六月五日は葵ちゃんの誕生日である。
俺や瞳子ちゃんの時もそうなのだが、誕生日は三家族合同でお祝いしている。もちろん今年もその予定である。
「今年は自分で誕生日プレゼントを買いに行くんだけど……、トシくんもついて来てくれないかな?」
いつもは葵ちゃんの両親がそれぞれ選んだ誕生日プレゼントを渡している。けれど自分で欲しい物を選びたいという気持ちがあったのだろう。そんな申し出をされて俺は頷いていた。
葵ちゃんの誕生日プレゼントを買いに行くのについて行くということを両親に告げた。「だったら俊成もその時にプレゼントを買うかい?」との父さんの心遣いでプレゼント代をもらった。父さんに感謝。
そんなわけで葵ちゃんの誕生日プレゼントを買うためにも、彼女と同行させてもらうこととなったのである。
「なんでわざわざ駅で待ち合わせしてるんだろ?」
休日、俺は最寄りの駅にいた。ぼんやりと時計台を眺めながらそう呟く。
てっきり葵ちゃんの家の車で同行させてもらうものだと思っていたのだが。もしかして車にトラブルが起こってしまったとかかな? なら電車で出かけるのも納得だ。
「お待たせトシくん」
「おっと、全然待ってないよ。……葵ちゃん?」
急に女の子に声をかけられて驚いてしまった。しかしすぐに声色で葵ちゃんだとわかった。わかったのだが……。
本日の葵ちゃんの服装はカジュアルなパンツルックであった。いつもはかわいらしいフリフリやらヒラヒラのファッションが多かったものだから、失礼ながら本当に葵ちゃんなのかとしばし疑ってしまう。
「どうかな?」
葵ちゃんはその場でモデルのような立ち姿を見せてくれる。いつも通りのかわいらしさがありながらも、かっこ良さも感じられた。
こうしてみると葵ちゃんは脚が長いな。スカートばかりだったからズボンを履くとそれが際立つ。
それに、あまり肌を見せない格好のはずなのだけれど、葵ちゃんのプロポーションが良いせいかかなり肉感的に見えてしまう。うん、くっきりはっきりしております。
「なんていうか……大人っぽいね」
「えへへ、そうかな?」
はにかむ葵ちゃん。やっぱりかわいいなと思いながらも、不思議に思ったことを尋ねることにした。
「葵ちゃんのお父さんとお母さんは? 近くにいないみたいなんだけど」
キョロキョロと辺りを見回してみるが彼女の両親の姿は見えない。どこか別の場所にいるのだろうかと思っていると、葵ちゃんがあっけらかんと答えた。
「来ないよ? 今日は私とトシくんだけでお出かけするんだもん」
「あれ、そうなの?」
てっきり宮坂家での買い物に俺もいっしょについて行くと思っていたのだが。もしかしなくても俺の勘違いだったようだ。
もしかしたらちょうど両親の都合が合わなかったのかもしれない。だから俺といっしょに行きたいと言ったわけか。
気を取り直して葵ちゃんの方へと顔を向ける。
「そうなんだ。どこに行くかは決まってるの?」
「えっとね――」
葵ちゃんが口にした場所は、前に瞳子ちゃんと二人で行ったショッピングモールだった。
確かにプレゼント選びをするのならあのショッピングモールは都合がいいだろう。いろいろな店舗が揃っているし、何を買うかはっきりとは決まってなくても何か良い物を見つけられるかもしれない。
目的地が決まっているのなら早速出発だ。当然のように葵ちゃんと手を繋ぐ。六年生になっても登校中に彼女と手を繋いでいるのは変わらないでいたりする。
「葵ちゃんは今日買う物って決まってるの?」
「ううん。だからたくさん見て回ろうと思ってるの。たくさん付き合わせちゃうけどいいかな?」
「うん。もちろん気にしなくていいよ」
元々今日は葵ちゃんのために時間を使うつもりだったから問題なんてない。問題なのは俺が選ぶプレゼントの方だ。
