夜天に輝く二つの光   作:栢人

14 / 29
第十三話 再会

 

 

 12月2日午前6時。霜が降りて寒さが頬を刺すまだ薄暗い朝の道を、ダッフルコートを着込んだ少女が息を弾ませながら駆けていた。黒いリボンでツインテールに結わえた髪と首から下げた紅玉のペンダントが、走りに合わせて揺れている。朝早い時間とあってか、時折ペットを連れて散歩をする人にすれ違う程度で、少女の他にはほとんど人気がなかった。

 少女の名前は高町なのは。私立聖祥大付属小学校に通う、少しばかり普通とは違う秘密を持つ小学三年生である。

 

「――っ、はぁっ、はぁっ……! レイジングハート、時間、まだ大丈夫だよねっ?」

《Don't worry. There are 30 minutes till the time of waiting.(心配ありません。予定の時刻まで、まだ30分もありますよ。)》

 

 なのはの問いかけに答えたのは、彼女の胸の辺りで忙しく揺れていた紅玉。人工知能を有した魔法の杖、ミッドチルダ式魔導師が扱うインテリジェントデバイス――レイジングハートである。

 そう、高町なのはの秘密とは、魔法を使えるということなのだ。

 極々平凡な少女だったはずのなのはが魔法の存在を知ったのは、今年の春のこと。一人の少年との出会い――出会った当初はフェレットの姿だった――が、なのはを魔法の世界へと導いた。

 地球の魔力素との適合不良を起こして行動不能になった少年に代わり、海鳴市の近辺に散らばってしまったロストロギアを回収する。それがなのはの魔導師としての第一歩だった。

 次元干渉型エネルギー結晶体、ジュエルシード。下手に刺激を与えれば次元震を引き起こし、世界を崩壊させてしまうほどの危険物。そのような代物を集めるのだから、その過程には多くの困難があった。

 お化けのようなジュエルシードの異相体と戦った。怪物へと変貌した動物と戦った。街を危険に晒してしまったこともあった。そして、一人の少女と出逢い――何度も何度もぶつかり合った。

 

「そ、そんなにっ!? ……でも、行こう、レイジングハートっ!」

《All right. Let's go, my master!》

 

 時間には十分に余裕があるにもかかわらず、今すぐ飛んで行きたい衝動を堪え、なのはは懸命に足を前に出す。目指すは海鳴臨海公園。あの日に大切な友達と別れた場所だ。

 思い返せば、なのはと少女が出逢ったのは、限りなく偶然に近い必然だったのだろう。

 最初の出逢いは、なのはの親友の家の敷地内だった。邸宅近辺でジュエルシードが発動し、その影響を受けた子猫が巨大化してしまったのだ。発動状態のジュエルシードを封印するためその場に向かい、そして、鮮やかな雷光を見た。

 第97管理外世界『地球』に住む歴とした地球人であるなのはには、魔法の心得など当然なかった。故に、生粋の魔導師である少女に敗れてしまったのは必然であろう。風になびく金髪と、どこか物悲しさを秘めた赤い瞳を視界に収めながら、なのはは少女の雷撃によって撃墜されてしまったのだ。

 それからも、少女とはジュエルシードを巡って衝突した。温泉地で、街中で、海辺の公園で、そして、臨海公園で。

 今度は負けないように、しっかりと役に立てるようにと魔法の練習にも励み、なのはは本来花開くことのなかったはずの才能を開花させた。天性のそれで少女とも渡り合えるようになったが、同時に気になることもあった。

 どうして、ジュエルシードを集めているのか。

 どうして、身を犠牲にしてまで集めるのか。

 どうして、そんなに淋しい目をしているのか。

 疑問が募る中でも、事態は進んでいく。そのうちになのはは時空管理局に協力することとなり、そのバックアップを受け、順調にジュエルシードの封印を進めることができた。

 そして、その過程でなのはは自分の本当の気持ちに気が付く。ひょっとしたら、自分と同じ境遇にあるのかもしれない少女と『分け合いたい』ことに。友達に、なりたいことに。

 しかし、現実は残酷だった。

 降り注ぐ轟雷。明かされる真実。すれ違う想い。少女の出生の秘密。その全てが、こんなはずではないことばかりだった。

 後にジュエルシード事件――あるいはPT事件――と名付けられる一連の騒動の背景にあったのは、狂おしいまでの愛情。過去に起こった悲しい出来事が、全ての始まりだったのだ。

