剣鬼と黒猫   作:工場船

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第二十一話:進撃の弟子もどき

 からりと晴れた青空の下、目が覚める。

 眼球に飛び込んできた太陽の光に目が眩み、ゼノヴィアは意識を覚醒させた。

 

「あ、目が覚めたにゃん」

 

 身体を起こして声の方向を見れば、黒髪に猫耳の女性――黒歌の姿。

 

「前よりも2分早いな」

 

 逆方向からの声に首を動かせば、木刀を肩に担ぐ目つきの鋭い男――修太郎が見えた。

 

 ここはマンションの屋上。

 学園から帰宅したゼノヴィアは意気揚々と修太郎に模擬戦を申込んだのだが、案の定、一方的に打ちのめされて先ほどまで転がされていたらしい。

 ここ毎日ずっとこんな感じである。気付けば吹き飛び、気付けば叩き付けられ、この前などは気付けばベッドの上だった。今回はそこまでひどくはないようだが、全身が酷く痛い。打たれたところの骨は折れてこそいないものの、動かそうとするたびに軋むような痛みが走る。それだけではなく、打たれていないはずの場所まで響くようなダメージがあった。

 

「……なあ師匠、私は強くなれているのか?」

 

 疑問に思ったことを聞いてみる。

 自身が魔力を使って全力で挑んでいるにもかかわらず、対する相手は素の身体能力だけでこれ。

 こちらの剣は掠りもしないどころか、影すら踏めない有り様だ。ひたすら壁に打ち込んでいるようで、何かが自分の身になった感覚がまるでないのだ。自覚できるのはせいぜいが打たれ強くなったかもしれないという程度。

 

「知らん」

 

 ゼノヴィアの悩みにしかし、男の言葉はその一つだけだった。

 

「は――はあ!?」

 

 大きく口を開けて唖然とするゼノヴィア。

 

「この模擬戦は俺が一方的に叩きのめしているだけだぞ。それで何かを得られるとでも本気で思っているのか」

 

 低く平坦な声が無慈悲に響く。がつんと頭を叩かれたようだった。

 

「な、何か深い考えがあってそうしていたのでは……?」

 

「何だそれは。俺に何かを教えた経験など無いと言っただろう。そもそも俺はお前の師ではない」

 

 急激に力の抜けたゼノヴィアは大の字に倒れて空を仰ぎ見る。

 修太郎には何かを教える気などさらさら無く、ただ適当にあしらっていただけなのだろう。気合を入れて何かを見出そうとしたゼノヴィアの努力は無駄だったのだ。

 しかし、本当に模擬戦だけだったとは。このままなし崩し的に師事できるかと少し期待していたゼノヴィアの気持ちは失意のどん底に落ちる。

 太陽の光がまぶしくて、涙が出そうだった。

 

「第一、俺がまともに覚えている剣術の流派など一つしかないし、それすらお前が習得することは不可能なものだ。剣を学びたいのなら他を当たったほうが何十倍もお前の得になる」

 

 修太郎の言葉に、ぴくりとゼノヴィアが反応する。

 そうして勢いよく上体を起こし、座ったままで修太郎を見上げた。

 

「聞き捨てならないな、師匠。何故不可能だと断定出来る? 試してみなければわからないはずだ」

 

「師匠ではないが、わかるとも。お前は確かに高い身体能力を持っているが、これは出来ないだろう?」

 

 修太郎はおもむろに木刀の柄を自身の手の甲に乗せる。床と平行に伸ばした手の上で、木刀は見事切っ先を天に向けて立った。

 それだけか? と疑問の視線を向けるゼノヴィアだったが、次の瞬間目を見開く。木刀がそのままの形で腕の上を移動しているのだ。

 

「な、なんで……?」

 

「腕の筋肉を微細に操ることで動かしている。俺の剣技の大元となった流派には、こういった身体操作能力が必要不可欠だ」

 

 確かに良く見ると腕の皮膚がかすかに動いているようにも見える。一体どうやっているのか見当もつかないが、それはともかく、なんというか……。

 

「気持ち悪いにゃん」

 