誕生日プレゼントを渡すのは毎年のことなので、ここで俺も葵ちゃんへのプレゼントを買うことを秘密にする必要はないだろう。でも、ちょっとは驚いてほしいし、何を買うかまでは見られないようにしておこうかな。
葵ちゃんと電車に乗り込む。ほとんど座席は埋まっているようで、一人分しか座れるスペースがなかった。
「葵ちゃん座りなよ」
「トシくんといっしょに座れないんだったら私も立ってるよ」
気遣いを気遣いで返されてしまう。そう言われてしまうと何も言えないな。
電車がガタンゴトンと動き出す。大丈夫だとはわかっていても、葵ちゃんがバランスを崩したりしてしまわないかと用心してしまう。
「あの子達カップルかな?」
「小学生カップル? かわいー」
がやがやと黄色い声が聞こえてくる。女子高生と思われる集団がこっちを見ていた。なんだか既視感に襲われる。
「あれ? あの男の子って前に別の女の子といっしょにいなかったっけ?」
「えー? あっ、ほんとだ。もしかして二股かな?」
「うわー、すごい小学生だね。あの女の子は知ってるのかな?」
「って、女の子ものすごい美人じゃない。前の時の銀髪の子とどっちがかわいいかな」
好奇心に満ちた目を向けながら好き勝手なことを口にする女子高生達。人の色恋沙汰は恰好の餌のようだ。
嫌な思いをしていないだろうか。そう心配して葵ちゃんの方を見ると、彼女はとても良い笑顔をしていた。
「トシくん」
「な、何かな?」
「私達、カップルに見られてるよ」
「そ、そうだね……」
葵ちゃんは堂々としたものである。なんだか俺の方が恥ずかしくなって顔が熱くなる。
「トシくん」
「な、何かな?」
今度はなんだろうか? 葵ちゃんの俺を握る手が少し強くなった。そして彼女の美貌が近づく。
「今日はデートだからね」
耳元で告げられたその言葉に一瞬硬直してしまう。息が止まってしまったせいで返事ができなかった。小声で聞こえなかったと思うのだが、俺の代わりと言わんばかりにタイミング良く女子高生の集団から黄色い声が響いた。
電車が目的の駅に辿り着く。変な汗を拭いながら俺は葵ちゃんの手を引いて電車から降りた。
本日もショッピングモールは盛況だ。はぐれないように気をつけないとな。
「さてと、どこに行く?」
今日の主役は葵ちゃんだ。彼女は顎に人差し指を当てて「うーん」と考える。
「とにかくぐるっと回ってみようよ。気になったら見てみるって感じでさ。ね?」
つまりノープランである。葵ちゃんに歩幅を合わせながらどこが良いかと目を動かしていく。
いくつか服売り場があったのだが、それはすべてスルーされた。
「服とかは見なくていいの?」
「うん。今日はいいかなって」
葵ちゃんが反応したのはアクセサリーの類だった。小物が並べられている小さな店へと入る。
ネックレスやイヤリングなどを見て顔を綻ばせている。やっぱり女の子はこういうものが好きなのだろうか。
「いいなぁ……」
陳列している指輪を見ると葵ちゃんはそう零すように言った。俺も指輪から目が離せなくなる。
ここに並んでいる指輪は子供でも買えるような値段の物ばかりだ。見る人が見れば玩具と言うのかもしれない。それでも、この形には心惹かれるものがあった。
結婚したい。それが俺の願望で欲望だ。
最初は親に対する申し訳なさみたいな感情が大きかったかもしれない。けど、今は葵ちゃんや瞳子ちゃんと接して、しかも好意なんて寄せられたりしている。前世では考えられなかったことで、経験のなかったことだ。だからこそ、今は自分の心の方が溢れそうなほどに勝っている。
好きな人が現れると胸がドキドキする。そういう表現は陳腐なものだと思っていた。そう勘違いしていた。実際に経験してわかった。そのドキドキというやつは自分でもどうしようもできないほどのとんでもないものだったのだ。
葵ちゃんの顔を盗み見る。とてもかわいい。かわいいけれど、かわいいだけじゃない。
