元おっさんの幼馴染育成計画   作:みずがめ

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135.収束する気持ち

 葵のことが好きだ。瞳子のことが好きだ。二人ともが大好きすぎて、大切すぎて……、かえって大きく距離を縮めることができなかった。

 二人は俺の気持ちを尊重してくれた。時間がかかっても我慢して待ってくれていた。だからこそ、しっかり答えを出してからでないと、この先に進んではならないと思った。

 

 前世よりも良い人生を求めた。

 そのために結婚できれば、と。結婚さえすれば幸せになれるのだと、浅はかな自分はそんな漠然とした「幸せ」を思い描いていた。

 でも、生じる責任までは思い描いてはいなかった。

 いや、想像していなかったわけじゃない。それも含めて「責任を取る」ということなのだろうと思っていた。

 だけど、実感が伴っていなかったのだ。俺にのしかかってきたものはとてつもなく大きく、そして重かった。それがまた二人に対して抱く存在の大きさでもあった。

 そうだ。好きだからこそ、その責任はとてつもなく大きい。葵と瞳子と付き合い始めてから、ようやくそのことを実感していた。

 体感しなければ本当の意味では物事の実態がわからない。それを繰り返し続けていた俺だったが、恋人関係が出来上がり、自分の心境の変化に戸惑ったりもした。

 葵と瞳子のことが大切なことには変わりない。ただ、無責任なことをしてはならない。そう強く思い続けた。強く、思い過ぎていた。

 

 結局のところ、俺は臆病風に吹かれていただけだったのだ。葵と瞳子。大切な存在との絆を、自分の行動一つで壊してしまうかもしれない。そんな「かもしれない」恐怖に心と体をこわばらせていただけだ。

 現状維持は誰も求めてなんかいやしない。葵も、瞳子も、そして……俺だって。

 二人はずっと期待していたじゃないか。その期待に応えられるよう、そのために俺はがんばってきたはずだ。がんばれる自分になれたはずだ。

 

 たくさん葵のことを考えて、たくさん瞳子のことを考えて、たくさん自分自身に問いかけた。

 脳が沸騰するんじゃないかってくらい考えて、ある時、すとんと心に何かが落ちた。

 

「……そうか。俺には無理だったんだ」

 

 一人呟く。ある意味、諦めがついた瞬間だったかもしれない。

 このことを二人に伝えなければならない。それが俺の覚悟だから。

 

 

  ※ ※ ※

 

 

 夕食で何を食べたかは覚えていない。海鮮料理だったはずなのだけど、まったく味を思い出せないでいた。新鮮な見た目だったかなってくらいしか頭に残ってなかった。

 仲居さんに食事の後片付けをしてもらった。その後すぐに別の仲居さんが布団を敷きに来た。

 俺達は何の気なしに雑談に花を咲かせていた。少なくとも仲居さんにはそう見えたと思う。

 けれど、視線を向けていなくても心の目はバッチリと目撃していた。三人分の布団が隙間なくくっつけられているところを。

 旅館の方々が俺達をどう見ているかがわかった気がした。と同時に羞恥に顔が染まる。

 

「……」

 

 それは葵と瞳子も同じだったようだ。今の俺はこんな表情なんだろうなと、鏡を見ている気分だ。

 布団を敷くという作業をそつなくきっちりと終えた仲居さんが部屋を後にした。俺達はお礼を口にしながらも、敷かれた布団へと、意識のほとんどを持ってかれていた。

 

「……」

 

 それから、訪れたのは沈黙だった。

 気を紛らわすための雑談は自然となくなっていた。和やかな雰囲気はどこへやら。緊張から唇が震えそうになる。さっきまで何をしゃべっていたのか、もう覚えてはいない。

 

「あの、さ」

 

 そんな中、口火を切ったのは俺だ。

 

「電気……消さないか?」

 

 葵と瞳子は互いに顔を見合わせる。何か通じ合ったのか、二人は同時に俺へと顔を向けて、こくりと頷いた。

 明かりを消す。まったくの暗闇が訪れるわけではなく、月明かりが部屋に差し込んでいた。

 

「……」

 

 葵と瞳子は無言のまま俺を見つめている。軽く息を吐き出してから、大きく息を吸い込んだ。

 

「話が、あるんだ」

 

 声が上ずる。心臓が痛いくらい鼓動する。息が詰まりそうな思いだ。

 一瞬の静寂。まずは深呼吸をして、俺は言葉を紡いだ。

 

「俺は葵のことも、瞳子のことも、大好きだ。心からそう思っているよ」

 

 一片の偽りのない本心を伝える。息継ぎをして、続きを口にする。

 

