剣鬼と黒猫   作:工場船

32 / 58
第二十九話:魔人《その3》

 兵藤一誠は普通の少年である。

 父親はサラリーマン、母親は専業主婦。貧乏と言うほど困窮してはいないが、裕福ともいえない。所謂ところの中流家庭に育った。

 頭脳は並、運動神経は平均的、体格的にも目立った特徴は無い。容姿だって平凡で、甘く見てもせいぜいが中の上程度だろう。唯一他に負けないと自負しているものが性欲だが、長所と言うには俗すぎる。得意なことは何か、と問われれば、とっさに出てくるのが女体関連の妄想しかないのだから筋金入りだ。むしろ有り余るそれは周囲から見て悪評判以外の何物でもなかった。

 

 進んで悪事を働くほど飢えてはいないし、身を捨てて施しを与えるほど聖人という訳でもない。ただ、世間一般で言う常識的な感性の下、困っている人を助ける程度の善良さは持っている。本人は意識していないが、差別なく人と付き合える姿勢は稀有な資質と言えるだろう。

 あるいはその乳房に対する執着さえなければ、普通の好青年として青春を謳歌できたのかもしれない。しかし、そうはならなかった。

 

 堕天使によってもたらされた突然の死、そして紅髪の悪魔との邂逅が彼の人生を大きく変えた。

 切っ掛けはその身に宿った『赤龍帝の籠手(ブーステッド・ギア)』。聖書の神が創造せし神をも殺す神滅具(ロンギヌス)の一つ、『赤い龍(ウェルシュ・ドラゴン)』ドライグの魂を封じた神器(セイクリッド・ギア)である。

 

 そして始まる悪魔生活。

 主となった上級悪魔リアス・グレモリーを始め、周囲を途轍もない美少女たちに囲まれて、一誠は幸せだった。

 上級悪魔となってハーレム王を目指すという目標もでき、日々やる事づくめで端的に充実していたと言ってもいい。少なくとも、以前までの女子に嫌悪され避けられる日々よりは生活に"張り"が出ていると感じる。

 

 しかし良いことばかりが続いたわけではない。人間だった頃とは一転して、悪魔の世界はひたすら暴力に溢れていたからだ。

 自らを殺した堕天使レイナーレよりアーシアを救うために戦ったことを皮切りに、上級悪魔ライザー・フェニックスとのレーティングゲーム、そして決戦。つい最近だとエクスカリバー争乱におけるコカビエル一派との死闘。

 喧嘩すら滅多にしたことのない一誠だ。いくら自身の性欲が並外れていようと、それだけを原動力としていくには無理がある。そんな時、支えてくれたのは自らの主と眷族仲間の存在だった。

 彼ら彼女らがいなければ、きっと一誠はここまで頑張れていない。だからこそ大切で、決して失いたくないと思う。アーシアを一度死なせた時のようなことになるのは二度と御免だった。

 

(くそっ……! ちくしょう……!)

 

 だが、そう思っていても一誠は負けた。

 敵は魔人・高円雅崇。

 目の前で無残に圧殺される仲間を見た彼の絶望は、憤怒は、生半可なものではない。いくら不完全な禁手(バランス・ブレイカー)であろうと、神器のシステムは担い手の意志に応えて限界を超えた力を発現させた。にもかかわらず、一切が通用せずに砕かれたのだ。

 

(また何もできないまま倒れるっていうのかよ……! なにが伝説のドラゴンだ……ッ!)

 

 天下無敵の赤龍帝。神や魔王すらも恐れる二天龍の一。その力を使ってさえ、一誠は何も守れない。

 かつてアーシアを失ったあの時のように。

 リアスを泣かせたあの時のように。

 

(嫌だ……そんなのは嫌だ……! 立てよ、俺! 立って奴をぶちのめすんだッ! この身体がどうなってもいい! 俺の命なんか捨ててもいいから……!!)

 

 窮地に陥らなければ力を出せない己の無才が恨めしい。もしも修太郎やヴァーリのような才能があれば、きっとこのような状況が訪れることも無かっただろう。

 それもこれも全て自分が弱いから。

 力が、力が欲しい。

 

(応えやがれ……! セイクリッド・ギア……ッ!!)

