夜天に輝く二つの光   作:栢人

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第十二話 雲は動く

 

 

 地球から遠く離れたとある世界に、四色の流星が降り注ぐ。ラベンダーに紅、ミントグリーンに群青色のそれらは魔力光。転移魔法の光だった。

 音もなく地表に降り立ったのは、騎士甲冑を身に着けた四人の男女。シグナムにヴィータ、シャマルにザフィーラ――すなわち、闇の書の守護騎士達である。

 

「ここか……」

「見るからに暑そーなとこだな……」

 

 転移が完了した瞬間、素早く己の武器を構えて周辺を警戒したシグナムとヴィータは、それぞれの感想を漏らした。シャマルが転移先に指定した世界は、灼熱の世界だった。

 視界に緑が入ってこない、草木が枯れ果て死んだ土地。ゴツゴツとした岩石がそこら中に転がっている、陸戦には不向きな足場。大小様々の山がそびえており、水飴のように粘性のあるマグマを噴出している。すぐ傍を流れるマグマ流に誤って突っ込もうものなら、絶命は必須だろう。

 所々から濃い火山ガスが噴き出していることもあって、地球の生物などはとても暮らしてはいけない環境だが、シグナム達はその限りではない。プログラム体であることも理由として挙げられるが、一番は、その身に纏う騎士甲冑の存在だろう。魔力によって構成されたそれは魔法攻撃や物理的衝撃を緩和するだけでなく、温度変化や大気状態への対応も可能なのだ。

 

「シャマル、この世界でよいのか?」

「ええ。この世界に住んでいるのは魔法生物だけよ。管理外世界だから、管理局の目も届かないはずだわ」

 

 ザフィーラの問いかけに、シャマルは魔法で周囲の状況を探りながら答えた。その腕には、闇の書が抱えられている。

 颯輔に蒐集を願われたのはつい先ほどのことだが、実は、蒐集の算段はすでについていた。

 『魔導師や騎士との交戦は避け、できうる限り魔法生物からリンカーコアを蒐集する』

 人間からリンカーコアを奪えば、その話はほぼ必ず管理局の耳に届いてしまう。管理外世界の人間から奪ったり、蒐集対象に口封じを施せばその可能性は薄くなるかもしれないが、しかし、そちらの方法は取れない。

 まず、管理外世界は基本的に魔法文明のない世界であり、その中からリンカーコアを保持している人物を捜し出すには多くの手間がかかるため、非効率的なのである。

 また、口封じを施す方法でも、本人からではなく周囲の人間から漏れる可能性があり、完全に痕跡を消すことができないためだ。そもそも以前のシグナム達ならばいざ知らず、今のシグナム達には倫理的にも『口封じ』はできなくなっている。颯輔やはやての未来を考えれば、それは尚更のことだ。

 そこで目をつけたのが、リンカーコアを持つ動物。魔導師や騎士に比べれば一度の蒐集頁数は劣るが、管理外世界にも生息していることのあるそれらを対象にした方が、足はつき難いのである。つまり、質より量というわけだ。

 当然、魔法生物からの蒐集も違法にはなるのだろうが、人間を対象にするよりかは罪が軽くて済む。個体数の多い危険指定生物であれば、或いは罪に問われないかもしれない。

 それらの理由から、蒐集対象は魔法生物ということに決めていた。颯輔とはやてが闇の書に侵食されているとわかった、一ヶ月も前からだ。

 つまり、颯輔が蒐集を許すにしろ許さないにしろ、シグナム達は蒐集をするつもりだったのである。騎士の誓いにより蒐集は禁じられていたが、今のシグナム達にとっては、騎士の誇りよりも家族の命の方が大切なのだ。

 要するに、当初はヴィータを除いた三人で行うつもりであったことが、四人揃って効率が上がったというだけのことなのである。

 無論、犯した罪は何らかの形で償おうとは考えている。管理局が捕えるというのであれば、大人しくそれに従うつもりだ。ただし、それは全てが終わってからの話だが。

 ほどなくして、クラールヴィントが四人に近づいて来る生物の反応を捉えた。速度はそれなりに速い。地球感覚で表せば、高速道路を走る自動車程度だろうか。

 

