夜天に輝く二つの光   作:栢人

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第二十四話 闇の獣

 

 

 食器を洗い終えた八神颯輔は、手を刺すような冷水を吐き出す蛇口を締めた。ハンドタオルで水滴を拭き取り、掌を擦り合わせて温めながら、戸棚へと向かう。袋詰めにされたお茶漬けの素を二つ取り出すと、ダイニングのテーブルの上にあるラップをしたご飯の隣に置いた。

 買っておいた年越し蕎麦は無駄になってしまったが、途中で予定を変更して茹でなかったため、無駄にはなっていない。正月のどこかで楽ができると考えれば、儲けものだろう。

 これでよし、と一人頷いた颯輔は、リビングのテーブルにだらしなく突っ伏している男女に目をやった。

 

「父さん、母さん。ここにお茶漬けの用意しておいたよ。お湯はポットに入ってるから、それ使って」

「ありがとぉそーすけー。さっすが私の産んだ子、よくできてるわねぇ~」

「颯輔もこっちに来て飲め飲め! 俺はまだまだ飲みたらんぞぉ!」

「この酔っ払い共は……!」

 

 真面目で仕事一筋であるはずが、その普段の反動でも出ているのか、目も当てられない状態の両親に颯輔は拳を震わせる。大晦日だからと多目に見ていたらこの様だ。テーブルの上には缶ビールやら熱燗やらが空けられており、年初めから盛大な二日酔いに見舞われるのは確実だろう。性格の豹変によって晒した痴態を思い出して盛大な後悔をするか、記憶を失い何も知らずにいつもどおりに戻るかは、半々といったところか。

 やたらとテンションの高くなっている母親と、やたらと飲酒を勧めてくる父親を無視し、颯輔はファーフード付きのダウンジャケットを羽織る。外していた腕時計を左手に巻き、ジーンズのポケットに財布を突っ込んだ。

 携帯を手に取り確認すれば、もうすぐ今年も終わりの時間だ。後片付けに忙しい間に不在着信と受信メールが何件かあることから、もう向こうの準備は終わっているはずである。

 

「それじゃあ、初詣に行ってくる」

「なにぃ!? 俺の酒が飲めないっていうのか!?」

「まだ未成年だよ! それから、お酒のストックはもうないからな!」

「えー、もうないのぉ? ……ま、いっか。いってらっしゃーい、そーすけー。高町さんによろしくね~」

「……いってきます」

 

 会社の部下にも同じことを言ってないだろうな、と心中穏やかでない颯輔は父親にツッコミを入れ、続く母親の言葉に顔を赤くしてからそっと家を出た。

 このまま寝落ちしてしまうだろう両親に代わって玄関の鍵を締め、やっと解放されたことに深い息を吐く。吐いた息が真っ白に染まる屋外は、靴の底が隠れるほどには雪が積もっていた。

 

――早く終わらせて、明日に備えてゆっくり休まなければなりません。

 

 寒空の下、手早く携帯のキーを打鍵し、『遅くなってごめん。今から迎えに行く』、とメールを送信する。閉じた携帯をポケットに突っ込み走り出すも、ほとんど間を置かないうちにマナーモードの携帯が震えた。

 震える時間が長いことに着信だと気が付いた颯輔は、走りながら再び携帯を取り出す。サブディスプレイには、『高町美由希』と表示されていた。

 

「もしもし、遅くなってごめん高町! 今すぐ行くから、もうちょっとだけ待ってて!」

『あはは、そんなに急いで来なくても大丈夫だよ。どうせいつもどおりに家事してるんだろうなーって思ってたし』

「す、すいません……」

『だから、謝らないでってば。なんだか私がいじめてるみたいじゃん』

「違うの?」

『違うよっ!? もうっ、待ってるから早く来てよっ! それじゃっ!』

 

 ガチャリと切られた電話に、からかい過ぎたか、と苦笑し、颯輔は携帯を再びポケットにしまった。雪に足を取られないように気を付けながら、走る速度を上げていく。運動は得意というほどではなかったが、遅れているのは自分の方だ。明確な時間を決めていたわけではなくとも、これ以上待たせてしまうのは颯輔としても忍びない。

 同じく初詣に赴くと思われる人達とすれ違ったり、偶然出くわした学校の友人にからかわれたりとしながら、走り続けること約十分。夜道を走りながら年越しを迎えた颯輔は、ようやく高町家の前へと辿り着いた。

 膝に手を置き、乱れた呼吸を整える。心臓が、二重の意味で鼓動を早めていた。

 

「…………よし」

 

 落ち着きを取り戻した颯輔は、身体を起こして身なりを整えた。まだ少しだけ鼓動がうるさかったりもするが、そこはご愛嬌というもの。そもそも、異性の家を訪問するのにまったく緊張しない男子高校生など、圧倒的に少数なのだ。多分に漏れず、颯輔は大多数の男子高校生に属する人間である。

 一つ深呼吸をしてから覚悟を決め、寒さで先の赤くなった指でインターフォンを鳴らす。普段なら非常識きわまる時間だが、今日だけは特別な日だ。

 ほどなくして、玄関が開く。中から出てきたのは、ダッフルコートを着込んだ美由希とその両親、高町士郎と高町桃子だった。やはり酒が入っているのか、大人二人の顔はほんのりと赤い。美由希は、少しだけ不機嫌そうな顔をしていた。

 

「こんばんは。それから、明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします」

「明けましておめでとう、八神君。今年もよろしく――ということで、早く行こう!」

「え? いや、少しくらい士郎さんに桃子さんと話したって――」

「――いいからっ! お願いっ!」

「本当、めでたいわね……こうして美由希を送り出す日が来るなんて……!」

「颯輔君、今年も美由希をよろしく頼むよ!」

「もうっ! お母さんもお父さんも余計なこと言わないでってばっ!」

「ああ、なるほどね……」

 

