十二月十七日。
本来であればとっくに短縮授業の期間になっていたはずだ。
そうはならなかったのはいわゆる大人の事情とやらのせいであり、簡単に言えば生徒の学力向上を大義名分とした北高校長の憂さ晴らしだ。
先だっての全国模試の平均点が、北高校長が勝手にライバル視している某高よりも劣っていたためにスケジュールを書き換えたそうだ。
「へっ、いい迷惑だよな」
と妙に馴れ馴れしく俺に絡んでくるのはどういうわけか登校中にばったり遭遇した谷口である。
彼はコートを羽織るだけで前のジッパーは閉じず、中にはセーターもカーディガンも着ていない。
馬鹿は風邪を引かないを地で行くような野郎だ。
「お前さんは勉強がままなってないんだから迷惑がるなよ」
「期末テストも終わったこった。消化試合にやる気を出すような俺様じゃねえのさ」
どこまでもこいつは馬鹿だ。
谷口の人生設計によると順風満帆な未来が続くに違いない。破綻している。
にやりと口元をつり上げた谷口は。
「んなことよりもっといい話題があるだろ? シケたツラして語ることが二日後にようやくある短縮授業についてか? お前、今日が何月何日だかわかってんのか」
「十二月十七日、火曜日だ」
「曜日なんざどうでもいい。大事なのは今日から一週間後だぜ」
「……かもな」
間違いなくその日はクリスマスイブということになっている。
同時に終業式の日でもあり、学生が一息つける冬休みも待ち受けている。
後、SOS団のクリスマスパーティとやらの開催もこの日だ。
「やたら元気そうだが、お前さんに一週間後を楽しむ予定でもあんのか?」
「よくぞ訊いてくれたな」
いや聞きたくもないんだがこいつはこの坂道を俺と同行しようというハラらしいので会話するぐらいしか時間を潰す手立てもない。
野郎二人で語る内容がクリスマスってのはサンタクロースにしてもむさ苦しい思いしかしないだろう。
あるいは宗教的にあのお方についてお祝いするってのもあるが、はてさて彼の誕生日であるなど日本人の何割が気にしているのやら。
泥人形のように顔を変形させた谷口は。
「ふ、ふふ、いやー、マジに申し訳ねえが、俺は二十四日の予定がきちんとあるんだ」
「ナンパか」
「なわけあるか。決まった相手はいるんだぜ」
にわかには信じがたい話である。
こいつの幻覚だと切り捨てたいところではあるが、どうやら本当の話らしい。
口々に「申し訳ないぜ」だの「スマンな」だのと付け加える割に自慢げに語る谷口によると相手は光陽園学院の一年生らしい。
俺たちが今進んでいる通学路を逆走していけば平坦になった道の途中に長ったらしい階段が設置されていて、その階段を下っていくとやがて駅前に到達する。
私立の女学校である光陽園学院はその駅前近くにある。上流階級のお嬢様がカースト制度の最下位に位置するようなドブネズミみたいな野郎を相手にするとはな。
「お前さんも出世したもんだ」
「なんとでも言え。俺はお前と違って、わけわからん集まりのパーティなんぞでイブをふいにしようだなんて思ってないのさ」
確かに谷口の言うとおりだろう。
だが、俺にだってクリスマスイブに対して思うところがないわけではない。
なんて思っていると彼に肩をばしっと叩かれ。
「で? 涼宮とはどうなんだ?」
「どうもこうもねえよ。今のところはな」
「いいかキョンよ。中学時代のあいつを知ってる俺が保証してやるがな、涼宮とまともに会話できるのはお前ぐらいなもんなんだぜ。今のところな」
「……らしいな」
この世界での俺は東中出身ではないことになっていた。
つまりは俺と涼宮は北高で初めて出会ったということらしい。
「俺がもう一つ保証してやる。お前相手なら涼宮もよろしくしてくれるだろうよ」
「本気で言ってるのか?」
「本気と書いてマジと読むぐらい俺は本気だぜ。嘘じゃねえよ」
こいつに念押しされる必要はないのだが、誰かの後押しがあれば言い訳を用意する余裕もできるってことだ。
いや、むしろこいつが俺を後押しする余裕があるだけであって、つまりこいつは私立の女学校の一年生とやらとのデートに浮足立っているだけだ。
ま、俺には関係のない話だな。
「ぼけっとしてると涼宮に見捨てられちまうぞ。あいつはせっかちな女だからな」
なんて谷口の一言も、俺はわかっていたつもりだった。
嘆かわしいことに。
つつがなく授業を終えて迎える放課後。
涼宮は昨日用意してきたクリスマスセット一式やらなんやらを使って部室の飾りつけをしようと言い出した。
