夜天に輝く二つの光   作:栢人

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第十八話 雷鳴轟く

 

 

 この広い世界には、魔力を持つだけの者ならばいくらでもいる。あるいはシグナム達の主たる八神颯輔と八神はやてのように、膨大な魔力を持ちながらも魔法とは縁遠い管理外世界に住み、その秘めたる資質に気が付かないでいるケースもあるのかもしれない。

 しかし、魔法を発動する際には、より多くの魔力を注ぎ込めばいいというものではない。その過程には複雑な演算が必要であり、また、その制御もしなければならないのだ。故に、持ち得る魔力量が多いだけでは、それがそのまま強さとイコールにはならない。無駄を省いた術式を作り上げ、そこに適切な魔力を流し込み、しっかりと手綱を握ることで、発動した魔法は一つの技へと至るのだ。

 もっとも、真の意味で魔法を技として扱える者は、次元世界広しと言えどその数は少ないだろう。加えて保有魔力量も多いとなれば、その絶対数は限りなく小さくなる。そして、それほどの技量と魔力量を持つ者は、天賦の才を持っていると表現しても過言ではない。

 そう言った意味では、シグナムとヴィータが激戦を繰り広げている相手、高町なのはとフェイト・テスタロッサは、未だ年若くも天才と呼べる存在であった。

 

《Accel Shooter.》

「シュートッ!」

 

 魔導の杖が振るわれ、十二発の桜色の光弾が放たれる。前回の戦闘に比べて数が増えた誘導操作弾だが、その狙いは憎たらしいほどに正確無比。美しい放物線を描き、シグナム達を取り囲むように迫ってきた。

 そして、高町なのはの魔法をまとうようにして飛来する、金色の閃光があった。魔力刃を展開した大鎌を振りかぶり、アクセルシューターの中心を直進するのはフェイト・テスタロッサだ。

 味方の魔力弾と並走するなど正気の沙汰とは思えないが、なのはの操作技術を持ってすれば、フェイトを避けてシグナム達だけに命中させるという芸当も不可能ではないのだろう。そしてまた、フェイトの機動力を持ってすれば、誤射が発生する可能性はほとんどゼロに近くなる。互いに信頼しているからこそのコンビネーションだ。

 

「ヴィータッ!」

「わぁってるよッ!」

 

 シグナムの呼びかけに、後方のヴィータが頼もしい返事をした。幼いながらもたくましい掛け声と共に、同じく十二発の鉄球が放たれる。その機動はなのはのアクセルシューターとまったく同じで、正しく鏡合わせのようであった。

 ヴィータの援護射撃を確認したシグナムも、鉄の兵隊を率いる将のように飛び出す。腰だめに構えたレヴァンティンに魔力を流し込み、標的を見据え、横薙ぎに振り抜いた。

 

「ぜああああッ!」

「はぁあああッ!」

 

 レヴァンティンと黄金の刃の大鎌――バルディッシュ・アサルトがぶつかり合う。それと同時、シグナムとフェイトの周囲で、十二の爆発が起こった。

 刃が噛み合い火花を散らす向こうに、爆風に髪を揺らすフェイトの顔が窺える。その表情は真剣そのもの。しかし、赤い瞳の奥には確かに迷いの色があった。

 

「ディバイーーーン……」

「シグナム離れろーーッ!!」

 

 シグナムが沸き起こる怒りを剣閃に乗せようとしたとき、ヴィータの悲鳴にも似た叫びが飛んできた。フェイトの後方、そのマントの向こうに、尋常ではない魔力の高まりを感じる。しかし、フェイトにはまだ離脱する様子は見られない。おそらく、ギリギリまでシグナムを釘付けにするつもりなのだろう。

 

「バスターーーッッ!!」

 

 桜色の砲撃が、増水した河川の水流のように押し寄せてきた。フェイトも流石に退き時と思ったのか、大鎌に更なる力が込められる。シグナムも刃を走らせ、魔力刃を弾いた反動を利用して離脱した。

 シグナムとフェイトが直前までいた場所を、膨大な魔力の奔流が駆け抜けていく。魔力流がシグナムの髪を揺らし、掠った騎士甲冑の裾が消し飛んでいた。直撃を受ければ、間違いなく墜とされていただろう。防御をしたとしても、受けきれたかは怪しいほどの威力だった。

 

『あたしが突っ込む! 援護は任したぞ!』

『心得た』

 

 念話が終了すると同時、グラーフアイゼンをラケーテンフォルムに変形させたヴィータが、ロケット弾のように飛び出していった。狙いは、まだ砲撃を撃ち続けている最中のなのはだ。

