夜天に輝く二つの光   作:栢人

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第二十二話 聖なる夜に

 

 

 12月24日、クリスマス・イヴ。朝から厳しい冷え込みを見せる本日、天気予報によると、夕方から雪が降り始め、翌朝まで続く大雪となるかもしれないとのことだった。

 北国に比べれば降雪量の少ない海鳴市だが、多い時は足首が埋まる程度には降り積もる。長年海鳴に居を構えている八神家でもその辺りの対策は万全で、玄関にはプラスチック製のスコップが用意されていた。

 中天へと昇った太陽の光が南の窓から差し込む八神家のリビングには、台所から流れ込む甘い匂いと、マグカップから立ち昇るコーヒーの香りが広がっている。台所、椅子に登って電子レンジの中を確認したヴィータが、稼働音に負けない歓声を上げた。

 

「おおーっ! 颯輔っ、ケーキ膨らんでるよっ!」

「おっ、そっかそっか。それじゃあ、休憩はおしまい。そろそろ生クリームとかも作り始めるとしますか」

「はい、行きましょう」

「ここからが本番ですね。頼りにしてるわよ、ザフィーラ?」

「やはりハンドミキサーが必要だったと思うのだが……。いや、これも節約のため止むを得んか……」

 

 ヴィータの声に、リビングで一休みをしていた颯輔達も動き始める。残っていたコーヒーを飲み干した颯輔は、クリスマスケーキのレシピが記された料理本を手に取り立ち上がった。颯輔の後ろにシグナムとシャマルが続き、若干の疲れを見せていたザフィーラも腰を上げた。

 現在八神家では五人と一冊がかりでケーキ作りが行われているのだが、台所はその全員が収まるような広さではない。包丁や水道を必要とする者は台所、それらを必要としない者はダイニングと作業場を分けていた。

 シグナム達がそれぞれのエプロンを着けたり手を洗ったりとしている中、颯輔はヴィータの隣に並んで電子レンジを覗き込んだ。オレンジのライトに照らされる中、どろどろだった生地はしっかりと固まり、ふかふかになっているように見える。タイマーを確認してみれば、もう少しで焼き上がるようだった。

 

「よしよし、第一歩で躓いたりはないみたいだな」

「ザフィーラがすっげー勢いで泡立ててたから、いい感じだよね?」

「ああ。あとはクリームの味と、デコレーション次第だね。ほら、ヴィータも準備しておいで」

「うんっ!」

 

 ヴィータは久しぶりのお菓子作りに喜色満面だ。ヴィータが軽々と椅子を持ち上げてダイニングに運び始めると、入れ替わりに闇の書が颯輔の下へと飛んできた。颯輔の胸の辺りで止まった闇の書がバラバラと捲られ、己の頁を半分ほど開く。ベルカ語で魔法の術式が記されたその上に、颯輔は料理本を置いて開いた。直接は料理に参加できない颯輔と管制人格は、シグナム達の監督役に徹しているのである。

 

「よし、続きも頑張ろうな」

『はい。ですが、少しでも疲れを感じられたら、すぐに休んでいただきますからね?』

「りょーかい」

 

 体調管理に余念のない管制人格に、颯輔はおどけながらも了承の言葉を返した。睡眠時間を多目にとるなどして体調を整えてはいたが、颯輔としても無理をするつもりはない。ケーキが完成したらはやての見舞いに行って、その後に一世一代の大勝負が待っているのだ。料理で手を抜く気などさらさらないが、張り切り過ぎて不調を来しては元も子もないのだから。

 レシピを目で追い、頭に入っている内容と照らし合わせて最終確認を終えた颯輔は、準備を終えたシグナム達に指示を出し始めた。

 

「シグナムはフルーツの準備。苺とキウイと桃缶は冷蔵庫で、包丁と缶切り、あと、濡れ布巾も用意だ」

「わかりました」

「次、ヴィータはシロップ作り。お湯を使うから火傷には気を付けるように」

「任せといて!」

「最後は責任重大、シャマルとザフィーラでクリーム作りだ。シャマルはしっかりボウルを押さえて、ザフィーラは生地のときみたいにしっかり掻き混ぜること」

「了解です!」

「心得ております」

『目標時間は午後二時半だ。皆、主颯輔の指示をよく聞き、本職の菓子職人にも劣らないクリスマスケーキを完成させるぞ』

「「「「応ッ!!」」」」

「はは、気合入ってるなぁ……」

 

