映画館の光り輝くスクリーンに映し出されるのはラブロマンス。顔が紅潮して胸がドキドキしてしまう。
「あっ」
手が触れる。反射的にお互い引っ込めてしまった。
二人で映画館に来た。同じものを観ているけれど、同じような気持ちを抱いているかはわからない。
それでも、共有しているという事実がとても嬉しかった。
「……」
なんとなく、とくに理由もなく隣を見る。ちょうど目が合ってしまい、別に恥ずかしさを感じなくてもいいのに心が焦った。
「……」
正面を見る。物語はどんどん盛り上がっていて、私の気持ちも盛り上がっている気がした。胸のドキドキは本当に映画のせいだけなのかな。なんて……。
本日、私は瞳子ちゃんと映画を観ています。……なんでこんな状況になったんだっけ?
※ ※ ※
十月十一日。その日は瞳子ちゃんの誕生日だ。
誕生日会をするのも毎年のことなのでサプライズも何もない。トシくんと瞳子ちゃんと三人でいる時に誕生日の話題になった。
「もうすぐ瞳子ちゃんの誕生日だね。何か欲しい物とかあったりする?」
トシくんがストレートに尋ねる。いくらサプライズがないとはいえ真っ向勝負過ぎじゃないかな。
「えー? うーん……、俊成が選んでくれた物だったらなんでもいいんだけど」
そうは言いつつも瞳子ちゃんから期待感みたいなものが漏れ出ている。わかりやすいように見えるんだけど、トシくんは気づいていないみたい。うーんトシくん……。
「だったらさ、トシくんといっしょに誕生日プレゼントを選びに行けばいいんじゃないかな。私の時もいっしょに買いに行ったし」
その間、私はケーキ作りをがんばろうかな。瞳子ちゃんに喜んでもらえるようなケーキを作りたいな。
私の提案にトシくんは「そうだな」と頷く。けれど瞳子ちゃんの方は眉を寄せて難しい問題と向かい合ったような顔になった。
「……ううん。あたし葵にプレゼント選びに付き合ってもらうわ」
「え、私?」
「そうよ。ほら、女同士の方が気兼ねなく買い物できるでしょ?」
それはそうかもしれないけれど……。トシくんも「そりゃそうだよね」なんて言ってるし。
でもせっかくトシくんと二人きりになれるのに……。困惑を顔に出さないようにするのが大変だった。
「葵、そんなわけだから今度あたしとデートよ」
満面の笑顔の瞳子ちゃん。どうして誕生日なのにトシくんとじゃなく私となんだろうか? 困惑が抜けないまま、頷くだけで精一杯だった。
※ ※ ※
と、そんなやり取りがあって私は瞳子ちゃんとお出かけすることになったのだ。
目的地は前にトシくんとデートをしたショッピングモールである。瞳子ちゃんといっしょに電車に乗って向かう。
瞳子ちゃんの服はカジュアルなパンツルック。わかっていたけどすごくかっこ良くてかわいい。ここまで似合っているのは瞳子ちゃんだからなんだろうなって憧れの目で見てしまう。
「葵がワンピースを着ると高貴なお嬢様に見えるわよね」
「え? そ、そうかな……」
「あたしは葵のかわいらしいところがとても羨ましいわ」
瞳子ちゃんは私を見つめながら平気でそんなことを言う。私だって瞳子ちゃんがとても羨ましい。彼女みたいになりたいなって思っているのにな。
「あの二人どっちも美少女だよね。レベル高くない?」
「あれ? あの子達前に男の子とデートしてなかった?」
「男に愛想つかして女同士仲良くなっちゃったんじゃないの」
「そうかも。あの男の子って顔は普通だったもんね」
電車に乗って揺られていると、好き勝手な会話が耳に入る。どうやら高校生の集団みたいで、制服を着たお姉さんが私と瞳子ちゃんを観て勝手な想像を膨らませているみたいだった。
ちょっとカチンとくる内容があって抗議したかったけど、瞳子ちゃんが目で「放っておきなさい」と伝えてくるので黙って耐えた。大人だ。
ショッピングモールに辿り着いて最初に向かったのは映画館だった。買い物じゃないの? と思ったけど、今日の主役は瞳子ちゃんなので好きなところに行ってもらえたらいいかなといらないことは言わないことにした。
「映画良かったわね」
「だねっ。私あのヒロインを追いかけるシーンが好きかも」
「わかる! あたしもドキドキしちゃったもの」
映画館を出てからは喫茶店で感想を言い合った。私も瞳子ちゃんも満足していて語っていると時間を忘れてしまうほど楽しかった。
でも今日は瞳子ちゃんのプレゼント選びに来たのだ。時計を確認してあまりの時間経過の早さに焦った声を出してしまう。
「あっ、もうこんな時間。そろそろプレゼント選びしようよ」
「ううん、別にいいわ。今日は葵とデートしたかっただけだから」
そう言って微笑む瞳子ちゃん。私は首をかしげてしまうことしかできない。
