剣鬼と黒猫   作:工場船

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第六話:北欧旅行記~その3~

「まさかこのおれの幻を見破るとは、最近の人間は侮れんねェ」

 

 修太郎の声に、木陰から一人の男が現れた。

 黒いローブを着用した長身。面倒臭そうにダラダラと、脱力しながら歩いてくる。

 

「誰だと聞いている。ロスヴァイセに何をした」

 

 修太郎の手当てをしていたロスヴァイセは、その表情に幸せを満たしてどこか遠くにトリップしている。垂れたよだれが何とも間抜けだ。

 

「おいおいおい、もう少し会話を楽しむとかせんといかんと思うがねェ……ま、いいか」

 

 男はその端正な顔を野卑な笑みで歪め、懐から金の王冠を取り出し、被る。

 ()()()()は深淵の暗さを見せ、修太郎の()()()を見つめた。

 

「おれはロキだよ」

 

「……何?」

 

 ロキ。ロキと言えば北欧神話の悪神。

 巨人の血をひきながらアースガルズに住み、主神オーディンと義兄弟の契りを交わした異色の神。厄介事と、それと同じぐらいの益を神々にもたらした稀代のトリックスターである。

 

 彼の『神喰狼』フェンリル、『終末の大龍(スリーピング・ドラゴン)』ミドガルズオルムを生み出したのも彼ならば、神話において光の神バルドルを謀殺しラグナロクに導くのも彼であるとされる。

 修太郎の目の前に立つこの男が、自分をそのロキだと言う。

 

「おおっと、勘違いすんなよ! おれは悪神の方じゃなくて巨人の方。巨人王ウートガルザ・ロキ様だ」

 

「……ウートガルザ・ロキ?」

 

「おおう、その反応はマジか。おれのこと知らねェのか。いや、まあ悪神の方とかオーディンとか、ヴァルキリーに比べりゃ確かに影は薄いだろうけどなァ。一応おれにも結構有名なエピソードがあるんだが、こりゃ参ったねェ」

 

 傷つくねェー、とまったく気にしていない風に茶化す男は、見るだに不真面目で、端的に言って不快なオーラが駄々漏れだ。

 流石の修太郎も眉根を寄せて顔を顰め、ウートガルザ・ロキと名乗った男を睨む。

 

「んな怖い目つきで睨むなよ、おっかねェなー。……話は変わるけどさ、あんた北欧全体で起きてる異界不安定化騒動って誰が下手人か、そこの絶賛幻術トリップ中のヴァルキリーちゃんから聞いた?」

 

「知らん」

 

「あ、そう。それさァ、おれが原因なんだよねェ」

 

 ウートガルザ・ロキの発言に、しかし修太郎は驚かない。目の前の巨人王を名乗る男には、やるなら必ずそれをやるという空気があるからだ。

 

「いやさ、最近の北欧つまらな過ぎっていうかなァ? 刺激が足りんってか、悪神の方も何もしないしマジで娯楽が無いんだわこれが。で、おれ様が神々をも騙くらかす幻術で異界座標を管理するシステムの認識を誤認させて、設定をシャッフルさせてたワケよ。ハハッ、パニクる神どもの顔はもう傑作だったね! ――――でさ、今その現象七日前に止まってるって言ったらどうする?」

 

「――!」

 

「現地で消失したヴァルキリー、未確認ながら行方不明の人間一名……騒動は治まって色々と設備も機能を取り戻したのになんでまだ救援が来ないと思う? あ、神どもはあんたが巻き込まれてることは知ってるよ。あんたの可愛い猫ちゃんがアースガルズに殴り込みかけたからねェ」

 

 楽しげに語る巨人王の顔は愉悦の色に染まっている。

 楽しくて楽しくてたまらないと言った風な顔だ。激しく不快。虫唾が走る。

 

