夜天に輝く二つの光   作:栢人

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第十四話 ベルカの騎士

 

 

「レヴァンティンッ!」

「グラーフアイゼンッ!」

《《Anfang.》》

 

 なのはとフェイトの前に現れたポニーテールの女性とおさげの少女が、ラベンダーと紅の光に包まれた。足元に輝く魔法陣は、やはり、なのはもフェイトも見たことのない形状。三角形の中央に剣十字を配した、ミッドチルダ式のものとは別の魔法陣だった。

 魔力光が晴れた先に現れたのは、なのは達魔導師と同じようなバリアジャケット姿の二人。ファンタジーに登場するような剣士と、可愛らしいゴシックドレスの少女。その手には、剣と戦鎚のような武器――おそらくデバイスが握られていた。

 突然の事態に混乱するなのはを余所に、レイジングハートの判断は迅速で、そして何より正解だった。

 

《Stand by ready. Protection.》

 

 レイジングハートが主人の危機を察知してバリアジャケットと防御魔法を展開するのと、剣士の姿がなのはの視界から消え去ったのは正しく同時であった。

 高速機動を得意とするフェイトに迫るほどの速度。掻き消えた像が再び視界に結ばれたときには、剣士はすでに目の前にまで迫っていた。ようやく危機を認識し始めていたなのはは、慌てて盾に魔力を注ぎ込み、少しでもと強化を図る。

 時間の進行が感じられないような刹那の間に、桜色の防壁の向こうの剣士と目が合った。それは、なのはが今までに向けられたことのないような鋭い目だった。だがしかし、その奥には悲哀の色があるように見えて。

 

「――疾ッ!!」

「っ、く、ぁ――きゃあああああっ!?」

「なのはっ!?」

 

 フェイトがフォローに入る寸前に、隣にいたはずのなのはが広場の端の方まで吹き飛ばされた。数秒だけ保った防壁は桜色の残滓と化し、それらが飛び交う中を、桃色の尾が泳いでいる。

 攻撃を受けたなのはを心配しつつも、次は自分の番だ、とフェイトは身構えた。

 突然の襲撃者の太刀筋は、何とか捉えることができた。しかし、フェイトも苦労させられたなのはの堅牢な防御を、たった一撃で粉々にするような攻撃だ。防御よりも回避に重きを置くフェイトには、とてもではないが受けきれない。故に、剣閃を見極めるべく備えていたのだが――

 

「え……?」

 

 剣士は、フェイトに一瞥もくれることなく小脇を通り過ぎて行った。進行先はもちろん、飛行魔法を発動させて体勢を立て直している最中のなのはの方向だった。

 接近戦は圧倒的に不利。

 今すぐなのはの隣に駆け付けたい衝動をぐっと堪え、瞬時に判断を下したフェイトは、バルディッシュに魔力を叩きこんで乱暴になりながらも術式を起動する。今は威力よりも速度を優先。平時の展開速度を大幅に超えた速度で展開されたのは、フェイトの手によく馴染んだ射撃魔法――フォトンランサーだ。

 

《Photon Lancer, Fire.》

 

 突き出した掌の前に現れたフォトンスフィアから、魔力弾が放たれる。細かい狙いはバルディッシュに丸投げしたが、優秀な相方は性能に見合う仕事をしてくれたらしい。雷槍は、剣士を目指して直進していた。

 まだ間に合う。

 フォトンランサーが剣士の背中に食らいつくのを見て、スパークを続ける発射体にフェイトが次弾を要求した瞬間だった。

 魔力弾は背面に回された鞘によって防がれ、そして、見晴らしの丘を覆い隠すように、後方から封鎖結界が展開された。

 空が、薄暗い紅に染まる。

 

「まさかお前、敵がもう一人いるって忘れてんじゃねえだろうな?」

「――っ!?」

 

 とても真似できない離れ業を見せつけられ、そして、図星を突かれたフェイトは、すぐさま声のした方を振り返った。そこには、紅の魔力を帯びた大きな鉄球が。

 

《Defensor.》

「くっ――このっ!」

 