「パーティよパーティ。レッツパーリィ!」
などとケタケタ笑いながらまだパーティでもないのにハイテンションな涼宮。
その涼宮が何をしていたかと言えば何もせず、いつも通りふんぞり返っていただけだ。
飾りつけは野郎の仕事と言わんばかりに適当な指示を飛ばす。涼宮が何かやっていたとしたらそれぐらいだ。
俺はモールをホワイトボードの縁に張り付けながら近くで作業していた古泉に。
「なあ古泉よ。そろそろオレは革命を起こそうかと思っているのだが」
「と言いますと?」
「お前さんはこの状況が不服ではないのか」
長門はハードカバーを手にしているだけの読書地蔵で、朝比奈も昨日と同じサンタコスをさせられて座っているだけの置物状態。
五人もいるのに二人しか働いていない。作業効率がガタガタではないか。
今こそ男尊女卑の精神が求められている。現状は間違いなく女子の立場が上だ。
古泉は苦笑しながら。
「クリスマスパーティまではまだ一週間もあります。気長にやるのもいいんじゃないでしょうか」
「首を長くする気分にはなれんな」
「楽しい時間というものはあっという間に過ぎていきます」
古泉は古泉なりに現状を楽しんでいるそうだ。
俺も俺できっとそうなんだろう。
「そこ、私語はつつしみなさい!」
へいへい。
涼宮にどやされたので野郎二人は黙って作業を継続することに。
俺が思うに朝比奈みくるは涼宮にイジられる日々がそれほど苦痛でもないようだ。
未来人である彼女の任務とやらは彼女の住まう未来にこの世界の時間の流れを運ぶこと、らしい。
未来は地続きではなく何本も枝分かれしているんだとか。俺にはよくわからん。
だが彼女も古泉のようにこの集まりを彼女なりに楽しんでいるのはなんとなく感じられた。
「……」
俺がわからないのはあの眼鏡女子だ。
寡黙だからではない。本質的に彼女と俺たちは異なる存在らしい。
長門有希。
「……」
今もただ、何をするでもなく涼宮ハルヒの観察という任務に従事している彼女。
本を読むのには理由があるのか。前に一度本が好きか訊ねてみたときは「わりと」と答えていた。
しかし俺には彼女の感情が伝わらない。涼宮は長門をなんとも思わないんだろうか。
俺は次のモールを取り付けるべく手提げ鞄を漁った、が、中にもう入っていなかった。
古泉の方を見ても彼が今取り付けている分だけしか持っていない。
団長席でくつろぐ涼宮に対して。
「おい。モールがもうねえぞ」
暗にこれで終わりでよかろうといった意味合いが含まれている。
すると涼宮は有無を言わさず。
「ん。じゃあんた買ってきて」
「……なんだって?」
「帰りでいいから」
そういう問題ではない。
もしかしなくても自腹で買いたくもないパーティが終わればゴミ箱へ直行する毛虫を買わなければならないのが問題だ。
しかも俺が、わざわざ、帰りがてらとはいえ。
「それにしても冬の鍋よ。どんな具材にしようかしらね」
昨日の会議――いつも通り涼宮のゴリ押し提案だが――で決まったことだが、クリスマスパーティでは鍋を食べる予定らしい。
ついさっきまで俺はどっかお店に行くのだろうかと思っていたがどうやらここでやるそうだ。
文芸部とは程遠い内装の部室には土鍋もカセットコンロもあった。だから後は中身だけなんだと。
「涼宮よ。目の前に置かれてもいない鍋の中身を楽しそうに妄想するのは構わんがな、いくらなんでもここで鍋なんかやったらマズいんじゃあねえのか」
「どうして?」
「どうしてもこうしてもお前は火気厳禁って言葉を知らんのか」
万が一にというか涼宮ならなりかねない事態だが、火災警報装置が鳴るような騒ぎにでも発展したら面倒だ。
いや面倒どころか重い処分が待ち受けている。高校は中学校と違って義務教育ではないのだから停学ぐらいにはなるだろう。
だが涼宮もそんなことを気にするようでは校内一の変人とまで呼ばれない。
「あのね、バレなきゃいいのよバレなきゃ」
なんてことないように言ってくれる。盗人猛々しいとはまさにこのことだ。
非公認集団であるSOS団が文芸部を不法占拠しているのを見逃してもらっているのが今の状況だというのに。
それから語られた涼宮の理論によれば、もし生徒会か教師が部室に押し入ってきたら鍋を食わせて黙らせるというもの。
「食欲は人の三大欲求の一つなの。つまり、美味しいもんを食べれば誰でも感動するのよ!」
「お前は海原雄山も黙らせる至高の鍋が提供できるってのかよ」
