夜天に輝く二つの光   作:栢人

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第二十三話 誓い

 

 

 巡航L級8番艦『アースラ』に本部を置く特務四課は、突然の事態に混乱していた。ここ数日はまったく動向が見られなかった闇の書の守護騎士の魔力反応を、ようやく捉えたのである。それも、一時は潜伏先の最有力候補と見られながら、しかし今現在は候補地から外されていた、第97管理外世界での反応だ。オーダー分隊の主力がクロノ・ハラオウンを除いてオフを取っている今、まさに寝耳に水の状態だった。

 四課のスタッフはギル・グレアムやリーゼ姉妹、クロノ・ハラオウンの指示に従い、捜査用の計器を忙しく動かしている。戦力の整っていない状態で、ブリッジには緊張が走っていた。

 

「守護騎士二体の転移反応、第76無人世界エルトリアへと向かっています!」

「探知防壁の類はないようですが……囮ということでしょうか?」

 

 これまでの守護騎士は転移の際に探知防壁を併用していたため、四課の捜査網を持ってしても反応を捉えることは困難だった。しかし、今回は違う。転移元から転移先まで分析が可能なのだ。まるで、誘ってでもいるかのように。

 実のところ、この事態はグレアムにとって、数日前から予定されていたものだった。

 第76無人世界エルトリア。『死蝕』と呼ばれる環境汚染に侵され、生命が生きることを許されない世界だ。かつては管理世界であったため、日常生活が困難となった住人は、ミッドチルダなどの別世界へと移り住んでいる。グレアムの知人にも、エルトリア出身の者はいた。この世界ならば、闇の書が暴走を始めたとしても大きな被害はない。

 そして、その場所を指定したのは、他ならぬグレアムだった。

 グレアムは、回線の繋がったディスプレイに映るリンディ・ハラオウンへと目を向けた。リンディにエイミィ・リミエッタ、高町なのはにフェイト・テスタロッサとアルフの五名は、地球のハラオウン邸に集まっていたところだ。タイミングは理想的とも言えた。

 

「話は聞いていたね、リンディ君?」

『はい。この誘い、決着をつけよう、ということでしょうか……?』

「おそらくは、ね。エルトリアへは私とリーゼが向かおう。君にはアースラの指揮を任せたい」

『わかりました。リミエッタ通信主任と共に、すぐにそちらへと向かいます』

「頼んだよ。代わりに、クロノをそちらに向かわせる。なのは君とフェイト君達には、クロノと合流して転移元地点の周辺を調査してもらいたい。捉えた守護騎士の反応は二体分。もしかしたら、もう二体が近辺に潜伏しているかもしれないからね」

『わかりました!』

『了解です、グレアム提督』

 

 目で合図をすると、力強く頷いたクロノが転移ゲートへと走り出した。リンディの姿が消えたディスプレイにはなのはとフェイトが映っており、グレアムの命令に了承を示している。武装局員はアースラの護衛として残すため、エルトリアへと向かうのは全てを知るグレアムとリーゼ姉妹だけとなった。

 グレアムも出撃するべく艦長席から立ち上がると、ディスプレイに金髪の少年が映り込んだのが目に入る。今日一日は休暇を取って地球へと渡航しているらしい、ユーノ・スクライアだった。

 

『あの、グレアム提督っ! 何か出来ることがあれば、僕にも協力させてください!』

 

 なのはとフェイトの前に立ち、真っ直ぐにグレアムを見据えてくるユーノ。そこには、想いの込められた真剣な目があった。

 ユーノは四課に直接所属しているわけではないが、クロノの伝手で何度か協力してもらっている。調べ上げた情報は、有用なものばかりだった。さらに、結界魔導師としての資質も高く、戦力としては申し分ない。その知識量からも、イレギュラーが起こったときには頼りになるだろう。

 ただ懸念すべきは、いくらか有能過ぎる点か。戦力増強は歓迎できるが、あまり動き回られるのは好ましくない。

 断る理由はいくらでも考えられたが、ユーノの見せる目がかつての部下に重なり、グレアムは頷きを返した。

 

「いいだろう。臨時協力者として、なのは君達と行動してくれたまえ。君の結界魔法は優秀だと聞いている。その資質を活かし、皆を支えてもらいたい」

『はい! ありがとうございます!』

 

 深く頭を下げるユーノを尻目に、グレアムは今度こそ足を踏み出した。リーゼロッテとリーゼアリアの二人が、音もなくその後に続く。ギル・グレアムとリーゼ姉妹、時空管理局が誇る最優の攻撃オプションだ。

 目指す先、転移ゲートが輝き、リンディとエイミィの姿が現れる。通路脇に避けてグレアム達に道を譲った二人は、直立して敬礼をしてきた。

 

「ご武運を」

 

 長きに渡り次元世界に災厄をもたらし続けてきたロストロギア『闇の書』、その歴史に今度こそ終止符を打つ。十一年の時を経て、過去にケリを着ける時が来たのだ。

 リンディの声援に黙って敬礼を返し、グレアム達は転移ゲートへと乗り込んだ。

 

 

 

 

 転移を終えた八神颯輔達を待っていたのは、終わってしまった世界だった。

 草木が見られず、ひび割れ枯れ果てた大地。汚染されているのか、海は毒々しい色に染まっていた。空は一面が灰色の雲に覆われ、恒星の光を遮っている。乾燥した空気が、喉に絡みついて痛かった。

 ここまで酷くはなかったが、ベルカの世界に似通った光景に、感慨深い気持ちを抱く颯輔。フードを取って風に吹かれると、記憶の世界に迷い込んでしまったかのようだ。まさに、終わりを迎えるに相応しい世界だ。

 

『将、狼もこちらへ』

 

 闇の書から管制人格の声があり、辺りを警戒していたシグナムと人間形態のザフィーラが、颯輔の傍へと寄る。三人の足元に魔法陣が現れると、深紫の魔力光がその姿を包み込んだ。

 用心のためです、と言う管制人格に、颯輔は黙って頷いた。

 これから対峙するのは、執念の塊と言ってもいい者達だ。警戒を重ねるに越したことはない。誠実に見える手合いにこそ細心の注意を、というのが管制人格からの進言だった。颯輔としても、その言葉に異論はない。なぜなら、ギル・グレアムはこれまでの間ずっと、何も知らない颯輔達を欺き続けてきたのだから。

 

「どうやらお目見えのようです」

「颯輔、我らの後ろに」

 

 その気配をいち早く察知したシグナムとザフィーラが、颯輔を後ろに庇って前に出る。その向こう、10メートルほど離れたところに、藍色の光が生じた。ミッドチルダ式の転移魔法陣だ。