 空元気ではあるのだろうが、シグナム達の一致団結の様子に可笑しさを堪えきれなかった颯輔は、小さな笑いを零した。

 これまでのシグナム達が揃って立ち向かう相手など、敵意を持って押し寄せる大軍しかなかったのだ。それが、今では協力してケーキ作りに精を出している。これが颯輔とはやてがシグナム達に与えた変化だと思うと、目頭が熱くなるのを感じた。

 

「颯輔、準備を終えましたが……颯輔?」

「あ、ああ、悪い悪い。それじゃあ、まずは苺のヘタを綺麗にとって、次は濡れ布巾で汚れを拭くんだ。キウイは皮をむいて、それから全部、一口大にカット。……大丈夫だと思うけど、力を入れすぎると潰れちゃうから、優しく丁寧にね」

「それは流石に心配のし過ぎというものです。私にだって、力加減くらいはできますよ」

「ごめんごめん。シグナムの言うとおりだな、謝るよ」

 

 心外です、と眉根を寄せるシグナムに、颯輔は悪いと思いながらも苦笑をしながら謝った。最初の頃のシグナムは、生卵を上手く割ることもできなかったのだ。剣士繋がりか包丁の扱いだけは見事なものだったが、繊細な作業は苦手だったのである。もちろん今ではそんなことはないため、安心して任せられるのだが。

 

「颯輔、ちょっといい?」

「颯輔、少々よろしいですか?」

 

 颯輔を呼ぶ声が同時に二つあった。ヴィータとザフィーラからである。少しだけ迷った颯輔は、管制人格をヴィータの下に向かわせ、自身はザフィーラ達の方へと向かうことにした。

 ザフィーラ達のところに行ってみると、生クリームの入ったボウルを前にして、白い粉の入った袋を手にしたザフィーラと、白い粉の入った容器を手にしたシャマルが何かを言い合っている。ザフィーラの手にした袋の中身は買っておいたグラニュー糖だったが、シャマルの手にした容器は家に常備している塩だった。

 

「シャ、シャマルさん? まさか、生クリームに塩を入れようとかは考えてないですよね?」

「そんなこと考えてないですしどうして敬語なんですか!? 私は氷水の方にお塩を入れようと思ってたんです!」

「我は必要ないと言ったのですが……どうしますか?」

 

 これまでの指導でほぼ安心して料理を任せられるようになったシャマルだ。砂糖と塩を間違えることなど、おそらくないだろう。ならば、ここに来てまさかの塩ケーキに路線変更かと思いきや、そんなこともなかったらしい。

 おそらくシャマルは氷水の温度をさらに下げようとしているのだろうが、そこまでする必要があるとは思えない。とはいえ、しない理由もないのだろうが、そこまで詳細には料理本にも記されてはいなかった。少々悩み、どちらでもいいか、と結論を出した颯輔は、優しげな微笑を顔に張り付けた。

 

「シャマルがどうしても入れたいなら、入れてもいいと思うよ」

「心遣いが余計に痛いですよ、颯輔君……。わかりました、私が間違ってましたよ……。お塩は置いてきますから、どうか、それまでにいつもの颯輔君に戻っていてください……」

「……あー、颯輔? グラニュー糖は大さじ2杯で合っていますか?」

「うん、合ってるよ。泡立ての目安は、泡立て器で掬うとクリームがゆっくり落ちるくらい、かな。まずはそこまで混ぜて、それから3つに分けようか。間に挿むのと、外側に塗るのと、デコレーション用ね」

「はい。それらしくなってきたら、颯輔にも確認をお願いします」

「わかった。シャマル、ボウルを押さえてあげて」

「はーい」

 

