夜天に輝く二つの光   作:栢人

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第十七話 雲を掃う力

 

 

 12月11日午後4時半。今にも泣き出してしまいそうな黒雲の下、特務四課オーダー分隊副隊長、クロノ・ハラオウンは、これから始まる大捕物を前に、自身のうるさい鼓動を落ち着けようとしていた。クロノの眼下、街灯が照らしだす海鳴市は平時と変わらないようにも見えるが、その何処かに諸悪の根源が潜んでいるかもしれないというだけで、普段の冷静さを保てなくなる。

 急事にこそ冷静さが友。

 師の言葉を思い出したクロノは、大きく深呼吸をした。

 

「なーにを難しい顔してるのかにゃ~?」

「なっ、おいこらロッテっ! やめないか、今は作戦行動中だぞっ!」

「つってもリンディはまだ始めてないじゃんかよー」

「もうすぐ始まるんだっ! いいから離せっ!」

 

 深呼吸を終えた途端、背中に軽い衝撃を受け、続き、後頭部に柔らかい感触がクロノを襲った。クロノにこのような過激なスキンシップをしてくる相手など、考えるまでもなくリーゼロッテしかいなかった。

 拘束から逃れようとも、近接格闘のエキスパートであるロッテはそのスキルを無駄に駆使し、一向に離してくれる気配はない。しばらく抵抗を続けていたクロノは、抵抗するだけ体力の無駄だと悟り、大人しくその身を預けた。体格でも経験でも実力でも劣る相手に本気で刃向うなど、馬鹿馬鹿しいにもほどがある。

 ただ、頭の上に自身の顎を乗せて、ゴロゴロ~、と猫をあやすが如く顎から喉にかけてを撫でてくるのだけは、正直勘弁してほしいクロノであった。

 

「緊張感に欠けるにもほどがある……」

「んー?」

「……いや、君に緊張感を求めた僕が馬鹿だったよ」

 

 はぁぁ、と深い溜息を吐き出したクロノは、リンディが待機しているであろうビルの屋上へと視線を向けた。海鳴市の上空にいるクロノの肉眼ではその姿は確認できないが、作戦が始まれば、翡翠色の魔力光が目に留まることだろう。

 本日なのはとフェイトが復帰を果たし、新たなデバイスの性能試験も終えたところで、特務四課の戦力は守護騎士とも渡り合えるほどになった。そして、ようやく闇の書の主と守護騎士の捜索に本腰を入れることができたのである。

 無論、これまでも守護騎士の転移反応を追跡したりとはしていたのだが、その成果はいずれも芳しくはなかった。ただ、転移反応が海鳴市の近辺に集中していることだけは掴んでいたのである。これ以上悲劇を繰り返さないため、何としても主達の身柄を確保し、闇の書を封印しなければならなかった。

 故にクロノは緊張を隠せずにいたのだが、対するロッテの何たるお気楽なことか。その在り様は、普段とまったく変わらないほどである。

 

「んなこと言ったって、緊張し過ぎてもダメなんだぞー? 身体がガチガチになって、反応速度も判断速度も鈍るし。それにたぶん、今回闇の書の主は出てこないと思うぞ?」

「それは、そうかもしれないが……」

 

 ロッテの言うとおり、闇の書の主がその姿を現す可能性は限りなく低い。過去の事件でも、主が姿を現したのは闇の書が完成してからか、如何に早くとも完成する直前だったのだ。

 レイジングハートとバルディッシュがコアを破損しながらも記録していた映像により、2日の時点で400頁を越えたことは分かっている。それから九日間経ったが、おそらく、完成まではまだいくらか猶予があるだろう。

 

「今回の作戦で真っ先に確保しなきゃなんないのは、守護騎士の一体の金髪の女だ。バックアップ担当のシャマル。あいつがいなくなるだけで、守護騎士の活動範囲はぐっと狭くなる。守護騎士の連中が釣れれば、そいつも一緒に釣れるだろうよ」

「僕とロッテがシャマルを――可能ならば主も捕える。それは分かってはいるんだが……」

「リンディの心配かい? それともなのはとフェイト? ……それとも、まさかのアルフ?」

「全員に決まっているだろう。もちろん、純粋な意味で、だ」

「純粋な好意? クロスケは節操なしだなー」

「僕は執務官だ。パワハラとセクハラで起訴してもいいんだぞ」

「軽い冗談だろー? 怒んない怒んない」

「君は1分と真面目になれないのか……!」

「まあ実際、そんな心配することないと思うぞー? あっちにはアリアが付いてるし、いざとなったらあたしらも参戦できるし。つーかそもそも、リンディは心配するだけ無駄だ。なのはとフェイトだって、今度は簡単に墜ちたりしないさ。なんたって、あんだけぶっ飛んだデバイス持ってんだからなー」