 全てを知った上で、なのはは杖を手に取り立ち上がった。傷ついた少女を救うために、そして、この事件にケリをつけるために。

 最終決戦の地に待っていたのは、意思を持たない機械の人形達。数が多く、熾烈な攻撃を仕掛けてくる敵になのはは苦戦を強いられる。しかし、その窮地を救ったのは、他ならぬもう一人の魔法少女だった。

 悲しい別れが待っていたものの、なのはは少女と心を通わすことができた。しかし、事件が終われば管理局は本拠地へと引き上げることになる。それはつまり、管理外世界の住人であるなのはと、管理世界の住人――延いては事件を起こした身である少女との別れを意味していた。

 出逢いの春が終わり、そして、約半年の月日が流れて冬が訪れた。

 

「――っはぁ、はぁっ、はぁっ……」

 

 階段を駆け上がったなのはは、膝に手をつき乱れた呼吸を整える。海から吹き付ける冷たい冬の風が、火照った体に心地よかった。

 

「なのは……!」

 

 耳に心地いい声が届く。弾かれたように顔を上げたなのはは、風になびく金の長髪と濡れた赤い瞳を見つけた。そのツインテールの髪を結っているのは、あの日に交換した白いリボン。

 

「――フェイトちゃんっ!」

 

 海から迫り出す朝日を受け、綺麗な髪から金の粒子を振り撒いているように見える少女の名前は、フェイト・テスタロッサ。半年に及んだ裁判を終え、海鳴の街に帰って来た、もう一人の魔法少女。高町なのはにとって、掛け替えのない大切な友達。

 どちらともなく駆け出し、抱き合った二人の少女は、再会の約束をここに果たした。

 

 

 

 

 新暦65年12月2日。時空管理局は、とある事件に緊張を高めていた。それは、約10年周期で起こる一種の災害のようなもの。管理世界、管理外世界を問わずに甚大な被害を齎し、大抵はある一定の期間が過ぎると終息に向かうのだ。

 実は、それらの事件はその全てがとある一つのロストロギアによって齎される。第一級捜索指定遺失物――ロストロギア『闇の書』。原因となるロストロギアの名を借り、その事件の名を『闇の書事件』と呼ぶ。

 前回の事件は、今から11年前に起こった。対応の任に当たったのは、当時次元航行艦提督を務めていたギル・グレアム。自身の高い魔法資質もさることながら、優秀な使い魔達との連携は、管理局史上最強の攻撃オプションと謳われるほどの魔導師である。

 グレアムは、『歴戦の勇士』の呼び名に相応しい成果を上げた。計四隻の艦船を指揮し、被害の削減と闇の書の主の捜索に尽力。優秀な部下達の協力も相まって、闇の書の完成前に主の身柄を確保することに成功する。

 唯一誤算だったのは、闇の書の抵抗力が想定以上に強かったことだろう。厳重に重ね掛けしたはずの封印が破られ、護送中の艦船のコントロールを奪われてしまったのだ。

 しかし、グレアムは部下に恵まれていた。その艦船の提督を務めていた局員の男性は、自分以外の乗組員を脱出させると、自身は最後まで艦に残って闇の書に抵抗した。グレアムは一人の優秀な管理局員と引き換えに、『闇の書事件』に終止符を打つ。多少の犠牲は出してしまったものの、それは、これまでの事件に比べれば目を見張るほどに少ないものだった。

 しかし、11年の時が経った現在、闇の書は再び活動を始めたのである。

 時空管理局執務官、クロノ・ハラオウンは報告書の山を空間投影型ディスプレイに映し出し、それに忙しく目を通していた。

 事の起こりは今から一ヶ月ほど前、とある管理外世界の魔法生物が何者かに狩猟されたことが始まりだった。魔法生物はその後の活動が困難なほどに痛めつけられており――中には死んでいる個体もあった――、そのいずれもが、とあるものを奪われていた。大気中の魔力素を吸収して魔力を生み出す、リンカーコアだ。