「大型の魔法生物が一体、上空から接近中。魔力量は……それほどでもないわね。肩慣らしには丁度いいと思うわ。まずは四人で一体、確実に仕留めましょう」

「わかった。……本当なら、こういうのはもうねえと思ってたんだけどな」

「確かに、な。しかし、最早これより他に方法はあるまい。こんなことは一刻も早く終わらせて、いつもの暮らしに戻るとしよう」

「はっ……そうだな」

 

 ヴィータは、戦闘狂が珍しいこと言うじゃねえか、というからかいの言葉を思い付いても口に出すことはなかった。シグナムの言うとおりだと思ったからだ。それは、シグナムとヴィータだけでなく、シャマルとザフィーラも同様に思っている本心であった。

 早く全てを終わらせて、あの温かな陽だまりに戻るのだ。

 やがて、大気を切り裂く音が四人の耳に微かに届いた。シグナムとヴィータが武器を構えて前に進み、二人とシャマルの間に人間形態のザフィーラが立つ。主戦力であるシグナムとヴィータがアタッカーを務め、防御魔法に優れるザフィーラが攻撃を封じ、シャマルが状況に応じてサポートをするための陣形である。

 

「……来るぞ」

 

 狼である故に最も五感の優れるザフィーラが呟いたとき、それは、黒雲を割って現れた。

 蜥蜴、或いは蛇のような頭部に、体の左右に開かれた大きな翼。太い足の先には猛禽類のような鉤爪が伸びており、長い尻尾の先端には攻撃手段の一つであろう棘が突き出ている。全身が硬そうな赤い鱗で覆われており、その全長は二十メートルにも及ぶだろう。

 大空を舞うその生物は、一匹の飛竜。おおよその生物を捕食するであろう、自然界の強者。『空の王者』と呼ぶに相応しい、雄々しき姿。神話の中の生物が、この世界には生息していた。

 

「グオオォォォォッッ!!」

 

 近づいてきた飛竜の黄色い目がシグナム達の姿を捕え、咆哮を上げる。彼我の間には未だ十分な距離があるにもかかわらず、大気の震えがこちらにまで伝わってきた。

 

「行くぞ……!」

 

 炎の魔剣――レヴァンティンを構えたシグナムが、相手を見据えて短く告げる。

 今ここに、戦端が開かれた。

 

 

 

 

「やるぞ、グラーフアイゼンッ!」

《Schwalbefliegen.》

 

 初手を預かったのは、右手でグラーフアイゼンを振り上げたヴィータ。声高らかに謡ったヴィータの前に、二列に並んだ計八つの鉄球が現れる。重力に反して浮遊しているのは、飛翔の効果が付与されているためだ。

 三角形の中央に剣十字を配した紅の魔法陣が、ヴィータの足元に輝く。誘導制御型の射撃魔法、シュヴァルベフリーゲン。近接戦を主眼に置くベルカ式では珍しい魔法だが、牽制には持って来いの一手である。

 

「うッ、らぁッ!」

 

 ハンマーを左に振り、すぐさま右に返し、鉄球を四つずつ打ち出す。ヴィータの意のままに高速で動く鉄の兵士達は、紅の尾を引きながら真っ直ぐに飛竜へと殺到した。

 接触の瞬間、展開されている不可視の魔力障壁によって僅かに減速するも、鉄球は容易くそれを食い破った。ヴィータとグラーフアイゼンによるバリア貫通効果の前では、あの程度の障壁などあってないに等しい。着弾と同時に炸裂した鉄球は、鱗を砕いて肉に突き刺さった。

 しかし、あの巨体にしてみれば与えられたダメージは軽微。相対速度や付与魔力量から考えると、砕けた鱗がどれほどの硬度を持っていたのかがわかる。飛竜は僅かに体勢を崩した程度で、力強い羽ばたき一つですぐに立て直してしまった。

