人間には、突飛的に起こる出来事を事前に察知できる者などいない。もしもいたとしたら、その者は未来からやってきたか、未来予知のできる超能力者だろう。つまり、それは事前に決められていた、運命とも呼ぶべき回避不可能な事だったのだ。
それこそ、事故と呼ぶに相応しい。
その日は久しぶりに家族揃って出かけた日だった。共働きの両親は忙しく、休日でさえ家に仕事を持ち込むことが多い。しかし、珍しくその日は違った。
楽しかった。遊びに行くか、と声をかけられてから、出かける準備をするのも、目的の場所に向かう車の中も、遊園地で遊びまわるのも、楽しかった。仕事優先で不仲に見える両親も、この日ばかりは終始笑顔だった。
今日が終わらなければいい。
しかし、時がその流れを止めることなどない。颯輔の願いとは裏腹に、遊園地は閉園の時間を迎えた。愚図る颯輔だったが、来年もまた来よう、という言葉に渋々納得した。
帰り道。遊園地を遊び倒して疲れていた颯輔だったが、眠ることはなかった。眠ってしまえば、楽しい一日が終わってしまうから。だから、重い瞼を必死で持ち上げ、幼い故に拙い会話力でも両親に話しかけ続けた。
或いは、それが原因だったのかもしれない。そうではなかったとしても、避けることはできなかったかもしれないけれど。
帰り道の高速道路で、対向車線の大型トラックが、颯輔達の乗る車に向かって突っ込んできた。覚えているのは、父親の怒声と母親の悲鳴と体を襲う衝撃。
それらを最後に、颯輔は意識を失った。
◇
――……じっ、主っ!
細く長い銀髪に、透き通るような真紅の瞳。
――お気を確かに、主っ!
美しいはずのその顔は、涙に濡れて歪んでいる。
――目を開けてください、我が主っ!
水中を漂うような浮遊感の中で、鈴の音のような声を聞いた気がした。
◇
颯輔が目を覚ますと、そこは真っ白な部屋だった。白い天井に、白いカーテンに、白いベッド。薄い水色のストライプが入った入院着に身を包み、腕には点滴が打たれている。
病院だった。医師の話では、一か月もの間眠っていたらしい。
最初に訪ねてきたのは、去年に結婚したばかりの叔父夫婦だった。結婚式には颯輔も出席している。父の弟にあたる叔父はよく遊んでくれる優しい人だったし、関西出身の叔母は明るく面白い人だったし、二人とも颯輔を我が子のように可愛がってくれていたので、しっかりと覚えていた。
お父さんとお母さんは、と尋ねると、叔父に抱きしめられた。抱きしめる腕の力は強く、苦しかった。腕が震えていた。
嗚咽の混じった声で、冗談にしては性質の悪い言葉を聞いた。
「お父さんとお母さんにはもう会えないんだ……。二人は遠いところに行ってしまったんだよ……」
涙を流す二人を見て、それが本当のことだと理解した。叔父とは反対側から叔母に抱えられ、三人で泣いた。
検査を終えると、大きな怪我もなかった颯輔はすぐに退院することができた。戻った家に両親の姿は当然なく、荷物も整理されてほとんどなくなっていたためか、そこが自分の家だとは思えなかった。事実、そこはもうすぐ自分の家ではなくなる。他に身寄りのなかった颯輔は、叔父夫婦に引き取られる手筈となっていた。
大事な物は家に持っていったから、颯輔のいるものだけ持って来なさい、と言われ、階段を昇って自分の部屋に向かった。学習机やランドセル、ベッドはもう叔父夫婦の家に運ばれていて、部屋がやけに広く見えた。
段ボールにゲームなどの玩具を適当に詰め込んだ。本棚を見ると、教科書類はもうなく、漫画などが残っていた。その中に一つだけ、買った覚えのないハードカバーを見つけた。こんなのあったっけ。颯輔はそう思いながら、その本を手に取る。
不思議な本だった。茶色のカバーに、金色の十字架が装飾されている表紙。辞書のような厚さだが、どこを見てもタイトルらしき文字が記されていない。それどころか、鎖で厳重に封がされており、開くことすらできないのだ。これでは読むことなどできない。だけど、綺麗な本だ。そっと背表紙をなぞってみると、滑らかな感触が心地よく、驚くほど手に馴染む本だった。捨てるのも勿体ない気がして、颯輔はその本を持っていくことにした。
新しい家は、海鳴市の中丘町というところにあった。庭付きの二階建てで、前の家よりも大きい。モデルハウスを安い値段で購入したそうだ。安いと言っても、まだ年若い叔父夫婦にとっては十分高額だったのだが。
「今日からここが颯輔の家だ」
「三人……いえ、四人仲良く暮らしてこうね」
優しい微笑みを浮かべる叔父夫婦に、颯輔は首を傾げる。叔父に、叔母に、自分。この場には三人しかいない。照れるように笑った叔母は颯輔の手を取り、そっと自分の腹部に当てさせた。
「ここに、もう一人おるんよ」
「もう少ししたら、颯輔はお兄ちゃんになるんだ」
叔父は叔母の肩を抱き寄せ、二人で幸せそうに笑った。もしかしたら、自分は邪魔者なのかもしれない。そう思いつつも、颯輔は笑うことにした。