 迫るヴィータの姿を認めたなのはは、慌てて砲撃魔法を終了させていた。

 

「なのはッ!」

「お前の相手は私だろう、テスタロッサ?」

「しまっ――きゃあっ!?」

 

 友人の危機にフェイトが目を逸らした瞬間を、シグナムは逃さなかった。一瞬だけ無防備になったフェイトに、レヴァンティンを叩き込む。直前で気が付いたフェイトはバルディッシュで受け、衝撃を殺しきれずに吹き飛ばされていった。

 あわよくばデバイスを両断するつもりで放ったシグナムの一撃だったが、その目的は果たせなかった。なのはとフェイトの戦闘力の向上には新たに搭載したらしいカートリッジシステムが一役をかっていたが、どうやら、基礎フレームまでもが強化されていたらしい。

 シグナムは求めた結果が得られなかった歯痒さを即座に斬り捨て、ヴィータと挟撃を仕掛けるべく飛翔した。

 シャマルの結界が破られてしまった今、戦況は好ましくない状況だった。

 ザフィーラは一人で使い魔二人を相手にしているため、シグナム達を援護する余裕はないだろう。外側にも管理局員は配置されているだろうから、シャマルが結界を破り返すのもおそらく困難。ならば、シグナムかヴィータのフルドライブで破壊するしかない。故に、なのはかフェイトのどちらかを墜とし、隙を作らなければならなかった。

 

《Protection Powered.》

「ぐっ――このぉッ……!」

 

 ヴィータの十八番であるラケーテンハンマーは、カートリッジを消費したなのはの防壁によって阻まれていた。強化前ですらシグナムの攻撃を受けきってみせた防壁。強化された今では、シグナムよりその分野に長けるヴィータをもってしても、突破するのは難しい様子だった。

 

「話を聞いてヴィータちゃんっ! 闇の書には悪いプログラムがあって、主さんもその影響を――」

「――うるっせえッッ!! ごちゃごちゃごちゃごちゃうるせえんだよテメーはぁッ! そんなことはあたしらだって――」

『――ヴィータ、口が過ぎるぞ』

 

 戦闘開始時から続くなのはの説得にとうとう切れてしまったらしいヴィータを、念話を送ってを諌める。確かに、今までのなのはの言葉の中には聞き流すことなどできないものもあった。だが、それに過剰に反応し、相手方に情報をくれてやる必要もないのだ。

 気になる点は、この状況を脱してから颯輔と管制人格に直接聞けばいい。蒐集を完了した闇の書は暴走を始めるらしいこと。そして、闇の書の本当の名前が夜天の魔導書であるらしいことは。

 

「お前も、出鱈目を吐くのは謹んでもらおうか?」

《Explosion.》

 

 高速機動を活かしたシグナムは、ヴィータの攻撃を受ける防壁の反対側、なのはの背面へとまわった。カートリッジを一発ロード。魔力変換資質を持つシグナムの魔力をまとい、レヴァンティンが炎の魔剣へと変貌する。

 剣の騎士、烈火の将の呼び名に相応しい一手をもってして、高町なのはをここで斬り捨てる。

 振り向いたなのはの目が大きく見開かれ、その眼に紅蓮の剣を映し出した。

 

「紫電――」

「――させないッ!」

《Load Cartridge, Haken Slash.》

 

 振り下ろす刃が標的に到達する寸前、間に割り込む閃光が一筋。シグナムの視界の中、炸裂音と共に吐き出された空の薬莢が、重力に従い落ちていく。

 雷光をまとう大鎌が、シグナムの攻撃を受け止めていた。

 

「フェイトちゃんっ!」

「テスタロッサ……!」

「あなたの相手は私のはずですよ、シグナム?」

 

 その持ち主はもちろん、フェイト・テスタロッサ。フェイトのバリアジャケットの意匠には変化が見られ、先ほどまで身に着けていたマントが消失しており、装甲も薄くなっている。四肢に展開された光翼は、高速移動魔法の証か。

 完全に間合いの外から駆け付ける速度。それはもはや、シグナムのそれをも凌駕している。シグナムが最強の一手と自負している攻撃を受け止められたことにも、多大な衝撃はあった。

 しかし、今のシグナムを満たしている溢れんばかりの怒りは、そんなちっぽけな理由から生じたものではない。

 

「……まを、するな……」

 

 管理局さえ来なければ、今も蒐集に明け暮れていたはずなのだ。

 

「……?」

 

