剣鬼と黒猫   作:工場船

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第三十四話:京狐

 静かな病室に時計が時を刻む音が響く。

 備え付けのベッドの上で、塔城小猫は座禅を組んでいた。

 仙術の基本は己と周囲の存在が発する気の在り方を把握することにある。何をおいても精神集中、身の内に巡る気を緩やかにたゆたわせつつ、周囲の気を認識する。

 気とは生命の力、あらゆる生物を動かす根源のエネルギーにして、森羅万象を巡りこの宇宙を満たすものである。

 

 精神を集中させ感覚の制御に意識を向ける。そうして徐々に周囲の気を取り込み、己が気脈に走らせていく。

 座禅、そして精神集中による気の制御法。今のところ彼女の姉、黒歌が命じた修行はこれだけだ。

 気を探る技術も、相手の気に干渉する術も教えてもらっていない。別に黒歌が指導を面倒くさがっているわけではなく、これには理由があった。

 

 今の小猫は高円雅崇が施した術式の影響で膨大な気のキャパシティを備えている。拡張された経絡系は潜在能力を以前の約十倍にまで高めたが、今まで仙術の才能を封じてきた小猫にはそれを制御する能力が著しく欠けていた。その結果として、水中に沈められた空の容器よろしく周囲の気を見境なく取り込んでしまう状態がある。

 高められた才能だけが独り歩きしてしまっていることで、仙術の感覚が暴走しているのだ。

 

 取り込む気が他者から漏れ出た生命力程度ならばまだいいだろう。しかし強い憎悪や怒りなどが混じった負の気――邪気・邪念まで大量に取り込んでしまえば、良くて発狂、最悪死亡する可能性が高い。このままでは日常生活すら満足に送れない状況だった。

 何を置いても高めるべきは制御力。故にこうして基礎中の基礎から徹底的に固めている。

 

 が、しかし。

 瞑想中の小猫の耳を突如騒音が襲う。

 ガサガサと何かの包装を開けるような音がし、そして解き放たれた匂いが鼻腔を直撃。

 香ばしいコンソメパンチの匂いは味気ない病院食に慣れた小猫の精神を容易く乱す。同時に、制御できなくなった気が衝撃となって身体を叩いた。

 

「うぁ……っ!」

 

「はいアウトー」

 

 眩暈にふらつきながら、小猫は声の方向を睨んだ。

 見れば、ベッドの横に座った黒歌がポテトチップスの袋を手に悪戯気な笑みでこちらを見ている。

 

「……姉さま」

 

「そんな目で見てもダメよ白音。これくらいで集中を欠いているようじゃ、話にならないにゃん」

 

「確かにそうですが……」

 

 言いながら、バリバリとポテトチップを食べだす姉を恨めしげに見る。

 自身の未熟は承知しているが、それでもやっぱりこの不意打ちは卑怯であるという思いは消えない。

 そんな彼女をたしなめるように、黒歌は手に持った袋の口を差し出す。

 小猫はしばし逡巡した後、無言でその中身を一枚取った。そのまま口に入れて噛み砕けば、舌の上に久しぶりの旨みが広がる。

 

「でもま、それなりに出来るようにはなってるから、そろそろ外に出てもいい頃合いかしらん?」

 

「外ですか。大丈夫でしょうか?」

 

 今小猫たちがいる病室は黒歌が特殊な結界で邪気を排除しているため比較的安全な訓練ができているが、ひとたび外に出ればそんなものは無い。

 不安げな妹の様子に、姉は笑いながら答える。

 

「暴走予防に封印をかけるからまあ大丈夫でしょ。でもってそれがうまくいくようになってから次の段階ね。ぶっちゃけ気の探知は今の時点でもそこそこできるだろうから、次は他者の気脈への干渉と、闘気の発現ってところかにゃん」

 

「闘気……」

 

「白音は『戦車(ルーク)』だから、闘気を纏って身体能力を強化すれば飛躍的に強くなれるにゃん。潜在能力を全て引き出せれば、肉弾戦だけなら最上級悪魔にも引けを取らないかもね」