 バルディッシュが金色の盾を展開してくれるも、バリアブレイクの効果を付与されているらしい鉄球は、それを易々と食い破ってきた。迫る鉄球をバルディッシュの柄で防ぎ、全力で後方に飛びながら受け流す。

 何とか軌道を逸らすことに成功して直撃は避けたものの、凄まじい衝撃が伝わってきた手首に違和感を覚えた。幸いにも利き手は問題なく動くが、バルディッシュは両手で扱う武器だ。片手しか使えないのは、十分に痛手となる。

 しかし、フェイトが不調だからといって、敵が矛を収めてくれるはずなどない。射撃魔法を放ったであろうおさげの少女は、紅の粒子が漏れる戦鎚を振りかぶり、スカートをはためかせながら追撃を仕掛けてきた。

 

《Sonic Move.》

「うらぁッ!」

 

 戦鎚が振り下ろされ、地面が砕けた。だがそこに、フェイトの姿はない。小さな少女の攻撃でも、視覚化されるほどの魔力が乗っていれば墜とされる可能性がある。そう考えたフェイトは、瞬間高速移動魔法を発動させていたのだ。

 空振りした少女は、攻撃直後の隙を見せていた。その背後を取ったフェイトは、バルディッシュを変形させて魔力刃を展開し――火薬が爆ぜるような、炸裂音を聞いた。

 

《Panzerhindernis.》

「ぐっ、うぅっ!?」

 

 首を刈り取るようにして振るった――当然、非殺傷設定の――鎌が、背面に展開された障壁によって弾かれた。衝撃で手首に鈍い痛みが走り、フェイトは苦悶の声を上げる。

 失敗した。一撃で意識を奪い、すぐさまなのはの援護にまわるつもりが、失敗してしまった。

 

「アイゼンッ! ロードカートリッジッ!」

《Explosion!》

 

 またもや、炸裂音。先ほどは何が起きたのかわからなかったが、今度はその光景を視界に収めることができた。

 少女のデバイスが駆動したのだ。

 デバイスに込められる魔力が跳ね上がるのを感じたと同時、排熱機構の下から金属の円筒が排出される。そして、デバイスはその形を変形させた。片側の打撃部分からは衝角が迫り出し、その反対側は完全に形を変え、三つの噴射口を形成していた。

 何が起こったのかを見ることはできた。しかし、英才教育により『魔法』に深い知識を持つフェイトでも、何が起こったのかはわからなかった。

 

《Raketenform.》

「ラケーテン――」

 

 一瞬呆気に取られてしまったフェイトを差し置いて、少女はその武器を構える。戦鎚の噴射口に、煌々と燃える火が点った。

 

「――ハンマーーーッッ!!」

「つぅっ!?」

 

 噴射口から真っ赤な炎が噴き出し、少女はその身を回転させた。爆発的な加速を得た戦鎚が振るわれ、辛うじて反応したフェイトの眼前を通り過ぎていった。

 異臭が鼻をつく。逃げ遅れた髪の先端が、噴射炎によって焼け焦げていた。しかし、フェイトにそれを気にする暇はない。なぜなら、少女の攻撃はまだ始まったばかりだったからだ。初撃の空振りなどなかったかのように、少女は駒のように回転を続けていた。

 またもや迫る衝角に、フェイトは堪らず空へと逃げて距離を取る。だがそれでも、少女はデバイスを推進装置として利用し、定められた標的へと突き進むロケットのように向かってきた。ギラついた瞳が、フェイトの姿を捉えている。

 今ここに、ミッドチルダの魔導師とベルカの騎士による空戦が幕を開けた。

 

 

 

 

 かつて海鳴の街を救った魔法少女、高町なのはは未だかつてない窮地に直面していた。危機度で言えば、今となっては大切な友人であるフェイトとの初戦レベルだろうか。まだ魔法の心得がそれほどでもない頃だったそのときは、一方的に墜とされてしまったのだ。

 そして今現在も、なのははその戦闘を一方的な展開に持ち込まれていた。

 

《Protection.》

 