 颯輔とはやてへの侵食さえなければ、今も穏やかな暮らしを続けられていたはずなのだ。

 

「……我らの邪魔を――するなぁああああッッ!!」

 

 シグナムの猛りに呼応したかのように、魔力が漏れ出し炎となって膨れ上がる。広がった炎は一転して収縮を始め、未だ燃え盛るレヴァンティンへと送り込まれた。

 そして、許容を越えた膨大な魔力は状態を保てず、敵味方の区別なく双方を巻き込む爆発を引き起こす。

 

「ああっ!?」

「フェイトちゃんっ!?」

 

 自身が起こした爆発に巻き込まれ、シグナムは盛大に吹き飛ばされた。魔力の暴走により、レヴァンティンの刃がいくらか欠けてしまっている。シグナムの騎士甲冑も所々が焼け焦げ、赤黒く染まった素肌をさらしていた。

 対する相手方は桜色の全周障壁に包まれており、爆発の直撃をくらったようには見えない。ただし、装甲の薄いフェイトは間近にいたためか、シグナムと同程度のダメージを受けているようだった。なのはに支えられるようにして、苦しげな表情を浮かべている。

 あれでも墜ちないならば、もはや加減など無用。

 シグナムが無意識にかけていた制限を解こうとしたとき、隣にスカートの裾を焦がしたヴィータが降り立った。

 

「……何やってんだよ、お前」

「……うるさい」

「――ッ! 自爆してそんなボロボロになってまで、何がしたいんだって聞いてんだよッ!」

 

 ヴィータに胸倉を掴まれ、ぐいと引き寄せられる。ヴィータは目の端に涙を溜めながらも、鋭い眼光をシグナムへと向けていた。その向こう、なのはとフェイトは、突然の仲間割れに困惑した様子を見せていた。

 何がしたいかなど、わからない。何をすればいいのかも、わからない。自分達は、知らないことが多すぎる。

 しかし、それでも。

 

『――……む、シグナムっ!』

 

 身を焦がすような激情に染められつつあったシグナムの思考を緊急冷却したのは、この場では聞こえるはずのない声だった。

 

 

 

 

 時刻は午後4時半をいくらか過ぎたところ。闇の書の主たる八神颯輔は、自室にてシグナム達の戦闘の様子を見守っていた。一階でははやてと友達の月村すずかが遊んでいるはずだが、現在起きている事態など知る由もないだろう。

 闇の書が展開するディスプレイには、シャマルから送られてくる映像が映し出されている。普段はこのようなことはしないが、今だけは状況が違った。なぜなら、その戦闘は海鳴市で行われているのだから。

 颯輔が帰宅してまもなく、海鳴市全域に翡翠色のサーチャーが放たれた。管制人格によれば、魔力を持つ者を感知する類のものらしい。しかし、颯輔とはやてのリンカーコアはほとんどが闇の書の内に取り込まれているため、サーチャーに反応する程の魔力はないという。さらに、闇の書とシャマルによって何重にも張られた探知防壁のおかげで、自宅にいる限りは居場所を特定される心配はないようだった。

 ただ問題だったのは、どうも管理局は颯輔達の潜伏先を海鳴市であるとあたりをつけているらしいこと。外国からの移住者が比較的多い海鳴市だが、その中でも八神家は多国籍であると近所ではある意味有名だ。サーチャーによる捜索だけでなく、聞き込み捜査でもされてしまえば、特定される可能性はぐっと高まってしまう。

 故に、海鳴市近辺に潜伏しているのだと情報を与えることになっても、今のうちに管理局には捜査の再開までに時間がかかる程度にはダメージを与えておかなければならなかった。

 

「頼む……」

 

 颯輔は多彩な魔力光に彩られるディスプレイを見ながら、祈るように呟いた。

 今月頭に魔導師から蒐集したことに加え、管理局への敵対行為。それらが颯輔の罪を重くすることなど、理解はできている。だが、闇の書の完成がようやく見えてきた今、管理局に捕まることだけは避けたかった。

 何を引き換えにしても、はやての命だけは救わなければならない。そして、管制人格とシグナム達も。颯輔が裁きを受けるのは、それからだ。元より、犯した罪から逃げようとも、逃げられるとも思ってはいない。

 颯輔が右拳を固く握り締める中、しかし、それを嘲笑うかのように、事態が急変した。

 ガラスが割れるかのようにしてシャマルの結界が壊れ、続き、翡翠色の結界が再展開されたのだ。魔力光は似ているが、それは、シャマルの張ったものではないようであった。シグナム達を映し出していたディスプレイに砂嵐が表示され、生き残ったのはシャマルと結界の外周を映し出すものだけなのだから。