 魔法陣から現れたのは、直接会うのは随分と久しい相手。名目上は颯輔達の保護者となっている、ギル・グレアム。そして、リーゼロッテとリーゼアリアを加えた三人だった。

 グレアムは白いスラックスに紺色のジャケットという出で立ちだが、管制人格が念話により告げてくる解析結果によれば、それらはバリアジャケットだという。ロッテとアリアが着ている黒い制服も同じらしく、動こうと思えばいつでも動くことのできる状態のようだった。

 グレアムの静かな目からは、感情は読み取れない。しかし、ロッテとアリアが向けるそれには、確かな憎悪の念が込められていた。過去にグレアムの邸宅を訪れたとき、二匹の飼い猫がまったく懐いてくれなかった理由も、今となっては理解できる。『闇の書の主』は、グレアム達の部下の命を奪っているのだから。

 少しの間、シグナム達とロッテ達の間で睨み合いが続く。そのプレッシャーの中でも、颯輔の鼓動は奇妙なほどに落ち着いていた。

 続いた沈黙を破ったのは、颯輔からだった。

 

「ようやくお出ましか、管理局。待ちくたびれたぞ?」

「……君が、闇の書の主で間違いないのだな?」

「察しろよ。それとも、この手に持ってるのが飾りに見えるのか?」

 

 白々しく滑稽な演技に笑いそうになってしまう。颯輔はそれを嘲笑に変えて顔に貼り付け、右手に持った闇の書をグレアム達に晒した。

 ギリ、と歯の鳴る音がロッテとアリアから聞こえてくる。役に入り込んでいる、というわけではないのだろう。ロッテなどは、今にも飛び出さんばかりの勢いだった。

 

「それで、その闇の書は完成しているのかしら? それとも、そこのお人形二体で完成とか?」

「我らの魔力など、真っ先に捧げている」

 

 アリアの挑発を、ザフィーラが涼しい顔で受け流した。それを受け、グレアムを除いた二人の表情が驚愕に染まる。シグナム達からの蒐集が済んでいることに気がついてはいなかったのか、それともその可能性はゼロだと判断していたのか。

 もっとも、過去に蒐集をされたシグナム達は、全ての魔力を奪われて消滅していた。そのことを知っていたのならば、ロッテとアリアの反応も頷ける。

 しかし、それは最後に蒐集された場合の話だ。シグナム達は、闇の書とその主を守る騎士。役目を終えた後ならばいざ知らず、自己を守ってもらわなければならず、また、魔力を蒐集してもらわなければならない状態の闇の書ならば、守護騎士を消滅させるなどあり得ないのだ。

 

「……主よ、最後の蒐集を」

「ご苦労だったな、シグナム。闇の書、蒐集を始めろ」

《Sammlung.》

 

 魔法生物から奪い、保存していたリンカーコアを差し出すシグナム。颯輔はシグナムに見向きもせず、ただただ冷たい声音で命令を下した。

 管制人格のものではない機械的な音性が上がり、闇の書が蒐集を始める。白紙の頁はたったの6頁。最後の蒐集は、あっけなく終了した。

 ドクン、と闇の書が脈打つ。それに同期して胸に鈍痛が走るも、颯輔が表情を変えることはなかった。この程度の痛みなど、まだまだ序の口にすぎない。本番は、これから始まるのだ。

 

『……始めるぞ』

『将、狼。主の守護は任せた』

『どうか、ご無事で……』

『ご武運を』

『ああ。……グレアムおじさん、もしものときはお願いします』

『わかっている』

 

 念話を手短に済ませると、闇の書が颯輔の手を離れ、独立飛行を始める。目線の高さまで浮かび上がった闇の書に、颯輔は静かに告げた。

 

「闇の書、全ての封印を解除しろ」

《Freilassung.》

 

 ――瞬間、グレアムの足元が瞬いたかと思いきや、藍色の砲撃魔法が放たれた。デバイスの補助がないにもかかわらず、展開速度も威力も並の魔導師では足元にも及ばない領域に達している。

 恐るべき速度で迫る魔力の奔流はしかし、颯輔達の左側を通過していった。

 やっぱり裏切った。

 薄れゆく意識の中で、颯輔は諦観の念を抱いていた。

 事前の交渉では、闇の書の制御に失敗したとき、颯輔ごと封印する手筈になっていた。それが、封印できる状態となった途端にこれだ。用心のためにかけた認識阻害の魔法が、正しくその役目を果たしてしまった。

 

「――させんッ!」

「このッ!」

 

 颯輔の背後では、シグナムとロッテがぶつかり合っている。

 短距離瞬間移動者にとって10メートルの距離などないに等しい。しかし、積み重ねた経験と知識からその戦法を熟知し、仕掛けるタイミングを正確に割り出していたシグナムに、ロッテの試みは通用するはずがなかった。

 

「颯輔! 今のうちに――ぐううっ!?」

「墜ちなさいッ!」

 

 颯輔の前方では、アリアの射砲撃に障壁を張ったザフィーラが必死に耐えている。

 前回の戦闘では、アルフがザフィーラとの近接戦を繰り広げているにもかかわらず、アリアの援護射撃は正確にザフィーラだけを狙っていた。例え味方が間近で戦闘をしていても、敵だけを攻撃する技術がアリアにはあるのだろう。ザフィーラとて生半可な攻撃などは全てを防ぎきる技量はあるが、ここにグレアムが加われば持ちこたえることは難しいはずだ。

 激戦を強いてしまう二人に心の中で謝り、颯輔は目を閉じる。

 深紫の魔法陣が輝き、エルトリアの天地を光の柱が貫いた。

 

 

 

 

 八神颯輔がもう一度目を開けると、そこにはシグナム達の姿もギル・グレアム達の姿もなかった。エルトリアの空よりも暗い闇が揺蕩う外界から閉ざされた空間、闇の書の内部だ。

 目を凝らしてみると、少しだけ離れたところに管制人格の姿があった。固く目を閉じ、集中しているように見える。足元には、深紫の魔法陣が光り輝いていた。きっと、防衛プログラムが暴走を始めてしまうのを必死に食い止め、また、はやてがこの場に招かれないようにしているのだろう。現実世界では数瞬のことでも、時の流れの違うここならば重要な意味を持つ行為だ。

 管制人格に歩み寄ろうとして、颯輔は体が軽いことに気が付いた。試しに左手を動かしてみると、固い握り拳を作ることも、腕を思うとおりに持ち上げることもできた。どうやら、闇の書が完成したことで侵食を受けていた体が元に戻ったらしい。これではやても、と安堵を覚えつつ、颯輔は管制人格の傍へと進んだ。

 