 

 願いは切に、しかし何にも届かない。世界は何処までも残酷に、起きるはずの無いことは決して起きないようになっている。

 今回もそうなる――はずだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

                  ―○●○―

 

 

 

 

 

 

 

 

『…………!』

 

『ええ、ベルザード、わかってるわ。……誰かが目覚めたようね。外にいる敵の影響かしら? 覇龍(ジャガーノート・ドライブ)にも至っていないのに、何て特異な現象……』

 

『…………』

 

『わからないけれど、きっと悪いようにはならないでしょう。この事が必然なら、神器が彼の想いに応えたと言うこと。時期的には少し早いと思うけれどね』

 

 

 

 

 

 

 

 

                  ―○●○―

 

 

 

 

 

 

 

 

 月下の大地より燐光が立ち上る。極彩色の光球が弧を描きながら天空の太極陣へと集積されていく。

 それはさながら流星群の如く、見る者へ感動を呼び起こさずにはいられないほど壮観だった。しかしこの現象の本質は美辞麗句で納まる代物ではない。昇る光は現在進行形で失われる命そのものである。天駆ける星々がその美しさを増すごとに、眼下の大地は死に満ちていく。

 

 破滅の異空間、空間宝貝『吸星陣』。

 

 鳥が落ち、獣が臥せり、虫が転がる。木々がしおれ、大気は腐り、地が罅割れる。地脈を通じ"外"の大地にまで影響を及ぼしながら、命の吸引は止まらない。

 この宝貝は生命のみならず環境をも殺す。起動には莫大な量の気を必要とするものの、それさえクリアしてしまえば吸収した力により自給自足が可能であるため、術者からの供給は不要だった。それはつまり、辺り一帯の生命力を枯渇させるまで停止しないということでもある。

 今宵、駒王町は草木一本生えない死の大地へと変わるだろう。陣の主が手心を加えれば別だが、ことそれだけに関しては全く期待できない。

 

 なぜならば陣の主――高円雅崇という男にとって、生物の生き死になど極めて些末な事柄であるからだ。

 この男は遍く森羅万象全てを嫌悪している。常人に求めるような感性を期待すること自体が徒労であり、全く無意味な行動と言わざるを得ない。

 

『その姿……貴様、前にも赤龍帝(おれ)と戦ったことがあるな?』

 

 倒れ伏す一誠の左腕、籠手の宝玉より声が響く。

 黒衣の魔人・高円雅崇は面白げにそれを見て、答えた。

 

「如何にも。覚えていたか『赤い龍の帝王(ウェルシュ・ドラゴン)』ドライグ」

 

『単身で『覇龍(ジャガーノート・ドライブ)』を破った敵だ。誰が忘れるものか』

 

 忌々しげな声音のドライグに、魔人は昔を懐かしんで目を細める。

 

「あれは確か……今の時代より200年は前のことだったか。土御門の陰陽師どもが雇った赤龍帝……実に目障りだったと記憶している。思えば以前の使い手もその少年と同じく情の深い人間だった。妻子を殺された程度(・・)のことで『覇龍』を発動させ、自滅したのだからな」

 

『外道が……! 貴様には一生わからん感情だろうさ』

 

「何を言っているドライグ。貴公には理解できるとでも言うつもりか。それとも長く人間と付き合ううちにわかった気になっているのか? ……まあいい。しかし『覇龍』、か……貴公らはあれを殊更重要視しているようだが、力に偏った欠陥機能などおれには通用せんよ。あんなもの、ただの枷でしかないだろうに」

 

『何だと……?』

 

 疑問符を浮かべるドライグ。それに対し、魔人は愉しげな笑みを浮かべるのみだ。

 訳知り顔の敵に問いを投げるべく、ドライグが言葉を放とうとしたその時。

 

「ほう、まだ立てるか」

 

 背に降り積もった瓦礫を押しのけ立ち上がる少年に、魔人は興味深げな視線を向ける。

 一誠の身体はボロボロだ。手足こそ折れてはいないものの全身くまなく血をしたたらせ、口腔から血を吐き出す現状は、外傷だけでなく肉体の内部にも大きなダメージがあることを示している。動き回ればそれだけ傷が深くなる可能性は高いが、それでも一誠は立ち上がることをやめない。

 彼の身体を動かすのは、己の無力さと敵の悪意に対する嚇怒の念。そして神器の内より湧き上がる、正体不明の声だった。

 

「諦めないことだけが……取り柄だって言ったのは、お前だぜ……!」

 

『相棒……? これはまさか、至ったと言うのか? いや、だがなるほど……面白い!』

 

 誰かが一誠の耳元で敵を許すなと叫ぶ。同時に、今のお前では奴を殺せないとも。

 だが、戦いを止める声は無い。湧き上がる力はむしろ祝福さえしているようで、今の一誠に迷いなど無かった。

 

