「おはようトシくん。はい、今日のお弁当」
「おはよう葵。弁当ありがとうな」
朝、葵を迎えに行くと手作り弁当を渡してくれた。受け取った重みに思わず顔がほころぶ。
中学までは給食だったのだが、高校からは弁当を持参している。学校には食堂や購買といったものがあるにはあるのだけど、節約や栄養バランスを考えても弁当の方がいいだろう。
現在は俺と葵と瞳子。三人でローテーションを回して弁当を作っている。
毎日一人分を作るよりも、数日に一度三人分を作った方が負担が少ないだろうという判断だ。まあ葵と瞳子に料理の腕は置いてかれてしまっていることもあって、俺が作る日はあまりいいものではないだろうけれど。俺が一番得しちゃっているなぁ。
「今日は唐揚げの味付けに自信があるんだー。お昼楽しみにしててね」
「葵が自信があるって言うなら期待できるな」
二人で瞳子の家に向かう。インターホンを押すとすぐに玄関が開けられる。
「おはよう瞳子」
「瞳子ちゃんおはよう。これお弁当だよ」
「二人ともおはよう。ありがとう葵。遠慮なくいただくわね」
瞳子が葵の弁当を受け取る。ここだけを見ると女の子が女の子に手作り弁当を渡している図なんだよな。二人とも綺麗だからとても良い絵だ。
「何よ俊成? こっちを見つめちゃったりして」
「え? いやぁ、二人とも綺麗だなって思ってさ」
「そ、そう……」
瞳子は顔を赤くして少しうつむいてしまう。だからそういう仕草はダメだってば。抱きしめてキスしたくなってしまう。
「こほん……。じゃあ学校に行こうか」
俺は煩悩を振り払うように咳払いをする。三人で並んで駅へと向かった。
登校の道中、俺は佐藤から聞いた情報を思い出して口を開いた。
「そういえばさ、この間俺達三人で昼飯食べていたのをクラスの奴に見られたらしい」
「クラスって俊成の?」
「そうそう、男子なんだけどな」
「ふうん」
葵はあまり興味がなさそうだ。瞳子は首をかしげる。
「俊成はその人から何か言われたりしなかった?」
「とくに何も。俺も佐藤から聞くまで気づかなかったからなぁ」
言われてみれば、俺達が昼飯を食べている現場を見たという下柳の目つきがちょっとだけ厳しくなったように思える。それでも口を利かなくなったというわけでもないのだが。
「別に私達はトシくんと付き合ってることを隠すつもりなんてないし。やましいなんて一つも思ってないもん」
「俺も葵と瞳子の関係をやましいだなんて思ってないよ。ただ、葵と瞳子が周りから嫌なことを言われたりするのが心配なんだ」
俺は何を言われても構わない。二股野郎でもスケコマシと呼ばれても気にしない。
けれど、葵と瞳子が嫌な目に遭うのは耐えられないのだ。実際、中学時代は俺達の関係を公にしていたことで散々なことを言われたものである。
最終的には落ち着いたものの、あの時の苦労を考えると公にするのは得策ではないように思えた。それは協力してくれた佐藤を始めとした友人も思ってくれている。
秘密にしたいわけじゃない。わざわざ目立つ必要はないだけだ。俺達三人で決めたことを周りからとやかく口出しされたくないだけではあるのだが。
「せっかく高校生になって新しい友達もできているんだからさ。それは大切にしていこうよ。な?」
「こんなことで陰口言うような子とは友達じゃなくてもいいよ」
葵はふんっと鼻を鳴らす。当時を思い出しているのかご立腹である。
全部俺が守ってあげられたらいいのだけど、それができないというのは思い知らされてしまっている。最後に助けられたのは友達の存在だったから。
この関係をずっと隠しとおせる気はしないし、隠しとおす気もない。だけど、友達作りは最初が肝心だ。
二人に信頼できる友達がいてくれたら俺も少しは安心できる。葵と瞳子なら見る目もあるし、時間さえあれば良い人間関係を構築できるだろう。
「俊成の心配もわかるけれどね。あたし達は大丈夫よ。自分のことくらいなんとかするわ。なんとかできるだけの力を俊成にもらっているんだから」
「そっか。うん、とりあえず何かあったら報告する。それだけは守っていこう」
葵と瞳子が頷いてくれる。