 我が身を傷つけられたことに怒りを覚えたのか、飛竜は時折火が漏れていた口を大きく開いた。唾液でてらてらと輝く肉食動物特有の鋭牙が見え、暗いはずの喉の奥が赤熱して照らされる。

 飛竜の体内で生成された魔力が、火球となって撃ち出された。紅蓮の炎はそこいらのマグマに比べれば温度は低いだろうが、直撃を受ければ焼き尽くされることに違いはないだろう。

 迫る火球に対し、シグナムとヴィータの前に出たのはザフィーラであった。

 

「通さんッ!」

 

 身の丈ほどもある火球を、展開した群青色の防壁で受け止める。そして、それに障壁破壊の術式を加え、右の拳を叩きつけて魔力を打ち返した。盾の守護獣の名に相応しい、鉄壁の構えからのカウンター技だ。渦巻く防壁から、群青色の衝撃波が発生した。

 衝撃波に追随するようにして飛び立ち、迫る飛竜を迎え撃つはシグナム。レヴァンティンを肩に担ぐようにして両手で構え、生成した魔力を身体に廻らせて肉体を強化する。

 肉体を強化した上での近接戦は、ベルカ式魔法の基礎にして神髄。守護騎士の中では随一の魔力を持つシグナムがそれを行うからこそ、初歩の初歩でしかないそれは至高の一手へと昇華される。狙うは、障壁破壊からの一撃だ。

 しかし、射撃魔法より速度の遅い衝撃波を、黙って受けるような飛竜ではなかった。

 翼の角度を調節し、風を受けて急上昇。ザフィーラの放った衝撃波は、飛竜を掠めるに終わってしまう。そして、迫るシグナムを視点を上げることにより発見した飛竜は、柔らかい腹部を晒しながらも棘の生えた尻尾で撃墜に出た。

 

「――ッ」

 

 だがしかし、高速機動による斬り合いを得意とするシグナムには、飛竜の動きなど止まって見えていた。肩に溜めていたレヴァンティンを腰の横まで下げる。尻尾の軌道を先読みしたシグナムはそれをかわし、横薙ぎの剣閃を放った。

 

「ぜあぁぁッ!」

 

 気合一閃。豊富な魔力により強化された一撃は、風切り音すら置き去りにして振り抜かれた。神速の剣閃はしかし、シグナムの腕に微かな抵抗しか与えていない。

 残心をとるシグナムに遅れ、破砕音と絶叫が上がった。飛竜の障壁は木端微塵に砕け散り、長いはず尻尾は半ばの切断面から血を噴出していたのだ。飛竜は戸惑いと激痛に叫ぶばかりで、飛行速度を極端に落としている。切断された尻尾は、マグマの川に飲まれて消えるところだった。

 

『シグナム、離れて。大きいのを撃つわよ』

 

 そして、生まれた大きな隙をむざむざ見逃すような守護騎士達ではない。

 念話を受けたシグナムは、空中を平行移動して射線から外れた。その間に視線を地表に落として確認すると、ミントグリーンの魔力光が窺える。そこにはすでに、術式の起動を終えて飛竜に狙いをつけるシャマルがいた。

 後方支援型のシャマルには、直接的な戦闘力はない。しかしそれは、シグナム達のように近接戦ができないというだけであって、攻撃手段を持たないということではないのだ。

 

「風よ――」

《Bösertornado.》

 

 シャマルがかざした両手から荒れ狂う竜巻が伸び、飛竜の巨体を丸ごと飲み込んだ。無数の風刃が鱗を削ぎ落とし、体表を切り刻んでいく。体の中では特に柔らかい部位である翼膜が引き裂け、飛行手段を失った飛竜は、地表へ向けて落下していった。

 シャマルが発動したベーザートルナードは、ベルカ式魔法が近接戦闘に特化し始める以前にあった砲撃魔法の一つだ。魔力を疾風に変換しているため、純粋砲撃に比べると面制圧力は劣ってしまうが、その威力までもが劣ることは決してない。

