時空管理局という組織は、階級制度を採用している。下僚が上官の行動に対して意見するというのは決して選奨される行為ではないのだが、しかし、上官の行動に明らかな非が見られた場合は、その限りではない。
だが、正義を掲げる時空管理局も、所詮は善悪をあわせ持つ人間で構成された組織だ。恥ずべきことだが、そこには人の意思が介在し、上層部に限らず、様々な思惑が渦巻いていることもまた確か。例え内部不正があろうとも、告発できない場合がある。声を大にして訴えたところで、権力という力によって押し潰されてしまうのだ。
そして今回、明らかに『裏』がある『闇の書事件』も、その真相については、特務四課に属する全ての者に箝口令が敷かれていた。ギル・グレアムの階級は大将。グレアムには、それほどのことを押し通すだけの力があった。
だがそれでも、クロノ・ハラオウンは真実を知りたいと思った。
クロノ・ハラオウンは、何のために戦ったのかを。
ギル・グレアムは、何を目指していたのかを。
「グレアム提督、聞かせてもらえませんか? 特務四課が、いったい何のために存在したのかを」
12月26日の夜、アースラにある執務室の一室。そこで、クロノはその問いを投げかけた。
クロノの対面に座るのは、特務四課の部隊長であるグレアムだ。その後ろには、リミッターを課せられ形式的な厳罰を受けているリーゼロッテとリーゼアリアが控えている。
リーゼ姉妹の厳罰は、エルトリアの決戦にて暴走体を止めるのを妨害したことによるものだ。例え直接は妨害せずとも、状況だけを見れば、指示を出したグレアムにも同じことが言える。しかし、それでもグレアムには何の厳罰もなく、部隊長の座に居座り続けられるという理不尽がまかり通っていた。それは、グレアムには確かな後ろ盾が存在するという何よりの証拠である。
「『闇の書事件を解決するため』……という言葉だけではないのだろうね、君が聞きたい答えは」
「ええ。……それから今の言葉、『解決するため』ではなく、『解決させるため』の間違いではないのですか?」
クロノの言葉にグレアムが諦観の息を吐き、リーゼ姉妹はその鋭い目つきで無言の圧力をかけてくる。師匠二人からのプレッシャーを受け流し、クロノはグレアムの言葉を待った。
「そうか……まだ子供だと思っていたのだが、クロノはもう『執務官』だったのだな……。……クロノ・ハラオウン執務官。まずは、今回の『闇の書事件』に対する君の考えを聞かせてもらおうか」
「……わかりました」
グレアムに、逃げの姿勢は見られない。その安らかと言い表してもいい表情は、全てを受け入れた者が浮かべるものだ。
すなわちこれは、ギル・グレアムがクロノ・ハラオウンに課するテスト。執務官としての力がどれほどにまで成長したのか見たいという、親心にも等しいものだった。
「恥ずかしながら、最初に違和感を覚えたのは僕ではありません。12月11日、海鳴市での戦いで、母がその違和感に気が付きました。リーゼ達の配置……あの日、結界内に配置すべきは、ロッテの方です。ベルカの騎士とも対等に打ち合える戦闘技術に、非常時にはすぐさまサポートに入れる短距離瞬間移動。アリアは結界外に置いて、サーチャーによるシャマルの捜索をさせるべきでした」
「30点、だな」
「私のサーチャーでもシャマルの探知防壁は抜けないだろうし、それに、私の戦闘技術だって、守護騎士に後れを取っているつもりはない。そして、私の射砲撃でも距離を選ばないでサポートに入れるし、ロッテの捜索能力だって、決して低くはないわ」