 シャマルが戻って生クリーム作りが始まったのを見届けた颯輔は、その場からヴィータ達の様子を眺めた。立体映像を投影した管制人格が料理本の頁を指差し、ヴィータはそれに頷きを返している。はやてが入院してからは、颯輔に管制人格、ヴィータにシャマルの四人で闇の書の呪いを解く方法を考えていたためか、二人だけでも会話ができるほどの仲にはなっているようだった。

 管制人格は実体ではなく本来のサイズでもないが、二人の様子は、母子か歳の離れた姉妹のようにも見える。その様子に、颯輔は十年ほど前の光景を思い出した。颯輔と仕事の忙しかった母は、実の親子にもかかわらず上手く会話ができなかった。ヴィータと管制人格の少しだけ距離の感じる会話は、まさにそれと一致するのだった。

 経過した年月で擦り切れてしまった過去に思いを馳せていた颯輔を現実に呼び戻したのは、電子レンジの上げた音。それを聞き届けた颯輔は、そちらへと向かった。

 颯輔が電子レンジの扉を開けると、作業を中断したシグナムが駆けて来た。どうやら気を遣わせてしまったらしい。心配するシグナムをやんわりと制し、竹串を受け取って生地の焼き上がりを確認する。一度奥まで刺し込んでから引き抜いた竹串には、生地が付いてきたりなどはない。スポンジケーキ作りは、問題なく成功したようだった。

 

「あとは私が取り出しますから」

「ああ、任せるよ」

 

 颯輔は、ミトンを手につけたシグナムに押し退けられてしまう。片手で出来ないこともないが、もしも落としてしまったら、と考え、ここは大人しく従うことにした。監督役に徹するということが、颯輔参加の条件でもある。もっとも、監督役でも結局は忙しく動き回っていることに変わりはないのだが。

 型に収められたスポンジケーキを取り出したシグナムが、用意しておいた網の上へと逆さまにして置く。あとは冷えるのを待ち、その間にフルーツやクリームを用意しておくだけだ。

 颯輔と管制人格が忙しく様子を見て回って指示を出し、シグナム達が調理を進めていった。失敗らしい失敗もなく、無事に一通りの作業が終わると、皆でデコレーションをしようということになり、全員分の椅子があるダイニングへと集合した。

 シグナムが、型とスポンジケーキとの間に沿ってくるりと包丁を入れる。慎重に型を外すと、きつね色に焼き上がったスポンジケーキが姿を見せた。

 

「おおっ! おおーっ!」

「これなら、はやてちゃんも喜んでくれますよね」

「シャマルよ、仕上げはこれからだろう。慎重に盛り付けねば」

『将、次は半分の厚さになるようにスライスだそうだ』

「任せておくがいい」

「これで合わせて――ああ、シグナムにそういうのは必要ないんだったな……」

 

 包丁を入れる高さを合わせようと颯輔が補助具を持ち出すも、持って来た頃にはすでに事が終了した後だった。柔らかく切り難いスポンジケーキも、その道のスペシャリストであるシグナムの実力の前には及ばなかったらしい。半分にされたスポンジケーキの切り口は美しく、厚さにズレもないようだった。

 剣技と包丁捌きの関連性に今更ながらに疑問を抱きつつ、そっと補助具を仕舞いに行く颯輔。空元気も続けていれば本物に変わるものなのか、シグナム達は賑やかにフルーツの盛り付けを始めている。戻るタイミングを逃してしまったような感覚に囚われた颯輔は、台所に留まりその光景を目に焼き付けていた。

 もしも闇の書の呪いを解くことに失敗してしまったら、『ここ』に戻ることはできないのだ。

 

「ヴィータ、つまみ食いをするな!」

「こんなにいっぱいあんだから、一個くらいいいじゃねえか! ていうか、お前だってこっそり苺食ってたの、あたしはちゃーんと見てたんだからな! シグナムのけちんぼいやしんぼ!」

「な、なんだとっ!?」

「なんだよっ!?」

「あーもうっ、二人共やめなさいってば!」

「五十歩百歩というやつか……」

『こんなときにまでお前達は……。主颯輔からもなんとか――……主、そんなところでどうされたのですか?』

「いや、なんでもないよ……。ほらほら、シグナムもヴィータも喧嘩しないの」

 