 これまでの『闇の書事件』の全てに共通していることは、襲撃された人間、あるいは魔法生物から、リンカーコアを通して魔力が奪われていること。闇の書が有する機能の一つ、魔力蒐集による結果である。

 一月前の事件から報告に挙がった同種の事件の数は、今では50件に迫る勢いだ。蒐集された個体数で言えば、未確認のものを含めれば200体近くにも及ぶだろう。被害に遭った生物のことごとくが蒐集を受けた形跡があるために、管理局はこの一連の事件を『闇の書事件』の始まりであると断定したのである。

 しかし、『闇の書事件』にしては不可解な点もあった。これまでは人間魔法生物見境なしだったのだが、今回被害を受けているのは魔法生物のみなのである。もちろん、実際には人間も被害を受けており、今はまだ発覚していないだけという可能性も捨てきれはしない。だが、少なくとも現段階では報告に挙がっていないことも事実である。事の重大さに比べれば些細な違いでしかないのかもしれないが、クロノは、この小さな差異がなにか大きな意味を持っているような気がしてならなかった。

 

「おっ、いたいた! クロノ君、今時間大丈夫ー? 艦長達が捜してたよ?」

 

 本局の資料室にて頭を悩ませていたクロノの耳に、自動ドアの開く音と場違いなほどに能天気で明るい声が入ってきた。軽い溜息とともに思考を中断して振り返ったクロノの視線の先には、クロノの補佐官を務め、学生時代からの友人でもある少女の姿があった。

 

「むっ、何なのかなーその溜息はっ! せっかく人が呼びに来てあげたって言うのに。心優しい部下の有難味をわかっていない上官さんですねー」

 

 困ったもんだぜ、と言いたげに肩を竦めて溜息を返してきた少女の名前は、エイミィ・リミエッタ。底抜けに明るくてお喋り好きで誰とでもすぐに仲良くなれるような人たらしのお気楽少女――もとい、若干16歳で一つの艦船の通信主任を任されるほどの才女である。

 公私共に渡ってサポートをしてくれるエイミィの存在にはクロノも感謝をしているのだが、できれば、もう少しだけTPOというものを考えてくれると助かる。頭の回転は速いはずの彼女だが、もしかしたら、頭のネジが一本くらいは外れているのかもしれない。

 

「心優しいとか自分で言うのか、君は。それに、これから今まで以上に大きな事件に臨むのだから、もう少し緊張感を持ってだな……」

「でもでも、緊張してばっかりでガチガチになってたら、いざってときに動けないでしょ? クロノ君はただでさえ頭が固いんだから、こうやってバランスとらないとねー」

「はぁ……」

 

 そこまで酷くはないだろう、とクロノはもう一つ溜息を漏らす。クロノがああ言えばこう言う、その癖毛のように跳ね返った少女がエイミィという少女なのである。

 やはり、威厳を出すにはそれ相応の身長が必要なのかもしれない。二歳年上とはいえ、自分と頭一つは違う身長を持つエイミィに恨みがましい視線を向けながら、クロノはディスプレイを落とすのだった。

 クロノの態度にまたしてもとやかく言ってくるエイミィに曖昧な返事をして小言を受け流し、資料室を出て目的の場所へと歩を進める。目指す場所は、本局の上層部。将官クラスの局員が執務室を構える階層だ。

 止まらないエイミィの小言にいい加減うんざりし始めた頃、ようやくその一室に辿り着いた。昔からの馴染みで多少は通い慣れているとはいえ、今日の管理局を支える重鎮達が醸し出すこの階層独特の雰囲気には、やはり、少なからず緊張を覚えてしまう。

 薄らと掻いてしまった手汗をスラックスで拭ったクロノは、その扉を四度ノックする。直後に帰って来たのは、年老いた男性特有の低くていくらかしわがれた、それでも威厳を含んだ声。クロノにとっては聞き馴染んだ声だった。