 やがて、十トンを軽く超えるであろう巨体が地表に衝突し、地震が起こったかのような揺れが生じた。あまりの衝撃に、飛竜の傷口という傷口から体液が噴き出す。

 血を失い、満身創痍である飛竜だが、重い体を引きずり起こし、丸太のような足で一歩を踏み出した。その一歩に、またもや大地が揺れる。その死に体を突き動かしているのは、怒りだ。例えこの先に死を悟ろうとも、我が身を傷つけた下手人だけは喰い殺す。その執念だけで、倒れこむようにしながらも前へ前へと歩を進めているのだ。

 しかし、獲物を狙う狩人達に慈悲はなかった。或いは、糧にするべく手に掛けた以上、最後まで貫き通すのがせめてもの敬意だったのかもしれない。

 シャマルの砲撃に合わせ、飛竜の落下地点を目指して進んでいた二つの影があった。頭部を挟み込むようにして接近するのは、ヴィータとザフィーラだ。得物であるハンマーと拳を引き絞り、そして――

 

「でりゃああああッ!」

「おおおおッ!」

 

 数瞬のタイミングをずらし、飛竜の頭部を打ち叩いた。

 左右からの凄まじい衝撃は飛竜の脳髄を揺らしに揺らし、その平衡感覚を奪い去る。それどころか、鱗と頭蓋骨で一際防御の堅かったはずの頭部は、左右が完全に陥没していた。

 明らかに致命傷を負っている。だが、竜種故の生命力の高さが、飛竜にまだ活動することを許していた。せめて一撃を、と灼熱の炎を吐き出そうとしたところで――

 

「悪いが、そこまでだ」

 

 上空から急降下してきたシグナムが、飛竜の頭部にレヴァンティンを突き立てた。切っ先は鱗も頭蓋骨をも貫通し、上顎と下顎を串刺しにして固い大地に縫い止める。

 行き場をなくした魔力は飛竜の体内で暴発し、内側の柔らかい肉を蹂躙した。ビクン、と大きく体を震わせた飛竜は、今度こそ大地に崩れ落ちた。

 飛竜が動かなくなり、その目から光が消える。それを確認したシグナムはレヴァンティンを引き抜き、刀身に付着した体液を払い落として鞘に納めた。返り血を浴びてはいなかったが、周囲に撒き散らされた体液による異臭が鼻をつく。

 久方振りの連携で勝利したというのに、浮かない顔をしているヴィータとザフィーラ。その傍にシグナムが降り立つと、丁度、闇の書を携えたシャマルも飛んできたところだった。常日頃から明るいはずのシャマルも、今は険しい顔をしている。そして、それはシグナムにも言えることであった。

 

「……闇の書、蒐集を」

《Sammlung.》

 

 シャマルの命に応じ、闇の書は白紙の頁を開く。飛竜の体から赤く光る球体が現れ、闇の書へと吸い込まれていった。

 古代ベルカの文字が刻まれ、頁が埋められていく。一頁、二頁、三頁と進んだところで蒐集は完了し、闇の書はその身を閉じた。

 

「ちっ、たった三頁ぽっちか……」

「この程度の相手では仕方がなかろう。蒐集はいくらか進んでいるが、これからは地道に数を稼ぐしかないな」

 

 少ない戦果に気を落とすヴィータの頭を、シグナムが帽子の上からくしゃくしゃと撫でつけた。

 シグナム達が狩った飛竜種は、この世界の食物連鎖ピラミッドでは限りなく頂点に近い位置に存在している。それは当然、飛竜の敵となりうる生物がほとんど存在しなかったためだ。

 しかし、リンカーコアを持つ魔法生物は、種族としての強さと保有魔力量に比例関係を持たない場合が多い。今回の飛竜に関して言えば、魔法よりもその強靭な体躯を活かした強さを誇っていたのだ。

