運動会の日がやってきた。
なんだか今までの中で一番クラスのモチベーションが高い。本郷を中心に男女ともにやる気に満ち溢れていた。
これが本郷のカリスマか。体を動かすのが大好きな男子はともかくとして、優勝を狙っている本郷をサポートしようと女子も力が入っている。
とは言いつつ俺も今回はいけるんじゃないかって考えている。本郷と俺は学年で一、二を争う脚力を持っている。女子では瞳子ちゃんが一番運動ができるし、赤城さんだって期待できる。
まだ俺は運動会で優勝したことがなかった。それは前世含めてである。別に個人で優勝できるもんでもないが、いつも優勝を告げられて盛り上がっている子達を眺めているとほんのちょっぴり羨ましくなるのだ。
もちろんみんなで楽しむのが一番だ。たとえ優勝できなくても楽しい思い出ができればそれでいいとも思う。
……でも、一回くらいは優勝してみたいって思っちゃうのもまた事実だった。
「あっ、トシナリくーん。がんばってねー!」
最初の入場行進をしていると声が飛んできた。聞き覚えのある声は野沢先輩だった。
もちろん弟の応援に来たんだろうけど。それでも俺に声援を送ってくれたことが嬉しくてにやけてしまう。
「俊成っ。ちゃんと前向いて歩きなさい」
「はい……」
瞳子ちゃんに怒られてしまった。入場行進が退屈だからってよそ見はダメだよね。
「よぉーし! みんな力いっぱいがんばるぞー!! 応援も大きな声でやるぞー!!」
四年二組のみんなが本郷に続いて「おー!!」と続いた。全学年の中でも一番やる気のあるクラスではなかろうか。
「ふっふっふっ。二組なんかに負けないんだから。勝つのは私達四年五組よ!」
しかしそれに対抗するように一人の女子が現れた。ショートヘアで前髪をヘアピンでとめている。身長が高く、いかにも運動ができそうな女の子だ。
というか小川さんだった。そうだ、盛り上げ上手の彼女がいるクラスがやる気がないなんてことはなかった。小川さんの後ろには五組の生徒がずらりと並んでおり、一人一人の目に火が灯っていた。
本郷はにやりと笑う。ライバルを見つけたかのような楽し気な笑みだった。
本郷と小川さんの目線がぶつかり火花が散った。楽しそうだなぁ。
「がんばろうねトシくん!」
二組と五組の争いに興味のない葵ちゃんが出ない力こぶを作ってアピールする。髪型をポニーテールにしているし本気モードなのだろう。
「高木」
赤城さんが俺に駆け寄ってきた。
「今日はおばあちゃんもいっしょにしてもらってありがとう」
「いやいやお礼を言われることじゃないって。俺達運動会の時はいっつもお昼いっしょに食べてるからさ。応援だっていっしょの方がいいかなって思っただけだから」
「うん」
本日の運動会には赤城さんのおばあちゃんが来ているのだ。毎年何かしら用事が入ってしまい来れなかったのだが、今年はついに応援に来てくれたのだ。
せっかく来てくれるとのことだったので、それを両親に伝えて同じ席で応援できるようにと動いてもらったのだ。葵ちゃんと瞳子ちゃんの両親も了承してくれた。まあ赤城さんとは毎年昼食をいっしょにしてたからこそ簡単に受け入れてくれたのだろう。
「おばあちゃんが見てくれてるんだからがんばらないとね」
「もちろん」
赤城さんはぐっと親指を立てた。まあ運動が得意な方だし自信があるんだろうな。
「高木くん、次の種目があるから入場門にいかんと」
「あ、そうだな。瞳子ちゃん行こうか」
「わかったわ」
佐藤に言われて俺と瞳子ちゃんは入場門へと向かった。俺達は二人三脚に出るのだ。
二人三脚は男女のペアである。最初は男子で一番足の速い本郷が瞳子ちゃんとペアを組むはずだったのだが、彼女が嫌がってしまった。俺と組むのだと主張するので本郷が退いてくれて他の競技に移ってくれたのだ。
「二人三脚はコンビネーションだからな。木之下のことは高木に任せた」
そう言って爽やかに笑う本郷だったのだ。あれ、こいつ思った以上に良い奴じゃないか。
「私の相手は高木くんときのぴーなのね。ふっ、この私をがっかりさせないことね」
小川さんが二人三脚のメンバーにいた。なんで強者目線なの?
