第二十四話
さて、本題だ。
――十二月十六日。
いくら外が寒かろうが俺は外に出なければならない。
何故ならば俺は学生であり、学生の本分は勉強であり、学生が学生らしくあるには通学せざるを得ないからだ。
北高は定時制でも通信制でもないので嫌々布団から這い出た俺にこれまた嫌々やる冬のハイキング登校が待ち構えている。
「……寒ぃ」
呪詛のように呟いたところで俺は自分の部屋さえ凍てついた空気が支配しているという現実からは逃れられない。
朝からミノムシのように遅刻ギリギリまで布団に埋もれて寒さから逃避をはかるという手段があるものの、俺はその手を使っていない。
理由は簡単で。
「お兄ちゃーん」
と朝も早々に愚妹が部屋に押し入ってくるからだ。
こいつに負けるのだけは嫌なので平日ばかりは仕方なく素直に起きている。
ベッドで横になって毛布にくるまっているか、ベッドに腰掛けて毛布にくるまっているかの差でしかないが。
「……なんだ」
「もう朝ごはんの時間だよぉ」
「あいよ」
俺は腕に抱えていた生暖かい生物を妹に手渡すととうとう立ちあがった。
妹はというと俺の手から渡った三毛猫シャミセンを弄るのに躍起になっている。
部屋のカーテンを空けると俺は窓ガラスを叩き割りたいような気分に陥ってしまった。
窓霜だ。
「……はっ」
道理で寒いと思えばこんなもんだ。
だいたい外気から身を守るのに窓ガラス一枚ってのが間違っているのではないだろうか。
しかし、窓を怨めしそうに睨んでも、まして叩っ壊したところで何一つ解決するはずもない。
こういうときにこそ先月封印したあの台詞を言ってやりたいもんだ。
なので"渋々"俺は顔を洗うために部屋を出た。妹はいつの間にかいなくなっていた。
こうしていつも通りの作業を一つずついつも通り消化すれば、気がつけば俺は教室で放課後を迎えている。
帰りのあいさつを済ませ、帰る準備を手早く進めていく。他の連中もみんなそうさ。
違うのは部活に顔を出すために準備している奴と、掃除当番の奴はまだ帰れないってぐらいか。
この日の俺は前者であり――というか基本SOS団に行かなければならないし、掃除当番になっても終わってから行くだけの話だ――自分の席の椅子にかけてあったコートを羽織って一年五組の教室を後にする。
おっと、マフラーも忘れてはならないな。とにかく校舎の中もこれでもかと言わんばかりに寒いのなんの。
北海道では公立高校だろうが暖房が完備されているそうじゃないか。まあもはや北海道は日本とは別の国みたいなところがある魔窟だから羨ましくもなんともない。
「……どうせあっちも寒いことには変わりねえんだからな」
などと呪文を唱えていると廊下でばったり野郎に遭遇した。
こんな冷えた空気の中も顔色一つ変えずに朗らかな野郎、古泉一樹だ。
「どうも」
「よう」
彼の両手には大量のプリントが抱えられていた。
察するに日直の仕事でもしているんだろう。
「お前さんはどうして寒さに平気そうな顔をしてるのかね」
「簡単な話ですよ。寒いと思うから寒いのです」
「イカれてんのか……?」
「他のことを考えていれば寒さなど自然と忘れられるということですよ」
ではこのやりとりでこいつは寒さを思い出したはずなのだが、未だに古泉はケロっとしている。
特別な訓練でも『機関』で受けたに違いない。いやそうだと思いたいね。
彼と別れてから俺は一人歩きながら寒さを忘れようと思考したところで、こう考えているうちは寒さを忘れることなどできないだろうと気付き、無性に腹が立った。
階段を上り下りして校舎を移動しているとお次は鶴屋と朝比奈。
「やあ青少年っ」
「こんにちはぁ」
女子の方が寒さには弱いはずだがこの二人は揃って元気そうだ。
流石に古泉のように上に何も着ていないはずもなく、鶴屋はベージュ、朝比奈はピンクのそれぞれコートを着ている。
ところで俺のコートなんだが、これは某刑事ドラマの主人公が着ていた奴と同じモデルだ。
デザイン的にはカジュアルコートというより軍用コートであり、別名をモッズパーカと呼ぶそうな。
寒さをしのぐという実用性に関しては察してくれ。
「あたし、ちょっと用事があるんで一旦失礼しますね。後で部室には行きますから」
朝比奈はペコリと一礼しながらそう言うと、鶴屋と二人でどっかに行ってしまった。