 

「どうしたっ!?」

『結界を破られてしまったようです。風の癒し手の組み上げた術式をも破る手腕……申し訳ありません、敵方の戦力を見誤っておりました……』

 

 闇の書の上に姿を現した管制人格が、僅かに顔を伏せながら颯輔に現状を伝えた。颯輔はギリッと歯を鳴らし、砂嵐を映し出すディスプレイを睨みつける。

 管理局員の中には、闇の書の記憶を辿った颯輔にも見覚えのある姿があった。緑髪を後頭部で結わえた妙齢の女性、リンディ・ハラオウン。闇の書が蓄えている情報によれば、リンディは後方支援型の魔導師だ。11年前はベルカ式の結界を抜くほどの力はなかったはずだが、今日までにその実力を高めていたようだった。

 生き残ったディスプレイには、再展開された結界を抜き返そうとするシャマルと、それを外側から補強している武装隊員の様子が映し出されている。過去の蒐集により、ミッドチルダ式の結界の術式はシャマルも知り得ているはずだが、いくらシャマルが優秀であろうとも、数の力を得た結界を破るのは難しいようだった。

 ほどなくして、顔を青くしたシャマルと颯輔の視線が、ディスプレイ越しに交差する。それは、決意を秘めた強い目だった。

 

『申し訳ありません、我が主。もう一人、魔導師からの蒐集を行います』

「なっ……! 待て――」

 

 颯輔の言葉が終わらないうちに、シャマルはクラールヴィントに命令を下し、旅の鏡にその手を挿し入れた。

 旅の鏡はシャマルのみが有する特殊魔法で、クラールヴィントの作りだす鏡面によって空間を繋げ、離れた場所にある物体を手元に取り寄せるものだ。対象がどこにあろうとも、シャマルがその位置を把握しているだけで発動できる、転移魔法の応用。例えば今のように、魔導師の背後に扉を開き、安全圏からリンカーコアを摘出できる、もはや反則のような魔法だ。

 しかし、今回のシャマルの決断は、失態と言わざるを得なかった。

 

『え……? どうして、蒐集ができない……!?』

 

 ディスプレイを通じ、シャマルの驚愕の声が颯輔の耳を打った。

 シャマルの犯した失態は、同じ相手から蒐集をしようとしたこと。シャマルの企みが成功していれば、蒐集を受けてリンカーコアが収縮し、結界を維持できなくなっていたことだろう。ただし、結界を展開したのがリンディではなく、また、シャマルが前回の記憶を引き継いでさえいれば。

 別のディスプレイが、動きを見せる武装隊の様子を映し出していた。それを率いるのは、まだ小さな黒衣の少年だ。その手に黒い杖を構え、シャマルの潜んでいる位置を目指して飛翔してきている。先ほどのシャマルの攻撃は、転移魔法の応用。どうやら、シャマルの位置を逆算されてしまったらしい。

 この場合、シャマルを一方的に責めることはできない。颯輔と管制人格は、前回と同じ敵がいることに気が付いていたのだ。十一年の時があれば、ベルカ式の結界への対策を編み出すのも不可能ではないのだろう。記憶を辿っていたこと、そして、シャマル達の記憶を操作していたという後ろめたさから、その事実を伝えることができなかった。

 

「シャマル、一時撤退だっ! 武装隊がそこを目指して迫ってきている!」

『そんな、でも、結界の中にはまだシグナム達が…………念話も届きませんっ!』

 

 颯輔の怒号のような命令に、旅の鏡を閉じつつも混乱した様子のシャマルが悲鳴のような声で返してきた。颯輔も慌ててシグナム達に念話を送ってみるも、何かに遮られる感覚があって届いた様子はない。

 ならば、と颯輔は闇の書に触れ、目を閉じて意識を集中させた。

 

「精神リンクの感度を最大にしてくれ。念話がダメでも、直接ならいけるかもしれない」

『了解しました。意識は私が支えます。主颯輔は、将達へ呼びかけることだけを考えてください』

「ああ……!」

『それでは、いきます……!』

 

 管制人格の掛け声と共に、闇の書に意識を埋没させるような感覚が颯輔を襲った。例えるならば、眩暈が最も近いだろうか。ぐらりと視界が揺れるような、意識を引っ張られる感覚。闇の書の構築する精神リンクに、颯輔の自意識が深く潜り込んだのだ。