「はいはい。小川さんもこけないようにがんばって」
瞳子ちゃんはあっさりと受け流していた。なんというかものすごく余裕を感じる。
まあ……小川さんのペアの男子って身長が低いんだよなぁ。背の高い小川さんと並ぶとデコボコっぷりがひどい。なんでこの二人をペアにしたのか疑問である。
「俊成、足結ぶからこっちきて」
「うん、わかった」
瞳子ちゃんの左足と俺の右足が紐で結ばれる。途中で外れないようにと瞳子ちゃんがきつく結んでくれた。
「……よし。ちょっと歩いてみましょうよ」
瞳子ちゃんが結び終わったようなので少し歩いてみる。きつく結ばれたというのもあって俺と瞳子ちゃんの足がくっついたかのようだった。
「問題なさそうだね」
「……そうね」
二人三脚が始まった。俺と瞳子ちゃんは「イッチニー、イッチニー」とかけ声を口にしながら爆走した。もう圧倒的だったね。
「くそー! 負けたー!」
二着でゴールした小川さんが地団駄を踏む。ペアの男子がこけないようにとバランスをとっている。このバランス感覚を見込まれて小川さんのペアになったのかもしれない。
「ふふっ、あたしと俊成が組めば誰にも負けないんだから」
瞳子ちゃんは自慢げに胸を張る。それを見て小川さんはさらに悔しがった。この二人っていい関係だよね。
今年の二組は全学年で健闘していた。午前の部が終って二組の順位は二位だった。午後の競技結果がよければ優勝が狙える。
昼休憩の時間となった。それぞれ家族といっしょに昼食をとる。
高木家と宮坂家と木之下家、そして赤城家を含めた大人数でシートをくっつけて弁当を食べる。
「美穂はすごいんだねぇ。あんなに足が速いだなんて知らなかったよ」
赤城さんのおばあちゃんが微笑みながら孫を褒める。やっぱり孫の活躍が嬉しかったのか顔がずっと綻んだままだ。赤城さんもまんざらでもないのか少しうつむき気味になっている。照れてるんだな。
「瞳子の写真はいっぱい撮ったからな。アルバムが楽しみだなぁ」
「何? 俺だって葵の写真をたくさん撮ったからな。思い出の量は負けんぞ」
「まあまあ。勝負事でもないでしょうに張り合わんでもいいでしょう」
父親って運動会が好きだよね。子供ががんばってる姿を間近で見られるのだ。普段目にできないだけにテンションが上がってしまうのだろう。
「葵はもうちょっとだったわねー」
「でもがんばってマシタ」
「そうね。すごくかわいかったわ」
あまり成績が振るわなかった葵ちゃんは母親達に慰められていた。というか母さんのその感想は種目に関係ないよね?