「それで、立ち上がってどうする。魔王どもは封じた。助けなど期待できんぞ。自力では鎧ひとつ纏えぬ弱き赤龍帝が、おれを倒せるとでも?」

 

「……そうさ、俺は弱い。こんなになるまで力が出ない、ダメな奴だ。それでさえドライグがいなきゃ話にならないんだから、才能なんてこれっぽっちも無いんだろうさ。俺が弱いクズだから……小猫ちゃんを死なせちまった……ッ!!」

 

 悔しさに涙を流しながら、声を絞り出す。

 言葉を紡ぐごとに湧き上がる様々な想いが神器に灯り、真っ赤な光の鼓動を刻む。

 過去を想って後悔は絶えず、先を想って恐怖はぬぐえない。それでも、いや、だからこそ、今まさにすべてを喰らい尽くさんとする目の前の敵を許すわけにはいかなかった。

 

「だから勝つ! 何もできない俺だけど、たとえこの命が全部無くなっても、今ここで絶対にお前を止めてやるッ!! もう二度と、誰も殺させやしないぞッ!!」

 

 今までとは明らかに違う力の高まりを感じる。感覚は際限なく広がっていき、一誠の器を凌駕してなお止まらない。神器の中、確かに存在する「誰か」が、自身をその領域へと引っ張り上げていた。急激に拡大していく視野が激しい眩暈を誘うものの、しかし耐えて受け入れる。

 震える足で踏みしめる。拳を握り、視線は逸らさず、今最大の意志を込めて。こぼれる涙を振り切って、一誠は叫んだ。

 

「いくぞォッ、ドライグッ!! 奴に吠え面かかせてやるッ!!」

 

『無論だ相棒! 否! 兵藤一誠ッ! 高円雅崇と言ったな! 以前と今回において赤龍帝を舐めた報い、今こそ受けることになるぞッ!!』

 

 咆哮と共に旋風が吹き荒れる。真っ赤な風を纏い、今まさに天龍の力が真の産声を上げる。

 

Welsh(ウェルシュ) Dragon(ドラゴン) Balance(バランス) Breaker(ブレイカー)!!!!!!』

 

 解き放たれた力が熱風となって駆け抜け、迸る赤光が夜闇を吹き飛ばす。

 紅蓮の赤に彩られた堅牢なる龍の外殻、赤き龍帝が誇る力の象徴――禁手(バランス・ブレイカー)赤龍帝の鎧(ブーステッド・ギア・スケイルメイル)』の輝きが、今再び闇を裂く。

 

「さあ、第二ラウンドといこうぜッ! 高円雅崇ッ!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

                  ―○●○―

 

 

 

 

 

 

 

 

 一方、時空間の停止によって静寂に包まれた体育館。

 空間そのものが凍ったような不動縛を受けてなお、彼らは意識を失っていなかった。

 神をも停める魔眼の威力を今も一身に受け止めるは魔王サーゼクス・ルシファー。全身より莫大な滅びのオーラを迸らせ、しかし精密極まる魔力操作によって神器より発せられた「視線」の大部分を消し続けている。

 それでもなお鉛のように重い大気の中、彼らは満足に動くことも出来なければ力を放つ事すら出来ない。最後の一線に留まりつつ、しかし打つ手は無かった。

 

 館内中に張り巡らされた呪符に込められているのは、陰陽師が初歩に習う単純な遠見の術法だ。ギャスパー・ヴラディの視界を区切り、それら全てに反映させることで、『停止世界の邪眼(フォービドゥン・バロール・ビュー)』の出力を神格クラスにまで通用する域へと引き上げていた。

 コストに見合わない絶大な効果は一見デタラメに見えて、当のギャスパー自身に相応の負担を強いている。暴走状態である事も含め、通常の万倍に達する負荷は、哀れな少年の精神を廃人へと変えるに十分なものだ。魔人は、彼を使い捨てる気だった。

 

 おそらく、この状態は長くともあと1時間続くかどうかと言ったところだろう。ギャスパーの精神が壊れれば、自然とこの拘束も解ける。

 しかし、その頃にはこの場の全員に戦う力など残っていない。何故ならば、現在進行形で僅かずつ力を削られているからだ。

 この現象は高円雅崇が行っている何らかの術法によるものだろうと、修太郎は当たりをつけた。

 

 呼吸すら満足に行えない停止空間において、今もおびただしい量の汗を流すサーゼクスを除けば、この場で最も動ける人物はヴァーリ、次点で修太郎だった。それでもここを脱出するための手を打てるかと言えば厳しい。魔眼の停止能力は、彼らの持つ能力にまで枷を嵌めている。