「うぇ……何その殺気こえェー。斬られるかと思った。で、話を続けるとさ、騒動治めたのは実行犯のこのおれ様。理由は飽きた――もとい、他に"面白そうなもん"が見つかったから。何故あんたらに救援が来ないか? それはあんたらがその"面白いモノ"だから。――おれ様ってば幻術結界でここら一帯の海域を覆って神様方が来れないように封鎖してるのよン♪」

 

 今明かされる衝撃の真実ゥーーーー!、とはしゃぐウートガルザ・ロキが認識する前に、修太郎は踏み込んでいた。

 地震の如き震脚に、全力の勁を乗せた拳打。総身に闘気纏った修太郎が放てばそれは、並の龍なら容易く葬り去れる一撃だ。

 

 驚愕の表情で宙に吹き飛ぶ巨人王。

 続く手刀の鋭さは日本刀と相違なく、膝、足刀による蹴撃も刃のように相手の皮膚を切り裂く……はずだった。

 

 唐突に、中空のウートガルザ・ロキが消失した。

 

「ぐわっ、ぺっ、ぺっ、うげェ……マジ痛ェ……何だこりゃ、幻術で逸らしたはずなのにクリーンヒットもらっちまったよ。あんたホントに何者?」

 

 振り向けば、高い一本の木の上に巨人王がいた。

 幻術に、空間転移術。搦め手に長けた厄介な手合いだと分析する。

 

「…………」

 

「ま、何でもいいけどさ。で、現在進行形で困ってるあんたたちには、この島を脱出するための条件を提示しまーす。今から見せる中から一つ、達成すればオッケー! ……さて、この場所! このシチュエーション! 恋知らぬ堅物ヴァルキリーとすこーしばかり頭のおかしい剣士――おっと今は拳士かな? の! 男女共同無人島生活企画はもう既に始まっているッ! ちなみにこれはアースガルズ全土にリアルタイム中継されてマース!」

 

 ダラララララ……。

 どこからともなく流れてくるSEが酷く煩わしい。そんな中、ウートガルザ・ロキは楽しげにローブの下からフリップを取り出した。

 そこに書かれていた内容は……。

 

【条件その1.暮修太郎がロスヴァイセに求婚し、ロスヴァイセがそれを受ける】

 

【条件その2.ロスヴァイセが暮修太郎へ交際を申し込み、暮修太郎がそれを受ける】

 

【条件その3.暮修太郎がロスヴァイセを殺す】

 

「流石に処女ヴァルキリーがいきなり求婚だなんてできるはすがないから? 条件その2は若干甘目だァね――――ホワッ!?」

 

 最後の条件が提示されたその瞬間、ウートガルザ・ロキの顔からにやけた笑みが消えた。

 原因は修太郎。

 漆黒の瞳が猛禽の鋭さを以って巨人王を射抜く。周囲が死滅するかのような濃厚な殺気は、歴戦の猛者でさえ感じたことが無いほどの密度だ。

 

「……ほぉう、お冠ってかい。ま、そっちがその気ならこっちもこっちでちょっかいぐらいかけるさね。さっきの痛ーいパンチのこともあるしィ?」

 

 ウートガルザ・ロキが一つ指を鳴らすと、後方の海上空に巨大な魔法陣が描かれる。

 初めて見る種類の魔法陣だが、その鳴動は馴染みあるありふれたもの。つまり。

 

「転送魔法陣……?」

 

「ご名答! さて、出番だぜ。んでもって、リベンジ戦だぞ拳士くん。ほーら、来い来い――――クラーケン!!」

 

 魔法陣がその規模を急速に拡大させ、そして弾ける。

 立ち昇る光と舞い散る燐光が治まれば、水飛沫と共に現れる尋常ではなく巨大な影。

 

『***********************************!!』

 

 初めて見るその全容は、伝承通りのイカ、あるいはタコに似た姿。

 しかし触手は8や10どころでは到底足りず、顔の周囲で刷毛のように無数が乱立している。一際巨大な二本の触腕を見れば、そのスケールはまるで怪獣だ。

 

 浅瀬でもがくクラーケンは、急に呼び出されたことに理解が追い付いていないのか、そのぎょろりとした大きな目を白黒させている。

 