 まさしくゼノヴィアの内心にあった言葉を黒歌が口に出した。

 

「……一応は千年近い歴史を持つ流派なのだが、技の大半を先天的な資質に頼るせいで外来の門下生は全くいなかった」

 

 難しい顔でそう言う修太郎だが、依然として腕を伝い肩に登って背の筋肉を移動する木刀の姿が見える。傍から見ると出来の悪い手品のようだが、れっきとした体術だと言うのだから何とも奇妙だ。

 ゼノヴィアは疑問に思ったことを尋ねる。

 

「師匠、何故それができないとダメなんだ?」

 

「師匠ではない。あらゆる体勢で十全の攻撃を放つのに必要だからだ。陸地は勿論のこと、水中空中無重力中……全身を連動させて行う高速高威力の斬撃は、それ自体が奇襲の効果を併せ持つ。人間という生物は己のポテンシャルを完全に発揮しなければ人外に対抗し得ない、と言う理念だな」

 

「水中空中はともかく、最後のはおかしいにゃん。宇宙空間でも戦うつもり?」

 

 黒歌のツッコミに「……かもしれん」と答える修太郎。否定しないあたり大概である。

 しかし変態的技能が前提にある剣術とは、確かに今のゼノヴィアには出来そうもなかった。

 

「くっ……師匠、それが出来るようになるにはどうしたらいい?」

 

「師匠ではない。……わからん。おそらく修行法もあるはずだが、俺は最初から出来ていたからな」

 

 どうすれば出来るようになるんだろうな、などと他人事のように言う。

 

「むむむ……」

 

「別に俺の剣にこだわる必要など無いだろう。剣術の師としてならば俺より優秀な者はいくらでもいるし、必要であれば紹介することも可能だ。示現流などはお前にぴったりだと思うが」

 

「でも、私は師匠に剣を教えてもらいたいんだ」

 

 まっすぐな視線で修太郎を見つめるゼノヴィア。

 ここまでやられてもまるで姿勢を変えようとしない少女に、修太郎は小さくため息を吐く。どうにもこういった友好的なのかそうじゃないのかわからない手合いは対応に困る。これが敵対する相手ならば問答無用で斬り捨てるのだが。

 その時、背後で屋上のドアが開く音が聞こえた。

 

「あ、いた! 修太郎さーん」

 

 振り向けば、現れたのは栗色のツインテールが特徴的な少女、紫藤イリナだった。

 笑顔で声をかけてくる彼女の表情は、初めて出会った時と遜色ない天真爛漫さを表している。見た限り完全に調子を取り戻したようだ。

 

「キミか。どうした?」

 

 小走りで駆け寄り修太郎の前に立ったイリナは、男の顔を見上げて答える。

 

「ちょっと相談したいことがあるんですけど、いいですか?」

 

 

 

 

 

 

 

                  ―○●○―

 

 

 

 

 

 

 

「魔物狩りになりたい、か」

 

 場所は変わってゼノヴィアたちの部屋。

 テーブルを挟んでイリナの話を聞く。修太郎の横には黒歌が、イリナの横にはゼノヴィアが座っていた。

 アーシアたちとの交流によって失意の底より立ち直ったイリナだが、自分が今後何を成すべきか考えた末がそれなのだと言う。

 

「はい。主は天にいなくとも、その教えが途絶えたわけではない。私一人が神の不在を知ったところで世界には主の教えによって救われる人々がいて、それは今も変わらない。なら私がすべきことは、今までと変わらず異形の悪意から人々を守ることだと思うんです」

 

 呟く修太郎にイリナが答える。決意を表すように、彼女の瞳には強い意志が見えた。

 

「なるほど、立派な心がけだ。それで魔物狩りか。しかし、キミには一般人に戻るという選択もあるはずだが……」

 

「これまで散々関わっておいて、今更普通の生活をするだなんてできません。私には戦うための力があるんだもの」

 

 迷いの無い答えだった。

 確かに、人に仇為す人外の存在を知り、それに何年も深く関わっておいていきなり平和な日々を謳歌するなどできないだろう。特に信仰の深い彼女であればなおさら、無粋な質問だった。