「………………」

 

 いきなり真面目になるのか。というかそもそも、そのぶっ飛んだデバイスを手配したのは君達だろう。

 もろもろの言ってやりたい言葉を飲み込み、クロノは午前中に行われた性能試験の様子を思い出してげんなりとした。あくまでも試験であるはずのそれは、凄まじいの一言に尽きる光景だったのだ。

 ベルカ式カートリッジシステム。局内でも試験段階の域を出なかったはずのそれを搭載したレイジングハートとバルディッシュは、元々高かった性能を更なる高みへと進化させた。仮想敵の役を買って出たのはリーゼ姉妹だったが、過去には守護騎士とも渡り合った経験もある管理局最強クラスの使い魔達が追い込まれるほどだったのだ。

 なのはの相手をしたのはアリア。魔力運用には定評のあるアリアの防御はしかし、元来の凶悪さに磨きをかけたなのはの砲撃によって、いとも簡単に破られていた。局内でも上位に位置する実力のクロノの砲撃でも抜けないアリアの防御を、である。

 一方で、フェイトの相手をしたのはロッテ。短距離瞬間移動を極めているはずのロッテの高速機動はしかし、従来の速度に輪をかけて素早くなったフェイトの高速移動によって、いとも簡単に追いつかれていた。クロノですら見失うことのあるロッテの機動に、である。

 なのはとフェイトとの戦闘も含め、管理局が記録している過去の守護騎士の戦闘の映像には目を通していたクロノだったが、確かにあの二人ならば、あるいは守護騎士相手に勝利することも可能ではないのかと思わされたほどだったのだ。

 そして、あのやたらと前線に出たがる元艦長についても、言われて改めて考えてもみれば、クロノが心配するような実力の持ち主ではない。リンディが知れば、私よりも自分の心配をしなさい、と言うことだろう。それに加えて、あちらにはアリアとアルフまでもがいるのだ。さらに、今回の作戦では出撃することはないが、あのグレアムまでもが控えている。守護騎士の連中も大概だが、四課も過剰戦力が集結していることに違いはなかった。

 

「……おっと、言ってるそばから始まったみたいだぞ、副隊長さん」

 

 ロッテに言われ、クロノもそれを視界に捉えた。アースラの魔導炉とパスを繋ぎ、その魔力量を大幅に引き上げたリンディの手によって、眼下には翡翠色の魔力光が瞬いていた。大量に生み出されたサーチャーが、海鳴の街へと散開していく。本当に闇の書の主達が海鳴市に潜伏しているのならば、この常識外れの捜査網からは逃れる術はないだろう。

 作戦が始まり、クロノはようやくロッテの拘束から解放された。ぐるりと肩を回したクロノは、自身のストレージデバイス――S2Uを握り直して眼下を睨む。

 いつの間にか、クロノの鼓動は落ち着きを取り戻していた。

 

 

 

 

『今のところ、魔力反応はまだ感知できていません。引き続き、サーチャーの散布をお願いします』

「了解したわ、エイミィ。オーダー01、捜索を続けます」

 

 ブリッジとの簡単な連絡を終え、特務四課オーダー分隊隊長、リンディ・ハラオウンはディスプレイを落とした。作戦開始から5分は経っているが、サーチャーからは何の反応も返ってきてはいない。少しでも魔力を持つ者には反応するように設定してあり、海鳴市の隅々まで配置している以上、見落としがあるという可能性は考えられなかった。

 つまり、闇の書の主はここにはいないか、それとも、リンディの捜査網をも潜り抜けるほど高度な探知防壁を展開しているかのどちらかである。

 

「中々見つからないわね……」

「転移反応は間違いなくここを示していたから、いるにはいるんでしょうけど……」

 

 リンディのぼやきに返してきたのは、リンディの護衛を務めるリーゼアリアだった。

 アースラからの魔力供給により現在の魔力量はSランクをオーバーしているとはいえ、リンディは後方支援型の魔導師である。自分で戦うことができないわけではないが、それでも、百戦錬磨のアリアがそばにいるのはリンディにとっても心強いことだった。