「ありゃ、混乱してるわ。ちゃっちゃと目ェ覚ませー」

 

 空中に浮かんだウートガルザ・ロキが指を鳴らすと魔法の閃光が迸る。

 それが海魔の巨体に直撃すると、静電気が弾けるような音が響き、クラーケンが目の焦点を取り戻した。

 

「あ、こいつにはあんたとそこのヴァルキリーちゃんの幻を見せてっから。「自分をこんな窮屈な海に呼び寄せた犯人」ってな感じでさァ。期待してんだから、せいぜいおれを楽しませるためにも死なないように気張ってくれよ?」

 

 その言葉を最後に転移魔法陣を起動させ、ウートガルザ・ロキはこの場を立ち去った。

 

 後に残されたのは怒りに燃えるクラーケンのみ。

 

 体色を赤く染めた海魔は、燃える瞳で修太郎を睨む。

 この様子ではロスヴァイセも見つけられたに違いない。未だ幻術から醒めぬ彼女から意識を逸らすためにも、この場は修太郎が相手をしなくてはならないだろう。

 剣を持たない修太郎では、この巨体を崩すだけの殺傷力を発揮できない。ロスヴァイセさえ目覚めれば、魔法のフルバーストで撃退まで持って行ける。

 

 闘気を研ぎ澄まし、疾走する。一息に海岸まで駆け抜け、黒歌いわく軽気功の技で水面を走る。

 降り注ぐ触手の雨を躱す、躱す、躱す。

 運体は最小限に、その身に掠めることすら許さないとでも言うような回避動作。どうしても躱せないものは手刀で切り裂き、または受け流し、相手の虚をつく機会をうかがう。

 だが、出来ない。

 

 さて、イカやタコの目は一見して人間と同じように見えるが、その生成過程は全く異なる。深海をその目に頼り生きる彼らの視力は非常に優れ、構造上盲点が存在しない。

 故に、修太郎が使う歩法の実に大半がこのクラーケンに通用しないのだ。

 

 加えてこの巨体と長年付き合ってきたクラーケンには、超常の第六感とも言うべき感知能力が備わっている。

 その理屈こそ不明であるが、死角が死角の意味を成さない相手では、無数の触手による猛攻もあり、中々本体に勁を打ち込むことができなかった。

 

 修太郎の練度ではまだ戦闘中の圏境は行えない。

 せめてここが地上であればまだやりようもあるのだが、いくら走ることができても踏ん張りのきかない水上では修太郎の修めた技術が十分に活かせない。

 

(剣さえあれば……)

 

 しかしその考えは無意味だ。現状存在しないのであれば、限られた手札でやり繰りするより他はない。

 

 かくして戦況は膠着。

 躱し続ける修太郎に攻撃を続けるクラーケン。

 持久戦となった戦いはその実、修太郎の優位である。

 

 気功の技術を修め、且つ超人的な体力を保持する修太郎は、さらにその技巧を以って消耗は最小限。

 打って変わって、巨体で繊細な攻撃を繰り返すクラーケンは精神的消耗もさることながら、その身体は非常に燃費が悪かった。

 歳を経るごとに増す強大な力の代償に、本来であれば一年の大半を眠って過ごすような存在であるのだ。

 それを思えば、修太郎たちが遭遇したのはかなりレアな事態であったことが窺える。

 

 だからこそ、決着は性急に行う必要があると判断した海魔は、ここで大技を繰り出した。

 

「津波……!?」

 

 咆哮に呼び寄せられた大海嘯が、壁となって絶海の孤島を飲み込まんと迫る。

 クラーケンの後方に発生した、高さにして100メートル近いそれは人知の及ばぬ大天災。都市一つ壊滅させることすら可能な過剰攻撃だった。

 海岸へ近づくにつれ凄まじい勢いで大きくなる波の高さは、三桁の大台を易々と飛び越え、島全体を押し潰すような威容を見せる。

 

「ちっ!」

 

 戦場を放棄し、森の方角へと駆ける修太郎をクラーケンは追撃しなかった。

 わかっているのだ。逃げ場など無いということを。

 