私とデートしたかっただけってどういう意味だろう? やっぱりプレゼント選びは口実で何か他に用があるのだろうか。
瞳子ちゃんは微笑んだまま席を立つ。
「だから、これから別の場所に付き合ってもらうわ」
※ ※ ※
思い出すのはあの時のこと。今でもたまに夢に見てしまう嫌なこと。
瞳子ちゃんが川に流されていなくなってしまう。それを追って飛び込んだトシくんもいなくなってしまう。
大切な人がいなくなってしまう現実。そう、それは確かな現実で、心が欠けてしまうような喪失感を味わったんだ。
それから先はただ必死だった。気がついたら二人が助かっていて、安心して、思い出したかのように怒りが込み上げてきた。
私は大切に思ってほしかった。トシくんも瞳子ちゃんも、自分自身のことを大切にしてほしいと心の底から思っていたんだ。
なのにトシくんは自分を大切にしてくれなかった。前だって他人を助けるために自分を傷つけていた。
それはトシくんのかっこ良いところだと思う。あの時だって瞳子ちゃんを助けるためだってわかっていた。それでも許せなくて……それが私の自分勝手な感情からくるものだとわかってしまったから自分が嫌になってしまった。
――という他人には知られたくないような内心を、私は夕方の公園で瞳子ちゃんに吐き出してしまっていた。
「ずるいよ瞳子ちゃん。私こんなこと言うつもりなかったのに……」
もう瞳子ちゃんには隠しごとなんてできないのかな。瞳子ちゃんが聞き出すのが上手なのか、それとも私の口が軽いだけなのか、なんだかわからなくなってしまう。
「隠しきれない葵が悪いのよ。様子がおかしかったら気になるわ」
隣り合ってベンチに座る瞳子ちゃんが足を組む。そんな仕草も様になっている。マネしようと足を浮かせようとして、今日の着ている服を思い出して諦めた。
「……葵が話してくれたんだから、あたしも隠してた気持ち、話すわね」
瞳子ちゃんは少しだけ恥ずかしそうに、自分の秘密を打ち明けてくれた。
「……あたしね、葵にピアノで負けたって思ってからずっと自分が勝てるものを探していたの」
「え?」
それは初めて聞くことだった。
最初は瞳子ちゃんが通っているピアノ教室に私も通わせてもらった。たぶん羨ましかったってだけで同じことをしようと思ったんだ。
瞳子ちゃんがピアノをやめた理由はもっと水泳をがんばるから。それだけしか聞いていないし、私が瞳子ちゃんに勝った憶えなんてない。
「そんなこと――」
否定をしようとしたら頭を撫でられた。話終わるまで口を挟めなくなる。
「あたしは水泳をがんばろうって思ったわ。才能があるって言われたし、俊成にも負けなかったから自信があったの」
遠くを見つめる瞳子ちゃん。過去を振り返りながら話しているのだろう。
「でも結局あたしは水泳で一番にはなれなかった。春姉は一番になれたのにあたしはなれなかった」
一番になれないままピアノをやめて、水泳もやめた。それが心のどこかで引っ掛かっていて、ずっと悔しかった。そう瞳子ちゃんは言う。
「あたしは一番になったところを俊成に見てほしかった。それができなくて、それでもかっこ良いところを見せたくて林間学校の時に川で無理な泳ぎをしちゃったのよ」
申し訳なさそうな声色。実際にそう思っているのはわかっている。瞳子ちゃんは頭を下げた。
「何度も言うけど、心配かけてごめんなさい。それから助けてくれてありがとう」
私が何かを言う前に、瞳子ちゃんは「だからね」と続ける。
「あたしのこと気にして俊成とまで距離を取らなくてもいいと思うのよ」
「え?」
「まさかとは思うけど、あたしを気遣っているつもりじゃないでしょうね?」
と、瞳子ちゃん……、ちょっと目が怖いな……。
「別にそういうつもりじゃ……」
「じゃあなんでよそよそしい態度を取るのよ」
瞳子ちゃんは私を逃すつもりがないみたい。顔を近づけてきて思わずのけ反ってしまう。
誤魔化しは通用しない。それを許してくれる彼女じゃないのを知っている。
「そう、だね……うん」
覚悟を決める。ここまできたら全部吐き出すべきだと思ったから。
「……私ね、トシくんと瞳子ちゃんどっちも大切なの。それがあの時に痛いほどわかって、どっちにもいなくなってほしくないって思ったの」
あの光景は悪夢のようだった。もうあんなのは二度と見たくない。
「トシくんだったら瞳子ちゃんを守ってくれるし……。それで二人がいっしょにいてくれたらいいかなって。そうしたら二人ともいなくなったりなんかしないって思った」
トシくんは瞳子ちゃんを大切にしてくれる。そう確信できる場面を見て、胸がズキリと痛んだ。
「……葵」
瞳子ちゃんの両手が私の頬に触れる。ちょっとだけひんやりした手。そんな感想を抱いていると、むにーと頬を引っ張られた。い、いきなり何を?