 

「どうぞ」

「失礼します」

 

 声に従い、クロノはエイミィを伴って入室した。そこにいたのは、今回の事件でクロノ達が所属することとなった部隊の指揮官達。クロノにとっては、局員としての心構えとノウハウ、魔導師としての戦技を教授してもらった、師匠とも言うべき人達だった。

 

「遅いぞ、クロスケ」

「わざわざ迎えに行かせて悪かったわね、エイミィ」

 

 クロノとエイミィに話しかけてきたのは、使い魔としては局内でも最強クラスの実力を誇る双子の姉妹、リーゼロッテにリーゼアリア――通称、リーゼ姉妹である。

 

「先ほど、アースラの改修が無事完了したとの報告があった。予定通り、明日には本局から出航するつもりだ。準備は済んでいるかね、クロノ?」

 

 そして、そのリーゼ姉妹を従えるのは、此度の事件で現場へ復帰することとなったギル・グレアム。過去の功績を活かし、『闇の書事件』に対応するためだけに組織された少数精鋭部隊の部隊長に就任した、管理局の英雄である。

 

「ええ。もちろんです、グレアム提督」

 

 鼓動を落ち着け、強い意志を持って言葉を返すクロノ。『闇の書事件』は、クロノにとっても因縁深いものなのだ。

 今ここに、たった一つの事件を追うためだけの特務機動隊――『特務四課』が動き出した。

 

 

 

 

 第1管理世界『ミッドチルダ』出身の時空管理局嘱託魔導師、フェイト・テスタロッサは未だかつてない窮地に直面していた。危機度で言えば、今となっては大切な友人であるなのはとの決闘レベルだろうか。あのときの桜色の極光に包まれる感覚はもはやトラウマものだが、今現在の事態はそれに匹敵すると言えるだろう。

 フェイトはその生い立ち上、対人スキルというものが極端に低い。気兼ねなく自分を出せるのはかつての家庭教師に己の使い魔と、そこになのはを加えた三人程度。現在の保護責任者であり、もしかすると義理の母親となるかもしれない女性には、出会ってから半年も経つというのに未だに遠慮を隠せずにいる。フェイトの性格を知りながらもグイグイと来るお姉さんとはいくらか話せるのだが、執務官のお兄さんとはほとんど会話が続かない始末である。顔見知りとなってもそれなのだから、初対面の人物とはどうなるかなど、改めて説明するまでもない。

 そして、私立聖祥大付属小学校3年A組の教室内で、フェイトは現在まさにそういった状況に置かれていた。

 

「うわー、すっごいキレイな髪! シャンプーは何使ってるの?」

「好きな食べ物は?」

「なあなあ、サッカーとかできるか?」

「イタリアから来たんだろ? 外国人なんだよな、すっげー!」

「やっぱり英語はぺらぺら? 日本語でわかんないこととかある?」

『あわわわわわわっ、なっ、なのはーーーっ!?』

 

 これまでほとんど見たことのない同年代の子供達に囲まれ、質問攻めにされる。ある意味生粋の箱入り娘であったフェイトにとっては、生まれて初めての経験であった。

 グルグルと回る視界の中で懸命にその少女の姿を捜してみるが、悪意無き人海戦術の前に屈するばかり。嬉しさと恥ずかしさと恐ろしさが一緒くたになって混乱してしまい、助けを求めて念話を送ってみるものの、返って来たのは『にゃはは……』という苦笑いのみ。高速機動に自信を持つフェイトでも、この包囲網を突破することは不可能に近い。

 そろそろ思考回路がショートしてしまうのではないかと思われたとき、フェイトに救いの手を差し伸べたのは、両手で数え切れる友人のうちの一人だった。

 

「はいはい静かにーっ! フェイトが困ってるでしょーがっ! 全員一旦離れなさーいっ!!」

 

 この世界の諺、鶴の一声とはまさしくこれのことを指すのだろう。とある少女の高く大きな声が響き渡り、クラスメイトによる転校生包囲網が真っ二つに割れる。そこから現れたのは、フェイトと同じ金髪の持ち主にして友人の一人、アリサ・バニングスその人であった。