 洞窟へ戻ると、ロスヴァイセはまだ意識を醒ましていなかった。

 迫る波は空を覆うまでに膨らんでいる。

 どこに逃げるか。おそらくは洞窟に防護用の魔法が施してあるだろうが、それを起動できるのはロスヴァイセだけだ。

 

 と、なれば一か八かの賭けに出るより他は無く。

 ロスヴァイセを肩に担ぎ、そのまま震脚。

 廻る気はその回転率を最高潮に、全力の拳打へ全力の勁力を込め、眼前の大波に叩き込んだ。

 

 

 

 

 

                   ―○●○―

 

 

 

 

 

 身体に冷たさを感じ、ロスヴァイセは目を覚ました。

 ――目を覚ました?

 生じる違和感。

 

「やっと目が覚めたか」

 

 声の方向を見ると鋭い目つきの男の顔。

 銀髪の戦乙女は、男の胸に抱かれていた。

 思わずドキリと胸が高鳴る。

 

「え? え? な、何かしら? この状況はどういうことなんです?」

 

 真っ赤になった顔を隠して周囲を見渡せば一面の海。いや、よく見れば波の間から引っこ抜かれたような木々の姿が確認できる。

 

 今や孤島はその大半を海に沈めていた。

 勁で波の直撃を打ち消した修太郎だったが、続く激流に抗うことはできず、しばらくの間流された。

 その後なんとか波をやり過ごせる岩場を見つけ、今に至る。

 

「ウートガルザ・ロキ。奴がキミに幻術をかけて、その後にクラーケンを呼び寄せた」

 

 それでこのざまだ、と修太郎は言う。

 しかしロスヴァイセは後の言葉を聞いていなかった。

 ウートガルザ・ロキ。

 そして幻術。

 

 ――幻術。

 

 ――幻術?

 

 ――幻術!?

 

 二つの言葉を聞いた時。聡明な彼女は総てを察した。

 

「なっ、ななななな……!?」

 

「どうしたロスヴァイセ」

 

「ど、何処だっ! 何処にいるッ!! あのクサレ巨人王がぁぁぁぁぁぁっ!!」

 

「本当にどうしたんだ」

 

「おかしいと思ってたんですよっ!! だって、だってっ! 私の人生があんなに幸せに都合よくいくはずがないもんっ!! でもっ、幸せだったからっ……!」

 

 叫ぶロスヴァイセはガチで泣いていた。

 いったいどのような幻を見せられたのかは知らないが、そんなに良いものだったのだろうか。

 

「………よくも……よくも乙女心を玩んでくれたなぁぁぁぁぁぁっ!!」

 

 そうして鎧を展開し、飛翔の魔法で飛んでいく戦乙女を修太郎はただ見送る事しかできない。

 全方位のフルバースト魔法は花火のように、ほとんどが海に沈んだ島の上空を駆け抜ける。

 

 ウートガルザ・ロキへの制裁を求める声がむなしく空にこだまする。あの腐れ外道の巨人王はきっと、この状況をどこかで見て爆笑しているに違いない。

 そう思えば、ロスヴァイセの魔法力は怒りの感情を受けてさらに高まった。

 しかし彼女は認識していないが、この場にはもう一つ強大な敵がいるのだ。

 

「ロスヴァイセ、避けろ!!」

 

 海面が割れ数本の大きな触手が飛び出した。

 海を見れば水底で輝く双眸が戦乙女を睨みつけている。

 

「クラーケン!? っ、きゃああああっ!!」

 

 修太郎の警告むなしく捕まったロスヴァイセは、海中に引きずり込まれ消えた。

 

「くっ!」

 

 それを追って飛び込む修太郎。

 頼みのロスヴァイセが捕らえられたままになってしまえば、はっきり言って勝算が限りなく薄くなる。

 先ほどは浅瀬だったこともありクラーケンの身体はその大半を水上に露出させていた。だからこそ攻撃を躱し続け持久戦に持ち込むこともできたのだが、海に潜られて本領を発揮されれば何をされたかわかったものではない。