どんな用事かは知らんが余計な詮索はしないさ。
そしてそうこうしているうちにようやく部室棟の文芸部部室前まで俺はやってきたのだ。
カチャリとドアノブを回して、扉を開く。
「……」
涼宮はいなかった。
室内には隅っこで読書をしている眼鏡少女の長門有希だけ。
電気ストーブも付けずに一人寂しくこいつはパイプ椅子に座っていたようだ。
宇宙人には寒さなんて関係ないのかね。朝倉涼子は赤いコートを着ていたが。
それにしても長門よ、ストーブの電源を付ける配慮をしてくれてもいいだろうに。
なんてことを考えながら手を温めていると。
「――ごめーん待ったー!?」
これまたいつも通りに勢いよく涼宮ハルヒが扉を開けて登場した。
待たせているのはこいつの方だという自覚がないらしい。
「……なんだ、有希とあんただけなの」
思えば今日のこいつはやたらと朝からテンションが高かったし、何故か学校に学習鞄以外に手提げ鞄を持ってきていた。
中に何が入っているのか。エーリアンの生首がごろっと入っていても俺は大して驚かないだろう。
涼宮はさっさと二つの鞄を長机に置くと電気ストーブの前を陣取っている俺の方へ来た。
「どうした」
「邪魔」
「お前も暖をとろうってのか」
「いいからどきなさい」
「二人仲良くおしくらまんじゅうでもしようぜ」
「……ふん」
すると俺を吹き飛ばさんとする勢いで肩をぶつけてきた彼女。
ここで引いては駄目だ。男がすたる。
「ちょっと……あっち行きなさいよ……」
「お前、手を使うのは反則だ」
「ここはあたしが座るんだからね」
ぐいぐい両手を使って俺を電気ストーブの前から追い出そうとする涼宮。
しゃがんだ状態での接近戦なんぞ俺は慣れていない。その上この女はゴリラかってぐらいの怪力だ。
「シェアするって考えがねえのかお前は」
「あたしのもんはあたしのもんなの。後はわかるわよね?」
長門がドラえもんだとすればこいつは間違いなくジャイアンだ。
消去法でいくと俺はのび太くんしか残っていない。
嫌味ったらしいスネ夫は古泉で、一番まともでそれに北高のアイドルらしい朝比奈がしずかちゃんポジションなのは納得だ。
「いいやオレが最初に座ってたから俺のもんだ。独占するってんならオレが優先。ここは満席だぜ」
「ぐぬぬ……」
なんやかんやでおしくらまんじゅうが実現してしまった。
これから俺と涼宮による数分間の激闘が繰り広げられる。
やがて朝比奈が部室に到着すると涼宮は。
「みくるちゃんも来たことだし、三人で仲良く使いましょ」
などと心にもないことを言い出した。
しかし現在この部室にいるのは四人であり。
「長門がかわいそうだろ」
「だからあんたが出て行きなさい」
俺は眼鏡女子の方を向く。
長門はこちらを見つめたまま微動だにしない。
無言の圧力にも感じられた。
「……へいへい」
かくして電気ストーブ前は女子三人のスペースと化してしまった。
最後に古泉が到着するまでの間、俺は団長席の下にあるパソコン本体の裏に手をかざして微熱を感じていたのだが、気休めにもならなかったと言っておこう。
で。
「――ねえ、この中にクリスマスイブに予定のある人いる?」
会議だ、とだけ説明してから団員四人を座らせると涼宮はそんなふうに切り出した。
まさかこいつの口からこんな発言が飛び出してくる、いやこんな発言をする相手が出来るとは昔の俺なら信じなかっただろう。
涼宮の言葉に対して目の前の古泉も、斜め前と横に座る長門と朝比奈もリアクションらしいリアクションはなし。
沈黙は肯定と判断されるぞ、いいのか。べつにいいんだろうなこいつらは。
俺は渋々口を開いて。
「ある、って言ったらどうするよ」
「……あんたに予定なんてあんの?」
ない。今の所は。
強いて言えば髪がセミロングになったお前と一緒に過ごしたいってぐらいだがこの場でそんなことを言うわけにもいかない。
涼宮はやっぱりねと言わんばかりに。
「家でのんびりするのを"予定"とは言わないのよ」
「それぐらいわかってるぜ」
世間一般で言うところのクリスマスシーズンの予定ってのはつまり逢引に他ならない。俺はどうでもいいんだがな。
ところでちんちくりんの愚妹にまさかクリスマスをともに過ごす彼氏なんぞができる日が来るのだろうか。