 完全にできあがっている大人二人と、二人に負けないくらい真っ赤な顔で叫ぶ美由希の三人を見て、颯輔は全てを察した。颯輔の両親ほど酒癖が悪いというわけではないようだが、士郎と桃子は普段に比べていくらか陽気になってしまっているようだ。高校生という年代ではなくとも、自分の親の痴態を見られてしまうのは恥ずかしいだろう。

 美由希に背中を押されて――その行動で余計に囃し立てられてしまうのだが――ご機嫌な高町夫妻から離れる。颯輔としては士郎や桃子ともう少しまともに話をしたかったのだが、背中から感じる無言の圧力に諦めることにした。ただでさえ遅れてしまったのだ、これ以上美由希の機嫌を損ねるのはよろしくない。

 しばらく無言でざくざくと雪を踏み鳴らし続け、高町家もすっかり小さくなった頃、ようやく背中を押す力がなくなる。後ろから聞こえた盛大な溜息に、颯輔は悪いと思いながらも笑いを堪えきれなかった。

 

「笑わないでよぉ……」

「いや、ごめんごめん。つい、ね」

「八神君来るまで大変だったんだからね? 『美由希もそういう年頃かぁ』とか、『正月からお赤飯炊かなくちゃね』とか。八神君と出かけるの、別に初めてじゃないのに、お酒入るとああなんだから……。恭ちゃんは忍さんとリッチに海外行ってるし、なのはは紅白の途中で寝ちゃうし、私一人で相手してたんだよ?」

「それはそれは、お疲れ様でした」

「他人事だと思って……。そういえば、八神君のとこは? お父さんとお母さん、大晦日くらいはお酒飲んだりするんでしょ? 酔ってるとことか全然想像つかないけど」

「うちは高町のとこより酷いと思うよ……」

「うっそだー。……でも、それはそれで見てみたかったり?」

「ダメ、絶対。他所様に見せられるようなものじゃありません」

「うちのは見たくせにぃ」

「クリスマスもあんな感じだったと思うけど?」

「あのときは、優秀な助っ人さんがいたから機嫌がよかっただけだよ」

「そうかな?」

「そうだよ」

 

 二人並んで夜道を歩きながら、他愛のない会話を交わす。今日ほどではなかったが、士郎と美由希が忙しいはずのクリスマスにも楽しそうにしていたのを、颯輔は思い出していた。

 洋菓子店ならばかき入れ時のクリスマスシーズン。颯輔は、臨時アルバイトとして高町夫妻が経営する喫茶翠屋で働いていた。常日頃から経営は上々の翠屋だ、一日中客足が途絶えることはなく、その忙しさは多忙の一言に尽きた。

 しかし、一流のパティシエである桃子のアシスタントに就けたことは、貴重な経験だっただろう。働き詰めの両親に代わって家事に明け暮れるうち、料理を趣味としてしまった颯輔だ。洋菓子というジャンルはほぼ未経験だったが、持ち前の料理感と本職の者に教わったことにより、更なる技術の獲得へと至っていた。三桁に上るケーキを作り――もちろん桃子には比べるべくもないが――それなりのものは作れるようになったほどである。

 

――これなら、はやてちゃんも喜んでくれますよね。

 

 士郎と桃子には、ぜひ来年も手伝ってほしい、と言われてしまったが、生憎とその頃は受験シーズン真っ盛りだ。颯輔も美由希も進学を希望しているため、気が早い話ではあるが、今年のクリスマスの翠屋は、更なる激務となってしまう可能性が高い。

 

「クリスマスが終わった次の日なんて、『惜しい人材を亡くしたわ……』とか言ってたんだから」

「死んだりしたわけじゃないんだけど……」

「でも実際、翠屋も後継者とか考えないといけないと思うけどなぁ。恭ちゃん、忍さんにくっついて行っちゃいそうだし」

「あの二人はなぁ……そうだ、なのはちゃんとかはどう?」

「何でそこで私をすっ飛ばしたのかな、ねぇ?」

「いや、別に他意はない、ですよ……?」

「八神君、その敬語と疑問形には絶対に他意があるよね?」

 

 ジト目を向けてくる美由希に、乾いた笑いを漏らす颯輔だった。

 誰かに影響されたのか、美由希は去年の春から料理を始めたらしい。本人曰く、だんだん上手になってるよ。士郎曰く、先生は優秀だから今後に期待。桃子曰く、サラダなら任せられる。颯輔は直接腕前を見たことはないのだが、聞いた限りの情報では、もう少し頑張りましょうの判を押さざるを得なかった。

 

「……それじゃあ八神君は、パティシエとか興味あったりしない?」

「俺のは所詮趣味だからなぁ。桃子さんのようにはいかないよ」

「でも、やりたいことはまだないんでしょ? まずはアルバイトからとか、どう?」

「そうだな……土日だけでもいいんなら、前向きに検討してみるかな?」

「そっかそっか。色よい返事を期待してるね」

 

 ジト目から微笑に表情を変え、足取りまで軽くなる美由希。颯輔は美由希に半歩遅れ、はしゃぐ子供を見守る保護者のような心境で歩を進めた。

 歩み行くうちに目的地へと近づき、神社が見え始める頃には人の気配も多くなってきていた。参道の両側には賑やかな屋台が立ち並び、その間に参拝客がひしめいている。深夜帯に出歩いているという背徳感と、初詣特有の祭のような空気が、否応なく気分を高揚させた。

 

「うわぁ、すっごい人だねー!」

「この時間に来たのは初めてだけど、案外混んでるものなんだね。……やっぱり、はやてはこういうとこに連れて来られないなぁ」

「………………」

「……高町?」

「……はやてって、誰?」

「え……?」

 

 颯輔が隣を向くと、予想以上に近くに美由希の顔があった。眼鏡の奥、夜空のような、あるいは深海のような黒い瞳を覗いていると、周囲の喧騒が耳に入らなくなる。吸い込まれてしまいそうな瞳から、颯輔は目を離すことができなかった。