 

 だからと言って、剣を持たない修太郎では水の中で満足な威力の攻撃を繰り出すことはできない。

 それでもこの状況で最善を選ぶのならばやることは一つ。

 

 海に潜った修太郎は魚もかくやの猛スピードで泳ぎ、ロスヴァイセに絡み付く触手を手刀で払う。

 切り裂くことこそ出来ないものの、込められた威力は発揮され、弛んだ触手からロスヴァイセを抜き取った修太郎は、海上に向かって彼女を投げた。

 そしてそのまま触手に絡み付かれ、海深くに引きずり込まれていった。

 

 

 

 

 

 

「そんなっ……なんで、あなたは……?」

 

 海上へと飛び出し、飛翔するロスヴァイセは海を見て呆然とする。

 己の身を犠牲にしてロスヴァイセを助けた男――暮修太郎。本来であればこの事態に巻き込んだロスヴァイセこそが彼を助ける立場なのに。

 

 彼は強力な戦士だが、いくらなんでもこの海という戦場でクラーケンに勝てるわけがない。しかし、一人逃げるだけなら容易かったはずだ。

 なのになぜ、自分を助けたのか?

 

 そんなことは自明、彼は勝つことを諦めていないのだ。

 ならばこちらもやることは一つ。

 不甲斐無さに浮かぶ涙を振り切り、海より伸びてくる触手を魔法の矢で叩き落しながら、多数の魔法陣を同時展開。

 そして十八番の。

 

「フルバーストッ!!」

 

 無数の光条が海に飛び込む。

 特殊な加工を施した属性弾頭は、目標に着弾した時だけ効果を発揮する特別製だ。海面に当たって減衰することは無いはずだが、しかし。

 それでも分厚い海という壁は攻撃を阻んだ。クラーケンが纏う海流が島にあった木々や岩石などの残骸を海中に散乱させているため、海魔に着弾しないものが多数生まれ、その威力を十全に発揮できなかったのだ。

 無属性攻撃は通るようだが焼け石に水。生命力あふれるクラーケンを削りきるには足りない。

 

「それなら!」

 

 再び展開される魔法陣たち。

 

「全属性・全精霊・全神霊・術式最大解放! 連結・接続・集束開始……圧縮・圧縮・圧縮ッ…………!」

 

 周囲に展開した無数の魔法陣から光が伸び、ロスヴァイセの眼前に形成された一つの魔法陣へと集まる。時間とともに積み重なっていく魔法陣は砲門を形どり、その砲口に圧縮された魔法のエネルギーを溜めこんだ。

 ばらけて撃っても届かないのなら一つに纏めて撃ち貫く。

 

 しかし、複数属性の魔法を精密精緻に組み合わせ、一つの魔法として安定化を図るには非常に高度な演算処理を必要とする。

 必然として触手への防御は疎かになってしまうが、それでもロスヴァイセは自分を守りながらそれを完遂した。

 

 ひどい頭痛が襲う中、魔砲の照準を海深く潜るクラーケンの怪しく光る双眸、その中間部分へ。

 眉間を狙って、撃ち放つ。

 

「穿て!!」

 

 放たれた極光の魔法槍は空間そのものを激しく震わせながら、一直線に海魔の眉間へと迫る。

 対する海魔は発せられた波動から攻撃の威力を感じ取り、ここで初めて回避行動をとった。

 

 はたして海面を貫き、極光の柱を屹立させたロスヴァイセ渾身の一撃は、着弾面から海そのものを大きく抉り、海底まで届く大穴を穿つ。

 そして、そこに敵は姿を見せた。

 

 海魔の象徴、巨大な二本の触腕の内一本が根元から抉れ、その焼けた断面を外気に晒している。無数の触手もその数を半分にまで減らし、胴体部分は表皮を大きく抉られて、今も熱に赤く爛れた傷口を見せていた。