「主颯輔……」

「ナハトの様子は?」

「今にも目覚めそうですが、何とか食い止めております。やはり、あまり長くはもちません……」

「そっか……」

 

 颯輔が問いかけると、管制人格は左手首の腕甲を撫でながら、悲痛な面持ちで答えた。

 闇の書の防衛プログラム、その正式名称を、ナハトヴァールと呼ぶ。夜天の魔導書とその融合騎を守ることを究極の命題としており、魔導書が完成するまでは、その機能の全てを持ってして主と魔導書の存在を存続させようとする。暴走状態にあるナハトヴァールこそが、全ての元凶とでも言うべき存在だった。

 左手を伸ばした颯輔は、管制人格の左手を取った。続けて、装着している腕甲――待機状態のナハトヴァールに右手を伸ばすと、管制人格は逃げるように左手を引いてしまう。その微かな抵抗を、颯輔は許さなかった。

 

「主颯輔、やはり私も――」

「――ダメだ。もし、それでも失敗したら、はやてまで連れていくことになる。それだけは、何があっても許さない」

「しかし……!」

「頼りないかもしれないけど、あとは俺に任せておいてくれ。……さあ、こっちだ。おいで」

 

 明確な拒絶を示した颯輔は、今度こそ管制人格の左手を引き寄せ、ナハトヴァールを一撫でした。すると、腕甲として待機状態にあったナハトヴァールの姿が一匹の蛇へと変化し、繋がれた手をつたっていく。颯輔の左手首に巻きついた蛇は、元の腕甲の状態へと戻った。

 本来、ナハトヴァールには主を個体認識する機能はない。覚醒後に自身の力を振るうための器として主を必要としているだけであり、覚醒前に主を守護しているのもそのためだ。その力の一片に触れることを許されているのは、同じステージに立つ管制人格のみである。

 だが、もしもナハトヴァールの力を振るうに相応しい人物が現れたのならば。

 例えば、ナハトヴァールとほぼ同一の魔力波長を持つ者が現れたのならば。

 永遠とも言える時を越えて巡り会った、限りなくゼロに近い可能性。

 それが、八神颯輔という存在だった。

 闇の書の意志とも言える管制人格が選んだ主は、夜天の魔導書の力を振るうに相応しい人物、八神はやて。そして、闇の書の防衛プログラムであるナハトヴァールが選んだ主は、自身の力を振るわせるに相応しい人物、八神颯輔。八神颯輔の下に闇の書が転生したのは、闇の書の正統な主である八神はやてが、まだ母体の中にいたからに過ぎなかった。

 すなわち、闇の書の暴走を、ナハトヴァールの暴走を止められるのは、絶望の運命を断ち切ることができるのは、八神颯輔をおいて他にはいない。

 しかし、現実はそう甘くはない。

 漆黒の魔力光を放つ魔法陣が颯輔の足元に浮かび上がり、切れかけた電球のように明滅する。ナハトヴァールの暴走を抑え込もうとする颯輔の意志と、颯輔を取り込み暴走しようとするナハトヴァールの意志がせめぎ合っていた。

 颯輔の左手首に装着されたナハトヴァールの拘束が、万力を締めるように強くなっていく。それはまるで、獲物を絞め殺さんとする蛇のようでもあった。

 

「っ、あぁっ……!」

「主っ!? そんな、まさか……!」

「は、はは……やっぱ、そう上手くはいかないか……」

 

 痛みを誤魔化しきれず、颯輔の表情が歪む。しかし、慌てて体を支えてくる管制人格に、颯輔は脂汗を浮かせながらも笑ってみせた。

 颯輔には、確かにナハトヴァールの力を振るう資質がある。だがしかし、資質があったとしても、力量が伴わなければ制御することなど到底できない。管制人格でさえ完全には制御できなかったのだ。最初から、資質だけでどうこうなるような話ではなかったのかもしれない。そもそも、資質があるだけで制御できるような生温い代物ならば、『ロストロギア』などと呼ばれはしないだろう。

 力を振るわせる器を得たナハトヴァールは、颯輔の制御を受け付けずに暴走を始めようとしていた。

 だがそれでも、自分一人の犠牲だけで家族が助かるのならば。

 

「早く、俺とナハトを魔導書から切り離してくれ。俺じゃ抑えきれない……!」

「……っ! 管理者権限を行使します。どうか、無力な私をお許しください……!」

 

 訪れた最悪の事態に、管制人格は涙を溢れさせながらも事前に取り決めていた役目を全うした。

 ナハトヴァールの侵食対象が魔導書から颯輔へと完全に移った今、管理者権限を行使できるのは、管制人格のみである。ナハトヴァールの干渉を受けないのならば、魔導書の構造に手を加えることも容易い。管制人格は、魔導書を構成する要素からナハトヴァールを取り除くことに、そして、颯輔を主の席から排斥することに成功した。

 颯輔の中で、これまで繋がっていたものが寸断される感覚があった。闇の書の精神リンクが絶たれたのだ。今まで手に取るように伝わってきた管制人格達の感情が、心に流れ込んでくることはもうない。しかしそれでも、今の管制人格の心情だけは理解できた。

 

「結局お前は、最初から最後まで泣いてばっかりだったな……」

「いったい誰の所為だと思っているのですかっ……!」

「……ごめん」

 

 力が入らず倒れ掛かる体を、管制人格にもたれる形で支えられる。密着した管制人格の体と、背中に回された腕だけが、颯輔の冷えていく体に熱を与えていた。

 颯輔の身体が闇に解け始め、管制人格の身体は光に包まれていく。残された時間は、あと僅かだった。

 

「そういえば、ずっと考えていたことがあったんだ」

「今はナハトを制御することだけを考えてくださいっ!」

「シグナムは剣の騎士で、烈火の将。ヴィータは鉄槌の騎士で、紅の鉄騎。シャマルは湖の騎士で、風の癒し手。ザフィーラは盾の守護獣で、蒼き狼だろ?」

「主颯輔ぇっ!」

 

 泣きじゃくる管制人格の叫びを聞き流し、颯輔は言葉を続ける。重い身体に鞭を打って管制人格の背に腕を回すと、ナハトヴァールから赤い紋様が伸びているのがわかった。今はもう、身体を走る痛みすら感じられない。

 

「守護騎士達はちゃんと名前も異名もあるのに、お前だけ管制人格とか融合騎っていうのは、何か不公平だと思ってさ。実は、名前を考えたりもしてたんだ」

「今は聞きたくありませんっ! 私に名前をくださるというのなら、現実世界でもう一度会ってからにしてくださいっ! このような、別れの言葉などで授かっても……!」

「これでも、結構頑張って考えたんだからな? そんなこと言わないで、受け取ってもらえたら嬉しいんだけど……」

「わかりました……わかりましたから……ですから、どうか……!」

「幸運を運ぶ翼――祝福の風。夜天の騎士、リインフォース。……嫌か?」

「嫌なわけがないでしょう……! 貴方に出会えたこと、貴方に仕えられたこと、家族に恵まれたこと、名を与えられたこと……これほど幸福な時間など、他にありません……!」