 展開した桜色の盾に剣が突き立てられ、その負荷に軋みを上げる。徐々にひび割れて綻びを見せる魔法に更なる魔力を注ぎ込んで補強し、そこまでしてようやく一撃を受け止めることができた。

 小さく舌打ちを漏らしたポニーテールの女性は、防御を崩せないと見るや剣を盾から離し、なのはの視界から掻き消える。なのはは見失った敵を、周囲にばら撒いた端末とリンカーコアが感じる魔力波長を使って捜し始めた。

 索敵し、攻撃され、それを受け止め、逃げられる。先ほどからその繰り返しだった。

 なのはは射砲撃――特に砲撃を得意とする砲撃魔導師だ。簡単な射撃魔法ならばともかく、なのはの主砲にはそれ相応の溜めが必要となる。この溜めの時間が稼げないために、なのはは防戦一方に追い込まれていた。

 魔力弾をあらかじめ配置しておき、剣士の姿を捉えたら撃ち抜くという手もある。だがしかし、全力で防御魔法を展開しなければ、剣士の強烈な一撃によって瞬く間に墜とされてしまうだろう。レイジングハートのリソースをエリアサーチに、なのはの思考の片隅を飛行魔法の制御に使っているのだから、これ以上の魔法の発動はあり得ない。

 サーチャーが高速で動く敵の影を捉え、リンカーコアが大気中の魔力の震えを感じ取った。直感に従い、なのはは砲撃魔法に込めるほどの魔力を込め、防御魔法を身体の左側に再展開する。

 

「く、うぅ……っ!」

 

 重すぎる衝撃を、なのはは何とか堪えることに成功した。これでいったい何度目の防御になるのか。視界の端でおさげの少女と空戦を広げているフェイトを助けに行かねばならないというのに、この空域に釘付けにされてしまっている。歯痒い思いと情けなさが募る。これではいったい何のために春から魔法の特訓を続けていたのか、わからなくなる。

 

「……堅牢な防御だな。これほどの使い手とまみえるのは、随分と久しい」

 

 小さく俯き、隙を晒してしまったなのはに話しかける声。はっ、と顔を上げたなのはは、正面に剣士の姿を見つけた。剣を下してはいないが、飛行魔法で中空に止まっており、あの反則染みた速度で動く素振りは見せていない。

 戦闘開始から、なのははようやく剣士と向かい合った。

 

「あ、あのっ! いったいどうして襲ってくるんですかっ!? 私、なにか悪いことしちゃいましたっ!?」

 

 この隙に攻勢に出る選択肢もあった。しかし、なのはは会話を選んだ。理由も分からずに傷つけあうなど、そんな悲しいことはもうたくさんなのだ。言葉が通じるのならば、あるいは話し合いで解決できるかもしれないのだから。

 それに、なのはは理由が知りたかった。なのはにはおさげの少女に見覚えがあるものの、しかしその程度なのだ。そのときも睨まれたような気がするとはいえ、別段迷惑をかけた覚えはない。もしなのはが覚えていないだけで何かをしてしまっていたのなら、素直に謝りたかった。

 なのはの問いかけに、剣士は眉間に薄らと皺を寄せて答えた。

 

「非があるのはこちらだ。お前達は何も悪くない。ただ、タイミングが悪かったのだろうな……。すまないが、しばらくは魔法を使えない体となってもらおう」

「そんな……!」

 

 これ以上語ることはない。まるでそう言うかのように、女性は口を閉ざして剣を構えた。その凛とした佇まいは、物語の騎士を連想させる。

 しかし、剣士は構えたままで動かない。なのはの気のせいでなければ、来い、と言われているようであった。なのはは一瞬の躊躇を見せ、小さく首を振り、レイジングハートの柄を握り直した。

 剣士の目は、あのときのフェイトと同じ目をしている。それはつまり、なのはには明かすことのできない事情があるということなのだろう。ならば、やることは一つだけだ。

 勝って、話を聞かせてもらう。

 

「お願い、レイジングハートッ!」

《We can! Dinine Shooter, Full Power!》

 