 

「私にそんな力が……?」

 

 最上級悪魔といえばレーティングゲームでも最高峰に位置する悪魔のことだ。『皇帝(エンペラー)』ディハウザー・ベリアルを始め、一部には魔王クラスの力を備える者も存在するという。

 未だ無名の下級悪魔に過ぎない小猫にとっては遠すぎる世界。しかし、努力次第ではそこに届くと目の前の姉は言った。

 

「今の白音の状態はとんでもないイレギュラーなのよ。才能の拡張なんて現象、そうそう起こるものじゃないにゃん。不幸中の幸いというか、棚からぼたもちってところかにゃ? まあその分だけ基礎を磨かないと危険な状況になってるわけだけど……そこらへんは私とシュウでなんとかするから、あんたはきちんと頑張りなさい」

 

「はい姉さま、わかっています」

 

 頷く小猫を確認した黒歌は、腕を組んで胸を持ち上げつつ話を続ける。

 

「となると、闘気だけじゃなく体術も鍛えた方が何かとやりやすいかしら? どっちにしても、シュウに手伝ってもらった方がいいにゃん」

 

「体術……ですか」

 

「そ、体術――格闘術や武術を修めることは、自身の肉体を知ることにつながるにゃん。己の肉体と向き合い続ければ、おのずとその根源たる生命の力に触れることができる。達人と呼ばれる武芸者の中には、そうして大なり小なり闘気に目覚める人もいるのよ。中国の梁山泊にいた達人たちは大体そうだったし、シュウもその口ね。闘気は仙術使いだけの専売特許じゃないってことにゃん。と言っても、仙術の闘気と武芸者の闘気は微妙に違うところもあるんだけど……」

 

「?」

 

 小首をかしげる小猫に、黒歌は説明する。

 

「仙術の闘気は自然の気を取り込んで纏うものだけど、武芸者の闘気は内から湧き上がらせるものなの。どちらも同じ身体強化の性質を持つけど、自身の肉体と直結してる分、総量が同じ場合は基本的に武芸者が纏う闘気の方が強化効率も反応速度も上にゃん。ただ、尋常じゃないぐらいの鍛錬を積んで、且つ頭抜けた才能が無いととそこまで大きな出力は出せないのが難点かしらん?」

 

 修太郎のような可視化するほどの闘気を纏える武芸者は稀である。通常は陽炎のように現れる程度の質量しかない。

 あるいは人間ではなく、悪魔や龍のような強靭な生物がその境地に至れば安定して強力なものとなるかもしれないが、黒歌は寡聞にしてそのような例を知らなかった。

 

「多分制御がかなり難しくなるだろうけど、武芸者の闘気と仙術の闘気は理論的には両立可能なのよ。白音も最終的にそこを目指してみてもいいかもね。ただ、仙術の方を先に覚えてると難しいかもしれないにゃん」

 

「姉さまでも出来ないのですか?」

 

「うーん、確かに私は剣術もそこそこ使えるけど、こればかりは感覚的な部分の問題もあるにゃん。人と武器の完全な合一とか、無想の境地なんてのは私にはわからないもの。ある程度の才能があっても、武術に対してかなり真摯に向き合わないとダメなのね。きっと」

 

 二種の闘気を両立させるのは、姉の話を聞くだに相当困難なものであるらしい。

 生粋(?)のウィザードタイプである黒歌ならば特に執着する必要も無いのだろうがしかし、小猫の場合はどうだろうか。

 眷族の『戦車』という役割を担う以上、前衛としての能力は磨いた方がいいだろう。どちらにしても体術は鍛えるつもりである。何時になるかはわからないが、チャレンジしてみても損にはならないはずだ。

 

「まあ、それはそれとして……」

 

 ともあれ小猫の育成方針は決まった。問題はもう一人。

 黒歌は部屋の隅を見る。

 

「ひいっ……!」

 