 しかし、それだけ。

 大海魔クラーケンは、自身が最も頼りにする最古の触腕の一つを犠牲に、最小限のダメージで見事絶大な魔法の一撃を凌ぎ切った。

 

 悔しさに歯噛みするロスヴァイセ。先ほどの即席大魔法で精神的疲労はすでにピーク、もう一度敵の攻撃を防ぎつつ放つのは不可能に近かった。

 憤怒に燃えるクラーケンが無数の触手を彼女へ伸ばす。意識の中では緩慢に見えるそれも、疲弊した魔法力では回避が難しい。

 

「……こんなところでっ……! ……ごめんなさい、修太郎さん」

 

 迫る海魔の殺意を前に諦め、涙に目を瞑る銀髪の少女。

 

「いや、流石だロスヴァイセ。キミは見事俺の期待に応えてくれた」

 

 それに応える男の声はいつも通りの平坦なものだった。

 

 りぃん、と。

 響く鈴の刃鳴りは幻聴か。

 

 咲き誇る銀閃の花が見えれば、巻き起こる割断の風がロスヴァイセに向かっていた海魔の触手を悉く裂く。

 舞い散る肉と青い体液の雨を伴い、その手に失われたはずの愛刀携えて剣鬼・修太郎ここに推参。

 気付けばロスヴァイセは再び男の腕に抱かれていた。

 

『*********!?』

 

 海魔の絶叫轟く中、突き出た岩の足場に着地。

 ロスヴァイセを優しく下ろし、その鋭い双眸で猛る大海魔を睨んだ。

 海に開いた穴は激流と渦を巻いて塞がり、荒れ狂う。

 

「修太郎さん……? なん、で……?」

 

「本当は体の中から内臓を引っ掻き回そうとでも思っていたんだが、この刀が奴の口の近くに刺さってたのを偶然見つけてな。運が良かった」

 

「え…………?」

 

「しかし実を言うと、剣を回収したはいいが触手から抜け出せなくなって焦っていた。脱出できたのはキミのおかげだ。礼を言おう」

 

「え、はい。どういたしまして……?」

 

 混乱するロスヴァイセをよそに、久しく舞い戻った愛刀の存在を確かめるように修太郎は剣を振るう。

 閃光しか映らないその速さは健在。己の半身とも言うべき存在を取り戻した剣鬼は、無表情ながら心なしか嬉しそうだった。

 

「銘は無いが……天目一箇神に仕える刀工の作、彼の聖剣・天叢雲と材質を同じくする緋緋色金の刃だ。もっともこれは、聖剣としての力など欠片も持たない出来損ないだが」

 

 七日間海の中に在った刃は光の加減で緋色に輝く。その刀身には錆び一つなく、ただあるだけで空気すら切り裂きそうな鋭さだ。

 

「む……流石に柄にガタがきているな。そろそろ替え時か」

 

「あ、あのっ、修太郎さん!」

 

「どうした、ロスヴァイセ」

 

「身体は、大丈夫なんですか?」

 

「問題は無い。戦える」

 

 そう言うことではないのだが、振り向いた男の目を見た時に、ロスヴァイセは何を言っても無駄な事を悟った。

 心配だとか気を付けてだとか、そんな言葉を言ってもこの剣鬼は多分聞かない。

 自分の命の尊さをいうものを勘定に入れていないのだ、暮修太郎という馬鹿は。

 

(と言っても、気付くのが少し遅すぎた気がしますが)

 

 だけどきっと、せめてこれだけは言っておかないといけない。

 

「御武運を。絶対に帰ってきてくださいね。……本当なら、手当てをしないといけないのですから」

 

「……承知した。勝って来よう、ロスヴァイセ」

 

 そう答えてから見せた笑みは、とても不器用なものだった。

 

 

 

 

 

 

 ロスヴァイセを一人残して海上を駆ける修太郎へと海魔の触手が迫る。

 修太郎はそれを躱さない。躱す必要が無いからだ。

 

 空間を銀閃が無数に走ったかと思うと、細切れに落ちる海魔の触手。

 海中で触手の締め付けを受け、それなりのダメージを負っている修太郎だったが、気分は絶好調だった。

 