 だがそれで諦めているかと問われればそのようなことはまるでなく、各々が身の内で力を練っているのが確認できた。

 特に顕著なのはヴァーリで、何かと呼応するように力を高めている。そしてその原因を、修太郎は外に感じ取っていた。

 

 状況が動くのは近い。

 修太郎自身、このような時のために一応事前の手を打ってはいるが、はたして彼女がうまくやれるかどうか。

 何にせよ、今はただ己を研ぎ澄まして待つのみだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

                  ―○●○―

 

 

 

 

 

 

 

 溢れる力が赤いオーラとなって身を包む。手を握り締めながらそれを確かめ、一誠は高円雅崇を睨んだ。

 自身の宿主へとドライグが語りかける。

 

『相棒、今のお前の禁手は神器側から支援を受けた、非常に特異なものだ。持続時間は良くてせいぜい20分。お前の体力が限界に近い現状、代わりに命を削って維持している。わかるな?』

 

「ああ、俺の中で何かがガリガリ削れてるのを感じるよ」

 

『力を高めるには通常通り体力を消耗する。最大倍化は一回が限度だろう。命を使っても2回目で打ち止めだ。そして生命力を吸い取るこの空間……あまり時間はかけてられん。こちらも至ったとはいえ状況的には前に立ち戻っただけだ。実力差そのものが埋まったわけではない。何か策はあるのか?』

 

「策……ってほどでもないけどな」

 

 正体不明の回避能力に、禁手を一撃で解除するほどのパワー。内なる声の言うとおり、今の一誠では逆立ちしても高円雅崇に敵わない。

 

「どうした、こないのか?」

 

 復活した赤龍帝の鎧を前にしてもなお不敵に笑みをやめない魔人の態度は、油断でも慢心でもなく、確固たる事実として一誠とは別次元の実力を持つからこそのものだ。悔しいが、まともにやって勝てる相手ではない。

 だから――。

 

 背中の噴出口から魔力を噴かす。莫大な推進力を解き放ち、一誠は――魔人とは逆方向に高速で駆けた。

 

「奴とは戦わない、ここは退くッ!!」

 

 魔人の姿が急激に遠ざかっていく。そうして瞬く間に見えなくなり、敵が追ってこないことを確認した一誠は進行方向へ顔を向けた。

 

『確かに敵の力は底が知れん。戦っても勝てるかどうかはかなり怪しい。それはわかったがしかし、これからいったいどうするつもりだ? まさかこのまま逃げ続けるわけではないだろう』

 

「当たり前さ。まずはこの状況を変える。ドライグ、地下に力を感じるって言ってたよな?」

 

『ああ、今も感じている。空間が捻じ曲がっている関係上、ここからでは正確に判断できんが、おそらく学園の中心だろう』

 

「そこを叩く。そのためには――!」

 

 一誠は速度そのまま窓の方へ進路を変えようとする。

 この廊下の窓は学園の上空へつながっている。そこからいったん外に出て、目当ての場所へ全力の一撃を放ち、地下に潜む力を破壊する腹積もりだった。

 ドライグの言うとおりなら、地下に感じるという力がこの空間歪曲を生み出している元凶だと考えられる。これがあるかぎり一誠たちは逃げることが出来ず、またいつまでも仲間と分断されたままだ。

 

 一誠たちが助かる唯一の可能性、それは魔人をこの場に集う実力者たちにぶつけること。

 先ほど高円雅崇は、魔王たちを封じたと言っていた。状況も解決方法も判然としないが、それもこの異界が原因になることであるのなら、どちらにせよ場の破壊は必須事項だ。

 無論、達成したとして状況が好転するかと問われれば確証は全くない。完全に勘頼り、分の悪い賭けだがしかし、一誠が考え得る中では最も勝ちの目が見える案でもある

 

 そう思考しながら窓を突き破った一誠だったが――待っていたのは再び続く無限長の廊下。そして静かに佇む魔人の姿。

 この一帯は敵の領域。逃げる一誠を探すことも、空間を操作しこちらに引き寄せることも息をするかのごとく思いのまま行うことができる。

 

「逃がさんよ」

 

 驚く一誠に魔人が腕を一振りすると、不可視の力が身体を直撃した。

 頑強な鎧に身を包んでなお、全身を貫く衝撃は筆舌に尽くしがたい。兜の中で血を吐き出しながら、疾走を阻止された一誠は吹き飛ばされる。

 廊下を何度も転がりながら、身体中を駆け抜ける痛みをこらえて体勢を立て直した。

 

「がっ、ぐふっ……! 今のは……」

 

