外角低め 115km/hのストレート【完結】 作:GT(EW版)
エース無双
波輪風郎と皆川孝也の両エースの投げ合い。誰もが投手戦を予想していた試合は、初回から竹ノ子高校のペースで進んでいった。
まず先頭打者の矢部が皆川注目の第一球、やや高めに浮いたストレートを逃さず振り抜いた。バットの真芯に捉えた打球は弾丸ライナーで空中を疾走し、瞬く間にレフトスタンドへと突き刺さっていった。
初回先頭打者初球ホームラン。早々に相手エースの出鼻を挫いた竹ノ子高校の攻撃は鮮やかだった。
続く二番六道がフルカウントからのフォアボールで出塁すると、三番鈴姫が外角のシュートを弾き返し、レフト線を破るツーベースヒットを放つ。そして竹ノ子高校最強の四番打者、波輪が一振りでダメ押しとなるスリーランホームランを叩き込んだ。
(凄い……)
竹ノ子側の応援席は黄色い声援に包まれる。クラスメイトと共に応援に訪れていた星菜は、場外に届こうかという波輪の打球を憧憬の目で見届けた。
初回の攻撃から一気に4対0と突き放した試合はその後皆川が立ち直り、七回表に鈴姫のタイムリーヒットが飛び出すまではスコアボードに0が刻まれる。しかし竹ノ子のエース波輪風郎はパワフル第三打線を終始圧倒し、一度も得点圏に走者を出さない快投を披露した。
(スローカーブ以外は完璧か……)
降板する八回までに奪った三振は15個。打たれたヒットは僅か3本――球種は、いずれもスローカーブの投げそこないである。点差がついていることから最近習得した新球種を試験的に投じているようだが、そちらの成果は思わしくなかった。
しかしそれ以外の投球はまさに完璧で、怪我の影響を一切感じさせない内容だった。
そして九回裏、点差故に酷使は避けたい茂木の方針により、投手は二番手の青山へと
「……よし」
見下ろしたグラウンドに自分の姿がないことには一抹の寂しさを感じるが、定められた高校野球のルールに逆らうことは出来ず、妥協するしかない。だからこそ星菜は母校の応援という立場で、グラウンドではなく応援席に居るのだ。
「ありがとうございました!」
試合終了後に両チームが挨拶を終えると、野球部のメンバー全員が竹ノ子高校の応援席前へと移動し、帽子を外して挨拶を行う。母校の健闘を称える惜しみない拍手が、星菜とその周囲の生徒から響いた。
竹ノ子高校の野球部の応援には、毎年応援部やチアリーディング部の他に原則として一年生が強制参加することになっている。
野球にも行事にも興味の無い少数の生徒達は終始退屈そうな顔をしていたが、そうでない者は試合後もその余韻に浸っていた。
「波輪先輩凄かったね!」
「鈴姫君もカッコよかった!」
星菜の周りに居る女子生徒達の話題の中心に居たのはやはり圧巻の投球を披露したエースの波輪と、本日4打数4安打1打点と大活躍した鈴姫健太郎の二人だった。個人的に星菜は勝利の立役者として先頭打者ホームランで出鼻を挫き、守備では最後にファインプレーを見せた矢部明雄を押したいところであったが、いかんせん瓶底眼鏡は一年生女子からビジュアル受けしなかったようだ。野球に詳しい者はきっちりと彼のことも評価しているのだろうが、一人の女子として星菜は何とも哀れに思った。
そんな彼女らの雑談を耳にしながら原位置を離れようとすると、星菜は横合いからポンと肩を叩かれた。
「お疲れー」
「あ、マイちゃんだ」
チアガールの格好をした藍色の髪の少女に気付くと、星菜の隣に居た友人の奥居亜美がその名を呼ぶ。