 レイジングハートのコアが応えるように明滅し、なのはの足元に桜色の魔法陣が浮かび上がった。円の中で二つの正方形が回転しているそれは、ミッドチルダ式の魔法を示すものだ。そして、なのはを取り巻くように、八つのスフィアが形成される。

 なのはが発動したのは、誘導制御型の射撃魔法――ディバインシューターだ。形成したスフィアを飛ばす、射撃魔法では基礎中の基礎。バリア貫通効果を付与され、術者の意のままに動くそれは、簡素であるが故に威力は術者の実力に左右される。しかし、なのはがこの半年の間、ずっと練習してきた魔法だ。今こそ、特訓の成果を見せるとき。

 

「ディバインシューター、シュートッ!!」

 

 なのはの掛け声に応じ、桜色の魔力弾が剣士に向かって放たれた。正面と左右から二発ずつ、計六発の魔力弾を、剣士を取り囲むような軌道で導く。残りの二発は自動追尾設定にして、なのはを中心に旋回させておいた。

 ディバインシューターは弾速が遅いために制御し易いが、その分だけ対処され易くもある。しかし、発射速度は速いため、いざ剣士に対処されて接近を許しても、本命の二発が残っているというわけだ。

 得意の魔法で勝負に出たなのはに対し、剣士はあくまでも冷静に命じた。

 

「やるぞ、レヴァンティン」

《Explosion.》

 

 主の命を受けた剣が、炸裂音を響かせて金属の円筒を排出する。なのはは実物を見た経験など当然ないが、サーチャーが捉えたそれは、空の薬莢のようにも見えた。そして、剣に込められた魔力が、突如として跳ね上がる。

 

「はぁああああッ!」

《Schlangebeißen.》

「えぇっ!?」

 

 烈火の気合いと共に振られた剣が、その刀身を伸ばした。少なくとも、なのはの目には一瞬そう見えた。

 あと少しの所まで届いていた魔力弾が、蛇のようなうねりを見せる剣によって次々と斬り裂かれた。真っ二つにされた魔力弾は、桜色の粒子となって宙に解けていく。六つの魔力弾を屠ったその咢は、なのはをも捕食せんと伸びてきた。

 切先が迫り、刀身が伸びたように見えていた仕組みを理解する。刀身がいくつもの節に分かれ、それをワイヤーが繋いでいるのだ。螺旋を描くそれはしかし、絡まるようなことはない。おそらく、伸びた刀身は剣士の思うがままに動かせるのだろう。その反面、剣士はその場に止まっており、どうやら術者が動くことはできないようだった。

 正面から来るとわかっている攻撃を態々受ける必要もない。なのはは飛行魔法のフライアーフィンを操作して上昇し、残りのディバインシューターを最大速力で射出しようとして――

 

《Master!!》

 

 悲鳴のような、レイジングハートの声を聞いた。

 直後、なのはの背中を連続した衝撃が襲う。鈍器で殴られたような痛みが三度続き、視界が黒く狭まった。誰かの叫び声が聞こえた気がしたが、朦朧とした意識では何を言われたのかよくわからなかった。

 フライアーフィンの制御を失って落下していく中、狭い視界にフェイトの姿を捉えた。連結刃に巻きつかれ、苦しいだろうに必死の形相でこちらに手を伸ばしている。おおよそ30メートルは離れていて、絶対に届くはずもないのに。

 

(フェイ……ちゃ…………助け、なきゃ……!)

 

 鈍痛が響く中、なのはは頭を振って意識を覚醒させた。フライアーフィンの制御をレイジングハートに明け渡し、自身は大気に満ちる魔力素をリンカーコアに集中させる。

 頭が痛い。背中が痛い。今すぐ倒れ込んでしまいたい。だがそれでも、フェイトだけは助けなければならない。

 

《Cannon Mode, Divine Buster!》

 

 なのはの意を汲んだレイジングハートが、その機構を変形させた。真紅の宝玉を金の三日月が囲む形状だったそれが、槍のように鋭い銃口を覗かせる。射線の安定を図る光の翼が目に眩しい。新たに形成されたトリガーユニットは、なのはの掌にピタリと吸い付くよう。