「だから、二人には後悔してほしくなくて……。でも、だからって俺の決断で葵と瞳子の人生がどう変わってしまうのか、良いのか悪いのか、早く答えを出さなきゃって思うのに間違えることが怖くて悩んでばかりで……。どうすれば葵と瞳子が幸せになれるかって考えていたら、ずっと何もできないでいた……」

 

 ああ、支離滅裂になりかけてる。言い訳とか、迷いを吐露したいわけじゃないんだ。

 シンプルに考えようと決めたじゃないか。俺は二人と、自分の期待に応える。まずはそれでいい。

 その結果、きっと俺達は後悔しない。葵も、瞳子も、強い気持ちでここにいるのだから。だから俺だって負けない気持ちを持たなければならないんだ。

 月明かりすら眩しく感じる。そう感じるのは月光だけじゃなく、どこまでも優しい二人の微笑みのせいかもしれなかった。

 唇が震えるほど緊張しているってのに、目の前の存在に意識を奪われて、うるさく感じていた心臓の音が、いつの間にか聞こえなくなっていた。

 理由なんか知ったことじゃない。俺は求めているんだ。葵のことも、瞳子のことも。欲張りな俺は二人ともを求めている。そこに優劣はない。

 欲しい……。葵が欲しい。瞳子が欲しい。体も、心も、彼女達のすべてが欲しい。

 その強さも、優しさも、すべてが愛おしい。この想いはこれまで色あせることはなかった。きっと、これからも色あせないのかもしれない。

 気づけば唇の震えは止まっていた。詰まりそうになっていた喉を振り絞る。

 

「葵が……、瞳子が……、欲しい……。俺は二人の全部が欲しいんだ」

 

 感情を振り絞る。素直な欲望を口にするだなんて恐怖すら覚える。でも、後悔はなかった。

 今の俺はどんな顔をしているだろうか。二人のように優しい顔はできていないだろう。

 それでも、気持ちはいっしょでありたかった。

 

「……いいよ」

 

 最初に返事をしたのは葵だった。

 小さく、でも戸惑いはない声。

 

「私は、トシくんがいい……。だから、後悔なんてしないからね。絶対に……」

 

 俺の心を見透かしたかのように、彼女は不安を取り除く言葉をくれる。

 そして、俺へと手を伸ばしてくれた。その手を、しっかりと握り返す。

 

「私の初めて……トシくんにもらってほしい、です……」

 

 彼女の目が潤んでいる。熱を帯びた息が、俺の頬に触れた。

 強い眼差しで見つめ返す。月明かりしかないってのに、葵の顔がみるみる赤く染まっていくのがわかる。

 恥ずかしいのだろう。そりゃそうだ。初めてのことは誰だって緊張する。

 いや、違うか。葵は高揚しているのだ。俺を見つめる瞳から情欲が見て取れた。

 俺は小さく頷き、瞳子へと目を向けた。

 

「瞳子。俺は……」

「い、言わなくていいわよっ。あたしも、その……」

 

 葵以上の真っ赤な顔で、瞳子はもごもごと口を動かす。

 彼女も、どういう意味かわからないほど子供ではない。もう、子供ではないのだ。心も、体も。ずっと見てきたから知っている。

 

「えっと、だから、あたしは……」

 

 瞳子はなかなか言葉をまとめきれないでいる。急かせることなく黙して待ち続けた。

 

「~~っ!」

 

 恥ずかしさの極致に達したかのように、瞳子は目をぎゅぅっとつむった。次にぱっと目を開いた彼女の青色の瞳は、真っすぐ俺を映していた。

 

「……欲しがりなのは、俊成だけじゃないんだからね。あたしだって……、あたしだって俊成が欲しいわっ。俊成の全部が欲しいの!」

 

 そう言い切って、瞳子は俺へと思いきりよく手を伸ばした。その繊細な手を優しく、気持ちを強いまま握り返した。

 

「……ありがとう」

 

 ありがとう。そう何度も口にしたいと思った。

 葵と瞳子の気持ちがどれだけ強いことか、痛いほど伝わってくるから。俺も精一杯を伝えたいと思ったんだ。

 二人を抱きしめる。葵の体温が、瞳子の熱が、二人の柔らかさを感じる。

 

「葵……」

「トシくん……」

 

 長いまつ毛が震えている。俺しか映していない瞳。愛おしいほどの真っすぐな気持ちだ。

 彼女との距離は簡単になくなり、俺は葵とキスをした。

 唇同士を触れ合わせる。幾度となく繰り返してきた優しいキスだ。

 だけど、それだけでは物足りないと舌で葵を求める。もっと深く、彼女の本心が欲しいとばかりに求める。それは貪っていると表現してもいいほど深いキスだ。

 息苦しくなるまで続けられ、距離を離した時には二人して肩で息をしていた。

 