 つまりは、飛竜とは正反対に、身体は貧弱に見えても凶悪なまでの魔法資質を持つ生物も存在するということ。そういった生物から蒐集すれば、魔法資質に見合った頁数を稼ぐことができるだろう。

 もっとも、どちらかと言えば魔法資質に優れる生物の方が厄介な相手である場合が多く、シグナム達にしてみれば、最終的な労力は同程度となるだろう。ローリスクローリターンか、ハイリスクハイリターンの違いでしかない。

 

「血の臭いを嗅ぎつけたようだな……」

 

 ずれた帽子を被り直したヴィータは、ザフィーラの言葉を受けて上空を見やる。そこには、同じ種族と思われる飛竜のシルエットが四つほど確認できた。

 同朋の敵討ちに来たのか、それとも、食物の少なさそうなこの世界では例え同種族であっても糧でしかないのか、どちらかは分からない。ただ分かるのは、新たに標的を捜す手間が省けたということだけだ。

 

「私とヴィータで一体ずつ相手をしよう。ザフィーラはシャマルを守りながら――」

「いいえ、その必要はないわ」

 

 シグナムの作戦を、庇われる形となるはずだったシャマル自ら否定した。

 

「一人一体で十分よ。あの程度なら、私一人でも相手にできる」

「……無茶はするなよ?」

「分かってるわ。颯輔君のお願いだもの、それを無視するわけがないでしょう?」

「……そうだな」

 

 シャマルの強い意志の宿った瞳を見て、シグナムはそれを受け入れた。

 シャマルの言うとおり、シグナム達にとって先ほどの飛竜は決して強い相手とは言えなかった。この世界では頂点に近くとも、次元世界規模で見れば矮小な存在でしかない。それはつまり、ヴォルケンリッターの敵ではないということ。中堅レベルの魔導師の方が、まだ脅威に感じられるほどだ。

 肩慣らしは終えた。いざとなれば、自分が援護に回ればいいだけの話だ。

 そう結論を出したシグナムは、レヴァンティンの柄に触れながら標的を睨みつける。

 飛来する標的を迎え撃つべく、四人は地を蹴り空へと上がった。

 

 

 

 

 次元世界の法を司る機関を、時空管理局という。魔法文明が発達して世界間の移動が可能になると、それに伴って魔法を使った犯罪が増加した。時空管理局は、それを取り締まるために発足したのである。

 その在り方を有体にいってしまえば、地球でいう軍隊と警察と裁判所を一つにまとめた組織。権力の集中には様々な問題点が挙げられるが、しかし、次元世界という限りなく広い『世界』を守るためには止む無しの措置だった。本局と現場での情報共有のタイムラグが、取り返しのつかない事態を引き起こしかねないためである。

 例えば、世界の消滅。極端な例ではあるが、行き過ぎた技術の結果がそれとなるケースは少なくない。そして、世界を消滅を引き起こした産物を、ロストロギアと呼ぶ。

 危険な思想を持つ犯罪者がロストロギアに目をつけるのは道理である。時空管理局の主目的は、ロストロギアが悪用する者の手に渡る前に確保し、封印ないし破壊する事といっても過言ではない。

 時空管理局の本局は、次元の海に浮かんでいる。都市クラスの施設を内包しており、管理局の本拠地とそこで働く局員およびその家族の居住区が一体となっている、巨大コロニーである。

 そんな本局施設の一室に執務室を構えるのは、管理局の官職を務めるギル・グレアム。嘱託魔導師、本局執務官、次元航行艦提督、艦隊司令官、執務官長と務め、現在は顧問官として席を置いている管理局の重鎮だ。管理外世界の出身でありながらそれほどの役職に就けたのは、彼の持つ魔法資質の高さとそれに比例して積み上げてきた実績があるからに他ならない。

 グレアムが仕事の合間を見つけ、送られてきた手紙に目を通していると、執務室の扉を叩く音が聞こえてきた。手紙をデスクの引き出しに仕舞い、どうぞ、と短く告げる。扉を開けたのは、よく似た容姿の二人の女性だった。