 そこには真っ白なシーツにくるまった金髪赤眼の少年がいた。ギャスパー・ヴラディである。

 小猫たちが今いる場所は、彼の泊まる病室だった。

 

「お、お二人ともいきなりやってきて修行を始めて、いったい何なんですかぁ!?」

 

 泣きそうな表情で喚く少年の声は、いきなり現れてベッドを占領し、やりたい放題やってる二人に向けられたものだ。流石に我慢できなくなったのだろう。

 そんなギャスパーに小猫が言い放つ。

 

「何って、ギャーくんを鍛えに来たんだよ」

 

「そういうこと。白音を鍛えるついでに、キミのも見てあげるにゃん」

 

「え、ええええぇぇっ!?」

 

 驚いて叫ぶギャスパー。

 怯えた目を丸くしながらこちらを見る様子はどう見ても可憐な美少女である。

 

「と言っても、白音と同じく精神修行がメインだけどね。神器のことはほとんど知らないけど、力を制御する助けにはなるはずよ」

 

「そ、そんな……でも僕は……」

 

 俯く少年にはためらいの様子が見て取れる。

 一誠に触発されて自身の力と向き合う決心がついた矢先の魔人襲撃により、彼の中では自分の持つ力への恐怖が再燃していた。

 敵に利用され何の抵抗もできず、それにより起きた被害は甚大。あまつさえ彼の能力が味方に向けられたせいで多くの人たちが死に、学園は消滅するに至った。

 いったいどうすればよかったのか? 目覚めてより以降そればかり考え、今まで碌に眠れていないのだ。顔を歪めるギャスパーの目元には、濃い隈が浮き上がっていた。

 頑張るなどとは言ったものの、自分が強くなる光景がイメージできない。きっとこのまま何時までも弱く小さく、塵か埃のように転がっているのがお似合いなのだ。そんなことを考え、あまりにも不甲斐無い自分に頭がどうにかなりそうだった。

 こんなことならばいっそのこと――。

 

「「死んだほうがいい」だなんて思っちゃダメだよ、ギャーくん」

 

 ギャスパーの心を見透かしたかのように、小猫が語りかける。

 俯く顔を挙げれば、同級生の少女はいつの間にか少年の目の前にいた。

 

「ギャーくんが死ぬと、部長も一誠先輩たちも悲しむ。私だって……そんなの許さない。逃げちゃダメ。自分の力と向き合うの。私にだって出来るんだから、ギャーくんにだってきっと出来るはず」

 

 力強い言葉と共に、大きな瞳が真っ直ぐと見つめてくる。

 そんな少女にギャスパーは項垂れ――。

 

「……ダメだよ、小猫ちゃん。僕には出来ない。臆病者で弱いから、誰とも仲良くなんかなれないし、こうして迷惑ばっかりかけちゃう。こんな奴に生きる価値なんて無い。それならもう、いない方が……」

 

 静かな病室に乾いた音が響く。

 小猫がギャスパーの頬を叩いたのだ。

 驚いて前を向けば、目に涙を溜めた少女の顔がある。初めて見る小猫の様子に、ギャスパーは呆気にとられて言葉を切った。

 

「……ギャーくんが臆病で弱いなんてみんな知ってる。でもいない方がいいだなんて、私たちが一言でも言ったことがある? 私たちは仲間なんだから、誰もギャーくんを見捨てたりなんかしない」

 

 そう、リアス・グレモリーは、兵藤一誠は、眷族の皆はギャスパーを決して見捨てたりはしないだろう。たとえ付き合いが浅くても、それぐらいならわかる程に彼らは優しい。

 そんなことは、ギャスパーだってわかっているのだ。

 

「でも、僕は見てたんだ! 魔王さまたちが僕の能力で停められていくところを! 今回は助かったけど、次はきっと……」

 

「はいはいストーップ」

 

 なおも反論しようとすると、横から声がかかる。黒歌だ。

 椅子から立ち上がりギャスパーの前に立った黒歌は身体を屈め、悪戯気に微笑むと次の瞬間少年の頭をぐしゃぐしゃと撫でまわした。

 