 困ったわねぇ、ともう一つぼやき、リンディはその手に持ったの銀色の杖を振るった。

 先端に両翼のデザインが施され、その中央には翡翠色のコアを備えたストレージデバイス――アテナ。インテリジェントデバイスのように高度な人工知能は搭載していないが、その分だけ処理速度を限界まで追求した特注品である。高性能で特注品である以上はそれ相応に値が張るのだが、その程度でリンディのお財布事情がどうにかなることはなかった。

 アテナのコアが明滅し、命令を受け付けたサーチャーが海鳴市を駆け回る。民間人には見えないように設定しているが、魔力を持つ者にとっては別である。仮に相手が何らかの手段で探知から逃れていても、向こうがサーチャーを見つければ反応を見せるはずだった。そして、闇の書の主が少しでも見つかる可能性があるのならば、守護騎士も動かずにはいられないはず。

 

「もしかすると、転移反応は潜伏先の特定を防ぐためのダミーだったのかもしれないわね……」

「あら、でもなのはさんには赤毛の子に見覚えがあったそうよ。それとも、翠屋は他の世界でも評判なのかしら?」

「夢のある話だけど、別の街に潜んでいるって考えるのが現実的かもね」

「それじゃあ、近隣都市まで範囲を広げてみる?」

「そこは父様と相談してみないと――……釣れたわね」

「ええ、そのようね」

 

 作戦行動中ながらもどこか飄々としてたリンディとアリアだったが、起きた異変にその表情を引き締めた。リンディとアースラの魔導炉とをつなぐパスが突然に断ち切られ、二人のいるビルを中心に、ミッドチルダ式とは別の封鎖結界が展開されたのだ。

 リンディの命令を素早く遂行したアテナによる解析の結果、結界の術式は、当然のようにベルカ式を示していた。

 薄暗いミントグリーンに染まった空の下、深紫の光を放つ転移魔法によって、三騎の守護騎士が顕現する。剣の騎士シグナム、鉄槌の騎士ヴィータ、そして、盾の守護獣ザフィーラ。騎士甲冑の意匠に違いがあるとはいえ、リンディの記憶のままのその姿は、十一年の月日などまったく感じさせないものだった。

 守護騎士のリーダー格であるシグナムから、そして、ヴィータとザフィーラからも、鋭い視線が向けられる。リンディにとっては驚くべきことに、そこからは確かに怒りの念が感じられた。

 

「我らが主を捜しているのならば、それは無駄なことだ。貴女方には、あの御方を見つけ出すことなどできはしない」

「それはどうかしら? 貴女達がこうして現れたということは、この世界にいると教えてくれているようなものなのだけれど?」

「わからない御婦人だ。我らが現れた意味……よもや、察していないわけではあるまいに」

 

 デバイスを構えたシグナムとヴィータ、そして、ザフィーラの魔力が高まっていく。並の魔導師ならばその圧だけで膝を着いてしまいそうな魔力に、空気が悲鳴を上げているような気がした。

 しかし、その程度に屈するリンディとアリアではない。これほどの魔導師――いや、騎士を相手にするのは珍しいこととはいえ、何も初めての経験ではないのだ。この程度の修羅場は、過去にいくらでも潜り抜けてきた。相手の戦法も、過去の経験から熟知しているつもりだ。

 

「貴女達こそ、私達を侮っているの?」

「一騎当千と謳われた守護騎士を三体も前にして、たった二人で挑むはずがないでしょうに」

 

 それは、アリアが肩を竦めた瞬間のことだった。

 東側からは桜色の、西側からは金色の砲撃が放たれ、守護騎士達を飲み込み炸裂した。

 

 

 

 

 海鳴市に残っていたシャマルの連絡を受け、あと一歩の所まで獲物を追い詰めていた蒐集を放り出し、取り急ぎ駆け付けたシグナム達だったが、現在の状況は思わしくなかった。

 

「グッ、ヌオオオオッ!!」

 

 桜色と金色の光の奔流の中、全周障壁を展開したザフィーラが苦悶の声を上げる。

 ザフィーラは盾の守護獣。その名が示すとおり、守護騎士の中では最も防御に長けた存在だ。二人がかりの不意打ちとはいえ、それをも揺るがす砲撃魔法。相手が並大抵の魔導師ではないことは、明白だった。

 