 グレーの髪に碧眼、黒衣の制服兼バリアジャケット。特筆すべきは、頭部に生えた猫耳と歩みに合わせえてゆらゆらと揺れる尻尾であろう。違いと言えば、髪の長さと纏う雰囲気程度しかない。ショートカットの女性は少々猫背気味で飄々としているように見え、ロングヘアーの女性は背筋が伸びていて真面目なように見える。

 彼女達は、外見のとおりに人間ではない。猫を素体とした双子の使い魔。グレアムを主とする、リーゼロッテにリーゼアリアの姉妹である。

 

「ただいま戻りました、父様」

「報告があります」

 

 グレアムの前に立った二人が、背筋を正して言葉を紡ぐ。リーゼロッテが普段のものではなく事務的な口調を使ったことに、グレアムは二人の報告が正規の仕事のモノではないと感づいた。

 グレアムが気を引き締めてから黙って頷くと、二人は短くアイコンタクトを取る。先に口を開いたのは、管理外世界に赴いていたリーゼアリアの方であった。

 

「守護騎士達が蒐集活動を始めました。八神颯輔が転移するのを見送っていたことから、彼は蒐集に関与しているようです。八神はやてがどちらかは、まだ判断ができません」

「そうか……」

 

 グレアムは小さく返し、深い息を吐く。

 そういった話はまったく聞いていなかったが、どうやら、あちらにはその兆候が出ていたらしい。もっとも、こちらがこういった事情を抱えていることは当然知らせていないため、彼がグレアムに相談することなどないだろうが。八神颯輔と八神はやての二人にとって、ギル・グレアムはただの保護責任者でしかないのである。

 ようやく進展を見せた事態に、グレアムは思考を巡らせる。

 闇の書の頁数は六百六十六。これから蒐集を始めるのならば、どれだけ早くても最低一ヶ月はかかるだろう。これから報告が上がるであろう魔導師や魔法生物の襲撃事件の頻度を調べることで、そのペースはおおよその検討がつくはずだ。問題は、それまでにこちらの準備が間に合うかどうか。

 

「ロッテ、デバイスの方はどうなっている?」

「基礎フレームはようやく完成。残りはシステム面の調整かな? モノがモノだけど、グランツ君ならちゃんと仕上げてくれるはずだよ。テストもしたいから、そのうち父様も顔を出してほしいって」

 

 グレアムの計画のカギを握るのは、闇の書対策として考え出した魔法とそれを行使するためのデバイスだ。一般にはまだ公開されていない、管理局の魔法技術の全てをつぎ込んだハイエンドモデルである。

 ピーキーな性能を誇るが故にここまで漕ぎつけるのには紆余曲折があったが、報告どおりならば、闇の書の完成よりも早く仕上がるだろう。開発者は凝り性な男ではあるが、納期を逃すような不誠実な男ではない。

 

「わかった。後ほど私からも連絡を入れておこう」

 

 デバイスの心配がいらないのであれば、あとは場を整えるだけである。幸い、グレアムはどの部署にも顔が利くほどには高い地位にある。理由も正当なもので、上の後押しもあるとなれば、理想の状態で事にあたることも難しくはないはずだ。

 懸念すべき事柄は、イレギュラーな事態が起こらないかどうか。

 此度の闇の書の主は二人と、すでに今までとの違いが出ている。主の魔法資質に応じて能力の上がり下がりがある守護騎士は、間違いなく以前よりも手強い存在となっているだろう。まだ対処の仕様はあるが、その時を前にしてこれ以上のイレギュラーは避けたいところである。

 

「ロッテとアリアは引き続き監視を続けてほしい。気付かれるのは拙いが、できれば、闇の書の蒐集頁数を把握してもらえるとありがたい。事件の対策チームは、私の方で手配しておこう」

「「はい、父様」」

 