「大袈裟だなぁ。これからもっと幸せな時間が待ってるんだから、だから、最後くらいは泣き止んで笑ってほしいんだけど? 図々しいようだけど、はやてとシグナム達のことも頼みたいんだから」

「そんなこと……! 貴方のいない世界で私が、烈火の将が、紅の鉄騎が、風の癒し手が、蒼き狼がっ……誰より主はやてが、笑えるとでも思っているのですかっ!?」

「…………」

 

 怒りに燃える真紅の瞳に正面から射抜かれ、颯輔はそれ以上の言葉を紡げなくなってしまった。

 すでに二人の身体は胸元までが消失してしまっている。間もなく、別れの時が訪れるのだ。

 

「必ず……必ずや貴方を救ってみせます。ですから貴方も、諦めずに足掻き続けていてください。私と騎士達を永遠の呪縛から解き放ったように。主はやての死の運命を覆したように。主の死よりも後に壊れるなど、夜天の魔導書の名が許しません」

「今の自分の状態をわかって言ってるのか? そんなことをしたら……それに、俺はもうお前の主じゃ――」

「――わかっていますよっ! 壊れかけた私が力を振るえばどうなるかなど、わかっていますとも! それでも私は……私は、夜天の魔導書の名に……そして、リインフォースの名に懸けて誓います。我が生涯の主たる八神颯輔を救い出し、皆が望む未来を手に入れてみせると」

「…………ああ、待ってるよ」

 

 リインフォースが見せるかつてないほどの熱に、颯輔は深い溜息をついた。

 額を突き合わせた颯輔は、儚く笑って降参の宣言をする。リインフォースは涙を流しながらも、最後には微笑んで見せてくれた。

 優しい笑顔が光に消え、颯輔一人きりが残される。自身の存在が完全に消えゆくのを感じ、颯輔はゆっくりと目を閉じた。

 

――やっと会えましたね、颯輔。

 

 誰かの声を最後に、颯輔の意識は深い闇へと飲まれていった。

 

 

 

 

 身体強化の魔法に関して言えば、ミッドチルダ式よりもベルカ式の術式の方がずっと優れている。青色の魔力光をまとう蹴りを辛くも受け止めたシグナムは、そのままリーゼロッテを投げ飛ばした。

 敵が体勢を崩したのならば、その隙をつかない道理はない。しかし、その相手が短距離瞬間移動の使い手ともならば、話は変わってくる。ロッテには、体勢も間合いも関係ないのだ。

 吹き飛んでいたロッテの体が、その場から忽然と消失する。微かな風切り音と小さく漏れる吐息を聞きとめたシグナムは、振り向きざまにレヴァンティンを振り抜いた。

 鋭い剣閃が、何もない空間を斬り裂く。寸前まで確かにそこにいたはずのロッテは、シグナムの視界の下方、地面にしゃがみ込むようにして拳を振りかぶっていた。

 

《Panzergeist.》

「――ぎぁっ!?」

 

 青い線が走り、ロッテの拳がシグナムの甲冑に突き刺さる。防御魔法を発動したにもかかわらず、殺しきれなかった衝撃がシグナムの腹部に響き渡った。ロッテが放ったのは、障壁破壊の術式が乗せられた攻撃だった。

 込み上げてきたものを飲み下し、ふらつく体を気合で支えたシグナムは、ロッテの腕を掴んだ。かまわず顎を狙ってくるフックをスウェーバックでかわし、そのまま頭突きを叩きこむ。一瞬昏倒したロッテを、続けて容赦なく蹴り飛ばした。

 今のは確実に入った。

 確かな手応えを感じたシグナムはすぐさま踵を返し、高速移動魔法フェアーテを発動して地を蹴った。次の標的は、颯輔を庇うザフィーラを攻め立てているリーゼアリアだ。

 濃密な闇の書の魔力に満たされた戦域に、新たな魔力の高まりを感じる。シグナムが目をやった上空で、白銀の杖を展開したギル・グレアムが、初撃よりも遥かに強力な魔法を発動しようとしていた。

 

「ザフィーラッ!」

「鋼の軛ッ!」

 

 シグナムの呼び声に呼応し、障壁の展開を中断したザフィーラが咆哮を上げる。大地より伸びた白き拘束条がグレアムの魔法を中断させ、その代償に、アリアの射撃魔法がザフィーラに集中した。

 ザフィーラが青色の魔力弾に晒されるのを確認しながらも、シグナムが進路を変えることはなかった。あの程度で倒れるザフィーラではなく、そして、助けるならば元を絶った方が早い。

 

《Explosion.》

 

 ザフィーラを、そして、その奥の颯輔を狙い続けているアリアに、シグナムは真横から接近する。炎をまとわせ振り下ろしたレヴァンティンで、アリアを一刀両断にした。

 

「残念、ハズレだ」

 

 両断したはずのアリアが像が霧散し、青色の魔力光となって散る。後方からシグナムの耳を打った声はアリアのものではなく、もう一人の使い魔のものだった。

 振り返った先にいたのは、砲撃魔法の展開を終えたロッテ。

 

「ブレイズキャノンッ!」

《Panzerschild.》

 

 放たれた砲撃に、シグナムは咄嗟に防御魔法を展開した。ラベンダー色の盾の範囲を除き、シグナムの周囲が青に染まる。

 ロッテも純粋な近接型で、射砲撃はないと管制人格から聞かされてはいたが、十一年の間に練磨を積み重ねていたらしい。シグナムは、砲撃を防御するので手一杯だった。

 まずい、と周囲の状況を確認すると、晴れた砂煙の向こうに、多少のダメージを受けた様子のザフィーラの姿があった。颯輔は未だ魔力の柱の中にいるが、ザフィーラがいるのならば無防備というわけではない。

 そう安堵できたのも、一瞬のことだった。

 ザフィーラが藍色をした特大の砲撃魔法に飲み込まれ、同時に、背中を突き抜ける衝撃がシグナムを襲った。

 青色の魔力紐が、シグナムを拘束していく。

 

「行くよ、ロッテッ!」

「おうよ、アリアッ!」

「しまっ――がああああっ!?」

 

 短距離瞬間移動の異様な機動による連撃、豪雨のように降り注ぐ射撃魔法。双子の使い魔による連携攻撃が、身動きの取れないシグナムの体を容赦なく撃ち付ける。全身に響く痛みが、シグナムの意識を刈り取ろうとしていた。

