコートを羽織った青いロングヘアの女子。

朝倉涼子であった。

国木田はどこか感心したような表情で。

 

 

「もう大丈夫なのかな、朝倉さん」

 

「朝倉も風邪だったのか」

 

「みたいだね」

 

まさか宇宙人が地球の病原体相手にダウンするなんてことがあるのだろうか。

だとしたらたいそう凶悪なものに違いない。それは涼宮をも毒牙にかけたと思われるのだから。

やがて朝倉は女子どもと二、三ほど会話したらこちらへ近づいてきた。

世間話でもしようってのか。いや、そうだったらどれほどよかったか。

 

 

「じゃあ僕は失礼するよ」

 

なんて国木田が言って弁当箱を持って後ろの席を立った。

朝倉が俺の近くまで近づいて、そして後ろの席に自分の学習鞄をひっかけると笑顔で。

 

 

「お昼はもう済ませたし、昼休みの間は国木田くんが座ってていいわ。ごゆっくり」

 

「悪いね、朝倉さん」

 

「……ん?」

 

何だ。こいつらは何を話している。

ごく自然の所作で涼宮の席にある机のフックに鞄をかけた朝倉。

まるで。

 

 

「朝倉、そこがお前の席みたいじゃあねえか」

 

「はい?」

 

きょとんとした顔で俺の言葉に首をかしげる朝倉。

それもそのはずだった。

 

 

「涼宮の席だろ。お前のはあっちの――」

 

俺が俺の席から見て二列ほど右に位置する斜め前を指差そうとしたその時。

朝倉涼子は静かに、そして確かに俺の耳に届くように言った。

 

 

「スズミヤ、って、だあれ?」

 

まるで知らない奴だと言わんばかりにそう言った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

結論から述べよう。

この北高に、あるいはこの世界には"何もかも"が存在しなかった。

俺が朝倉と国木田の二人相手に問答を続けること数分間、やがて自然と到達した回答が涼宮ハルヒなる人物はこのクラスないしこの学校に存在しない。

いいや、違うね。

 

 

「……存在していなかった、だと……?」

 

あの、校内一の変人とまで呼ばれた女を一夜にして誰が忘れられよう。

少なくとも奴と同じ学校に在籍する限り、しかも同じクラスにいるのだから夢にまで出てもおかしくない。

それほどまでに涼宮ハルヒは強烈なキャラクターだ。

朝倉涼子のようにみんなの憧れな委員長、なんてのは突き詰めると没個性でしかない。

そして何より涼宮ハルヒが存在していなかったということは涼宮ハルヒの痕跡がないということ。

朝倉と国木田は文化祭の映画撮影や野球大会のことも知らない。それどころかSOS団さえも。

俺は一瞬でわかりかけた。

また、俺の周りが変化したのだ。

 

 

「……マジかよ」

 

だが本当に俺が衝撃を受けたのは涼宮ハルヒの不在だけではない。

クラス名簿に刻まれた名前に彼女が存在しないのはそういうことだから、で済むだろうさ。

 

 

「オレの名前が、ねえ」

 

「なに言ってるのキョンくん?」

 

心底心配そうに朝倉が俺の顔色を窺う。

国木田も俺の様子を先ほどから訝しんでいる。

俺は二人に向かって、懇願するかのように。

 

 

「オレの名前を言ってみろ……」

 

そして二人から口にされた名前は俺の名前などではなかった。

知らない人の名前だ。おそらくそれは男の名前だと思われる。

クラス名簿にもその名前が刻まれていた。まるで、俺の代わりみたいに。

 

 

『……覚えておいてください。必ず』

 

三年前の七夕にタイムスリップさせられた時、大人朝比奈が口にした名前。

それと同じように読める名前だ。

 

 

「……ククク、フハハ」

 

俺は盛大に笑った。

気が狂ったかのように笑った。

いいや、最初から狂っていたのかもしれない。

それでも俺が正気だとするならば、俺は知らない誰かの代わりになっているということだ。

誰かの代わりを務めていた俺は文字どおりにその誰かにさせられたってわけだ。

 

 

――徹頭徹尾。

何もかも存在しなかったというのは比喩ではない。

やはりSOS団は存在しなかった。

古泉をぶん殴ってでもこの状況を解決させようと廊下に出たが、古泉、それどころか彼の在籍する一年九組が存在しなかった。

 

 

「……ハッ」

 

何が北高は腐っても進学校、だ。

特別進学クラスさえないただの普通の高校になっちまっていた。

 

 

「考えろ……」

 

呟きながら俺は校内を彷徨おうとしたが、チャイムに阻まれ昼休みは終了。

放課後になり、しんどそうな顔の谷口を引き止めて俺は拷問するかのような威圧感で質問した。

病人にムチ打つような所業であったと我ながら反省したいところではあったが、それどころではないだろ。

 

 

「お前さん、涼宮ハルヒを知っているか?」

 

同じ東中出身だったこいつなら、間違いなく知っているはずだ。

どういう偶然かこいつ以外の俺が知る東中出身者のクラスメートは全員欠席していた。風邪らしい。

空手部の荒川も、女子ソフトボール部の高遠も、女子レスリング部の日向も、剣道部の松代も、新体操部の柳本も。

異端者なんかよりもアホの谷口だけが頼りに思えた。

彼は元々悪かった顔色を更に悪くさせながら俺をじろっと睨んで、マスクをつけたくもぐった声で。

 

 

「……お前。どこでその名を知ったんだ?」

 

「いいから答えろ。涼宮ハルヒはこの世界に存在するんだな!?」

 

「なに言ってんだお前……?」

 

俺はとうとう谷口の胸ぐらを掴んで捻り上げた。

廊下で大きな声を出してそんなことをしているので他の生徒がちょっと騒いでいるが気にしない。

教職員に絡まれる前にこいつから確認しなければならない。

 

 

「イエスか、ノーで、オレの質問に答えやがれ! じゃあねえと蹴り殺すぞ!」

 

その答えはイエスであった。

最終的な結論としては、この世界に存在していないのは俺だということだ。

俺が、俺として認められていない世界。

きっと俺の家族も名前が変わっているんだろう。

変化に対応できているのは俺だけらしい。

 

 

「……涼宮」

 

一年五組教室前の廊下で立ちつくして今は見えない彼女の名字を呟く。

怨めしそうな顔をして帰って行ったた谷口や、他のクラス連中などどうでもいい。

古泉が消えてたって構わない。長門やSOS団アジトの確認も、今は後回しだ。

一つだけ、ただ一つだけ俺に確かめたいことがある。

この世界はもしかしたら俺が生まれついた、場所なのではないか、と。

手っ取り早い方法は彼女に会うことだった。

 

 


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