 『次』があれば、ここにはやての姿もありますように。

 そう祈りを捧げながら、颯輔もシグナム達の輪に加わるのだった。

 

 

 

 

「遅いなぁ…………」

 

 12月24日、クリスマス・イヴ。時計の針が午後三時を過ぎてしまったのを見とめた八神はやては、深い溜息を吐き出した。はやてが入院してからは毎日あった見舞いだが、今日はまだ誰も姿を見せていない。普段ならば午前中や昼を過ぎたあたりに訪ねて来るのだが、今はその気配すらなかった。

 もしかしたら、自分一人だけが除け者にされていて、皆は今頃楽しく騒いでいるのではないか。

 脳裏に浮かんだ後ろ向きな考えを、頭を振って追い出す。昨日も病室を訪れた颯輔達は、明日もまた来るから、と言っていたのだ。きっと、何か用事があって遅れているのだろう。そうに違いない。

 気を取り直したはやては、手慰みの編み物を再開した。かぎ針をいそいそと動かし、毛糸で無数に輪を作っていく。現在はやてが挑戦しているのは、こま編みのバッグだった。もっとも今回は習作で、サイズも実用的なものではない。編み物の道具を仕舞っておくのがせいぜいのものだった。

 編み物に必要なかぎ針や毛糸に資料は、石田に頼んで買ってきてもらったものだ。ちなみに、代金は退院してから渡すつもりだったが、石田からは少し早いクリスマスプレゼントということにされてしまっている。はやてが編み物を手慰みの手段に選んだのも、家族や友達にクリスマスプレゼントを用意するためだった。

 人数分のプレゼントはもう完成してしまっていて、見つからないようにとクローゼットの奥にしまってある。それを渡すのは、クリスマスである明日の予定だった。

 はやてが編み物に没頭していると、病室の扉をノックする音があった。

 

「はやて、おまたせっ!」

「遅くなってすみませーんっ!」

 

 わいわいがやがやと、静かだった病室が一気に賑やかになった。ヴィータとシャマルを先頭に入ってきたのは、待ちに待った家族達。ここ最近は忙しかったらしく、しばらく姿を見せていなかったシグナムとザフィーラも一緒だった。八神家全員集合である。

 

「こらこら、病院じゃ静かにせなあかんよ。シグナムとザフィーラは、久しぶりやね」

「すみませんでした。門下生の出場する大会がありまして……」

「我もアルバイトが忙しく……。はやての大変なときに、申し訳ありません」

「そんなっ、別に怒っとるわけやなくて……。うん、だから、謝らんでええよ。今日はちゃーんと来てくれたんやから」

 

 嬉しさに顔が綻んでしまうのを我慢し、テンションの高い二人を注意する。続いてシグナムとザフィーラに声をかけたのだが、直前の行動が裏目に出てしまったらしい。はやてが自分達のことも怒っていると勘違いしたのか、シグナムとザフィーラにも頭を下げられる始末。慌ててそれを否定するはやてだった。

 はやて達の様子にくすくすと苦笑を漏らしながら、最後に颯輔が入ってくる。その右手に持っているのは、取っ手の付いた箱だった。箱の表面は、クリスマスツリーを彷彿とさせる絵柄だ。

 

「お兄、それ……」

「うん、クリスマスケーキだよ。開けてごらん」

 

 シグナムがベッドに備えられたスライド式のテーブルを設置し、そこに颯輔が箱を置く。編み物を横に退けたはやては、慎重に箱を開けてケーキを取り出した。

 箱の中から姿を見せたのは、真っ白の生クリームと苺の瑞々しい赤が目に映える大きなショートケーキ。チョコペンを使ったのか、ホワイトチョコの丸板には黒字の筆記体で『Merry Christmas』と表記されており、余ったスペースには可愛らしいのろいうさぎが描かれていた。

 