 

「ミラージュ――」

「――アサルトォッ!!」

 

 蹴り足に込められた過剰魔力が炸裂する。ろくな防御もできずに直撃を受けたシグナムは、無様に地面を転がった。

 岩壁へと強かに体を撃ち付け、ようやく停止する。体中を激痛が走り、気を抜けば今にも気絶してしまいそうだった。

 しかし、満身創痍ながらも、シグナムはレヴァンティンを離すことだけはしなかった。

 誓ったのだ。

 何があっても、八神颯輔を守ってみせると。

 四肢に魔力を通し、重い身体を持ち上げる。レヴァンティンを杖代わりにすることで、ようやく立ち上がることができた。見れば、あれだけの砲撃を受けたザフィーラも、ボロボロの状態で立ち上がろうとしていた。

 ロッテとアリアにしても、シグナムとザフィーラが与えた分のダメージはしっかりと残っているようだった。膝に手を突き肩で息をしている二人が、忌々しそうにこちらを睨んでいる。グレアムだけが、悠々と上空に留まっていた。

 闇の書の封印を解いた颯輔は、未だに反応を見せない。グレアムの封印魔法はそれ相応に大規模なものらしく、何とか妨害を続けてこられたが、これ以上は難しい。ロッテとアリアほどの実力者の相手も、片手間でできるようなものではなかった。

 上空で、大規模魔法陣が再び展開される。グレアムは、颯輔が闇の書の暴走をどうこうする前に、つまり、確実に封印が可能であるうちに封印してしまうつもりらしかった。

 させるものか、と動き出そうとしたところで、状況に変化が訪れる。立ち昇っていた膨大な魔力の柱が、突如として消失したのだ。

 

「颯輔っ!」

「ご無事ですかっ!?」

 

 中から現れた颯輔は、元の姿のままだ。闇の書の暴走体は、蒐集した生物を掛け合わせた醜い姿だと聞いている。ならば、人の姿を保っている颯輔は、暴走を食い止めることができたということ。

 颯輔の姿を見とめ、グレアムの術式が止まる。ロッテとアリアも、次の動きを待っているようだった。

 シグナムとザフィーラの呼び声に、俯いていた颯輔の顔が上がる。そこにあったのは、一切の感情が消え去った能面のような表情だった。

 

「そう、すけ……?」

 

 颯輔の手に闇の書は――いや、夜天の魔導書はない。もしも管制人格と融合して容姿が変化しているのならば、管制人格の身体的特徴が出ているはずだ。

 では、どうして颯輔の眼は暗い金色に染まっているのか。

 どうして、颯輔の温かい心がもう感じられないのか。

 ローブの袖の下、颯輔の左腕の体積が肥大し、ぐちゃぐちゃと蠢く。そこから這いずり出てきたのは、巨大な漆黒の蛇だった。

 

 

 

 

 フェイト・テスタロッサは、雪がちらつき始めた海鳴の空を飛んでいた。編隊の先頭を行くは、特務四課オーダー分隊副隊長であるクロノ・ハラオウン。同分隊の高町なのは、フェイト、アルフ、そして、臨時協力者となったユーノ・スクライアが、クロノに続く形だ。

 フェイト達はハラオウン家にてクリスマスを祝っていたが、そこにアースラからの緊急通信が入り、休暇を返上して出動している。初めてのイベントを潰された形となってしまったが、フェイトの本職はあくまでも管理局員だ。多少思うところはあっても、愚痴を漏らすことはない。むしろ、日常生活を送る海鳴市で問題が発生したことこそが、フェイトの使命感を駆り立てていた。

 しかし、使命感以上に感じているのは、焦燥感だ。フェイト達が目指している守護騎士の魔力反応があったという場所は、海鳴大学病院。そこは、フェイトの友人が入院している場所でもあった。

 

「フェイト、何か心配事でもあるのかい?」

「ううん、何でもないよ、アルフ」

「フェイトちゃん……?」

「なのはまで……。本当に何でもないから、気にしないで」

 

 精神リンクからフェイトの焦燥を感じ取ったのか、アルフが声をかけてくる。どころか、なのはにまで気を遣わせてしまった。

 作戦行動中に他のことを考えるのはよろしくない。微笑を作って二人に答えたフェイトだったが、しかし、嫌な想像は止まらなかった。

 フェイトの友人である八神はやてが、もしもこの事件に巻き込まれでもしたら。

 視界の先に、海鳴大学病院を捉える。そこには、ベルカ式の封鎖結界が張られていた。

 

「オーダー分隊、これより結界内に突入する。各員、互いをカバーすることを忘れるな」

 

 クロノへ頷きを返し、フェイトはバルディッシュの柄を強く握り込んだ。

 解析の結果、結界は内に閉じ込めるタイプの術式。アースラのエイミィからは、そう聞かされている。つまり、これは明らかな罠だ。

 しかし、時空管理局の性質上、罠だとわかっていても放っておくことはできない。四課の最高戦力が動いた今こそが、決着の時だった。

 紅の障壁を越え、結界内へと突入する。すかさず周囲を警戒するも、予想された攻撃はやってこない。結界内は、不気味なくらいに静まり返っていた。

 

「何だぁ? 誰もいやしないじゃないか」

「現にこうして結界が張られているんだ、そんなはずがないだろう。なのはとフェイトは僕と周辺警戒。ユーノとアルフは広域探査を頼む」

「うん、わかった」

「はいよー」

 

 病院の屋上に降り立つと、ユーノとアルフが広域探査の術式を発動する。フェイトとなのは、クロノの三人は不意打ちに備え、デバイスを構えて辺りを見回していた。

 しかし、いつまで経っても守護騎士は姿を見せない。クロノの言うとおり、紅の封鎖結界が展開されている以上は、少なくともヴィータがいるはずだ。ギル・グレアム達が追っているのはシグナムとザフィーラだと報告を受けていたため、シャマルもこちらにいるはずだろう。シャマルのサポート受けたヴィータが、と予想できたが、五対二ではさすがに慎重にならざるを得ないのか。

 フェイトは意図的に思考を続け、ざわつく心を無視する。しかし、ユーノとアルフの報告が、フェイトの願いを打ち砕いた。

 

「……見つけた。病院の中に、ヴィータとシャマルの反応があるよ」

「あいつら、三階の南東、端っこの方にいるみたいだぞ?」

「そんな……!」

 

 アルフが告げる場所、そこはまさに、はやての病室のあたりではないか。

 