「わ、わっ!? 何なんですかぁ!?」

 

 ほぼ初対面の人物からそのようなことをされて、ギャスパーは慌てだす。

 そんな彼に黒歌は満面の笑みを浮かべながら、指を突き付けた。しなやかな指先は妖しい輝きを纏っている。

 

「うるさいにゃん」

 

「――あふん」

 

 そのまま指で鼻先を弾くと、ギャスパーの顔が激しく跳ね上がる。そうして再び正面を向いた彼の表情は微睡むようにぼんやりとしていた。

 ギャスパーの顔の前で、黒歌の指がぐるぐる回る。

 

「ゆっくりと深呼吸をしてください。私の声に合わせて……1、2、3、はい」

 

「……すぅ~、はぁ~」

 

 そうして数度、深呼吸を続ける。

 

「息を吐くたびに、嫌なことが身体から吐き出されていきます。気持ちいいですね。全身から余計な力を抜きましょう。そのまま深く、深く、あなたの意識は沈んでいきます。あなたは強~い、あなたは強~い。神も魔王もあなたには敵いません。だから何も不安に思うことはない。そうでしょ?」

 

「……はい」

 

「ね、姉さま、いったい何を……?」

 

 ゆらゆら頭を揺らして黒歌の指示に従うギャスパーの様子は尋常ではない。明らかに何かされていた。

 

「ちょっとした催眠術よ。白音は黙ってて」

 

 疑問の声を上げる小猫へ、ジェスチャーで静かにするよう促した黒歌は、そのまま暗示を続ける。

 

「今のあなたはとてもしあわせ。だって私の声は気持ちいい。私の指示に従えば、もっとしあわせになれます。失敗しても大丈夫、焦らず、自分のペースで頑張っていきましょう」

 

「はい……」

 

「さあ、目を閉じて。私が今から言う言葉を復唱してください」

 

「はい……」

 

「僕は強い」

 

「……僕は強い」

 

「神器なんかこわくない」

 

「……神器なんかこわくない」

 

「にんにく大好き、どんぶり三杯食べたい」

 

「……に、にんにく大好き、どんぶり三杯食べたい」

 

「生麦生米生卵ー」

 

「……なまみゅぎなみゃごめなまたみゃごー」

 

 雲行きが怪しくなってきた。小猫の心を急な不安が襲う。

 

「あの魔人舐め腐りやがってなんぼのもんじゃい」

 

「……あの魔人、なめくさりやがってなんぼのもんじゃーい」

 

「修太郎さんと黒歌さんは空前絶後にお似合いなカップル。今すぐ婚約すべき」

 

「……しゅーたろうさんとくろかさんはくーぜんぜつごにおにあい……いますぐこんやくすべきー」

 

「脳筋ケルトのアホ女神は今すぐ切腹しろ」

 

「……のーきん、ケルトの……めがみ……ス、スカア……うっ、あたまが……」

 

 度重なる暗示にとうとうばたりと倒れ伏すギャスパー。

 姉を含めたその様子を、小猫はじとりとした目で見つめた。先ほどの怒りも消え失せて、ただただ呆れかえるばかりだ。

 

「……何やってるんですか」

 

「ふぅ、これで起きた時はそこそこマシになってるでしょ。ここまで根暗だとぶっちゃけウザいだけにゃん」

 

 なんという身もふたもない理由。直前までの説得はいったいなんだったのだろうと思えば、急にやるせなくなった。

 

「そんな顔しないの。まずは自分の力と向き合わせないことには始まらないにゃん。荒療治だけど、強制してでもさせなきゃ自信なんかつかないしね」

 

「それもそうですが……」

 

「それに、白音の言葉だってこの子に届いてなかったわけじゃないみたいよ? 言葉を聞いた時、瞳の奥が揺れてたにゃん。きっとこの子も頭ではわかってるのよ」

 

「……はい」

 

 姉の手が小猫の頭に伸び、優しく撫でてくる。

 懐かしい手つきに、思わず目を細めた。

 