 

「うぅぅ、ありさぁっ……!」

「あーもうっ、あんたもいちいち泣かないのっ!」

 

 もはや涙目となっていたフェイトは、救世主の如く現れたアリサに思わず縋りついてしまう。アリサは口では厳しく叱責しつつも、我が子を守る母親のようにフェイトの頭をよしよしと撫でつけてくれた。これまではビデオメールで会話をした程度で実際に会ったのは今日が初めてのことなのだが、このときばかりはアリサが旧知の友であるかのように全力で頼るフェイトである。

 そして、そんな二人の様子を遠巻きに見つめる少女がまた二人。

 

「フェイトちゃん……」

「あはは。なのはちゃんの役、アリサちゃんにとられちゃったね」

 

 母性本能をくすぐるフェイトの可愛らしい姿にほっこりしつつも、どこか腑に落ちないものを感じ取ってしまうなのは。そして、そんななのはと、抱き合う二人を微笑ましく見守る紫の長髪の少女。なのはとアリサを含めた仲良し三人組の一人、月村すずかである。もっとも、これからは仲良し四人組へと変わっていくのだろうが。

 せっかく再会できたというのに、思うように二人きりの時間が取れないことになのはは頬を膨らます。その視線の先では、仕切り屋であるアリサの手によって割り振られ、順番にフェイトへと質問をするクラスメイト達の姿があった。フェイトは時折こちらへちらちらと視線を送ってくるものの、アリサの助け船を受けながらも質問には懸命に答えていた。フェイトに友達ができることは自分のことのように嬉しいなのはだが、やはり、一番近くにはなのは自身がいたかった。

 フェイトはジュエルシード事件の容疑者の一人として、裁判を受けるために地球を離れていた。容疑者とはいったものの、その背景には様々な事情があり、実質的には被害者に近いのかもしれない。ともかく、そんな理由があって、なのはとは離れ離れとなっていたのだ。

 しかし、被告人側ではあるが、なのはの知り合いでもある提督や執務官の計らいがあり、フェイトの拘束は比較的緩かった。とはいえ、直接会うことは叶わない。だが、やはり言葉を交わしたりはしたい。そこで思いついたのが、ビデオメールによるやりとりである。

 最初の頃は一対一で行っていたのだが、フェイトが海鳴の街で生活できそうだと聞いたときから変わってきた。今後のことを考え、なのはの親友であるアリサとすずかにも出演してもらい、フェイトの友達になってもらおうと思ったのである。そのアイディアの結果が、この教室の様子というわけだ。

 フェイトと一緒に学校生活を送れるようになったのは、この上なく素敵なことだ。友達が増えるのも、絶対にいいことのはず。ただ、フェイトの一番だけは、誰にも譲りたくない。

 心にもやもやを抱え込んだなのはは、早く放課後にならないかなぁ、と強く望むのであった。

 

 

 

 

「リンディさんって、もしかするとすっごくお金持ちなのかな……?」

「提督だから、少なくとも私よりはたくさんお給料を貰ってると思うけど……」

 

 マンションの最上階に無理矢理建てられたとしか思えないフェイトの住まいを見て、平凡な二階建ての家に住むなのはは戦慄を覚えていた。高給取りは、やはり、やることなすことが一味違うのだと理解する。

 今日も一日の学校生活を終え、習い事があるというアリサとすずかに別れを告げたなのはとフェイトは、私服に着替えるために一度それぞれの家に帰宅した。その後、集合場所で合流を果たしたのだが、周りの建物に比べ高い位置にあるフェイトの新居は、いくらか離れたそこからでも十分視界に収める事ができたのである。

 フェイトが地球で暮らすのは、何も限られた短い期間だけではない。嘱託魔導師である以上管理局の仕事はあるのだが、なのはにいつでも会えるようにと地球の海鳴市に籍を移したのである。当然、未だ九歳の身であり、延いては保護観察期間中であるフェイト一人だけでそんなことはできない。その裏には、フェイトの現保護責任者である時空管理局本局所属の提督、リンディ・ハラオウンの全面協力があった。