「クロノ、今すぐそこに行こう!」

「落ち着けフェイト。いったいどうしたというんだ?」

「落ち着いてなんかいられないよっ! はやてが蒐集されちゃうかもしれないんだよ!?」

「はやてって、この前お見舞いに行った子のことかい?」

「はやてちゃんって、八神はやてちゃん!? あの、入院してるっていう!?」

「その子も魔力を持っているっていうこと?」

「それはわからないけど……でも、そのあたりの病室にはやてがいて……とにかく、はやてを助けに行かないと!」

 

 見舞いに行ったとき、そこまで注意をしていなかったフェイトには、はやてが魔力を持っているかなどわからない。しかし、その可能性があるのならば、闇の書を完成させないためにもはやてを助けなければならない。誰かが目の前で蒐集されてしまうのを見るのは、もうたくさんだった。

 

「……わかった。そういう事情ならば、ここで状況が動くのを待っているわけにはいかないな。僕が先頭を行く。屋内へ突入するぞ」

 

 何かを考えるようにしていたクロノだったが、ほどなくして頷きを返してくれた。普段は寡黙だが、その実クロノは正義感に厚い。そのクロノが、民間人に迫る危険を見過ごすはずがなかった。

 クロノを先頭に、屋上の出入口から屋内へと突入する。夜の病院、それも、結界に隔離されて誰もいないという状況が、少しだけ不気味だった。

 狭苦しい廊下を飛行魔法で進む。廊下の中ほどまで進むと、クロノから念話が送られてきた。

 

『……フェイト』

『何、クロノ?』

『酷なことを言うようだが、その少女が蒐集される側ではない可能性も考えておくんだ』

『…………うん』

 

 クロノから、自分が必死に否定しようとしていることを突き付けられた気がした。よくよく考えなくても、これまでのことを考えれば全てが繋がるのだ。

 フェイトとなのはが海鳴市で蒐集を受けたこと。

 海鳴市に転移魔法の痕跡が集中していたこと。

 海鳴市で大規模捜査を行ったときにのみ、守護騎士が現れたこと。

 そして今、ここに結界が展開されていること。

 闇の書の主は、やはり海鳴市に潜伏しているのだ。そしてその正体はきっと、フェイトの知っている人物。

 

『……ここだ。ユーノは防御魔法の準備を。アルフ、扉を開けてくれ』

『任せて』

『オーケー。皆、気を付けるんだよ』

 

 目的の場所に辿り着くと、中から聞き覚えのある少女の声が聞こえてきた。室名札に記されているのは、『八神はやて』という文字だった。

 クロノの指示で、アルフがスライドドアに手を掛ける。防御、回避、捕縛のいずれの対応もできるように備え、フェイトはアルフに視線を送った。

 アルフが、勢いよくスライドドアを開ける。

 

「時空管理局だ! 全員その場から動くな!」

 

 攻撃はない。戦闘を行うには狭すぎる病室になだれ込む。クロノの名乗りに、病室にいた三人の目が、フェイト達に集中した。

 

「へ……? え、フェイト、ちゃん?」

「はやて……!」

 

 ベッドの上で体を起こしている、八神はやてと目が合う。騎士甲冑をまとってすらいない、地球の私服姿のヴィータとシャマルが、はやてを庇うように立ち塞がった。

 ヴィータもシャマルも、デバイスは展開していない。静かに間に立つだけで、抵抗する様子は見られなかった。

 この場に予想されたはやての兄、八神颯輔の姿は、ない。

 

「信じてもらえないだろうけど、暴れたりはしねーです。あたしら、管理局に投降するつもりですから」

「ですから、どうかデバイスを下してください。それから、この子の保護をお願いします。この子は、今回の事件に巻き込まれただけの被害者なんです」

「待って……待って! ヴィータもシャマルもさっきから何言っとるんや! ちゃんと説明してくれへんとわからんやろ! フェイトちゃんまで突然現れて、もうわけわからんわ! ……お願いやから、何が起こってるのかちゃんと聞かせて!」

 

 深く頭を下げるヴィータとシャマル。そして、説明を要求するはやて。予想外の展開に、フェイト達は警戒を続けながらも困惑した。

 演技の可能性は捨てきれないが、一切の武装を放棄しているヴィータとシャマルの姿には、説得力がある。今にも泣き出してしまいそうなはやても、一芝居しているようにはとても見えない。ただ、ヴィータとシャマルの存在を以前から知っていたような口ぶりだった。

 前回の戦闘で、ヴィータ達は闇の書の異常を自覚しているかのような発言をしていた。はやてのことを主ではなく被害者と称したのだから、それで間違いはないだろう。

 しかし、蒐集は行っていたわけで、自覚があるのならば、その行動には矛盾が生じる。蒐集の先には、破滅しか待っていないのだから。

 それとも、管理局の把握していない情報がまだあるということか。

 

「……投降するつもりならば待機状態のデバイスをこちらに投げろ。話は聞かせてもらうが、まずはそれからだ」

「…………」

「ヴィータちゃん、大人しく従いましょう」

「……わかった」

「ヴィータ! シャマ――っ!?」

「はやてっ!?」

「はやてちゃんっ!?」

 

 クロノの要求にヴィータ達が応えようとしたとき、異変は起こった。

 はやてが息を飲み、表情を苦悶に歪めて胸を押さえ込む。それと同時、今まで微塵も感じられなかったはやての魔力が、急激に膨れ上がった。その総量は、この中では最も多いフェイトとなのはをも上回るだろうほど。感覚だけでもSランクオーバーは確実。ともすれば、グレアムにも匹敵するほどだった。

 そして、深紫の魔力光を放つ、ベルカ式の転移魔法陣が床に描かれた。

 

「やはり罠だったか!」

「違うっ! あたしらは何もしてねえっ!」

「待ってください! これは、そうじゃなくて!」

 

 フェイト達がデバイスを構え直し、拘束魔法を発動しようとするのと、転移が完了したのはまったくの同時だった。

 転移魔法陣から現れたのは、スリットの入った黒いローブをまとった女性。闇の書の主のように正体を隠すものではなく、腕部は雪のように白い肌を露出していてフードもついていない、体型に合わせたタイプのローブだった。

 真紅の双眸がフェイト達を射抜く。銀色の長髪が、薄暗い中でも輝いているように見えた。

 

「ストラグル――そんなっ!?」

 

 ユーノの驚愕の声。

 銀髪の女性もまとめて拘束を、とフェイトが思考をした途端、深紫の拘束魔法に捕縛される。クロノ達も同じく、行動を起こす前に全員が捕えられてしまっていた。

 術式を起こすのは明らかにこちら側が早かったはず。それを凌駕できたのは、おそらく、相手がデバイス――闇の書の管制人格であるからだろう。そちらの速度では、人間が敵う相手ではない。