 欠けたモノが埋まっている。

 自分が完全になっている。

 そんな感覚が身体を駆け巡り、高まっていく剣の冴えは留まるところを知らない。

 

 この身体を思い通りに動かせないことなど未だかつて無かったが、今までのさらにその上をいく精密さで運動を続け、敵手の攻撃を悉く切り裂いていく。

 咆哮によって生まれる渦潮も、流れを読み切れば渡るのに何ら支障はない。

 

「――ははっ」

 

 思わず笑いすら出てくる清々しさだった。

 

 満身創痍のクラーケンは憤怒を超えた憎悪で以って間断無く攻めているが、そのどれもが効かないと悟ると自身の最も頼りとする攻撃に打って出た。

 即ち巨大触腕による圧し潰し。かつてこの小さな餌を容易く弾き飛ばした必殺の一手である。

 

 しかし、修太郎はそれこそを待っていた。

 

 しなやかな筋肉を活かした猛スピードで行われる海魔の攻撃は、比喩ではなく海を割る。

 

 巻き上がる飛沫が海魔の視界を塞ぐ。

 水のカーテンが治まれば、いったいどうやって回避したのか、修太郎が触腕の上に立っていた。

 

 しっかりとした足場を手に入れた修太郎は、笑みをにやりと凶悪に歪め、高まる剣気はただそれだけで斬鉄を成す迫力だ。回る生命力に、解放される霊的器官(チャクラ)から生まれた闘気が炎のように迸る。

 

 構えは正眼。

 誰も認識できない合間に、疾風を追い抜く速度で修太郎は駆け抜けた。

 

 大きな魔物を相手にする際、修太郎には常々思っていたことがある。

 敵の防御は容易く貫けるのに、なぜ一刀のもとに斬り伏せられないのだろう、と。巨体を何度も切り刻むのは面倒だ。効率的ではない。

 これは、そんな狂った考えが生み出した魔技だった。

 

 中国にて覚えた、不動のまま十全の力を発揮する運体技能、衝撃を直接相手の内に伝える伝播方法、すなわち、寸勁や浸透勁などの発勁技法。

 曰く、「力は骨より発し、勁は筋より発する」という、長年にわたり練磨された人間の体術である。

 その応用――運動量から生まれる刃の破壊力を、余すところなく全て相手の肉体に叩き込み爆発させる魔剣。

 

 修太郎から発せられる気迫にたじろいだクラーケンは、触腕を動かし振り払おうとするが、もはや遅い。

 引き絞られた膂力が開放されれば、生まれいずるは神速の刃。

 狙うは巨大海魔の触腕。

 

 修太郎が放った鋭い斬撃は、皮を断ち骨を断ち鋼を裂き龍の鱗すら砕く剛剣だ。だというのに、刃は怪物に徹らなかった。ただ、それより生じるだろう破壊力が、触れた怪物の身体を走る。

 巨大な海魔に亀裂が刻まれる。

 その半身を覆い尽くす縦横無尽に分岐した分割線は、木の葉に浮かぶ葉脈を思わせた。

 

 この巨体殺しの絶技、仙人名づけて曰く――魔剣・落峰。

 

 自身の異常に気づかない怪物が、刻まれた違和感にわずかに身じろぎをしたその直後。

 

『*****************************!!?』

 

 亀裂に沿って肉体が広く爆散し、噴き出す体液に生まれる激痛が叫び声となってこだまする。

 残った触手の実に8割強が弾け飛び、同時に渦潮が散りじりに大きな波と変わり消えた。

 

 極大の損傷を負った海魔は意識を断ち、眠りにつく。

 死ななかったのは内に秘める生命力が尋常ではないからだろうが、その身を動かせるようになるまでいったいどれほどの眠りを必要とするか。

 

 海の王者は水底に沈み、後には荒れた波の白い飛沫だけが残った。

 

 




デタラメ剣法の本領発揮。
やはり戦闘をすると長くなるなぁ。

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