俺は予定ナシと正しく判断されたようで涼宮はもう一人の野郎団員に目を付け。
「古泉くんはどう? もしかしてデートとか?」
「そうであったらいいのですが……どうにも、クリスマス前後の僕のスケジュールはクレバスでして」
「悲しまなくてもいいのよ古泉くん。それはとても幸せなことで、ここにいるみんながきっとそうなの。スケジュールはすぐに埋まることになるから」
そう。涼宮ハルヒにとって予定されたならばそれは決定となる。
俺がもしこの世の時間を十数秒消し去れるのなら、涼宮が予定を考えている最中の時間を消し飛ばして考え終わったという結果だけを残してやりたい。
古泉はオーバーアクションで自分のクリスマスの予定がないことを嘆いているがどう見ても演技だ。
こんなんに騙されるのは能天気頭の涼宮ぐらいだな。
「みくるちゃんは? まさかどこの馬の骨ともわからないような奴に誘われてなんかないわよね? 駄目よ、一見優しそうでもそれはオオカミだわ」
「は、はいっ。そうですね、今の所なにもないですけど……」
朝比奈も涼宮がまたよからぬ何かを企んでいるんじゃないかと恐怖しているらしい。
俺だって何だかわからんことに巻き込まれたくはない。サンタを生け捕りにしろ、だなんて言われても無理だ。
「有希は」
「ない」
「そうよね。じゃ、そういうことだから。SOS団クリスマスパーティの開催が満場一致で可決されたわ。開催決定!」
よく言うぜ。何が満場一致なんだろうか。
こいつの頭の中ではクリスマスに予定がないということ即ち予定を涼宮に託すということらしい。
少なくとも涼宮はそうみなしているし、残念なことに誰も彼女に異論はないようだ。
楽しそうにホワイトボードに『SOS団クリスマスパーティ』と書いていく涼宮。
冬の寒さにも負けないでよくもまあハイテンションでいられるもんだ。
俺は朝比奈が淹れたハーブティでどうにか身体の芯を温めようと努めるが無意味だった。
「……しかしパーティって、具体的にどうするつもりなんだ」
「それをこれから考えるんでしょ」
得意げに腕を組んで言ってくれる涼宮だがノープランだそうだ。
とはいえ、会議らしい会議をしている辺りは彼女も成長したんだろう。
思い返せば野球大会しかり、夏の合宿しかり、夏休み二週間を使った遊びしかり、映画撮影しかり。
これら全てが拒否権のない上に涼宮の独断で話が進んでいったのだから今回は議論の余地があるだけマシさ。
もっとも強制参加という一点においてこいつは何も変わっちゃいないが。
「で、せっかくのクリスマスなんだからなにかと準備が必要じゃない? グッズは用意してきたわ。ま、これでも足りないぐらいだけど」
そう言って涼宮は手提げ鞄に手を突っ込んで中の物を取り出していく。
スプレー、モール、パーティクラッカー、ミニのツリー、赤鼻トナカイの人形、綿、等々。
これで涼宮が赤服にコスプレでもすればサンタクロースさながらの光景であった。
「こんな部室、クリスマスには殺風景じゃない? これを使ってあたしたちで少しでも部室をクリスマス色に染めるのよ」
クリスマスの色とやらは不明であるが、もし色があったとしたらそれは赤と白に他ならない。
部室が赤と白で満たされるのはちょっとした恐怖だ。そういうのはワンポイントだから映えるのが俺の持論さ。
まあ、涼宮の発言も比喩であり、実際には色々飾ろうといった意味合いなのだろう。
これで壁や天井にペンキでも塗りたくられた日にはどうにか長門あたりに頼んでで消し去る他ない。
本当にやらないでくれよ。
「クリスマス色になろうがこんなシケた部室棟の一角にある部屋になんて奇跡はやってこないだろうな」
「……はぁ。あんた全然わかってないのね。いい? 時間は夢を裏切らないし、夢も時間を決して裏切ったりはしないんだから」
「誰が保証してくれんだ」
「信じる者は救われるのよ。絶対よ」
変な宗教にでも入ったのかこの女は。
涼宮はパーティ用の三角帽を自分の頭に乗っけて。
「せっかくなんだから楽しまなきゃね」
と言いホワイトスプレーの缶を両手で振り始めた。あれでいいのか。
古泉を見ると笑って肩をすくめるし、朝比奈も慈愛に満ちた微笑みで涼宮を眺めている。長門はそもそも意に介していない。