「ほ、ほうほひゃん?」
頬を引っ張られているせいでまともな言葉にならない。痛いとまでは言わないけれど、手を離してくれる様子はなかった。
「別に葵に他に好きな人ができただとか、俊成のことが嫌いになったっていう理由ならあたしは何も言わない。でもね、あたしのせいで身を引くのなら許さないわ」
青い瞳が怒りを表している。彼女の綺麗な瞳が揺れていた。
「そんなの、あたし自身を許せるわけがないじゃない……」
「ほうほひゃん……」
「葵はいいの? 何もしないで俊成を諦めて、それで本当にいいの?」
トシくんを諦める。トシくんが私を見てくれなくなる。想像しただけで心臓が掴まれたみたいに苦しくなった。
そんなこと簡単に想像できたはずなのに。瞳子ちゃんが言葉にしてくれるまで私はちゃんとわかっていたわけじゃなかったんだ。
瞳子ちゃんの手が離れる。私の目をじっと見つめてきて、私の心の声を聞こうとしているみたいだった。
「嫌……。私、やっぱりずっとトシくんといっしょにいたいよ……」
瞳子ちゃんが頷く。知っているって言っているような頷き。
「あたしもよ。俊成が誰かを選ぶまで絶対に諦めたくないわ」
それにね、と瞳子ちゃんが続ける。
「葵が俊成とあたしを大切に思ってくれるように、あたしだって葵が大切なのよ」
真っすぐな瞳でそんなことを言われて、ちょっとだけ顔が熱くなる。
瞳子ちゃんは悪戯っぽくニヤリとした笑みを作る。
「だから、振られるならちゃんと振られなさい。そうしたらあたしは俊成と結婚するわ」
「それは頷けないよ。だってトシくんと結婚するのは私だもん」
ニッコリと笑顔で言い返す。瞳子ちゃんは怒るでもなくただ楽しそうに笑った。
「それでこそ葵ね」
そう言われて、私は自分らしくいきたいのだとわかった。自分らしくあれるのだと思ったら、心の底に溜まっていたものがスッキリと洗い流せたような気持ちになった。
※ ※ ※
「俊成ってあたし達を子供扱いしているところがあるのよね。それがたまにイライラするわ」
「だよね! 私なんか体育の時はいつも心配されてるの。あの心配は全然嬉しくないよ!」
「組体操は特にそうだったものね。チラチラ見てるのすぐにわかったもの」
「まるでお父さんみたい。トシくんだって子供なのに!」
帰り道はトシくんの話で盛り上がった。本人の前では言わないようなことでも瞳子ちゃんとなら気兼ねなく話せた。
「……今日はありがとうね瞳子ちゃん」
「いいわよ別に。あたしももやもやしてたしね。それに葵はあたしのライバルだもの。気遣いなんてされたくないわ」
「ライバル、か……。そうだね、私と瞳子ちゃんはライバルだもんね」
くすくすと笑ってしまう。瞳子ちゃんにライバルって言ってもらえただけで嬉しくてたまらない。
私は瞳子ちゃんが羨ましい。それは私に持っていないものを彼女はたくさん持っているから。
でもそれは瞳子ちゃんも同じように思っていた。私を羨ましいと思っていたんだ。きっと私も瞳子ちゃんに持っていないものを持っているのだから。
それでも、わざわざ私に厳しくて優しい言葉をかけてくれる。それは確かに瞳子ちゃんのすごい部分だと思う。
「もし瞳子ちゃんが男の子だったらものすごくモテモテになりそうだよね」
「またそういうこと言う。それでも葵は俊成がいいんでしょ?」
「えへへ……うん」
小さく頷く。夕日では誤魔化せないくらい顔が赤くなっているのがわかってしまう。
正直に正々堂々と。もう自分の気持ちに嘘はつかないようにしていこう。自分のためにも、瞳子ちゃんのためにも。
瞳子ちゃんの家に到着する。玄関のドアを開けると誕生日会の準備をしていたトシくんが出迎えてくれた。
「二人ともおかえり。ご飯の用意は出来てるよ」
トシくんが柔らかい笑顔で「おかえり」と言ってくれる。なんだか気持ちが抑えられなくなって、気づけばトシくんを抱きしめていた。
「え、え!? 葵ちゃんいきなりどうしたの!?」
「葵! 今日はあたしの誕生日なんだから気を遣いなさいよ!」
さっき気遣いなんていらないって言ったばかりなのにね。まったく瞳子ちゃんはわがままだなぁ。
離れない私に対抗するように瞳子ちゃんもトシくんに抱きついた。それから先は奪い合うようにトシくんを抱きしめ合った。
もう余計なことは考えない。我慢するのは瞳子ちゃんにも失礼だから。だからこの気持ちに正直になろう。
大切な人を大切にしたいのなら、わたしがしっかりすればいいんだ。今日の瞳子ちゃんみたいにかっこ良くなろう。そう決意を胸に秘めた。