 はやてって、誰。

 その単純な問いに、しかし颯輔は答えられない。なぜなら、自分で口にしつつも、颯輔はその名前を持つであろう人物に心当たりがないから。いくら記憶を辿ってみても、誰も思い浮かんではこなかった。

 静まり返った世界がとてつもなく不気味で、美由希の瞳に言いようのない不安を感じて、颯輔は指先一つ動かすどころか、呼吸すら満足にできなくなってしまった。じっと見つめてくる黒曜の瞳の奥には、暗い金色が渦巻いている気がして。

 停止してしまった時間を再び動かしたのは、可愛らしく頬を膨らませた美由希だった。

 

「女の子の名前……私だって、まだ名前で呼ばれたことないのに……」

「あ、え、高町……?」

「……美由希」

「え?」

「美由希って呼んでよ、『颯輔』君」

 

 見上げてくる潤んだ瞳が、記憶の中の誰かと重なる。だが、それがいったい誰だったのか、颯輔には思い出すことができなかった。それどころか、そんな思考さえも霧の中に隠れてしまうかのように消えていく。

 

「……あー、えっと……美由希、さん?」

「……呼び捨てじゃないんだ」

「いやだって、高ま――……美由希さんだって、その、君付けだし……」

「うっ……じゃあ、それでいい。今は許す」

「いいんだ……」

「いいのっ! さっ、行こっ!」

「うわっ、ちょっ、美由希さんっ!?」

 

 美由希に手を引かれ、参拝客で賑わう参道へと繰り出す。外は真冬の寒さだったにもかかわらず、繋いだ美由希の手は温かかった。

 颯輔も美由希の掌を握り返し、まずはお参りを済ませるべく、人混みを掻き分けて神社の境内を目指した。

 

――主颯輔ぇっ!

――お兄っ!

 

 背中にかかる誰かの声を、空耳だろうと思考の外に追いやりながら。

 

 

 

 

 転移魔法の光が晴れる。目を開けた八神はやての前に広がっていたのは、これまでの日常を全否定してしまうかのような光景だった。

 暗い空には満足な光もなく、青いはずの海は毒々しく濁って沼のように変貌している。生命の気配を感じられない大地が、星の終わりを示しているかのようだった。

 闇の書の記憶で覗いた、ベルカの世界よりも荒れ果てた世界。息苦しいほどに濃密な魔力素が漂うこの世界を支配しているのは、一体の魔獣。人の形を失ってしまったはやての兄、八神颯輔だった。

 本来ならば腕があるはずの左肩の先からは、大樹を思わせるほどに太い胴体を持つ漆黒の大蛇が生えている。反対側の右腕は肥大化して赤黒く染まっており、先端には猛禽類のように鋭い爪を尖らせていた。腰から下に足はなく、魚類のような、ただし鯨のように巨大な尾を垂らしている。周囲には七体の無眼の竜が取り巻いており、その首は魔獣の背中から伸びていた。肩の上に展開されているのは、血液のように鮮やかな赤色の翼。まるで雲のように形を変化させる不定形のそれが、巨体に空を翔けることを許している。そして背後には漆黒の魔法陣の描かれた円環が浮遊し、ゆっくりと回転していた。

 

「■■■■■■■―――ッ!!」

 

 新たな獲物の出現を察知したのか、継ぎ接ぎだらけの魔獣が身の毛もよだつような咆哮を上げる。ただそれだけで突風が巻き起こり、十分以上に距離を取り、戦闘区域から外れているはずのはやての髪を揺らした。

 はやては目を逸らすことはせずに、魔獣の頭部を真っ直ぐに見つめる。そこには、血の気のない青白い肌をした颯輔の顔があった。しかし、顔の上半分を覆う仮面によって、二人の視線が合うことはない。仮面の下から走る赤い紋様が、はやてには涙を流しているかのように見えた。

 七体の竜が大きく口を開き、燃え盛る業火を吐き出す。狙う先ははやて達ではなく、魔獣の周囲を飛行する一人の魔導師だ。その魔導師――ギル・グレアムは、大きく距離を取って炎を回避し、白銀の杖をかざして藍色の砲撃魔法を撃ち込んだ。

 砲撃が頭の一つに命中し、炸裂する。魔力光が晴れた先には、グロテスクな肉の花が咲いていた。しかし、次の瞬間には断面の肉がぐじゅぐじゅと膨れ上がり、破壊されたはずの頭部が再生される。防衛プログラム――ナハトヴァールの再生機能だ。取り込んだ主の魔力が底をつくまで、暴走体が活動を停止することはない。

 

「お兄……」

 

 変わり果てた姿に、夜天の魔導書と杖を持つ手に力が入る。しかし、はやては戦闘から無理矢理視線を切って、撃墜されてしまったというシグナムとザフィーラ、そして、リーゼロッテとリーゼアリアを捜すことに集中した。

 巨大な魔力がぶつかり合う余波で、感覚が塗り潰されそうになってしまう。この状況下で個人の魔力反応を捉えるのは至難の技だ。魔法に理解のない素人にできるようなことではない。しかし、夜天の主であるはやてならば、はやて達にならば、それは不可能なことではなかった。

 

『対象の魔力を捕捉。この場へと転移させます』

「うん。お願いな、リインフォース」

『お任せください、主はやて』

 

 はやての内から響くリインフォースの声。それを聞き届けると、はやての足元に白く輝くベルカ式魔法陣が浮かび上がった。

 先端が剣十字となっている黄金の杖の石突を地に落とし、はやては深く呼吸をする。

 まともに魔法を使ったことのないはやて自身は、ただ求められるままに魔力を供給するだけでいい。術式の起動と制御は、それに特化したリインフォースに任せればいいのだ。主と融合騎の理想的な関係からは程遠いが、それが今打つことのできる最善手。リインフォースが単体で行うよりも、膨大な魔力を持つはやてと共に行う方が、魔法の効果も精度も跳ね上がる。

 やがて、はやての周りに四つの転移魔法陣が浮かび、シグナム達が現れる。四人共が意識を失ってぐったりとしており、その体には直視するのがはばかられるほどの痛々しい傷があった。