「確かにそうかもしれない……けれどアリア、君は、ベルカの探知防壁も抜けるんじゃないのか? それに、君がアルフと共にザフィーラと戦ったとき、君が主体で戦いアルフをサポートに回せば、その時点でザフィーラを墜とせたはずだ。はっきり言って、なのはとフェイトには誰かの助けなど必要なかった。シグナムとヴィータとも互角以上に戦った二人のコンビネーションは、あの二人だけだからこそできたものだ。そこに第三者が入れば、二人のコンビネーションは崩れてしまっていた。……君が結界内にいたのは、あの場では守護騎士を墜とさせないため。いざとなったら、転移魔法を使って逃がすつもりだった……」
アリアとロッテの反論にもすぐさま斬り返し、クロノは続く言葉を許さない。
「だいたい、これまでの『闇の書事件』で守護騎士の魔力波長は分析できているんだ。聖王教会とも繋がりがある現代で、管理局の最先端技術の集まっている特務四課の設備で、いつまでも守護騎士の反応を捉えられない方がおかしい。それができる程度には、技術は追いついているはずなんだ。ハードに異常がないとすれば、残るはソフト。細工をしたのはアリア……それから、提督も絡んでいるはずです。海鳴の戦いでアースラの魔導炉を落としたのは、提督、貴方だ。守護騎士達を、確実に逃走させるために」
「……証拠は、きちんと揃えたのかね?」
「僕が情や惰性でエイミィ・リミエッタを補佐官に置いているとでも? 魔法資質には恵まれずとも、彼女の能力は間違いなく一流ですよ。『いくら上手に隠しても、改竄の記録は必ずどこかに残っている』、だそうです」
クロノはデバイスを操作し、エイミィが調べ上げた情報を開示する。
それを見止めたリーゼ姉妹の肩が、ゆっくりと下へ落ちた。
「貴方達がそこまでして捜査を妨害したのは、闇の書の完成を待っていたからですね? 闇の書の封印――凍結封印は、どのタイミングでもできるものじゃあない。そして、闇の書だけを封印すればいいというわけでもない。闇の書のみを封印できたとしても、主がこの世を去れば、闇の書は新たな主の下へと転生してしまうからです。完成して暴走を始める前、一時的に防衛機能を停止させた闇の書と、生きたままの主を同時に凍結封印する必要があった。……どんな罪を犯した者にも、人権は存在します。生きたまま氷漬けにするなどという非合法な方法、一般の局員に話せるはずがない。暴走を始める直前を狙ったのは、その状況ならば『止む無く』という理屈が通じるからです。だから、貴方がたは誰にも真実を明かさずにその状況を作り上げた。……五年もの間、八神颯輔と八神はやての保護者として、闇の書の蒐集が始まり、完成するのを待っていた」
「……よく、調べたものだな」
「封印方法については、ユーノやリインフォースにも確認を取りました。あなたと八神颯輔と八神はやての関係については、ちょっとした伝手を。……リーゼ達の渡航記録、それから、提督のご自宅へと宛てられた郵便物です。一ヶ月に一度は必ずどちらかがイギリスのご自宅へと戻り、それを確認していた」
渡航記録の一覧と、地球のイギリスにあるグレアムの自宅の住所が記された封筒。封筒には、八神颯輔の名前と自宅の住所も記されていた。
「五年前、提督が執務官長の席を降りて顧問官の職に就く際、その間に長期休暇を申請していますね? 滞在先は、第97管理外世界『地球』……海鳴市にある、八神颯輔と八神はやての自宅……八神颯輔にとっては義理の、八神はやての実の両親が亡くなってから、ほどなくしてのことです。その時点ですでに、提督は十一年前に転生した闇の書の所在を突き止めていた」
「……正解だ。その優秀な査察官の友人は、大切にしなさい」
「……そのつもりです。……ただわからなかったのは、いったいどうやって闇の書の所在を突き止めたのかです。故郷の世界だったとしても、イギリスと日本では距離が離れすぎている。まさか、ご自宅から闇の書の魔力を感知した、というわけでもないのでしょう?」
上官に対する物言いではないが、いくら非常識な魔法資質を持ち合わせているグレアムとて、自前の魔法だけでそれほどの物理的距離を埋めることは不可能だろう。旅先で偶々、などということも、まず起こりえないはずだ。