「楽勝に決まってるわ。きっと頭が固い連中もあたしの鍋を食べたら火気厳禁だなんて気にしなくなるから」
この女の根拠のない自信がどこから来るのか。
特例がほいほい許されたら特例とは言わんだろうに。
かくして飾り付け作業やら一週間先のクリスマスパーティに向けての話し合いをしているうちに部活は終了。
暗い坂道を一人でのんびり下りながら下校していると俺は一軒のコンビニに立ち寄った。
北高からは最寄りの店であり、先月の文化祭の朝にメシを調達した店でもある。
やはりと言うか店内にはおあつらえ向きに様々なパーティ用の小物たちが店内の一角に置かれていた。
モールぐらい何個かあればいいだろうに、まだまだあいつは部室を飾り付けたいらしい。
渋々袋詰めされたモールを片手に取ると俺は塞がっていない右手で携帯電話をポケットから取り出す。
そして通話。相手は涼宮だ。
『なによ』
電話応答早々にぶっきらぼうな声が聞こえた。
携帯電話で相手がわかるからとはいえいかがなものだろうか。
「店でモールを買おうと思うんだがあと何個欲しいんだ」
『そこに何色があるの?』
「ん、ああ。赤に青に白に緑――」
『部室には黄色しかなかったわよね。じゃそこにある色全部お願い!』
個数で質問したつもりだったがいつの間にか種類になっていたではないか。
もちろん彼女は駄賃を払うつもりはないのだろう。
「……わかった」
『じゃーねー』
「あ、おい。待て。まだ切るんじゃあない」
『うん?』
今のうちに俺も予定を埋めておかねばならないだろうさ。
当然、クリスマスイブのである。
「クリスマスパーティが終わった後のことなんだがな」
『それが?』
「ちょっとお前に個人的な話がある」
『……ふーん。なんでそれを今あたしに言うのかしら』
「アポ無しはいかがなものか、って思っただけだぜ」
暫く無言のまま通話が続いた。
コンビニの店内でモールのパック片手に通話してる俺。
店員からどんな目で見られているのか考えたくもないね。
やがて、電話越しに溜息が聞こえたかと思うと。
『あっそ。わかったわ。……ただし、あたしから時間を奪う以上はつまんない話をするなら許さないからね』
「面白いかどうかはお前しだいだな」
『……』
ぷつり、と通話はそこで途切れた。
俺もあいつの真似をするように溜息を吐くと再び携帯をポケットに仕舞う。
そうそう、これは語るにしては今更なことなのだがちょっとしたミステリだ。
こっちで過ごすようになってからある時気がついたのだが、俺の携帯電話には知らない連絡先がいくつも登録されていた。
SOS団の連中や谷口や国木田はもとより面識がない相手だって沢山登録されているのだ。
佐々木、沢田、杉山、須藤、等々"さ"の段だけで何人もいた。おそらくキョンの知り合いなんだろう。
「オレじゃあない……」
ちょっとした予想外の出費に心を痛ませながらレジ袋を片手にコンビニを後にする俺。
そして家に帰ると愚妹が玄関までやってきてレジ袋に興味を示し。
「お兄ちゃんなにそれー? お菓子ー?」
「違うから気にすんな。あっちいけ」
お前はシャミセンで遊んでいればいいのだ。
本物の三味線がどんなものかもよくわかってないような気楽なこいつが羨ましい。
小学五年生にして未だサンタクロースの伝説なんぞを信じ切っているんだからな。
妹を追いやると俺はさっさと部屋に引っこんだ。荒らされても困るのでさっさと学習鞄に詰めておいた。
「……はぁ」
前置きにしては長かったかもしれないが、とにかくこうして俺は何気なくこの世界で生きていた。
あの世界の涼宮が気にならないといえば嘘になる。それでも徐々に俺は忘れようとしていた。
だが、長いように思える前置きもなんてことはない前置きでしかなかったのだ。
――本題はここからである。
まず最初に一つだけ言っておこう。
『俺のせいではない』と。
実のところ十二月十七日のこの日をもって俺の人生は終了していた。
こんなことに気がつくのは本来迎えていなかった十二月十八日を俺が体験するという現象にあってからの話である。
激変したはずの世界は再び激変してしまい、結構呑気に過ごしていた俺も文字通り凍り付くことになってしまう。
間違いなく、誰かのせいだ。あるいは誰のせいかさえよくわかないまま俺は雪崩にのみ込まれてしまうように今一度激しい何かに流された。
もし、もし俺のせいだと仮定するのならば、たった一つだけ心当たりが無きにしも非ずと言えよう。
そうそれは――