『おそらくは、極めて強力な念動力(サイコキネシス)だ。気を付けろ相棒、感覚を研ぎ澄ませなければなぶり殺しにされるぞ!』

 

「わかった、いくぞッ!」

 

 今度は退かず、正面突破。何とか隙を作り、外に出なければならない。

 赤い残像を残しながら魔人へと殴り掛かるが、やはり煙のようにすり抜けるだけで当たらない。

 同時に腹部を衝撃が走る。見れば、魔人の拳が鎧を砕いていた。そのまま流れるような動作で漆黒の外套が翻る。とっさに腕を交差して防御態勢をとったものの、念威を纏う蹴撃は慮外の威力で一誠を弾き飛ばした。

 

「ぐああっ!!」

 

 教室の壁を突き破った一誠はオーラを弾けさせて瓦礫を払う。拳を構えて敵を見据えようとしたその時、目当ての人物は既に目前へと迫っていた。

 抜き放たれた軍刀が閃く。邪念を纏う白刃が、黒い光の軌跡を残す。

 とっさに防御のオーラを固めながら背後に跳び退るものの、超速の斬撃は一誠を逃がさない。鎧などまるで無いかの如く鮮血がほとばしり、一誠は痛みに顔を歪めた。

 

「どうした兵藤一誠。おれに勝つのだろうが。この程度では話にならんぞ」

 

「うるせぇ……! 黙ってろ見てろよこの野郎!」

 

 それでも戦意衰えない一誠は手を前に突き出し、オーラの砲撃を放つ。赤い旋風が目の前の魔人に襲い掛かるが、しかし。

 

 四縦五横に走る純白の指。素早く組まれた結界は九字護身(ドーマン)の型。

 格子状の軌跡が赤い一撃を弾き、念威が煙を裂けばそこには無傷の男が立っている。

 

「くっ、アスカロン!!」

 

Blade(ブレード)!!』

 

 左籠手より聖なる刃を解放する。そのまま敵に突っ込む――かと思いきや、一誠は壁を切り裂きそこに飛び込んだ。

 高速で部屋を突き破っていく一誠に、魔人は壁を透過しながら追従する。

 

 そして始まる剣戟の舞。その戦いはひたすら一方的だった。

 一誠の剣技とも言えない拙い技量では、敵の剣を受けることすら満足にこなせない。致命傷を避けるのが精一杯であり、鎧の修復が追い付かないほどの速さで傷ついていく。

 対する魔人は未だ無傷。嘲笑うような笑みは絶えず、黄金の邪眼が卑睨する。

 

「そら、受け止めてみろ」

 

 視線一つで莫大な念が迸る。力場の鉄槌が魔人の視界内全てを圧壊させていき、暴威の嵐を巻き起こす。

 敵のわずかな仕草から大きな力の発露を感じ取った一誠は防御を固めるが、その行動もむなしく木の葉のように弾け飛んだ。部屋をいくつも破壊しながら、壁に激突して止まった一誠は、もはや意識を保つことすら厳しい状態だった。

 

『無事か、相棒? 本格的にジリ貧……いや、遊ばれているな。残り時間も少ない。手早く決めないとすぐに負けるぞ』

 

「わかってる……! くそっ、やっぱりダメなのか……?」

 

 蓄積したダメージに膝をつく。体力も限界、疲労も極限、血は足りずに視界も霞んできた。己が無力を噛み締める一誠は、自身の手へと何かが当たったのに気付く。

 それは、革製の黒いアタッシェケースだった。

 

「これは……!」

 

 一誠が声を漏らすと同時に、立ち込める埃を念が切り裂き、瓦礫を踏みしめ魔人が姿を現す。受けたダメージに跪く一誠を認めると、落胆した表情を見せた。

 

「もう終わりか。これでは暇つぶしにもならんな」

 

 そう吐き捨てて、両手で印を組む。

 臨・兵・闘・者・皆・陣・裂・在・前――目まぐるしく変わる手印により、高まる集中が魔人の念をさらに高位へと引き上げる。

 

 一方、力を高める敵を見た一誠は、ドライグへと自身のイメージを送りながら、叫ぶ。

 

「ドライグ、神器は所有者の想いに応えて進化するんだよな! それなら、これをやってくれ! 出来るな?」

 

『これは……! いや、面白い。選ばれたわけでもない者が使うには危険過ぎるが、今さらだ。いいだろう、何が起こるかわからんが、やってみよう。覚悟を決めろよ、兵藤一誠!!』

 

「応ッ!!」

 