 

「シグナムっ! ザフィーラっ!」

「リーゼさんっ!」

 

 シグナムとザフィーラにはヴィータとシャマルが、リーゼ姉妹には高町なのはとフェイト・テスタロッサ、そして、ユーノ・スクライアとアルフが駆け寄る。治癒魔法を専門とするシャマルが冷静に四人の容体を見比べ、最も重傷を負っているザフィーラから治療を始めた。同じく治癒魔法の心得があるユーノは、ロッテに治療を施し始めていた。

 はやては自分も傍に駆け寄りたい衝動をぐっと堪え、リインフォースの告げてくる情報を冷静に噛み砕く。見た目は酷いが、シグナムとザフィーラは駆体を維持できなくなってしまうほどのダメージは受けていないらしい。二人への供給魔力を増やし、自己回復力を促進させることで、ざわめく心を誤魔化した。

 はやての隣に、黒い杖を手にした黒衣の少年が並ぶ。クロノ・ハラオウンが、少しだけ訝しげな目を向けてきていた。

 

「初めての魔法行使とは思えない転移魔法だ。この状況下では、ユーノでもこうはいかなかっただろう。それに、随分と落ち着いているように見える」

「リインフォースのおかげや、わたしの力とちゃうよ。だいたいの場所も、エイミィさんから教えてもらっとったし。……それに、本当は全然落ち着いてなんてない。人よりちょっと、嘘つくのが得意なだけや」

「そうか……。情けない話ですまないが、今は君達の力をあてにさせてもらいたい。闇の書の暴走体は、グレアム提督にも……特務四課の全戦力をもってしても、難しい相手だ」

「……もちろんや。わたしは、お兄を助けるためにここまで来たんやから」

「問題はどうやって助けるかだが……どうするつもりなんだ?」

 

 グレアムと暴走体の戦闘に目を向けたまま、クロノが質問をしてくる。それに答えたのは、はやての肩の上に人形サイズの立体映像を投影したリインフォースだった。

 

『あのような状態ですが、おそらく、主颯輔はまだ完全に取り込まれたわけではないはずです』

「見たところ、完全に生体融合を果たしてしまっているようだが……」

『もしもナハトが完全に主導権を握っていたとしたら……将達が消滅していないはずがありません。四人が受けた攻撃は、ナハトではあり得ない非殺傷設定。主颯輔の意識が残っているのならば……ナハトを停止させることができれば、あるいは』

「ほんなら、ナハトはどうやったら止まるん?」

『純粋魔力ダメージを蓄積させ、システムに過負荷をかけてみましょう。確実な方法とは言えませんが、今はこれしか……代替案を考え付いたら、すぐにお伝えします』

「了解した。……グレアム提督は、僕が説得しておこう。あの人はおそらく、八神颯輔ごと暴走体を封印しようとしているだろうから……」

「ん、お願いするわ」

 

 クロノの言葉に、はやては表情を曇らせることなく頷きを返した。

 はやて達の保護者であったはずのグレアムが管理局の人間であったことについては、今はどうでもいい。その程度のことに頭を悩ませる余裕があったら、その分を拙くとも魔法の制御に充てた方が遥かに利がある。今は、颯輔を救い出すのが最優先事項だ。

 

「ユーノ、リーゼ達を頼む」

「うん、任せて。治療が済んだら、僕達もそっちに向かうから」

「ああ。ここは安全だと思うが、余波が来るようならアースラに退避してもいい。念のため、アルフにはユーノ達の守ってもらいたい。頼まれてくれるだろうか?」

「当然! その代わり、そっちもきっちり片づけて来るんだよ!」

「了解だ。……なのは、フェイト、そろそろ行こう。作戦は、『皆で協力して、全力全開で頑張れ』だ」

「さっすがクロノ君! すっごく分かり易いよ!」

「そうかな……? でも、うん。頑張ろう」

 

 なのはとフェイトが立ち上がり、はやて達の傍に並ぶ。はやては直接は二人の力を知らないが、リインフォースやクロノからはお墨付きをもらっていて、意地っ張りなところのあるヴィータですら認めるほどである。協力者としては、素直に頼もしいと思えた。

 なのは達が立ち上がったのを見て、ヴィータもはやての傍へと駆けてくる。立っているヴィータを見下ろすことができるという感覚が少しだけおかしくて、場違いだとわかってはいながらも笑いそうになってしまった。はやては何とかそれを微笑に変え、ヴィータの頭を帽子の上から撫でつけた。

 

「頼りにしてるで、ヴィータ」

「うん。はやてもリインフォースも、絶対あたしが守るから。……絶対、颯輔を助けようね」

「もちろんや。シャマル、シグナムとザフィーラをお願いな」

「はい。はやてちゃん達も、どうかお気を付けて」

 

 シャマルからシグナム達へと視線を移す。はやてはまだ意識を取り戻していない二人に心の中で謝り、礼を言い、そして、戦場を見上げた。

 戦場から吹き付ける魔力を伴った風が、淡い銀色に染まった髪を撫でていく。純白のジャケットと漆黒のスカートが、風を受けて揺れた。

 

「ほな、行こか」

 

 蒼く澄んだ瞳に決意を宿し、八神はやては一歩、前へと踏み出した。

 

 

 

 

 どこまでも清らかに澄んだ蒼穹の世界。そこにリインフォースの魔力光が溶け込み、月明かりが照らす夜空のような濃紺の世界へと変化していく。夜天の主の名に相応しい舞台が、そこにはあった。

 そこは、八神はやての心象世界。夜天の魔導書の管制人格、リインフォースが待ち望んだ世界だ。融合騎として正しく機能するのはいったいいつ以来のことだったのか、それはもうリインフォースにもわからない。だが、今はそんな些細なことはどうでもよかった。

 はやてとのユニゾンには、確かに心を満たすものがある。しかし、リインフォースには、まだ果たすべき役目があった。

 

「『スレイプニール、羽ばたいて』」

 