「うわぁ、美味しそうなケーキやね! のろいうさぎっちゅうことは、ヴィータが選んだんか?」

「違う違う。これ、皆で作ったんだよ」

「ええっ、これ、手作りなんかっ!?」

「はい。我ら全員で、協力して作りました。ただ、シグナムが造詣にこだわってしまい……」

「いえ、あの、その、はやてには喜んでいただきたくてですね……」

「まあまあ、上手にできたんだからいいじゃないか」

「ええと、それでこんな時間になっちゃったんですよ。ごめんなさいね、はやてちゃん」

「ううん、嬉しい……嬉しいよ、みんな。ほんま、おおきにな……!」

 

 家族皆が揃ったことが嬉しくて。家族皆の気持ちが嬉しくて。けれど、一緒にケーキを作れなかったことが少しだけ悔しくて。はやては花咲くような笑みを浮かべたまま、そっと涙を流した。

 その途端、笑顔だった颯輔達皆が打って変わって心配をしてくる。嬉しかっただけ、大丈夫や、と返したはやては、急いで目尻を拭った。

 石田からは、自分の体調はそこまで悪くないと聞かされている。ただ検査のために入院が長引いているのだと。しかし、それは方便であるのだろうと、はやては理解していた。

 はやての身体を蝕む病は、普通のものではないはずだ。原因不明なのだから、きっとそうに違いないのだろう。もしかしたら、退院できずにこのまま、ということもあるかもしれない。

 しかし、今だけは。

 家族に囲まれている今だけは、はやては確かに幸福を感じていた。

 

「あらあら、廊下まで声が聞こえるから来てみれば、今日はまた一段と賑やかね」

「石田先生。すみません、騒がしかったみたいで……」

「いいのいいの――って言いたいところなんだけど、ごめんなさいね、少しだけ、ボリュームを落として騒ぐように」

 

 回診の時間であったのか、石田が柔らかな笑みを浮かべながら入ってくる。颯輔が謝ると、石田は苦笑しながら人差し指を唇へと運んでいた。

 石田がケーキを見つけてその出来栄えに感心した様子でいると、颯輔がショルダーバッグから闇の書と使い捨てカメラを取り出した。

 

「すみません、石田先生。記念撮影、お願いしてもいいですか?」

「もちろんよ。さあ、並んで並んで」

 

 石田の言葉に皆が移動を始める。はやてとクリスマスケーキがセンターに来るようにとベッドの周りに集まるも、石田は渋い顔をしていた。

 どうやら、上手い具合にはフレームに収まっていないらしい。ならば、と、はやては颯輔とヴィータの手を引いた。

 

「お兄とヴィータもベッド入れば、いい感じになるんとちゃう?」

「そうか……?」

「ナイスアイディアね、はやてちゃん。それなら、いい写真が撮れそうよ」

「颯輔、早く早く!」

 

 石田とヴィータにも促され、あまり納得のいかないような顔をしながらも颯輔がベッドに入ってきた。

 胡坐をかいた颯輔の両膝の上に、闇の書を持ったはやてとケーキを持ったヴィータが座る。さらに、ベッドの端に腰掛け、シグナムとシャマルにザフィーラが、左右から隙間を埋めた。

 今の状況は多少窮屈に感じるも、それでも、優しい温もりに溢れている。皆が表情を綻ばせていると、カメラのフラッシュが焚かれた。何度か撮り直しをして、幸福な時間が切り取られる。はやては、今から現像するのが楽しみで仕方がなかった。

 

「せっかくですから、石田先生も一緒に写りませんか?」

「それは嬉しいですけど、悪いですよ。誰かが撮らないといけませんし」

「ザフィーラあたりが腕を伸ばせば、何とか皆が入る気がするが……」

「別に構わんが、上手く撮れる保証はないぞ?」

「2、3枚撮りゃあいいじゃん。颯輔、まだフィルムはあるんだよね?」

「新品だから、まだまだ余裕はあるよ。でも、こういうときデジカメがあったらなぁ……」

「我が家にそこまでの余裕はあらへんからなぁ……。まっ、とりあえずはチャレンジや。石田先生、こっちこっち。ザフィーラ、頑張ってな?」

「はあ、努力はしてみますが……」

 