 

「……シュウ」

 

 思案する修太郎に、黒歌が声をかける。そちらを見れば、黄金の瞳が世話をしてやれと言っていた。

 

「ふむ……」

 

 魔物狩りになることそのものは別段大して難しいことではない。極論を言えば自称するだけでいいのだ。

 だが、その活動は基本的にワンマン稼業となる。いくら腕が立つとはいえ少女一人、しかも教会育ちでゼノヴィアの例を見るに(おそらく)世間知らずとあれば、放り出すには大きな不安が伴う。

 

 しかしながら、修太郎たちは修太郎たちで今まで主な活動圏だったヨーロッパ――特にイタリア周辺から出禁を喰らっている。

 神の不在を知って数日後、天界側から近づかないよう連絡が来たのだ。とはいえ修太郎たちは信徒ではないため、ヴァチカンにでも行かなければそう大きな問題にならない。しかし、おそらくイリナは駄目だろう。ならば修太郎の知り合いに頼ることもできない。

 

「えーっと、別に弟子にしてくれとかそういうことじゃないんです。修太郎さんたちも忙しいみたいだし、心得とか、気を付けることとか、そういうのだけでも教えてもらえれば……」

 

 考え込む修太郎の様子を見て、イリナは焦ったように話す。

 

「いや、構わない。キミがそうしたいと言うのなら、協力すること自体吝かではない。ただ……」

 

 前述の問題点を話す。

 今の修太郎も状況的には彼女と同じであり、それ故に大した助けにはなれないということ。

 話を聞いたイリナはがっくりと肩を落とした。

 

「そうですか……」

 

 異端者になったことで教会の伝手をすべて失った彼女には、現状修太郎しか頼れる人物がいないのだ。

 消沈する少女に、修太郎は言葉を続ける。

 

「だがまあそうだな……。やることが終わればしばらく時間も空くだろう。俺としても仕事に関して別の受付口を見つけたいと思っている。その時一緒に連れて行くことは可能だ」

 

 修太郎の言葉に、イリナの顔がぱあっと明るくなった。嬉しそうな声で勢いよく頭を下げる。

 

「ありがとうございます!」

 

「礼はいい、どうせついでだ。それよりもキミは今、武装を持っているのか?」

 

 気になったことを訪ねる。

 異端となり教会から追放されたことで聖剣は手元に無いはず。武器も防具も持っていないのであれば、魔物狩りを行うにしても正直なところ話にならない。

 案の定、イリナは首を横に振る。

 

「わかった、そちらに関しても俺が都合をつけよう。確か日本刀でよかったな?」

 

「そんな! そこまでお世話になるわけには……」

 

「ならば聞くが、キミはこの世の中で法の目を掻い潜りつつ、魔物を殺傷せしめるような武器を手に入れるための伝手を持っているのか?」

 

「う……持ってません……」

 

「それなら任せておけ。何、心配するな。対価は後で請求するとも」

 

「すみません……お願いします」

 

 男の言葉にイリナは調子が落ち込む気分だ。何せこの若さで借金持ちである。

 だが何にせよ状況が状況だけに仕方がないことではあるし、元々何も無い状態だったのだから、むしろこれは幸運だろう。そう思えば調子も戻ってくる。

 そんな少女をよそに、修太郎はベルトポーチをあさると何やら取り出してテーブルの上に置いた。

 

「今すぐに得物が必要だと言うのならこれを使うといい。それなりの一品だ」

 

 それは円形の金属ケースだった。手に取って開き、中を見てみる。

 

「これって、糸……?」

 

 指でつまめば光を反射してきらきらと輝く銀色の線が見える。糸は良く見なくてはそれとわからないほど細く、何よりも特別な力が込められているようだった。

 

「俺がまだ退魔剣士だったころに仕事で使った物だ。鬼神の髪の毛を織り交ぜた対魔対霊効果を持つ特別製の鋼糸でな、霊体も魂も全て絡め獲り切断できる」

 