星菜よりもやや身長の低い少女の名は園田舞子――星菜のクラスメイトであり、亜美と共に友人付き合いしている一人でもある。やや抜けているところはあるが快活な性格をしており、一緒に居て楽しくなるタイプの少女だ。彼女はチアリーディング部に所属しており、今回は応援席の最前列に立って演技を披露し、野球部の攻撃を応援していた。試合が終了した今、やはりその表情には薄らと疲労が見え、ただ声で応援していただけの星菜達よりも運動量が多かったことが窺えた。
「お疲れ様です、舞子さん」
「ホント、疲れたよ星菜っち~」
星菜の肩に抱きつくように寄りかかると、舞子がにひひと笑みを漏らす。何が嬉しいのかはわからないが、星菜が肩を貸したことによって舞子の表情に本来の元気が戻っていった。
「うー、やっぱ癒されるわ、星菜っちの空間」
「そう……なんですか?」
「んー、言われてみればそうかも。星菜ちゃんと居るとなんか落ち着くよね」
「いや、そんなことは……」
自分が傍に居ることで元気になってくれるのは嬉しいが、二人が言うほど自分が癒し系の人間だとは思えない。そこまでの自信は星菜には無かったし、寧ろ本来の自分は一緒に居ると相手に負担を掛ける人間だと思っているからだ。
尤も彼女ら友人達の前に居る時は、そう在らないように気を付けているつもりだが。
「亜美っちもわかるー? やっぱり私には星菜っちが必要だよ。野球部辞めてチア部に入りなよー」
「それは……」
寄りかかってきた舞子の背中をよしよしと子犬をあやすように撫でていると、冗談げな口調から聞き流せない言葉を掛けられた。
舞子が顔を上げ、やや上目遣いに星菜の目を見つめる。深刻そうな眼差しではなかったが、口調ほど軽い眼差しでもなかった。
「いや、真面目な話。星菜っちってば運動神経凄いし身体柔らかいし、チア部に入れば大活躍だと思うんだよねぇ」
「はぁ……」
「いや、悪い意味じゃないんだよ? ただ、せっかく練習してるのに今日みたいにベンチにも入れないなんて、辛くないかってさ」
「……そう見えますか?」
「ん、私はそう思う。亜美っちもそう思うでしょ?」
「それは……少し、思うけど」
「……そう、でしたか……」
野球部に居るよりも他の部に居た方が良いと言われるのは、別段これが初めてのことではない。特に野球の練習に参加するようになってからは「勿体無い」と他の部から勧誘されることが多くなり、舞子に限らずそう言った話は何度か受けていた。
今の星菜は、その言葉を不快には思わない。勧誘されるということはそれだけ星菜の能力が高く評価されているということでもあるので、決して悪い気はしなかったのだ。心が荒んでいた中学時代ならば、友人から同情されたくないばかりに激しい嫌悪感を抱いていたかもしれないが。
苦笑を浮かべながら、星菜は返答する。
「それでも私は、野球一筋で行くつもりです」
「……凄いね、星菜っちは。まあ私もダメ元で言ったつもりだし、そんなに深く考えないで。星菜っちが良かったらチア部はいつでも大歓迎だよってだけだから。あはは、実は星菜っちのこと、部長から誘って来いって言われたんだよね!」
「光栄ですが、その気はありませんと伝えてください」
「うん、そう言っておくね」
きっと自分は試合中、彼女らからも気を使われるほど情けない顔をしていたのだろう。ポーカーフェイスには自信のある星菜だが、どうにもこういった方面には弱いことを改めて実感する。
「んー、そう言えば、星菜ちゃんはまだここに残るんだよね?」
こちらの複雑な心境を察知してくれたのか、亜美が話題を変えてくれた。
竹ノ子高校の試合が終わったことで、これまで応援に来ていた生徒達は次の高校の試合が始まる前にその場から撤収することになっている。しかし竹ノ子高校のマネージャーである星菜には、以後も球場に残って二回戦の対戦校となる二校の試合を偵察する役目が残っているのだ。無論この応援席からは席を移すことになるが、星菜はこのまま帰宅する二人と違って球場に残る予定だった。