 ジュエルシード事件を解決したアースラチームの指揮官でもあったリンディは、フェイトの境遇に深い理解を示していた。フェイトの今後に幸が多いことを願って、フェイトの小さな希望を最大の形で叶えてくれたのである。大きな事件も終えてキリがいいからと、長期休暇を取ってまで一緒に地球に来てくれたのだ。つまり、フェイトの家にはフェイトとリンディ、それからフェイトの使い魔であるアルフの三人が暮らしていることになる。

 当然、その過程で管理局法やら何やらの規則が行く手を阻んだわけだが、多方面に伝手のあるリンディによって、その一切が取り払われたのである。具体的にどうやったのかを訊いてみても、朗らかに笑って誤魔化されるだけで、フェイトは何も知ることができなかった。

 何はともあれ、なのはとフェイトの二人にとっては一緒に過ごすことができるだけで十分満足。どうでもよくはないかもしれないが、とりあえず、些細な事は気にしないことにした。

 本当なら、なのはも未だに片付いていないであろう引っ越し作業の手伝いをするつもりだった。しかし、リンディとアルフの二人によって、遊びに行っておいで、と断られてしまったため、現在は正真正銘二人きりである。

 

「えっと……それじゃ、行こっか、フェイトちゃん」

「う、うん……」

 

 差し出した手が、おずおずと握られる。なのはよりも少しだけ大きな掌から伝わる温もりが、胸の奥をくすぐった。恥ずかしがっているのか、フェイトの頬は少しだけ朱が差していた。それはおそらく、なのはにも言えることであろう。

 顔が熱くなるのを感じながら、それでもなのはは笑顔を浮かべ、フェイトと共に海鳴の街を歩き始めた。

 

「フェイトちゃんは、どこか行きたいところとか、何か見てみたいものとかある?」

「うーん……私、この街のこと、まだあんまりわからなくて……。ごめんね、なのは」

「うっ、ううんっ! フェイトちゃんは悪くないよっ、言われてみたら、そうだよね……」

 

 短いながら地球に滞在していたとはいえ、当時のフェイトはジュエルシードの回収に忙しくしていたはずである。改めて考えてもみれば、どこに行きたいかと聞かれても答えようがないだろう。

 アリサとすずかと遊ぶときは、今日は何々して遊ぶわよ、とアリサが決めてくれていた。それに甘えていたなのはは、自分から何かをしたいと言い出したことなどほとんどない。フェイトが自分と同じタイプであったことに内心で嬉しく思いつつも、なのはは頭を悩ませた。

 

「え~っと、アリサちゃんとすずかちゃんは用事があるからダメだし、翠屋も今の時間は忙しいし……」

 

 現在の時刻は午後4時を回るかという所。なのはの両親が経営している喫茶店兼洋菓子店である翠屋は、学校を終えた学生達で賑わい始めるところだろう。お客さんの少ない時間なら遊びに来ても構わないと言われているのだが、今は少しばかりタイミングが悪かった。少し歩けばなのはの魔法の練習場である桜台の登山道にも行けるが、久しぶりの再会で魔法訓練というのも、なんだか違う気がする。

 何かないか、と助けを求めるように辺りを見回したなのはは、建物の合間から覗ける高台を見つけた。なのはの記憶が正しければ、いつか姉の美由希に教えてもらった、海鳴市を一望できるという隠れた名所であったはずだ。あそこならば、海鳴の街を説明することも、二人きりでゆっくりすることもできるかもしれない。

 

「フェイトちゃん。少し歩くけど、大丈夫?」

「うん。いいけど、どこに行くのかな?」

「それは……着いてからのお楽しみっ!」

 

 まだ内緒だよ、と人差し指を口の前に立てたなのはは、フェイトの手を引いて進路を変更した。冬になって日が短くなり、太陽が大きく傾いてはいるが、まだ遅い時間というわけではない。帰りが遅くなるのはいただけないが、この季節ならば、海鳴市の夜景をフェイトに見せることができるだろう。

 学校のことや管理局のこと、魔法戦技のことなどについて語り合いながら、目的地を目指して歩を進める。

 