「後は学年対抗リレーがあるわね」
「うぅ……走るのやだなぁ……」
「葵、そんなこと言わないの。抜かされても怒らないから最後まで一生懸命走りなさい」
「わ、わかってるよ~……」
午後の部からは騎馬戦や組体操、そして学年対抗リレーがあった。
学年対抗リレーは四年生から六年生までの学年で行われる。点数をもらえる最後の競技というのもあってその得点は高い。優勝できるかどうかはこのリレーにかかっていると言っても過言じゃないのだ。
リレーは運動会の花形みたいなもんだからな。なんかドキドキする。男として活躍してやりたいって気持ちが強くなる。
昼ごはんを食べ終わって俺達は午後の競技に備えることにした。軽くストレッチをしておく。
「赤城さん、美穂ちゃんこれからリレーに出ますから。しっかり応援してあげましょう」
「ええ、楽しみです」
母さんと赤城さんのおばあちゃんの会話を聞いて、赤城さんにとってもおばあちゃんにとっても良い思い出になればいいなと思った。
クラスメート達と合流する前に野沢家に近づいた。気づいてくれた野沢先輩が朗らかな笑顔を向けてくれる。
「俊成くんがんばってたね。今年は学年対抗リレーもあるから楽しみだよ」
「野沢先輩。俺がんばりますから見ててくださいね」
「もちろんしっかり見てるよー」
野沢先輩には一年生の頃から走りを見てもらってるからな。どれだけ成長したのか見せてあげたいのだ。
「なんだよ。言いたいのはそれだけかよ?」
「こーら拓海。そんな言い方しないの」
「ふんっ」
野沢くんが眉間にしわを寄せて俺を見ていた。というか睨んでいた。まあ野沢くんは五組だし、今日は敵同士だから仕方がないか。
「野沢くんは組体操にも出るんだよね。楽しみにしてるからがんばってね」
「み、宮坂……。お、おう! がんばるから見ててくれ!」
葵ちゃんに応援の言葉をかけられて野沢くんは元気が出たみたいだった。強く胸を叩いたせいでむせていた。それを見てか野沢先輩がくすくすと笑っていた。
そして、ついにお待ちかねの学年対抗リレーが始まった。
四年生の全クラスで行われる。五クラスあるから一着を取るのは簡単じゃない。それでも十分に狙えると思っている。
このリレーの順番は男女交互にというルールがある。それさえ守ればどんな順番にするかはクラスそれぞれで自由だった。
俺達二組の順番は足の速い子を後ろに固めていた。アンカーは本郷。その前には瞳子ちゃん、俺、赤城さんとなっている。
最初でリードを離され過ぎていなければ勝てるだろう。この作戦でどうなるか。すぐに結果は出る。
「位置について、よーい……」
スターターピストルから「パァンッ!」という音が響いて一斉にスタートした。
一番手は葵ちゃんだ。最初に足の速い子が集中しているらしくいきなり離されてしまう。ビリでも彼女は一生懸命走った。
「うおーーっ! がんばれ葵ーー!!」
葵ちゃんのお父さん声が大きいです。ダンディな見た目に反してかなり熱くなっているようだ。しかしその熱に呼応してか、葵ちゃんはまだ始まったばかりだというのにリレーのクライマックスと言わんばかりのたくさんの声援をもらっていた。葵ちゃんのかわいさがあるからこその声援だろうな。
葵ちゃんのバトンは佐藤に渡った。佐藤は追い越すことはできなかったものの確実に差を縮めてくれた。
この後も目まぐるしく順位は変わっていき、俺達二組は三位まで順位を上げていた。
トップは五組だ。二位から五位までが団子状態になっている。まだまだわからない展開だ。
だんだんと俺の順番が近づいてくる。周りからは応援の声が響いているし、流れる音楽も気持ちを焦らせてくるかのようだ。
あれ、俺緊張してる? いやいやそんなバカな。運動会だって初めてでもないのにさ。
ついに俺達二組は二位にまで順位を上げた。最初がビリだったことを考えればかなりの追い上げである。この追い上げムードでクラスメート達は大はしゃぎしていた。
だが、ここで事件が起こった。
ついに赤城さんの順番が回ってきて、いよいよだと気持ちを引き締めている時だった。
「あ」
その声は運動場に大きく響いたように感じた。
赤城さんがバトンを受け損ねて落としてしまったのである。慌てて拾おうとしたが、焦ったせいか蹴ってしまいなかなか拾えない。