 複数の意志が揺らめく精神の海を漂いながら、颯輔は真っ先に浮かんだ名前を呼ぶ。応える声は、ほどなくしてに返って来た。

 

『……颯輔、ですか?』

『シグナム、聞こえるか!?』

『ええ、聞こえています。しかし、外との念話は通じないはずですが……』

『精神リンクから直接声をかけてる。結界内の状況は?』

『進退窮まる、といったところでしょうか。悔しいことに、実力が拮抗しています。些細なきっかけで流れが変わってしまいそうですね……。颯輔達は無事ですか?』

『こっちは心配ない。だけど、シャマルが捕捉された。結界は自力で破れるか?』

『術はありますが、それを行う隙がなさそうです……。いえ、この程度の苦境、どうにか切り抜けては見せますが』

 

 シグナムはこちらを安心させようという声音を出していたが、精神リンクを強めた今、颯輔には内心の焦りがはっきりと伝わってきていた。

 今現在シグナム達が相手にしているのは、高町なのはにフェイト・テスタロッサ。さらにはフェイトの使い魔に、おそらくはリーゼアリア。三対四で、相手方の実力も考えれば、いくらシグナム達であろうとも多勢に無勢。

 シャマルは武装隊に追われているため、外側から結界を破ることは不可能だろう。そこで手の空いたリンディが向こうに加われば、結界内の戦闘の優劣は瞬く間に管理局側へと傾いてしまう。そうなってしまえば、シグナム達が自力で結界を破ることは不可能に近い。どころか、身柄を拘束されてしまう可能性の方が高いだろう。

 ならば、第三者の手によって結界をどうにかするしか方法はない。

 

『……結界はこっちでなんとかする。シグナム達は回避と撤退の準備を始めておくように。同じことをヴィータとザフィーラにも伝えてくれ』

『なんとかって、何を言って――』

『――いいから、頼んだぞ。それから、管理局の人にも回避するようにと注意してあげてくれ』

 

 シグナムの言葉が終わらないうちに、颯輔は伝えるべきことを伝えて精神リンクを通常の感度に戻した。無茶苦茶な命令だったが、やるならば急いだ方がいい。自分には指揮官の才能はなさそうだ、と自嘲しながら、颯輔は続いて管制人格へと声をかけた。

 

「認識阻害を常時展開できる騎士甲冑を作ってくれるか?」

『作れはしますが……しかし、主を戦場に出すわけには――』

「――ちょっと結界を壊すだけで、あとはすぐに逃げるから大丈夫」

『…………畏まりました』

 

 反論に反論を返してやると、颯輔は管制人格から今までになく非難がましい目を向けられる。颯輔がそれをまっすぐに受け止め、無言で催促をしていると、何かを諦めたらしい管制人格が力なく呟いた。

 颯輔の足元に深紫の魔法陣が輝き、そこから立ち上る粒子が颯輔の体を包み込む。直後、制服姿だった颯輔の服装が、頭から足元までをすっぽりと覆い隠すローブへと変化した。艶のある漆黒の革製で、そのまま闇に溶け込んでしまいそうな装いだ。颯輔が一瞬想像してしまった戦国時代の甲冑姿よりは、余程動き易いし無難なデザインだろう。管制人格やシグナム達は対象から除くが、認識阻害の魔法によって外部に聞こえる声も変化しているはずだった。

 颯輔は無茶苦茶な要求にも応えてくれた管制人格に感謝と申し訳ない気持ちの両方を抱きつつ、必死に結界を破ろうとしているシャマルへと再び呼びかけた。

 

「シャマル、結界は俺達が壊す。だから、俺達をそこに転移させてくれ」

『…………は?』

「時間がないから急いでくれっ!」

『は、はいぃっ!』

 

 一瞬呆けたシャマルに強く言い返し、颯輔はディスプレイを閉じさせて闇の書を手に取った。そして、颯輔の足元にシャマルの転移魔法陣が現れる。颯輔の視界が、ミントグリーンの光に包まれた。

 光が晴れて転移を完了した先、そこは、シャマルの隠れ潜んでいたビルの屋上だった。遠くに翡翠色の結界が見え、その周囲には武装隊員達の小さなシルエットが窺える。黒衣の少年が率いる別働隊は、もうすぐこの場に駆け付けようとしていた。

 

「そう――あ、主っ! どうしてこんなところまで来られたのですかっ!?」

「今は結界を破るのが最優先。話は後だ、シャマル」

『癒し手よ、今は主を護り、同時に逃走の準備を進めておいてほしい』

「あなたまで……わかりました」

 