「――それじゃあ、クロノ君とエイミィさんはしばらく忙しいんだ?」

「うん。何だか、大きな事件があるみたいで……。本当は、リンディ提督や私も参加しなきゃいけないんだろうけど、リンディ提督は長期休暇を取ったばかりだったし、私もゆっくりして来なさいって言われちゃったんだ」

「そうなんだ……。私も、何か手伝えることがあるといいんだけど……」

「なのはは現地協力者っていう扱いになってるから、今はまだそんなこと考えなくても大丈夫だと思うよ?」

「そうなのかな……。あっ、そうだ、ユーノ君はどうしてる? 元気にしてるのかな?」

 

 暗くなりかけた思考を振り払うように、なのははフェイトに尋ねた。

 なのはが魔法の存在を知るきっかけとなった少年、ユーノ・スクライア。なのはの大事な友達で、魔法の先生でもある少年である。先の事件後、しばらくはフェレット姿のままで高町家に滞在していたのだが、ほどなくして、フェイトの裁判の証人として管理局に召喚されたのである。

 

「ユーノなら、無限書庫の見習い司書として頑張ってたよ。古い文献とかを見られるのが楽しいんだって」

「そういえばユーノ君、学者さんなんだもんね」

 

 実は、先の事件のきっかけとなったジュエルシードは、考古学者であるユーノが発掘したものだった。それを管理局に届けるために輸送していたところ、輸送船が『事故』に遭ってしまい、海鳴市近隣に散らばることとなったのだ。

 それに責任を感じて自ら回収に乗り出したユーノだったが、やむなき事情とはいえ、その過程でいくつか管理局法を違反してしまっていた。証人のはずがそのことを見咎められ、そのまま人手不足の管理局に協力することになってしまったのである。もっとも、考古学者としての血が騒ぐのか、次元世界中の書物が集まってくる無限書庫で仕事をすることについては、本人はあまり苦に思っていないらしい。

 その後も共通の友人について話に花を咲かせていると、いつの間にか目的の場所に辿り着いていた。日は海に半分ほど顔を隠しており、空が夕焼けの赤と夜の深い青に染められている。見渡せる街の灯りも相まって、幻想的ともいえる景色が広がっていた。

 

「すごい、きれい……」

「うん……。あれが、私達の街だよ。ここは、見晴らしの丘っていうんだって」

 

 高台にある広場を進み、端にある柵の位置まで移動する。吹き付ける冬の風に、体を寄せて体温を分け合いながら、なのはとフェイトは会話も忘れてその景色に魅入っていた。

 

「…………っ」

「フェイトちゃん……?」

 

 触れ合った体から震えが伝わってきた。すぐ傍にあるフェイトの顔に目を向けてみれば、寒さで赤味を増した白い頬を、光る滴が伝っていた。

 

「どっ、どうしたのフェイトちゃんっ!? 私、何か悪いことしちゃったかなっ!?」

「ううん、違うよ……。なのはは、別に、何も悪くない。ただ、なのはにやっと会えたことが嬉しくて、ここにいられることが幸せで、そんなことを考えてたら、何だか涙が出て来ちゃって……。ごめんね……ごめんね、なのは」

「フェイトちゃんっ……!」

 

 ぎゅうっと、心が締め付けられる。ごめんね、ごめんね、と繰り返しながら溢れてくる涙を拭うフェイトの頭を、なのはは自身の胸へと引き寄せた。小さく震えたフェイトが、その腕をなのはの背中へと回してくる。なのははそれを受け入れてフェイトの体を支えながら、手触りのいい金糸を黙って撫でつけていた。

 二人以外に誰もいない広場に、小さな嗚咽が響き、夜へと吸い込まれていく。なのはも視界を涙に歪めながら、フェイトが落ち着くのをただただ待っていた。

 夕日が完全に沈んでしまった頃、ようやくフェイトが落ち着きを取り戻した。互いに支え合うようにしながら歩き、近くのベンチへと腰を下ろして一休みする。

 