彼女には強さがあって優しさがある。それを一途に向けてくれる。気づけばもう堪らなくなっていたのだ。
そういうものを瞳子ちゃんも同様に持っている。だからこそ迷ってしまう。
なんでこんなにも良い子が二人も現れてしまったのか。たぶんどちらか片方だけならすぐにでも「俺と結婚してくれ」なんて口走っていたかもしれない。
「トシくんどうしたの?」
「ん、なんでもないよ」
こうやってちょっとした俺の変化にもすぐに気づいてくれる。そんな彼女に俺は悩まされる。
いつかは結婚指輪を贈る。形を残せば深く繋がれる気がするから。しかし、その相手はたった一人なのだ。
俺は葵ちゃんの手を引いた。彼女は名残惜しそうな素振りもなくついて来てくれる。
安い物だとしても指輪を買うのははばかられた。まだ心が定まってくれない。俺って優柔不断かな? ……そうなんだろうな。
買い物をすることなく見て回るだけで午前中を使い切る。昼食を取ってから続きだ。
大型ショッピングモールというだけあって、まだまだたくさんの店がある。これだけの店があれば何か気に入ったものが見つかるだろう。
「これなんかどうかな?」
葵ちゃんが手に取ったのはヒールのついたおしゃれな靴だった。靴に詳しくはないが、大人っぽさを感じさせるものだった。
ヒールってバランスを取るのが大変そうなイメージなんだけど大丈夫かな? まあ葵ちゃんが手にしているものはヒールと言ってもその高さは低めなんだけども。
「良かったら履いて見せてよ」
俺がそう言うと葵ちゃんはその靴を履いて見せてくれた。若干目線が上がる。
おしゃれは足元からと言うけれど、なかなか似合っているように見えた。葵ちゃんの大人っぽさがまた上がった。
それに立ち姿も様になっている。これなら歩いてバランスが取れないだなんて心配はないのかな。まあ学校では履いて行かないだろうし、休みの日限定ならそう心配するものでもないだろうか。
「うん、似合うね。大人っぽいよ葵ちゃん」
「そ、そうかな? じゃあ私これにするね」
葵ちゃんはレジで支払いを済ませる。だったら俺は靴以外の物の方がいいだろう。
今日はやたらと大人っぽくなった葵ちゃんを見せつけられた気がする。本当に小さい頃からの彼女を知っているだけにそう感じるのだろう。
だから、俺が考えたプレゼントも彼女を大人っぽくさせるような物へと目が行ったのかもしれない。
別の店へと移動して、俺は一つの商品を手に取った。
「葵ちゃん、これなんかどうかな?」
「お財布?」
誕生日プレゼントをするということは決まり切ったことなので隠さず本人に尋ねてみることにした。何を買うかは秘密にして驚かせようとは考えていたのだけど、今までとはちょっと違う物なので確認しておいた方がいいかなと思ったのだ。
俺が手に取ったのは茶色の長財布だ。葵ちゃんは服装に反して財布は子供らしい物のままだった。せっかくなので財布も大人っぽくしたらどうかと思ったのだ。
けれど葵ちゃんはどう思うかが問題だ。いつもはぬいぐるみかお人形さんばかりだったからな。そっちがいいのなら変更しよう。
葵ちゃんは俺が手に持った財布を受け取る。まじまじと見つめて、うんと頷いた。
「トシくんはやっぱりわかってくれてるんだね」
「え? わかってるって何を?」
「ふふっ、なんでもないよ」
葵ちゃんの微笑みは今までで一番大人っぽく感じられた。
ちなみに、誕生日当日は俺と瞳子ちゃんと葵ちゃんのお母さんの三人でケーキを作った。プレゼントの話を聞いていたのか葵ちゃんのお母さんはずっとニヤニヤとした笑みを隠してはくれなかった。瞳子ちゃんの目つきが怖くなってくるからその笑みを引っ込めてほしかったです……。
背伸びしたいお年頃。少女はそうやって大人になっていくのであった(ナレーション風)