「ま、さっきのだって洗脳ってほど強い暗示じゃないし、そもそもこの子結構そういうのに耐性できてるみたいだし、きっと二度目は効かないにゃん。ブーストかかるのは最初の内だけね」

 

「では速攻でやらなければいけませんね」

 

「そうね、いっそのこと色々詰め込んでみてもいいかもにゃー」

 

 何をとは言わない。

 

 こうして哀れな少年は、猫又姉妹に弄られる未来を獲得したのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

                  ―○●○―

 

 

 

 

 

 

 

 セラフォルーとともに迎えの車に乗った修太郎は、京都駅よりほど近い場所にある高級ホテル『京都セラフォルーホテル』に宿泊することとなった。

 近くには『京都サーゼクスホテル』まである。確か修太郎がまだ退魔剣士だった頃、京都陰陽師たちの間でこれら悪魔の息がかかった施設の建設に関して何やら紛糾していたような覚えがある。魔人が関わっているわけでもなし、まったく興味の無い案件だったのでどういう議論を交わしていたかまでは知らないが、完成しているということは双方納得のいく形で決着がついたのだろう。

 

 絢爛なロビーで受け付けを済ませ、エレベーターに乗り、そうして通された部屋は王宮さながらの豪華さでこちらを迎え入れた。

 所謂高級スイートルームと言うやつで、修太郎一人ではどう見ても持て余す大きさである。煌びやかさだけなら過去滞在したアースガルズの部屋を上回るほどだ。若干気後れする修太郎だったが、雇い主の厚意に甘え気にしないことにした。

 

 ちなみに、当たり前だがセラフォルーとは別室である。彼女はホテルで待機していた他のスタッフと共に今回の交渉を各陣営に報告するらしい。

 部屋の位置は近いので、護衛を行うのに支障はない。いざとなれば壁を斬り刻んででも駆けつける次第である。

 

 広い部屋を見渡して、黒歌がいればまたはしゃぐのだろうなと思いつつ、矢鱈と大きな浴室でシャワーを浴びる。

 そうして汗を流していると、修太郎は突然部屋の方に出現した存在を感じ取った。

 

 修太郎は『力』に対して非常に鋭い知覚を有している。

 人体の極限まで発達した五感、生来備わった強い霊感、そして気を感じ取り操る才能。これらを統合して生み出された第六感は、幾度もの死線を潜り抜ける中でさらにその精度を増し、戦闘においては未来予知に等しい洞察力として発揮され、また普段の行動においては仙術使いの感覚を上回る索敵性能を見せる。

 闘気の運用に障害を抱えた今となってもその能力は衰えることなく、むしろインドで学んだ霊的器官(チャクラ)の覚醒も相まって今もなお成長し続けていた。

 

 たとえどれだけ広くとも、部屋一つ程度の範囲であれば何者かの侵入など手に取るように感じ取れる。

 故に、突然訪問者が現れたとしても驚くことはほとんどない。

 ……本来であれば。

 

 今回に限っては違った。理由は、訪れた人物である。

 浴室から出た修太郎を迎えたのは、金毛白面の美女だった。

 

「邪魔しておるぞ御道修太郎」

 

 備え付けの巨大なベッドに腰掛けて、飄々と言葉を紡ぐ女性はどう見ても人間ではなかった。

 さらりと流れる金髪の頭部から同色の獣耳を生やし、醒めるような美貌と纏う巫女装束の上からでもわかる妖美な肢体は王を惑わせ傾国を成すそれだ。何よりも背後に大きく広がる金色の九尾を見れば、目前に座す妖女の素性は明らか。

 

「八坂殿か」

 

「如何にも」

 

 日本屈指の大霊地、術式都市京都の地脈を管理し、数多の妖物を率いる妖怪大将――『九尾の狐』八坂姫その人である。

 

「何の用で来られた。自分と会うのは明日のはず」

 