 キミは糸が使えるんだろう? と修太郎。

 突然そんなことを言われてイリナは戸惑うしかない。

 

「えっと……使えませんけど」

 

「む、そうなのか? コカビエルとの戦いでは使っていたはずだが……」

 

 首をひねる修太郎に、イリナは説明する。あれは『擬態の聖剣(エクスカリバー・ミミック)』を変形させた一形態であること。また、自分自身に糸を操る能力は無いことを。

 

「もったいないな。もし鋼糸の技術を会得していたなら、精神力での操作と合わせてコカビエルの腕一本程度なら切断出来たろうに」

 

「ええっ、そうなんですか!?」

 

「見た限りキミはどうやら速さを得手とする剣士のようだが、それよりも特筆すべきは動作の柔軟性と正確性だ。鋼糸術の習得難度は非常に高く、一定以上のレベルを求めるならそれこそ才能の世界になる。キミにはおそらく、その才能がある」

 

 いつかのキマイラ戦で修太郎の動きを曲がりなりにも真似できたのは、その器用さあってのことだろう。本来の身体能力で言えばゼノヴィアに劣るだろうそれを、同等のように見せているのは彼女が技術的な方面に天賦の才を持っていることによる。

 端的に言えば、紫藤イリナという少女は身体操作がうまいのだ。習得できるかどうかはまた別だが、ゼノヴィアよりも修太郎の修める剣術に向いているとも言える。

 

「その鋼糸術って、教えてもらったりとかは……」

 

 そこまで言われると興味が出てくる。ダメ元で聞いてみたイリナだったが――。

 

「構わない。とはいえ基本的な技術しか教えることはできないが……」

 

 帰ってきたのは意外な答えだった。

 

「ちょっと待ってくれ師匠!!」

 

 そこに今まで黙って話を聞いていたゼノヴィアが割り込む。

 

「なんで私に剣を教えるのは駄目なのに、イリナにその鋼糸とやらを教えるのはいいんだ!!」

 

 憤りを隠そうともせず、ゼノヴィアは言い放つ。

 そんな少女に、修太郎は表情も口調も変えずに答えた。

 

「それはお前が剣を教えろと言うからだ。最初に言っただろう? 『教えられない』と。お前もそれを了承したはずだ。故に俺はお前の師匠ではない」

 

「それは……。でも師匠の言っていることはわからない! もっとはっきり……」

 

「ではわかりやすく言ってやろう」

 

 修太郎の目がゼノヴィアを見る。猛禽の様な瞳は尋常でないほど鋭く、思わずびくりと身をすくませてしまう。

 そうして低く平坦な声が響いた。

 

「お前には俺の剣を覚えるための才能が無い。技を盗みたいなら好きにするがいい。しかし師匠が欲しいなら別を当たれ。俺はお前のために無駄な時間を使う訳にはいかない」

 

「うっ……うううっ…………」

 

 気圧されるゼノヴィアは涙目だがしかし、修太郎の目を見つめ続ける。

 そうしてしばらく見つめ合って、少女は口を開いた。

 

「……わかった。今は諦めよう。だが師匠! 私がいつか模擬戦であなたから一本取ったら……」

 

「断る。俺はお前の師匠ではない」

 

「ならば決闘であなたに一撃喰らわせたら……」

 

「決闘ならば手加減は一切しない。死にたいのならそれもいいだろう」

 

「そ、それならじゃんけんで勝ったら……」

 

「一気にスケールダウンしてるにゃん」

 

「ゼノヴィアったらビビりまくってるわ」

 

「な、なんでだ!? イリナと対応が違い過ぎるじゃないか!! 私は何も悪いことしてないのに! せっかく悪魔にまでなったのに! ずるい! イリナばっかりずるいぞ!! 私も師匠から何か教えてもらいたい!!」

 

 こぼれそうなほど目に涙を溜めたゼノヴィアは、とうとう駄々をこねだした。

 ため息を吐く一同。

 修太郎は仕方なさげに言葉を放つ。

 

「わかった、ならば教えてやろう。……しかし後悔するなよ」

 

「本当か師匠! ふふん、私が選んだ道だ。後悔などするものか」

 