母であるリンディ・ハラオウンに背中を押され、補佐官であるエイミィ・リミエッタの助けで確証を持ち、友人であるヴェロッサ・アコースの手を借りて証拠を揃え、クロノはここまでは辿りついた。
だが、闇の書の所在をどうやって突き止めたのか、それはヴェロッサでもわからなかったのだ。クロノが持つ情報では、偶然というあいまいな答えしか出せないでいた。
クロノの問いにグレアムはしばし沈黙し、やがて、迷うようにゆっくりと口を開いた。
「…………それだけのことをした私が厳罰を受けず、未だに部隊長として特務四課を率いていられるのか。それがどうしてかは、わかるかね?」
「それは…………大将の地位にある提督の力、でしょうか……?」
「半分正解だ。しかし、それだけでは説得力に欠ける。大将程度の権力では、これほどの不正は隠し通せないよ」
「……まさか……四課には、大将以上の後見人が……?」
ギル・グレアム『大将』一人の力でも及ばないのならば、それはつまり、それ以上の力が働いているということに他ならない。
『闇の書事件』を二度も解決してみせたグレアムは、間違いなく管理局の歴史に名を残す存在だ。不正が明かされないままに評価されれば、元帥の席にも届くだろう。
しかし、局内にも局外にも派閥というものは存在し、グレアムを元帥の席には座らせまいという勢力もあるはずなのだ。例えば、他にも元帥の席を狙うグレアムに近い地位の持ち主。その者達が、今回のグレアムの不正を見過ごすはずがない。
ヴェロッサは優秀な査察官だが、優秀な査察官が管理局にヴェロッサ一人だけということはない。五年以上の長期に渡り、そして、自身の目的のために特務四課まで設立させてみたグレアムの企みが、誰にも知られていないということなどあり得ないはずだ。
ならば、その者達までもがグレアムに協力しているか、または、それ以上の力の持ち主によって首を押さえられているか。
『大将』の上の役職など、それこそ元帥クラスの人物となる。現元帥か、あるいは、管理局の黎明期を支えた三提督か、それとも、実質的な管理局のトップ――最高評議会か。
「……私が闇の書の所在を知ってからの行動は、我ながら早かったと思う」
思考を続けるクロノを差し置いて、グレアムは独白を始める。
まるで、クロノに『それ以上は踏み込むな』とでも忠告するかのように。
「まだ活動を始めていない闇の書をこの目で確認し、そして、異国の子供二人の保護者を買って出た。その場で破壊してしまうこともできたが、何とか思い止まったよ。活動を始める前の闇の書など、まず見つけられるものではない。『前回』の悲劇を繰り返さないためにも、ここで『闇の書』がもたらす不幸の連鎖を断ち切らねばならないと思った。……例え、見ず知らずの子供二人を犠牲にしたとしても、それで全てが終わるなら、と思った。思ってしまった……」
グレアムの考えは、次元世界の平和という大局的見地から見れば、正しいのかもしれない。二人の命と、大勢の命。それを存在してはならない天秤にかけたとすれば、大勢の命の皿が傾いてしまうのは、当然だ。
だが、その選ばれなかった側から見れば、また違った答えが出るのかもしれない。
例えば、家族のために世界を敵に回した、八神颯輔のように。
「しかし、私の縋った正義など、覚悟など、脆く儚いものだったよ。彼らは見事にそれを打ち砕き、運命さえも覆してみせた。……過去に囚われた覚悟などでは、未来を求める覚悟には、敵わなかった……敵うはずがなかった」
ギル・グレアムの行いは、非情ながらも間違いなく正義だった。
八神颯輔の行いは、管理局からすれば間違いなく悪だった。
しかし、家族のために戦う行為を、悪と断じてしまっていいのだろうか。