「……ごめんね、なのは。せっかく一緒に遊ぶ予定だったのに、ダメにしちゃって」

「謝らないで、フェイトちゃん。私は、フェイトちゃんと一緒にいられるだけで幸せなんだから」

「なのは……」

「フェイトちゃん……」

 

 フェイトの潤んだ瞳がゆっくりと近づいて来る。なのははその全てを受け入れようとして――

 

「――っ!? バルディッシュ!」

《Get set.》

「えっ? ――きゃっ!? ふぇ、フェイトちゃんっ!?」

 

 視界が黄金の光に包まれた。そう思った瞬間、なのははフェイトに抱き寄せられ、座っていたベンチから目測で15.72メートルほど離れた位置に着地した。フェイトの姿は先ほどまでの私服ではなく、黒いレオタードにマントといった、魔導師の防護服――バリアジャケット姿になっていた。なのはの腰に回された左手の反対側には、フェイトのデバイスである黒き戦斧――バルディッシュが握られている。

 先ほどまでの弱々しい姿はどこへやら、凛々しさを身に纏ったフェイトは、なのは達の座っていたベンチの辺りを油断なく注視していた。その視線を追い、なのはもようやく異変に気が付く。

 ベンチから少し離れた位置に、今まで見たこともない、魔法陣のようなものが浮かび上がっていた。

 

「あれは、魔法……?」

「うん。たぶん、転移魔法……」

 

 フェイトに言われて感覚を研ぎ澄まし、なのはのリンカーコアがようやくその気配を捉えた。なのはの知らない何かが、大きな魔力を持った何かが、この場所に現れようとしている。

 深紫の光を放ちながら回転する魔法陣が一際眩く輝き、そして、彼女達は現れた。

 一人は、背の高い女の人。桃色のポニーテールと、鷹のように鋭い目つきが印象的だ。おそらく地球製と思われる冬物の白いコート着込んでおり、一目見ただけでは魔導師とはわからない。

 もう一人は、なのは達よりも小さな女の子だった。赤毛のおさげとつり目が特徴的で、こちらはなのは達と似たようなデザインのダッフルコートを着込んでいた。やはりこちらも、その姿は一般人のように見える。ただしそれは、魔法陣から現れなければの話だが。そして、二人共がどこか疲れているような、そんな雰囲気を漂わせていた。

 転移が完了した二人は、なのは達の存在に気が付いて驚愕の表情を浮かべる。なのはは二人の見開いた瞳の奥に、怒りと焦りの感情を感じた気がした。

 

「時空管理局嘱託魔導師、フェイト・テスタロッサです。この世界は管理外世界です。魔導師の方々と見受けましたが、渡航証を確認してもよろしいですか?」

 

 フェイトが声をかけるが、二人はそれに何も答えようとせず、黙って目配せをしていた。おそらく、念話で会話をしているのだろう。それくらいのことなら、なのはにも予想は立てられる。

 二人を注視するうち、なのはは一つ違和感を覚えた。何の事はない。赤毛の少女の方に、どこか見覚えがあった気がしたのだ。

 

「……すまないが、転移先を間違えてしまったようだ。こちらに非があるのはわかっている。しかし、すぐにこの世界から立ち去る故、見逃してはもらえないだろうか」

「え? えっと、それなら、まあ、はい……いいのかな……?」

 

 ポニーテールの女性がようやく口を開き、フェイトが一転してたどたどしい会話をしている間も、なのはは少女を見ながら記憶を探る。気のせいでなければ、少女からも鋭い視線を向けられているようだった。

 二人の足元に再度転移魔法の魔法陣が浮かび上がったとき、なのははようやくそれを思い出した。まだユーノが地球にいた頃の、翠屋に向かう道。前者の方はよく覚えていないが、翠屋の箱を持った男の人と、そして、その前に立って睨んできた女の子。その女の子は、目の前の少女にそっくりではなかったか。

 疑問を覚えたなのはは、少女に向かって声をかけた。

 かけて、しまった。

 

「あなた、私と、どこかで会ったことある……?」

「「――っ!!」」

 

 転移魔法の光が消える。

 その代わりに、ラベンダーと紅の魔力光が輝いた。

 

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。