「はい。どちらかが二回戦で当たる「そよ風高校」と「山ノ宮高校」の試合は、私達にとって重要な試合ですからね」
数十分後この山ノ手球場で行われる試合には、今大会の注目投手の一人である「阿畑やすし」が登場する。星菜にはその投球をビデオに収め、次に竹ノ子高校が戦う為のデータを集めるという仕事があった。
「あれ? 次の試合で勝った方が、二回戦に当たるんだっけ?」
「そうなりますね」
「星菜っちはどっちが勝つと思うの?」
「勝負は時の運と言いますけど、十中八九そよ風高校でしょうね」
そう、星菜にとって次に行われる二校の試合に対して興味があったのは、阿畑やすしの投球それだけだった。
不測の事態が起こらない限り、次の試合の勝者はその男がエースを張るそよ風高校でまず間違いないだろう。阿畑やすしとは、高校野球に詳しい者にとってそれほどの存在なのだ。
(……噂のアバタボール、この目で見させてもらいます)
昔の話だが、星菜には少々阿畑とは接点があった。彼と星菜は小学生時代所属していたリトルチーム「おげんきボンバーズ」のチームメイトであり、先輩後輩の関係だったのである。
当時の彼はチームの主将を務めており、その関係上まだ入団したての四年生だった星菜もそこそこに面倒を見てもらった記憶がある。
阿畑の方は覚えていないだろうが、星菜の方は「自分が入団一年目からエースになれなかった障害」として、彼のことをよく覚えている。星菜よりも二つ歳上ではあったが、彼の投球は全てにおいて当時の星菜を上回っていたのだ。
そんな彼が今やドラフト候補の一人であり、母校のライバル校のエース投手として立ち塞がろうとしている。因縁めいたものを感じざるを得なかったが、肝心の自分が当時の雪辱を果たすことが出来ないのが強く心残りであった。
(……ああ、この巡り合わせの良さを生かせないことに、私はイラついているんだな……)
そこで星菜は思い至る。先ほどの竹ノ子高校の試合を観ていた時、その勝利を心の底から祝えなかった理由を。
そして、心の中で自嘲する。そんなだから器が狭いのだと、改めて自分の考え方を滑稽に思った。
(二年生のあおい先輩は、もっと悔しいだろうに……)
自分と同じ立場――学年を考えればそれ以上に苛立ちを感じているであろう早川あおいのことが、脳裏に浮かび上がってくる。今日は竹ノ子高校の試合が行われたが、明日は別の球場で恋々高校が試合を行う予定である。その対戦相手は古豪の「白鳥学園高校」だと言うのだからまたしても因縁めいたものを感じたが、小波大也に限って冷静さを失うことはないだろう。他所の心配は置いておくことにして、星菜は自分の仕事へと向かうことにした。
「じゃあね、私もそろそろチア部のとこに集合しないと」
「うん、またねマイちゃん」
「応援、ありがとうございました」
それから何言か交わした後、星菜は舞子と亜美と別れ、もう一人のマネージャーである川星ほむらと合流して席を移した。規定により試合中マネージャーはベンチ内に一人しか居られない為、星菜は先輩であるほむらへとその役目を譲っていたのだ。尤もマネージャーとしての経験や能力もほむらの方が勝っている為、星菜は年齢を抜きにしても彼女の方がベンチに入るべきだと思っていた。
ほむらと合流した星菜は試合を見やすい位置へと移動すると、鞄からスコアブックとビデオカメラを取り出し、調整を行う。試合開始時刻は刻々と迫っており、周囲にも他校のマネージャーと思わしき者の姿が何人か見えた。
他校も偵察に来るほど、阿畑やすしは恐れられているということだ。
《オリジナルナックル! 阿畑やすし、ノーヒットノーラン!!》