 嬉しそうに胸を張って答えるゼノヴィア。

 

「師匠ではない。その意気やよし。では、どこか壊しても大丈夫な場所を知らないか?」

 

 

 

 

 

 

 

 

                  ―○●○―

 

 

 

 

 

 

 

 再び場所は変わり、駒王学園旧校舎。

 修太郎たちの来訪に驚いたのはちょうど帰宅するところだったらしい一誠とアーシア、そして木場。リアスたちはどうやら別件でいないようだった。

 

「あれ、ゼノヴィアにイリナ……と小猫ちゃんのお姉さんに、暮さん? 何か用っすか?」

 

「少しここの中庭を借りたい。こいつに剣を教える」

 

 一誠の質問に、修太郎がゼノヴィアを指で示して答える。

 

「本当か、師匠!?」

 

 それにゼノヴィアが表情を輝かせる。まるで勢いよく振れる尻尾を幻視するかのようなはしゃぎようだ。

 

「部長には後で報告すればいいと思いますが……。興味があるので良ければ立ち会わせてもらってもいいでしょうか?」

 

 修太郎の申し出には木場が答えた。

 

「構わない。こちらは場所を使わせてもらう身だ」

 

「んじゃあ俺も」

 

「イッセーさんが行くのでしたら私も」

 

 興味があったらしい一誠たちも伴って、中庭に移動することになった。そこならば少しぐらい傷つけても修復は容易だろう。

 

「兵藤少年」

 

「……な、何すか?」

 

 道中、突然話しかけられた一誠はやや怖気づきながらも応じる。

 この暮修太郎と言う男、何となく悪い人物ではなさそうだが、凄まじく目つきが怖いのだ。つい最近まで一般人だった一誠にとっては、すぐに気さくな付き合いができる相手ではない。

 

「キミは最近、白龍皇に出会ったか?」

 

 修太郎の言葉は一誠にとってピンポイントな話題だった。

 

「え、何でそれを……?」

 

 昨日の朝のことだ。白龍皇――ヴァーリと名乗る少年と駒王学園の校門で遭遇した。先日のプールでも近くまで気配がやって来ていたとドライグが言っていたが、まさかそれから大して時間の空かないうちに出会うとは思ってもみなかった。

 

「俺がこの前会った時、キミに接触しようとしていたみたいだったからな。奴は何と言っていた?」

 

「ああ、そういえばあいつと知り合いなんですよね。えーっと、お前は世界で何番目に強いかだとか、二天龍に関わった者は碌な生き方をしないだとか……。最後にもっと強くなってくれ、とか言ってたかな」

 

 突然でびっくりしましたよ、と一誠。

 

「そうか……キミは強くなりたいか?」

 

「それはまあ、勿論。俺、上級悪魔になってハーレム王になるのが夢ですから。それを目指すにしても、部長の役に立つにしても。今よりもっと強くならないと」

 

「ふむ……」

 

「どうかしたんですか?」

 

「いや、いい夢だと思ってな」

 

「え、そうですか?」

 

 修太郎の返答は一誠にとって意外なものだった。てっきり性欲とかそういう方面への関心が薄い人物だと思っていたからだ。

 しかし考えてみれば、小猫の姉――黒歌のようなお色気むんむんなお姉さんと一緒にいる人物である。実は見かけよりずっとエロいのかもしれない。

 

 そうこうする内に一行は中庭に到着。

 いち早く駆けだしていたゼノヴィアが、仁王立ちに言葉を放つ。

 

「師匠! さあ何を教えてくれるんだ?」

 

 いったい何を教えてもらえるのか、高ぶる気持ちを隠そうともしないゼノヴィアだったが、修太郎が制止する。

 

「まあ待て。その前にやることがある。――クロ」

 

「はいはーい。なあに? どうかしたにゃん?」

 

 建物に施された術式を確認しているのか、それとも中にいる『力』の様子を窺っているのか、旧校舎を興味深げに観察していた黒歌を傍らに呼び寄せる。

 そうして一誠の前に立った。

 