 右手に嵌められた白銀のリング――斬龍刀に意識を走らせる。こちらに戦いの意志は無いが、警戒だけはしなければならない。

 動きには見せなかったつもりだが、空気の変化に気付いたのだろう、八坂はくくっと一度笑った。

 

「そう警戒するでない。ちょっとした確認と、知らせを伝えに来ただけじゃ。ふむ、その目つきと斬れるような気は確かに御道修太郎じゃな」

 

 組んだ緋袴の足で頬杖をつき、値踏みするかのようにこちらを見て答える。

 昔から狐と絡んで碌な思い出が出来たことが無い修太郎としては、どうにもやりにくい。退魔剣士だった頃、いったい今までどれほど騙され、惑わされてきただろう。東北などは最悪だった。

 とはいえ目の前に座る相手は京都の重鎮。無下にすることはできない。

 

「……知らせ、とは」

 

 修太郎の問いに、八坂は足を組み直した。

 

「まあそう急かすでない。それにしても西洋の寝居は豪奢じゃのう。どこもよく煌めいて目に眩いわ。見よ、この布団などはふかふかでわらわの身体を撥ね返しよるぞ。良いのう、気持ち良さそうじゃのう。このような布団に一度寝てみたいものじゃ」

 

「そう思うのであれば、セラフォルー殿に頼まれるがよろしいでしょう。ちょうど隣の部屋におられます」

 

「……何ぞつれないのう。色気の欠片もありゃせん。冗談でも「泊まっていけ」の一言ぐらい言えぬのか。お主、つまらぬぞ」

 

「つまらなくて結構。これが自分です。それよりも本題をお聞かせ願いたい」

 

 からかいの言葉を斬って捨てる男の対応に、九尾の美女は不満げに顔を顰める。

 そうしてしばらく、諦めたように一息つく。

 

「お主、明日の交渉の場には来るな」

 

 続く言葉は修太郎にとってさらに意図のわからないものだった。

 

「……それは、何故でしょうか」

 

 故に、そう聞くしかない。

 

「何故もなにも、お主が裏町に来ると混乱が起こるからに決まっておろう」

 

 裏町、とは京都の妖怪が住む異界のことだ。裏京都とも呼ばれる。

 本来こういった異界は山奥などの秘境に作られることが多く、町中に存在するものは珍しい。京都のそれは特に規模が大きいため、出身地でなくとも多くの妖怪が集まる場所である。

 

「そういうわけにはいきません。此度の自分はセラフォルー殿の護衛でもあります。気配を消していきます故、裏町の妖怪には気付かれることは無いでしょう」

 

 そう反論する。完全に気を断った修太郎は彼の闘仙勝仏さえ撒いて見せる。問題などどこにも無かった。

 しかし。

 

「隠神刑部や八天狗が来ておると言っても?」

 

「……!」

 

「此度の会合は日本の妖怪一同が重要視しておる。陰陽師――退魔師の方もそうであったろう? 今わらわの屋敷には各地方の有力妖怪が集まっておってな。山ン本の奴もおるのじゃ。お主、奴らの神通力を誤魔化せるとでも思うておるのか?」

 

 隠神刑部、八天狗、山ン本……どれも大妖怪に名を連ねる有力者たちだ。八坂と比べてもその力は劣っていないどころか、上回る者すらいるだろう。

 わずかに目を見開いて驚く修太郎に、八坂は続ける。

 

「鞍馬の爺様などはともかく、茨木のがお主を見ればただでは済むまいよ。そうなると処理が色々面倒じゃし、悪魔側との交渉も進まぬ。東北の二代目とも会いたくなかろう? だから来るな」

 

「茨木童子までいるのですか。……では自分はいったいどうすれば?」

 

「故に、わらわがこうして別途話す場所と時間を伝えに来たのじゃ。ほれ」

 

 そう言って懐――胸の谷間辺り――から何やら書簡を取り出し、修太郎へ放る。

 危なげなく書簡を掴んだ修太郎は、広げて内容を読んだ。書かれたことを理解してしばらく、訝しげな目で八坂を見る。

 

「何故またこのような場所を……」

 