 術式の破壊を試みるも、その上から更なる拘束魔法が重ねられ、四肢の動きを完全に封じられる。外から誰かの助けがあるのならば変わってくるが、こちらの全員が個別に拘束されている以上、抜け出すことは困難を極めた。

 ユーノが調べ上げた情報、その画像の一枚に写っていた管制人格は、何事にも無関心でいるかのような、静かな顔をしていた。だが、目の前に立つ彼女は、この場にいる誰よりも焦っているように見える。自分によく似たその目は、邪魔する者は許さない、と言っているような気がした。

 

「あなた、どうして!?」

「何でいきなりとっつかまえてんだよお前はっ!? つーか颯輔はどうしたっ!?」

「…………」

 

 蹲るはやてに視線をやってからヴィータとシャマルを見据えた管制人格だが、言葉を直接発することはなかった。ただ、ヴィータとシャマルの表情が、みるみるうちに青くなっていく。察するに、はやてやフェイト達には聞かれないようにと念話での会話を行っているようだった。

 念話が終わったのか、ヴィータとシャマルが騎士甲冑とデバイスを展開する。このままでは一方的に、と思ったが、三人がフェイト達を攻撃する様子は見られなかった。その代わり、三人の足元にミントグリーンの転移魔法陣が浮かび上がった。

 

「待て、どこへ行くつもりだ!」

「今は説明する時も惜しい。一方的ですまないが、その少女の保護を頼みたい」

「ちょう、待ちぃ……!」

 

 上がった弱々しい声に、管制人格達が小さく震える。クロノの言葉では止まる素振りも見せなかった三人を止めたのは、顔を上げたはやてだった。

 

「勝手に、どこか行くなんて許さへん……! わたしは、あなたの主やろ……!? ヴィータはアイゼンしまって……シャマルは転移魔法止める! わたしが何も知らへんと思ったら、大間違いや!」

「――っ!? そんな、記憶が戻って……」

「はやてちゃん、これは、その……。……あなた、はやてちゃんの記憶を戻したの?」

「いや、そんなはずは……」

「あの、はやて、今は急いでて――」

「――言うこと聞かん悪い子達は嫌いやっ!! お願いやから、もうこれ以上わたしを悲しませんといてっ!!」

 

 はやての悲痛な叫びが、管制人格達の動きを完全に止める。

 転移魔法陣が消失し、フェイト達を縛っていた拘束魔法が解かれた。

 

 

 

 

 絶えることのなかった痛みの全てがまるで嘘のようになくなったとき、八神はやては全てを思い出した。夢の中で出会った闇の書の管制人格の存在と、シグナム達の過去を覗き見てしまったこと。それら全てが、管制人格によって封じられていた記憶。リンカーコアが起動し始めるのと同時に、闇の書から流れ込んできたのだ。

 どこかへ転移しようとしていた管制人格達を、強い意志を持って見つめる。すると、ヴィータがグラーフアイゼンを待機状態へと戻し、シャマルが転移魔法の発動を止め、管制人格がフェイト・テスタロッサ達への拘束を解いた。

 ヴィータとシャマルが騎士甲冑を展開していて、管制人格が実体化しているということは、蒐集を終えて闇の書を完成させてしまったのだろう。見舞いに来てくれた際に友人となったフェイトがいたことには驚いたが、管理局が駆け付けたことからも、それは確実だ。

 しかし、どんな事情があったにせよ、はやては蒐集を禁じていたはずだ。はやてにも話せない理由があるのだと理解しつつも、裏切られたように思えてしまうのは仕方がない。落胆を怒りに変えて、はやては三人に説明を求めた。

 

「……わかりました、全てをお話しします。……先ほどはすまなかった。管理局の者達も、どうか聞いてほしい」

「フェイトちゃん、わたしからもお願いや。悪いことしたら捕まらんといけへんのはわかっとる。……そやけど、この子らの話、少しだけ聞いてもらえへんやろか?」

「……うん、わかった。私は、はやてを信じるよ」

「フェイトっ!」

「お願い、クロノ」

「……いいだろう」

「おおきに……」

 

 管制人格が応じ、はやてがフェイトへと話をつける。フェイトの了承にクロノと呼ばれた少年が声を荒げるも、続くフェイトの視線に渋々ながらも同意してくれた。

 クロノが構えていたデバイスを下したためか、その後ろの白い防護服の少女もそれに倣う。大人と呼べる者がザフィーラのように獣の特徴がある女性しかおらず、あとは同年代に見えたことに疑問も覚えたが、ひとまず、はやては視線を管制人格へと戻した。

 

「まずは、貴女を差し置いて行動してしまった非礼を詫びさせてください。臣下の分を弁えない独断行動、誠に申し訳ございませんでした。改めまして、私は夜天の魔導書の管制人格、リインフォースにございます」

「……名前、お兄が?」

「はい、主颯輔より授かりました。主はやてには申し訳ありませんが、どうかこの名を名乗らせてください」

「そこは謝らんでも……それに、ええ名前やと思うよ」

「ちょっ、ちょっと待ってください! あの、どうして主が二人もいるんですか?」

 

 リインフォースの言葉を受けた金髪の少年――ユーノ・スクライアが、驚きと疑問の声を上げる。フェイトを見れば、隣の少女と目を合わせて困り顔になっていた。その後ろの女性も、腕を組んで首を傾げている。クロノだけが、静かにはやて達の様子を窺っていた。

 はやては今更気にしてはいなかったが、それは、最初の頃は何となく疑問に思っていたことだ。リインフォースを見ると、頷きを一つ返された。

 

「それも含め、手短にですが、説明をさせていただきます」

 

 リインフォースは言葉を続けることでそれ以上の質問を許さず、簡潔に事実のみを述べていった。

 夜天の魔導書が改変を受け、防衛プログラムであるナハトヴァールが暴走し、永遠に破滅を繰り返す闇の書となってしまったこと。

 八神はやてを主として選んだのはリインフォースで、八神颯輔を主として選んだのはナハトヴァールであったこと。

 はやての病気は闇の書による侵食が原因であったこと。

 颯輔も侵食を受け、はやてと共に命の危険に晒されていたこと。

 二人の命を救うため、蒐集を始めたこと。

 リインフォースが起動し、颯輔に真実を話したこと。

 真実を知ってなお、絶望の運命に抗おうとしたこと。

 ナハトヴァールの暴走を止めるには、何をするにしても闇の書を完成させ、管理者権限の全権を行使できる状態にする必要があったこと。

 結局は、ナハトヴァールの暴走を安全に止める方法は見つからなかったこと。

 資質を持つ颯輔が、闇の書からナハトヴァールを自分の身に移植したこと。

 制御に失敗した颯輔が、ナハトヴァールに取り込まれてしまったこと。

 このままナハトヴァールの暴走を許せば、颯輔の命が失われてしまうこと。

 