 一誠は傍らのアタッシェケースを拳で砕き、中に収められたそれを右手で掴む。

 取り出されたのは一振りの剣。刀身に纏うオーラは何処までも不吉な妖しい輝きを放つ。

 

 ――伝説の魔剣・バルムンク。

 

 一誠が吹き飛ばされた部屋は旧校舎の一室、会談後に天界へ引き渡すべく件の魔剣が保管されている場所だった。

 

「うおおおおおおおっ!!」

 

 気合と共に全身の宝玉が光を迸らせる。一誠の想いを受けて、己が身の内に取り込もうと神器が輝きを増していく。

 しかし、当の魔剣は魔のオーラを強めてそれを拒む。担い手と認めてもいない人物に、己を使われてはたまらないと拒絶の意志を示した。

 

 一誠の意志と魔剣の意志とが鬩ぎ合う。その膠着状態は、致命的な隙だった。

 魔人より高まった力が放たれる。それは不可視の斬線。極限まで薄く展開された念動力の剣だった。視界内を縦横無尽に埋め尽くす割断現象が、硬直した一誠へと迫る。

 

 間に合わない、と思ったその時。急激に負荷が引き、神器が魔剣を取り込んだ。

 

「おおおおおおおっ!!」

 

 疑問は無視して輝く右腕を振りぬけば、圧倒的なまでの力が波動となって放出され、全ての念威斬撃を消し飛ばした。

 解き放たれた威力はなお止まらない。蛇のようにうねる力の波動が魔人へと襲い掛かる。

 

「ほう……」

 

 それは虚しく魔人の身体をすりぬけてしまうが、力を強めて放った攻撃を破られたことで魔人は感心の声を上げた。

 見れば、一誠の右腕に装着された鎧に肘から拳の方向へと長大な刃が形成され、かつてよりその趣を大きく変えている。

 

『相棒、先ほどの一撃でわかっていると思うが、凄まじいまでのパワーがその右腕に備わっている。取り込むのに時間がかかり過ぎて焦ったが、またも神器側からの後押しを受けたな。まったく今までに無いことだぞ、これは』

 

「へへっ、名づけるなら『魔剣龍の籠手(バルムンク・ギア)』ってとこか? まんまだけどさ」

 

『戦闘力が増したのは喜ぶべきことだが、本来お前はそれの担い手たる存在ではない。使うには相応の代償が必要になるだろう。現状はあと一発が限度だ。やれるか?』

 

「ああ、これなら!」

 

 右腕に備わった圧倒的な密度の力を実感して、一誠は吼える。

 刃より力の螺旋を開放。腕に纏った赤い竜巻は、その威力を誇示するかのように周辺空間を削り取る。

 一誠は確信していた。如何な魔人の力でも、これは転移できない(・・・・・・・・・)

 

「いくぞォッ! ドライグッ!!」

 

Boost(ブースト)Boost(ブースト)Boost(ブースト)Boost(ブースト)Boost(ブースト)Boost(ブースト)Boost(ブースト)Boost(ブースト)Boost(ブースト)Boost(ブースト)Boost(ブースト)Boost(ブースト)Boost(ブースト)Boost(ブースト)Boost(ブースト)Boost(ブースト)Boost(ブースト)Boost(ブースト)Boost(ブースト)Boost(ブースト)Boost(ブースト)Boost(ブースト)Boost(ブースト)Boost(ブースト)Boost(ブースト)Boost(ブースト)!!!!!』

 

 極限まで体力を、命を削り力を高める。それだけで床は大きく陥没し、周囲の瓦礫は消し飛んだ。

 刃の照準を魔人へと合わせる。次の瞬間、一誠は閃光となって突撃した。

 

「無駄だ」

 

 それでもやはり当たらない。一誠は何にも阻まれることなく、魔人の身体を通過した。敵を守る何かの力は空間に由来するものではないからだ。

 だが、それで良かった。

 

 背部の噴出口からさらに魔力を噴かし、加速する。そのまま進路を上方へ、一誠の身体は空間歪曲の壁を突破して、天井を突き破った。

 天へと上る赤い螺旋の槍が、月夜に輝く太極陣を貫く。その直後、学園全土に渦を巻く命の流星群が弾け飛んだ。淡い緑色の燐光が大地へと降り注ぐ。

 

 魔人による命の吸引は終わった。しかし、一誠の攻勢は終わらない。

 極限の体力消耗から霞がかった意識に激を飛ばして、右腕の魔刃を駒王学園が中心部――グラウンド広場へと向ける。

 

「ドラゴンッ!!」

 

Transfer(トランスファー)!!』

 