「別によかろう。せっかくの機会じゃからな、わらわにも色々とやりたいことがあるのじゃ……と。む、これは……?」

 

 何かに気付いた八坂は立ち上がってテーブルの傍に歩み寄る。そこには修太郎がアザゼルより貰った携帯端末があった。

 

「おお、これは「すまーとふぉん」と言うやつじゃな。知っておるぞ、「けいたいでんわ」の進化系じゃ。人間たちはこの薄い板で離れた場所の相手と話し合ったり、写真を撮ったりするのじゃろ? まさかお主が持っておるとは意外じゃのう」

 

 手に持って色々な方向から端末を眺める八坂はまるで童女のようだ。九つの尻尾が楽しげに揺れている。

 

「貰い物です。使い慣れているわけではありません」

 

 そう答える修太郎は内心で困惑しきりだった。何故彼女はこんなにも馴れ馴れしいのだろうか。狐だからだろうか。

 そんな修太郎をよそに八坂は端末を弄り出す。

 気の済むままにさせようと放っておけば、端末のカメラをこちらに向けて何やら操作していた。

 

「む、こうか。っ……おお、撮れた……のか? のう御道、これはどうなっておるのじゃ?」

 

 パシャリと端末からシャッター音が鳴ると、八坂は修太郎へと端末を見せる。

 仕方がないので端末を受け取り、ぎこちない操作で確認した。

 

「……どうやら撮れているようですが」

 

 案の定、八坂が撮っていたのは修太郎だった。

 

「ふむ、見せてみよ。……おお、おお、綺麗に写っておる。当人が仏頂面なのはアレじゃが、技術の進歩は偉大であるのう。御道、今度はわらわも撮っとくれ」

 

「…………」

 

 言われるままに端末を操作し、一枚撮った。

 再び近くに寄り、端末を覗き込む八坂。

 

「良いのう、やはり綺麗じゃ。わらわはこういうものに触れる機会がほとんどないからのう。若い妖怪は写真機も使うというのに、まったく、古くから仕える者たちは頭が固くていかん。あやつら、自分どもが扱いを知らぬから敬遠しておるだけなのじゃ」

 

 ぶつぶつと文句を言う八坂。「これを機会に妖怪も新しい機械の扱いを覚えねば」と一人決意していた。

 

「……というか今更じゃが御道よ」

 

「何でしょう」

 

「何故にお主、上を着とらんのじゃ?」

 

 端末のカメラに写った修太郎は、その逞しい上半身を惜しげも無く晒していた。

 と言うのも、この後チャクラの修練を行う予定であったため、浴室には下着とズボンしか持ちこんでいなかったのだ。

 そう伝えると、合点がいったかのように頷く八坂。

 

「それは邪魔したのう。ふむ……」

 

 そのまま八坂はじっ、とこちらを見つめてくる。

 

「何か?」

 

「いや、ここまで礼儀を欠いても怒ったりはせぬのじゃな。噂では相当沸点の低い印象があったものじゃから、てっきりスパッと斬られることを予想しておったが」

 

「この程度でそのようなことはしません。立場としてはあなたが上でありますし、第一、分身(・・)を斬ったところで何になるでしょう」

 

 その言葉に八坂はにやりと口端を釣り上げた。

 

「……やはりバレておったか」

 

「中身が伽藍洞ともなれば、一目で」

 

 隣に立つ八坂には九尾の狐と呼ばれるほどの力が一切見られなかった。それでいて感じる気質は以前見た時のものと一致するため、術で作った形だけの分身と判断したのだ。

 そもそも、京都の全霊地を統べる彼女が、妖怪から見て危険人物である修太郎の下へ一人で護衛も付けずにふらふら出向けるわけがない。

 

「その物言い、やはりあやつに似ておる……まあ良いわ。それにしても以前会った時と雰囲気が違い過ぎて驚いたぞ。この地を離れて何ぞあったかのう?」

 

「それは……」

 

 次の瞬間、修太郎の手の中で端末が震えた。

 