「……本当は、誰かに止められたかったのかもしれない。お前のやろうとしていることは間違っていると、糾弾して欲しかったのかもしれない。……しかし、そんな甘えは、敵であるはずの颯輔ですら許さなかった」
「それは、どういう……?」
「あの子はこう言ったよ。『もしも暴走体の制御に失敗してしまったときは、どうか俺ごと封印してください。そして、その功績を使って、はやて達を守ってください』とね。暴走体の制御に成功したとしても、颯輔は自分一人が罪を被るつもりだった。……馬鹿な子だ。そんなことは、他ならぬ颯輔の家族が許すはずがないのに。自分一人が罪を被るつもりなら、彼女達の信頼を裏切らなければならなかったのに。まだまだ子供だ、詰めが甘すぎる……」
くつくつと笑うグレアムはしかし、八神颯輔を貶しているのではなく、自分自身を嘲笑っているようにしか見えなかった。
だがクロノは、グレアムが間違っていたとも思わない。グレアムはきっと、十一年前に部下を失ったことを、リンディ・ハラオウンの夫の命を見捨てたことを、クロノ・ハラオウンから父を奪ったことを、ずっと後悔していたのだから。クロノに執務官としての教えを説いたのも、他ならぬ、グレアムなのだから。
ギル・グレアムがかざしていたのは、正義。
そして、八神颯輔がかざしていたのも、正義。
別の形をした正義が、ぶつかり合ったに過ぎない。
それが、『最後の闇の書事件』の真相。
「……私を告発することは不可能だ、クロノ・ハラオウン執務官。そんなことはできないし、させもしない。私には、まだ成すべきことが残っている。それを邪魔しようというのならば、何人であっても――クロノ、お前でも容赦はしない」
グレアムがクロノに向ける目は鋭く、そしてそれは、子を守ろうとする親の目だった。
クロノは、その目を真っ直ぐに見据える。
「僕は、聞きたかったことを聞きに来ただけです。……それに、今の僕にはできないこともあるのだと、『学ばせてもらった』つもりですよ」
「………………」
「だけど、この先どんなことがあっても、僕は僕の正義を捨てたりはしない。貴方と八神颯輔以上の力をつけて、いつの日か必ず、守りたいもの全てを守れるようになってみせる。……それが、僕の覚悟です」
「…………そうか」
グレアムの返事を受け、クロノはソファから立ち上がった。
自分が宣言したことが、子供が語る夢物語のようなものだという自覚は、クロノ自身にもある。
だが、理想を目指して前へと進まなければ、明日が今日よりもよくなるはずがない。
クロノ・ハラオウンは時空管理局員。
掲げる目標は、誰もが笑顔で暮らす事の出来る世界をつくること――次元世界の恒久的な平和だ。
◇
12月26日の夜。海鳴市にあるハラオウン家の邸宅には、リンディ・ハラオウンとエイミィ・リミエッタの二人の姿しかなかった。事件の事後処理という激務を終えて自宅へと戻ったのだが、クロノ・ハラオウンはアースラにて待機、フェイト・テスタロッサとアルフはアリサ・バニングスの家にお泊りである。
血の繋がりはなくとも親子のような、そして、親子ほどに歳が離れていても友人同士のような仲にあるリンディとエイミィだ。どちらも話せる口であるため、リビングで顔を突き合わせていれば、中身のない会話でも盛り上がるのだが、今日は明るい話には恵まれなかった。
「フェイトちゃんとなのはちゃん、とうとうばれちゃいましたね……」
「そうね……」
ぼそりと呟き、エイミィはオレンジジュースを、リンディは砂糖とミルクたっぷりのお茶を口に運び、喉を潤した。能天気というか天真爛漫というか、そういった性格であるはずのエイミィも、今回ばかりは頭を悩ませているようだった。
本日、フェイトは形ばかりの特別任務を受けて八神はやてを見舞ったのだが、どうやらそこで、学校の友人であるアリサ・バニングスと月村すずかの二人に魔法のことを知られてしまったらしい。