そして涼宮はスプレーを窓ガラスに向かって噴射。『MerryX’mas!』だと。
「……気が早ええっつの」
だが世間一般はもっと気が早い。
十一月にはクリスマスのイルミネーションの話題がニュースでやっているぐらいだ。
いつからせっかちな世の中になったんだかな。
さしあたってあの窓ガラスの清掃は俺の仕事なんだろうと思って俺は溜息を吐いた。
やがて涼宮はありがたくもないサンタクロース衣装を手提げ鞄から取り出し、朝比奈へのプレゼントと言って押し付けた。
しかも早速着せ替えしたいようで部室の中では現在衣替えの真っ只中。俺と古泉は廊下へ追い出された。
「……涼宮さんが楽しそうで何よりです。彼女がイライラしている姿は僕も悲しくなります」
ぽつりと漏らすように横の野郎がそんなことを言い出した。
まるで保護者のような言い方ではないだろうか。
「オレからすりゃあ不自然なぐらいなんだがな……」
俺は涼宮が机に突っ伏して学校生活を送っていたところしか見ていない。
体育授業であれば終始無愛想な顔。あいつが笑顔で楽しそうにしているなんてのはやはり心のどこかで違和感を感じるのさ。
中学時代の三年間を忘れることなんて今の俺にはまだ気が早い話だ。
「はい、正直なところ僕もですよ。以前の彼女からは想像もできません。我々が観察を始めた三年前は涼宮さんが学校生活を謳歌するなど誰も想像しなかったでしょう」
「涼宮も人の子だってことだな」
「……彼女は宇宙人や未来人、そして僕のような超能力者を北高に呼び寄せました」
異端者どもと謳歌する学校生活に興味があるのはあいつぐらいだ。
日本語が通じるかも怪しい連中相手によくやれるもんだな。
「しかし涼宮さんは僕たちに特異性を求めてはいません。この意味がおわかりでしょうか?」
「さあな」
「彼女にとって僕が超能力者であることは関係はなく、一人の人間として必要とされているのではないか。最近……僕はそう考えるようになりましてね」
澄ました顔で言う古泉。
とんだ希望的観測だ。
「お前さんらは何かある度に一々理由づけしないと気が済まねえのか」
「涼宮さんが関係することであればどのような些細なことでも見逃せませんよ。それが僕の使命ですので」
「難儀な奴だな」
ただ、間違いなく涼宮は変化していたしこれからも変化し続ける。
馬鹿な俺にもそんなことぐらいはわかっていた。
わからないのはただ一つだけ、俺が何故こんなところに居るのかってことだ。
涼宮に呼ばれたから、と言うのは簡単だが納得するのは難しい。
あいつが求めた四人目の異端者とかいう異世界人。それは本当に俺なのだろうか。
無言になった俺を気にせず古泉は気持ちを切り替えるように。
「今や僕たちは運命共同体と言ってもいいでしょう。涼宮さんが気の向くままに行動するのではありません。彼女はきっと、そのようなことは望んでいませんから」
わかっている。
あいつは昔から友達が欲しかったんだ。
普通かどうかなんてのはこっちの都合でしかない。
涼宮にとって、俺も、お前たちも普通の高校生に過ぎないのだから。
ノスタルジックな気分に浸りつつ野郎二人で廊下から外の景色を眺めていると。
「もういいわよ」
涼宮のお許しが出て部室に再入室する権利を得たわけだ。
ところで権利には義務がつきまとうとか言うが俺に与えられた権利など押しつけがましいものでしかない。
少なくとも俺が望んだことは。
「……あのぅ……その……」
もじもじしているサンタ女子を見ることでもなんでもない。
その横に立つ、右腕に『団長』と書かれた赤い腕章をつけているリボンカチューシャの女子。
彼女にいつか会いたいなとか、そんな未練がましいもんだった。
「どうよ。みくるちゃんはあたしが育てたのよ!」
「これはまた眼福としか言いようがありませんね」
そのまま目でも潰れちまえばいいのに目を細めて古泉はそんなことを口にした。
朝比奈へのコスプレも段々とエスカレートしている気がしてならない。
少なくともハンガーラックにかけられている衣装が増えている一方なのは確かだ。
「楽しいクリスマスパーティとやらになりそうだな」
皮肉交じりに言ったつもりだ。
だが耳に入れた涼宮はトドメと言わんばかりの満面の笑みで。
「あったり前じゃないの!」
この日は、これで良かったのさ。