その間に次々と抜かされてしまう。三位、四位、一気に最下位にまで転落してしまった。
大きなため息が聞こえてきた。同じクラスメートからのものだった。
なんとか拾って赤城さんはようやく走り始めた。
「……」
だいぶリードを離されてしまった。トップを走る五組とはそうそう追いつける差ではないだろう。
赤城さんが近づいてくる。他の組はすでにバトンを渡しているため俺だけが残っていた。
「ごめ……ごめんなさ……」
赤城さんは泣いていた。泣きながら走っていた。いつもの無表情なんてそこにはなかった。
彼女は責任を感じているのだ。いつも無表情で、何を考えているのかはっきりわからない女の子だけど。それでもみんなといっしょにがんばっていたのは確かだった。
今日は赤城さんのおばあちゃんが来てくれているのだ。良いところを見せたかったに違いない。良い思い出にしたかったに違いない。
知らず引き結んでいた口を開く。
「……大丈夫だよ赤城さん。絶対に勝つから!」
助走をつけて赤城さんからバトンを受け取った。
クラス一丸となってがんばる。それで優勝できたら最高だ。
でも、優勝できなくても運動会は楽しい行事なのだ。まだ優勝したことのない俺だけど、毎年楽しい思い出になっている。
だけど、このままじゃあ赤城さんには悲しい思い出しか残らない。ずっと心の中に残り続けてしまう。人は成功したことよりも失敗を記憶する生き物なのだから。
「うおおおおおおーーっ!!」
俺は走った。本気で大真面目に速さだけを求めて走った。
もしこのまま負けたら赤城さんはクラスメートから責められてしまうかもしれない。みんなで参加している競技なのに赤城さんだけが責められてしまうかもしれない。それはダメだ。
社会人になると責任の所在を求められることが多くなった。次につながらない責任追及ばかりだった。
それでもいい上司はいたのだ。その人が教えてくれた責任をチャラにする方法があった。
「勝てばよかろうなのだ!」
つまり終わりよければすべてよし! 赤城さんの失敗をカバーするためにも、このリレーは勝ちたかった。
息が上がるのを無視し、全力以上を出して痛くなる足に構ってやらなかった。どうせこのリレーが最後の競技だ。明日筋肉痛になっても関係ないことだった。
離されていた背中が見えてきた。もうすぐ追いつける!
四位の子の背中に迫った時、瞳子ちゃんの姿に気づいた。
目と目が合う。彼女は小さく頷いてくれた。
「瞳子ちゃん任せた!」
「任せなさい!」
バトンを渡すと瞳子ちゃんは力強い走りを見せてくれた。すぐそこまで迫っていた四位の子を抜くと、団子状態となっていた二位と三位の子もあっさり抜いた。
さすがは瞳子ちゃん。息が苦しくなりながらも結果を目で追った。
加速する瞳子ちゃんはついにトップの五組の子の背中を捉えた。そしてアンカーの本郷に最後のバトンが渡る。
さすがにアンカーは速かった。それでもゴール目前で本郷は鮮やかに抜いてみせた。一着でゴールテープを切る。
その瞬間、歓声が響いた。まあ最後の最後までデッドヒートだったからな。これは盛り上がるよ。
「ふぅ……」
思わず息が漏れた。なんとか勝ててよかった。これで赤城さんの責任ってやつもなくなっただろう。
最後に逆転のゴールインをした本郷と、一気に順位を上げてくれた瞳子ちゃんにクラスメート達が殺到する。今回のヒーローだからね。そんな二人を眺めていると嬉しさが込み上げてくる。
「トシくんすごかったね! あんなに差が開いてたのに追いついちゃうだなんて!」
葵ちゃんが俺のがんばりを自分のことのように喜んでいた。みんなから褒められるよりも彼女一人から褒められる方が嬉しい。
「た、高木……」
赤城さんだ。さっきまで泣いていたからか目が潤んでいて顔も赤い。
「その……ありがとう」
消え入りそうな声だった。そんな彼女に俺はにっと笑ってやる。
「お互いがんばったよな。一位になれて嬉しいよ」
ハイタッチを求めてみる。赤城さんはおずおずと手を伸ばして軽く手のひらを当ててくれた。
彼女にとって今日が良い思い出になってくれるかはわからない。それでも悪い思い出にならなければと、そう思った。
ちなみに最終結果が発表されて二組は一位だった。俺達四年二組のみんなが大盛り上がりしたのは言うまでもない。俺も運動会を初優勝という結果で終われて最高の気分だった。