高校生は青春時代真っ盛りである。できることなら葵と瞳子には楽しい学校生活を送ってほしい。
それが良い思い出になるように。歳をとってあの時代はもっと輝いた時間を過ごせたんじゃないかって後悔しないように。そんなことを求めてしまうのだ。
※ ※ ※
「おう高木! スポーツテストで白黒つけてやるぜ!」
「お、おう?」
下柳が俺に指を突きつけて宣言する。どう反応したものかと困惑した声を漏らす。
本日はスポーツテストが行われる。五〇メートル走や握力を測ったりなど数々の種目をこなしていくのだ。
自分の体力が数値化される。男にとっては学力以上に負けたくない分野なのかもしれない。運動部ならなおさらか。
「ふっ、この勇姿を望月ちゃんに見てもらいたいぜ」
下柳はそう言って女子が集まっている方へと視線を向ける。
体育は男女別々である。しかし同じくスポーツテストをすることもあってか、近い距離に女子達はいた。
一年A組の男子連中は浮ついた空気を出しまくっている。その上でキリリとした顔つきでやる気に満ち溢れていた。下心で人は強くなれるんだからわかんないもんだな。まあ人のことは言えないんだけども。
体育教師の説明を受けて各種目を測定していく。
最初は体育館で握力や反復横とび、上体起こしや長座体前屈などを行っていく。
「力こそ男の象徴! 俺の握力を見せてやるぜ!」
力こぶを見せつけてくる下柳。けっこう自信があるようだ。
なんだか視線を感じて顔を向ける。記録をしていない女子の何人かがこちらを見ていた。
男子が女子を気にしているように、逆もまた然りといったところだろうか。そう思うとなんだか安心する。葵と瞳子も俺のこと気にしてくれているもんな。
「六十キロの大台に乗ったぜ!」
「おおー、しもやんすごいやん」
次々と握力を測定していく。俺の順番がすぐに回ってきた。
「高木、右七十二キロ。左七十キロ」
「な、ななじゅう……?」
俺の記録を読み上げる先生の声に反応した下柳が愕然とした表情になる。ちょっとだけ胸を張ってやりたくなったのは内緒である。
「高木くんも相変わらずすごいんやね。僕なんか五十キロもなかったわ」
「柔道部で鍛えた成果だな」
「そ、そうだ! 握力はサッカー選手とは関係ないからな。これはまだ勝負の始まりですらなかったんだ」
下柳は張り合ってくるな。よほど運動能力に自信があると見える。
「……」
でも、なんて言うのかな。なんかこう、男として張り合っていくというのは少し興奮するような気持ちになる。
前世では平均的な記録で運動部の奴等とは勝負にならなかった。それがわかっていることもあって勝負しようとも思わなかったんだ。
今ならちゃんとした勝負になる。本当はこうやってちょっとしたことでも勝った負けたで一喜一憂したかったのかもしれない。
次の反復横とびでは下柳に負けてしまった。たった一回の差とはいえ負けは負けだ。すごく悔しいっ。
「こんにゃろう……。柔道部のくせにやるじゃねえか」
「今は柔道部じゃないけどな。次は負けないぞ」
下柳と勝ったり負けたりを繰り返しながら測定を行っていく。今のところクラスでの記録トップは俺と下柳で二分していた。
場所を移してグラウンドへと出る。残す種目は五〇メートル走とハンドボール投げ、それに持久走だ。
「今までの結果は互角。五〇メートル走と持久走があるからな。こりゃあ俺の勝ちで決まりだな」
「油断するのは早いだろ。俺だって走るのには自信があるっての」
まあ本郷には負けるのだが。しかもサッカーでドリブルしている奴に追いつけないほど差をつけられていたりする。あれはショックだった……。
さすがに下柳もあのレベルとは思いたくないな。……だよね? 本郷と同じサッカー部だと思ったらものすごく速い奴に見えてきた。
五〇メートル走は二人一組でいっぺんに測っていく。それを聞いた下柳が俺と肩を組んできた。
「おう高木。白黒はっきりつけるためにもいっしょに走るよな? ん?」
ニヤニヤしやがって。こいつもう勝った気でいやがる。
いいだろう。その挑発を受けてやろうじゃないか。
「いいぜ。白黒つけようか」
ニヤリと笑ってやる。脚が速いんだろうがそう言われて逃げるわけにはいかない。