 音声と共に一誠の高まった力が魔剣へと譲渡される。膨れ上がった真っ赤な破壊の渦が巨大な螺旋の暴威と化す。

 

「ドリルッ!!」

 

Boost(ブースト)Boost(ブースト)Boost(ブースト)Boost(ブースト)Boost(ブースト)Boost(ブースト)Boost(ブースト)Boost(ブースト)Boost(ブースト)Boost(ブースト)Boost(ブースト)Boost(ブースト)Boost(ブースト)Boost(ブースト)Boost(ブースト)Boost(ブースト)Boost(ブースト)Boost(ブースト)Boost(ブースト)Boost(ブースト)Boost(ブースト)Boost(ブースト)Boost(ブースト)Boost(ブースト)Boost(ブースト)Boost(ブースト)!!!!!』

 

 自身の奥底、生の根幹をなす部分が大きく削れたのを実感するが、今そんなことはどうでもいい。再度の最大倍化によって膨れ上がったオーラが、力の螺旋と同化する。

 そこにあるだけで大地を震わす究極の力。今、一誠は一本の槍となった。

 背の噴出口に魔力が灯る。

 

「ブレイクゥゥゥゥゥゥーーーーーーーッッ!!!」

 

 咆哮と共に解放。渦を巻く紅蓮の柱がグラウンドへと落ちる。

 

 しかして魔人もただ見ているだけではない。

 かねてより用意していた多重結界防壁が一誠の進路上に展開される。地脈から無制限に力の供給が成されるそれらの術式は、霊地の要へと到達するまでに一誠の力を全て削ぎ取るだけの機能を持っている。

 

 無駄な努力ご苦労と余裕の笑みを見せる魔人だったが、その時。

 異界の外(・・・・)より飛来した極光の槍が全ての防護を破壊した。

 

「――なんだと?」

 

 霊地を覆う結界と、内部を埋め尽くす空間歪曲障壁、そして九十層を超える多重防壁。一誠よりも先にそれらを悉く貫いて、蒼光の柱がグラウンドの中心に突き刺さる。

 そうして弾けたエーテルが連鎖的に爆発を起こせば、霊地の中枢に続く道が開かれた。

 完璧なタイミングで起こった出来事に、如何な魔人と言えども体勢を立て直す暇は無い。

 

「いっけぇーーーーーーーーーーッ!!!!」

 

 そして一誠は、異界の要目掛けて突入する。

 グラウンドの地下は異様な広さで一誠を出迎えた。闇に包まれた広大な空洞の中央、一際激しく輝く法陣が見える。

 おびただしい量の呪文で囲まれた無限龍の五芒星、中央に太極を据えた積層式立体呪法陣が、甲高い音で啼きながら今も全力で稼働している。

 

「おおおおおおおおおっ!!!」

 

 それを認めた一誠は、さらに大きく魔力を噴かして突撃した。張り巡らされた防壁を紙を破るかの如く引き裂き、そして。

 

「砕け散れェッ!!!」

 

 振りかぶった拳と共に力の全てが解き放たれた。

 瞬間、法陣は完全に砕け散り、衝撃の余波が大地を破壊する。赤光の柱がはるか天まで伸びて、現出した賽の目状の分割線が弾け飛べば、空間歪曲が崩壊。巻き起こる暴風が止むと、そこには地下深くまで開いた大穴だけが残されていた。

 

「やった……っ! ――――うっ」

 

 自身を満たしていた力が急激に抜けて、倒れそうになる一誠。再び空洞を満たす闇の中、自身が開けた穴から降り注ぐ星の光を頼りにして、それを見つけた。

 

「……? あれは――」

 

 空洞に空いた大穴からさして離れていない位置、機能を破壊された小さな法陣の中心に倒れた人影が見える。

 細く小さなシルエット、白髪の小柄な少女は――。

 

「――小猫、ちゃん?」

 

 裸の身体、その大半を呪符に覆われているが、間違いない。倒れているのは死んだと思っていた塔城小猫だった。少し離れて同じく裸身を呪符に覆われたギャスパーの姿も見える。

 いったいどういうことなのか。失ったはずのものが目の前に現れて、一誠は困惑した。

 

『相棒!』

 

 ドライグの声に気配を感じ、一誠はそちらに振り向いた。

 空洞に広がる闇、その向こう。不気味に光る無数の眼光がこちらを取り囲んでいる。太く長い身体を引きずり、それは姿を現した。

 

「ドラゴン……? いや、蟲……!」

 