 呪文を紡いでトリガーを引き、飛行魔法を発動させる。リインフォースははやての持つ膨大な魔力からほんの一握りを使用し、騎士甲冑の一部へと供給した。

 はやての背面に展開された闇を祓うような純白の翼が、一回り大きく成長する。感触を確かめるように六枚の翼を震わせると、大地を蹴って空へと昇った。

 はやての後をヴィータが、クロノ・ハラオウンが、高町なのはが、フェイト・テスタロッサが続いた。闇の書と管理局の因縁を越え、空を翔ける。戦闘区域は、もう目の前に迫っていた。

 

「予定通り、僕はグレアム提督の説得へ向かう。その間はほとんどそちらに参加できないと思うが……あまり無茶はするなよ。それから、危険を感じたらすぐに離脱するんだ」

「心配しないで、クロノ君。こっちはこっちで頑張るから!」

「君というやつは……」

「お前、ほんとに話を聞かないやつだよな……」

 

 身を案じた傍からやる気を見せるなのはに、クロノは疲れたように目を伏せ眉間を揉む。その様子を隣で見ていたヴィータが、呆れた声音を出していた。

 

「えーと……その、クロノも気を付けてね」

『こちらの舵取りは私が責任をもって行おう。クロノ・ハラオウン、お前はお前にしかできないことを』

「……わかった。それでは、任せた」

 

 フェイトとリインフォースのフォローを受け、気を取り直したクロノは編隊を外れた。向かう先は、たった一人で暴走体を相手取っているギル・グレアムの下だ。ある意味そこは、この戦いで最も危険な場所。クロノはこちらを心配していたが、クロノ自身も危険であることには変わりない。

 離れていくクロノを、リインフォースは後ろめたい感情を抱きながらも見送った。

 クロノもまた、闇の書によって運命を狂わされた者の一人。まだ葛藤を続けてはいるようだが、それを割り切って協力してくれたことには、感謝しきれない。そんなクロノを、リインフォースは時間稼ぎが精々としか考えていなかった。

 現在特務四課の指揮を執っているリンディ・ハラオウンには了承を取っていたが、グレアムに同じことを期待するのは難しい。そもそも、ナハトヴァールの制御が失敗に終わった場合は、グレアムによって封印してもらう手筈だったのだ。闇の書の封印を解いた瞬間に裏切って即座に封印しようとしてきたのはグレアムの方だが、こちらも協定を無視して颯輔を救い出そうとしているため、協力を得られる可能性は限りなく低かった。

 だが、グレアムの協力が得られず敵となった場合はそのときだ。邪魔をするようならば、それさえも乗り越えてしまえばいい。

 

「リインフォース、わたしらはどうしたらええ?」

『はい。まずは、七つの竜の首を止めましょう。あれがあっては、安全に近づくことも叶いません』

「でも、砲撃は効かないんじゃ……」

「それに、颯輔さんへの影響はないの?」

『主颯輔への影響は正直わからないが……だが、今は信じるしかない。方法については、こちらに策がある。紅の鉄騎、高町なのは、フェイト・テスタロッサ。しばしの間、主はやての守護を頼めるか?』

「当然!」

「もちろん!」

「任せて!」

『感謝する。……では主はやて、いきましょう』

「うん……!」

 

 戦闘区域に達して暴走体に近づいたことで、四つの竜の首がはやて達を向いた。すんすんと鼻を鳴らし、獲物の位置を確かめるようにしている。他の首は、グレアムとクロノを攻撃したままだ。

 リインフォースには、はやての身体が恐怖に小さく震えているのがわかった。だがそれでも、優しさを勇気へと変えた心が、兄を助けたいという願いが、はやてに前を向かせていた。

 空中に静止し、夜天の魔導書を開く。足元に展開された魔法陣が、暗い空に輝いた。

 

「『――彼方より来たれ、やどりぎの枝』」

 

 はやてとリインフォースの声が重なり、呪文を詠唱していく。

 はやての持つ特殊な魔法資質は、遠隔発生。例え目標が射程圏外にあろうとも、射程圏内に砲台を展開することで攻撃が可能となる。後方型には望外なほどのスキルだ。

 遥か前方に砲台となる魔法陣が展開され、七つの砲弾が形成されていく。発動するのは、古代に盲目の魔導師が生み出した大魔法。

 

「『――銀月の槍となりて、撃ち貫け……!』」

 

 竜がその咢を大きく開く。ある首は業火を放ち、ある首は獲物を喰らおうと迫ってきた。

 だが、その攻撃が無防備なはやて達に届くことはない。なのはの発動した防御魔法が業火を防ぎ、フェイトの発射した光刃が首を斬り落とす。ヴィータに迫る二つの首は、片方がグラーフアイゼンによって叩き上げられ、もう片方は返す戦鎚で叩き落されていた。

 形成されていた砲弾が、完成する。

 

「『石化の槍っ、ミストルティン――ッ!』」

 

 リインフォースが目標の動きに合わせて射線を微調整し、はやてが杖を振り下ろしてトリガーを引いた。

 石化の効果を持った、禁忌の魔法が解き放たれる。なのは達を避けて一直線に伸びた七本の白光が、寸分違わず狙い通りに全ての竜の首に命中した。着弾地点から生体細胞が凝固を始め、やがてそれは、首の全体へと及ぶ。七つの竜頭は、精巧な造りの石造へと姿を変えた。

 

「やったかっ!?」

「待って、何だか様子が…………」

「そんな……!」

 

 第一目標をクリアしたかと思われた途端、石造に変化があった。まるで、脱皮をするかのように石が剥がれていく。鱗が落ち、てらてらと光る肉に亀裂が入っていき、やがて、幾重もの触手へと分かれた。それは、無数に蠢く触手によって巨大な暴走体の体が隠れてしまうほどだった。

 光明をと発動した大魔法の結果は失敗。状況が改善されるどころか、余計に悪化したとしか言えない。リインフォースの見通しが甘かったのか、それとも、やはり本体を叩かなければ意味はないのか。