 ギル・グレアムの目的は、第一級捜索指定遺失物――ロストロギア『闇の書』の永久封印。例え罪を犯すことになろうとも、不幸の連鎖はここで断ち切ってみせる。闇の書に関わって涙を流す者を、これ以上増やしてはならないのだ。

 グレアムは、膝の上に置いた拳を固く握り締める。脳裏に浮かぶのは、先ほどまで読んでいた手紙とそれに添付されていた笑顔溢れる家族の集合写真。

 目的のためならば、自分の心などいくらでも殺してみせよう。グレアムの覚悟は、決して砕けない。

 

 

 

 

 誰かの声がする。不意に耳に届いた声を聞き届け、はやては目を覚ました。

 

「ん……? な、何や、ここ……?」

 

 そこは、何もない空間だった。光がなく、空がなく、大地がなく、只々暗い、闇に閉ざされた空間。灯りのない街に夜の帳が下りたような、そんな世界。

 自分の体は目に入る。服装は、ベッドに入ったときのパジャマのままだ。しかし、自分の体が視認できるだけで、他には何も見えない。はやての心を不安と恐怖が満たしていく。

 

「…………さい、……め…………――」

 

 声が聞こえた。小さな声。すすり泣いているような声。どこかで聞いたことがあるような、女の人の声だ。

 暗い感情を胸の奥に押しやり、勇気を振り絞って辺りを見渡す。微かな声に耳を澄まして暗闇に目を凝らすと、そこに、一人の女性の姿を見つけた。

 絹糸のように輝く細い銀の長髪に、シグナム達が最初に着ていたような黒い薄手のワンピース。両の手で顔を覆っており、その表情を窺うことはできない。しかし、肩を震わせて嗚咽を漏らしていることから、彼女が泣き声の主だとわかった。

 

「どうしたん……?」

「――っ!?」

 

 気が付けば、はやてはその女性に声をかけていた。どうしてそうしたかは、わからない。ただ、彼女には泣いてほしくないと思ったのだ。

 はやての声に、女性がはっと顔を上げる。涙に濡れ、驚きに呆けているその顔はしかし、はやてが今までに出会った女性の中で最も美しかった。

 張りのある白い肌に、整った顔立ち。一際目を引くのは、紅玉のような瞳だろう。潤んだその瞳は光を閉じ込め輝き、見ているだけで吸い込まれそうな感覚に囚われる。神々しくもどこか儚い、そんな美しさ。

 そして、その強く触れれば消えてしまいそうな儚さは、はやての良く知る人物に似ていて――。

 

「こ、これは、主はやて、大変見苦しいところをお見せしてしまいました。申し訳ございません」

 

 呆けた顔から一転、表情を引き締めた女性は、涙を拭って居住まいを正した。片膝を着き、頭を垂れて臣下の礼を取る。しかし、その涙はまだ止まっていないようで、慌てたように手の甲で目元を擦っていた。

 その対応の仕方と『主はやて』という呼び名に、はやては懐かしいものを感じた。それは、現れた当初のシグナム達の反応だ。着ている衣服も似通っていることから、彼女も闇の書の関係者なのだと当たりをつける。

 シグナム達の仲間なら、放ってはおけない。

 そんな想いが、はやての中の不安と恐怖に打ち勝った。どうにか彼女に近づこうともがいてみるが、しかし、ここには移動手段である車椅子も、そもそも地面すらないことに気が付いた。

 ならば、どうして自分はここに浮いていられるのか。

 疑問が頭に浮かんだ直後、柔らかく、温かな感覚に包まれる。

 銀髪が頬を撫でる。見上げれば、女性の顔がすぐ目の前にあった。頬を流れる涙はまだ止まっていない。はやては手を伸ばし、その頬にそっと触れた。

 

「おおきに。でも、どうして泣いてたん? 嫌なこととか、悲しいことでもあったんか?」

「いえ……。主はやてが気に掛けるようなことではございませんよ」

「む……。ほんなら、泣いてたらあかんよ。せっかく綺麗な顔しとるんやから、美人さんが台無しや」

「そのとおりですね、申し訳ございません……」

 