「兵藤少年、強くなりたいという、その言葉に偽りはないな?」

 

「え? はい、それはまあ……」

 

「よし。ではキミを今より少しだけ強くしよう。ちょっとくすぐったいぞ」

 

「は――えっ、ぐぎゃっ!?」

 

 修太郎は素早く一誠を羽交い絞めにする。超達人級の体術によって動きを封じ込められた一誠に抗う術など無い。

 そして阿吽の呼吸で黒歌が小型結界を展開。三人の姿が隠されてしまう。

 

「イッセーくん!?」

 

 突然の出来事にゼノヴィア、イリナ、アーシアら三人は驚き、硬直した。その中で唯一木場だけが反応し、聖魔剣を現出させる。

 そのまま神速で駆け斬りかかるが、結界はびくともしない。

 

「くっ、硬い……! イッセーくん! 大丈夫かい、イッセーくん!!」

 

『うわはははははははははっ!! やめっ、くすぐった……うっ、ぎゃああああ!? 痛い痛い痛い痛い!! ちょっ、ギブギブギブ!!』

 

 激しい笑い声ののち、ごきり、ぼきり、と痛々しい音が響く。

 

「イッセーくん! イッセーくん! くそっ、中でいったい何が……?」

 

「イッセーさん!? ゼノヴィアさん、イッセーさんは大丈夫なのですか……?」

 

「わからない……師匠はいったい何をする、もとい何をしているんだ?」

 

「少しだけ強くするって言っていたから、悪いことにはならないと思うけど……」

 

 雰囲気的には危険な感じこそしないが、やはり心配だった。

 

『痛いっ! いた……あふん、何だこれ気持ちよく……なんだか、ねむ……い………………Zzz………………』

 

「イッセーくん……?」

 

「眠ってるみたいですね」

 

『うへへへ……おっぱいおっぱい……。ぎゃっ! ゆ、夢か……え!? ちょっ、あんた何やって……うわひやっ、そ、そこは……らめぇぇぇぇっ!! お嫁に行けなくなっちゃう!! アッ――――――!!』

 

「どうしましょう木場さん! イッセーさんがお嫁に行けなくなるって!!」

 

「本当にどうすればいいんだろう……」

 

「諦めるな木場、もしイッセーがとんでもないことになっていたとしても私たちは仲間だ。大丈夫……きっと大丈夫……」

 

「何が大丈夫なのよ……」

 

 それぞれが心配する中、程無くして結界が開く。そして一誠を抱える修太郎と、黒歌が現れた。

 脇に抱えられた一誠は、真っ白になってなんだかぐったりしている。

 

「あなたは! イッセーくんに何を!」

 

「イッセーさんは大丈夫なんですか!?」

 

 詰め寄る二人に対し、修太郎たちは答える。

 

「心配するな。命に別状はない」

 

「整体と気脈の調整を行っただけよ。目が覚めた時、体調的にはむしろ絶好調になっているはずにゃん♪」

 

 修太郎たちが行ったのは、一誠の肉体的バランスを最も良い状態にしたという、ただそれだけだ。

 骨格を矯正し、筋肉の位置を調整し、全身を巡るオーラの通り道――気脈を整備する。元々一般人だった一誠は、幼い頃より修練を積んだ木場やゼノヴィアたちと違って戦うための身体をしていない。

 故にそのハンデを取り除いた。結果として肉体的ポテンシャルは3~5パーセントほど向上したはず。魔力の練りも今までよりは格段にやりやすくなっただろう。

 

 中華、そして印度が誇る神秘の整体技術と高位仙術の合わせ技だ。無論のこと後遺症は無く、ノーリスクで潜在能力を引き出したことになる。

 白龍皇とやりあうのならこの程度の助力はしてもいいだろうという判断だ。突然やったのは流石にこちらが悪いので、それに関しては謝罪する。

 修太郎の話を聞いて安心したのか、二人はそろって一息ついた。

 

「ちなみにそれを私たちに行うことは……」

 

「あまり意味が無いな。お前たちの身体は今のままで十分バランスがとれている」

 