地球は管理外世界で、『魔法』という概念はあっても、リンディ達のような管理世界でいう『魔法』とは認識が異なる。その世界を混乱させてしまわないためにも、管理外世界の住人に魔法を知られてしまったときは、認識阻害の魔法などを駆使して誤魔化されてもらっている。仮にも管理局員ならばそうするべきなのだが、フェイトとなのはは罪悪感や執拗な追及に耐え切れず、バニングス邸で洗いざらいを話している最中だった。
ちなみに、アルフは現在は魔法の使えない状態にある二人に代わり、生き証人として連行されてしまっていた。
「……まぁ、それはそれでもいいでしょう」
「いいんですかっ!? そりゃあ、アリサちゃんとすずかちゃんは可愛くていい子ですけどっ、ですけどもっ!」
「フェイトさんもなのはさんも、管理局の仕事を続けるつもりなら、どうしても学校を休むことが増えてしまうわ。そういうとき、事情を知っているお友達がいた方が、いろいろと都合がいいじゃない?」
「それは、まぁ……えぇ? ほんとにいーのかなぁ……?」
エイミィはまだ納得がいかない様子だが、リンディの中ではもう片付いてしまっている問題だった。
管理外世界であっても、今回の『闇の書事件』のように、ロストロギアが絡む事件が発生する場合はなくはない。その事件にかかわってしまった民間人は、『誤魔化されてもらう』か、今後もそのような事件が発生したときのために、現地協力者となるかのどちらかだ。現地協力者となるのなら、当然、『誤魔化されてもらう』必要もない。
最悪、フェイトには地球を離れるという手段も残っているが、なのははそうもいかない。なのはは歴とした地球人で、ここ、海鳴市に家族が住んでいるのだ。
もしも、なのはが本格的に管理局入りを目指すのならば、家族の理解も得なければならない。今回の病院での騒動は、行く行くは突き当たるかもしれない問題であったのだ。いずれ話さなければならないのならば、早いか遅いかの違いでしかなかった。
「特に心配はないでしょう。アリサさんもすずかさんも、秘密を言いふらすような子ではないわ」
「それはまぁ、はい。……いや、うーん、やっぱり、管理外世界への引っ越し自体に問題があったんじゃ……あ、いえ、決して今更反対しているというわけではなくっ!?」
「やっぱり、エイミィもそう思う?」
「やっぱりって……えぇ、リンディさんもそう思ってたんですかっ!?」
「だって申請するとき、レティにすっごく怒られたもの。『仮にも提督が何考えてんのよ』って」
「『仮にも』って…………いや、でも、何となく想像つくような……」
「でも、仕方ないじゃない。フェイトさん、すっごく寂しそうにしてたんですもの」
「……リンディさんって、フェイトちゃんには駄々甘ですよね」
「あら? 私としては、クロノにもエイミィにも、なのはさんやアルフにだって、厳しく接しているつもりはないのだけれど?」
「ははぁ、いつもお世話になっております」
「ん、よろしい」
日本のテレビ番組、時代劇の真似をしてみせたエイミィに、リンディはにっこりと微笑んだ。
リンディの方針は、『締めるところは締めて、緩めるところは緩める』である。四課ではギル・グレアムの手前ということもあって顕著ではなかったが、それ以前のアースラは、管理局内でも比較的ゆるい職場であったはずだ。
締め過ぎて緊張し、常日頃から使命感に溢れていては、いつか必ず切れてしまう。そうなってしまった人を、そうなりかけた人を、リンディは知っていた。十一年前の自分達を。そして今回の事件では、八神颯輔がそうだった。
「……四課が解散して、元のアースラチームに戻ったら……クロノ君、ちゃんと元に戻りますよね?」
顔を上げたエイミィは、先ほどまでとは打って変わって不安の色を浮かべていた。