 シャマルの提案で、今度は石田も入って全員で写ろうということになる。最も腕の長いザフィーラがカメラを受け取り、ぐっと腕を伸ばしてカメラを構えた。

 全員がフレームに収まるようにと、窮屈だった体勢がさらに窮屈なものとなる。おしくらまんじゅうをしているようで楽しかったが、ヴィータの持つケーキが零れ落ちそうになったりと笑えないピンチもあった。

 慣れないカメラの撮り方にザフィーラが四苦八苦するも、何とかそれらしい写真を撮ることに成功する。もちろん、使い捨てカメラであるためどんな写真が撮れたのかは現像してみるまでわからないのだが、さすがにそれだけでフィルムを使い切るわけにもいかず、何度か撮り直しをしたところで手打ちとなった。

 写真を撮り終えると、シグナムとシャマルが人数分の紙皿を用意し、いよいよケーキを切り分け始めた。石田は仕事中だからと遠慮していたが、写真を撮ってもらって何もしないというのはあまりいい気はしない。逃げるように立ち去ろうとする石田を捕まえ、後で食べてください、と切り分けたケーキを箱に仕舞って無理矢理持たせたのだった。

 全員にケーキが行き渡る。切り分ける前にはわからなかったが、スポンジの間にも贅沢に生クリームが詰められており、苺の赤やキウイの黄緑、黄桃の橙が目に鮮やかだった。

 もったいなく思いつつも、はやてはフォークを入れてケーキを口へと運んだ。

 

「はやてはやて、どう? おいしい?」

「……うん。今まで食べたケーキの中でも一番や!」

「それはちょっと、言い過ぎじゃないかなぁ?」

「そんなことあらへんよ。甘~い生クリームと、ちょっと酸っぱいフルーツ、それからふわふわのスポンジで、お店に並んでても文句なしの出来やで」

「それは絶対言い過ぎだ。……まぁ、それくらいおいしいとは思うけどな」

 

 折れた颯輔の言葉に、シグナム達も同意を示している。こういうシチュエーションだから、という補正もあるのだろうが、実際、皆が作ってくれたケーキは本当においしかった。味はもちろんのこと、デコレーションも凝っていて、売り物と変わらないレベルである。

 ただ惜しむらくは、はやてがケーキ作りに参加できなかったことか。皆で一緒に料理を作るというのは、きっと楽しいことなのだろう。それだけが、はやての心に少しだけ影を落とした。

 

「わたしも一緒に作りたかったなぁ……」

「何を言っているのですか。はやてが退院したら、そのお祝いに作ればいいではありませんか」

「へ……?」

 

 シグナムの言葉に、はやては虚を突かれたような顔をした。

 

「そのとおりです。クリスマスにしかケーキを作ってはいけないという決まりなどありませんから」

「春になったら颯輔君のお誕生日ですし、そのときも作れますよ」

「ていうか、別にケーキだけじゃなくてもいいじゃん。夕ご飯でも何でも、皆で作ったりできるし」

「もはや何でもアリだな……。でも、楽しいと思うよ。だから、はやても早いとこ退院しないと。な?」

「…………うんっ!」

 

 温かい家族の優しい言葉に、はやては精一杯の笑顔を浮かべて頷いた。

 そうだ。そのとおりなのだ。よくわからない病気に負けている場合ではない。このまま入院を続けるなど、大損もいいところである。早く元気になって退院してしまえば、楽しいことなどいくらでも待っているのだ。

 まずは退院をして、お祝いにケーキを作って。それから次は、皆揃って年越しをして、初詣に行って。おせちを作ったり、お正月の特番を見たり。一週間後には、それだけの行事が迫っている。来年だって、今年と同じように――いや、それ以上に素晴らしい一年になるはずなのだ。

 

「おおきにな、皆」

 

 うじうじと下を向くのはもうおしまい。弱気になっていては、治るものも治らない。

 明るい未来に思いを馳せつつ、面会時間が終わってしまうまで、はやては家族に囲まれながらクリスマス・イヴを過ごすのだった。

 

 

 

 

 時刻は午後七時を過ぎたところ。閉鎖されているはずの海鳴大学病院の屋上に、五つの姿があった。颯輔にシグナム、ヴィータにシャマルとザフィーラの五人である。

 吹きつける風が、吐き出す白い息を吹き飛ばしていく。今の五人には、病室であったような笑顔はなかった。

 なぜならば。

 闇の書の呪いを安全に解く方法など、存在しなかったのだから。

 