「おおっ、何じゃ!? 何が起こっておるのじゃ!?」

 

 急な出来事に驚く八坂。

 

「連絡が入ったのでしょう。……少し離れていただきたい」

 

 震える端末に興味を示して覗き込もうとする八坂を修太郎は制止する。

 通話ボタンを押し、電話に出ようとしたその時――。

 

『やっほー! シュウ、私がいなくても元気してるにゃん? そのケータイ、魔法通信もできるっていうから試して――何その女』

 

 端末を通して宙に浮かび上がる魔法陣のウィンドウ。

 天真爛漫な笑みを浮かべる黒猫美女・黒歌が楽しげに声を弾ませ――半裸の修太郎とそれに寄り添う八坂を見た瞬間、トーンを絶対零度の領域に落とした。

 

「この方は九尾の八坂殿だ。後の日程を伝えにここへ――」

 

『へぇ……日程聞くのになんでシュウは半裸なの? そこ何処? ホテル? あとその女、近いにゃん。すぐ離れて』

 

 黒歌の疑問に、至極冷静な態度で答える修太郎だったが、続く彼女の口調は多分に棘を含んだものだった。

 その言葉に従い、思わず八坂を突き放す。何故だかよくわからないが、完全にウィンドウの向こうから放たれる空気に呑まれてしまっていた。

 

「むっ、急に押しのけるでない!」

 

「申し訳ない」

 

 思わず謝罪する。

 しかしながらそのさりげないやり取りすら黒猫の気に障ったようで――。

 

『私は一人さびしく部屋にいるのに、シュウは行きずりの女狐と何をしてるの?』

 

「待てクロ、お前は何か誤解して……」

 

『ばーかばーか! もうシュウなんか知らないにゃん。もう白音の所に逃げてやるんだから!』

 

 そう言い放ったのを最後にウィンドウは閉じて消えた。

 後には当惑し無言のまま佇む修太郎と、面白げな視線でこちらを窺う八坂だけが残る。

 

「ふむふむ、なるほど、これがお主が変わった理由か。感じる力の質からすると、悪魔かのう? それも猫又。話に聞くかつての『御道修太郎』なら出会い頭に斬ってそうな存在じゃな。となると、お主には少し悪いことをしたか」

 

 顎にしなやかな人差し指を当てながら、八坂はそんなことを言う。

 その言葉を聞いた修太郎は一つ息を吐き、彼女に告げる。

 

「……そちらの話は承知しました。今夜はもうお引き取り願いたい」

 

「む? そうじゃな、あまり長居しても仕方がないしのう」

 

 答える八坂は気付かない。修太郎の目が先ほどまでとは違う光を帯びたことに。

 低く平坦な声で修太郎は続ける。

 

「では送りましょう」

 

「よいよい、どうせ分身じゃ。このまま術を解除すれば――」

 

「遠慮なさらず」

 

 瞬間、銀閃が宙を走る。

 無拍子で放たれた刃がその閃きを見せたと同時、斬龍刀はリングに戻っていた。

 傍目には何が起こったか全くわからなかっただろう。

 

「――――」

 

 都合九つに分断された八坂の分身は、驚いた様子を見せる間もなく炎が散るように消え去った。

 一人残された修太郎はベッドに座り込み、再度息を吐いて言葉を漏らす。

 

「これだから、狐と会うのは嫌なのだ……」

 

 




遅れに遅れて2週間。申し訳ありません。
ここ数話書き直しが多くなってきたり、今回は途中でデータ消えてモチベ下がったりしましたが私は元気です。
ウィンドウズの自動更新で強制再起動されるの何とかならないかしら……。

ともかく八坂登場回。
原作での出番が少ないのをいいことに、好き勝手書きすぎたかもしれません。全体的に子供っぽくなったような。
作者的には猫耳も大変よろしいですが、狐耳も好きです。もふもふしてそうな尻尾もベネ。
同じイヌ科なのになぜか違う趣がありますよね。

次回は八坂とのデート回……になるのでしょうか?

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