 ありったけの魔力を込めながら、ぼやける視界で剣士の姿を捜す。レイジングハートを取り巻く四つの環状魔法陣が回転を始め、桜色の砲弾が膨大な魔力に甲高い音を立てた。

 

『ダメだっ! なのは、逃げてっ!!』

 

 フェイトの念話が届くと同時、その少女はなのはの視界に現れた。

 

「いい加減、寝てやがれェーーッ!!」

《Tödlichschlag.》

 

 戦鎚が振り抜かれる。

 一際重い衝撃を受け、なのははその意識を今度こそ深い闇に沈めた。

 意識を失う寸前、暴発した砲弾によって、愛機が砕ける様子を見た気がした。

 

 

 

 

「っ……ぁ……なの、は……!」

 

 燃え盛る炎の剣閃によって地に墜とされたフェイトは、思うように動かない腕を懸命に伸ばした。そのバリアジャケットは所々が破れており、赤く腫れた肌を外気に晒している。傍らには、真っ二つに断ち切られ、コアをも損傷させてしまったバルディッシュが転がっていた。

 フェイトとなのはの敗因は、一対一の戦闘だと思い込んでしまったこと。敵二人は、土壇場で標的を入れ替えるチームプレイ――スイッチをやってのけた。フェイトがかわしたはずの射撃魔法はなのはに突き刺さり、また、なのはがかわしたはずの攻撃はフェイトを捕えたのだった。そこから先は、なのはが墜とされて更なる一方的な展開となった。

 

「ぅ……ぁ……」

 

 たったの2メートル。それしか離れていない位置に仰向けで横たわるなのはが、小さく声を漏らした。胸の上には桜色の球体が浮かんでおり、そこからおさげの少女が持つ本へと光の粒が道を作っている。球体は徐々に小さくなっていき、代わりに、本の頁に見たこともない文字が書き込まれていく。

 止めなければ。

 なのはが何をされているのかはわからない。しかし、身体にいいことをされているわけでは絶対にないだろう。

 妨害を、とただ魔力を放っただけの攻撃――とは言っても、フェイトの魔力変換資質により電撃となっているのだが――はしかし、間に突き立てられた剣の鞘によって易々と防がれてしまった。

 

「案ずるな。別に、命を取ろうというわけではない」

「なのはに……なにをした……」

「命に別状はないというに。……それほどにこの少女が大切か?」

「ともだち……なんだ……!」

 

 なのはからは目を離さず、掠れる声で強く言葉を発する。

 やっと再会できた、大切な友達なのだ。

 学校では新しい友達に囲まれて、恥ずかしかったが嬉しかったのだ。

 アリサとすずかは都合が合わなかったが、放課後はなのはと二人で過ごすはずだったのだ。

 それが、いったいどうしてこんなことになってしまったのか。

 フェイトの発言を受けた剣士は、そうか、と静かに呟いた。

 

「それはすまないことをした。恨むならば我らを恨むがいい。再戦がしたいというのならば受けて立とう。だがしかし、今しばらくは大人しくしていろ。事が済む前に再びまみえるようなことがあれば……」

 

 そのときは、怪我では済まさんぞ。

 それは、殺気すら感じ取れる強い語気だった。なんで、どうして、疑問符ばかりが頭を過ぎる。力が通じなかったことが悔しくて、なのはを守れなかったことが苦しくて、理不尽な暴力が許せなくて、涙さえ浮かんできた。そんな自分が情けなくて、唇を噛みながら、緑が枯れてしまった地面に爪を立てる。

 なのはの胸に随分と小さくなってしまった光が戻っていった。作業を終えたらしいおさげの少女が、茶色のハードカバーを小脇に抱えて歩み寄ってくる。歪んだ視界では、その表情は窺えなかった。

 

《Sammlung.》

「……っ!」

 

 電子音が聞こえ、鈍痛と共に体から何かを引き抜かれる感覚があった。

 せめてもの抵抗と、フェイトは声を漏らさぬように歯を食いしばり、襲いくる痛みに耐えるのだった。

 

 

 

 