 やるとすればアーシアぐらいだろう。そう言うと、アーシアはびくりと身をすくませて木場の影に隠れた。

 ともあれ、意識を失った一誠を黒歌が展開した魔法陣に寝かせる。

 

「よし、いよいよ私の番だな! 師匠、何を教えてくれるんだ?」

 

 ゼノヴィアが目を輝かせながら急かす。

 

「師匠ではない。最後に聞くが、本当に後悔しないんだな?」

 

「フッ……女に二言は無い!」

 

 修太郎の念押しに、そう言い放つゼノヴィア。

 それを聞いた修太郎の顔は珍しく苦いものだった。しかし、やると言ったならばやるのがこの男である。

 

「ゼノヴィア、デュランダルを貸せ」

 

「え? しかし師匠は聖剣を……」

 

 修太郎には聖剣を使う素養は無い。少なくともゼノヴィアはそう聞いていた。

 何か考えがあるのかと思い、とりあえず亜空間からデュランダルを取り出すゼノヴィア。莫大な量の聖なるオーラが迸り、大気が震える。

 しかし修太郎がデュランダルを握った途端、オーラは完全に霧散した。ゼノヴィアとしては予想通りの展開だ。鈍らとなった聖剣を使っていったい何をするのか。

 担い手の下から離れたことで重量を増しているはずの聖剣を、それでも修太郎はふらつくことなく持ち上げる。

 

 そうして上段に構え、振り下ろす。鋭く速い斬撃が剣圧を生み、眼下の大地に切り傷を刻んだ。

 次いで脇構えからの斬り上げ、右薙ぎ、左薙ぎと続ける。

 

「……いけるな。離れていろ」

 

 一同が離れたのを見届けると、修太郎は再びデュランダルを振る。

 徐々に速さを増していく連続した斬撃に、運足まで合わせればそれは見事な剣の舞だ。デュランダルの刃が大気に光の軌跡を残したかと思えば、鋭い斬風が巻き起こる。

 

 唐竹、袈裟斬り、右斬り上げ、左薙ぎ、逆風、再び唐竹、そして突き。

 

 流れるような動作は流水のように、軽快な足運びは疾風のように、あまりに自然且つ無駄の無い動作はある瞬間に刃の行方を見失うほどだ。

 デュランダルは正式な使い手であるゼノヴィアでさえ重さに身体が流される大剣である。使い手ですらない修太郎には殊更重く感じられるだろう。その証拠に、ゼノヴィアたちにもわかるほど普段より動きが遅く見えた。しかし、それでもなお自分たちより格段に速いのだ。

 

 わかってはいたが、レベルの違いに愕然とする。

 ゼノヴィアでは彼のように斬ることができない。ゼノヴィアでは彼のように動くことができない。

 未熟。あまりにも未熟。自分はいったい今まで何をやってきたのか。

 

 そう思いながら剣舞を見ていると、突如として修太郎の動きが変わった。

 先ほどまでと違って笑えるほどにぎこちなく、剣に体勢を崩されるような粗末な動きだ。少なくとも、以前と比べればまるで子供のようだと言っても過言ではない。

 イリナが、木場が、それぞれ疑問の表情になる中で、ゼノヴィアだけが気付き、そして驚く。これは、自分の動き(コピー)だ。

 修太郎はゼノヴィアの剣を完璧にトレースしていた。

 

 いったい何をやっているのかと観察を続けるゼノヴィアだったが、不意に別の動きが混じるのが見えた。

 ――後悔するなよ。

 修太郎の言葉が蘇る。

 そう、暮修太郎という男の真骨頂はここからだった。

 

 一つ動くごとに無駄が一つ削がれる。

 一つ振るごとに動きは調和に一つ近づく。

 もはや身体は重さに流されず、人剣一体となって振るわれる刃は暴風のようだ。

 修太郎はゼノヴィアが普段より行っている剣を再現し、それを現在進行形で発展させていた。

 力強く、そして思い切りよく、今までとまるで違う太刀筋を、急激な速度で進化させていく。

 