「ザフィーラッ!」

 

 ピキリ、と悲鳴を上げた群青色の障壁に、紅の障壁が溶け込む。少々攻撃寄りの傾向はあるが、ヴィータは本来オールラウンダーである。ザフィーラには劣るとはいえ、最前線でもその身に傷を作ることなどほとんどないヴィータの防御は、堅牢の一言に尽きた。

 競り負けていた障壁が安定し、ヴィータはほっと一息をつく。

 

「すまない、ヴィータ」

「いいってことよ。それよりこの砲撃、もしかしてこの間のやつらのか? つーことはあいつら、リンカーコアがもう回復したってことかよ……!」

「呆れた回復力だな……。それにこの威力、どうやら魔力量も増えているらしい」

「……お前達の言う少女達は化け物の類なのか?」

 

 シグナムとヴィータは至って真面目に推論していたが、返すザフィーラの言葉には呆れの色が混じっていた。

 それもそのはず。高町なのはとフェイト・テスタロッサから蒐集をしてから約十日。収縮したリンカーコアが元の状態に戻るような時間ではない。それどころか、魔力量さえ増えているというのだ。相手が常人だとはとても思えない。それこそ、百年に一人の才覚を持った人物であろう。

 

「こんなことなら、治療なんかしねえで腕の一本二本は折っとくんだったな……」

「そういうわけにもいくまい。……しかしこうなれば、再度退場を願うしかない、か」

「砲撃が弱まってきた。シグナム、どう相手取る?」

「戦術を知っている私がテスタロッサを受け持とう。あれの速度を見切るのは、ヴィータにも骨が折れたようだしな」

「そんじゃあ、あたしは高町なのはをやる。あいつの防御を破るのは、シグナムにも骨が折れたみたいだしな」

「…………」

「では、我が先ほどの婦人と守護獣か。……女性を狩るのは性に合わんが、文句も言っていられまい」

 

 視界を塗りつぶすほどだった光が薄れていき、断絶されていた周囲の景色が徐々に見えてくる。あまりの魔力量によって感覚をかき乱されてはいるが、この間に大きな増員はなかったようだった。

 シグナム達にとっての敗北条件は、颯輔とはやてを見つけ出されてしまうこと。闇の書が探知防壁を張っている以上はその心配はほとんど皆無だが、万が一ということもある。それを防ぐためにも、そして、今後の活動を邪魔させないためにも、管理局には少々痛い目に遭ってもらわなければならなかった。

 砲撃が、止んだ。

 

「各自、伏兵には注意を払えよ。では――征くぞッ!」

「「応ッ!!」」

 

 展開していた障壁を消し去り、シグナム達はそれぞれの目標を目指して空を翔けた。

 

 

 

 

 大気中の魔力素を固定して足場と成し、四肢を躍動させて宙を駆ける。弾幕を張り巡らすように飛んでくる青色の魔力弾は、空中だからこそ可能な三次元機動を活かして回避した。込められた魔力量から防御することも容易いが、一度足を止めれば控えの緑髪の女性が仕掛けてくるだろう。それ故の回避。ザフィーラの持ち味は、なにもその名を表す防御だけではないのだ。

 ザフィーラが受け持ったのは、緑髪の女性とグレーの毛色の守護獣――ミッドチルダ式に倣って呼べば、使い魔の二人。過去に戦闘経験のない相手であるため、ザフィーラはまず戦術を見極めることを優先した。

 

「ちょこまかと……!」

 

 一度に繰り出される魔力弾が20発から倍の40発に増え、弾幕がさらに厚くなった。要求される操作技術が上がったにも関わらず、その狙いは鋭くなっている。かわすことが困難な弾道も混じってきたため、ザフィーラは前面に魔力障壁を展開しながら接近を続けた。

 使い魔の射撃魔法は誘導制御型。展開および連射速度、そしてその操作技術から、ザフィーラとはタイプは違うが同等の実力者であると判断。耳と尻尾の形状から猫科の生物が素体と推測されるが、接近してくる様子はないため遠距離型の戦闘スタイルなのだろう。

 もう一方、女性の方は未だに動きを見せてはいないが、戦闘開始時から魔法陣を展開したままだった。射撃、砲撃、広域魔法である可能性は低い。少なくとも、現時点では大きな魔力の高まりは感じられない。稀少技能を行使している可能性も捨てきれないが、その場合は実際に使われてみないとわからない。よって、現時点では補助系統の魔法を発動させている可能性が濃厚だった。