「トシナリー! がんばるのよー!」
俺と下柳がスタート位置につくとクリスの声が飛んできた。女子はハンドボール投げをしている最中なのだが、順番待ちをしている何人かの女子はこっちを見ているようだった。
「こんにゃろう……。あれほどの美少女とお昼をともにしておきながらクリスちゃんまで……」
下柳がぶつぶつと何か呟いている。まるで呪詛でも吐いているみたいだぞ。
「位置について、よーい……ドン!」
スタート係の生徒が合図で旗を振り下ろす。俺達は同時にスタートを切った。
腕を振り、脚に力を込める。視線はゴールから離さない。
隣の下柳が少しだけ先を走っている。言うだけあってやっぱり速いなこいつ。
周りの景色を置いて俺達はどんどん前へ前へと向かっていく。十秒もかからない競争の中で、俺はある人物を思い出していた。
走ることが大好きで、彼女はいつも俺の前を走っていた。
それは競争するのはもちろん、夢に向かって真っすぐ走る姿を想像できた。俺にはない真っすぐさを持っている彼女が羨ましかった。
少しは先輩に追いつけているだろうか? 今の俺を目にしたら先輩はなんと言うだろうか? 先輩の前では胸を張っていたいと思うのだ。走っているとそんな気持ちが呼び覚まされる。
立派になったというところを見せたい。俺もちゃんと真っすぐ走っているんだって。
ゴールを目前にして、いつの間にか俺は下柳に並んでいた。
あとちょっと、あとちょっと前へと出れば……。
「六秒二! 二人同着だ」
「ええーっ!?」
ゴールして下柳は驚きというか、疑問の声を上げた。確認しても変わらないだろうにストップウォッチを確認している。
「ぐぬぬ……。高木、お前本当に柔道部だったんだよな?」
「柔道部だったよ。間違いないって」
柔道やっている人がみんな鈍足だっていう偏見でもあるのかよ。下柳の顔は納得いかないという感情をありありと示していた。
続くハンドボール投げは俺が勝った。コツは斜め四五度に向かって投げることだな。
「この持久走だけは負けらんねえ!」
下柳が準備運動として軽く腿上げをしながら吼える。これで俺が下柳の上をいけばトータルで勝ち数が多くなると決定する。
「みんながんばってくださーい!」
「トシナリがんばれー!」
男子集団に向かって望月さんとクリスが応援してくれる。クリスは俺にばっかりだけども。
持久走では女子全員が見学していた。次に彼女達が走るので待っているのだ。
スタートの合図で男子の集団が一斉に走り出す。
男子の持久走は一五〇〇メートルをゴールしたタイムを測るのだ。トラックをぐるぐる走るばかりで、見ている女子はあまり面白いものでもないだろう。
下柳が先頭に出る。ぐんぐんと集団から抜け出していく。
俺はそれを追って行った。そのまま後ろにいるのも嫌なので並んで追い抜こうとする。
「誰が抜かせるかよ!」
「む……このっ」
下柳がペースを上げるので俺もピッチを速める。呼吸が浅くならないように意識する。
ペース配分なんか考えちゃいない。俺と下柳は抜かし抜かされのデッドヒートを見せていた。
息が上がって苦しい。でも、確かな楽しさも感じていた。
苦しくなってきたからこそ、俺の脳裏には葵と瞳子の姿が映し出されていく。
恋愛は大事だ。葵と瞳子の関係をもっともっと深めたいと思っている。
それでも、それを抜きにしても高校生活はきっと楽しいものなのだ。きっと俺はこれを求めていたのだから。だからこそ、葵と瞳子にも高校生活を楽しんでもらいたいと思ってしまうのだ。
できるだけ色褪せない思い出を。なんて考えてしまうのはおっさん臭いだろうか。
後半ペースを落としながらも下柳と争い続けた。そして、最後に下柳の前に出た。そのままゴールを決める。
倒れるようにして体を休める。あまり良くないとわかっていながらも地面に横たわる。
脚だけじゃなく全身が疲労している感じだ。本当に全力を尽くしたんだな。
そんな俺へと下柳がフラフラと近づいてきた。俺の横で腰を下ろす。
「ぶはー、ぶはー。……けっこうやるじゃねえか」
「はぁ……はぁ……、下柳もな」
俺と下柳は見つめ合う。互いの健闘をたたえ合っているのだ。なんたる青春。