翌朝の地方紙の一面には、無精ひげを生やした高校生らしからぬ容貌の青年が拳を天に突き上げた写真が掲げられていた。
その下には「15K! 来季虎の恋人も絶好調!!」と波輪風郎の写真と記事が掲載されている。どちらも一面にするネタとしては十分すぎるものであったが、達成した記録の大きさから波輪の扱いの方が若干小さく扱われていた。
ノーヒットノーラン――それはヒットもホームランも許すことなく、試合終了まで無失点に投げ勝ったということだ。そよ風高校の相手となった山ノ宮高校は、良くて初戦突破レベルの弱小校だ。ドラフト候補である阿畑からしてみれば、完封はそう難しくないだろう。しかしノーヒットノーランまで達成してしまうとは、星菜にとっても予想外なことだった。
「こりゃひでえ……」
「なんだこの変化球……」
星菜とほむらが撮影してきたその投球映像を眺めながら、竹ノ子高校の野球部員達が口々に呟く。この映像を見るまでは昨日の活躍に浮かれていた矢部や池ノ川も今では真剣さを取り戻し、真面目に阿畑やすしの分析を行っていた。
阿畑やすしの球速は昨日打ち破ったパワフル第三の皆川と比べても大差なく、寧ろ皆川の方が速いぐらいだ。
制球力がそれほど良いというわけではなく、球種も精々が三つばかりとそこまで多くはない。
にも拘らず彼がドラフト候補に名を連ね、昨日ノーヒットノーランを達成出来た要因は、全て彼が投げるその決め球にあった。
「ひえー、これがナックルかぁ……」
「本当に回転しないんだな」
「どう変化するのか、全くわからないでやんす」
ナックル――それはボールに回転を掛けないことで、左右へ揺れ動くように変化しながら落下していく変化球である。その様はまるで木の葉がひらひらと揺れ落ちていくようで、右へ曲がったボールが左に曲がって戻って来るなど、常識的には考えにくい不規則な変化をもたらす。現代の「魔球」と呼ばれるその球は本来打席に立たなければ変化がわかりにくく、遠くから撮ったカメラからはただのスローボールのようにも見える。
しかし阿畑の投げるそれは非常にわかりやすく変化しており、星菜達が撮影した映像からも十分に脅威がわかるボールであった。
それこそが阿畑やすしの代名詞であり、彼が他校から恐れられている最大の要因、「アバタボール」の凄みだった。
「ほー、なるほどな」
「どうした池ノ川、なんか気付いたか?」
「いや、全くわからん……」
「知ってた」
球速が速いという長所ならば、竹ノ子ナインは波輪のストレートを見ることで一応の対策は出来る。
しかし今だ生で見たことのない魔球が相手だとすれば、事前の対策など取れる筈が無かった。
「フハハ! 戦う前から恐れてどうするんです。元々僕達はチャレンジャー、出たとこ勝負上等じゃないですか!」
「おう、いいこと言ったな青山」
「でもまあ、色々考えてみようぜ。何も考えずにやったら相手の思う壺だからな」
二回戦に戦う対戦投手の快挙を前にして弱気にならないのは、昨日自分達が良い試合をしたということもあるが、持ち前のポジティブ思考所以だろう。
だがそれでも、映像を見て何の対策も打ち立てられないのは問題であった。
「……一つ、よろしいでしょうか?」
眉間に皺を寄せて思案する彼らに向かって、透き通るような少女の声が響いたのはその時だった。
「……阿畑投手ほどではありませんが、私もナックルを投げることが出来るので、参考までに皆さんで球筋を見てみるのはどうでしょうか……?」
周囲から一斉に向けられる男達の視線に遠慮がちになりながらも、少女は――泉星菜は提案する。
そして男達から歓喜の声が上がったのが、数秒後のこと。
その提案が一同から採用されるまでには、一分と掛からなかった。