「……クロノ君、前から勉強にもお仕事にも真面目でしたけど、特務四課に配属されてからは、なんか、怖いくらいで……。今日だって、いつにも増して怖い顔でグレアム艦長のとこ行っちゃいましたし……。それは、クロノ君にも色々あるんだって、わかってるつもりですけど……なんか、クロノ君まで遠くに行っちゃいそうで……」
エイミィの言っていることには、リンディにも心当たりがあった。
『闇の書事件』を追うことになったクロノは、これまで培った全てを使い切るかのように、必死で捜査に当たっていた。アースラの改修が終わるまではひたすら過去の資料を漁り、しかしそれでも満足はせず、無限書庫のユーノ・スクライアにまで協力を求めた。アースラが出航してからも、寝る間を惜しんで守護騎士の反応を探索し、反応を捉えれば、自らその世界に赴いて捜査の指揮を執っていたのだ。
クロノの気持ちがわからなくはないリンディであったが、心身の健康を度外視するような勤務態度は、流石に見過ごせなかった。それもあって、少々気持ちの矛先を変えさせてはみたのだが、どうやらそれは正解ではなかったらしい。今度は、グレアム達の思惑を探るのに没頭してしまったのだった。
だが、何も褒められた点がなかったわけではない。クロノは自分にはできないことを正確に理解していて、エイミィやヴェロッサ・アコースに協力を要請していた。
自分にできないことがあるのならば、できる誰かを頼る。そこだけは、八神颯輔達とは違った。頼れる先がなかったのかもしれないが、八神颯輔達は、自分達で完結してしまったのだ。
「大丈夫よ。クロノには友達想いの友人がいるし、そして、優秀な補佐官もついているもの」
「うぇ、わ、私ですか?」
「あら、だって、そうでしょう? エイミィは、周りの緊張を解すために明るく振る舞っているのでしょう? エイミィのそういうところ、私も感謝してるのよ?」
「えー……あー……その……まぁ? なんか、改めて指摘されると恥ずかしいんですけど……」
視線を彷徨わせながら跳ねている髪をいじっているエイミィは愛らしく、この子が隣にいれば、と安心ができた。
「そうね……今のクロノは、目の前で他の男の子の格好いいところを見てしまったから、その影響を受けているだけかもしれないわね」
「他のって……八神颯輔君、ですよね……」
「ええ。決して褒められた方法ではなかったけれど……管理局員が言ってはいけない言葉だけれど、彼の行動は、きっと正しいものだった。物語の主人公のような、人を惹きつける生き方だわ。……けれどそれは、人間として致命的に間違えてしまっているの」
「間違えて……?」
「例え、どれほど大切な人がいても、その人の命を自分の命よりも優先してはならないのよ。それは、誰にもはできない尊い選択かもしれないけれど……一見、素晴らしい選択かもしれないけれど、絶対に間違っているわ」
例え、それしか方法がなかったのだとしても。結果的に、その行動で命を救われた人がいたとしても。残された人の心に刻まれた深い傷は、決して癒えることはない。ふとした拍子に疼きだし、過去を思い起こさせてしまうのだ。
十一年前、リンディはアルカンシェルによって夫であるクライド・ハラオウンを失った。そして今回、他ならぬリンディがアルカンシェルを撃ち、八神颯輔の命を奪ってしまった。
心の傷は、深く、深く。
『彼らを救う力を』と、声高に叫び続けている。
それでもリンディは微笑を浮かべ、疼く心の叫びを冷たくあしらった。
「クロノがそうなってしまわないように……もう二度と、こんな悲しい事件が起きてしまわないように、私達も、頑張らないといけないわね」
「……はい!」
『最後の闇の書事件』も、悲劇のうちに終わりを告げてしまった。
それは、とあるロストロギアが引き起こした、悲しい事件の一つ。
時空管理局は、その悲しみを一つでも少なくするためにある。