 蒐集を終えたおさげの少女――ヴィータは闇の書を手に取ってその頁数を数えていた。蒐集を始めてから一ヶ月と少し。頁数は半分を超えて、第一目標に届こうかというところまできている。今回蒐集することとなってしまった魔導師二人は、魔法生物を相手にしているのがいろんな意味で馬鹿らしく思えてくるほどの魔力を持っていたため、結果には期待できるだろう。

 文字が書かれている最後の頁数を確認したところで、気絶してしまった少女達をベンチへと運んだポニーテールの女性――シグナムが隣に並んだ。

 

「今のでどれくらいだ?」

「400頁は超えたよ。……こいつを起こしてやるかは、颯輔次第だな」

「そうだな……」

 

 ヴィータはしかめっ面を浮かべ、シグナムも表情が暗くなった。

 蒐集頁が四百を超えた闇の書は、限定的にだが管制融合騎を起動できる。彼女ならば、主への侵食についても何か知っていることだろう。もしかしたら、それを止めることだってできるかもしれない。

 だがしかし、はやてが絡めば怒りの感情を見せることもある颯輔は、彼女を糾弾したりはしないだろうか。ヴィータにシグナムにも問い質したいことがあるのだから、当事者である颯輔は尚更だろう。大切な人が悪感情を抱いているところなど、誰も見たくはない。普段が優しい人ならば尚のことだ。

 鈍い光を放つ金の装飾から視線を切り、ベンチへと目を向ける。そこには、バリアジャケットが解除されて私服に戻った高町なのはとフェイト・テスタロッサがいた。魔法は非殺傷に設定していたとはいえ、武器を振るうベルカ式の攻撃を与えたのだから、少なからず負傷していることだろう。

 

「すっかり悪役になってしまったな」

「はっ、いつものことじゃねえか。今更何とも思わねえさ」

「……本当にか?」

「…………」

 

 シグナムの問いかけに、ヴィータは答えられなかった。静かに見つめてくるシグナムから、思わず目を逸らしてしまう。

 今回の戦闘は、ヴィータ達にとっても完全に想定外だった。別世界から転移するにあたり、人気のほとんどないこの場所を帰還ポイントと指定していたのだが、どうやら今回は最悪についていなかったらしい。よりにもよって、要注意人物である高町なのはと遭遇してしまったのだ。それも、管理局員付きときた。多重転移により足はつかないようにしていたが、嗅ぎつかれてしまったのだろうか。偶然だったとすれば、それこそ最低である。もっとも、どちらにせよ動き難くなったことに変わりはないのだが。

 一度は立ち去ろうとしたものの、高町なのはの一言は見過ごせなかった。まだ完全に思い出したわけではなかったようだが、それでも、不安の芽は摘み取っておくに越したことはない。下手に嗅ぎまわられるよりは、ここでリタイアしてもらった方がマシだったのだ。

 リンカーコアが回復するまでにはそれなりの時間がかかるだろうから、それまでに蒐集を終えればいい。駆け付けるであろう管理局員はこの二人よりも格下であろうから、その気になればどうとでもできる。

 問題は、人間から――それも、管理局員から――蒐集をしてしまったこと。やむを得ない状況だったとはいえ、こればっかりは、颯輔にも報告しておかねばならないだろう。さらに、高町なのはは颯輔の友人の妹なのだから。

 

「……シャマルに来てもらおう。せめて、怪我くらいは治してやらねえと。そんくらいはいいだろ?」

「ああ。連絡してみよう」

 

 やっていることは『これまで』と同じでも、その目的は大きく違う。闇の書の完成は、あくまでも手段でしかないのだ。

 未来を手に入れるために、ヴィータ達は蒐集を続ける。例えその先に、どんな罰が待っていようとも。

 

 

 

 

 夜の帳が下りた海鳴の街を、宵闇に紛れて疾走する影があった。建物から建物へ、その屋根を風のように駆けていく速度は、普通の人間に出せるようなものではない。

 その影は、一匹の獣。オレンジ色の毛並を持つ、大型の狼。フェイト・テスタロッサの使い魔、アルフだ。

 

『フェイトっ! フェイトっ! 返事をしておくれよ、フェイトぉっ!!』

 