 怒りを見せながら詰め寄ってきたシャマルを、強引ながらも二人がかりで手短に説き伏せた。

 外側から結界を破るには、術式を解析するか、強引に破壊するかしか方法はない。そして、十分な時間が残されていない以上は、強引に破壊するしか成す術はなかった。

 結界を破壊するほどの魔法は、外にいるシャマルには使えない。だが、闇の書を用いればそれも可能となる。別段、シャマルが闇の書を使えばいいだけではあったが、今回の場合は、『闇の書の主が動いている』と管理局に認識させる必要があった。

 シャマル自身も手段はそれしかないとわかっていたのか、それ以上の抗議はないようだった。颯輔の横に並び、迫る武装隊を見据えて油断なく構えている。

 記憶では知っていても、初めて感じる戦場の空気に緊張を高めながら、颯輔は闇の書を開いた。颯輔の足元に、深紫の魔法陣が浮かび上がって回転を始める。魔法の構築は、管制人格に一任していた。

 

『主のリンカーコアを一時的に起動させます。稼働率、6パーセント……23パーセント……47パーセント……? 稼働率、50パーセントから上がりません! 主、お体に異常はありませんか!?』

「いや、なんともないけど……」

『ならばどうして……いや、これでは十分な出力が……』

 

 土壇場での異常に管制人格が焦りを見せるも、颯輔は心配されるようなことに心当たりはなかった。強いて言えば起動したリンカーコアによって胸の奥が熱いくらいだが、それ以外に苦しさを覚えるなどの異常は何も感じられない。颯輔のリンカーコアは闇の書が取り込んでいるため、管制人格に異常の原因がわからなければ、あとは誰にもわからないだろう。

 とにかく、今は時間がおしい。発動に迷いを見せる管制人格に、颯輔は冷静に応じた。

 

「足りない分は闇の書の備蓄分で補ってくれ。消費した頁は、皆には悪いけどまた集めればいい」

『……わかりました。それでは、主の魔力と24頁分の魔力を使用させていただきます』

「ああ。術式の制御は任せるぞ?」

『お任せを』

 

 颯輔が胸の熱を闇の書へと送ると、深紫の魔法陣が輝度を上げた。人の身には過ぎた魔力の高まりが風を呼び起こし、もっと魔力を寄越せと仄暗い空に突風が吹き荒れる。湧き上がる魔力が集束を始め、颯輔の頭上に形を成していった。

 

「『眼下の敵を打ち砕く力を、今、ここに――!』」

 

 颯輔と管制人格の声が重なり、静かに響き渡る。深紫の魔力光は巨大な発射体を作りだし、表面に電流を走らせては、解き放たれるのを今か今かと待っているようだった。

 颯輔の視界が真紅に染まっていく。その中に、引き連れていたはずの武装隊員を置き去りにした黒衣の少年の、必死の形相で杖を突き出している姿が映った。颯輔は浮き上がった闇の書から手を離し、少年を射線に入れないように注意しながら、突き出した掌を結界へと向けた。

 

「『撃ち抜け――夜天の雷よッ!!』」

 

 詠唱の完了と共に、結界破壊の効果を持った広域攻撃魔法が撃ち放たれた。

 海鳴の空を引き裂いた轟雷は翡翠色の結界と衝突し、微塵も減衰されることなく突き抜ける。

 それと同時、颯輔の左腕と胸を、これまでとは比べ物にならないほどの激痛が襲った。

 

 

 

 

 結界内のリンディから連絡を受け、クロノは海鳴の空を飛んでいた。その後ろには、かつてはアースラチームの一員であった武装隊員が追従している。目指すは海鳴市のビルの一角。そこに湖の騎士シャマルが潜伏していると、確かな証拠を元に伝えられていた。

 S2Uを握る掌に力が入る。今この瞬間の行動は、ある意味でクロノが管理局入りした最大の目的でもあったのだ。

 クロノの父であるクライド・ハラオウンは、『前回』の闇の書事件に部隊の一部を率いる提督として参加していた。母のリンディ・ハラオウンも、クライドの補佐官として捜査にあたっていたという。総指揮を執っていたのは、現在の特務四課の部隊長でもあるギル・グレアムだった。

 主の確保にまで至ったのは、過去の事件では『前回』だけだ。だが、辿った結末はそれまでと同じく破滅。クライドを犠牲にして、『前回』の事件は終幕をみた。

 当時のクロノはまだ幼かったため、今となっては父の顔をろくに思い出すこともできない。父の写真を見て自分と似ていることを認め、ようやく微かな記憶と一致するのだ。しかし、あの日の母の顔だけは――雨降りの葬儀の日、笑顔を絶やさなかった母が唯一見せた泣き顔だけは、何年経とうとも色あせることなくクロノの脳裏に焼き付いている。おそらくこの先も、決して忘れることはないだろう。