 

(シグナム達へ手を出している様子もない。……となると、結界の解析か)

 

 戦闘区域を覆っているのはシャマルが張った封鎖結界だ。その術式は当然ベルカ式であるため、ミッドチルダ式を主とする管理局に抜かれることなどまずあり得ない。ベルカ式に精通しているか、それ相応の魔力を叩きつけて破壊するかの二択なのだ。

 しかし、もしも結界を抜かれるようなことがあって増員を呼ばれたり、そこから結界を再展開され、今度はこちらが閉じ込められたりするのは望ましい展開ではなかった。

 

『シャマル、結界の維持に問題はないか?』

『一帯に局員が配置されているけど、私が捕捉されるようなことはないはずよ。ただ、術式に割り込みがかけられていて……。今のところは破られる気配はないけど、私とクラールヴィントに追随してくる性能よ、相手は後方支援型だと思うわ』

『了解した。先にそちらを叩いておこう』

『ええ、お願い。邪魔がなくなり次第、私もサポートに入るわ』

 

 シャマルとの念話を済ませたザフィーラは、遂に標的を定めた。狙うは後方支援型の魔導師。感じる魔力量は使い魔と同程度だが、他の術式を展開している今ならば、攻撃に転じる余裕もないだろう。例え誘いであったとしても、それに乗った上で突破してみせる。

 決断を下したザフィーラは障壁を強化し、四肢にも魔力を通わせた。飛躍した脚力にものを言わせて急加速し、三次元機動から直進に入る。まずはフェイント、使い魔を目指して疾走した。

 ザフィーラの正面に見据えた使い魔が、頬を小さく釣り上げる。

 

「――ブレイズキャノンッ!」

「――ちッ」

 

 思わず舌打ちが漏れる。使い魔から放たれたのは砲撃魔法。射撃魔法の展開速度を遥かに凌駕して発動されたそれは、熱量を伴い迫ってきた。射撃魔法の展開速度もなかなかのものだったが、あれはあれで手加減をされていたらしい。

 予定よりも距離は稼げなかったが、ザフィーラは反射的に女性を目指して足を蹴り出した。目前にまで迫っていた砲撃魔法がわずかに障壁を掠り、それだけで術式を吹き飛ばされる。

 だが、問題はない。群青色の残滓を置き去りにして、ザフィーラは鋭い爪を伸ばした前足を振り上げた。

 

「グオオオオッ!」

「あらあら、相変わらず躾のなっていないわんちゃんですこと」

 

 振り下ろした前足が、直前に展開された翡翠色の防壁によって受け止められた。障壁破壊の術式を立上げてはいなかったが、単純に強度よりも威力が勝っていたためか、防壁に爪が中頃まで食い込んでいる。

 このまま破れるか、と思考したザフィーラはしかし、瞬時に自身の見通しが甘かったことを悟った。

 

「グッ……!?」

 

 一思いに引き裂こうと魔力で強化してまで力を込めた前足はしかし、翡翠色の防壁を破ることができなかった。それどころか、引き抜くことすら叶わない始末。防壁に込められる魔力が増大し、ザフィーラの爪を噛んでいたのだ。

 そして、急を要する事態にもかかわらず、直前の女性の聞き流せない言葉が、ザフィーラの思考を否応なく戦闘以外の方向へと迷い込ませた。

 相変わらず、とはいったいどういうことなのか。それは、過去に相対したことがあるからこそ口をつく言葉ではないのか。

 

「わんちゃんのご主人様には悪いけど、私が躾けちゃってもいいのかしら?」

「……我は、狼――ガァッ!?」

 

 無駄な思考を放棄し、久方振りの文句を口にしようとしたところで、脇腹に強い衝撃を受けた。噛まれていた爪は今の衝撃で外れたのか、ザフィーラの体が宙に投げ出される。そして、痛みと共に痺れも覚えた。受けたのは、魔力付与打撃――それも、雷撃の類だ。

 攻撃を受ける直前に感じた魔力反応は、猫科の使い魔ではなく第三者のものだった。用心のために障壁を再展開し、吐き出してしまった空気を吸い込んでから体勢を整える。全身に自前の魔力を巡らせ、体内に残留する第三者の魔力を体外へと追いやった。

 そして、固めた足場を踏み締めて見据えた先。そこにいたのはオレンジ色の毛並を持つ、ザフィーラによく似た狼だった。

 