 家を飛び出してから何度も念話を送っているにもかかわらず、それに応える愛しい主人の声はない。主と使い魔との間に繋がる精神リンク、そして、微弱なフェイトの魔力を頼りにアルフはただ只管に駆けていた。リンディも、アルフに遅れてフェイト達を捜していることだろう。

 事の異常に真っ先に気が付いたのは、フェイトから魔力の供給を受けているアルフだった。夕日が沈んですっかり暗くなってしまったころ、供給魔力に揺らぎを感じたのだ。それはつまり、フェイトが魔法を使ったということを意味する。

 初めは、なのはと共に魔法訓練でもしているのかと思った。しかし、続いて精神リンクを伝わってきた動揺と焦燥が、ただ事ではないと物語っていた。それから確認のために念話を送ってみるも、フェイトにもなのはにも届かないことを知り、リンディに事情を伝えて家を飛び出し、今に至るというわけだ。

 移動中に調べ、発見した結界はすでに消え去ったのを確認している。にもかかわらず、フェイトにもなのはにも念話が届かないということは、いったいどういうことなのか。魔力供給が途絶えていないため、最悪の事態には至っていないようなのが不幸中の幸いか。しかしそれでも、この微弱な魔力では時間の問題のようにも思える。

 住宅街を越え、空に大きく跳躍し、そして、それを見つけた。半径2メートルもない、小さな結界。高台の広場に展開されたそこから、フェイトの魔力を感じ取った。

 

「フェイトっ!!」

 

 広場に降り立ち、ベンチが並ぶ間にある結界に走り寄る。アルフの体を光が包み込み、狼のシルエットが人間のものとなった。一瞬で晴れた光の中から現れたのは、豊かなプロポーションを誇るオレンジの長髪の女性。人間形態となったアルフだ。ただ人間と違うのは、獣耳と尻尾が付いていることだろうか。毛色がアルフの特徴を示している。

 小さな結界の端まで迫って右の拳を振り上げたアルフは、そこに魔力を付加した。起動させたのは、バリアブレイクの術式だ。

 フェイトを閉じ込める忌々しい結界をぶん殴ろうとして――

 

「おわっ!? っと、と……!」

 

 拳を叩きつける前に、ミントグリーンの粒子を撒き散らして結界が消失した。行き先を見失った鉄拳が宙を彷徨いバランスを崩してしまうが、その場でくるりと回転して体勢を立て直す。誰かに見られていれば恥ずかしい思いをしたであろうその行動は、幸いと言っていいのか、誰にも見られずに済んだ。

 なぜなら、結界の中にいた二人の少女はベンチに肩を並べて座り、その目を閉じていたのだから。

 

「フェイトっ! なのはっ!」

 

 直前の出来事をなかったことにし、アルフはフェイトとなのはのもとへと駆け寄った。恐る恐る二人の肩に触れ、小さく揺すってみるも、うんともすんともない。まさか、と顔を青ざめさせたアルフは、掌を二人の小さな口の前に持っていった。

 息は、している。

 ほぅっ、と大きく息をつく。安心からか、目尻に涙が浮かんできた。垂れ下がっていたはずの尻尾が上を向いてぶんぶんと振られていることから、アルフの心境が窺えるというものだろう。

 ぐすんぐすんとしばらく鼻をすすっていたアルフは、尻尾を振るのをピタリと止め、表情を硬くした。できるだけ刺激を与えないように、ぺたぺたと二人の体を確かめるように触れていく。

 どうやら、大きな怪我もしていないらしい。

 ふぅ、と汗の浮かんだ額を拭ったアルフはしかし、今度は鼻をついた異臭に顔をしかめた。何やら焦げ臭い。一度大きく鼻をすすり、すんすんと臭いの元を辿ったアルフは、再び顔色を青くした。

 フェイトの綺麗な髪の毛が――毛先のほんの少しだけ――焼け焦げてしまっている。

 

『リンディ提督っ! フェイトが、フェイトが……っ!!』

 

 事態を重く見たアルフは、悲痛な声でリンディに念話を送るのだった。

 

 


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