俺が握手を求めて手を伸ばそうとすると、その前に下柳が口を開いた。
「だがな! スポーツは数字だけで語れるもんじゃねえんだ! 今度は球技で決着つけるんだからな! 俺はまだ負けてねえ!!」
下柳は突然がばりと立ち上がったかと思えば、どこかへと走り出してしまった。
「おい下柳! どこ行くんだ!」
「トイレですー!」
「そうか! 漏らすなよ!」
当然ながら先生に引きとめられるが、理由を口にした下柳はあっさりとグラウンドから姿を消した。あいつ、まだ元気じゃないか。
「ふぇ~……、終わった~」
他の男子連中も続々とゴールしていく。佐藤なんかは俺みたいに倒れていた。よほどがんばったらしい。
「お疲れ佐藤」
「高木くんも……お疲れさん……」
荒い息づかいなのに労ってくれる佐藤だった。しっかり休め。
下柳との友情が芽生えるかと思いきや、そんなことのないままスポーツテストは終わったのであった。青春とは難しいものだ。
ちなみに、女子の持久走で一位だったのが美穂ちゃんだった。小学校の頃から運動のできる子だったけれど、高校生になってもその能力は健在らしい。
授業が終わったら昼休みだ。けっこう運動したからな。葵が作ってくれた唐揚げが楽しみだ。
※ ※ ※
一年C組のスポーツテストにて。
「んー……。ふっくぅ~……」
「ほらほらあおっちがんばって。もうすぐ十回だよ」
「む、無理ぃ……」
上体起こし。膝を九十度に曲げて胸の前で腕を組んだ状態で腹筋運動をし、両肘が両太ももについた回数を測定する種目である。
真奈美が足を固定し、仰向けになった葵は腹筋運動に力を入れていた。
が、無情にもタイムアップ。良い成績とは言えない回数で終えてしまった。
「胸が大きい分、あおっちには有利だと思ったのになー」
「はぁはぁ……、どういう意味かな?」
「さすがに疲れてると迫力が落ちるね」
力のない葵の笑顔に真奈美は余裕を崩さない。
しかし、離れた位置から眺めていた男子達には余裕を見せられないほどのダメージを与えていた。
息を荒らげながら胸を上下させる美少女から目を離せない。なんか色っぽくね? 男子高校生になったばかりの彼等には刺激が強過ぎた。
次の種目は長座体前屈だ。あらゆる運動が苦手な葵ではあるが、この種目には得意げな表情を浮かべている。
その表情の通り、葵は良い記録を叩き出した。
「七十二センチ! おおーっ! あおっちやらかーい。これは胸が邪魔になったりしないんだね」
「どういう意味かな真奈美ちゃん?」
「あ、しまった」
少し体力が回復した葵の笑顔はとても良いものだった。反対に真奈美の顔は青ざめていく。これが本来の力関係である。
「で、でもさ。これから持久走とかもあるし面倒だよねー」
「持久走……、そうだった。やだなぁ……」
話を逸らそうとした真奈美の言葉に葵はげんなりとしてしまう。彼女の苦難はこれからなのであった。
※ ※ ※
一年F組のスポーツテストにて。
「本郷くんすごーい!」
「また一番なんだってー」
「学年どころか学校で一番の成績って先生が言ってるよ」
騒ぐ女子達の視線を追ってみれば、ひと際目立つ男子、
瞳子は横目でチラリと見ただけで、自分の種目へと戻っていった。
彼は相変わらず人気があるようだ。そうぼんやりと思う瞳子だったが、彼女もまた男子達から似たような視線を向けられていたのだった。
「木之下さん、女子の中でトップの成績みたいだぜ」
「運動している姿が綺麗だよな。さっきの垂直跳びなんかツインテールがふわって持ち上がってよ」
「いいよなぁ、ハーフ美少女ってさ。銀髪が美しい……」
小声で語り合う男子連中の声は瞳子に届かない。届いたのは近くにいる男子だけである。
「……」
その男子の一人、永人はしっかりとその会話を聞いていた。
ほんのちょっとだけ眉をひそめて、彼は何も言わずに次の種目を測定するために体育館を出て行く。
「みんなー、あたし達もグラウンドに出るわよ」
瞳子のかけ声に女子達は元気良く返事する。リーダーシップを発揮している彼女は見事にF組の女子をまとめ上げていた。
(俊成に負けないんだから)
頬を緩ませる瞳子が競っているのは、自分の愛する人だけだった。