「俊成っ」

 

 一息入れる間もなく、瞳子からキスをしてきた。

 唇を押し付ける瞳子に俺も応える。気持ちが伝わってくるキスに、俺の心も高揚する。

 

「瞳子……」

「ん……」

 

 唇を離して名前を呼ぶ。瞳子の目がじわりと揺れる。

 今度は俺からキスをした。瞳子を貪るように求める。そんな俺に、彼女は応えてくれた。

 後頭部を撫でればサラリとした感触。いつものツインテールではなく、髪を下ろしたままの瞳子は色香があり、俺をドキドキさせる。

 二人とのキスを繰り返す。いつも通りではない、いつも以上に踏み込んでいく。

 濃密な時が流れる。求めている間に浴衣が乱れて彼女達の肌を露わにしていく。

 季節のせいだけじゃない熱さが体を覆う。それは感情の発露だったかもしれない。熱気が室内に充満する。

 

 今夜……俺は、葵と瞳子を抱く。覚悟を抱き、彼女達の深くへと踏み込んだ。

 

 

  ※ ※ ※

 

 

 溺れる……。まさにそんな表現がぴったりだった。

 

 葵と瞳子だって怖さがあったに違いない。それでも、俺を戸惑わせないようにとがんばってくれた。いっしょに距離を縮めてくれた。

 そんないじらしい彼女達に、俺はまた魅了されてしまうのだ。愛おしくてたまらないこの気持ちを、精一杯行動で示せただろうか。

 

 しかし、まあ、なんていうのかな……。

 前世含めて初めてだったけれど、まさかここまでとは……。初めての体験に翻弄されてばかりだ。

 葵と瞳子は俺の求めに応えてくれた。俺は二人の期待に応えられただろうか? どう思ったのかと、ちょっと、いやかなり気になる……。

 

「…………」

 

 それを尋ねるのは野暮というものかな。

 ほてった体も心地良い。そう、体が汗ばんでいるというのに心地良さを感じていた。

 

「…………」

 

 俺は、葵と瞳子と、肉体関係を結んだ。

 俺は優しくできただろうか? やっぱり気になる。いや、今日のためにと用意した箱の中身がすっからかんになった事実に自信が揺らぐ。

 でも、俺の隣で眠っている瞳子の表情はとても幸せそうだ。普段の彼女からでもなかなかお目にかかれないほどのお顔である。

 そんな彼女の安らかな表情が俺に自信をくれる。

 反対側の隣には葵が……いない?

 あれ、と思い首を傾けて葵を探す。

 いた。葵はなぜか布団の端っこで俺と距離を離していた。

 

「ふぇ……ぐすっ……」

 

 彼女は背中を向けて震えていた。わずかに嗚咽が聞こえてくる。胸が締めつけられる。

 何か失敗して葵を泣かせてしまったのだろうか? 俺は彼女へとそっと手を伸ばす。

 

「葵――」

 

 そう声をかけられたかは定かではない。

 なぜなら、急激な眠気に襲われたから。抗えないまどろみの中、彼女に届くようにと必死で手を伸ばした。

 その手が届いたかどうかでさえ、定かではない。俺の意識は闇へと落ちていった。

 

 

  ※ ※ ※

 

 

 スズメのさえずりで目を覚ました。

 

「ふぁ~……だるい……」

 

 あくびをかましながら重たい体を起こす。寝起きの倦怠感が布団へ戻ろうと訴えてくる。

 ぼーっとしたまま寝ぼけ眼で辺りを見回す。こぢんまりとした見慣れた部屋だ。

 

「ん?」

 

 なぜだか違和感を覚える。

 はてと目を擦る。それからもう一度部屋を見渡した。

 

「え……?」

 

 意識が覚醒するにつれて、脳が勝手に状況を認識していく。

 いてもたってもいられなくて、俺は布団を蹴り飛ばして転がるように部屋を出た。

 そうして辿り着いたのは洗面所。そこで俺は鏡に映る自分の顔を見た。

 

「嘘、だろ……」

 

 信じられない……、信じたくない……。唐突に襲った絶望に、俺は顔を青ざめさせていた。その顔が、鏡にくっきりと映し出されていた。

 鏡に映っているのは、高校生よりも明らかに歳を取った自分……。まるでおっさんになってしまったかのような顔が、そこにはあった。

 いや、正確には前世の俺自身。間違いなく、おっさんと呼べる歳の俺だった。

 

 


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