「そん、な……」

 

 真実を知ったはやては、視界が狭まったように感じた。

 胸の鼓動がうるさい。

 上手く呼吸ができない。

 シグナム達が蒐集を始めたことも、颯輔が死んでしまいそうになっていることも、その全部が、はやてが理由だった。

 

「ここまでの事態になるまで、どうして管理局に助けを求めなかったんだ……!」

「それは……」

「……あたしらの探知防壁も破れねえやつらに、いったい何ができるってんだよ」

「ヴィータちゃんっ!」

「だってそのとおりじゃねえかっ! ベルカのことなんざ何も知らねえやつらに、リインフォースにだってどうにもできなかったことなんて、解決できるわけねえだろ! そもそも、管理局にとってのあたしらはただの敵で犯罪者だ! それが、今更どの面下げて『助けて』なんて言えるんだよっ!」

「……っ!」

 

 口は悪くともヴィータの言葉は正論だったのか、クロノは反論できずに俯いた。拳を握り、何かを言おうとして顔を上げるも、結局は何も言えず終いになっている。その様子は、心の中で必死に何かと葛藤しているようにも見えた。

 病室に訪れた沈黙を破ったのは、それまで黙って話を聞いていた少女――高町なのはだった。

 

「なら、今度こそ頼ってよ、ヴィータちゃん」

「……高町なのは、お前、あたしの話を聞いてなかったのか?」

「ちゃんと聞いてたよ。……だけど、私はまだ何も言われてない。今みたいにちゃんと話してくれないと、何もできないよ。主さんを、はやてちゃんのお兄ちゃんを助けることもできない」

「何を、言って……?」

「その人を助けに行こうとしてたんでしょ? なら、私も一緒に行く。一緒に行って、はやてちゃんのお兄ちゃんを助ける」

「……私も。はやての大切な人なら、私にとっても大切な人だから」

 

 なのはに続き、フェイトも一歩を踏み出した。何が二人をそこまでさせているのかはわからない。ひょっとしたら、ただただお人好しなだけかもしれない。

 しかし、その意志は、どこまでも尊いものだった。

 

「待て、ちょっと待つんだ。君達、いったい自分が何を言っているのか、正確に理解しているのか?」

「そうだよ二人共。だいたい、暴走を止める方法だってわかってないのに……」

「いいんじゃないのかい?」

 

 二人を諌めるクロノとユーノを止めたのは、組んでいた手を腰へと当てた女性、フェイトの使い魔のアルフだった。

 

「困ってるやつらを助けるのが管理局だし、その暴走体も放っちゃおけないんだ。非常事態ってことで、協力したっていいんじゃないのかい? あんたらだって、暴走体を止める方法を知ってるから行こうとしたんだろ?」

「残念だが確かな方法はない……だが、諦めるつもりは微塵もない。私は……いや、私達は、あの方を必ず助けると誓ったのだ」

「はっ、上等じゃないか。ほらユーノ、こういうときこそ、あんたの出番だろ?」

「ええっ!? それは、僕としてもどうにかしたいと思うけど…………うん、わかった。僕だって、無限書庫でずっと夜天の魔導書について調べてきたんだ。何か、できることがあるかもしれない」

「君までそんなことを言い出すのか……」

 

 次々と意見を返す仲間達に、一人となってしまったクロノが呆れた声を出す。周囲の視線を受け、クロノはしばらく目を瞑る。そして、再び目を開けたクロノは、リインフォース達に鋭い目を向けた。

 

「……例え誰かを助けるためであっても、君達が行ったのは犯罪行為だ。そう簡単に許されることじゃあない」

「わかっている。全てが無事に終わったのならば、大人しく投降しよう」

「その言葉に偽りはないな?」

「我が主達に誓って」

「……いいだろう、君達を臨時協力者と認める。……これじゃあ僕も執務官失格だな。苦労して取った執務官資格を返上する気でやるんだ、必ず暴走体を止め、八神颯輔を救い出し、闇の書事件を今度こそ終わらせるぞ」

「おおっ、クロノも話がわかるようになってきたじゃないか」

「笑い事じゃないんだぞ……」

「あの、目的地の座標を教えてください。この人数で行くなら、僕も転移魔法を使いますから」

「すまないが、頼む」

「ほら、皆ちゃんと動いてくれるでしょ?」

「うっせえ! いいか? あたしは別に、『助けてくれ』なんて一言も言ってねーんだからな!」

 

 ばらばらだったはずの輪が繋がっていく。何の取り柄もないはやてには、その中に入っていくことができなかった。

 そもそも、自分は誰かの手を借りなければ普通の人のように生きることもできないのだ。それが誰かを助けようなどと、おこがましいにもほどがある。

 俯くはやての下に、シャマルとフェイトが近づいてきた。

 

「あの、はやてちゃん。今まで黙っていてごめんなさい……。だけど、颯輔君を助けてすぐに戻ってきますから、それまでは、管理局の船で待っていてもらえますか?」

「アースラっていうんだ。今は、その……私の義母さんが指揮を執ってる。事情を話せばちゃんとわかってくれる人だよ。私も一緒にそこまで行くから、行こう?」

「…………」

 

 いつも、いつもそうだった。

 自由に動けないはやてには、颯輔の帰りを待っていることしかできなくて、それが嫌で嫌で堪らなかった。自分も歩くことができれば、シグナム達のように戦う力があったのならば、こんな思いはしなくて済んだはずだったのだ。

 しかし、そう後悔するのは、これまでの八神はやてだ。

 

「わたしは……」

 

 ドクン、と。はやての胸が、心臓ではない器官が、鼓動を上げる。

 それは、はやての持つリンカーコア。闇の書の――夜天の魔導書の主として選ばれるほどの資質と魔力量を持った、はやてだけの力だ。

 はやてには、その強大な力を使う術はない。シグナム達がいても、魔法の勉強をしたことなどなかったのだ。思念通話がせいぜいのレベルである。

 しかし、はやての記憶、闇の書の中で見た光景が、それを否定する。はやて自身は確かに魔法を使って戦闘をすることなどできない。だが、それを補うための人物がこの場にはいた。

 力なき八神はやてに、八神颯輔を助ける力を与える存在。

 夜天の魔導書の管制人格。

 魔力の管制と補助を行う融合騎――リインフォース。

 

「わたしも、お兄を助けに行く。もう待ってるだけは嫌や」

 

 はやては顔を上げ、静かに、しかし力強く宣言した。

 下を向いて待ち続けるのは今日で終わり。

 今度は、はやてが颯輔を助ける番だ。

 

 


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