「オーダー05、アルフさん参上、ってね。……リンディ隊長、アリア。悪いけどあの青いの、あたしに譲ってくれないかい?」

 

 大胆不敵で、どこか小馬鹿にしたような口調。しかしその碧眼には、確かに怒りの炎が燃え上がっていた。そして、高ぶる感情に呼応するかのように、漏れ出した魔力がバチバチと火花を上げている。電気の魔力変換資質持った、雷獣だ。

 

「私は自分のお仕事があるから構わないのだけれど、アリアはどうかしら?」

「お子様の自主性を尊重してあげるのも、私達大人の役目かしらねえ。まあどっちみち、私の役割は最初から全体のサポートだし?」

 

 この状況でもおどけて見せる二人に、もう立派な成体だよあたしゃ、と返したアルフが、前足を一歩踏み出してきた。

 ザフィーラとしても、一対三を強行するよりは、幼い思考の持ち主と一対一をして確実に仕留めていく方がやり易い。無論、空いた二人の皺寄せがどこかでくるのだろうが、しかし、戦闘能力はザフィーラよりもシグナムとヴィータの方が上である。あちらに回ったとしてもおそらく問題はなく、そして何より、ザフィーラがそうなる前に片付けてしまえば済む話だった。

 

「連中にゃあうちのご主人様が世話になったからねえ。あんたが相手をしたわけじゃないだろうけど、どっかで発散しないと腹の虫が収まらないんだよ。悪いけど、ちょいと付き合ってもらうよ?」

「……よかろう。来るがいい、無知なる獣よ」

「この……! 年寄り共め、あんたらに若さってやつを教えてやる!」

 

 二匹の獣の咆哮が、戦場に響いた。

 

 

 

 

 封鎖結界内で行われる二組の戦闘は、熾烈を極めていた。リンディは初期位置から微動だにせず、結界の解析を続けながらその様子を窺っていた。

 なのはとフェイトが戦っているのは、シグナムとヴィータの二人だ。戦闘開始時は一対一だったが、ほどなくして合流を果たし、現在は二対二の状況になっている。なのはの射撃で相手を牽制し、フェイトが切り込む。あるいはフェイトが足止めをし、隙をみてなのはの砲撃を撃ちこむという息の合った連係を見せてくれていた。カートリッジシステムの恩恵はやはり大きかったのか、あの守護騎士のアタッカー二枚とも互角の戦闘を繰り広げている。

 最初は二人共が声をかけ、話し合いに持ち込もうともしていたのだが、どうやら守護騎士達にはそれに応じるつもりはないらしい。もっとも、上の指示とはいえ先に仕掛けたのはなのは達であるため、守護騎士の態度は当然とも言えるが。二人はとにかく、勝ったらお話聞かせてもらいます、と意気込み、時折バインドを仕掛けては無力化を謀っているようだった。

 一方、少々苦戦気味であるのは一騎打ちを望んだアルフだ。いくらアルフが優秀な使い魔とはいえ、彼女は使い魔となってから2年しか経っていない。それこそ気の遠くなるような時間を戦い続けてきたザフィーラを相手に、経験の差がそのまま戦闘に表れているようだった。しかし、ただやられているというわけではもちろんなく、リーゼアリアの援護を受けながらも、差を埋めようと必死に食らいついてた。

 

「私も、そろそろ援護に回りたいところね……」

 

 この場でのリンディの役目は、外界とを隔てている封鎖結界の破壊だった。この結界には対象を内部に捕えるだけでなく、外界との交信をも妨害する機能があるらしい。戦闘開始から、アースラ及びクロノ達とは一切連絡がつかないでいた。

 現状は切迫しているが、追い詰められているというほどではない。ただ、アースラの魔導炉からの供給が絶たれたリンディには、守護騎士を相手にできるような攻撃魔法は使えない。事態を好転させるためにも、結界の破壊は必須であった。

 深く息をし、はやる気持ちを抑えつける。十一年前ならばいざ知らず、今のリンディは指揮官を務める立場だ。この場に至るまでに無茶をしてきたからこそ、今は冷静に事に当たらなければならない。

 闇の書によって人生を滅茶苦茶にされる人間は、自分達で最後にしなければならないのだから。

 

《Analysis complete.(解析完了)》

 