 本体へと攻撃を加えるのならば、遠距離からでは難しい。いくら威力の高い砲撃を撃ち込もうとも触手の壁によって減衰され、壁を貫いたとしても――おそらくは本体を守っているのであろう――先ほどから動きを見せない漆黒の大蛇に防がれてしまうだろう。

 本体へ近づくにしても、あの無数の触手を掻い潜らなければならない。なのはは攻撃力は十分でも、機動力に不安がある。フェイトならば辿りつけるだろうが、あの薄い装甲では万が一攻撃を受けてしまったときが心配だった。ヴィータは信頼できるが、魔力ダメージのみを与える類の攻撃はあまり持ち合わせていない。

 

『……主はやて。しばしの間、貴方のお体を貸していただけますか?』

「ええよ。それでどうにかなるなら、喜んで貸したる」

 

 数瞬悩んだリインフォースが出した結論は、ある意味最も確実な、自らが突貫するという方法。唯一の問題ははやてだったが、予想に反して間をおかずに答えが返ってきた。

 主ではなく融合騎が主体でユニゾンするというのは、融合事故に近い行為だ。融合騎の反逆を恐れる者なら決して許しはしないことだが、はやては自分のことを微塵も疑っていないらしい。リインフォースは、寄せられる確かな信頼に微笑を浮かべた。

 

「『ユニゾンシフト』」

 

 はやての体が淡い光に包まれ、リインフォースが『表』へと出た。リインフォースの魔力波長に合わせ、騎士甲冑の全体が漆黒に染まっていく。ただし、展開している翼だけは、清廉な白を保ったままだった。

 杖と魔導書を格納して空拳となった手を動かし、身体の調子を確かめるも、恐れた異常は見当たらなかった。しかし、融合騎主体のユニゾンは主に負担を強いるのも事実。あまりこの状態は保っていられない。

 

「わあ、リインフォースさんになっちゃった」

「あの、はやては……?」

『心配せんでもちゃーんとこの子の中におるよ、フェイトちゃん』

 

 突然の変化になのはは驚き、フェイトは姿の見えなくなったはやての身を案じる。リインフォースの内から念話が響き、フェイトに無事を伝えていた。しかし、やはりリインフォースほどには制御できていないようで、立体映像が映し出される気配はなかった。

 二人と別種の戸惑いの視線を向けてきたのは、ヴィータだ。その視線の中には、戸惑いとは別に怒りの感情も混ぜられていた。

 

「お前、そんなことして――」

「――紅の鉄騎、共を頼みたい。本体を直接叩く。主颯輔を助けに行くぞ」

「…………ああ、わかった」

「高町なのはとフェイト・テスタロッサには、道を作ってもらいたい。砲撃を撃ち込み、突破口を開いてもらえるか?」

「了解です!」

「うん!」

 

 ヴィータの言葉を遮り、話題を変えるように指示を飛ばす。今は言うな、という真意を理解してくれたのか、ヴィータがそれ以上を追及してくることはなかった。

 なのはとフェイトにも指示を出し、了承を得たところで目標を見据える。立ちはだかるは、数を把握しようとするのも億劫になるほどの触手の群れ。

 だが、ここで退く理由などない。

 リインフォースが飛び出し、ヴィータが後に続く。残ったなのはとフェイトはカートリッジをロードし、背中を合わせて照準を定めた。

 

「いくよ、フェイトちゃん!」

「うん、なのは!」

《N&F,Combination!》

《Blast Calamity,Fire!》

 

 交わり合わさった桜色と金色の砲撃がリインフォース達を追い抜き、触手の壁を穿ち抜く。こじ開けられた大穴に飛び込もうと加速するも、それをさせまいと新たな触手が伸びてきた。

 リインフォースとヴィータが構える前に、空から剣の雨が降り注いだ。無数に飛来する水色の魔力刃が、迫る触手を次々と斬り落としていく。ダメ押しとばかりに藍色の砲撃が撃ち込まれ、大穴へと続く道を開いた。

 切断されたそばから再生していく触手を尻目に、リインフォースとヴィータはさらに飛行速度を上げる。リインフォースは前面に障壁を展開し、ヴィータと共に埋まり始める触手の穴へと突入した。

 再生された触手が次々と障壁を叩きつけてくるも、それが突破されることはない。どころか、飛行速度が落ちることもなかった。はやてから潤沢な魔力が供給されている今、リインフォースは魔導書が培ってきた力を十二分に発揮できていた。

 暗い触手のトンネルを抜け、僅かに光の射す空の下へと抜ける。しかしそこに待っていたのは、大口を開けた漆黒の大蛇だった。

 

「――っ!?」

「こいつはあたしがやるっ! お前は颯輔んとこ行けっ!」

『ヴィータっ!?』

 

 すぐさま回避行動に移るリインフォースと、グラーフアイゼンを振りかぶってそのまま突っ込むヴィータ。ヴィータが大蛇に飲み込まれそうになる様を見て、はやてが悲鳴を上げた。

 

《Explosion!》

「でりゃああああああッ!」

 

 空の薬莢が排出され、グラーフアイゼンがラケーテンフォルムへと変形する。展開された衝角が頬肉を突き破り、そのまま数本の大牙を粉砕した。

 横っ面を殴り抜かれた大蛇は、威力に押し負けて大きく弾き飛ばされた。ヴィータは追い打ちをかけるべく、更なる攻撃を大蛇に仕掛ける。さっさと行け、という念話が、リインフォースに飛んできた。

 任せた、と念話を返し、リインフォースは翼で空を叩いて体勢を立て直す。なのはとフェイト、そして、クロノとグレアムが道を切り拓き、ヴィータが最後の守りを砕いてくれた。あとは、颯輔の下まで一直線。

 大蛇の胴体を避け、ついに暴走体の本体――颯輔の下へと辿り着く。仮面越しに、颯輔と目が合った気がした。

 

「主颯輔ぇっ!」

『お兄っ!』

 