 ゼノヴィアは、それを理解してしまった。

 自分の剣が目の前で、他人の手によって完成していく。何もかもを取り上げられるようなその絶望感は筆舌に尽くしがたい。これはある意味、ゼノヴィアが今までやってきたことの否定だった。

 身体から力が抜ける。初夏の陽気も消え去って、ひたすら体温が奪われる感覚がした。

 それでも修太郎の剣舞から目を離せない。

 

 今のデュランダルはそこらの鈍らよりも斬れない鈍器であるはずだが、修太郎の手に握られているそれは、ゼノヴィアの手元にある時よりも鋭く見える。

 まるで手足のように聖剣を振るう修太郎は、ゼノヴィアよりもデュランダルの使い手にふさわしい。

 そう思えてならず、涙が出そうだ。

 

 勢いよく切り払い、そして天を突くかのごとく刃を掲げる修太郎。

 示現流が蜻蛉の構えだ。

 そしてその体勢から一瞬の脱力、続いて極限の緊張で以って放たれた振り下ろしは、速度と共に生じる剣圧により斬撃の威力を伸長させる。闘気を纏っていないが故に超光速とまではいかないが、ゼノヴィアたちでは見切ることなど到底できない速さだ。鋭い音が鳴ると同時に、大地へ長く深い一文字の亀裂が刻まれた。

 

 長い息を一つ吐いた修太郎は、デュランダルを大地に突き刺す。

 そうしてゼノヴィアに振り返り、言葉を放つ。

 

「これがお前が行うべき大剣の使い方という物だ」

 

 そう言ってデュランダルを引き抜き、ゼノヴィアに差し出した。

 ゼノヴィアは呆然としながらもそれを受け取る。しかし力は抜けたまま、体がまるで言うことを聞かない。

 

「動きは見えただろう? 言葉の通り、参考にしてみるがいい」

 

 最後に一つそう言って、黒歌を引き連れ去って行く。

 遠ざかる後姿を、ゼノヴィアは黙って見送る事しかできなかった。

 

 

 

 

 

 

 

                  ―○●○―

 

 

 

 

 

 

 翌日。

 

「師匠、模擬戦をしよう!」

 

「…………師匠ではない」

 

 ドアを開くと勢いよく言葉を放つ青髪が見えた。

 胸を張って仁王立ちに、両手に木刀を携える少女はゼノヴィア。昨日の意気消沈していた姿など影も形も無く、今日も元気に修太郎へ会いに来た。

 何故まだここに来る、と目で語ると、ゼノヴィアはまっすぐにこちらを見つめて。

 

「私は考えた。師匠は確かに昨日、私の剣を完成させた。しかし、完成とはいったい何なのか? そもそも完成へのビジョンなど私には見えていなかったんだ。そこでこう思った。師匠が見せた剣が完成だと言うならば、それを超えることを目指せば私の剣は超完成として盤石なのでは、と」

 

 なんだろう、その解釈は。

 今まで修太郎によって自らの剣を完成させられた剣士は、ほとんど全てがその場で剣を折り復帰することは無かった。だからこそ彼にしては珍しく念押しまでしたのだが、まさかそんな理屈で立ち直るとは。

 

「というか、むしろますます師匠から剣を教わりたくなったんだ。そんな訳で私は諦めないからな!」

 

 今までよりもいっそう強い意志を目に宿すゼノヴィアの姿を見て、修太郎はまたもや自身の失策を悟った。

 

「どうやらシュウの負けみたいね。私には何となく最初からわかってたにゃん」

 

 内心で頭を抱える修太郎に、後ろで話を聞いていた黒歌が口を開く。

 

「さあ師匠、模擬戦をしよう!」

 

 ドヤァ……とした顔のゼノヴィアを見て、修太郎は思う。

 ――ああ、こいつはバカなのだったな、と。

 だから。

 

「師匠ではない」

 

 そう言うだけで精一杯だった。

 

 

 




何とも難産だった話。
タイミングとしてはもっと後でもよかったかもしれないと思わないでもありません。
というかゼノヴィアイリナの強化と見せかけて、何気にイッセーの強化を済ませたという……。

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