 アテナから、待ち望んでいた結果がようやく告げられた。

 リンディはミッドチルダ式の魔導師だが、職務に追われて多忙な生活を送る中、時間を見つけてはベルカ式魔法の知識も溜め込んできていた。全ては、いつか来るだろうと思っていた今この瞬間のために。

 

「それじゃあ、反撃開始といきましょうか?」

《Yes, Ma'am. Invasion halberd.》

 

 展開していた魔法陣が一際眩く輝き、翡翠色の魔力波が結界の外壁目指して広まっていった。

 リンディが発動したのは、結界を無効化するための魔法――インヴェイジョンハルバート。結界の術式構成を解析し、それとは逆位相の結界を展開することで、双方を対消滅させる効果がある。元はミッドチルダ式の結界を破るための魔法だが、リンディはベルカ式の結界をも破れるようにと術式に改良を施していた。そして、それを実現するために用意したのが、リンディのデバイス――アテナである。

 湖の騎士、シャマルが展開していた封鎖結界が消滅したことを確認し、リンディはすぐさま新たな結界を張り巡らせた。魔力光がほぼ同色であるため、結界内の空に大きな違いは見られない。しかし、結界が張り替えられたことには、守護騎士の誰もが気が付いたようだった。

 

『――……ちょ……艦長っ! 無事ですかっ!?』

「ええ、おかげさまでね。それと、今は副艦長よ、エイミィ?」

『そ、そうでしたっ! あわわわ、グレアム艦長すいませんでしたっ! つい癖でっ!』

 

 通信が回復し、リンディの目の前にエイミィの映ったディスプレイが現れた。余程心配していたのか、役職を間違えてしまうほどに慌てているエイミィの姿に、リンディは安心を覚える。必死に謝るエイミィの後ろ、小さく映ったグレアムが、愉快そうに微笑んでいるのが見えた。

 

「エイミィ、結界外周に展開している武装局員に、結界の補強をするよう連絡してもらえるかしら? 私一人だと、いつ破り返されてしまうかもわからないわ。それから、クロノ達の様子はどう?」

『あっ、それならはもう手配済みです! まもなく結界の強化と維持に入りますから、安心してください! 結界の外ではクロノ君とロッテが中心になって、守護騎士シャマルおよび闇の書の主を捜索してるんですけど、どちらもまだ見つかってはいません……。こっちでもサーチャーを飛ばしてるんですが、どうも探知防壁が展開されてるみたいで……』

 

 エイミィから、リンディにとっては予想通りだった答えが返って来た。

 後方支援に特化したシャマルが本気で身を隠せば、同じ系統であるリンディにも見つけ出すことは不可能に近いだろう。そして、守護騎士の中で最も厄介なのが、自身は身を隠して一方的に敵を攻撃することのできるシャマルだった。そのため、できれば今回の作戦で身柄を押さえたかったのだ。

 

「仕方がないわ。それなら、まずはこちらの三騎を押さえ――ぁ……!」

『副艦長っ!?』

 

 リンディの声が途切れ、エイミィの悲鳴が上がる。

 なぜならば、リンディの胸から一本の腕が生えていたからだ。その掌の上には、翡翠色に輝く球体――リンディのリンカーコアがあった。

 これこそが、シャマルを真っ先に押さえたかった理由。例えどこに逃げ隠れようとも、シャマルに居場所を把握されていれば、転移魔法の応用により距離に関係なくリンカーコアを摘出され、蒐集を受けてしまうのだ。

 しかし、これは本来相手の防御を破壊してから発動される魔法のはずだった。事実、リンディは『前回』、バリアジャケットを損傷していたためにこれを受けたのだ。そうでなければ、敵対する者全てにこの魔法を使ってしまえばいいのだから。

 

「あらあら……以前よりも、随分凶悪な魔法になっているじゃない?」

 

 リンカーコアを摘出されたことにより、リンディの胸に鈍痛が走る。だが、いつまで経っても蒐集が始まる様子はなかった。

 それもそのはずだ。

 闇の書による蒐集は、同じ相手から魔力を奪うことなどできないのだから。

 

「だけど、これで貴女の居場所が割れたわ――湖の騎士、シャマルさん?」

 

 そして、この攻撃は転移魔法の応用。解析に重きを置くアテナを持ってすれば、向こうの位置を逆算できない道理はない。

 鈍痛など感じていないような涼しい表情で、リンディは胸を貫く腕の主が潜んでいる方向を見据えた。

 

 


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