「それじゃあ、行ってくる。ヴィータ、シャマル、はやてのことは任せたぞ?」

「うん。……颯輔、ちゃんと戻ってきてね?」

「私達の心配は要りませんから……だから、必ず皆揃って帰ってきてください。ちゃんと、おかえりなさいって言わせてくださいね?」

 

 必然、命懸けとなってしまうこれからに、ヴィータとシャマルは心配を隠せなかった。ヴィータは颯輔にしがみつき、シャマルも颯輔の手を両手で包み込んでいる。もしも最悪の事態が訪れれば、その温もりを感じることはできなくなってしまうから。

 本音を言えば、ヴィータとシャマルも颯輔達と一緒に行きたかった。戦う力を持つはずが、肝心な時に祈ることしかできないなどとは耐えられない。

 しかし、はやての存在があった。闇の書が完成すれば、防衛プログラムが暴走を始めてしまう。それまでに全てが望む形に終わればいいが、どうなるかはわからない。もう一人の主であるはやてに影響が出てしまったとき、そちらに対処できるだけの戦力が必要だった。

 

「もちろん、ちゃんと帰ってくるさ。闇の書を夜天の魔導書に戻して、管制人格も連れてくる。そしたら、明日は皆でお祝いだ」

 

 賭けに勝ったとしても、そんな未来はやってこない。そうとわかっていながらも、颯輔は明るく笑ってみせた。

 犯した罪は、償わなければならない。シグナム達に犯させた罪も、主である自分が背負わなければならない。全てが終わったとしても、八神颯輔には闇の書が犯してきた罪を清算する義務があるのだ。だから、もう一度家族が揃うのは、明日ではなくずっと先のことになるだろう。

 もしかしなくとも、はやてには失望されてしまうかもしれない。そもそも、どんな罰が下されるのかもわからない。

 しかし、はやてに未来が与えられるのならば。

 シグナム達を闇の書の呪縛から解放できるのならば。

 八神颯輔の選択に、後悔などありえない。

 

「颯輔、そろそろ行きましょう」

「侵食により危険な状態にあるのは、颯輔も同じこと。早く終わらせて、明日に備えてゆっくり休まなければなりません」

「そうだな……」

 

 シグナムとザフィーラに促され、颯輔はヴィータとシャマルから離れた。

 もしも暴走が始まってしまったならば、魔力が尽きるまでそれが終わることはない。そのときのことを考えると、闇の書を地球で完成させるわけにはいかなかった。

 

「騎士甲冑を頼む」

『はい、我が主』

 

 闇の書を取り出した颯輔が、管制人格に告げた。深紫の魔力光が颯輔を包み込むと、漆黒のローブが形成される。颯輔の両隣りでラベンダーと群青色の光が輝き、シグナムとザフィーラも騎士甲冑を身に纏った。

 三人の足元に、転移魔法陣が描かれる。これから向かうのは、何が起こっても人的被害の出ない無人世界だ。

 

「シグナム、ザフィーラ……それから管制人格っ! 颯輔のこと、任せたからなっ!」

「あなた達も気を付けて……」

「ああ、行ってくる」

「そちらも、はやてのことは頼んだぞ」

『任された。紅の鉄騎も、風の癒し手も、今少しだけ待っていてほしい』

「それじゃあ今度こそ、いってきます」

 

 ヴィータとシャマルの前で、颯輔達の姿が光に包まれ消えた。深紫の光が飛び立ち、夜空を縦に切り裂く。魔力光が見えなくなってしまうまで、ヴィータとシャマルは夜空を仰ぎ続けた。

 月明かりを遮る分厚い雲から、真っ白な雪が降り始める。天が祝福してくれているのか、それとも足掻く様を嘲笑っているのか、どちらかの判断はつかなかった。

 今ここに、運命の夜が幕を開ける。

 闇の書が生み出す絶望の螺旋。

 暗き闇の果てに光を見るかどうかは、誰にもわからない。

 

 


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