 二人の声に対する答えは、前へと差し出された巨大な右腕だった。背後に浮かんだ円環が回転速度を上げる。掌が右から左へと宙を滑ると、リインフォース達と颯輔との間を遮るように、千を越える魔力弾が生成されて密集陣形を組んだ。

 闇の書が蒐集して記録した、フェイト・テスタロッサの大魔法――フォトンランサー・ファランクスシフト。漆黒の軍列が、侵略を始める。

 

「くっ……!」

 

 フェイトの誇る強力な魔法は、颯輔とナハトヴァールの魔力によって威力と数が増し、より凶悪な性能を得ていた。足を止めて防御に徹しようが、あの魔法は防御を容赦なく削りきってリインフォース達を撃ち落としてしまうだろう。リインフォースはフェアーテを発動し、最大戦速で空を翔けた。

 暴走体を中心に旋回するリインフォース達を、漆黒の魔力弾が掠めていく。回避距離を取ればいくらか余裕が生まれるが、その選択肢は存在しなかった。離れてしまえば触手の壁が本体の位置を隠し、正確な狙いをつけられなくなってしまう。リインフォースは回避を続けながらも術式を立ち上げ改変し、弾幕が途切れるのを待ち続けた。

 そして、そのときが来る。

 

「『遠き地にて、闇に沈め――』」

 

 漆黒の豪雨が過ぎ去った後、深紫の瞬きの上で、リインフォースとはやてはその呪文を唱える。はやての膨大な魔力とリインフォースの魔法資質を掛け合わせた、広域空間攻撃。その本来の攻撃範囲を指定することによって絞り、拡散する威力を目標へと集中させる。

 

「『――デアボリック・エミッション!』」

 

 深紫の球体が暴走体の目の前に現れ広がり、その体を包み込んだ。

 リインフォースに許された最大出力での純粋魔力攻撃。その威力は折り紙つきで、例え相手が才能溢れるなのは達だろうと、シグナム達が苦戦させられたリーゼ姉妹だろうと、リインフォースには一撃で墜とす自信がある。暴走体だろうとひとたまりもないだろう、と確かな手応えを感じていた――はずだった。

 耳に届いたのは、ガラスの割れるような音。魔力が晴れた先にあったのは、損傷が皆無の暴走体の姿だった。

 瞬時に再生した、というのはあり得ない。現に、攻撃範囲に入った尻尾や腕の先などはまだ再生している途中で、背から伸びた触手はその途中から全てが断たれている。だが、暴走体の本体、颯輔の体から一定の範囲内には、魔力ダメージを受けた形跡がまったく見られなかった。

 

『そんな、何でっ!? ちゃんと当たったんやろっ!?』

「複合、障壁……!」

 

 動転するはやてだったが、リインフォースはその答えを瞬時に導き出していた。

 防衛プログラムが誇る、魔力と物理ダメージを遮断する複合四層式障壁。今の攻撃でリインフォース達が破壊したのは、その一層でしかなかったのだ。触手が破壊できたことと、ナハトヴァールの根幹と思われる漆黒の大蛇がダメージを受けていたことから、障壁の類は展開されていないと思っていたのだが、それはあまりにも浅はかな考えだった。

 本体に攻撃を届かせるには、あと三層の障壁を破壊しなければならない。だが、こちらだけが一方的に攻撃できるわけではない。暴走体の攻撃を防ぎ、全ての障壁を突破し、その上で、ナハトヴァールが活動を停止するほどの魔力ダメージを与える必要がある。しかしそれも、確かな方法とは限らないのだ。

 もしも、それでも助けることができなかったならば――

 

『リインフォースっ、攻撃来るよっ!』

 

 下へ下へと向かう思考を、はやての声によって引き止められる。リインフォースは、眼前に迫る大爪を寸前で回避することに成功した。

 劣勢に立たされながらも、はやてはまだ微塵も諦めてはいない。己が内にいる主に感謝し、リインフォースは翼をはためかせる。失敗してしまったとしても、そのときはそのとき。また新たな方法を考えるだけだ。

 例え、激しい戦闘によって残された時間が磨り減ろうとも。

 八神颯輔を救い出すまでは、戦いを止めることは許されない。

 それが、リインフォースの誓い。

 

 

 

 

 特務四課の本部でもあるアースラは、第76無人世界エルトリアの軌道上に待機していた。現在アースラの指揮を執っているのは、オーダー分隊隊長にして四課の副部隊長でもあるリンディ・ハラオウン。ブリッジの艦長席に座るリンディの目は険しく、粗い映像を映し出すメインモニターに向けられていた。

 守護騎士の魔力反応を感知し、ギル・グレアムとリーゼ姉妹の主従で構成される四課の特記戦力――ストライク分隊がエルトリアに向けて出動してから、三十分ほど経過していた。

 グレアムの読みが当たっていたのか、はたまたそうなる『予定』だったのか、エルトリアには闇の書の主の姿があった。どこにでもいるような、柔和な顔立ちをした青年。それが、リンディが抱いた当代の主に対する印象だった。

 しかし、メインモニターにはもうその青年の姿など映し出されてはいない。そこに映るのは、人体の要素をほとんど失ってしまった化け物。ただあるがままに力を振るい、次元世界に災厄をもたらすロストロギア――闇の書の暴走体だった。

 グレアム達が最初に交戦していたのは守護騎士のシグナムとザフィーラだったが、ほどなくして主が闇の書の封印を解き、そして、暴走体へと姿を変えた。

 その後、協力とまでは言えずとも、シグナム達とは共同戦線を張って応戦していた。しかし、リーゼ姉妹とシグナム達は撃墜されてしまい、現在は治療を受けている。今現在戦闘を行っているのは、グレアムと、リンディを除くオーダー分隊。それから、協力を申し出てきたもう一人の闇の書の主、八神はやてとその騎士ヴィータだった。