 だからクロノは、あの日の涙を止めたくて管理局員となったのだ。それが、クロノ自身も自覚していないであろう本心。管理局員として、執務官として、オーダー分隊副隊長として、正義を振るう理由。

 

「目標捕捉っ! 報告と一致する座標に留まっています!」

 

 武装隊員の一人、サーチャーを放って現場を確認していた者がもたらした朗報により、クロノは気を引き締めた。

 今は過去を振り返っている場合ではない。シャマルの捕縛を足掛かりに守護騎士を崩して主を捕え、闇の書を封印して『闇の書事件』を終わらせるときだ。

 目標地点に迫り、クロノも肉眼でシャマルの姿を捉えたときだった。そこに、その影法師のような人物が姿を現したのは。

 

「なっ、転移反応っ!? ……で、ですが、対象の魔力反応がありませんっ!」

「なんだって!?」

 

 その報告に、クロノは思わず驚愕の声を返してしまった。

 シャマルの隣、ミントグリーンの魔法陣から現れたのは、頭頂からつま先までを漆黒のローブで覆い隠した人物。シャマルよりも長身だが、男性か女性かの区別はつかない。顔はフードの影に隠れて見えないが、あれが闇の書の主である可能性は高い。例え別口の協力者であったとしても、このタイミングで介入してくるのならば、魔導師でないはずがないのだ。

 ローブの人物を凝視したクロノは、その右手に持った、一冊の古めかしい書物を見つけた。

 

「あれは……!」

 

 茶色の装丁と、小さく光を反射してくる表紙。はっきりと確認したわけではないが、クロノの目が確かならば、その書物は闇の書で間違いないはずだ。つまりあの影法師は、闇の書の主でしかあり得ない。

 ローブの人物はその書物を開き、足元に深紫の光を従え始めた。そして、その身に魔力をまとい始め、それが次第に増大していく。

 

「そんなっ!? 対象の魔力量が急激に増大していますっ! 推定魔力、Aランクを突破! まだ増大を続けていますっ!」

「――っ! 君達は回避行動を優先しろ!」

 

 件の人物の頭上に、巨大な深紫の魔力球が形成されていった。吹き上がる魔力流が風を呼び、クロノ達を吸い寄せるかのように突風が吹き荒れる。クロノの直感が告げるあの攻撃は、Aランクどころの範疇には収まりきらない。おそらくはSランクオーバー、クロノも未踏の領域だ。

 だが、それでも。

 

「ですが、副隊長はどうするのですかっ!?」

「僕は、闇の書の主を捕える……!」

 

 クロノは、クロノだけは、ここで退くわけにはいかなかった。

 武装隊員の制止を振り切り、クロノは飛翔を続ける。S2Uに魔力を流し、術式を立ち上げながら、捕えるべき対象を睨みつけた。

 そして、暗い闇が覆うフードの奥、真紅の瞳と視線が交差したのだった。

 

「――ッ!?」

 

 その眼に射抜かれた瞬間、クロノの背筋をぞわりと怖気が走った。構えるS2Uの先端ががくがくと揺れ、それを見て初めて自分が震えていることに気が付く。起動していたはずの術式は、まるで蛇に射竦められた獲物のように、ピタリと処理途中で停止していた。

 クロノは14歳ながらも、経験豊富な執務官だ。凶悪な犯罪者とは、過去に何度も顔を突き合わせてきた。Sランククラスの実力を誇る犯罪者と戦闘になったこともある。そのときでさえ、微塵も恐怖を感じたことはなかったはずなのだ。

 だが、あの眼はかつてのどれとも違う。もっと禍々しい類の、人では理解できない何かだ。

 闇の書は、第一級捜索指定遺失物。ロストロギアとは、人の手に負えぬ狂気の産物。そんな言葉が、クロノの脳裏を過った。

 

「『撃ち抜け――夜天の雷よッ!!』」

 

 二重に聞こえる声が詠唱の完了を告げ、深紫の轟雷が解き放たれる。あるいはなのはの切り札をも凌駕するかもしれない暴力的な魔力が、クロノの眼前にまで迫り――

 

「クロノーーーッッ!!」

 