 涙を流しながらも、彼女は困ったように笑ってみせた。

 困らせたかったわけではない。ただ泣き止んでほしかっただけなのだ。止まらない涙をパジャマの袖で拭い取りながら、はやては必死に話題を考えた。

 

「いけません、お召し物が汚れてしまいます」

「ええのええの。このくらい、何も問題なしや。それより、あなたの名前は? どうしてこんなとこにおるん?」

「名前、ですか? 私は夜天の――……いえ、今は闇の書でしたね。私は闇の書の管制融合騎にございます。ここは、闇の書の中といったところでしょうか。私はずっとここにいて、主はやてが訪ねてきたのですよ」

「かんせいゆうごうき? うーん、なんや難しい名前やね。それに、ここが闇の書の中? 確かに真っ暗やけど……。こんな暗いとこにおって、寂しゅうない?」

「いえ、闇の書を通して外の様子を知ることもできますから。それに、時折こうして貴女や主颯輔にお会いすることもできます」

「え? わたし、あなたに会ったことあるん? それに、お兄も?」

 

 女性はそう言うが、はやての記憶の限りでは彼女にあったことなどないはずである。このように一目見ただけで心奪われるような美人ならば、忘れるはずがない。そして、この女性は八神家のおっぱい魔人ことシグナムにも劣らない胸部の持ち主なのだ。なおさら、はやてが覚えていないなどありえない。

 はやての問いに、女性は表情に少し影を作った。

 

「ええ、主はやてにお会いするのはこれが初めてではありません。主颯輔とも、何度かここで語らいました。ただ、私は未だに起動してはおりませんので、貴女方が私との邂逅を記憶に留めることはできないのです。そうですね、これは一時の夢とでも思っていただければ」

「でも、あなたはちゃんと覚えとるんやろ? そんなことって……」

 

 自分は相手のことを覚えているが、相手は自分のことを忘れてしまっている。それは、とてもとても悲しいことではないか。少なくとも、はやてならばそんなことは嫌だった。大切な人に忘れ去られるなど、そのような残酷な仕打ちには耐えられそうにない。

 俯くはやての頭に、少々冷たい手が触れる。しかし、そっと髪を梳いていくその手つきは、どこまでも優しくて。

 

「どうか、ご心配なさらず。及ばずながら、私はここで、貴女とあの方と守護騎士達を見守っておりましょう。ただそれだけでも、私にとっては過ぎた幸福なのです……」

 

 それに、私など、貴女方と出会うべきではなかった。

 注意していなければ聞き逃してしまいそうなほどに小さな声で、彼女はぽつりと呟いた。涙はいつのまにか止まっている。しかし、はやてにはその顔が泣いている時よりも余程悲しんでいるように見えた。

 

「待って、それ、どういう――っ!?」

 

 問いただそうとしたはやての体を、淡い光が包んでいく。光が強くなるにつれ、次第に周りの世界が歪んでいった。思わずしがみ付こうとした女性の体も、はやての透けていく腕ではすり抜けてしまう。

 伸ばした腕を支えられるように、彼女の掌と触れ合った。

 

「どうやら、お時間のようです」

「そんな――待って、ちょう待ってっ!」

「また眠りに戻るだけです。怖がらずともよいのですよ」

「そんなんちゃうっ! 怖がってなんかないっ! わたしは、わたしは――!」

 

 手が離れ、彼女の顔が遠くなっていく。泣いてばかりだったはずの彼女は、慈しむような微笑みを浮かべていた。

 自身の存在が薄れていくのを感じ取りながら、はやては必死に手を伸ばす。まだ、彼女とは話したいことがある。伝えたいことが、伝えなければならないことがあるはずなのだ。

 

「わたし、あなたのこと忘れへんからっ! 絶対覚えとくからっ! ――そやっ、名前! 次会うまでに、可愛らしい名前考えとくから、だから、だから――…………」

 

 視界が白く染まる。

 はやての意識は、急速に閉じていった。

 

 


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