 戦闘区域は魔力素の濃度が異常に高い値を示しており、距離のある現場との通信は不可能。サーチャーも影響を受けており、通常よりも不鮮明な映像でしか現場の様子を映し出せない。戦闘区域から外れてリーゼ姉妹とシグナム達の治療に当たっているユーノ・スクライアとシャマル、そして、アルフとのみ、辛うじて連絡が取れる状態だ。

 

「対象の再スキャン結果、来ました! ……うわー、リンディ副艦長の予想通り、対象の残存魔力量には一切の減少が見られませんね、ははは……」

「そう。ありがとう、エイミィ」

 

 乾いた笑いを漏らしている通信主任のエイミィ・リミエッタに、リンディはいつもと変わらぬ声音で返した。

 通常、魔法を行使する場合はリンカーコアが溜め込んだ魔力を消費する。リンカーコアは大気中の魔力素を体内に取り込んで蓄積するのだが、戦闘での消費量に対して回復量の方が上回るということは、まずあり得ない。魔法を行使するほどに相応の魔力を消費し、同時に疲弊しなければならないのだ。

 リンディが違和感を覚えたのは、クロノ達が戦線に合流してほどなくの頃だった。合流以前、暴走体は、リーゼ姉妹達を墜とすのにも大威力の魔法を連発していた。闇の書の情報を受け継いでいるのか、合流後もフェイトのファランクスを使用している様子さえ見られた。

 だが、それだけの魔法を行使しているにもかかわらず、活動停止する気配がまったくなかったのだ。

 12月11日の戦闘の分析結果、そして、リインフォースからの情報により、闇の書の主――八神颯輔の総魔力量は、グレアムを多少下回る程度だと判明している。Sランクオーバーと十二分に多いのだが、それでも、その程度ならば今頃魔力切れを起こしていなければおかしいのだ。

 八神颯輔には、高町なのはのように集束魔法の高い適正があったらしい。だが、集束魔法にも少なからず自前の魔力は必要だ。通信が阻害されるほどの魔力を周囲に振り撒いておいて、内在する魔力が一切減少しないということは、絶対にあり得ない。いくら高い値を叩き出そうとも残存魔力は数値として出ているのだが、その数値に変化は見られず、まるで、無限の魔力を持っているかのように錯覚させられた。

 

「向こうも薄々気づいているでしょうけど、一応、ユーノ君達にも伝えてもらえるかしら?」

「了解です。でも、こんなのどうやって……」

「暴走を止めることができず、封印も不可能ならば、残る方法は一つよ」

「アルカンシェル、ですか……」

 

 エイミィの問いとも言えない呟きに、リンディはその手に握り込んだ鍵の感触を確かめながら答えた。歴代の闇の書の主を幾度となく葬り去り、そして、リンディの夫、クライド・ハラオウンの命をも奪った管理局の魔導兵器――対艦反応消滅砲アルカンシェルの発射キーだ。

 封印が不可能であった場合を考慮し、保険として、アースラにはアルカンシェルが搭載されている。『闇の書事件』専用と化している兵器だけあって、暴走体を消し飛ばすことも不可能ではないだろう。決戦の舞台は都合が良過ぎることに無人世界だ。現地住民を避難させる必要もないため、許可が下りればいつでも決着はつく。

 今の状況に十一年前の光景を幻視したリンディの耳に、四課以前からの部下であるブリッジオペレータ、アレックスとランディの声が届いた。

 

「本局より入電! アルカンシェルの使用、承認されました!」

「転移ゲートは生きていますが、どうしましょうか?」

「……アルカンシェルの発射準備を。ただし、今はまだ待機よ。もう少しだけ、様子を見ましょう」

 

 些細な判断ミスが殉職という最悪のケースに繋がるような状態だが、それでもリンディは待機を選んだ。現場にいる者達は、暴走体を止めるために、そして、八神颯輔を救い出すために戦っている。アルカンシェルを自らの手で撃つという覚悟がないわけではないが、少しでも可能性があるのならば、リンディはそれに賭けたかった。

 リンディは、『闇の書事件』による被害者をこれ以上増やさないために四課に参加したのだ。思う所は合っても、闇の書の主をそのくくりから外すつもりなどない。

 指示を受けたスタッフが、アルカンシェルの起動に入った。

 その威力に比例して大量の魔力を消費するアルカンシェルの起動には、アースラの魔導炉のほとんどのエネルギーを供給しなければならない。それに伴い、アースラを覆う防壁が薄くなり、照明の何割かが消え、内部電源に回されるエネルギーが減少した。

 リンディの前に、アルカンシェルのトリガーたる赤い箱に収められた鍵穴が現れた。あとは、発射キーを挿入して回すだけで、今回の事件に終止符を打つことができる。

 連絡のつくユーノ達は幸いにも後方支援型で、転移魔法の心得もある。いざとなれば、ユーノ達に頼んで皆をアースラに避難させればいい。

 リンディが、そう考えていたときだった。

 メインモニターに映る暴走体、仮面に隠された顔が上を向き、左腕の漆黒の大蛇が大口を開けた。戦闘区域に漆黒の流星が流れ、大蛇の口の先へと集い始める。

 

「――なっ!? 対象、周囲の魔力の集束に入りました! アースラ、予測される射線上に入っています! 防御も回避も間に合いませんっ!」

 

 大きく膨れ上がる漆黒の球体に、エイミィが悲鳴を上げる。

 集束速度から見て、アルカンシェルを停止して防御、あるいは回避に移るほどの時間はない。現段階の集束魔力量から見て、リンディや武装隊がどうこうできるような攻撃でもなかった。サブモニターには暴走体を止めようとするグレアム達の姿があったが、範囲を広げた障壁がそれら全てを防いでいた。

 致命的なミスを犯してしまったことに、そして、ともかく行動を、と焦り立ち上がったリンディの視界、暴走体を映し出すメインモニターに、新たに二つの影が映り込んだ。

 白と黒のバリアジャケットをまとった少女達。高町なのはとフェイト・テスタロッサの二人が、アースラを守るかのように射線上へと飛び込んでいた。

 

 


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