 その声を聞いて衝撃を受けると同時、クロノの視界が何度か連続で飛んだ。コマ送りをするかのように景色が遠ざかっていき、あの魔法も、それに伴いクロノから離れていく。

 いや、そうではない。クロノが魔法の発動地点から離れているのだ。クロノの魔法の師、リーゼロッテの腕に抱かれて。

 短距離瞬間移動を繰り返し、二人は手頃なビルの屋上へと着地した。危険はとうに去ったはずなのに、ロッテがクロノを離す様子はない。まるでクロノに縋りつくかのようにして、ロッテは小さく震えていた。その背の向こう、大分遠くでは、ようやく闇の書の主が発動した魔法が収まりつつあった。大きく射線から外れたここまで魔力流の余波が飛んでくるとは、いったいどれほど強力な魔法だったのか。リンディが展開していたはずの結界は、当然の如く消失していた。

 呆然と眺めるクロノの視界を、四色の魔力光が天を目指して昇っていく。どうやら、闇の書の主と守護騎士には逃げられてしまったようだった。先ほどの魔法による残留魔力が付近一帯に渦巻いているせいか、念話が上手く機能しない。結界の中にいたリンディ達が無事かどうかは、わからなかった。

 

「……か、……のばかぁ……!」

「ロ、ロッテ……?」

 

 微かに声が聞こえたかと思いきや、ロッテの抱きすくめる腕がきつくなった。ぎゅっと体が寄せられ、クロノは頭をロッテの肩に乗せる形となる。ロッテの震えは、未だ治まっていなかった。

 

「……バカクロノ、あんな魔法が発動しようとしてるところに突っ込んで、いったいどうする気だったんだよ」

「それは、闇の書の主を確保しようとして……」

「バカクロスケ、ああいう状況なら自分の命を優先しろって教えただろーが。射線は少しずれてたものの、ちょっとでも掠ればバリアジャケットなんて簡単に破られんだ。そのまま余波で意識を持ってかれてたら、飛行魔法も維持できなくて墜ちてたんだぞ……! バリアジャケットなしであの高さから落ちたら、絶対助からない。ちょっと考えればわかんだろ……!」

「……すまない」

「このバカスケ……生きててよかった……本当に……よかった……!」

 

 嗚咽を上げ始めたロッテの背に手を回し、クロノもようやく抱き返すことができた。そっと撫でてやると、生意気、などと返してくるものの、ロッテがクロノを離す気配はやはりない。余程心配だったのだろう。ロッテは目の前で、クライドが消滅するところを見ていたはずなのだから。

 二人が揃って動けずにいてしばらく。ようやく通信が復旧したのか通信用ディスプレイが現れ、クロノ君クロノ君クロノ君、と慌ただしい声が聞こえてきた。クロノの耳によく馴染んだその声は、四課でも変わらず通信主任を務めるエイミィ・リミエッタのものだった。

 

『……あー、お邪魔だった、かな?』

「いや、そんなことはない。それよりもエイミィ、いったいどうなっているのか、そちらで把握している現状を教えてもらいたい」

『う、うん……。えーと、闇の書の主と思われる人物の広域攻撃魔法によって結界は消滅。副艦長とアースラの魔導炉のパスを繋ぎ直す最中だったんだけど、どうも攻撃の影響を受けたらしくて、魔導炉が停止しちゃって……。今さっき復旧させたばっかりだから、実は、こっちもあんまり状況はわかってないんだよね。直撃コースだった結界内とは、まだ通信が繋がんないし……』

「そうか……。守護騎士達の転移先も追跡できてはいないのか?」

『さっきの攻撃の残留魔力が酷くて、計器が全然反応してくれないの。あんなの無茶苦茶だよ……』

 

 アースラのシステムをダウンさせるほどの攻撃。かつてジュエルシード事件でも味わったことだが、Sランクオーバーの魔導師とはその大概が常識外れもいいところだ。主も魔法が使用可能という事実が今後の捜査に大きく影響を及ぼしそうで、クロノの胃がきりきりと痛みを訴えてくる。

 猫フォームをあやす要領でロッテの背を撫でつけつつ、同時にエイミィから何やら理不尽な視線を向けられながらも、新たにグレアムも交えて状況を整理しているときだった。

 

『――……ロノ、クロノっ!』

『フェイト、無事か? いったいどうした?』

『私は大丈夫だけど、リンディ隊長が私達を庇って、それで……! ああ、早く医療班を呼んでっ!』

 

 フェイトの悲鳴を受け、クロノの中の何かに亀裂が走る。その頬を、ぽつりぽつりと降り始めた雨が濡らしていった。

 

 


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