 蟷螂の様な上半身に巨大な芋虫の下半身、頭部の形は龍に似ているが、瞬く複眼は昆虫類のそれ。学園校舎と同等の巨体を誇る蟲は、極大の敵意を込めて一誠を睨みつける。

 現れたのはそれだけではない。蟻、百足、蜘蛛……異形の地虫が闇の中から迫ってくる。全てが身体より呪力を発して、目の前の悪魔たちを喰らおうとしていた。

 

「やらせるかよ! ――――ッ?」

 

 のしかかる疲労はもはや限界を超えている、それでもなお、一誠は諦めない。

 命を削って敵を蹴散らそうとするがしかし、突然鎧が解除される。連続した無茶な力の行使によって、とうとう神器の機能限界が訪れたのだ。

 

 急激な脱力に身体が崩れ落ちる。

 戦闘力を失った彼には迫る蟲たちに抗う術がない。それは自らの身どころか、傍に倒れる二人を守ることができないということだ。

 

(くそっ、ここまできて……!)

 

 無念の内に沈む一誠。

 その時、倒れる彼を何者かの腕が支える。

 

「良くやった兵藤一誠。予想以上だ、褒めてやる」

 

(誰だ……?)

 

 声の主は男。飄々とした不遜な物言いには聞き覚えがある。しかし、霞む思考ではそれが誰だか思い出せない。

 

「あとは俺たちに任せて寝てろ。格下ボコって調子づいてる野郎は、こっちでぶちのめしてやるからよ」

 

 意識を失うその刹那、一誠の目に映ったのは闇よりも昏い十二翼。そして眩い光の槍だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 駒王学園エントランス。

 倒れ伏す木場とゼノヴィアにとどめを刺そうとしたフリードは、二振りの魔剣を一つの長剣で受け止められていた。

 剣の主は金色の十二翼。神の如き大天使。

 

「あなたとは、確か初対面ですか。しかし話は聞いていますフリード・セルゼン。外道に堕ちたその魂、私の手で裁きましょう」

 

「――――ッ!!」

 

 迸る極光斬撃がエントランスを埋め尽くす。莫大な聖光波動が連なる校舎全体に溢れる。

 神速で逃げるフリードだったが、流石にこれは躱せない。下半身をまるごと消し飛ばされ、ゴミのように吹き飛んでそのまま動かなくなった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 一方の講堂。

 不死身を誇る式神の猛攻に、魔力の枯渇したリアスたちは為す術も無く蹂躙されていた。

 場を覆い尽くす黒光の槍がその照準をこちらの心臓に合わせ、間も無く放たれんとしたその時。

 

「ソーナちゃんは私が守るんだから!!」

 

「そういうことだ。消えてもらおう――『滅殺の魔弾(ルイン・ザ・エクスティンクト)』」

 

 極寒の冷気が降り注ぎ、破滅の光球が無尽に走る。

 凍結粉砕。そして消滅。その連撃に再生復元の入る余地など微塵も無い。場に飛び散った呪力は欠片も残さず滅びを受けて、後には何もない空間だけが残った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 大穴の開いたグラウンド広場。

 白き天龍、黒猫、そして剣鬼が魔人と対峙する。

 強者に包囲され、一転して劣勢に立ったこの状況。しかし高円雅崇に焦る様子は一切なく、むしろ場を愉しむように眼下の敵対者たちを卑睨していた。

 

「……これは面白い。てっきりこの状況を破るのは、お前かサーゼクス・ルシファーぐらいのものと思っていたのだがな。なるほど、確かにおれは赤龍帝を舐めていた。しかし、あの蒼い魔法の一撃は、お前の差し金だな?」

 

 笑いながらまったく傑作だ、とこぼす魔人に、修太郎が口を開く。

 

「ここで滅びろ、高円雅崇」

 

「やれるものならやるがいい。俺は止めんよ、御道修太郎」

 

 宙に浮かぶ魔人と、地を踏みしめる剣鬼が睨み合う。

 そうして白銀の太刀を現出させる修太郎。黒歌は倶利伽羅剣を構え、既に鎧を纏ったヴァーリが身に魔力を溢れさせる。

 

 それに対し高円雅崇は腰の軍刀を抜き、総身から邪悪な闘気を発して漆黒の風を身に纏った。

 両者、高まる戦意は最高潮に、研ぎ澄まされた力が周辺大気を凍えるものに変えていく。

 

 今宵最後の戦いが始まった。

 

 




イッセー「木場のパワーアップフラグかと思ったか? 俺だよ!!」

せきりゅうていはドリルをてにいれた!!

魔人戦、次回こそ決着。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。